2024年07月15日
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結構強めに祈ったせいで、夜は寝つきが悪かったし、寒くて、途中で何度か目覚めた。

でも、まあ、朝起きたら、山陽新幹線は大丈夫だったし、
九州新幹線も、鹿児島・熊本間を避けて、運行したので、ほぼ、こだまもさくらも定時運行だった。

午前中に妹に言われて、12時半に迎えに来て、テープ止めの紙おむつを買いに行くとのことで、
その時間までにすべてをまとめて、一緒に積み込んで、
病院から新幹線の駅に直行ってことで。。。

姪の、パソコン問題を解決すべく、もう一度念押しに、ラインして、
援助金を受け取りにこさせた。

大きな買い物だから、慎重なのはいいけど、機会損失になるし、って話をして、


私の妹は、自分の上の娘とは、距離がある。
二人目の子を死産した時、原因だったのが、この上の子の夜泣きとかアトピー悪化とかだったと。
しかも、その死産した子は、男の子だったからなぁ。
上の子は、もう、ぐいぐい生きていくタイプだから、
高校時代から、好きなように生きていて、好きなように生きられる術がある。

下の子は、中学までは、あんなにちゃきちゃきしたドラム叩く日常だったのに、
高校1年生ででメンタルを潰した時から、母親との距離を埋められずに生きている。
だから、ちょうど人生の半分は、キラキラしてて、残り半分は、クログロしている。

人間て、こんなに変わるんだなぁと、かわいそうになる。

知的にも下の子の方が高いのは明らかなのに、
だから、高校も県のトップ校にすいっと合格したのに、


妹も、妹の主人も、この子の心をはかりかねている。
大学でやり直すチャンスがあったのに、
入学直後のオリエンテーションの大事な時期に、インフルエンザに罹患して、
あらゆることが遅れて始まった。
インフルエンザになったのも、妹と二人で、甲子園球場に野球観戦に行ったから。

思い返せば、あの時に、もっと強く妹に介入すべきだったかなぁ。

我が家で看病してくれないかと言うから、教員二人働いてる家に馬鹿ですか!って
そもそも、どうやって連れてくるの???って

そんなの、上の子のアパートもあるし、ホテルを借りても良いんだし、
なんで、自分が来て、それをしないの?って思ったんだよ。

だから、あの時に、もっと介入しておけば、良かったかなぁと、反省する。

こじれるだけこじれて、くじけるだけくじけて、大学生活が4年間。
何もできないまま、就職活動もせず、卒論どころか単位も危ないってことを、
親として、知らなかったって、秋になって言うから。
それも、就職活動しないなら、大学院に行かせないとまずいと言って、
大学院を考えろって話を妹にして、それを妹がやっと大学のアドバイザーに話したところで、
単位不足&卒業危機ってわかって。

本当に、こちらがくじけそうだったけど、この親子は、会話をしないのか???って
最終的に、ギリギリ卒業はできたけど、4月から九州の専門学校に行くことに決めて、
そこに突っ込んだものの、就職とか、人生とか、結局深掘りしない2年間で、終わった。

だから、就職先も適当に選んで、後悔してたし、どんどん深みにはまっていく。
コロナで、休職し、コロナで失職した体になってるけど、それは、表面上だ。

30歳にして、やっとこの夏からエアコンをつけてもらった子供部屋。
上の子は、18歳から出て行ったままの、時折帰ってくるけど・・・な相部屋だ。

私や母とは、闊達に話すのに、自分の親とは肝心なことろではぐらかしあって、探り合いをしている。
どうすんだよ???


そんなことを思いながら、まあ、この夏も半分過ぎた。


私は、上の子の進路選びでは、大学を探すときに、
学科、コース、取得可能資格、卒業後の進路まで考えて、広く選べるようにした。
結果的に、合格や不合格を経験して、私の後輩になったけれども。

下の子の進路選びは、取り敢えず、彼女の高校と、折り合いをつけながら、
高校を卒業できるように、意欲がわくようにと思って、
偏差値と合格しやすさと、その後の進学を前提にいくつか提示した中で、彼女と母親で選んだ。
大学には取り敢えず入っておけば、その後は、大学院でデザインしなおせることを知っていたから。
授業に出てないとか、引きこもってしまってるとか、想定外もいいところだ。
なんで、保護者会も開かれてるのに、情報交換しないんだよ!って、後で、思った。

まあ、手遅れって感じだけどね。
妹も、妹の旦那さんも、優秀で、躓きがなかったせいで、想定できないんだよね。
で、上の子の時も、結局は、最初に落ちた大学に再挑戦で合格して、就職試験も一発で通って・・・
だから、下の子の15歳からの躓きを想定できなかった。

大学選びは、学部・学科・コース・専攻、選考方法に至るまで、私の範疇だけど、
そもそもの高校選びを失敗したのは、中学教員だった妹夫婦の範疇だろう。。。
その後のケアができていなかったことを、ちょうど15年かけて、反省してるんだ。

でも、もう、今回は、直接介入することにした。
これ以上放置しておくと、パソコンの寿命が切れる。
今が、介入しやすい適期だと判断した。
物理的・心理的・経済的・諸般の事情を考えて、下した。

次の15年がたてば、45歳。
今しかないだろうと思っている。
ちょうど、母のこともあって、会う機会も多いだろうし。
したいこと、したくないこと、しっかり聞いて、最善手を打ちたい。

取り敢えずは、精神的な余裕を彼女が持つための、経済的余裕を、今は支援する。


さて、母は、今日は、自分で足の曲げ伸ばしができるようになっていた。
ベッドの操作も、もっと自分ですべき。
私が初日に持ち込んだ昭和歌謡の本は、妹が、母の頭の体操にって言って、使ってくれている。
歌詞の一部を提示することで、続きや、曲名を言い当てる。

メールも、今日は、少し早かったけど、短いメールを打ってきた。
そうやって、できることをもとに戻していかないと、ダメなんだ。
「痛いんや」その通りだから、安静にするのは、痛みに直接かかわる部位だけ。
それ以外は、動かし、使っていかないと、廃用症候群だ。

父は、抗って、抗って、抗って、必死で、生きようとしていた。
だから、あんな体になっても、84歳間近まで生きられた。

母には、生きてもらわないといけない。
父があれほど嫌がっていた施設暮らしを受け入れたのは、母の体重が28キロと聞いた時だった。
自分の負担を減らさないといけないと、父は理解したのだ。
だから、母には生きてもらいたい。
母と妹とで、清明だった父を、施設に送り込んだんだし。
母が、生きられる限りは、ちゃんと生きて、
少なくとも96歳だった祖母よりは長生きして、もらわないと。

私は、母に限界まで頑張って生き通してもらうことが、施設で死んだ父への供養だと思っている。
父のために、母の自宅復帰を支援する。
母が清明である限りは、自宅で支援を受けながら生きてほしい。
もう判断が危ういとなったら、妹の望む施設に、入れれば良いのだ。

母は、一昨日、私と妹の前で、若山牧水の歌集を見て研究したいと言った。
たくさんの詩人の詩を朗誦した。
是非、実現させたい。





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最終更新日  2024年07月15日 23時27分30秒
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