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車筆太

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2005年12月17日
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カテゴリ: 書籍
心霊写真は語る

 「 信じる 」か「 信じない 」かと言えば、「 信じない 」だろう。
 本当は、「 信じる 」「 信じない 」の二項対立に縛られない「 疑う 」という姿勢(「 と学会 トンデモ本 」を客観的な視線から「 発見 」した)が望ましいのであろう。
 「 信じない 」ことが事柄ごとに立場が揺らぐ可能性(「 分からない 」は「 疑う 」ことであり、「 一応信じる 」という立場が出てくる)があるのに対して、「 疑う 」ことは常に一貫した視点を事柄に注ぐことができる。ただし、「 疑う 」の先に「 信じない 」が存在することも確かである。K・ポパーもこの「 言い切り 」に言及していたと記憶する。
疑う 」ためには「 信じない(否定) 」よりも、その事柄へのより深い知識と洞察が必要とされるからである。

 さて、第3章、小泉晋一論文では、不思議現象が「どのように」あり得るのか、その意味するところは何なのかという視点から心理学的アプローチを試みる。そこで、心霊写真に対する認識のあり方を調査するために、アンケートを実施した結果からそれを探っていく。
 この試みが統計学的に正しいのか否か(大学生を対象にしているこの場合、学歴と心霊現象の間に相関関係がないのかが不明)は分からない。また、残念なことに心理学の素養も持ち合わせていない。
 よって、「 心霊現象を信じることが人間の心理や行動に肯定的な影響を与える可能性がある

 第4章、奥山文幸論文では、日本の文学における心霊写真を見渡し、心霊写真が文学の領域ではその存在のリアリティーを次第に失っていき、探偵小説的なトリックのネタとして活用されていく様子を指摘する。ただし、心霊写真を題材にした文学には、このような「 流れ 」があるのではなく、 間歇的に 、時代に応じて新たに発生しているのである。
 文学においてこれほど心霊写真が題材にされているとは、正直知らなかった。怪奇物を含めれば、小説という形でもう少しあるのではないかとも思うが、どうなのだろう。心霊写真を題材とした小説なんて、 平井呈一 の『 真夜中の檻 』(ホラー小説の論評も含めて、名文。文庫で安いのもいい。)ぐらいしか知らないしなぁ。なので、次章の古田司雄論文は、『 リング 』を巡る評論なのでパス。

 続いての、第6章、今泉寿明論文は、心霊写真の簡易診断の不可能性を言い募るのみで、そもそもこの論文集に載せられている意味が分からない。だが、逆に言えば、このような臨床の場面においては、「 心霊写真 」も、論文集も 無意味 であると言えるのであるが・・・。

 第7章、戸塚ひろみ論文では、民族学の立場から心霊写真が、「 語られる写真/浮上する「怪異」 」という連鎖の仕方をするのではないかと指摘する。さらに、心霊写真が口承文化の産物、すなわち心霊写真というイメージが「 現物なき心霊写真 」というフォークロアを生み出すのではないかと言う。

 最終章、小池壮彦論文では、心霊写真の受容の移り変わりを、その他の「眉唾写真」(UMAやUFO)との対比の中で見せる。
 相変わらず手堅い仕事で、安心して読むことができた。章の締めくくりにあたって言及しているリアリティーについては、第7章との関係でもそれなりの議論が必要なのだが、疲れたのでそのうち。








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最終更新日  2005年12月18日 00時05分06秒 コメントを書く
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