1
恒例の病院まつりは、まずまず成功のうちに閉幕した。前夜から雨模様のあいにくの天気だったが、昼の屋外ステージ企画を終えるまで何とか持ちこたえてくれた。最後のゲームと抽選会に至って雨が本降りとなり、急遽会場を屋内に移したが、参加した方にはそれなりに楽しんでいただけたと思う。 私が関わったのは、院内設営と医局コーラス。設営は、日頃馴染みのない職員も含めてそれぞれの役割を果たしてもらい、予定時間を大幅に短縮して設営も撤収も終えることができた。 医局コーラスは、近くにある同じ系列のリハビリ専門病院からも応援があり、「青い空は」「折り鶴」などをたくさんの方に聴いていただいた。11時からの総練習で初めて通しでギター伴奏をしたが、しばらくギターを触っていなかったため、練習途中から小指の爪のあたりが出血したりで大変な目に遭った。でも、なんとか最後まで弾くことができて一安心。 後かたづけが午後2時頃終わり、リハビリ病院からの応援部隊の若い職員4人とボーリングへ。3ゲームつき合って、137・135・146と、ヘボな割には安定したスコアを出せたし、とても楽しかった。洞爺湖へも一緒に行った若い理学療法士の女性は、1週間後に苫小牧の病院への転勤が決まっており、ささやかな送別会にもなった。 その後、雨の中を20分ほど歩いて北区麻生近辺へ。かつての同僚2人と麻生の居酒屋で待ち合わせ、午後6時過ぎからついさっきまで飲んできたところ。 そのうちの1人は、13年ぶりに会う看護師さん。当時、とても素敵な人だと密かにあこがれていた方で、会う前から結構緊張していた。が、いざ会ってみると彼女は少しも変わっておらず、すぐ一緒に働いていた当時に戻って、職場の愚痴や生活のことなど飽きることなく話すことができた。夫と死に別れて17年、50歳を超え、3交替の激務をこなしながら一人暮らしを続ける彼女は、とても強く、しなやかで、相変わらずとても素敵だった。 厳しい医療情勢のもと、生き残りをかけて歴史上初めての賃下げ提案が出された私の職場。自分の生活を守るために、そして一人でたくましく生きる彼女の生活を守るために、今何を為すべきなのか? 目先の対応だけに目を奪われず、医療経営をめぐる冬の時代の背景を客観的にとらえようとすれば、おのずと行き着く先がある。
2002年10月06日
閲覧総数 11