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親戚からいただいた林檎がたくさんあったので、アップルパイを作った。アップルパイを作るときたまに思い出すことがある。高校3年生のとき、私はクラスメイト5人でお昼を食べていた。その中で一人だけ、お弁当を持って来ないので学食で食べる子がいた。私を含めた4人はお弁当を持って来ていたので、その子に付き合って学食でお弁当を広げていた。その子は言わなかったけれど、私達はその子に「母親」はいないであろうことを知っていたので、いつも学食で食べなければならないその子に何も言わず付き合って学食へ行っていた。その子の話を聞いていると、父親や兄のことは話題に出すのだが母親のことだけは話題に出ないので、私達は彼女に母親がいないであろうと見当を付けていたのだ。ある時、そんな彼女と二人だけの時に「あなた、母親のこと話さないね」とズバリ聞いた子がいた。その子に彼女はこう言ったそうだ。「今の母親、後妻だから」本当の母親は小さい頃に離婚して出て行き、今は再婚して子供もいること。仕事が忙しい父親は、ろくに家に帰って来ないときがあったが、お金だけは置いていってくれたので、彼女と兄の二人だけで気楽に暮らしていた時期があったこと。2、3年前、父親が恋人を連れてよく家に遊びに来ていて、当時24歳の若い人だったが気が合い良い人だったこと。しかし、今の母親はその人ではなく、母親の友人だった人で、その人には監視されているようで気が合わないこと。これなら、兄と二人で暮らしていた頃の方が楽しかったこと。彼女はズバリ聞いた子だけには心を許したのか、たびたび母親や家庭のことを話し、その子は後でこっそり私達に逐一その内容を報告した。私達は彼女の家庭のことを何も知らないふりしながら、彼女に接していた。受験も差しせまって来た秋の暮れのこと。彼女が私達にこう言った。「私これからお昼休みも勉強するから、みんな勝手に学食行っていいよ」お弁当持参だった私達は、彼女がいなければ学食に行く意味が無かったので、それからは教室の自分の席でパンを片手に勉強をする彼女を遠目に眺めながら、4人でお昼を食べた。4人で食べる私達を見ても彼女は別に気にしている様子もないようだった。どうして、彼女がそんなに必死に勉強し出したのか。ズバリ聞いた子の情報によると、彼女の1つ違いの兄が遠い県外の会社に就職してしまい家を出てしまったので、その子もその遠い県外の大学に急遽進路を変更して、家を出るつもりなのだそうだ。そして滑り止めの私大も受験しないらしい。遠い県外過ぎるので、その大学についての情報があまりなかったが、恐らくそんなに楽に受かる大学ではないことだけは確かだった。家を出たい、兄を追って行きたいが為に必死で勉強をする彼女。そんな彼女が前にこんなことを言っていた。それは理想の結婚相手の話をみんなでしたときのこと。まだまだ子供の高校生の女子が言うことは実にあどけないことばかりだった。「かっこいい人がいい」「優しい人がいい」「お金持ちがいい」そんな時彼女が言ったのはこうだった。「アップルパイを作ってくれる人がいい」高校の卒業式には、彼女に逢わなかった。来ていたのかもしれないが、私達と話をするまでもなく帰って行った。私達の進路は、志望校に受かった人、滑り止めは受かった人、浪人する人など様々だったが、彼女がどうなったかだけは誰も知らなかった。恐らく、受かったとは聞いていないので落ちたのではないかと思う。彼女が、浪人したのか、就職したのか、家を出たのか、遠い県外に行ったのかは分からずじまいだった。何年後かに他の子と飲み会をした時も、誰も彼女の消息を知っている人はいなかった。アップルパイを作る時、私はたまに思い出すのだ。今頃、アップルパイを作ってくれる人と一緒になったのだろうか、継母から逃れようとしていたあの子は、と。 「銀の皿に金の林檎を」は主人公の夏海の16歳、21歳、26歳、31歳を綴った話。相変わらず、好きになれないが嫌いにもなれない主人公だった。決して誰とも馴れ合いにならないようにする主人公だが、家族という絆を深く必要としているようでもある。いつ死んでも良いと思っているようで、最後は生に対して執着もみせる。相変わらず、得体のしれない話だなあ。しかし結局思うのは、大道さんの小説は孤独な主人公を描いてるのに、人の中で生きるという意味を深く考えさせるということ。恐らく人が好きというか、人にとても興味のある人なんだろう。難しい言葉を使わずに、ここまで物事を表現するのもさずがだ。うーむ、凄い作家さんだ。
2005.10.26
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今日は、まったりな一日だった。というもの、最近風邪気味だったので、仕事が休みだった今日は、養生しようと「がんばらない日」にしたから。という割には普段より早めに起きてしまったのだが。昨日、風邪気味だったので早く寝たせいなのだけれど。それで、朝ご飯を少し凝ってみようと思い立ち、親戚からいただいた「横浜の中華街の肉まん」を食べることに。レンジではなく、蒸し器で30分じっくり蒸して出来上がり。果たしてそのお味はあんまり肉が好きではない私だが、いつも食べるコンビニ中華まんとは違って、肉汁が、うっすらしみ込んだ生地に、ちょっとどころではなく、ぬぐわなければならないほどしたたり、香しさは他のものとは、歴然としていて、しかも、もっと食べたい、残すものかと思わせる感じでした。一個で十分満足。そして、溜まった洗濯をぐだぐだとして、もたもたとアイロンをかけて空と雲を眺めたり、その合間に目をつぶったり開いたりしているうちに眠ってしまい、夕方になったという文字通り「がんばらない日」だった。しかし、普段の休日とあまり変わらない日だったような気も・・・。さて私のブログに毎回来て下さっている数少ない方々はここまで読んで今回の日記の違和感に気付いたのではないでしょうか。毎回本の紹介をしているというのに、今回はタイトルもそれらしきものはなし、文章も普通の日記らしい、と。そうです、上記の日記は今日のテーマを隠す為のかりそめの姿。ここまで読んでくれた人だけ、今回の日記の真のテーマをお見せしましょう。というもの今日の本の紹介は、タイトルは伏せておきます。感想がちょっぴり、過激かもしれないので。クレームが来るかな・・・。どきどきするな。クレームが来次第、削除しようと思う儚い今回の日記。というか紹介したいのは、本の内容ではないのですが。そんな今日紹介の本のタイトルが知りたーい!という人は上記の日記の食べた「肉まん」の味の感想の部分を読んで下さい。そこに、かなり初歩的なトリックでタイトルが隠されています。難しいかな・・・。分からなかったら、言って下さい。さて、その本の感想ですが、私は今まで名前も知らない作者の本を図書館で借りる時の目安として、まず、「ジャケ借り」というのがあります。つまり本の見た目に惹かれたら、借りるというものがあります。これは、見た目重視の為に結構外れが多いのが難点でしょうか。次に、本の冒頭の文章に惹かれて借りるというのがあります。これは、結構当たることが多く、「漆黒の王子」もこれで借りました。さて、最後にあとがきを読んで興味を持ったら借りるというのがありますが、これは最近の本はあまりあとがきがないので、この場合は借りるという例はとても少ないのですが、今回紹介の本はこれで知ったのです。そう、この本は何が凄いってあとがきがすごいのです。本の内容よりも、面白いというか興味深い。私は本の内容をぱらぱらと流し読みしかしていないので、本文より面白いと断言するというもの変ですが、あとがきのインパクトの方が私には大きかった。このあとがきを小説にした方が良かったのでは?と思ってしまった。そのあとがきの内容は、作者の半生が綴られているのですが、それが、メロドラマのようでなんとも興味深かったです。「面白い」や「興味深い」なんて書くと私は結構ひどい人のように思われるので、今回の本のタイトルを伏せたのですが、どうしても、私は本文よりもあとがきの方が印象に残ってしまう・・・。これ、本当のこと?と思ってしまったくらいメロドラマ的。そのあとがきを読むぶんには、作者はすごく苦しんでいたりするのですがなんだか、自分とはかなりかけ離れた世界に「凄いな~」とひとごとのように思ってしまうのです。さて、本の内容に少し触れると、なんだか、話が主人公にいいように進んで行きます。まわりの登場人物たちは主人公を気持ち良くさせる為に存在しているようで、魅力に欠ける感じがしました。結構つっこみどころ満載なのですが、「注」がやたら多いのも気になります。あとがきを含めて全体の感想は「天才って大変だ」でしょうか。こんな感想を書いて、私は結構ひどい人かな。作者結構苦しんでいるようなので。クレーム来る前に謝っておきます。ごめんなさい。でも、感動する人も多い話だと思うので、何かの機会に読んでみて下さい。特にあとがきがおすすめですけれど。
2005.10.24
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私の住む町は田舎と言っても、もういい加減蛍は見られなくなったが、私が小学校に入学するくらい前は、たんぼに囲まれた細い農道で夏になると蛍を見ることが出来た。夏、遅い夜がやっと訪れ辺りが暗くなると、「よし!蛍でも見に行くか」と父が言い母と姉と私が父に続いて車に乗り込むのだった。田舎の私の住む町でも更に田舎の地区へ車を走らせる。家もまばらになりやがて途絶えると回りに田んぼしか無い細い農道に出る。そこからの約100メートルの程の鋪装されていない道が、蛍生息地なのだ。その農道に車が差し掛かると父は、ライトを消す。すると、道の両脇の田んぼから小さい光の点滅が現れる。時期にもよるのだが、多い時は両腕を広げて歩けば触れるくらいたくさんいた。その光の中を明かりを消した車がゆるゆると走っていく。小学校入学前くらいの昔の思い出なのに、今でもその光景を鮮明に思い浮かべることが出来るのはその美しさゆえだろう。しかし、美しいものには棘があるという言葉のようにこの思い出は美しいまま終わってはくれない。ただでさえ明かりを消していて道が見づらいというのに、鋪装もされていない細い道はふいに道幅が狭くなっていたりするのだ。するとどうなるのか。そう車が脱輪するのである。蛍の美しさに目を奪われている私達は急に車が激しく揺れ、助手席側に傾いて車が止まってしまったことにしばらくぽかんとしてしまう。幻想的な世界から急に現実に引き戻され、しかも現実の状況が脱輪ではとっさに現実を認識出来ないというよりは、したくない。こうなると車は自力では抜け出せないので、応援を頼むことになる。田舎の良いところは、町全体が知り合いと言う訳ではないが、誰々の息子や親戚などと、自分の知り合いと結びつけられることだ。相手の名前は分からなくても、名字くらいは分かっていたりする。また、相手にも「どこどこに住んでる誰々です」と名乗れば、「あ~!誰々さんの孫の!」と返ってきたりするので、全く知らない人が居なかったりするのだ。そんなわけで、この時はここから一番近くの家に応援を頼むことになった。そこの家はたまたま父の知り合いだったらしく「よし、よっつぁんに応援頼んでくる」と本来の呼び名は恐らく「よっちゃん」なのに訛って発音されている「よっつぁん」の家まで走って行く。どうも蛍を見に来て脱輪してしまう者は私達だけではないらしく、「よっつぁん」は慣れた感じで車を引っぱりあげてくれた。ようやく車が道に戻り、帰る途中の道で私達のように脱輪している車がいて、「よっつぁん」の家に駆け込んで行くのを見た。今はもうその道も狭いけれど鋪装されて奇麗になり、蛍は居なくなってしまった。蛍がいなくなってしまったのは寂しいが、「よっつぁん」はきっと静かな夏を過ごしていることだろう。 感想のネタばれの恐れがある部分は文字を反転しています。 「蛍」はサークルの合宿で訪れた「ファイヤフライ館」は、過去に殺人事件があった曰く付きの館だった。そこで再び殺人が起こることになるという話。この本は一度読もうとして挫折した話。Pump!さんの感想を読み、再び挑戦してみることに。読み終わって、挫折した理由に納得。と言っても、話が面白くなかった訳ではなく、読み辛いんですね、文章が。それと言うのも、妙な一人称の為でした。読んでいて誰の視点に入っていけば良いのか分からなくて目がぐるぐる回る感じでした。中盤くらいで、今までの状況から恐らくこの登場人物が視点の主だろうと見当を付けて読んだのだけれど、どうしても拭いきれない違和感。しかし最後に来てその違和感も払拭されました。私は見事に作者に騙されていたのでした。そうかだから読み辛かったのか。 「曰く付きの館で殺人事件が!しかも外との連絡手段は絶たれた!」という、在り来たりな展開だったのに、これくらいの意外なトリックなら満足です。ただ、最後まで読むのが辛いというのが難点でしょうか。意外な展開が待ってると分かっていれば、読めると思います。
2005.10.20
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マラソン選手でもない限り、走るという行為はあまり好き好んでしたいものではない。学校行事でも「マラソン大会」は、嫌な行事の1、2を争うのではないだろうか。学生の時、学校が早めに終わり、友達数人とパフェでも食べに行こうとなったときだった。私の地元は田舎なので、バスや電車の本数はわずかしか無い為学生の少し遠い所への移動手段はもっぱら自転車であった。そのパフェが食べれるお店まで、大体5キロ強。歩くのはしんどいが、自転車ならちょうど良い距離だった。学校から一番近い家の子が、徒歩だったので皆でその子の家に寄ってその子が自転車を取って来るのに付き合った。家の外でその子が自転車を持って来るのを待って居ると、その子が青い顔をして家から出てきた。「どうしよう。自転車の鍵が見つからない」たかが鍵だが、これはちょっと厄介な展開になった。鍵がないということは、自転車に乗れないということ、つまりは自転車がないということと同じである。もっぱら自転車が移動手段の地元では、生命線を絶たれるに近いものがある。自転車に二人乗りということも考えたが、誰も二人乗りに自信がない子ばかりで出来そうも無い。かと言って、5キロ以上先のお店まで歩いて行くのは、厳しい。パフェはあきらめるかという空気になった時、その子が言った。「大丈夫!私走って行くから!」ええっ!走るの?!皆な驚いて、無理だよ!止めようよと否定的な意見をその子にのべる。それでも、彼女は「体力に自信があるから、平気!」とあきらめない。っていうか、自転車に乗っている脇で一人走られるのもこっちが気を使って自転車に乗りづらいよ・・・。とは、自信ありげな彼女に皆な言いづらかった。結局、再び念入りに家の中を探し鍵を見つけ出して解決したのだけれど、学校行事でマラソンは嫌でも甘いものの為には5キロマラソンも苦にはならないのが、女の子か。 「悪党たちは千里を走る」は詐欺師の主人公とその相棒とひょんなことで知り合った美女の3人が誘拐を企てる。しかし、誘拐は3人の思わぬ方向へと進んで行く、という話。この作品は貫井徳郎さんなのに、軽いタッチで進んでいきます。それが少し意外でしたが、「追憶のかけら」「さよならの代わりに」も軽いというか割と温か目な話だったので、それら流れとしてはそんなに意外ではないのでしょうか。しかし、面白かったのですが軽さがこの作品を引き立てているようには思えなかったのが残念です。軽さの張本人である登場人物達もそんなに魅力を感じなかったし。比べてしまうのもどうだろうと思いますが、こういった話の登場人物なら、伊坂幸太郎さんの方が上手い気がしてしまいました。しかし誘拐にちなんだ様々な手口は「さすが貫井さん!」と感心させられることが多かったです。でも、犯人が割と簡単に予想ついてしまったのが、残念でしたが。重い気分にならない話が読みたい人におすすめです。
2005.10.17
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PTSDやトラウマというくらい大げさなものでは無いと思う。しかし、平穏な日常がある日を境にして破られたのは確かだ。それは、一年ほど前のある日のこと、とある知人の一言からだった。噂の出所はどこで、またその信ぴょう性などは定かではないので、実名は伏せるが、その知人が言うにはこうだった。毎週土曜の9時から世界の不思議を発見している長寿番組の司会者が、とてつもなくドSだと言うのだ。私は今までその番組を観て来て、そんなことは露ほども考えたこともなくしかも噂の確かな出所も分からないうえに、恐らくその知人の個人の意見なのかもしれないので信じたくなかったのだが、その知人は自他とも認めるM女なので、Sを見抜く目は確かなのかもしれない。そう思うと今まで土曜の9時に家族とくつろぎながら見て来たその番組のイメージはがらりと変わってしまったのだ。「確かにあの司会者は笑っていても目は決して笑っていない!」「明らかにMのマコト君に対する司会者の態度は、マコト君をいじめて楽しんでいるように感じる!マコト君が質問しようとしても、さくっと無視して『さあ回答をお願いします』と言い放ち、『ちょっと、ちょっと、僕の質問は?』と食い下がるマコト君を放置。これって放置プレイ?!」などと、すっかりSMの色眼鏡で番組を見てしまうのだ。今までは家族と和気あいあいとその番組を観ていたのに、それからは何だかそんなことばかり、その番組を観るたびに頭をよぎってしまう。今までの平穏な土曜9時の番組ライフを返せ!私は世界の不思議よりも毎週ヒトシの不思議を発見してしまっているよ!私の中ではヒトシがラストミステリーだ。 「女王様と私」は、主人公の数馬は独身無職でアキバ好きなオタク。その彼が妹とデートしていると、彼を罵りながらも何かと絡んで来る美少女が現る。そして彼は事件に巻き込まれていく、という話。「葉桜の季節に君を想うこと」で、まんまと騙されたので今回は気合いを入れながら読みました。アキバや妹、美少女などと、今流行りのオタクを主人公にしていて、素材は良いと思いました。最初、面白く読めましたよ。そう最初の方だけ・・・。読み終わってから、なんとも言えない気持ちでした。正直私は好きではない最後でした。後半部分から、何だか雲行きが怪しくなっていき、それが払拭されないままラストへ。なんだかなぁ。もっと違う結末だったら良かったという思いで、残念でした。でも、流行りのオタクが主人公という設定は面白いのではないかと思います。
2005.10.15
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給食を残すのを決して許さない先生というものはそんなに珍しくない。小学校の6年生のときに担任になった女の先生もそうだった。どちらかと言うと転任して来たばかりで、いきなり6年生の担任になるという方が珍しいのではないだろうか。そんな転任して来たばかりの山内先生(仮名)だが、給食を残すの禁止ばかりではなく、万事に厳しかった。三つ編みに大きめのリボンを付けて登校しきたクラスメイトは、「もっと小学生らしい髪型にしなさい」と言われ、髪型を直すまで教室に入れてもらえなかったりした。茶髪の小学生が珍しくない昨今、十年以上前とはいえ三つ編みにリボンくらい支障ないように思うだが。そして、給食時の牛乳のストローを使うとストローを床に落として散らかすと言う訳の分からない理由で、牛乳を飲むのにストローは禁止され、みんな仕方なしに牛乳パックを開け、がぶ飲みをしなければならないという、細木先生も怒りそうな行儀悪い飲み方をしなければならなかった。そんな山内先生なので、もちろん給食も残すことも許してもらえなく、しかもどんなに嫌いなものでも全部食べるまで、お昼休みや下校することも許されなかった。ある時、給食で冷やし中華が出たときがあった。給食の冷やし中華は麺に自分で具を乗せていき、最後に付属のタレをかけるというものだった。その冷やし中華を食べている最中に、日頃から山内先生に何かとたてついている男子が、いちゃもんを付けだした。冷やし中華を食べると分かると思うが、冷やし中華は食べた後タレが皿に残る。その男子は残すのが駄目なら、皿に残ったタレは残すことにならないのかということだった。普段から融通の利かない厳しさの山内先生はそれを言われて、引くに引けなくなったらしい。そこで先生は一言「タレまで飲みなさい」と宣った。ざわつく教室。冷やし中華のタレは麺に絡めて食べるように出来ているので、ストレートで飲むには濃過ぎる。しかし、山内先生は給食を全部食べるまで、帰して貰えないことはみんな承知だ。その時私達がしなければならないことはひとつしかなかった。無理矢理でもタレを飲み干すしか無い。しょっぱい、しょっぱいと言いながらみんなでタレを必死で飲む。こんな濃い液を飲むなんて実に体に悪そうだ。醤油一升瓶飲むと死ぬらしいし。そんなしょっぱい思い出の冷やし中華。あまり好きではないのはこの時の出来事が原因なのだろうか。 「しょっぱいドライブ」は、34歳の主人公は劇団の役者の遊さんが好きなのに、デートしてしまうのは昔から父親や兄とも付き合いのある60代後半妻子持ちの九十九さん。そんな二人が海辺の町をドライブしていく、という話。大道珠貴さんの芥川賞受賞作です。このあらすじを見て、30代の主人公と60代の男性との恋ということで、川上弘美さんの「センセイの鞄」を思い浮かべてしまう人も多いでしょう。しかし!!比べては決していけません。何故って大道珠貴さんは大道珠貴さんだからです。似た設定だからといっても、大道珠貴さんにかかってしまうと、もうすっかり大道さんテイストになってしまうので。相変わらず、独特の得体の知れない凄さを感じる作品でした。そして、表題作の他に、中学生の主人公と相撲取りがホテルに行く話の「富士額」、女同士の奇妙な友情を描いた「流星とタンポポ」がありますが、この本の話全てがゆったりというか、まったりというかゆるいテンポで進んで行きます。先ほど「しょっぱいドライブ」は「センセイの鞄」を彷佛させると言いましたが、離れられない女同士の話ということで「流星とタンポポ」は山田詠美さんの「蝶々の纏足」でしょうか。しかしこれもまた比べるべくもなく、大道珠貴テイストに。似た設定の話を書くとパクリやがってとクレームが付きそうですが、大道さんにはそんな気が起きないのがこれまた彼女の凄い所のひとつでしょうか。なんだか、似た設定でも大道さんの話を読むと怒る気が失せるというか、脱力してしまうのです。そんな大道さんなので、希望としては何かベストセラーの作品を大道テイストで書いて欲しい。「世界の中心で、愛をさけぶ」なんかいいかも。大道珠貴版「せかちゅう」。よ、読みたい!!
2005.10.11
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「この村の者は夜になったら、決して裏山の祠には近付かねえ」いわくありげな村で村人達の暗黙の了解になっている言い伝え。それに近い感じで私の住む町では、「夜(特に土日の)になったら、決して海には近付かない」という町民の暗黙の了解がある。それは町に生まれた者にとっては、生まれたときからみんな肌で感じている感覚に近い。それはまるでDNAに刷り込まれているような・・・。面と向かって行くなと言われた訳ではないが、みんな夜には海に近付かないのだ。何故かと言えば、単純に夜に海に行くと恐ろしい目に遭うから。それは夜海に近付くと、海で亡くなった霊に足を引っ張られるからなどが理由ではない。もっと、現実的に恐い目に遭うのだ。そう、夜の海、特に土日の夜の海には改造されたバイクを乗りこなす人達が、大勢集まるからなのだ。土日の夜になると、家の外の道路から聞こえてくる爆音。幸い私の家は、海に隣接しているわけではなく、程良く離れているので爆音が鳴り響くのは家の前の道路を通り抜ける時だけなのだが、海の間近に住む知人の話では夜中まで海で集会が繰り広げられているらしい。まあ、集会の時はそんなにバイクを乗りまわすことはないらしいので、深刻な睡眠の妨げになることはないらしいが。そんな戒めのある町で、数年前のこと。その日は飲み会で、私は友人に家の前まで車で送ってもらった。家の前にちょうど車が停車した時、どこからかパラリラパラリラと聞き慣れた、しかし決して快いとは言えないメロディが聞こえて来た。やがてその音は、次第に大きくなりバイクの集団が次々家の前を通過していく。車の中で息をひそめて、彼らが通り過ぎるのを待つ私と友人。そのとき、一番派手でアグレッシブなバイクを乗りこなす人が通過して行った。ああ!あれは小中学校と同級生だった、ゆ、ゆう君!!「夜の海には近付いてはいけない」我が町の暗黙の了解になっている言い伝え。ゆう君はどうやら禁忌を破ってしまったようだ。しかも、彼は当時ヘッドでもあったらしい。 「HOME TOWN」のあらすじ。「僕たちは、人殺しの血で繋がった兄弟」結婚を控えた妹が突然失踪した。百貨店の調査員をしている主人公は、暗い過去を共有する妹を探す為、忌わしい過去があった生まれ故郷へ戻る。毎回思うのですが、この作者は失踪した人を探すという話が多いですね。それに象徴されるように、迷子になって相手を探す時のように不安で、しかし限りなく相手を切望しているような不安だけれど強い意志を感じさせる雰囲気を纏って、今回も話は進んでいきます。透明だけれど深い色がある。これはこの作者の持つテイストですね。兄妹の過去がいきなり登場したりとはじめから興味をそそられました。そして、主人公の職業が面白かったです。百貨店の裏の調査員なんて職業、本当にあるのでしょうか?主人公も言ってたように結構ヘビーな仕事だし。あるにせよ、ないにせよ、面白い職業です。シリーズ化しそうな感じですね。さて、この話は作者の他の話と比べるとミステリー色が結構濃かったような気がしました。それはとても良かったのですが、物語の軸になっていた兄妹の忌わしい過去をもう少しうまく物語に絡ませられると良かったような気がします。しかしこの職業は面白いのでシリーズ化して欲しい作品です。
2005.10.06
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大怪我などは、あまりしたことないが、生きている年月が長いと多少そういう目にも逢う機会も増えていくものだ。数年前のこと。その時私は職場で、パネルを切る作業をしていた。単純にパネルを切っていくという作業なのだが、スケールを当ててカッターで一枚一枚切っていくという手作業だった。その時は、切らなければならないパネルの数がかなりあり、パネルを切るという単純な作業でもずっと切り続けていると結構しんどい。やがてパネル切りも終わりに差し掛かり、その頃には終わりが見えて来た為か疲れも忘れ、早い切り方のコツも覚えた私は悦に入りながら切っていた。そんな時にそれは起こった。右利きの私はカッターを右手に持ち、左手でスケールを押さえてそこにカッターを当ててパネルを切っていたのだが、スケールを押さえていた左手の人さし指がスケールから少しはみ出していたのだ。それに気付かず、悦に入ってさあ、さあっとカッターでパネルを切っていく私。そう、まぬけな私は自分の右手でスケールからはみ出した左手の人さし指をパネルと一緒に切り落としてしまったのだ。切った瞬間、痛みはまだ感じなかった。まず思ったのは「やっちゃった!」ということだった。切った所を見ると、人さし指の先のカーブの片側が削げていた。指先の片方だけ、なで肩になったみたいになっていた。指のほんの先だけだったので、骨は見えなかったが、薄い赤色の切り口にじんわりと血が滲んで来ると、やがてみるみる血が溢れてきた。そうすると、痺れていただけだった切り口も、やがてじんじんと痛みだしてきた。急いでテッシュを当てるが、どんどん血を吸い込んで赤くなってしまうので、この時にはもう「こりゃ、自分では無理だ」と思い人を呼んで病院に行った。切ったのは結局指のほんの先だけだったし、切り落とした指というか肉片もちょっこっとだったので、くっつけることはせず、消毒薬を含ませたガーゼを傷口に当てられ後は包帯をされて、その日の治療は終わった。その後、治るまで病院通いが続き、結局全治3週間だった。ほんの先だけだけれど指を切るということを経験して分かったことがあった。まず、指を切り落としてから痛みを感じるまで、1~3秒くらい間があるということだ。切った瞬間すぐに「痛い!」ということはなかった。逆にちょこちょこっとした怪我の場合すぐに痛いと感じるので、恐らく痛みの量が多いとそれを感じるまで時間がかかるということか。容量が多いとダウンロードするまで時間がかかるのと同じ原理で、痛みの量が多いとそれが指先に到達するまで時間がかかるのだろう。もしかして、私が恐竜並に鈍いだけなのかもしれないけれど。あと、片手が使えないと大層不便に感じるかもしれないが、実際やってみると工夫次第でなんとかやっていけるものだということを知った。タオルをしぼる時は、何かにタオルを引っ掛けて片手でぐるぐるねじっていけば、しぼれたりと、片手でもやれることは結構多いというか、やれないことが割と少ないのだ。まあ、両手が使えるに越したことはないんだけれど。しかし、指を切って一番驚いたことは、度胸が座っているのは男の人より女の人だということだった。指を切った日、私は病院からそのまま早退したのだが、切った現場の後片付けは同期の女の子がしてくれたらしく、メールで「切り落とした指片は捨てておいたよ」とあっけらかんと言ってきた。私は複雑な気持ちで「ありがとう」と返した。 「傷口にはウォッカ」は、主人公の永遠子は女40歳で未婚、定職無し。恋人は居るがそんなに執着は無い。そんな永遠子の恋愛遍歴を綴ったお話。最近、大道珠貴さんを読み始めた。前々から気になっていて、しかし読む機会がなくって読んでいなかったけれど、図書館で見かけたのを機会に読んでみることに。感想は大道珠貴さんって癖のある中国茶のようだということ。初めて飲んだ時は、あまりの癖に「なんだこれは!」と思うのに、飲んでいるうちに慣れてくるのか、全然気にならなくなってくる。ウーロン茶やプーアールも初めて飲んだ時は、苦くて飲みづらかったが、もう今では水のように気にせず飲めるし。そんな感じで大道さんの小説は、最初は「何だこれ!?」と思うのだが、読んでいくうちに慣れてくるのか、こういうものだと分かってくるからなのか、気にならずに読めるようになっていく。「傷口にはウォッカ」の傷口は、主人公の心の傷でもあり、裏の意味では女性器の象徴とも言えるかも。そんな傷を感じながら生きていく主人公。結構大変そうな人生を送って来た主人公だが、読んでいて暗い気持ちに連れて行かれたりしないのは大道さんの文章によるのだろう。後がないと分かっていながらも今の恋人に特別に思い入れもなく、一番好きなのは弟だったり。その恋人の性行為にも問題があるし、初体験も覗かれながらだし。女として決して良い経験を送って来たとは言えないのだが、幸せとも思っていないが特に不満も感じていない主人公を好きにもなれないが嫌いにもなれない。不思議なテイスト。大道さんの小説はエンターテイメント系が好きな人には、厳しいかもしれない。エンターテイメント要素はほぼ皆無なので。そして登場人物達も、あまり好きになれない人達が多い気がする。なのに何故か読んでしまう。大道さんは一度読んだだけにしないで、続けて読んでいくと良さが分かって来るよう気がするので、大道珠貴さんは「続けることに意義があり」だろうか。
2005.10.04
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