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京アニ放火は人類に対する罪だ! ジェノサイドだ!
~ルポ 京アニを燃やした男(日野百草著)~
荒井 類 (「鷗座」)
本書の著者・日野百草(以下敬称略)は、 今回発売の『京アニを燃やした男』(奥付では 2019 年 11 月 30 日初版発行)の 4 ヶ月ほど前に、 『ドキュメント しくじり世代』を上梓して、(奥付では 2019 年7月 10 日初版発行)、ノンフィクション作家としてデビューした。
この著作については「ニューズウィーク」電子版( 2019 年 12 月 2 日(月) 17 時 30 分)に、印南敦史(作家、書評家)が〈「私はエリートだから農協に落ち着いたのは忸怩たる思い」団塊ジュニアのしくじり人生〉というタイトルで紹介の一文(書評)を寄せている。まずは、それを引用したい。
「彼ら(引用者注 :「しくじり世代」の人々)はある種の被害者なのだが、その被害者にも考えるべきことがあると著者は指摘している。重要なのはこの点だ。
〈氷河期世代と嘆くのも、氷河期のせいにするのも四十代となるともはや甘えでしかない。私達はすでにおじさんおばさんであり、子の父であり母であり、そうでなくとも社会を、家庭を、自身を引っ張っていかなければならない年齢である。それなのにいまだに小中学生気分で子供じみた趣味趣向に溺れ、子供じみた競争意識ばかりにうつつを抜かし、もはや引退したはずの団塊世代に八つ当たりを繰り返す駄々っ子おじさんとおばさんのままである。
繰り返すが我々はもう四十代だ、もう残りの人生は半分あるかないかなのだ。時間はあるようでない、ないことをまず自覚しよう。 ( 203 ページ 「おわりに ―― 何者にもなれなかった私たち」より) 〉
もちろん被害者ではあるのだろうが、 被害者意識を身にまとっているだけでは何も解決しない 。 そもそも時間がなさ過ぎる。だからこそ、 今からでも意識を変革すべきだ という考え方である 。」(傍線は引用者)。
『 京アニを燃やした男 』 の最後の章「所感」の最後 「青葉へ」で日野は次のように言う。
(君は生まれてからずっと貧しく、夢は大金持ちだった。/生まれながらの貧しさの理不尽はわかる。/(中略)幼少のの貧しさは同情に値する。/しかし君の問題は中年のおっさんになった今、そこにない。/君に決定的に欠けているのは社会に対するリスペクトだ。/自分が認めてもらうには、まず多くの人々を認めるところから始めなければならない./それが自然と備わっている人もいれば、少々訓練が必要な人もいる。これを世間では社会性と呼ぶ。/そしてその社会性に大切なのは人としての感性だ。/君は社会性の欠如を社会のせいにして生きてきた。君の末路は社会と関係ない。貧相な感性による君自身の帰結である。/なぜなら、社会とは子供の遊び場ではないからだ。)( 137 ~ 138 ページ)
日野百草の『しくじり世代』における「被害者意識を身にまとっているだけでは何も解決しない。だからこそ、今からでも意識を変革すべきだ」というアドバイスと「青葉へ」でのこの言葉のトーンは変わらない。
要は「いい歳して甘えてんじゃね~よ」ということであり、「なんでもかんでも他人(ひと)のせいにして生きてるんじゃね~」ということだ。
この日野百草の言葉は、日野のいままで生きてきた軌跡(本書でいろいろ語られている)を考えると、とても説得力を持って迫ってきた。
本書を書くにあったては、日野百草にはいくつかのアドバンテージがあった。
そのひとつは、「京アニを燃やした男=青葉真司」の育ち、暮らした地域に「土地勘」があったことである。「私のかつての故郷であり、事件までの青葉が暮らした、東武野田線(東武アーバンパークライン)沿線と茨城県西南部を中心に歩き続けた。/そう、憎き青葉の出自、源流は私の故郷でもあった。古くは下総国であり、武蔵国との境目であった。」( 7 ページ)。「気味が悪いほど青葉の行動範囲が、地名が、すんなりとわかってしまう。」( 8 ページ)。
第2のアドバンテージは、自己開示ができることである。日野百草は自分の経歴を隠すことなく語る。
〈入社後は日中学院には行かなくなってしまった。就職できたし時間的に通えなくなったからいいやと行かなくなったが、素行不良ですぐ記者をクビになってしまったので、青葉のことは笑えない。むしろ定時制も卒業し、市役所も勤め上げた青葉のほうが、 10 代の段階では、私よりも上等である。〉( 53 ページ)。
著者の自己開示がない著作は、たとえそれがノンフクション、ルポルタージュでも、人の心には届かない。
京アニが襲撃され、火をはなたれた。死傷者が多数いるらしい。――こんな報道に接し、その「犯人」に関する断片的なあれこれを聞いたとき、私は 10 年ほど前の 「 * 秋葉原無差別殺傷事件」 の 「犯人」(最高裁で死刑が確定されているのでカッコはいらないか) 加藤智大(かとう ともひろ、事件当時25歳)のことを思った。 * 2008 年(平成 20 年) 6 月 8 日。
本書の次のくだりを読んで自分の知性を恥じた。
〈アイヒマンはユダヤ人を「この世」から何人追い出すか、要するに何人殺すかを頑張った。殺す方がたくさん追い出せる。そのころには幹部になっていたアイヒマンはユダヤ人根絶に邁進し、終戦間際に上司のヒムラーから停止を求められても日々ユダヤ人を殺し続けた。数をこなすための合理的なユダヤ人根絶工場、ホロコーストを真面目に続けた。/私は組織のアイヒマンとローンウルフである青葉が完全一致するとはもちろん思わない。ただし「無能な凡人の行為による重大な結果」は同じだと思う。/結果アイヒマンは数百万人のユダヤ人を殺した。青葉も稚拙な愚行により 36 人もの尊いクリエイター達の命を奪った。数の問題ではない。「凡庸なる悪」の惨憺たる結果として同等である。 〉( 131 ページ)。
日野百草は、青葉真司からアイヒマンを思った。「秋葉原無差別殺傷事件」の加藤智大を連想した私とは知性のレベルが違う。京アニへの「愛」の強さが桁外れに違う。――「青葉へ」で日野は言う。
〈そういえば彼(注:アイヒマン)も若き日は不遇だった。/(中略)しかしアイヒマンも君も、結果は一緒だ。/人殺しですら罪深いのに、歴史的な文化破壊を実行した。/ホロコーストも 京アニ放火も、文化に、人類に対する罪だ。/生きていたら多くの人類を喜ばせたであろう彼らを殺した。/これはジェノサイドである。〉( 135 ~ 136 ページ)。
(むすびとして)
『京アニを燃やした男』のネタバレをするようなことは、この書評ではあまりしなかった。青葉真司の育った環境とか、その後のこと等は本書でお読みいただきたい。丁寧な取材をされた著者には敬意を表したい。なかなか説得力のある、読み応えのあるルポルタージュに久しぶりに出合った。(以上)
<松田ひろむの蛇足>
日野百草:「鴎座」同人、2019年度鴎座同人賞受賞。
日野百草受賞作品より
親が子を追ひ詰めてゐるげんげ畑
めまとひやおとぎの国の失業者
落選の達磨のゆくえ花は葉に
毛虫焼く正義に罪の意識なく
花火果て一人一人となりにけり
板橋いのちふるさと平和のつどい2019 2019年11月20日