2011年02月26日
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                        百人一首な日々を送っている。


                        どっぷり・・・


                        先週は、別の案件も抱えて、

                        結構いっぱいいっぱいだったけど、

                        百人一首と言う息抜きがあって、

                        なんとか1週間を乗り切ることができた。


                        ま、これからの1週間も先週とは違う忙しさだけど、

                        気の張りようは全然違うから、まあ、ちょっと余裕ができた。




                        競技カルタをするほどってことは無い。

                        ただ、百人一首を選んだ時の藤原定家の心持ちとか、

                        そういうことに興味があって、

                        先週も、息を止めて仕事をするような忙しさの中で、

                        あれこれ歌人についてとか、勉強していた。


                        勉強と言っても、ウィキを読んでいるだけなんで、

                        まあ、気楽な息抜きなんだけど。


                        その中で、元々の小倉山荘の色紙和歌と

                        現在流布している百人一首と、

                        元にあったであろう定家の選歌の百人秀歌と、

                        そんなことを考えていた。



                        定家と後鳥羽院と順徳院とを入れるために、

                        元の撰から外れた三人が居る。

                        その人たちのことを気にしたことは無かった。

                        今回初めて、その差し替えによってもれた中に、



                        その「定子中宮さん」の後拾遺和歌集に採られていた?歌、

                        実は相聞の形式なんだけど、

                        そのことを習った日のことなどを思い出した。


                        「定子中宮さん」と言うのは、

                        私が京都女子大学で学んだ藤本先生のお言葉だった。

                        私は、子供の頃から清少納言の枕草子が好きで、

                        大学では枕草子を研究したいと思って、大学を選んだ。

                        しかし、肝心の藤本先生はたった1年だけ教えてくださって、

                        定年で退官してしまわれた。

                        そこから、私のゼミ選びの迷走が始まったのだった。


                        大好きな枕草子はまたいつか書くとして、

                        定子中宮さんの御歌は、

                        夜もすがら 契りしことを 忘れずは

                           恋ひむ涙の 色ぞゆかしき


                        相聞の対を成す「一条天皇はん」の御製は

                        野辺までに 心一つは 通へども

                           我がみゆきとは しらずやあるらむ


                        定子中宮さんの歌は、今はの際の歌で、

                        一条天皇はんの歌は野辺送りの日の雪を見ての歌だと、

                        そう習った。。。


                        歴史に翻弄された二人、

                        哀しくも美しく聡明な妻だった定子と

                        外戚藤原道長への憚りと、母詮子への憚りから                        

                        為す術も無く悲痛愛惜の涙を流すばかりだった夫、

                        一条天皇・・・


                        ほかの百人一首の歌に比べて、

                        余りにも定子中宮さんの御歌はリアリティーがある。

                        入っていたなら、きっと、それはそれで、

                        百人一首の調和を維持できなかったかもしれない。


                        撰歌人と撰歌の意識、並び順の意味、

                        百人一首は本当に奥深い・・・


                        江戸時代の女子往来物と呼ばれる読み物に、

                        共通の教養としての百人一首が採られていて、

                        その今から2百年以上前の絵入りの本がまた楽しい。


                        表紙の貼り重ねられた反古を丁寧に剥がしていくと、

                        江戸時代の様々な人の筆跡の残る和紙の断片が読める。

                        面白すぎて、一日が27時間くらいないと、

                        睡眠不足になってしまう・・・


                        やれやれ・・・ちょっと寝なきゃな時間である。









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最終更新日  2011年02月27日 00時20分08秒
コメント(10) | コメントを書く


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Re:ちょっと百人一首な日々・・・(02/26)  
百人一首の差し替え、知りませんでした。テイカカズラを追って、式子内親王のお墓を訪ねて京都まで行ったことがありますが、定子中宮さんは定家とは親しくなかったということなんでしょうか? (2011年02月27日 06時13分45秒)

Re:ちょっと百人一首な日々・・・(02/26)  
kororin912  さん
百人一首は、この冬に、ちょっとだけやりました。

大学の時は、百人一首よりも、「万葉集」とか「古今和歌集」とかに興味を持って、読んでいました。

大学一年の時は、平家物語を、崩し字で書かれた文章で読んだのが印象に残っています。
それからは、古文書を何とか読んでいましたけど、もう忘れたなぁ・・・

(2011年02月27日 08時14分27秒)

ドクターへ・・・  
小芋さん  さん
そうですね、時代的に、ずれもあるから・・・

定子中宮さんが亡くなりはったのは、御年25の暮れのこと。

三人目の子どもの出産の際でした。

野辺送りの日に、急に雪になって、

それを一条天皇はん(その頃21歳そこそこ?)が、

深雪と行幸とを掛けて詠まれています。

二人はいつまでも恋人同士のような夫婦やったんですよ。

周りが困惑するくらい、一条天皇はんは、定子中宮はんを愛してはって。

亡くなりはったときには、もう、道長の娘彰子が入内していて、

中宮は彰子に、定子さんは、中宮の身分を奪われて、形式だけの皇后に。

せやのに、一条天皇はんは、定子さんばかり愛しはるから、

有形無形の圧力はすごいものやったんです・・・

式子内親王さんは、天下の大魔王後白河法皇の御娘、

我が父親の引き起こす際限ない動乱の中で、苦悩の一生を送りはった・・・

百人一首を編んだ藤原定家の生きた時代は、方丈記の時代でもあり、

当に源平の合戦、鎌倉幕府の成立、源氏の滅亡、承久の変、

天変地変疫病の流行も相次いで、大混乱の日本でしたもの・・・ (2011年02月27日 13時51分16秒)

yumiさんに・・・  
小芋さん  さん
私は大学の頃、変体仮名の授業で、百人一首の解説を読みました。

もう一つは好色五人女だったんで、訳本があったけど、

百人一首の解説は、訳本がないので、自分で調べて詠みました。

あの頃のテキスト、今もあるはず・・・
(2011年02月27日 13時53分27秒)

Re:ちょっと百人一首な日々・・・(02/26)  
jun2912  さん
こどものころ 冬になると 母と姉と3人で
百人一首とりで 夜が更けるまで遊んだものでした。

母が ほほを染めながら 意味を教えてくれたりして・・・
恋という言葉を 感じた始まりのような気がします。 (2011年02月27日 22時07分38秒)

junさんは、どの歌が好きでしたか?  
小芋さん  さん
私は子供の頃は、玉の緒絶えなば絶えねながらへば・・・が好きだったけど。

今は、
忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな

定子中宮さんのお母さん、儀同三司母のも、いいなぁって


また、
世の中は常にもがもな 渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも

源実朝のもいいなぁと・・・

それぞれの歌人を代表する歌が必ずしも取られてはいないところが、

面白いところですね。

俊恵法師や、源三位入道などは、それぞれに自分の表歌を自分で言ってるのに、

完全に違う歌ですからね・・・

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今一度の逢ふこともがな

なんて、すごい歌ですね。。。奥深い世界・・・ (2011年02月28日 01時38分21秒)

Re:ちょっと百人一首な日々・・・(02/26)  
mikokitten  さん
おおお・・・ひゃくにんいっしゅ・・・
中学までの国語で習った分だけならなんとか。
高校では、1年生の1学期に挫折して
「古文なんて外国語だ(泣)」って感じでした。

良い先生に出会えて、一度でも面白いと感じてたら
もうちょっと古文を楽しめてたのかも。

センター試験の国語の80分の時間配分は、
現代文60分(満点狙い)、
古文5分(もはや手のつけようがない)、
漢文15分(ニュアンスだけはかろうじてつかめる)
でした。
(2011年02月28日 23時40分59秒)

mikokittenさんへ  
小芋さん  さん
現代文で満点が狙えるのなら、

古文もニュアンスでいけたんじゃないですかね・・・

私は、共通一次さえも知らない世代ですが、

娘のセンター対策はどうだったんでしょうかね。

国語に関しては公文式だけで二次試験まで大丈夫でしたよ。

百人一首は、大好きなんですよ。

それに、大人になったら、子供の時にはわからない情緒がわかって、

もっともっと楽しめますよ。

一番大事なことは、坊主めくりをしっかりやることですね。

それで、絵札の登場人物とお友達になることです。

段付とか、坊主とか、姫とか・・・段付の姫とかね・・・
(2011年03月01日 12時11分38秒)

ちょっと 干し芋な日々  
jun2912  さん
丸ごと干し芋を いただいたのです♪
友人のご実家では、この時期しかつくらないとか・・・
美味しい☆ なんて美味しいの!

百人一首の中で 好きなのは・・・

☆ あひみての 後の心に くらぶれば
           むかしは物を 思はざりけり

☆ もろともに あはれと思へ 山桜
           花よりほかに 知る人もなし

☆ 月見れば 千千に物こそ かなしけれ
           我が身ひとつの 秋にはあらねど (2011年03月02日 07時59分36秒)

干し芋の季節かぁ・・・  
小芋さん  さん
大学の寮では、日本各地の美味しいものが、

しかも、地元でだけ消費されてるようなものが、

食べられました・・・干し芋は、確か静岡県の子が持ち込んだ記憶が。

成型して細長くなっているものと、平べったくスライスしたものと。

寮ではオーブンなんてありませんから、

ひたすらむしゃむしゃやってましたが、

オーブントースターで軽く炙ると、また格別の甘さ・・・


私の好きな歌、どれも思いいれが深くなってきて・・・

ちょっと好きなのは・・・選べるんだけどね・・・

長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝は物をこそ思へ

忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな

世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも (2011年03月03日 00時07分37秒)

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