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IFJTにて、R.先生の講義、第4回。 「オノリーヌ Honorine」と「鍋 La Marmite」の解説。 この日は、比較的講義のメモを取っていたので、それを少々加工してここへUPしようと思う。 ・『にんじん』は、断片的に戯曲のような文章スタイルになることがある。「オノリーヌ」の部分などは、その代表的なものであろう。しかし、ト書きなどはなく、細かい場景ははっきりとわからない。・Pocket版の注にもあるように、ルナールの『Les cloportes』の中に、オノリーヌが川へ洗濯に行って突然死する場面がある。川は土地の低い部分を流れているので、洗濯の帰り道は必然的に上り坂である。また、洗濯物も非常に重い状態。肉体に負担がかかって、パタリと死ぬことは十分に考えられる。・『にんじん』が書かれた頃は、女中さんを雇うのがブルジョアにとってステイタス・シンボルであった。・田舎のブルジョアにとっては、オノリーヌのように力仕事のできる屈強な女中さんが望まれた。・屈強さが足りない女性は、パリのような都会に出て、都市型ブルジョアの家で肉体労働のない女中になることを夢見ていた。・にんじんの行動に、家族のヒーローとなろうとする努力が見え隠れする。 R.先生のご都合で学期中に休講がある関係から、この日は約30分の延長。 次回の講義は、11月4日(土)。
2006.10.28
アパレルのアニェスベーと雑誌のエスクァイアが組んで開催している写真展『Bande à Part』。先日観覧したのだが、大変良い展覧会であった。 ここに書きたいのは、その展覧会のことではない。この写真展の後のことである。 帰宅して、アニェスもアグネスも綴りが同じじゃないか?となぜかふと思い、「アグネス・ラム」をネットで検索。私ほどの世代にとっては、記憶に焼きついた豊満な肉体のグラビア・アイドル。ほぅほぅ。やはり綴りは同じであったか。アネェス・ラム、ってとこか… そのサイトをあれこれ見ていたら、往年のポルノ女優の写真なども出てきた。ふむふむ。アダルト・サイトへのリンクあり。ん、無料動画…面白そうじゃないか。無料だったら、見たいよなぁ。 いくつかのボタンをクリックするうちに、利用規定を書いた申し込み画面が登場。でも名前やクレジットカード番号を入れるところは全くなし。多少不審に思いながらも、これは無料動画を見るためのプロセスなんだろうな、と適当に判断して進む。 すると、突然「登録したため39,000円請求」という驚きの知らせが。しかも、エロっちいデザインの表示がデスクトップから消えない。 あちゃーっ!何にも見ていないのに、請求??とはいえ、こちらは申し込み画面を見た上で進んでいる。ヤバいんじゃ。 数分考える… 待てよ。請求は結構だが、払うか払わないかはこちらの意志次第、という考え方もできるじゃないか。前にもこの類の変な請求あったしな。あの時、無視しても何の支障もなかったし、支払いについては気にしないで放置しておこう。 さて困ったのは、熟女をモチーフにした、絶妙にエロっちいデスクトップの「39,000円請求」表示。この自宅PC、自分専用ではないし、これは消したい。ま、自分専用だとしても、消したい。何か、カッコ悪い。「請求表示を消したいからなんとかしてくれ」というメールを発送させるための罠でしかなのだろうけれど、思わずそうしたくなる… PCを1時間ほどいじっているうちに、その元凶らしきファイルを発見し、削除。あー、やっと元に戻った。 冷静になって考えてみると、実にうまい商売だと思う。 利用規定を読んだ上でクリック、という段階を経過させるため、引っ掛かった方は心理的に逃げにくい。これは支払うべきかもしれない、という気持ちになる。 39,000円という価格設定もいいところを突いている。極貧でもない限り、無理すれば払える金額。 さらに、39,000円で90日間エロ動画見放題という設定。一日あたり換算だと500円以下。ちょっと小遣いに余裕があるサラリーマンだったら、「たばこ2箱より安い」「お昼ご飯より安い」と納得してしまう可能性もある。厄介なトラブルを想像してヒヤヒヤするより、支払いを済ませてエロ動画を楽しむという消極的解決に向かうことも考えられる。 また、女性が引っ掛かるというのも考えられる。男性よりも、スンナリお金を払ってしまいやすいのでは。興味本位でちょっとだけ覗いてみたら、いきなり請求。一般的な女性は、こういう「ボッタクリ」的なものに相当慌てるはず。そしてあの請求表示は、女性には屈辱的にさえ見えるに違いない。罠にはまる確率は、男性より高そう。 などと考えつつ、最後に出てきた独り言。「いやぁ、実にウマい。あっぱれ。」
2006.10.27
IFJTにて、R.先生の講義、第3回。 「壺 Le Pot」と「苜蓿(うまごやし) La Luzerne」の解説。 この『にんじん』に限ったことではないのだが、講義の中で話されたことをしっかりと理解できていない。 そもそも、本であれ映画であれテレビであれ、さらには生身の人間であれ、対象が何であっても全部を吸収することが不可能なのは当たり前なのだが、これに仏語という要素が加わるために私の理解レベルは非常に低くなっている。 恐らく私の頭には、R.先生が講義で話していることのうち、1割程度しか入ってきていないだろう。 第一に、聴き取り能力の大幅な欠如。これで、まず半分は減量フィルターにかけられていると思う。 その次は、私の認識過程。周囲を見ていると、仏語に慣れている人は、ほぼ例外なく仏語でメモや記述を残している。私には、これが全然できない。日本語でしか、書けない。一度仏語で入ってきたものを、日本語に置き換えているわけである。ここに処理の時間と労力のフィルターが存在していることになり、情報量が減る。さらに半分、つまり当初の四分の一くらいになっているだろう。 追い討ちがかかる。私は仏語への熱意が低い。IFJTにはそれなりに長く通っているが、勉学・研究の場というより楽しみの場として利用している感が強い。また、フランスには行ったことがあるが、一過性の旅行で少々訪れたことがあるだけだ。つまり、私にとっては仏語=レジャーであって、生活のために必要不可欠なものではない。「わからなくても、ま、いいか」基本的に私のスタンスは、これだ。フィルターがもう一枚重ねられる。情報量は、またもや半分くらいに減るだろう。 0.5を3乗すると、0.125になる。1割程度…というのは、あながち外れていないだろう、と自分で思う。 エッセイは中断しよう。当日の講義でメモした事柄を、一つだけ。・「壺 Le Pot」に関して。就寝前に用心のため放尿しておくべきか否か、にんじんは大いに逡巡する。我慢をした挙句、寝室の暖炉に用を足してしまって、母親に激怒されたりする。これは、いわゆる「ビュリダンのロバ l'âne de Buridan」であろう。選択を迫られる事態に直面すると、その選択の行為自体を回避してしまい、悪い結果を招く…・(追記:ジャン・ビュリダン Jean Buridan自身がロバの話を作ったわけではない、というのが定説のようである。ビュリダンの理論を基にした、たとえ話らしい。) 次回の講義は、10月28日(土)。
2006.10.21
IFJTにて、R.先生の講義、第2回。 最初の「鶏 Les Poules」の解説からスタートした。 ふと思ったのだが、私が書いているこのシリーズは、≪講義ノート≫と呼べるようなものではない。説明の便宜上、そう呼んだり表記したりしているが、そもそも私の仏語聴き取り能力や知識ではR.先生の講義をきちんと理解できているはずがない。 この一連の日記は言わば、講義出席を題材にした私的メモであり、他人様にお見せするようなものではないと思う。 しかしながら私は、ここに記録を残しかつ公開する。その理由は、私のような者でも、何とか努力して外国の文学に親しもうとしている、ということを言いたいからだ。 では、なぜそんな努力をし、さらになぜこんな公言をしたがるのか?こうなると、もうわからない… 独り言はさておき、当日の講義で気になった事柄を何点か記す。・『にんじん』の各部分のタイトルには、le, la, les といった定冠詞が使われている。これらが付されることにより、【○○(一般)】というニュアンスが発生してくる。それは、≪ゲシュタルト=形態≫として表現されるとも言え、例えば日本人が漢字一文字を見たときに、そのモノ一般を想起する(例えば【車】という一文字を見たときに、特定の車のことを考えるのではなく、何となく【車(一般)】を想い描く)のと似ているだろう。・冒頭が「鶏」となっていることに、注目すべき。鶏には、【赤毛】のものもいる。狐(=Renard:ルナール/作者の名前)も【赤毛】である。そもそも鶏には狐がつきものであり、当然ながらにんじん(Poil de Carotte)も、【赤毛】である。・作中に、「on」を主語とした文章がところどころ見られる。この表現により、読者も作中に参加する感覚を呼び起こそうとしている。・『にんじん』が書かれた19世紀半ば頃は、「on」を主語とすることが、特に大人には好まれていなかった。・「鶏」の部分でにんじんは母親から、暗い庭を突っ切って行って鶏小屋を閉めるイヤな仕事を押し付けられる。しかし、それまで何の役目も与えられていなかったにんじんが成長したという意味でもある。・「犬 C'est le chien」に、ピラム Pyrameという名前の犬が出てくる。この名前は、ギリシャ神話にある、忠誠と貞節を賛美する物語『ピラムとティスベ』がベースになっていると考えられる。この『ピラムとティスベ』に出てくる男女は二人とも桑の木の元で自刃するが、その流血によって桑の実は血の色になった、というお話もある。・(追記:「Les Perdrix」は、仏和辞書によるとヤマウズラ。岸田訳の岩波文庫版では「鷓鴣(しゃこ)」となっている。私にはどちらもよくわからないが、個人的には小綬鶏(コジュケイ)に思えて仕方がない。実家ではコジッケイと呼んでいて、山林に入るとよく見かけた。飛んで逃げるのではなくて走って逃げる、どこかノロマな感じの鳥だったという記憶がある。) 次回の講義は、10月21日(土)。
2006.10.14
東京日仏学院(以下IFJTと略す)にて、R.先生の講義、第1回。 講義で使われるのは、Jule Renard 『Poil de Carotte』Pocket 1998。 個人的に邦訳も入手した。ルナアル作・岸田国士訳『にんじん』岩波文庫 1976年改訂。 初回の講義ということもあり、作者のルナールに関する話や、作品のタイトル・にんじん毛=赤毛に関する話が中心となった。以下、話題になった事柄についてメモにする。・『にんじん』は子供向けの作品ではない。・『にんじん』には、ヴァロトンの挿絵が入ったものが良く知られている。Pocket版には、挿絵がないのが残念。(追記:岩波文庫版にはヴァロトンの挿絵あり。)・赤毛はマージナルなキャラクターとして位置づけられることが多い。刻みつけれられたイメージ:stigmateとも言える。・『にんじん』はフランスでも非常に良く知られた文学作品。映画化もされている。ジュリアン・デュヴィヴィエが手がけた作品が知られているが、1970年代にフィリップ・ノワレが出演したテレビ映画もある。(追記:近年ではリシャール・ボーランジェ監督の『にんじん』もある。NHK・BS2で放映されたらしい。)・漫画家のジャン・クロード・メジエールによる、このようなパロディもある。・『にんじん』が書かれた頃(19世紀末~20世紀初頭)のフランスは、首都パリでさえ鄙びた環境: monde ruralであった。フランス各地で都市化が進むのは、1960年代になってからと言える。・ルナールが活躍していた頃は、舞台作品で成功を収めることが作家として評価される条件であった。・『にんじん』の冒頭は「鶏:Les poules」であるが、定冠詞 lesが付されていることに注目。既に話題に上ったもの・既知のものに関して使われるべき定冠詞がここにあることにより、鶏のいる鄙びた環境が当たり前のものとして存在する、ということを表現している。・最初に鶏が話題になるのは、作者の名前がルナール:狐だからである。狐は鶏を襲うものであり、鶏には狐が《つきもの》である。そうした洒落がここに込められている。 次回講義は、10月14日(土)。
2006.10.07
10年ほど前に知人から譲り受けた無印良品の自転車を、ずっと使っている。ひと月前くらいから、この前輪がシャリシャリと音を立てるようになった。 その原因は、わかっていた。車軸のベアリング部分が、グリス切れになっているのである。もう何年も雨ざらしに耐えてきた自転車である。そこらじゅうサビだらけ、見えない内部も油脂分が流されてカサカサになっているのは、想像に難くない。 ここ数日シャリシャリ音が大きくなってきて、あまりにも耳障りになってきた。 仕方がない…今日、近所のサイクルショップへ預けた。 1,050円の工賃で、グリスアップが完了。シャリシャリ音は消えた。 それにしても、メンテナンスらしいメンテナンスはこれが初めてだ。もちろん、チェーンやワイヤーへの給脂など細かい手入れは自分でしてきた。が、10年間ほぼ放置状態であったにも関わらず、きちんと走ってきた自転車というのは、かなり頑丈なものだと思う。 この自転車を譲り受けた時は、私はまだヤングな20代だったのか…いかんいかん。最近は、何かにつけてこればかり浮かんでくる…
2006.10.04
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