考える人ならず、考えるケダモノの思考

考える人ならず、考えるケダモノの思考

2005.05.31
XML
カテゴリ: 論理的日記
暑い・・・。
夏日に近づく気温にうんざりしつつあるケダモノです。

今日、大学の図書館で科学雑誌ニュートンを読んだ。
アインシュタインが特殊相対性理論を発表してから100周年ということで
『誰もが納得! 相対性理論』という特集が組まれていた。

これがなかなか分かりやすい!!

一般相対性理論はまだですが、特殊相対性理論のほうは大体理解することができ、
日常的な常識からは考えられない驚愕すべき世界があることを知った。

詳細は省くが、相対性理論では『誰が観測しているか?』が重要だ。

光速の世界ではAさんとBさんが見た現象が、全く違うものに見えるのも多々有り得ることらしい。

しかし、これは相対性理論だけでの話なのだろうか?
なにも光速の世界じゃなくても我々の見ている世界は、人それぞれによって違うのではないか?

たとえば、悪と善なんかは典型的な例だ。

現代においての無差別テロは我々日本人から見たら完全に悪いことのように見える。
しかし、無差別テロを行っているテロリスト達は自分達のことを悪だと考えているのか?
答えはNOだろう。少数の例外を除き、大部分の彼らは自分達こそ正義だと考えている。
そこで我々は『人の命を大量に奪っておいて何が正義だ!?』と考えるかもしれない。

でも、もう少し見方を変えて欲しい。
我々日本人にとって宗教というものは馴染みのないものであるが、イスラム原理主義のテロリスト達などにとって、イスラム教は『プライド』であり『誇り』であり『絶対の価値基準』であり『命を賭けて守るべきもの』なのだ。
まあ、テロリズムについてそれほど深い知識があるわけでもない自分がこのようにいっても、薄っぺらい言葉かもしれないが、とりあえず『命を捨ててまで守るべき大切なもの』だということは自爆テロのニュースなどで理解できると思う。


テロリストの言い分も間違ってはいないのだが、だからといって我々の言い分も間違っているわけではない。

『誰の言い分も正しい』
ヤングマガジンで連載している『オメガトライブ』という漫画の中の在るキャラクターが言っていた言葉だ。

その言葉よれば、テロリストは悪であるという我々の言い分も正しいし、自分達の行いは正義だと言うテロリストの言い分も正しいということになる。
つまり無差別テロは善であり悪であるいう結論が導かれる。



相対性理論では『誰が観測しているか?』によって現象が変わってくるが、同様に、我々の日常でも誰から見たかで、行いの善悪が変わってくるのだ。

善悪だけじゃなく、すべてのものは誰から見たかによって意味合いが変わってくる。

幼年期の子供から見れば犬は大きいが、大人にとってはそうでもない。
A君からみればあの子は可愛いが、B君の目では不細工に見える。
トマトはAさんの大好物だが、Bさんの食べられないもの。

犬は大きくて小さい。あの子は可愛く不細工。トマトはうまくてまずい。
どれも矛盾しているように見えるが間違ってはいない。

以上のような考察から、僕は『すべてのものは、誰から見たかによって結果の変わる絶対的でなく、相対的な存在である』のではと考えたのだ。

まあ、これが正しいか間違っているかも『誰が観測したか?』によって変わると思いますが、他の人の考えも聞きたいので、日記みてくれたらコメントお願いしまーす。

以上。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005.06.01 13:28:10
コメント(0) | コメントを書く
[論理的日記] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

なし8639

なし8639

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

ゆう@ とうとう出ちゃったね うわさは本当だったよ。 http://himitsu.…

フリーページ


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: