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先日読み終えた本。電車通勤は、読書の花畑。【送料無料】震度0きゃー、不謹慎とか言わないで。阪神大震災の起こる前夜、姿をくらました1人の警務課長。彼の失踪の真相を巡って、さまざまな思惑が複雑に交錯する。こういう灰色世界を描かせたら横山秀夫は恐ろしい書き手である。ということを改めて認識。【送料無料】Pen (ペン) 2011年 4/1号 [雑誌]「pen」も買ってみた。特集は、『完全保存版・人気建築家が選ぶ、世界でいちばん好きな建築。』。王道なものもあれば、国外にあるおそらく実見は無理だろな的な物件や、意表をついたものまでさまざまだ。或る若手建築家は、「ガソリンスタンド」がいいと。写真で紹介されていたのは、長崎のスタンドだったけど、確かに言われてみると、機能性や装飾の度合いなど、昔のガソリンスタンドって色とりどりだった。山形県の国道13号線を走ると、妙にごつくて立派な意匠のスタンドがいくつか目につく。それにひきかえ、最近のスタンドは、完全に生き残ることに特化してしまった印象。建築には全く魅力無し。嗚呼……。そんなんで、今日からガチンコマイカー通勤再開。最初は「ポリシーまげて」なんて言ってたけど、アクセルを踏み込むや否や、そんなポリシーは排気ガスと共に宙に消えた(涙)。いや、まだクルマでないといけないところにたどり着くためにこのガソリンを燃やすという思いまでは消えていない。仕事が終わった後、ある場所に向かう。本当はもっと早くたどり着くべきだったこの場所には、深い悲しみが横たわっているように思えてならなかった。ただ、握った手の温かさに一縷の希望を託す。夜は某店。勝手に人のブログも更新していく。車ネタついでに、原発廃止論者に対して、推進派?的な立場の方々が、「原発で死んだ人間よりも、自動車で死んだ人間の方が圧倒的に多い」とおっしゃって、あたかも原発を擁護するような発言をなさっている。たしかにそうかもしれないが、僕らが自動車を運転しているのは、自分で選択したことであって、結果として事故で命を落とすことがあっても、酩酊ドライバーのトラックが正面から突っ込んできたとかよほど理不尽なことがない限りは甘受せざるを得ないと考えている。一方で、私が今電気をつけたり消したりしている行為そのものは能動的なものだが、その電気の出所が原発なのか、火力なのか、或いはクリーンな電気なのか、そこについては選択できないのである。その差がきわめて大きく重要なのではと思う。そこに胡坐をかいた電力会社の存在とかも含めて。そう考えたら、自分自身がハンドルを握ることに対して、もう少し強く自覚的であろうと思うようになった。せっかく入れたガソリンも、今自分が為しうる尊いことのために燃やそう。
2011年03月31日
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土曜の夜、また盛岡。週末モリオカンなワタクシ。桜山のクロスロードで、ふるたいむのライブ。あいにくメンバーが1人お休みする災難は震災の余韻。でも歌っていいね。気持ちが少し晴れやかになる。いや、トークで茶化す奴がいて、その対応に四苦八苦していたという気がしないでもない……でも、ジャッキーさんとマッキーさんの歌よかったです。♪明日~天気に~な~れ明日幸せにな~れ~♪夜の大通りもそこそこのにぎわい。材料が入らなくてどのお店も苦心しているのかもしれないが、みんなで経済まわそう!じゃないけど、飲んで食べて、気持ちだけでもすっきり!心の澱を流したい!日曜日はエロキモ氏とのドライブ。ガソリンの関係でこの日はエロキモ氏の乗用車に乗せていただく。一通り彼のグダグダなお話を聞かせていただき、『昼飯どうする』という話になり、三陸に元気を!などとほざいて某回転寿司のお店なんぞに入る。徒歩通勤→発汗量増加→ウンコ硬めでやや便秘気味のワタクシは、お茶がおいしくてしょうがない。がぶ飲み。隣では納豆とか玉子とか……不謹慎ここに極まれり(涙)。そんでもって夜はまた盛岡で一席。そしたら、盛岡市議会の議員さんとたまたまご一緒する羽目に。貴重なご意見を拝聴させていただきありがたかった。ちなみに、先日爆発した盛岡の中三は、中三グループの稼ぎ頭らしい。いずれこのままではいかんだろうということだった。そして、今日ようやくガソリンは30リットル強入る。幸い職場からの連絡で、待たずに入れられるスタンド情報をキャッチ!だがしかし、5000円分入れても満タンにならないのが哀しい。とかいいつつ、返す刀で灯油も18リットル獲得。帰路、軽微な交通事故があったようで、ヘルメットをかぶった警官が検分や事情聴取と思しきことをしていた。その傍には、某スタンドへ続くGS渋滞。自分が起こした事故ではないのに、何かすごくへこむ。せっかく入れたこの油。何のために燃やそうか、じっくり思案しよう。クルマがなくても行けるところには、クルマなしで行こう。クルマがないと行けないところに行くために、このガソリンを燃やそう。そんなことをおぼろげに考えたりしている。大体にして、あんまり自動車を運転する機会がなく、運転技術の低下が懸念されているうえ、まだガソリンが十分に行き届いていないであろう影響や、震災に伴うライフスタイルの見直し?なのか、自転車や徒歩の移動者も多く、公道はあんまり安全じゃない気もするし。
2011年03月29日
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ナチュラルクローゼット やさしい時間をくれる服 Vol.7 (学研インテリアムック) (単行本・ムック) / 学研パブリッシング学研で出している「ナチュラルクローゼット」というムック本の表紙の女性が、私のいとこでございます。母親の姉の次女。うーむ。お店の方もよろしく~♪写真は、盛岡市の中三。3・11地震から数日後、ガス爆発があったデパートです。これは20日(日)の肴町アーケード側の入り口。シャッターが膨らんだまま。てっきりブルーシートか何かかぶせて隠すと思ってたのですが、そのまま晒されていました。嗚呼……。
2011年03月25日
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勤務表上は休みだけど、会議なので出勤。まあそういう日もあるさ。そういう日もある……。東京の方は、ベクレル?放射線?水道から出て、大変っぽい。と他人事のように思ってたら、こっちも若干。まあ、うちは大人一人だし、まあなるようにしかならないな。でもあまり気分いいもんでもないし。近所のアルテマルカンは、だいぶ品ぞろえ充実。いいことだ。冷凍食品と、飲み物系がまだ若干品薄だけど。まあ食うには困らないレベルにまで回復。あ、コーラなくなってた。頼む!ただ、買い物袋が底をついてきている。そっちの方が大変だ。近くで、ちょっと遠くで徐々に回復、復興の気配。焦らず、ゆっくり歩いて行こう。そんなんで、私の車はまだガソリン入っていない。まだ給油しようという気もない。並んでまで給油するほどお人よしでもない。徒歩と電車で不規則勤務にも十分対応できている。並んで給油する人たちの中には、ストーブ焚いて一酸化炭素中毒になったり、携行缶から気化したガソリンに引火してしまったり、路駐していてトラックに追突されたりという災難が後を絶たない。当事者も、割り込まれたと言っては怒り、給油量の制限に“足りない”とブチ切れ、どこのスタンドがいつ開くとかいう情報にばかり囚われ……そういうことを見聞きするにつけ、嗚呼……と嘆かざるを得ない。頑張ろう、とか、負けないで、とか言われているけど、それって他人に負けないで、一滴でも多くのガソリンを勝ち取ることを頑張るっていう解釈ではないはずだと思う。少なくとも。こういうこととは別に、「がんばる」「まけない」ってあんまり言いたくないと思っている。普通に呼吸をするように、呼吸の延長に歌があるように、そんなふうでいいんじゃないかな。少なくとも、他人を押しのけてまで、勝ちあがろうとするくらいなら。もう少し粛々と歩きます、自分は。アイク・ケベック/春の如くジャズなんか聴きながらね……
2011年03月23日
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土曜日、仕事で津波の被害が甚大だった宮古市に行った。106号線はまずまず順調なドライブ。時折出くわす106急行(バス)は乗車率100%、人が詰まっている感が漂っている。そして、自衛隊の皆さまお疲れ様です。道の駅でトイレ待っている間も凛とした佇まい。こういう方々が現地に派遣されていること。勇ましく、頼もしい。肝心の用件は、恐ろしいほどあっさりクリア。最悪の想定もしていたが、最善の結果であった。その後少しだけ市内を走った。街の真ん中に漁船があったり、空き地に軽自動車がつぶれてひっくり返っていたり、家に軽トラックが立てかけてあったり、2階建ての酒屋さんの1階が消えてなくなってたり、市役所の1階と2階がズタズタになっていたり……。映画とかで観る、「破壊された町」というのがどれほどリアリティに欠いているか、そして、今までテレビや新聞で観てきた、「被災地」がどれほど遠い国や町の出来事だったかということが、生の宮古市の風景は痛いほど突きつけてくる。信号が点灯しないどころか、あらぬ方向を向いて、完全に死んでしまった交差点を仕切っていたのは、静岡県警の警察官のようだった。後輪にチェーンを巻いたパトカーの備えにジーンときた。ありがとうございます。夜は電車で盛岡に行きカムオンの「夜会」に参加。地震があってから、職場以外で人に会うのが実は初めて。メールやブログなどでたくさんの人とやり取りをして、孤独感がどれほど緩和されていたかしみじみ思う。やはりまだ忙しい感じの方もいて、なかなか全員集合という訳にはいかなかったが、でもたくさんの人に会えてよかった。歌声カフェなのか、グダグダな飲み会なのか、境界線は極めて曖昧なうちに夜は更けていった。結局夜は盛岡市内の某ホテルに宿泊。震災の影響で、アメニティがそろってなかったり、朝食会場が違ったりして、当初の料金より若干値引きされていた。余震の影響もあって、ホテル側も、避難路等ピリピリした様子もみられた。こっちは、雨露しのいで寝れればいいというアタマなので、そんなに深く考えもせず、さっさと眠りについた。日曜日は、盛岡市内をうろついた。フェザンは徐々に回復。というか、フェザンで関心あるのは3階ぐらい。うーむ。開運橋のたもとから、大通りの各交差点では、高校生や大学生が義援金の募金活動を行なっていた。ただ、この姿には何か違和感を覚えずにいられない。なんだろう。確かに彼らは「自分たちが何者で」「何のためにお金を集めて」「どういうルートで用いる」ということを、目に見える形で示していなかった。子どもが「お願いします」と頭を下げれば、大人は寄付するのだろうか。もっとも、頼まれもしないのに現地に出向く迷惑な「自分探しボランティア」なんかされるよりはよっぽどマシなんだけど、なにかもっといいことにエネルギーを燃やせないものかと考えさせられたのは事実。或いは、テレビのワイドショーが震災の事を語らなくなった時が来ても、募金活動を続け、被災者の声や被災地の現状を的確に伝えてくれる活動をしてくれていたら納得するかな。中三も見ていく。爆発の衝撃で膨らんだままのシャッターは、そのまま晒されていた。てっきりシートとかかぶせるものと思っていたけど。記念撮影している父子もいた。物好きというかなんというか。そんなこんなの1日。帰路の電車では、黒工房で一緒に粘土やっている大きなAさんと偶然一緒になった。工房は、割とライフラインが強固で、生活に著しく大きな支障はなかったみたい。とはいえ、みんなガソリンなくて工房に行けないでいるので、先生そのうち干上がるなという見込み。行かなくちゃ。花巻駅に着くと雨。迷わずタクシーに乗る私は傘がない。うぅ……。でもこの1週間たくさん歩いて気持ちいい。その割にお通じよくないのががっかりなんですけど!!
2011年03月22日
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これ、今朝の某スタンド。「緊急車両」でないのに並んでる人たちがいるようです。「緊急車両」の解釈もさまざま。残念ながら私の車は緊急車両ではないので、私は並んだり現在ガソリンを欲することを慎みたいと思います。電車通勤も楽しいものです。健康的だし。若い同僚と話していて、ある瞬間に気持ちが切れて、給油をあきらめたというところで共感しました。そう。ふっきれることが大事。油のためにあがくのは、渋滞でほかの人に迷惑だし、それこそ緊急車両の邪魔ですのでやめた方がいいんじゃないかと思いますよ。電車を降りてアパートまでの道が、今日は少し暗かった。店じまい早いんじゃない?節電もいいけど、いつもならもう少しあかるいはずの道が暗いと、少しさみしくなりますね。今日で地震から1週間。亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。そんなことをとりとめもなく。明日急に宮古に行くことになりマスタ。リアル被災地。ドキドキです。
2011年03月18日
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(↑これ、今朝!もう3月なのに、しかもGS並んでるし……)プロ野球の開幕戦、パ・リーグは延期、セ・リーグはそのままの開催で、2年ぶりの同日開催は残念ながらなくなってしまった。セ・パ両リーグが足並みをそろえるという意味で、玄人プロ野球ファンの多くが待ち望んだ同時開幕。その2週間前に日本列島を襲った大地震。という経過の中で、被災地宮城を本拠地とする楽天をはじめとするパ各球団が延期という意向を示したのは妥当な判断だったと思われるが、“ファンに勇気を与える”などという実体のない理由で、25日開幕をごり押ししたセ・リーグの姿勢に疑問を感じた方も多いのではないだろうか。この謎を解くカギは、言わずと知れた巨人にある。そもそも1934年、大リーグ選抜チーム招聘にあたって、大日本東京野球倶楽部を母体として、のちの読売ジャイアンツを創設した正力松太郎。彼は、1956年、国の原子力計画の推進のために設立された原子力委員会の初代委員長を務め、「原子力の父」とも言われている。つまり、「大地震」「津波」「原発」の3点セットで成り立つこの度の大震災の影響によってプロ野球ができなくなるというのは、優秀な3男がいきなりやさぐれて、もともと遊んでばかりの長男をぼこぼこにするという図式で、正力家の醜い兄弟げんかのようなものだと言えるのである。したがって、巨人側としては、プロ野球をしっかり開幕することで、大正力の面目を保ちたいというのが本音。ここに、巨人戦におんぶだっこのセ・リーグ5球団が同調したというのが、分離開催の真相。すでに選手会からは反発の声が上がっているが、2004年のプロ野球再編騒動の時に、ストライキを試みた選手会に対して、「たかが選手」発言で大ヒンシュクのナベツネも、今回はおとなしくしているものと見られ、動向は予断を許さない。ただ、被災地の哀しみや、ファンの熱い思いがまた踏みにじられていくのは間違いない。独りでしょうもないことを考えていたのを、こんな風に文章に起こしてみました。B級週刊誌に載ってそうな感じに……。あと、江夏豊氏がツイッタ―で、「被災地の子供とキャッチボールしてくれと言われた」と、やる気満々でした。うーむ、今の子供は、江夏と聞いてわかるのだろうか。怖い顔のおじさんとキャッチボールできるのだろうか……。ぶっちゃけもう少し若いOBや、現役選手じゃだめなのかなと。その代り、江夏氏には、もっと共感できる世代と「21球」のキャッチボールをして欲しい。困難を克服する力をもらえそうだから。古葉立ち合いで、サプライズゲストは北別府!雪ヒドイ朝でした。長靴で通勤です。ゴム長。あぁ、ダンディズムもへったくれもないわ(涙)
2011年03月17日
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3月13日は勤務。本体の入所施設で宿直の日だった。起床後、風呂に入った。何日ぶりだろう。ずいぶん久しぶりの気がする。余震のせいもあって、寝たのか寝てないのかいまいち判別しない感じだったので、よく目が覚める。「きき湯」がさらに気持ちいい。1回の出勤で2日分稼げるので、ガソリンがやばい身にはありがたいシフト(笑)。我が家を出て最初の信号で引っかかった。2日ぶりの赤信号。赤信号なのに嬉しい。松園町から浅沢に向かい4号に出ようとするが、浅沢の信号機が消えたままだった。案外停電エリアがまだ広いことをそこで痛感する。念のため4号沿いのGSにあたりをつけてみることにするが、どこも並んでいる上に「売り切れ」の貼り紙。一瞬でも並びながら、油が手に入らない事を悲しみ、大切な人どころか、大切でもない人にすら会いに行けない事を憂う。そして、4号沿いには、外壁が崩落している建物もいくつかあった。職場に着くと、やはり電気はまだ通っておらず、ボイラーがいかれた影響で、給湯どころか、給水まで止まってしまっているらしい。真っ暗だ。ただ、花巻市内の復旧状況もあったため、楽観視。施設はまずまず表向きは平和っぽい感じ。利用者は、多少のストレスは感じているものの、状況を察して、節度ある振る舞いがあって、嬉しいし、助かる。ありがたい。昼過ぎに福島市の友人から電話。励まし合う。また、西宮の富塚氏からもメール。心づかいの一言に感激する。そんなこんなで職場でも、日没前に夕食をとり、日没とともに眠りにつく、そんな暮らしだった。ろうそくの明かりで日誌とかの書き物。パソコンが使えないので、作業量も自ずと限り。とほほ。22:30ころ電力が復旧。毎夜の電力復旧。もういいよ……日付けが変わると一気に徒労感が押し寄せてきて、読書もはかどらず、自意識では起きているのか寝ているのかすらも判別できないような状態に陥った。14日朝。目が覚めると、携帯に、岩手日報の記者Sさんからメールが届いていた。おととしの暮れに「人」欄に載せてもらった時の記者さんで、今は大船渡支局にいて、安否が気遣われていたのだが、とりあえず無事のよう。とはいえ、「支局もつぶれちゃいました」「二階の窓枠にしがみついて助かりました」の言が重い。それでも、無事だったことがうれしい。一方で午前中、中三爆発の知らせ。傷口に塩を擦り込むような出来事に哀しくなる。あ、福島原発も爆発。ほんと神も仏もないものか。帰宅後、近所のスーパーまで歩く。乾物類は全滅。おばさんが憤慨していた。怒っても解決しない。ぜいたくを言わなければ、そんなに食べ物に困らない。野菜類を少々。生のラーメンを少々。コーラとコーヒーも。また、薬王堂ではラ王が売ってあった。遅めのランチも近所のラーメン屋で腹いっぱい食べた。おそらく外食産業系はこれから材料・燃料が先細りしていくに違いないので、今のうちに旨い物を食べられるだけ食べておこうという魂胆。帰りには近所のケーキ屋でも散財。満腹。日没後、エロキモさんからメール。震源地から比較的遠かった彼は、給油も滞りなくできているらしい。くそッ!昨朝のやるせなさが募る。前の晩もろくに眠れなかった疲れに任せて、さっさと眠りについた。15日朝、5:00に起きる。のろのろ近所のJAのスタンドまで行こうとして見たが、すでに数100メートルの渋滞。これでは、スタンドにたどり着くまでにガス欠必至とあきらめ帰る。当面、安定したガソリンの供給が得られるまでは、自家用車の使用をしないことにする。明日の出勤は徒歩だなと覚悟を決める。大丈夫、前の日に以前美術館から逃げ出して本体施設に歩いて帰ったことがある利用者に所用時間は教えてもらったから(ニヤリ)。午前中近所のセブンイレブンに行きお金降ろす。ついでにフライドチキンも買う。肉♪肉♪~薬王堂にも寄る。1人1つ限定で菓子パンを売ってた。1人いくつとかって制限があるものを買ったのは、もしかしてビックリマンチョコ以来かも(汗)そのパンは、★パンという会社。昔の職場で、そこの工場に行って、廃棄のパンをもらったのを、家畜の餌にしていた。あんまり食べたことなかったし、あんまりおいしくなかったけど、そうも言っていられないんだ。PM東北本線盛岡~花巻間開通の知らせ。通勤の肉体負担が幾分緩和(嬉)。あとは、シフト次第な所をどうするか……。いじれそうな人がいたら相談しよう。夕方黒工房にも電話つながる。割れ物だらけで先生すごく滅入っている。ただ、幸い?私の作品はほぼ大きな破損なく無事に焼きあがっていたらしい。他の皆さんすみません。電車とメールなどで徐々に人とのつながりが実感できるようになってきている。たとえ地球上のガソリンが枯渇したって、大切な誰かとつながっている。その希望は失わずにいたい。で、今日は初めての電車通勤。とはいえ、電車に乗ってたのは片道10分。あと1時間ほどの徒歩。とほほ。帰路は花巻駅から我が家までタクシー乗っちゃいました。だって雪降ってるんだもの!!明日からはちゃんと歩きます。あと、大船渡のN村氏の生存が確認されたようだ。これまた一安心。
2011年03月16日
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(↑写真は浄土ヶ浜(宮古市)。去年の夏に撮影)3月11日から、今までのことを、忘れてしまわないように、書き残しておこうと思う。11日は金曜日。その日は、勤務先の美術館で仕事をしていた。たまたま運よく利用者を本体施設に送る業務からは外れることができて、ちょっとウホウホの午後、岩手日報による企画展の取材があって、その対応が終わって、私は書類のプリントアウトをしようと思ったところだった。ピピピピ……という聴き慣れない電子音が鳴って、なんだろうと思ってたら、近くにいた利用者のCさんが、「もっちさんの電話が地震だっていってるよ」と。昨年暮れに買い替えたばかりの携帯電話。私はいつもマナーモードにしていて、着信音すらろくに聴いたことがないので、そもそも音が出るはずがない。おととい(9日)の釜石沖地震の時には鳴らなかった。でも、auとかで地震を知らせる機能有ったなぁ……。ということで、去年東京で会議があったときに、そういう場面に遭遇した……。なんてことを思っていると、揺れた。大きな力に建物が揺すられている感じだった。そりゃそうだ。地震なんだもの。でも普段感じている地震がけいれん程度なら、今回の地震はメトロノームの針先にでもいるかのような振られ具合。すげースイング感。とりあえず同じ部屋にいた利用者8人に向かって叫ぶ「机の下!」。私の剣幕に気圧されて、彼らは目を丸くしながら揺れる床面を這いつくばるように机の下に入る。揺れは収まらず、彼らはまだかといった面持ちで机から出てこようとするため、私はそこに目を光らせ「まだ」と叫び続けた。そういう私自身が机の下に入らないんだから、そりゃ彼等だって大丈夫なんじゃないかと思うわな。やがて、棚の書類やファイルは床に散乱し、立てかけてあったすべてのものが倒れ、蛍光灯のカバーが落下し、天井板も一部が破損し、室内は埃だらけになり、口の中はジョリジョリした感触だらけになった。あとは建物が倒壊しないことを祈るしかなかった。すぐそこに非常口があるのだが、随分遠く感じられた。いったいどれほど揺れただろうか、やがて揺れはおさまり、床面は様々なものが散らかって、全く見えなくなったまずは屋外へ出なくては。隣室のメンバーの無事も確認し、それぞれ外に出ることにした。下駄箱も倒れ、外套も見当たらない状況だったが、余震の恐れもあるため、ぜいたくは言えない。ぐずる方もいたが、命の方が大事だ。外へと促す。結局、メンバーは施設の方へ戻ることにし、残された私と何人かのスタッフで、館内の後始末をすることになったが、いかんせん電気も途絶え、寒く、暗くなった室内、頻繁にくる余震といった状況では作業がはかどるはずもなく、私の車で暖を取りつつラジオで情報の収集などして過ごした。そのころはまだ、そのうち電気が復旧して、館内が片付けばすぐに元の日常に戻れると思っていた。9日の地震では、驚くほどスピーディーに情報を得られたツイッタ―を今回も頼ったが、あまりの地震の大きさゆえか、あまり欲しい情報はなかった。あげく9日の地震で私がつぶやいた「田野畑村震度2」に食いついてくる輩や、デマとその応酬にあけくれる輩もいて、案外あてにならないものだなと。そのあたりはまたいずれ。かといって、iモードもたかが知れている。ラジオはうわごとのように大きな地震がありましたとしか言わないし。結局その日は17時ころに解散となり、私は近隣に住む職員1人を今で送ってから家路についた。信号が止まったせいで、渋滞する道をのろのろ帰る。真っ暗な私の部屋は、やはり凄惨な状況になっているようだったが、とりあえず直視しようとはしないで、寝床の確保にあたった。電気はだめだが、水道とガスは生きていた。給湯はだめ。夜8時、車で高校時代の担任がやっているコンビニに行った。とりあえず無事っぽい。店内は酒瓶が倒れて割れた影響で酒臭かった。100円のスナック菓子をいくつか。真っ暗な店内で手に取る。電池も、何もなかった。あとは、車内でいくらか充電した携帯の電池を振り絞って、何人かの人にメールで無事を伝えた。それすらもなかなか行き届きにくくはあったが。携帯がこと切れると、もはや何時かもわからなくなるのに任せて、眠りについた。余震のせいであまり深くは眠れなかった。12日の朝を迎えた。この日は、地震がなければ、紫波の工房に行って、陶の作品が焼きあがったのを回収するはずだったが、おそらく粉々だっただろうなと思う。なんといっても、我が家がそういう状態だから。生きものっぽい作りにしてしまうと、割れた時に、哀しさが募る。無機な器を作ってればよかったのかと悩む。一方で180cmの書棚上から落下したにもかかわらず無傷だった子もいて、奇跡に感謝する。結局どこにも行けず、寒くて暗い部屋の中で毛布がお友達状態で過ごした。明るくなって、充電器が見つかったので、携帯が一時的に復活した。群馬に住む友人から電話。今まで見えなかったさまざまな状態が伝わってきた。日本で過去最大、世界で5番目(のちに4番目)に大きい地震と聞いて、笑ってしまった。あはは。そんなタフな地震で生き延びて、これからどうしろというのだ。夕方明るいうちに近所を車で流す。ガソリンスタンドは閉じている。給油不可能。ガソリン残量は心細い。明日の通勤に陰り。夕方16:30日没前まだ明るいうちに摂った夕食はうちにあったスープとどん兵衛で。電気が通えば、すこしは光がさすはず。19:00、花巻市の時報のチャイム「星めぐりの歌」が聴こえた。真っ暗な夜空に響く、希望の音色。盛岡や北上で電気が徐々に復旧しているという報せもあった。やがて、携帯の再充電もこと切れ、完全な闇と静寂の中に身をゆだねた。夜11時ちょっと前に、電話機の間抜けな電子音が鳴って、電気が開通した。蛍光灯に明かりが灯る以上に、心に光がさす。唯一、世間と自分とをつなぐ架け橋の携帯電話にも充電する。その間にも寄せられていたメールとつぶやきに感謝する。(つづく)
2011年03月15日
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おかげさまでなんとか生きていました。 ただ室内真っ暗でなにも見えません(涙) しかも恥ずかしいことに、こういう日に限って財布とガソリンがすっからかん!!仕事帰りに補充する気でいたけど、叶わぬ夢となりました…… 国内最大の地震だったにも関わらず、命あることに感謝しつつ、もっとひどい被害に遭われた方の無事を祈ります。
2011年03月11日
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ゆれましたね~9日11:45ころ岩手県内大地震でした。我が家は、陶のモノたちがふれあうカチカチの音が響き渡り、私は生きた心地がしなかった(涙)とりあえず、重心が上の方にあるバランス悪い子たちに目を光らす。余震があったにもかかわらず、pmは盛岡。久々のギャラリー彩園子では、「遊遊辛家展」。父と息子娘の展覧会。いいですね~家族で展覧会。もっち家は、父は何もつくらないし、祖父母は短歌俳句を詠むだけだし、亡き母とは芸風がかなり異なるし。従弟の嫁さんに頼んでみようかな……ってそういうことでもないし。あ、この方が遠い親戚ということが先日判明したっけ……。冗談はともかく、盛岡ではなかなか見ない画風。すごく新鮮。作り手の力であると同時に、岩手や盛岡には、こういう作品の描き方を教えてくれる人(先生)がいないうえ、それがあたかも当然のこととして横たわっていることに、一抹の寂しさも感じた。すごく透明度が高くて、水質汚濁もない井の中の蛙的な……。続いて芸美卒展。いわゆる岩手大学ですな。今年は全体的にすっきりな印象。彫塑がいない。絵画が少ない。版画が多い。というような学生のラインナップが、会場のレイアウトにも微妙な化学反応をもたらしている。まあ1つの展覧会を観るというときに、この光景は悪くはない。以前だと大体1人か2人(ほぼ1人)突出した力のある作品を出す人がいて、会場の磁場を微妙にしてくれているんだけど、そういう現象はなくなっている。良いんだか悪いんだかは何とも言えないけど。また、われわれの業界に関心がある学生も少なからずおり(但し、教育学部である以上、“特別支援学校における美術教育”という切り口になりがちなんだけど)、知らない学生に声をかけられて長話になったりして、それも初めての現象ではあった。最後に石井県令邸。三浦さんの修了制作展。個人的には2階にあった澤谷さんの陶立体に関心あり。いい形だと思う。ちょっとちがうかもしれなんだけど、透明ナマコとかに刺激をうけて、ああいう形をモノにしたいと思ってた時期があったなぁ。と、心の中で、自分の夢を勝手に人に託す。夜はカムオンに先日の写真を届けつつ、ちいさなアルバムも補充。細川さんとおっしゃる方の高次元写真展やってんので、よかったらどうぞ。わたくしの低次元写真もどこかにひっそりありますんで、見つけても、破いたり燃やしたりしないでね。
2011年03月09日
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午前中黒工房で釉薬がけ。黄いらぼが濃厚に出ますように!1%銅にも期待、でも私はあんまり銅系とは相性良くないんだよなぁ……大丈夫かな?あとはろくろもまわしていく。高さを求めて。それしか求めていない。あんまり作為的でも嘘くさいが、何も考えなさすぎなのもどうかと思うときもある。午後、初めてニトリに入ってみた。へぇ~、こんなんなってるんだ。とか。
2011年03月07日
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堂場瞬一のシリーズものの中では王道といっても過言ではない2つのシリーズをようやく読了。刑事・鳴沢了シリーズと、警視庁失踪課・高城賢吾シリーズ。それぞれ魅力的な主人公を中心に、あるときはじっくりと、そしてあるときは激しく発生する事件と捜査と解決のスペクタクル。堂場瞬一の作品は、きわめてテレビ的なストーリーが流れていて、読了後には一定量のカタルシスが安定的に供給される仕組みが出来上がっている。これは内田康夫では考えられない現象。その中でも「久遠」の終幕は最高だった。長瀬の存在がベタベタでありながら、祝福に満ちた痛快な読後感をもたらしてくれる。また、鳴沢シリーズが、主人公の強烈なパーソナリティにけん引されていったのに対し、高城シリーズは、チームとしての機能美が読みごたえを誘う。よろしかったらどうぞ~。【送料無料】雪虫鳴沢デビュー。【送料無料】孤狼これも面白い。【送料無料】久遠(上)【送料無料】久遠(下)鳴沢感動のフィニッシュ!【送料無料】蝕罪高城デビュー。【送料無料】漂泊鳴沢の存在が少しほのめかされて嬉しくなる。【送料無料】裂壊阿比留失踪!大変なことに【送料無料】波紋全てはここから始まる?高城最新作!オプションで検事・城戸南も要チェック!【送料無料】神の領域
2011年03月04日
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エスポワールに「嶋屋基子・橋場あや展」を観に行く。『2人展をしましょう』と橋場さんが言い出したくせに、あとでハシゴを外すという恒例のシナリオに、相方がどう反応するかというあたりが、橋場あやさん絡みの2人展の正しい見方であると認識していたのだが、そういう点でいくと、会場との相性とかも含まれるのだろうが、嶋屋さんの作品は、1つも臆するところなく、別のハシゴでさらなる高みを求める感じがしていていつもとはちょっと違う響き合いだったように感じる。実際、こういう力強い書の作品って最近あんまり観てないなと思わされるほど、力強い画面が印象的だった。橋場さんとも久しぶりに歓談。「遊具」「遊び」について、あれこれ。遊びって思うようにはいかない事の方が多い。底にどう絡まっていくかっていくのはすごく難しい。そんなこととかをグダグダ。でも、ほんと久しぶり。出会ったころは長話が止まらない2人だったのに、別に僕らの間になにか深い亀裂や感情のしこりが生じた訳でもないのに。またこういう時間を欲しいと思う。エスポワールは7日まで。その後、勧められて教育会館4階のギャラリーでやっている「現在展」も覗いていく。あとは、寒かったので帰路についた。温かかったら、献血してたかもね。これ、セブンイレブンで売っていたの。「チーズ蒸しパン」「ふんわりチーズ蒸しケーキ」。どう違うのでしょうかね。同じものに見えますが……。賞味期限順に頂いてます。
2011年03月03日
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1日展示替え。るんびにい美術館では、明日から4月12日まで、「一灯窯春一番/ルンビニック・アーツ@きらら」展が始まります。いわゆる内輪の展覧会なのですが、まあおもろいような、どんなもんでしょうかね。粘土の作品は、それぞれ味わいあるなと内輪なんでそんな感想ですみません。よろしかったらどうぞ。思ったより早く終わった展示の後、北上に走る。修理に出した外付けハードディスクが帰ってきた!1~2週間かかるとかいわれたけど、4日で帰ってきた!10000円ぐらいといわれたが、7000円で済んだ!そして無事に動いている!!ヤマダ電機ありがとー!軽くて耐衝撃!手軽に使えるポータブルハードディスク!I・O DATA/アイ・オー・データ HDPSK-U320 耐衝撃ポータブルハードディスク 320GB ホワイト USB2.0/1.1対応 ※エコパッケージ(茶箱)【送料無料】耐衝撃設計を採用したUSB2.0対応ポータブルHDDユニット(500GB/ホワイト)IODATA アイ・オー・データ HDPS-U500【smtb-u】
2011年03月02日
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今日から3月。pmケンビ。アートフェスタいわて2010が開催中。いろんなジャンル、にぎやかな展示。ほんとフェスタだね。楽しい気持ちになる展示室入口に藤沢町の人の陶作品があったのは、何か異端なものを追い出されたような嫌な感じは否めなかった。できれば展示室内で観たかったなぁという思いも。2階常設展は宗教をテーマにした展示。特に感慨はなく。それとは別に熊谷登久平の「千厩警察署」があったのが、嬉しかった。その後はカムオンであれこれ作業。ちゃんとコーヒーも頼む。早めに。ちょっと前の話だが、京都大学などの入試で、インターネットの掲示板を使ったカンニングが発生した。一方、大学生がバスを横転させる事故もあって、入学したらしたで大変なのにな~などと思ったりもしたんだけど、そもそもカンニング事件に関して思ったのは、「目的」と「手段」の相関について。「京大合格」という目的のためにネットを使ったカンニングという手段は、足がつきうる(現にこうしてばれている)という点で稚拙ではなかったか。もっとばれない狡猾な手段でカンニングするくらいの知恵がないと、京大の門は開かないのでは?と考える。もし、カンニングさんの目的が別な何かで、その手段としてのネット掲示板でのカンニングだとしたら。そして、今彼(あるいは彼女)が、この行為の成果を喜んでいるのだとしたら、その目的が何であるのかは大いに気になるなぁ。同じことを大相撲の八百長問題に当てはめて考えてみる。7勝7敗力士が、地位保全のために八百長を申し込む。或いは、金銭を受け取ることと引き換えにわざと負ける力士もいる。薄っぺらい目的のために、せこいことしようとしているから、みっともないと思われている。もっとも、相撲って単純にスポーツとか格闘技っていうことだけで割り切れない「神事」でもあるので、ガチンコがすべて正しいこととも思わない。大体にして、元祖八百長のプロレスにしても、本来八百長がいけないことなのではなく、興行のボルテージを高めるために必要なストーリーを編み上げているという認識で考えていきたいと思っているのだが、現場でシナリオ通りにやっているといえばそれまでなんだろうけど、そもそもそのシナリオ自体が薄っぺらいので共感できない事の方が多いし。まだまだ答えの出ない問いが続く感じではある。うちの近くのローソンがなくなっていた。改装してまたローソンとしてやり直すのか、ご近所にあったサンクスのようにお好み焼きの店に化けるのか、いずれコンビニ激戦区と思ってたこの通りも、セブンイレブン独り勝ちの様相。うーむ。
2011年03月01日
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