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2月の半ばに 誕生日を迎え、めでたいとは思っていないけどめでたく75歳になった。
永いね 。七十五年だもんね。考えてみれば生まれた年は太平洋戦争が終わって5年後。
それでも戦後のベビーブームには含まれていない生まれ年。小学校に上がる頃には『戦後は終わった』って言われていたけどね。
1960年の『日米新安全保障条約』の時は学校で意味も分からず「安保反対!」って叫びながらテレビで見たデモ隊を真似て校庭を隊列組んで練り歩いていたね。なんも分かってなかったんだね。
中学3年生の時、内閣総理大臣佐藤栄作氏が日本国国民である事を身分保証したパスポートならぬ紙の身分証明書を持って、今はなき「関西汽船」で中•高校生の少年団員と引率の先生方総勢12名は航海訓練を目的とし復帰前の「南西諸島•沖縄」へ出掛けた。
航海訓練は名目だけで正真正銘の物見遊山だったけどね。
現地通貨は米ドル。
お小遣いは20米ドルまでと団から決められ、聖徳太子7枚と板垣退助2枚の計7,200円と身分証明書を持って銀行へ両替に出掛けた。
令和6年の消費者物価指数が4.6倍だから7,200円は33,120円。旅費の15,000円はなんと69,000円。 計102,120円!!。今更ながら親父がよく出してくれたものだ。感謝!!。
で、航海中に関西汽船の計らいで操舵室や機関室等を見学しお座なりながら航海訓練も終えて、無事真夏の沖縄は那覇港に上陸した。
沖縄の現地滞在は4日間 。
沖縄は思っていた以上に暑く、まだ車にクーラーなど無い時代だからマイクロバスの窓は全開で宿舎に向かう。
国道沿いの米軍キャンプやハイツは芝が一面に敷き詰められ、その向こうのコバルトブルーの海に波がキラキラと輝いて見えた。
いいなぁ、ハワイもこんなかなぁ。
1961年、寿屋(サントリー)の『トリスを飲んでハワイに行こう』というキャンペーンがあった。
1等(100名)の賞品が『ハワイ旅行積立預金証書』で当時海外旅行は自由化されていなかったから、自由化になったらハワイに連れて行くよって約束手形。1964年4月に海外旅行が自由化されて4月18日にめでたく当選者はハワイに旅立ったけど出掛けたのはたった4人。
えっ?。
100人じゃないの??。
実は大半の当選者は「ハワイ旅行or現金40万円」の選択肢があって‥そりゃそうだよね。
4.6倍してみたら‥‥ね。
で、我々の航海訓練はと言うと、海外旅行自由化に伴って実施された所謂ひとつのイベントに過ぎなかったわけ。
沖縄での日程は南部観光。北部観光。国際通りとデパート『リウボウ』での買い物。
当時の『リウボウ』は那覇市内で民間の建物としては最も高く4階建て(現在は10階建て)。4日間のうち遊び呆けて3日間を過ごし、最終日。航海訓練(名目だけどね)の主目的となった那覇高校と首里高校との交換会が開かれた。
那覇高校•首里高校共に生徒会会長、副会長等、両校の生徒代表がズラリと出席し、日米地位協定や沖縄復帰問題、島民の就職や生活等、切実な話題が次々飛び出し、物見遊山とは程遠い空気に一同身の置き場がなかった。
何んも考えずに沖縄に出掛け、同じ年代の彼らが真剣に考え、悩み続けている事に気付かず、共感も出来ず、ただウロが来て背筋を正して聞き入るだけが精一杯だった。 情けなかった。
戦後は終わったって?。 何処がだよ?
翌年、本土(変な言い方だね)の大学に入学した那覇高校の卒業生から長い手紙を貰った。
本土での生活を知ったが為に沖縄が置かれている現実が前にも増して辛いと書かれていた。
60年も前の話し。
でも、本土に復帰したとはいえ沖縄は相変わらず地位協定に占領されているんだよね。
日本国内に米軍基地は何ヶ所あるか?。日米安保条約に基づき、専用施設、共同使用、一時使用施設合わせると130ヶ所。
一方、自衛隊の基地は160ヶ所。
この数字、なんか変だよね。でも日本は軍隊を持たない国だから守ってもらってるんだろうね。
そんなもんかねぇ‥。
いつもの事ながら、爺ィの世迷言‥ご容赦あれ。