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2014年01月12日
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きょうは京都市内の展覧会を‘はしご’しました。

まず、去年の春から展覧会があることを知って楽しみにしていた「京都文化博物館」の「生誕100年・佐藤太清展」を見ました。

佐藤太清(1913~2004)は文化勲章を受章した日本画家で、私は去年の2月に、自転車旅行で福知山市の 「佐藤太清記念美術館」 に行きましたが、美術館が小さかったのと、作品が大きかったのとで、作品がわずかしか展示されていなくて残念な思いをしました。
その後、今年、佐藤太清の展覧会が開かれ、京都に年末年始に巡回して来ることを知って、心待ちにしていました。
ただ、特別展でありながら、入館料が通常の500円というのは、逆に嫌な予感を起こさせました。

「第1章.模索の時代」では、「児玉希望塾に20歳のときに入門し、10年後の昭和18(1943)年に『かすみ網』で初めて新文展入選を果たす。さらに、その4年後、『清韻』で初の日展特選を果たす。『睡蓮』で2度目の特選を果たした」という、若くして才能を認められたことから紹介さていました。

その『かすみ網』がありました。
いきなり何とも言えない作品でした。

まず、サイズが大きく、少し縦長の画面に、「花が咲いていない時期に写生に出て、かすみにかかったさまざまな死に瀕する鳥たち」を描いた作品に、言葉を失いました。
花が咲いていたら「花鳥画」でも描こうと思っていたのだろうと思いますが、実際には網に足を取られて飛べずにもがく鳥たちの絵です。
網には赤く色づいたもみじの葉が何枚か引っかかっており、季節は晩秋だとわかります。
秋を描いた日本画というではなく、悲惨な印象を受けました。
輪郭線はまったくなく、淡い油彩のような感じでした。 


『かすみ網』を描いたのと同じ画家の作品と思えないほど見た目は異なり、こちらはしっかりとした輪郭線で家々が描かれていました。
また、色が全体的に淡く、水彩のような感じに思えました。
でも、並んで建つ家々の柱が無理に傾けてあるあたり、‘今風’の要素もありました。

『清韻』もありました。

葉は雨で濡れていて、花が咲いていたり、既に実がなっていたりで、緑の濃淡と白で模様を作った絨毯のようにも見えました。
そこに飛んでいたり止まっていたりする蝶やアゲハがアクセントになっていました。

1956年の『樹(き)』になると、抽象的な画風に変わりました。
画面のほぼ中央が池の水面で、上に描かれている大木の根の部分が水に映っているのがわかりました。
必要以上に写実的に描かない、あるいは、枝葉末節は省くということでしょうか。

『立葵』は同じタイトルの上村松篁の作品と比べてみると面白いかもしれません。
上村松篁の作品は立葵を上から下まですべてを描いています。
それに対して、佐藤太清の作品は上部も下部も画面からはみ出しています。
花の咲いている部分だけをズームアップしたような描きかたでした。

『初秋』は枯れたひまわり、『冬池』は枯れた蓮が描かれていて、本来、そのものがいちばん美しいときを描いてはいませんでした。

「第2章.生命のまなざし」では、「昭和40(1965)年の『潮騒』を機に、目にした光景に内在する崇高の世界に挑む」ということで、抽象から再び具象的な作風に戻りつつも、自然のエネルギーを作品に取り入れようとした作品が並んでいました。

その『潮騒(しおさい)』は、上部に切り立った岩の崖、画面のほとんどは荒れた海面が多くの色は使わずに描かれていました。
このあたりの雰囲気は岩橋英遠の作品と共通するものを感じました。

『洪』は一瞬、画面の向きが間違っているのではないかと思いました。
これは洪水で倒された泰山木を描いたものでした。
葉には大きな我が止まっていました。
日本画で蛾を見たのは、速水御舟、岩橋英遠に続いて3度めだと思います。

『燄(えん)』は野焼きの炎を描いたものだそうです。
炎が速水御舟の『炎舞』とそっくりの感じで、平面的ながらも力強さを感じさせました。
解説を読むと、「思うように描けず、絵巻の火の動きを模写してスケッチして描いた」のだそうで、隣には『地獄草子益田家本』と『伴大納言絵詞應天門炎上』の模写が展示されていました。
迫る炎から慌てて逃れようと飛び立った雉が、少しかわいそうに見えました。

このコーナーの作品のタイトルは、漢字1字か2字の難しいものが多く、去年の9月に 「高島屋」京都店の展覧会 で見た杉山寧の作品のタイトルを思い起こしました。

「第3章.旅シリーズ、そして永遠の瞬間へ」では、「昭和55(1980)年に、旅先であった一期一会の光景を描いた連作『旅の朝』を発表し、この一連の作品群において“花鳥風景画”という独自の分野を確立した」ということで、風景の中に花鳥が描かれて作品が展示されていました。

去年、「佐藤太清記念美術館」に行ったときに‘複製画’しか見られなかった『雪つばき』がありました。
これは横山大観が描く雪の積もった椿と似た感じの画風で、葉も花も半分は雪に覆われた椿の木の下に3羽のすずめが降り立ったシーンでした。
場所は自宅の庭らしく、特に具体的な場所を記録したものではないようでした。

『旅の朝』は葉のない「梅もどき」に雪が積もり、その枝に「うそ」が数羽止まっている光景でした。
これも‘適当などこか’に思いましたが、これは越後の宿の庭だそうです。

最も典型的に、ある場所と象徴的な鳥という組み合わせの作品として、『最果の旅』がありました。
流氷の流れ着くオホーツク海と巨大な氷の塊の上にしっかりと爪を立てて遠くを見ている鷲の組み合わせは、日本の最北の地の冬を描いたものだとわかります。

章立てから外れて、最後に「佐藤太清の庭-輝ける生命へのまなざし-」というコーナーがありました。
ここは一般の家庭で飾るのにちょうどいいサイズの作品が額装で展示されていました。

作品は生けた花がメインでしたが、写生したものではないようでした。

典型は『パンジー』で、生けてあるのは3色のパンジーなのですが、花瓶は「正倉院」にある瑠璃杯でした。
佐藤太清は飾る花に合う器を考えて、それを頭の中で組み合わせて描いたようです。

唐三彩にキキョウを生けた『桔梗』、染付山水の白磁壺にボタンの組み合わせの『富貴花』、アラビア文字の書かれたペルシャの壺にバラが生けてある『薔薇』など、自由な発想で‘理想’を描いていました。

展示作品数が多くないので50分で見終わりました。
最後まで集中して見られたのはいいのですが、やはり入館料をもう少し上げてもいいから、多くの作品を見たいと思いました。

一時期は抽象に移りかけたものの、終生、日本画を描き続けた画家だということがわかりました。
ただ、正直なところ、期待したほどの感動はありませんでした。

このあとは、1つ下の階の総合展示を見ました。





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最終更新日  2014年01月23日 22時56分32秒
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