風と散策

風と散策

2025.08.06
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テーマ: 徒然日記(25397)
カテゴリ: カテゴリ未分類
7月中の広報誌「ひろしま市民と市政」に、例年通り原爆に関しての特集が
載っていた。
今回は 「建物が伝える被爆の記憶、復興の軌跡」 と題して
旧日銀広島支店の様子が描かれている。
因みに被爆建物の中で一番の堅牢さだった、とあった。


広島には原爆投下3日後に一番電車が走った、と、これは良く知られている事だが、

1945年8月6日広島に原子爆弾が投下され、焼け野原となった町に3日後には路面電車が走り人々に希望を与えました。 運転していたのは、戦争に駆り出されていない男性に代わって15歳の女学生でした。 原爆を投下されて壊滅的な打撃を被った広島市内でも、路面電車の線路だけはほとんど残っていました。 広島電鉄の努力により変電所を修復して、原爆投下の3日後には1.4kmの区間で一番電車が走りました。

投下後の旧日銀広島支店(爆心地近く)では、2日後の8月8日には営業を再開した
事等は、殆どの人が知らなかったと思う(私も支店業務を終えて資料館となった時
見学した筈なのに忘れていた)。
それも単なる営業再開、ではなく、

「建物内の窓口を民間銀行などに間貸ししました。8日の朝から10行余りの
銀行などが顧客に対応。預金の払い出しに必要な資金は旧日銀が民間銀行などに
貸し付ける事で、払い出し業務を行う事ができました。
爆風で天窓が破損していた為、晴れた日は青空がのぞき、雨の日は傘を差して
業務が行われました」



と、当時の状況で即座に中央銀行としての役割を実行した事実に、
打ちのめされる思いがする。

(尤も、今では金融関係の支店が市中心部に、他地方都市と比べて多数有る 
”支店都市” として知られている広島市なのだが、どうやら当時からその傾向が
あったかも知れず、例え通信手段が絶たれたとしても10行余りの民間銀行に
声を掛けるのは比較的容易(?)だったのかも知れない)

「預金者の多くは、被爆により預金通帳や印鑑を失い、引き出しの為の本人確認に
必要な書類等が出せない状態でした。そんな状態でも、銀行は預金者の申告額を
信頼し、払い出しに応じました。この期間に預金者からの不正な引出しは
殆ど無かったと伝えられています」

「現金の供給、流通の早期回復が経済活動の再開の一助となり、街は長い復興の
道のりの第一歩を踏み出しました」
    とある。

この業務を成し得たのは、勿論堅牢な地下金庫が無傷だったからに他ならない。


1946年(昭和21年)12月 - 営業所の復旧工事完成。
1992年(平成4年)3月 - 支店を中区基町に移転、この旧広島支店は空家となった。
2000年(平成12年)7月31日 - 日銀から市へ無償貸与。同時に国の重要文化財に
    指定された場合には無償贈与する方針を決定。
2001年(平成13年)3月5日 - 暫定的活用を開始。
2005年(平成17年)8月1日 - 常時開館開始。

平成4年に営業を終える間(かん)の、昭和40年代の或る日、
私は初めてこの日銀なるものに足を踏み入れた。
一階と二階が吹き抜けとなっているのは、建築当初からの仕様だ。
日銀など私に縁がある筈もなく、では何故私はここを訪れたのだろう?


それは小学校時代の親友に会う為であった。
入口から入るといきなり彼女は目の前に。   店頭の花形場所に座っていた。
美人さん(整形等では決してなく)になっていた彼女に、同性ながらドギマギ!
それだけではなく、辺りを払う気品迄も兼ね備えていた。

流石日銀だ。  そんな級友を誇らしく思いながら家路に着いた思い出がある。





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最終更新日  2025.08.08 05:54:42
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