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2005年04月09日
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"目に映るものがすべてだと思っていた。"

鹿児島から奄美大島へのフェリーに乗り込んだ僕は、まだ屋久島を引きずっていた。
自分の認識の甘さに嫌気がさし、自己嫌悪に陥り、旅に対してもひどく臆病になっていた。
気を抜くと寂しさのあまり、涙がこみあげてくる。
奄美大島では無事で過ごせれば、何もせずにいようかと真剣に考えていた。

とりあえず明日の宿を予約しておこうと携帯でホテルに電話をかけた。
名瀬市にあるホテルに2泊して、飛行機で伊丹まで帰る予定だ。
ところが明後日の予約は取れるのだが、明日の部屋が確保できない。
とりあえず明後日のホテルを確保し、ガイドブックとにらめっこをする。

あたりまえのことだ。ここは海の上。

出航したばかりなのに、ロビーには缶ビールを飲んで出来上がっているひとがいた。
テレフォンカードを持ってロビーの横にある船内電話で、古仁屋のホテルにかけてみる。
やたら声が遠かったが部屋は取れた。
一安心し、船内の地図で風呂の場所を探すが、見当たらない。
たいてい大型客船には大浴場があるのだが、このフェリーにはなかった。
大型客船というよりは、大型貨物船に客室があるような船だ。
僕の泊まる客室は2等寝室である。
以前、いわゆる雑魚寝といわれる2等で旅したこともあるのだが、
寝返りもできず、気をつけの状態で寝るということができなかったので、今回は2等寝室を取ったのだが、部屋に戻る時に見た2等の部屋は寝返りどころか、でんぐり返しが何回もできるくらいにすいている。
使われていない2等の部屋もあった。

相部屋の人が乗り込んでこないかドキドキしたが、結局僕ひとりだった。
僕はテレビ好きで海外旅行のときでも言葉がわからなくても、
部屋にいるときはテレビをずっと見ているほうなのだが、
今回は屋久島でもそうだったが、テレビをつけていても、うわの空だった。
自分探しの旅に出たつもりなのに、すっかり自分を見失っている。


急いで食堂に行く。
平日のせいなのか、乗船客は少ない。
みな島に帰るひとたちで、観光客は僕ひとりなのではないか?
船のデッキに出てみるが、星も見えない夜空、体に吹き付ける潮風。
どこへ向かっているのだろうかと思える広い夜の海。
とりあえず日本列島を離れていっていることはわかる。

部屋に戻り、またガイドブックとにらめっこする。名瀬で下船する予定だが、
この船は明日の宿がある古仁屋にも寄港するらしい。
名瀬で降りてバスで古仁屋に向かうか、この船で古仁屋まで行くか。
考えるのも面倒くさくなってきたので寝ることにした。

目が覚め、しばらくして喜界島に到着するアナウンスが入る。
この喜界島からはもう奄美大島が見える。
喜界島はわずか周囲48.6kmのとてもちいさな島。
この島に降りたいと思った。
早く上陸したい。名瀬で下船することにした。

名瀬港からバスターミナルはけっこう距離がある。
天気も体調も良いので歩くことにする。
近くの学校では野球の練習をしている。
自転車で通学している学生が行き過ぎる。
車がせわしなく行き交う。
生活の匂いがする。
いつもの日常がここにはあった。


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奄美群島本土復帰50周年なるポスターを見かけた。
ガイドブックにも書いてあったのだが、僕はそれまで奄美大島が米軍の占領下にあったことを知らなかった。
奄美の歴史は1440年頃琉球王朝の支配をうけ、1609年に薩摩藩の支配をうけて、廃藩置県後、鹿児島県になる。
1946年に連合軍最高司令部の覚書により本土と行政分離され、臨時北部南西諸島の名称が付される。
そして、1953年のクリスマスの日に本土復帰を果たすのである。
時代のうねりに翻弄されてきた奄美大島。
だけどそんな悲しい歴史も感じさせない。
それは人の歴史であって、自然の歴史ではないからだろうか?
この島の主役は人ではなく、自然にあるのかもしれない。

ついでながら有名な「大島紬」もこの島の名産だと知らなかった。
大島というひとが作ったブランドだと思っていた。

バスターミナルに着く。
行き先を名瀬と古仁屋の中間点にあるマングローブパークに決めて、案内所で行き方を尋ねると、途中で乗り換えなくてはいけないらしい。
言われたバスに乗り込んだ。
乗客は3人ほどで郊外に出るまでにみんな降りていってしまった。
バスは国道58号線を南下していく。
空港のある北部の笠利町から南部の古仁屋まで南北を縦断する国道なのだが、実はこの国道58号線は海を渡るのである。
鹿児島市を起点とし、種子島、奄美大島を通り、沖縄本島まで続く国道である。
古代、日本列島がまだ誕生していなかった頃に、大陸へとつながっていた道筋なのだと思うと感慨にふける。
琉球弧と呼ばれる中国から台湾、沖縄諸島、奄美諸島まで陸続きに、日本人の祖先が渡ってきた道。
沖縄や奄美、中国に行くと、長い間忘れていた記憶と、はるか遠い過去を取り戻すためにここへ導かれたような錯覚に陥る。
「確かにここにいた」と僕のDNAが騒ぐのである。
一般には「沖縄病」や「沖縄依存症」というらしい。

バスの終点に着く。地図で見ると、ここから歩いてもいける距離だ。
運転手に歩いていくと告げると、30分後のバスを待ったほうがいいよと言われるが、大丈夫ですと歩き出した。
結局、バスよりも早くマングローブパークに着くことができた。
道の駅という看板が立っている。大きな駐車場に綺麗な建物がある。
入園券を買い、中に入るとカヌー教室をやっていた。
前に行った西表島や屋久島でも、何艇ものカヌーを見て、一度やってみたいと思っていた。
ひとりでも参加できるらしいので、さっそく申し込んでみた。
次のカヌー教室まで時間があるので、モノレールに乗って展望室に行く。
展望室からみる風景に思わず感動してしまった。
目に映る風景はゆるやかな流れの川に沿うようにマングローブの原生林があり、遠くに山々が聳え立っている。
すばらしい絵画に出会った瞬間のような、これが現実の世界にあることを、しばらく受け入れられずにいた。

そしてカヌー教室に行く。
カヌーといっても日本ではカヤックにあたるものもカヌーと呼んでいる。
オリンピック競技の正式種目でもあるカヌーとカヤックの違いは、シングルブレードのパドルを使いオープンデッキのものがカヌーで、ダブルブレードのパドルを使いクローズドデッキを使うのがカヤックである。
僕がこれから乗るのはカヤックであるが、ここではカヌーと呼ぶことにする。
そして、僕のカヌー初体験。
手塚治虫の火の鳥に出てくる鼻の大きなキャラクターに似ているインストラクターが教えてくれた。
パドルの使い方を教えてもらいカヌーを浸水させる。
浮いた。
パドルを使って前に漕ぎ出すのだが、最初のうちはまっすぐ進めない。
他の参加者の艇と、ぶつかったり、ぶつけられたり、
楽しい。
この旅に出てから、初めて心の底から笑った。


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最終更新日  2005年05月19日 11時15分30秒
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