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2009.05.19
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カテゴリ: カテゴリ未分類
悲夢


(つづき)-3-

ここから先のネタバレはしないでおく。前作『ブレス』では台湾のチャン・チェンを使ったが、一言のセリフもない役だから、韓国語が出来ないことに問題はなかった。ではオダギリの場合は?。監督はオダギリ一人だけに日本語を喋らせている。物語のジンの設定は日本人なのか韓国人なのかわからない。しかしその雰囲気はやはり韓国人であるより日本人だ。韓国人にも日本人にも色々な人はいるが、例えば男尊女卑的であったりすることも含めて、韓国人男性はより「男」なのだ。その点ある種の日本人男性は、女性に対して弱くもあり、また一種中性的でさえある。そういう意味でキム監督が日本人役者を使った理由が良くわかる。

そのオダギリに日本語を話させたのにはそこにも理由がある。韓国人によるアテレコにしてしまっては、結局セリフ(声)のキャラクターが韓国人男性になってしまう。もちろん撮影の際の演技は自国語の方がのびのびと出来るという利点もあるが、二人で一人というランとジンの、二人である方の側面、それが言語の違いということで明確に感じられる。

途中からの、夢と現が交錯する曖昧性・幻想性のことを書いた。映画後半、ネタバレになるのでストーリーを書いていない部分だが、ここでの印象はベルイマンの『仮面ペルソナ』(最近はただ「ペルソナ」とも〔1966〕)だ。最後の白い壁の部屋の場面は『ペルソナ』冒頭のリヴ・ウルマンとビビ・アンデルソンの病院のシーンを連想させる。ベルイマンの映画は2人の人格が重なり合い曖昧となる、言ってみれば精神分析の転移の世界だった。あるいはベルイマンの影響を強く受けた吉田喜重にも筆致が近いかも知れない。

単なる真似ではなく自分の表現世界として立派に消化しているが、キム・ギドク監督の作品を見ていると、何かしら大監督の作品を連想させられる。『ブレス』の刑務所の監視カメラがアップで写され、カメラが無気味に動く映像はキェシロフスキの『駅』そのものと言って良い。当たり前と言えばそうなのだが、この監督が如何に多くの芸術映画を見ていて、それを評価し、また影響を受けているか、あるいはそうした作品を見ることで自分の表現を創りあげているかがわかる。彼はヨーロッパ受けが良いが、根本にそういうものがあるのだ。
(つづく)







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Last updated  2009.05.19 21:27:16
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