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余裕がなくて、疲れが貯まりつつあるケダモノです。今日は冒頭の挨拶にもある「余裕」というものついてちょっとは話そうと思う。 まず最初に言いたいことを言っておくと、「余裕」ってのはすごく大切だということだ。 僕のイメージ的には、「余裕」とは「隙間・空きがあること」「ゆったりとしていること」だと考えている。おそらくそれほどずれてはいないだろう。「余裕」にも色々種類がある。 時間の余裕、空間の余裕、お金の余裕、……そして「心の余裕」だ。 心の余裕は、余裕の中でもっとも大切なものだろう。 「心の余裕」のない人間のありさまを見たことがあるだろうか? 慌てて、せっぱ詰まった表情をして、一つ一つの動作がぎこちなくなっている。 最悪だ。 その最悪に今日の僕はなっていた。 今日、大学で行う講演会の準備があったのだが、事前打ち合わせが不十分で、講演が始まる十五分前に慌ただしく準備を始めた。 頭は真っ白になるし、非常に疲れるし、本当に最悪だ。 結局、講演の方もゆとりをもって聞くことができなかった。 こんな最悪の状況を割けるためには、心の余裕を保つためにはどうすれば良いのか? これには僕が思う限り、二通りの方法がある。 まず一つは、心を強くすることだ。 少々の問題にも動じないような強い心があれば、上記のような切羽詰まった事態にもしっかりと対応することができる。 しかし、心などどのように強くすればよいのだろう? EQの本や、心理学の本でも読んだり、お寺で禅でも組めば強くなるのだろうか? 確にそれでも心を強くすることはできる。しかし、よほどの画期的な方法でなければ、今すぐ心を強くすることなどできないだろう。 明日にも心の余裕を乱すような問題が降り懸かっているかも知れない。求められるのは今から実現できる方法だ。悠長なことはいってられない。地球は今この瞬間にも物凄い速さで回ってるのだ。 ここで二つ目の方法がでてくる。 それは、「余裕」を作ることだ。 ここで言う余裕とは心以外の余裕。例をあげると「時間の余裕」「お金の余裕」「労力の余裕」「体力の余裕」などのことだ。 どういうことか、僕の先ほどの体験を元に解説する。 まず、事前打ち合わせが足りなかった。 それにより当日、無駄な手間がかかり、準備の「時間が延びて」しまった。 つまり、「時間の余裕」が足りなかったということになる。 他にも、余裕が足りなかったせいで、心の余裕がなくなる例はたくさんある。 ・デートに遅刻しそうでイライラ。(時間の余裕) ・癌なのに病院に行く金がない!?(お金の余裕) ・重い荷物を運びたいのに一人しかいないので、仕事が進まない。(人手の余裕) 例外はあるかもしれませんが、「心の余裕」というものは、その他の様々な「余裕」の上に成り立っているものだと言えるでしょう。 僕の場合では、もしもの場合に備えて、もっと早めに集合時間を決めておけば問題に対応することができたのだ。それは「時間の余裕」を作ることでもあった。(大抵の場合は、時間の余裕を作ることによって解決すると思う) 結論。 初めのほうにいったが、心の余裕や安静を保つためにも、「余裕」は非常に大切だ。 これを見ている人も、何か問題がありそうだったら、「余裕」をもって行動すると良いだろう。 まあ、長ったらしく話したが、常識的な話。 以上。
2005.06.02
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暑い・・・。夏日に近づく気温にうんざりしつつあるケダモノです。今日、大学の図書館で科学雑誌ニュートンを読んだ。アインシュタインが特殊相対性理論を発表してから100周年ということで『誰もが納得! 相対性理論』という特集が組まれていた。これがなかなか分かりやすい!!一般相対性理論はまだですが、特殊相対性理論のほうは大体理解することができ、日常的な常識からは考えられない驚愕すべき世界があることを知った。詳細は省くが、相対性理論では『誰が観測しているか?』が重要だ。相対性理論では誰から見たかによって現象の内容が全く変わってくるのだ。光速の世界ではAさんとBさんが見た現象が、全く違うものに見えるのも多々有り得ることらしい。しかし、これは相対性理論だけでの話なのだろうか?なにも光速の世界じゃなくても我々の見ている世界は、人それぞれによって違うのではないか?たとえば、悪と善なんかは典型的な例だ。現代においての無差別テロは我々日本人から見たら完全に悪いことのように見える。しかし、無差別テロを行っているテロリスト達は自分達のことを悪だと考えているのか?答えはNOだろう。少数の例外を除き、大部分の彼らは自分達こそ正義だと考えている。そこで我々は『人の命を大量に奪っておいて何が正義だ!?』と考えるかもしれない。でも、もう少し見方を変えて欲しい。我々日本人にとって宗教というものは馴染みのないものであるが、イスラム原理主義のテロリスト達などにとって、イスラム教は『プライド』であり『誇り』であり『絶対の価値基準』であり『命を賭けて守るべきもの』なのだ。まあ、テロリズムについてそれほど深い知識があるわけでもない自分がこのようにいっても、薄っぺらい言葉かもしれないが、とりあえず『命を捨ててまで守るべき大切なもの』だということは自爆テロのニュースなどで理解できると思う。我々日本人だって何かのために命を賭けることはあるし、何かを守るために敵を殺すことをすると思う。そういう意味では我々もテロリストも同じだ。テロリストの言い分も間違ってはいないのだが、だからといって我々の言い分も間違っているわけではない。『誰の言い分も正しい』ヤングマガジンで連載している『オメガトライブ』という漫画の中の在るキャラクターが言っていた言葉だ。その言葉よれば、テロリストは悪であるという我々の言い分も正しいし、自分達の行いは正義だと言うテロリストの言い分も正しいということになる。つまり無差別テロは善であり悪であるいう結論が導かれる。これは矛盾しているようだが、そうではない。相対性理論では『誰が観測しているか?』によって現象が変わってくるが、同様に、我々の日常でも誰から見たかで、行いの善悪が変わってくるのだ。善悪だけじゃなく、すべてのものは誰から見たかによって意味合いが変わってくる。幼年期の子供から見れば犬は大きいが、大人にとってはそうでもない。A君からみればあの子は可愛いが、B君の目では不細工に見える。トマトはAさんの大好物だが、Bさんの食べられないもの。犬は大きくて小さい。あの子は可愛く不細工。トマトはうまくてまずい。どれも矛盾しているように見えるが間違ってはいない。以上のような考察から、僕は『すべてのものは、誰から見たかによって結果の変わる絶対的でなく、相対的な存在である』のではと考えたのだ。まあ、これが正しいか間違っているかも『誰が観測したか?』によって変わると思いますが、他の人の考えも聞きたいので、日記みてくれたらコメントお願いしまーす。以上。
2005.05.31
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初日から投稿するのを忘れそうになっていたケダモノです。今日、先輩から借りたイノベーションの本質という本を読みました。一章だけですが・・・。本の内容について少し説明。どうすれば今までにない革新的な製品、サービス、仕組み、発明などを作ることができるのか?サントリーのDAKARA開発や、HONDAのアコードワゴン誕生などのケースを元に一つ一つその本質を解きほぐし、その隠れたノウハウを分かりやすく解説しています。なかなかの良書。おすすめです。ただ、暗黙知と形式知など、普段聞きなれない単語もでてくるのでちょっと注意が必要かも。今日はバイトで時間がなかったので以上。
2005.05.30
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どうもどうも、はじめまして、考えるケダモノです。自分の人生って結構くだらねー末路を辿ってんじゃねーかと、おもったのはいつからでしょう?まあ、そんなくだらない人生や、無能不能な自分からおさらばするためにどうしたらいいのか?と考えたことを更新していきます。理屈だらけで、お硬いブログになるかも知れませんがよろしくお願いします。以上、初回挨拶でした。
2005.05.29
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