北 の 狼

北 の 狼

May 28, 2005
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2002年、アメリカ、クリスチャン・デュゲイ監督、ロバート・カーライル、ピーター・オトゥール。


「歴史」の”再”評価というのは難しいものです。
「歴史」を「事実」の積み重ねを基にして解釈や評価そして価値を形成していく作業とするならば、そもそも客観(真実)としての「事実」なるものの存在が疑わしいのです。ポストモダンの最大の功績は、このニーチェの洞察(「客観なぞ存在しない!」)に現代的な光をあてたことです。
客観としての「事実」が存在しない以上、客観としての「歴史」も存在しえないことになります。

では、客観としての「事実」や「歴史」が存在しないのであれば、「事実」や「歴史」について語ることに意味がないのでしょうか?

もちろん、そのようなことはありません。
”事実”や”歴史”として、人間は「事実」を求め「歴史」について語る(言葉として社会に発する)ことを続けてきました。この営みは人間の<生>にとって本質的ですし、そうせざるを得ない理由があるのです。
現在、無数の人間がネットに参加し個人ブログが存在しますが、それも同じ理由によると思います。

「事実」や「歴史」に限らず、語るという営みは、人間にとって二つの契機をもたらします(以下、竹田青嗣氏の『近代哲学再考』を参考として)。


2) この「自己確信」が、独我のうちで自閉し絶対化されることなく、つねに他者による普遍化という検証を受け、たゆむことなく鍛え上げられれてゆく。

確かに、客観(真理)としての「事実」や「歴史」は存在しえません。
しかし、上の二つの契機が常に担保される場合に限って、人は語られる内容について「客観的に正しい」=「共通了解が成立する」と判断しえるのであり、また理想(=ほんとう)を希求する人間の<自由>に現実的な命を吹き込むことができるのです。


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



ヒットラー



上で述べた「1)」や「2)」が担保されることなく、人間をして「正しい」と思わせる手法がプロパガンダというものです。
そして、ヒットラーというのは、このプロパガンダの天才だったわけです。彼は『我が闘争』で以下のように述べています。


=====================

○ 集会で演説し自分の才能に気づく
わたしは30分話をした。そして、わたしが以前から、よくわからないが、ただ内心で感じていただけのことが、今や現実によって証明された。わたしは演説ができたのだ。30分後、小さな部屋に集まった人々は深く感動させられたのである。

○ 大衆へのプロパガンダについて
いかなる宣伝も大衆の好まれるものでなければならず、その知的水準は宣伝の対象相手となる大衆のうちの最低レベルの人々が理解できるように調整されねばならない。それだけでなく、獲得すべき大衆の数が多くなるにつれ、宣伝の純粋の知的程度はますます低く抑えねばならない。



大衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮でなく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決めるという、女性的な素質と態度の持ち主である。だが、この感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものなのだ。そこには、物事の差異を識別するのではなく、肯定か否定か、愛か憎しみか、正義か悪か、真実か嘘かだけが存在するのであり、半分は正しく、半分は違うなどということは決してあり得ないのである。

○ 宣伝の効果について
この世界における最も偉大な変革は、決してガチョウの羽ペンでは導かれなかった。宗教的・政治的たぐいの偉大な歴史的雪崩をひきおこした力は、大昔から語られる言葉の魔力であった。

○ 指導者の資質について
偉大な理論家が偉大な指導者であることは稀で、むしろ扇動者の方が指導者に向いているだろう。指導者であるということは大衆を動かしうるということだからである。


立派な演説家は---文筆家が常に弁論術を練習しない限り---立派な文筆家が演説する以上にうまく書くことができる。

○ 知性と感情
一定の傾向をもった書物は、たいていは以前からこの傾向に属している人が読むだけである。

ここでは人間はもはや知性を働かせる必要はない。眺めたり、せいぜいまったく短い文章を読んだりすることで満足している。それゆえ、多くのものは、相当に長い文章を読むよりも、むしろ具体的な表現を受け入れる用意ができているのである。

誤った概念や良からぬ知識と言うものは、啓蒙にすることによって除去することができる。だが、感情からする反抗は断じてできない。ただ、神秘的な力に訴えることだけが、ここでは効果があるのである。

○ 演説について
同じ講演、同じ演説家、同じ演題でも午前10時と午後3時や晩とでは、その効果は全く異なっている。良く知られている大演説家の演説もただちに印刷されるてのを見ると、往々にして幻滅を感じる、とそこで確認されてもいるのである。

ロイド・ジョージが、その天才において優れているのは、演説において民衆の心を自分に向って開き、ついに民衆を完全に自分の思うままに動かした、その形式や表現に示されている。その言葉の質朴さ、その表現の形式の独創性、さらにわかりやすい最も簡単な例を用いることこそ、このイギリス人のすぐれた政治能力があることを示す。

民衆に対する政治家の演説というものは、わたしは大学教授に与える印象によって計るのではなく、民衆に及ぼす効果によって計るのである。

=====================


ヒットラーは、このようにプロパガンダの意味や効用を深く理解していたわけです。その彼が自らの技術や能力を駆使して権力の座に就いたわけですが、彼の政治活動の根本モチーフは、ドイツ国家主義、アーリア人至上主義、そして反ユダヤ主義です。
民族主義に基づいて対外的な戦争を引き起こし、反ユダヤ主義に基いて「民族浄化」を行ったわけですが、両者の根底にあるのがアーリア人至上主義という構造ですね。


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


さて、TV映画『ヒットラー』ですが、この作品は、ナチスが最大政党となり、「全権委任法」によってヒットラーが独裁的権力を奪取する1933年頃までを描いています。ヒットラーのどういう面に注目しているかというと、主としてプロパガンダ(演説、弁舌)能力ですね。
彼の演説風景は、『我が闘争』で述べられているポイントをよくおさえたものになっています。
同じことを何度も繰り返す、リズム感、熱意、緊張感、単純明快、断固とした調子、結論から述べる、大衆の欲望を的確な言葉で代弁する、等々。
第一次大戦の敗北後という不遇、それに追い討ちをかけた世界大恐慌という状況下にあって、ヒットラーはドイツ国民の不満というエネルギーを上手く吸収して自らの支持に結びつけることに成功しました。

ここで、映画から感じたことをひとつ付け加えるとすれば、ヒットラーは決して嘘をついていないということですね。
彼がユダヤ人の悪口を言うのは、彼自身心底からユダヤ人を憎んでいるからです。隣国や政権に対する不満を述べる場合も同様で、単なる政治的駆け引きとしてそれらを非難しているわけではありません。彼はそういう心情を自らの政治運動の糧とするとともに、その心情を臆面もなく吐露することにより大衆との間に共鳴感、すなわち「共通了解」の念を喚起こしていったわけです。
その際、大衆の側には上述の「1)」や「2)」の契機は決して訪れませんでした。なぜなら、ヒットラーの手法は一方的な主張の垂れ流しであり、大衆には対話の機会、すなわち大衆自らがヒットラーに対して言葉を発する機会がなかったからです。大衆は、彼の言葉に納得するか、でなければ反抗して弾圧されるしかなかったわけです。


ヒットラーの演説にはある種の狂気が宿ります。しかし、他方で(嘘をついてないという)彼なりの誠実さと(行動を予感させる)ヴァイタリティを感じさせます。ロバート・カーライルは、この狂気、誠実さ、ヴァイタリティを見事な演技で表現していますね。
彼の言葉を理解するためには、聴衆は少し狂わないといけません。そうすると、彼の言葉には心に染みわたる魔力があることが分かります。
少しも狂うことができなかった人間は、彼のことを一蹴しその場から去りました。
しかし、当時の人々に鬱積していた不遇なドイツという心情は、少し狂うことによってもたらされる”心地よさ”に徐々に感化されエスカレートしていったのでした。


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇





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Last updated  May 30, 2005 12:45:55 AM
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