ラッコの映画生活

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2008.07.10
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カテゴリ: アジア映画
靖国 YASUKUNI
Li Ying
123min(1:1.85、日本語)
(桜坂劇場 ホールAにて)

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この映画について(1):
ここのところ桜坂劇場に劇映画を見にいくことが多かったので、この映画の予告編は10回ぐらい見せられた。映画自体は大したことがなさそうな印象だったので迷ったが、この作品をめぐる周辺の社会現象があり、とりあえず自分も見ておくことにした。平日の昼下がりということもあったけれど、観客の8割ぐらいは60才を超える年輩者だった。内容はほとんど予告編で予想した範囲のもの。最後の部分で荘重な音楽をバックに、日本刀による中国人等の惨殺の記録写真映像がスライドショー的に映されていたのが、「ああ、こういう締めくくり方だったのね」と構成として予告編ではわからなかったことだ(これってラース・フォン・トリアーの 『ドッグヴィル』 『マンダレイ』 のエンドロールの真似?、って感じたり)。でも少なくとも「一見では」大した内容ではないし、作りも平板。ただそのことが含意することに関しては、最後の方に書きたいと思う。

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映画上映をめぐる賛否:
この映画の上映阻止や上映推進にまつわる社会の騒動だけれど、これは実際の映画を見る前に始まった。ポイントはただただ「中国人」が「靖国神社」をテーマにしたドキュメンタリーを作ったということに尽きるのではなかったろうか。仮にほぼ同じ内容のドキュメンタリーを、日本人が、たとえばNHKが番組として制作して放送したとしたら、不快感を感じる者もいただろうし、右翼系の抗議電話や示威行動はあったかも知れないけれど、これほどの騒ぎにはならなかったのではないだろうか。靖国派にとってもその程度にほとんど「無害」な内容の映画に思えて仕方がない。その意味で、あまりに過敏に反応してしまった不快感派は、実は靖国派である自分たちの論理的根拠の脆弱性を自ら暴露してしまったと言えるのかも知れない。ボクは実はある意味彼らの論理性の欠如は必要なのかも知れないとも思ってはいるけれど・・。そして一方の上映推進派は、靖国派の論理性の欠如ゆえに、いつもいくら彼らと意見を衝突させても建設的な議論が成立しないジレンマのようなものを暴露してしまったとも言える。

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映画に関する観客レビュー:
この映画を見にいったボクの動機は、どういう映画であるかを実際に確認するだけであった。そしてボクの関心は、映画そのものよりも、上の両者の行動や、実際に観た観客の反応など、そういう映画の周辺にこそ強い。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺があるけれど、ボクは映画評を読んでいて感じることに「坊主憎けりゃ袈裟をけなそう」というのがある。たとえば男性中心社会を批判した内容の映画があったとする。正直なところそれに不快感を感じた批評家は、そのテーマ以外の部分で映画を酷評する。やれ表現が常套的過ぎるだとか、役者の演技が平板でリアリティーがないとか・・等だ。「女なんてそんな高級なものではなくって、やっぱり男の方が偉いんだ」と言いたくても、そう言ってしまってはスキャンダルとなってしまう。そこでテーマに触れない部分で映画を酷評することで、読者に観に行かせないようにし、映画を葬ろうとするのだ。この手の批評は、海外の映画評ではよく見かける。それはもちろん意図的である場合だけではなく、テーマが気に食わないから映画そのものも駄作に見えるという無意識の場合もある。そしてそういう無意識的不快感を感じさせるレビューが、この映画の観客レビューにはけっこう多いのではないかと感じた。それともう一つは、少なからずあったレビューの論旨が「もっと客観的なドキュメンタリーを見せて欲しかった」というものだ。ドキュメンタリーでも、劇映画でも、「客観的」などというものはあり得ないということを知らない幼稚な発想を持った人々が多いことは、ある意味「危惧」するべきかも知れない。

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日本人の非論理性に関して:


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議論の不可能性に関して:
この戦争や靖国神社の問題に関して、明確な論理的議論がなされることはない。そこにはもちろん、さっき「靖国派の非論理性はある意味必要」と書いたこととも関連するけれど、それはまた後で触れる。戦勝国による極東裁判という枠から離れて、一般論として、「戦争犯罪」とは何なのか。それに従えばあの戦争での戦犯とは誰が該当するのか。ジュネーブ条約では日本は何に賛成し、何を批准していたのか。御国のために戦う中で戦争犯罪を犯した者は国賊なのか。それとも御国のために戦ったという大義によりその犯罪は許されるのか。信教の自由が保証される憲法下で、国家の意志で戦死者を神社に祀ることの正当性は何処にあるのか。そういうことのすべての関係の論理的な判断が、それぞれ各派によって明示されることがない。しかしそれは、実はそう簡単に出来ないことでもある。

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この映画について(2):
それは米国による戦後統治のあり方の結果でもある。来るべきソ連(中国)との対立の構図を睨んでの、日本の利用の仕方だったわけだ。サンフランシスコ講和条約による体制もそうなわけだけれど、この条約にはソ連と中国は加わっていない。戦後日本の4分割統治案もあった。ドイツと同じように英米仏ソの4国による分割統治だ。首府東京はベルリンのようにまた4分割されたのだろう。当然そうなっていれば、ソ連共産圏の北日本と、英米仏による西側・南日本の2国に分裂していただろう。米国は対ソ(対中)構造の中で主義思想的および軍事的に日本を味方(支配下)に置きたかったわけで、それに成功した。そのために歪められてしまったのが、良くも悪くも戦後60年の今の日本だ。論理的根幹に触れないでこそ成立している状態なのだと思う。そして根本を少しでも変えることはしないままに、その状態に安住してしまっている現在の日本がある。この映画の上映の賛否両派の対立というのは、その安住状態の表層での小競り合いだとも言える。平和憲法と自衛隊の問題も同じである。そしてかつては日米安保条約に対する反対もあったわけだけれど、結局論理や本質を見ようとしない現状維持第一の日本人だから、戦後40年、50年、60年という長い時間の中で、それに慣れ切ってしまった。しかし根底にある論理的矛盾は合わせ持っているから、その不自由さのゆえに、安易なナショナリズムや保守化の傾向も強くなっている。石原都知事のように論理ではなく怒りで、小泉首相のよに論理でゃなく居直りで、自らの立場・思想を表明することしか出来ないのだ。この映画は、実はそういう渾沌とした曖昧な状態に安住する日本を描いているのではないだろうか。実態が曖昧だから、それを描いたドキュメンタリーも曖昧なとりとめのないものとした。結局は何も語らない老刀匠へのインビューをあれほど延々と入れている意味もそこにある。だからこの映画に反対するにしても共感するにしても、見落として(誤解して)はならないのは、根本的にこの映画がテーマとしているのは「過去の日本の侵略や虐殺」ではなく、戦後60年間に作り上げてきた日本の現状なのだと思う。そしてそれは単なる日本批判ではなく、米ソ・米中関係で米国主導で進められた歴史の必然(日本が現在のようになってしまったという必然)を確認しているのではないだろうか。

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Last updated  2008.08.01 02:07:03
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