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今 畑をしていて ふと思う3年前 ここで畑を始めた頃は 欲と不安に突き動かされてやってたなぁって正体のよくわからない不安が いつもつきまとっていたから状況を思い通りにコントロールすることでそれから逃れようとしてたんだと思う頭にあるのは立派に育った野菜に囲まれて 幸せそうな自分の姿その光景に 一刻も早くたどり着こうとしてがむしゃらに手を動かしていたとにかく収穫を上げることが目的だったからそれまでは 無肥料・不耕起でやっていたのを耕しもすれば 鶏フンも入れて目的のためには手段を選ばず、みたいな感じで雑草が 目の前に立ちはだかって 夢の実現をジャマしてるみたいに思えて早くどいてよ~って いらいらと鎌を動かして手元を狂わせては よく自分の手を引っ掻いただから 軍手は必需品だったわくわくするような楽しい氣持ちも もちろんあったんだけどそれなのに なんでそれをじっくり味わえないんだろうってなにをそんなにいつもガツガツ焦ってるんだろうって自分で自分が不思議だった作業をしているときネガティブな考えや想像ばかり浮かんでくるのも不思議だったこんなこと ブログに書いたこと 一度もなかったんだよね闇を見まいとしてたから光だけ集めていたかったから「楽しいよぉ♪」っていうところしか書かなかったし 認めなかったそして、今。。。。。。。。。。収穫を得ることが目的なら農って すごいエゴだと思う自分の欲しいものを得るために「雑草」って勝手に名づけたいのちを容赦なく引っこ抜いてやむを得ずとはいえ ミミズなどの虫たちを 鍬の刃にかけて農薬を使わないのは 自分のからだが心配だから堆肥を入れるのは 少しでも大きくて美味しい野菜が欲しいから自分の都合ばかり考えてそれでいて「自然にやさしいよね」なんて自然を見下ろす目線から 自画自賛してみたりなんかしてこんな自分の姿を肯定も否定もせずに ただ見つめてみる責めないで 悩まないで目を背けずに 真っ直ぐ 静かに 見つめてみると同時に思考の外側にあるからだは 五感に触れるものを感じている首筋や頬をなでる風 耳に響く鳥の声 香り立つ土や草の匂いその全てを味わいつつ 淡々とからだを動かすふと 思いがけず 答えが見えていることに氣づく作業とか、収穫とか、問題なのは 外側じゃない変えるのは 自分の内側なんだよ、って循環の環の一部に戻ること人間本来の役目を果たすこと自然界のバランスをこれ以上崩さないようによりよいバランスを実現し 保てるように頭を使い からだを動かし 精一杯尽くすこと人間は 智慧をめぐらせ 道具を使い他の生き物に出来ないようないろいろなことが出来るけれどその力は 人間だけのためじゃなくこの地球上のすべてのいのちのために使うようにと授かったもの人間が一番賢くて えらくて 力があるそんなカン違いの高みから 一刻も早く降りて 循環の環の中に戻ることそして 自分の果たすべき役割を思い出し見返りを求めず 笑顔で淡々と実行してゆくこと不思議だねウンウン悩んだり考えたりしてるわけじゃないのにひとりでに答えが浮かんでくる風や 鳥の声や 草や土の匂いを楽しんでいた心が更なる喜びに満たされ 溢れかえるもう軍手もいらない手元を狂わせることもない全身が 力むことなく動いて 淡々と作業が進み静かな 充実した時が流れていくこの家で3年、4度目の春3年前と同じように畑仕事をしながらあの頃と違うな、ずいぶん変わったなってそして 今 これまでで最高に生きてるなって思う不安が消えて ふわふわきらきらした夢が消えて自分の肉体が置かれてる現実のこの世界がぐっと存在感を増したような気がする他のどこでもない 今の この山里で この畑で生きてるよ 私生きてる
2008年04月23日
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ふきのとうの花の綿毛 切り株に咲いたスミレこの世には まだまだ美しいものがたくさんあるなぁ。。。。。。
2008年04月21日
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これは2週間ほど前の 集落内の桜。いくら眺めていても見飽きないような美しさでしたこのところ 時間の大半を畑に費やしています。 サニーレタス、サラダ菜、苗箱のトマトとナス、など、次々と芽が出ています。そして、毎年常連のカモミール、ミント類、アスパラ、ニラ、ネギ、アシタバなども続々と登場してくれています。私の今年のキーワードは “循環”昨年暮れ辺りから なんとな~く登場したんですが、これがこんなに深い言葉だったとは。。。。。。野草を摘んで お茶にしたり、ヨモギ団子作ったり、フキノトウ味噌作ったり、ハーブで化粧水作ったり、そして畑も再開して、生ゴミも土に還して、私って循環型生活しっかりやってるじゃな~い?♪ ってでもそれは 「循環」ではなくて「共生」なんだと知ったときのショック。。。。。共生は、自然にかける負担は少ないけどやっぱりどこまでも人間中心の考え方なんだなぁ。。。。。自然をいかに自分たちの役に立てるか、という発想が土台になっている。このとき「自然」の中に自分たちを入れてなかったりする。人間は 食物連鎖の最上位にいる 一番えらい生き物なんだよ、っていう目線で無意識にでも 自分たちを特別扱いして 一段高いところに置いている。じゃあ、循環とは? ってなったとき自分の内側を大きく変える必要があることに氣づかされる。当たり前のように 高みに押し上げていた我が身を 本来の位置、循環の環の一部に戻すことえらいのでも 特別なのでもなく、ただ 他の生き物とはちょっと違う役割があるだけなんだって氣づいて素直に 謙虚に 真っ直ぐに 淡々と その役割を果たしていくその覚悟があるかどうかを問われているんだと。人間は大自然の循環の中で その役割を果たすべく授かった能力を自分たちが特別優れた生き物である証しのようにカン違いして 欲に溺れて循環の環の中から飛び出して(弾き出されて?)しまったその当然の結果が今まさに押し寄せてこようとしているで、これから私たちは どのような道を選択するのか?「共生」ではなく 「循環」としての “農”とはどのようなものなんだろう。大きな思い違いと それに伴う意識の変化にとまどいながらもこれまでとは違う視点での 農のあり方を手探りしながらやはりこれからも畑と共に 濃密な時間を過していくことになりそうです。
2008年04月19日
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