ラッコの映画生活

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2007.02.17
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カテゴリ: フランス映画
NIKITA
Luc Besson

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寸評:ラブ&アクションの娯楽作品として見てもよいだろうが、背景に描かれた社会の構造に対する批判も興味深い。

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フランス映画として米国で初めて500万ドルを超える興行収入をあげた作品ですが、このベッソンという監督は有能で、しかもある種の巧みさを備えてもいると思います。捉え方は人それぞれでしょうが、バイオレンス?、アクション?、ラブストーリー?、サスペンス?、としての娯楽性は高いから観客を動員できる。しかも根底には監督の持つしっかとした人間観や社会観があって、そのメッセージ性も描く。その一つはここでは国家のエゴイズムでしょうか。映画作法的にも独自のベッソン色があってそれもいい。

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19才の麻薬常習の不良娘、通称ニキータは警官を撃ち殺す。彼女の薬切れで仲間と薬局を襲撃したのだ。仲間はすべて死ぬ。彼女のこの殺人自体薬切れ状態でのもので、相手も良くわからずに「薬はない」と言われての発砲だった。裁判所で、彼女の人生になど気のなさそな弁護士や周囲の無関心の人々を彼女は見つめる。彼女にとっては無情にも判決は最低30年以上の無期懲役。世界は、多少の欺瞞には目をつぶって生き、自分たちには有害な彼女のことなど考えたくない人々と、彼らが厄介者とする自分に2分されているかのようだ。ここではニキータとその他の人々の2分だけれども、もっと普遍的な世界の2分を描いている。そもそも麻薬常習の不良娘、いったい彼女がこうなった責任をすべて彼女に着せて良いのか?。社会全体の失敗ではないのか。

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そんな彼女の適性に目を付けたのは秘密諜報局のボブ。彼女を国家の秘密機関の殺し屋に仕立てようというのだ。いわゆる薬物注射、英語でlethal injectionと呼ばれる死刑を執行される彼女。彼女は「お母さんを呼んで」と願うが注射がなされる。しかしそれは第1薬の睡眠薬のみだった(ちなみにlethal injectionでは通常第2薬が筋肉弛緩、第3薬が心臓停止)。白い殺風景な部屋のベッドで彼女は目を覚まし、そこにボブがやってくる。「ここは天国なの?」と問う彼女にボブは「天国にすることもできるかも知れない」と答える。ボブは彼女は獄中で自殺、埋葬も行われたと説明し、写真を見せる。その写真に写った男を指差して「ティティ!」と言う彼女。写真の男の姿はテレビの画面では良く見えないが、ティティという呼び方から兄弟ではないかとボクは解釈した。訓練を受けて国のために働くという第2のチャンスだとボブは言う。断れば彼女が埋葬されたことになっている墓に入るだけだと。生き延びるためには彼女には選択の余地はない。ここで特に注意しなければならないのは、死刑制度を廃止したフランスでの彼女の刑は無期懲役で、最低30年は出られないというものだ。言い換えれば30年後に49才で出所できるかも知れないし、少なくも死ぬまで獄中で生きることは彼女の法的権利だ。それを訓練を受けて政府の殺し屋となって釈放されて生きるか、さもなくば殺されるというのは、既に国家による個人に対しての暴力である。

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彼女は秘密の訓練所での訓練を受ける。射撃や格闘技などの教育はもちろんだが、人間としての再教育でもあった。しかし訓練での彼女は柔道の教官の耳に噛み付いたり、パソコンの教官にネズミ(マウス)をプレゼントしたり、羽目を外して歌い踊ったりの問題行動ばかりだ。踊った後にはボブは彼女の部屋にドガの踊り子の絵のポスターを張って踊りの成績は褒め、同時に他の成績は0点だと言う。20本のローソクの立ったケーキを持参し彼女の20才の誕生日を祝い、同時に2週間以内に彼女に改善がなければ自分にはもうどうすることもできないとも告げる。最初ニキータが拳銃を奪ってボブに突きつけ逃亡しようとしたときは、彼は奪い返した拳銃でボブは彼女の脚を撃った。ボブとニキータの間の感情は複雑だが、ここでは明かにボブは厳しさと優しさを持った父性を象徴している。殺されようとするとき彼女は母を求めたが、母性を象徴するのはジャンヌ・モローが演じ、人間らしさや女らしさを教えるアマンドかも知れない。秘密養成所の設備等の立派さを見るにつけても、親の愛と適切な教育制度に恵まれれば彼女は不良少女にはなっていなかったとでも言っているようだ。彼女の殺人の罪さえ、どこまでが彼女の責任であり、どこまでが社会の責任であるかに疑問を提出している。そして23才の誕生日にボブに与えられた最初の暗殺任務もこなし、訓練所を卒業したニキータは看護婦マリー(コードネーム:ジョゼフィーヌ)のもと、秘密諜報局の政府に雇われる殺し屋として3年ぶりに外の世界に出ていくのだが・・・。

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(以下ネタバレ)
ニキータ(以下マリー)はマルコという恋人ができ一緒に暮らし始める。途中から彼はマリーの看護婦ではない本当の仕事を察していたことが最後にわかるが、彼女は彼を愛し、彼も彼女を愛した。彼女との約束で何も尋ねないという約束を守って。愛の一つの姿というのは、相手が精神的に求めるものを自分が相手に与えることができ、そしてそれを与えることが自分の喜びにもなるということではないだろうか。人としての感情やプライドや常識を持つことなく成長したマリーに課された訓練所での再教育は、諜報員としての専門知識だけではなく、彼女に欠けていた社会の中で人として生きることのすべてでもあった。しかしボブやアマンダとの心理的交流、そしてマルコとの愛情生活の中でマリーが得たものは、皮肉にも訓練所の目指したものを超えてしまった。ごく普通の幸せを求める彼女にまで成長してしまった。国家のため、あるいは国民の幸せのためという大義名分で国のために殺人をして生きることではなかった。彼女は最後の仕事となったソ連大使館の機密文章の写真をマルコに託して独り去る。一緒に行きたいと言うマルコを巻き添えにすることは出来ないと考えられるまでに成長していたのだ。

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最後のマルコとボブの会見。マリーはこれまでの仕事で十分彼女の負っているツケは払ったのではないかとボブに言うが、マリーは警官殺しの罪を負っており、社会的ツケはそう簡単には消えないとボブは言う。代償として国家のために何人彼女は殺したのかと反駁するマルコ。マリーが殺人を犯すようになった社会の責任、無期懲役の権利を奪い、彼女を死の恐怖で脅し、国民のためという理屈で国家のために働かせた国家権力、結局のところそれは弱い立場の人間を利用しようという国家の暴力、エゴイズムなのではないだろうか。そもそも国家の安全を害する人物の暗殺という殺人を正当化する論理とは何なのであろうか。

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Last updated  2007.02.25 20:17:55
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