2005年08月30日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 『諜報員たちの戦後』(斉藤允功著、角川書店)は、読んだ本ではなく、これから読みたいと思っている本。アメリカに住んでいる私は、読みたい本があっても、すぐには入手できない。帰国が近いので、日本に帰ってから、この本を買いたいと思っている。

 この本のことは、『週刊文春』の「私の読書日記」(立花隆)で知った。

 「陸軍中野学校の卒業生たちが戦後60年にしてようやく語りだした戦後の生き方である」と立花氏は書いている。

 私がこの本を読みたいと思った理由は、父の青年時代の手がかりを得られるのではないかと思ったからだ。

 私の父は、数年前から老人の記憶障害に陥って、短期記憶が薄れている。私の名前を思い出せない父であるが、私のことが娘だということは分かる。だから、日常生活には、とりあえずの不自由はない。

 この父が、数年前から、第二次世界大戦の特務機関の話をしだしたのだ。父を訪れる来客たちに、昔の思い出として語りだした。

 『諜報員たちの戦後』は、陸軍中野学校の卒業生が、「本土決戦後、国内遊撃戦に転じる計画を立てていた。(中略)一人一人、校長から秘密指令を受け、秘密通信法が伝授され、秘密の工作資金も渡されていたという」と書いてある。

 私は、この「秘密の工作資金」というフレーズに、引っかかった。

 戦中、戦後の思い出話をしていた父が、マッカーサー暗殺計画の密命を受けていた、と言っていたからだ。工作資金として、仲間が、当時のお金で300万円(現在のお金で3億円)も預かっていたと言っていた。



 当時、新円に切り替えるためには、戸籍謄本を見せなくてはならなかったらしい。だから、300万円を両替して、マッカーサー暗殺計画を実行すると、その戸籍謄本から身元が分かるなどの様々の理由で、実行できなかったとのことだ。

 戦争中、父は、工学部の学生だった。飛行機の整備のために必要とされたので、徴兵されなかったと、幼い頃、私は聞いていた。飛行機の前で、ポーズを取っている父の写真というのもあった。

 しかし、最近の父の発言から、父は、実は特務機関の工作員だったのではないのだろうか、と思い始めた。

 学生時代を東京で過ごした父が、祖父の家に戻ってからも、進駐軍兵士が調査(監視?)のために訪れていたらしい、ということも、母から聞いたことがある。「私が結婚する前の話だから、詳しくは知らないけれど」とも、母は言っていた。

 『諜報員たちの戦後』は、小野田寛郎さんのように、日本にも残置秘密工作員が「沢山いたということではないのか」と書いているのであるが、そこに、私の父の青春を知る手がかりがあるのではないか。

 (註 陸軍中野学校は群馬県富岡にあったそうですが、父は、学生時代、東京の成城に住んでいました。だから、陸軍中野学校の卒業生ではないと思うのですが、成城の近辺に、どのような特務機関があったのか興味をもっています。)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年08月31日 17時08分00秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

katiebooks

katiebooks

コメント新着

楽天眞弓 @ Re:セントレア空港のホテル(09/07) ねえ、それで、お風呂場から飛行機、見え…
Binchan@ Re:セントレア空港のホテル(09/07) コンラッド東京といい、飛行機のファース…
katiebooks @ Re[1]:劇団四季のオペラ座の怪人(08/26) FK2さん >最近知り合った友人が劇団四季…
katiebooks @ Re[1]:コンラッド東京(08/25) FK2さん >東京今度夜予定なんですけど、…
FK2 @ Re:劇団四季のオペラ座の怪人(08/26) 最近知り合った友人が劇団四季のファンで…

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: