風と散策

風と散策

2008.12.16
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忠剛お幸
再会


思えばもっと早くに貴女の事、大河にして然るべきでしたね。

何か肝付尚五郎と於一(おかつ)の接点は実際には
無かったそうで、ここら辺が作られているのですが、
その他は史実に則って書かれていましたね。

まあ、でも男女の恋愛物語は歴史物にも必要不可欠な物で、
これ無くして人は夢を持ってドラマを見れぬもので、
この間の空想は許されるのではないでしょうか?

信長の妹お市の方の3人の娘のそれぞれに付いても、
歴史的実在の武将との恋愛物語を展開していた、
あれは何という本だったっけ? ワクワクしながら昔読んだものです。
そう、有ったという証拠は無いかも知れませんが、
有ったかも知れぬ可能性だって有るのだから、
この手の逞しい想像は、ちっとも構いません事よ(笑)。

宮崎あおいさん、NHKで語られているのを見ますと、
若年期は高い声で、身分が高くなってからは低い声で
演じ分ける事を心掛けたとの事。
成る程ネ~ これであの威厳が出ていたんですよ。
それと、ゆっくり喋った事、これで又威厳が出ますね。

普段の顔はどう見ても童顔の部類で、笑ったりすると
へなへな~ となるお顔をしてますけどね。

私の名場面集は先ずは、
ジョン万次郎の言葉に勇気を得た尚五郎が、ついに忠剛に直談判し、
於一への思いを打ち明け、思いがけず忠剛から許しを貰うシーンです。

前日迄のやさ男から、いざと云う時(妻を娶るという)に
力強く豹変した、男とは斯く在るべきと思わせてくれた、
青年の魂に心底打たれましたね。

次に、於一が今和泉島津家から鶴丸城に移る日、
お籠の戸が閉まるその御簾越しに、玄関にて実父、実母、実兄達が
平伏して見送る情景を見納める場面でした。

そして又お籠を見送る沿道に尚五郎が待ち構え、お守りをかざす場面、
それに篤姫が応じる事の出来ぬ身分の差・・・

以上二つはもう滂沱の涙でした。(笑)
あ、そうして、この果ての次の展開、鶴丸城に参内した家族に
「忠剛殿」「お幸殿」と呼び掛けざるを得ないくだり・・・

後は長くなるので端折りますが、総じて前半に私は感動したのです。
その勢いで、その惚れ込みで、一年を通じて
「篤姫」の熱いファンとなりました。

この物語が歴史実話で、シンデレラ性に富んでいた事が、
しかもその歴史たるや、日本の最ドラマチックな幕末・明治の頃
と来れば、ヒットしない訳が無かったのです・・・

1枚目の写真は私の名場面集の写真が無かったので、
その関連の一コマ。 忠剛が於一との別れに際して
”そなたの父で何というか、愉快であった” とのたまう場面です。

3枚目の写真は宮崎あおいさん自身が
最も印象に残っていると云うシーン。 「明治前夜の再会」です。

2枚目でお幸さんに触れない訳には行かないでしょ!
「最終回」で、薩摩から来たお幸と忠敬が訪ねる。
これ迄の苦労をねぎらうお幸に、天璋院は母の教えのお陰と
感謝の言葉を語る場面です。

宮崎あおいさんは大奥での母親役を演じる時、
樋口可南子さん(お幸)の演技を思いながら演じた、という事です。
さもありなん。 「お幸」さんは素晴らしかった!

彼女の死後手持ちの全財産と云えば、ドラマでは触れなかったけど
今のお金にしてたったの6万円程だったそうです!(哀)
身の回りの物を処分して、大奥女性達の生活の面倒を
後々迄見たからだそうです(数は知れませんが)。
徳川宗家は禄こそ激減しましたが、華族としてそれ相応の身分で
明治を暮らしたのに、天璋院の境遇の様はどうした事でしょう!


終に一度も薩摩の地を踏む事は無かった篤姫。
最期に彼女の魂の帰り着いた先は・・・
あれ程恋い焦がれた、薫風吹き渡る豊饒の薩摩の大地でした。

。。。。。。。

次回作? ふん、オイラ見るもんか!(笑)







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最終更新日  2008.12.25 14:02:41 コメント(8) | コメントを書く


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