2011年08月07日
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                       版木は、江戸時代のものを用いているか、その模刻品

                       白黒の版画に手で彩色するのは、安価なカルタでは少なくない。

                       安価とは言っても、このカルタは豪華複製品だし、

                       文字も全て読み札も取り札も手書きである。


                       彩色は丁寧で、同じ版の江戸時代のものに比べて高級感が漂う。

                       ちなみに当時の売価は、拾伍圓

                       漆塗りの箱に入っていて、そこにシールで!値段が。。。


普通の天智天皇持統天皇親子




                        主役は姫であり、中でも持統天皇は破格の扱いである。

                        長く宝冠などついていなかったが、

                        おそらくは、天皇家の神格化が進んで、

                        他の女性との差を際立たせるために、

                        へんてこりんな宝冠をあれこれ工夫したものだ。

                        孝謙天皇あたりの図を見つけてきて、まねたものだろう。

                        ちなみに、yumiさんの指摘どおり、

                        本来の持統天皇の時代は、中国風の衣裳を身につけていたはずだ。

                        後日、その絵を載せようと思う。                    

これも天智天皇と宝冠つき持統天皇の親子


                        「段つき」と言う言葉をご存知だろうか?




                        他にも色々な遊びの中で、段つきと言うのは、

                        皇族の下の豪華な段のことを指している。

                        OO天皇とか、OO院(院は引退した天皇=上皇や、国母)

                        OO親王(これは男子)、OO内親王(これは女子)

                        以上のような人につく特別な敷物のことだと考えてもらうと・・・


段つきじゃない天智天皇と持統天皇親子

                        天皇家の権威は、実は、無いに等しい時代が長かった。

                        摂関政治・院政の時代は、まだしも天皇家の権威を前提にしていた。

                        しかし、院政の末期、保元・平治の両乱から

                        源平の合戦を経て、鎌倉に武士の幕府が成立すると、

                        天皇家の権威を認めない時代が始まる。


                        源頼朝の死後、二代・三代で、あっけなく途切れようとした源氏の幕府。

                        その混乱に乗じて、天皇親政を再現しようとしたのが、

                        99番の後鳥羽院と、100番のその息子の順徳院である。

                        天皇家が反乱を起こすという前代未聞の承久の変は、

                        あっけなく敗れて、中心となった後鳥羽院は遠く隠岐の島に配流。

                        親孝行な順徳院も佐渡へと配流となった。

                        で、「段つき」に戻ると、江戸時代には、

                        天皇家に対する敬意は、少なくとも明治や第二次大戦前の昭和なんかとは

                        比較にならないくらい軽かったし、

                        明治天皇もすごい耐乏生活を明治になるまではしていた。

                        だから、段のつくかつかないかの判断が、いい加減な時代があった。

                        元良親王は、親王だが、任天堂のカルタでさえ、

                        昭和の中ごろの大改定まで段が無かった。

                        そして、祐子内親王家の紀伊と言う女房は、

                        その大改定までは、なんと、段つきだった。

                        大きな大間違いが定着していたのだ。


                        それが、上のようなとんでもないカルタもあったのだ。

                        誰にも、段がついていない、無礼千万な、四民平等カルタ。

                        実は他にも何種類か違うカルタでも、段の無いのを持っている。



                        次のカルタの天皇の顔は、あらゆる私のカルタの中で、特異である。

                        モンゴロイドの顔をしていない、コーカソイド系の美男子である。

                        持統天皇も可愛い。

                        とてもあんな権力闘争に明け暮れた血なまぐさい女性とは思えない。            


美男子天智天皇と可愛い持統天皇

                        戦時色が濃くなると、天皇家は、いきなり軍神みたいになる。


いかつい天智天皇と持統天皇と取り札


                        ちょっとアップにしてみよう。                        


色違いのいかつい二人



                        これは、かなり地味な色目になった頃のカルタだ。

                        しかしまだ、宝冠がついている。


色が地味ながら持統天皇の宝冠は立派


                        次ぎは上のカルタの色違いだが、宝冠はついていない。

                        これは、戦後か?それとも、宝冠が着く前のものか?

上の色違いで、派手だけど、宝冠なし


                        明治の終りから大正にかけての変わったカルタ。

反則じゃなくて、販促品の豪華カルタ

                        一枚一枚に販促の証拠に商品名が印刷してある。

                        豪華な解説本もついていて、

                        明治の終りから大正にかけてのものと知れる。

                        「新都の花」と言う「おしろい」の販促品である。

                        製作は、松井號。

箱も豪華な販促品・明治の終わりごろのもの





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最終更新日  2011年08月07日 13時42分59秒
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