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花火の音は、少し遅れてやってきた。
空いっぱいに桃色の光が開いたあとで、どん、と胸の奥が震える。見えているものと、体に届くもの。そのわずかなずれを、今年はやけにはっきり感じた。
隣にいる友達が、顔を上げたまま笑っている。
わたしも笑おうとして、手元のりんご飴を持ち直した。
赤い飴の表面に、さっきの花火が小さく映っていた。もう消えてしまった光が、まだそこにある気がして、しばらく目を離せなかった。
「日菜子、食べないの?」
「食べるよ。どこからいこうかなって」
本当のことではあった。
丸いりんご飴は、思っていたより大きい。屋台で受け取ったときには、もっと簡単にかじれるものだと思っていた。
友達は、わたしの手元を見て笑った。
「一周眺めてるうちに終わるよ、花火」
「そんなに眺めてない」
少しむきになって、飴の端へ歯を当てる。
硬い。
もう一度、角度を変える。
ぱき、と小さな音がして、薄い欠片が口に入った。砂糖の甘さが舌に広がる。その奥で、まだりんごには届いていない。
「ほら、食べられた」
誰に証明したかったのか、自分でもわからない。
友達が「よかったね」と言った。その言い方が少しおかしくて、今度はちゃんと笑えた。
川辺の草に腰を下ろしていると、浴衣の裾から夜の涼しさが入ってくる。
淡い水色の生地に咲いた青紫の花が、膝の上で折り重なっていた。背中の帯はまだ慣れなくて、姿勢を変えるたびに、ここにいることを思い出させる。
頬には汗が残っているのに、足元の土はひんやりしていた。
すぐ後ろでは、屋台の明かりが並んでいる。
焼きそばのソースの匂い。油の弾ける音。誰かがかき氷を注文する声。提灯の下を行き交う人たちの話し声が、ひとつの大きなざわめきになって流れてくる。
川から吹いた風が、その中に湿った草の匂いを混ぜた。
わたしの髪の先が、顎をくすぐる。
片手で押さえると、友達がこちらを見た。
「その浴衣、やっぱり似合うね」
「さっきも言った」
「何回言ってもいいじゃん」
「……ありがとう」
お礼が、少し遅くなった。
褒めてもらうのはうれしいのに、まっすぐ受け取るのは、まだ苦手だ。平気な顔をしようとして、かえってそっけなくなる。
友達はもう空を見ていた。
わたしも、同じほうを向く。
細い光が夜の高いところへ上がっていく。途中で見えなくなって、一拍置いて、金色の花が咲いた。
川にも、もうひとつ花が開く。
水面のほうは形が揃わない。揺れて、ほどけて、いくつもの細い線になる。それでも、空の花火より長く見ていたくなるような光だった。
「来年も、ここがいいね」
思いがけず、友達が言った。
わたしは頷きかけた。
そのまま頷けばよかったのに、口から出たのは別の言葉だった。
「来年、忙しいんじゃない?」
友達の横顔が、ほんの少しこちらを向く。
「まあ、受験とかあるけど」
「わたしも、まだどうなるかわかんないし」
言い終わるころには、自分の声が嫌になっていた。
来年も来たい。
それだけだったはずなのに。
友達はりんご飴の袋を畳みながら、「そっか」と言った。
責めるような声ではなかった。だからこそ、言い直す場所を失った気がした。
次の花火が上がるまで、空が暗くなる。
さっきまで見えていた友達の表情も、提灯の明かりに縁だけを残した。
約束をして、守れなくなるのが怖かった。
来年の夏には、わたしたちは今よりずっと忙しくなっているかもしれない。違うことを考えて、違う道を選んで、この夜のことを話す機会も少なくなるかもしれない。
そんなことを、まだ何ひとつ決まっていないのに考えてしまう。
わたしはりんご飴の棒を、指先で回した。
飴の赤が、暗がりの中で深くなる。
楽しい時間にいると、ときどき、その終わりを先に探してしまう。
なくなると知ってから好きになるより、最初から少し距離を置いておいたほうが、平気でいられる気がして。
けれど今、隣にいる友達とのあいだにできた静けさは、全然、平気ではなかった。
終わるのが惜しいと思える時間を、わたしは今、ちゃんと生きている。
胸の中でそう言ってみた。
花火が消えるたびに寂しくなるのも、この夜が好きだからなのだろう。
りんご飴をもう一度かじる。
さっきできた割れ目から、今度は歯が深く入った。ぱり、と飴が割れて、りんごの果汁がにじむ。
甘さのあとに、少し酸っぱい味がした。
友達へ顔を向けかけたとき、川向こうから次の光が上がった。
一本ではなかった。
白い筋が、いくつも空を駆けていく。
周りの話し声が小さくなった。
隣の友達が息を吸う。その音が聞こえるくらい近くにいるのに、わたしはずいぶん遠い来年のことばかり考えていた。
光が開く。
金色、その向こうに桃色、さらに低いところで青。
夜空に重なった花が、川面まで明るくする。友達の頬も、わたしの浴衣の袖も、草の一本一本も、一瞬、同じ色になった。
大きな音が届く。
胸の奥で何かが跳ねて、わたしは思わず声を出した。
「たまやー!」
自分で驚いた。
隣の友達がこちらを見て、それから、ぱっと笑う。
「日菜子、声出すんだ」
「……出すよ、たまには」
少し照れて、空へ顔を戻す。
友達も、わたしより大きな声で「たまやー!」と叫んだ。
その声が周りの歓声に混じる。
わたしは笑ったまま、今度こそ言った。
「来年も来たい」
花火の音に、半分隠れた。
友達が顔を寄せる。
「え?」
「来年も。ここで見たい」
声を少しだけ強くした。
「忙しいかもしれないけど。来たいとは思ってる」
友達は、わたしを見たまま頷いた。
「じゃあ、そういうことにしとこう」
「そういうこと?」
「来年も来たいってことで」
あっさりした言い方だった。
日にちを決めるわけでも、絶対と付け加えるわけでもない。その軽さに、わたしの肩から、ようやく力が抜けた。
「うん」
今度は、すぐに返事ができた。
川辺の風が、浴衣の袖を膨らませる。
りんご飴の棒は、握りすぎて少し指に食い込んでいた。持ち直すと、その跡を夜の空気が冷やした。
空では金色の光が、長い尾を引いて落ちている。
終わってほしくない。
そう思った。
でも、次が咲くのを待つ気持ちも、同じくらいあった。
友達がわたしのりんご飴を指さした。
「そこ、赤いのついてる」
「どこ?」
「口の端」
差し出された紙ナプキンで拭くと、ほんの少しだけ赤く染まった。
「取れた?」
「うん。たぶん」
「たぶんって」
二人で笑う。
花火を見ていたはずなのに、空を見ていない時間も案外多い。
飴をかじったり、髪を押さえたり、言いそびれたことを言い直したり。
あとから思い出すのは、どちらなのだろう。
夜空いっぱいの光か。
隣で笑っていた、この声か。
きっと、うまく分けられない。
ソースの匂いも、草の冷たさも、帯の少し窮屈な感じも。口の中に残ったりんごの酸っぱさまで、今夜の花火と一緒になる。
忘れたくない夜には、光だけじゃなく、隣にいた人の声も残る。
友達が、また空を指さした。
「見て。次、上がる」
わたしは頷いて、顔を上げた。
まだ何も咲いていない空に、細い光が伸びていく。
来年のわたしが何をしているかは、わからない。
でも、今年のわたしがここに来たかったことも、来てよかったことも、もう曖昧にしなくていい。
りんご飴を持つ手を、膝の上へ下ろした。
川に、最初の光が映る。
わたしは隣と同じタイミングで、息を吸った。
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