全87件 (87件中 1-50件目)
歌手本田美奈子さんがなくなってから一年が過ぎようとしている。彼女の死を知るまで、マリリンと云われたアイドル歌手しか知らなかった。彼女の死後、アメージング、・フレイスを聴いて感動した。「かつては私は失われ 今見いだされた 」 「(心が)盲目だったが 今は見える 」 そんな意味の歌詞が、心に浸み込むようであった。彼女は死んだが、彼女は永遠の命を得たと思っている。白血病の患者にとっても彼女は光明であり、彼女の死が社会的啓発となり、その難病に対する関心も高くなった。苦しむ患者への社会からの力も強まり、病気克服には大きな力となると思う。本田美奈子に関係する曲が発売されるらしい、と言う、ニュースに接したとき、或いは彼女が病床で歌ったのかと思ったりしてが、そうではなく、彼女が歌う予定の曲が、と言うことらしい。それでも、彼女の言葉が歌詞になり、歌詞の一部が彼女の言葉であるから、彼女の魂がよみがえるような気もする。自分と持ち続けた、アーチストの素晴らしさだろう。ビートルズ関係の曲が発売されるニュースもあったが、本田美奈子関係の曲は別の次元で、白血病との戦いに新たな勝利宣言を聞くかのような感覚である。蘇える本田美奈子との思いでニュースを聞いた。
2006.10.31
コメント(0)
文部科学省の大臣は、現場の責任論を展開しているようだが、それは当然としても、文部科学省にも責任はあるだろう、と思うのが大方の国民だ。。現在の大臣に責任などないけど、大臣は次々に変わってきたし、結局責任は官僚と言うことになるのか、それとも教育委員か、それとも文部科学大臣のおっしゃるとおり学校に、つまり校長にあるのだろうか。いじめによる自殺問題も、責任のなすりあいで、うやむやになっていくのだろう。「率直に言ってまことに責任感がない。 精神論だけで行かない現場は、 制度的に見直していかなければならに」伊吹大臣の怒りの弁だが、責任感のないのは誰か、いじめによる自殺での学校側の対応を見ていると、まことに責任感がないと思うのは、大臣だけでなく多くも国民もそうだろう。教育基本法云々の前に、たくさんやるべき事がありそうだが。などと、偉そう教育問題などを語ってみたい思いであるが、隣の婆ちゃんは、そんな事を考えても、腹は膨れんし、精神衛生上良くないと言う。なるほどそうだが、婆ちゃんはそうは言いながらも、「子供が自殺などは」と、言葉を飲んだ。婆ちゃんの飲み込んだ言葉は知らないが、愛国心の評価などにうつつを抜かす学校では、と、大臣の肩を持つような不思議な感覚になったが、結局、制度的な規制で自殺は無くならないだろうと、大臣に反論したくなる。婆ちゃんが言うように、精神衛生上よくない話である。
2006.10.31
コメント(0)
ワールドシリーズの優勝はカージナルスだ。日本人プレイヤーは田口だ。 田口がメジャーでプレーしている事自体が奇跡と思っていたが、 奇跡が奇跡を呼び優勝した。 田口が特別の活躍をしたように錯覚するが、 田口の働きは田口的であり、 それ以上でも以下でもない。田口は田口としての、限界のプレーをしてカージナルス優勝に貢献した。 ある意味では、イチローの200本安打よりも、貴重な働きかもしれない。それにしても、優勝パレードの田口は堂々とした、 メジャーのプレイヤーであり、 一回りもふた周りも大きく見えた。 監督が選手一人ずつ名前を呼んだ。 トップが田口だ。 その場面はいささか感動したが、 田口の姿が他の選手にかくれて見えなかったのは残念だ。 それにしても、田口は素晴らしい。 そのチャレンジ精神は、賞賛にあたしする。 限界への挑戦だと思う。 メジャー選手の肉体的限界は田口と思う。 しかし、 精神的には彼は一流のメジャー・プレイヤーだ。 おめでとう、田口選手。
2006.10.30
コメント(1)
晩秋。朝夕に冬の冷気が漂う正に晩秋である。秋は立秋から立冬までと歳時記的に考えると、立秋が8月8日ごろで、立冬が11月8日ごろらしいから、初秋、中秋(仲秋)と来て今は晩秋と言うことになる。 だからどうしてと言われても困るが、晩秋は紅葉だが、この地方の山々には紅葉の気配がない。長期予報は暖冬の予報のような気が舌が、この時期になって長期予報も変わったと隣の婆ちゃんが言う。なんと面白い事に、去年暖冬の予報が外れ、修正を余儀なくされた、気象庁も予報士たちも、長期予報は現在のところ暖冬の予想だと言っているらしい。現在のところであり、変わることも前提での予報は、ある種のユーモラスさえ感じるが、婆ちゃんから聞いた事で、直接聞いた事はない。天気予報を聞いていれば確かめる事もできるが、そんな事はどうでも良い事で、野菜作りの名人の婆ちゃんは、最近の予報は込み入って厭だと言う。何が込み入っているのか、婆ちゃんに確かめるわけにもいかず、謎としか言いようがない。婆ちゃんの謎は兎も角として、予報は外れるからいいのだ。そんな事は天気予報の常識だと承知の、婆ちゃんは空を見上げて当分雨は降らないと呟いた。
2006.10.30
コメント(0)
中学生や高校生の自殺が多すぎる。今までも少年少女の自殺は多かった。しかし、最近特に多くなったような気がする。また、今までの自殺の原因は多くの場合闇の中であった。多感な思春期の一過性の病だと思われる事が多かったような気がする。しかし、最近は遺書が残り、虐めによる自殺が明らかなっている。それでも、学校側は素直に虐めと認めようとはしないのは、学校の立場としては分かるような気もするが、それにしても、遺書がある以上は言い訳など考えないで、原因究明に励んで欲しいと思うのが人情である。ただ、学校側への同情も多々あるような気はするが、命の尊厳さ、命の絶対さの前には、何の論理も無と化すと言うことだ。学校は言い訳でそのときを乗り越えれば済むかもしれないが、苛められ自殺して命は生き返る事はないし、苛めた方は一生十字架を背負う事になる、と多くの人は思うし、教育評論家の先生も仰っている。また、問題の多すぎる過ぎる教育現場に何を求めてもしょうがないとも仰っている。勿論ちゃんとした学校が多いのは知っているし、ちゃんとした学校ではそんな問題は起きないとは知っているが、ちゃんとした学校も、何時変わるかもしれないし、今も変わりつつあり、またまた、若い命が失われるのではとの危惧はある訳である。遺書で名前を書かれた虐めの当事者は、これからの長い人生十字架を背負い続けるのだ。法的な裁きも社会的な戒めもない以上、罪の償いをしたとかの開放感さえないだろう。一生背負い続ける十字架はあまりにも重過ぎる。虐めの出発点は多くの場合大人社会だ。押し付けがましい協調性もそうだろう。
2006.10.30
コメント(1)
クラッカーが飛行機を止めたのは関西空港での出来事だった。航空機は9.11ニューヨーク同時多発テロ以後、航空機であると同時に空飛ぶ凶器と変わったようだ。アメリカの飛行場では、特別の警備体制で、時には異常なほど過敏な反応を示す事もあるが、日本では異常なと思えるほどの検査は、聞いた事がないが用心に越した事はない。修学旅行の高校生がクラッカーを飛行機に持ち込んだために、飛行機は離陸寸前にゲートに引き返した。再出発寸前にまたクラッカーだ。一度目の引き返しは安全上納得できるにしても、二度目は一体なんだったと、報道番組のコメンターは呆れ顔だ。一体なんのなんは、検査の不備をさし、航空会社の管理者への苦情であるが、それにしてもクラッカーもやはり火薬類には違いないが、危険性などないと思うのは、素人考えだろうか。飛行機の出発を遅らせてまで検査の必要があるのかは知らないが、悪戯でもなく、知らないで持ち込んだ高校生に責任はないだろう。クラッカーが武器になることはないだろう。確かにパンパンと爆薬の弾ける音に驚きはすが、それだけの事だ。それとも火薬を集めると破壊力のある爆薬になるのか?。定かでないが危険物ではないような気がする。何故複数の高校生がクラッカーを持って飛行機乗ったのかは、単なるの偶然の重さなりだろう。高校生のクラッカーのせいで、航空会社も警備会社もとんだ迷惑をこうむった。
2006.10.30
コメント(0)
フィギュアスケートは男女とも日本勢が大活躍だ。女性のフィギュアスケートは日本の三選手の活躍が目を見張るものがある。これまでは日本選手が技術的に優れても、表現力や芸術点では劣る事が多かった。特に肉体的な優劣はいかんともし難いと言った感じであった。しかし、昨今は日本選手の方が肉体的にも勝っている。ファッションモデル並みの選手の高い技術力での演技は、芸術的で表現力豊かである。今年特に成長が際立つのは安藤ミキだ。浅田兄弟も素晴らしいが、今年、安藤ミキだ。如何にも自信に満ちた安藤ミキの演技は、今までの安藤にはなかった芸術性を醸し出しているとは、或る評論家の言葉である。浅田真央は確かに天才だ。その演技は風のように滑らかでスマートである。フィギュアの妖精が乗り移った感さえある。しかし、完璧すぎて、無駄がなく、別世界の出来事のような感じがする。しかし、安藤ミキの演技は、あらゆる美の要素を、必死に取り入れた人間的な親しみを感じる演技だと、先の評論家先生は続けたが、何となく分かるような気がする。
2006.10.29
コメント(0)
老人ホームで余生を送るお婆ちゃんは、最近は殆ど寝たきり状態であった。お婆ちゃんのお容態が急変して危篤との知らせで老人ホームに向かう。山間部の夜間の運転は久しぶりである。道の様子は知り尽くしているが、対向車が大型トラックだと身の竦む思いがする。いつも思う事だが、道路はうまくできている。急カーブでも、どんな大きな車でも曲がれるように出来ている。逆に、事故の起きる場所決まっている。同じ場所で、同じような事故が何度でも繰りかえされる。病人は殆ど意識はないが容態は持ち直していた。暫らくすると瞼が微かに動く。声をかけると唇が動いたり指が動いたりと反応を示す。ヘルパーさんがかけつけた人達の名前を言うと、口元が動き、ありがとうの声が漏れる。いつも思う事だが、ヘルパーさんには感心させられる。寝たきりの老人たち、老人性痴呆症で我がままになった老人たちに、何度でも、何度でも、優しく話しかけ意思の疎通を図る。動く事もままならないでも、傍若無人ぶりを遺憾なく発揮する老人相手に、実に巧みに、実に要領よく、介護をこなしていく。女性の凄さと素晴らしさを認識するのが、ヘルパーさんと看護師の仕事を見た時である。何時でも思う事であるが、何故、看護婦ではいけないのだろうか。
2006.10.29
コメント(0)
地方紙の小さなコラムだ。ある人が自動販売機で何かを買うために千円札を差し込む。一度取り込まれた千円札は直ぐに押しだされる。誰でも一度や二度は経験したと思う出来事である。彼は千円札を何度も透かしてみる。特に変わったことはなさそうだし、偽札とも思えない。かといって販売機の故障とも思えない。今朝の新聞には北朝鮮の偽札造りの記事が載っていた。スーパーノートとかの説明を読んだばかりであった。彼は銀行に行って、調べてもらった。偽札ではなかった。銀行から差し出された新品の紙幣に重ねてみると、僅かに大きさが違う。小さい。完全に重なる事はない。しかし、銀行員は偽札ではないと言う。さてこれは言ったどういうことか。ピン札を自動販売機に差込み、目的を果たして家に帰ると、女房は不機嫌な顔で手を差し出した。ポケットに入れたまま洗濯した千円札を、干してあったが何処かに行ってしまった。連れ出したのは分かっているから返せと言う。千円札を連れ出すのは、亭主だけだ。成るほどと、紙幣も洗濯で縮むのかと、世紀の大発見をしたかのように説明しても、千円は返さなければ、女房は許してはくれない。それにしても、国が偽札作りとは凄い。スパーノートはノートパソコンの名称かと思ったり、新発売の軽自動車かと思ったりしてが、偽札作りの極意だったのだ。
2006.10.28
コメント(0)
健さんが文化功労者に選ばれた。そう、あの高倉健さんだ。日本人の男の理想像であり続けた健さんへの日本国からの賞状だ。もし、小泉総理大臣がまだ総理のいすに座っていたら、大げさな賛辞を送ったような気がする。そう、健さんはどんな大げさな賛辞を送ってもいいほどの、日本を代表する大スターだ。どうしても憲さんのイメージはやくざ映画のイメージと言う人は、それなりの年齢の人である。若い世代の健さんへのイメージは、「ぽっぽ屋」などで、特異な演技を見せる名優として健さんだろう。何度も主演男優賞に輝いている健さんが、国から表彰されるのだ。文化勲章はお馴染み瀬戸内寂聴さんである。やくざ映画の健さんのイメージが薄らいできたのだと一人合点して、健さんの文化功労所におめでとうと言いたい。日本を代表する偉大な映画俳優であり、その私生活はなぞであるが、多くを語らない寡黙な健さんは何時でも魅力的な映画を見さてくれた。もう、いくつになっただろうかと、長年健さんファンであった多くの人は思うだろう。しかし、これからも、健さんは若々しい姿でスクリーンに登場するだろう。
2006.10.28
コメント(0)
次々とでる必修科目未履修は377校とは、驚きを通り越してあきれたと言うのが多くの国民の声だろう。文部科学省は地方の教育委員会の責任だといっているが、はたして何処の責任かは知らないし、民主党の鳩山さんはとんでもないと怒ってもいたが、誰の責任であろうと、何処の責任であろうと、犠牲者は入試を控えた受験生である。その昔、何とか受験生と言う歌が流行していたが、何時の時代にも受験生は哀れであると、政府も教育委員会も学校も思っているかどうか。それでも、必修は必修であるから卒業も出来ないとなれば、補修を受けるより他はなく、受験生の受難は続くことになる。国が責任を取って、今年だけはもういいから個人で勉強するようにとの、特別処置をとってもよさそうだが。それにしても、世界史を学ばなくても、生きていく上に影響はないだろうが、世界に羽ばたく高校生には、必要だろうと関係のない門外漢でさえ思うのである。そんな事を書いていると、「河童の川流れは、、、、、、」とかのCMを思い出した。電子辞書のCMで田舎のお袋からの嘆きの手紙である。板前修業の若者は、お袋の手紙を真剣に読んでいる。朴訥としたおふくろの語りもいいが、無表情な若者もいい。彼はきっと電子辞書で勉強して、田舎の結婚式で堂々と祝辞をのべるだろう。全ての道はローマに通じる。若者のローマは何処だろう。
2006.10.27
コメント(0)
失神ゲームが流行っていると言う。流行っていると言うのが、どのくらいの規模かは知らないが、一部の地方の一部の中学校で、たまたま起きた事件のような気もしないではない。そう思って高校の教頭で定年退職し囲碁友達に聞いたら、何年か前に東京でも似たような事件があったと、知らせてきたが、詳しいことは、一手交えながらとの誘いだ。そんな事はどうでもいいが、流行云々は別にして、明らかないじめであり、許されざる暴力である。いや集団リンチである。埼玉の新座市の或る中学校での事件を、テレビで再現しているのを見ると、卑劣極まりないリンチだと再確認した。胸を叩き失神させて、意識が薄れていく感覚を楽しむと言うが、意識を失う感覚はやられた方しか確認できない。やったほうは記憶を失う相手を見て喜ぶだけである。となると、ゲーム感覚でやったとは言う弁解も、弁解になどなってはいない。意識を失った相手をけったり殴ったりする、精神構造はゲーム云々を超えた卑劣な犯罪行為だ。胸を圧迫して失神することがあるだろうか。思い浮かぶのは格闘技の技である。空手チョップや、ウエスタン・ラリアートなどであるが、それでも苦しんでも失神となるとどうだろう。意識を失うまではそれ相当の暴力量が必要な気がする。同級生を集団でトイレに押し込めて、失神するまで暴力を加え続けるのは常軌を逸している。中学生のする、いじめやゲームではないような気がする。
2006.10.27
コメント(0)
日本シリーズが終わり、スポーツ・イヤーの今年も終わったような感じがする。感じであって終わったわけではない。これからウインタースポーツは本番であり、世界バレーもある。それでも何か一区切りついたような気がするのは否めない。スポーツ選手にとって引退は大イベントである。いわゆる引き際の美学云々が言われるのが引退だ。サッカーの中田英寿の引退は衝撃的であった。ネット時代の魁でもあった中田英寿は、自らのサイトで全てを語った。彼の引退に対しては賛否両論あるが、中田英寿は何時でも多くの味方と同時に敵も持っていた。それは、天才的なプレーヤの宿命だと思うが、ある意味では衝動的な、それでいて煌びやかな引退だ。新庄の引退は中田とは対照的で、シーズンはじめに引退宣言し、多くのファンは長い時間、共に引退の日を見つめて歩いてきた。それは何時しか、自分のことのように、或いは、身近な人の引退のような錯覚すら覚えるようになった。新庄の引退をわがことのように思う多くのファンが札幌ドームに詰め掛けた。新しいタイプの引退セレモニーと言うことになるが、それは新庄だけ許されたセレモニーである。
2006.10.27
コメント(1)
優勝は北海道日本ハムファイターズだ。日本シリーズが新庄のためにあった。そんな感じのシリーズは、ホームグランドに帰り、勢いに乗った日本ハムが一気に決着を付けた。もし、名古屋に行くことになったら、勝敗の行方は中日に有利になる。と、ヒルマンは考えたのは当然であった。しかし、中日はエース川上が立ちはだかる。一点取るのさえ難しいと思われる気魄のピッチングだ。先制された五回、ワンアウト二塁の場面はセオリー通りのバントで、ワンアウト三塁になった、たまたま顔を出した隣のおばさんが、「バントだわね」と誰ともなく呟いた。まさか、と思ったがバントだった。それにしても、中日のエース川上投手の守備は見事と言うより、鬼気迫るものがあった。スクイズを決めたバッターも、川上、谷繁のバッテリーは、当にプロのプレーであった。短期決戦は流れに乗った方に一気に傾く。明と暗があきらかになり、やることなすことが明暗を分ける。と、解説者の言葉を借りるまでもなく、揺れる札幌ドームでの試合の流れは日本ハムだった。新庄が泣いた。テレビカメラは新庄を捉え続ける。誰が言ったか新庄劇場だ。シーズンはじめに引退宣言をし、シーズン中はまさか引退などしないだろうと、思われる活躍でチームはリーグ優勝をし、そして日本シリーズ第五戦は、多くのファンが新庄の最後の試合と、札幌ドームにつめかけた。新庄はインタビューで漫画だと言っていた。新庄は多くの発言をしてきた。時には妄想に近いことを、時には馬鹿馬鹿しいような発言をしてきた。自らを鼓舞するための発言は、自ら信じていたわけでもなく、他の人から笑われるのを覚悟の発言であった。発言がことごとく達成されたことが、漫画だと新庄は言う。漫画だ。ヒルマンも「シンジラレナイ」と言った。新庄もシンジラレナイ。だから漫画だ。しかし、漫画ではなく現実に、日本ハムは日本一に輝いた。新庄は様々なパフォーマンスで話題を提供してが、それをゆるし、協力した球団もまたMVPだ。
2006.10.26
コメント(1)
「日本の最悪の殺人鬼は何人の人間を殺しただろうか。 銃の乱射や毒薬やガスでの無差別殺人も含めての最悪最高の殺人者は誰だろうか」と、五年前まで地方公務員で、現在は土木作業員の友人からメールだ。彼は報道される犯罪者の多くの職業が、木作業員であるのにいささか疑問を持っている。何日か前に指名手配の犯人の職業が、土木作業員と言うことが納得できないと言っていた。犯罪者が土木作業員を隠れ蓑にしているだけであり、土木作業員が犯罪者ではなく、犯罪者が土木作業員になっただけだと言う。成るほどと言う思いもあるし、彼の論理は一理あるし、「都会的な感覚での土木作業員と、 地方都市の土木作業員は大きな違いがある」と言う彼の言葉も真実味がある。犯罪者は何処にもいるものであって、一つの職業に偏ることはないだろう。なるほど、土木作業員とか、元土木作業員とかの報道は多いが、気にすることもあるまいと言っても、土木作業員の彼は怒り気味である。怒りの直接の原因は、長野と愛知両県で四人の殺人を重ねていた殺人鬼が、更にもう一人の殺人を供述した新聞報道である。便宜上警察も報道機関も土木作業員と言っているのだとは、少々言いすぎだが、彼の言いうことも分かるような気もする。
2006.10.26
コメント(0)
日本シリーズは、日本ハムが第四戦に勝って大手をかけた。東海地方に住人は、当然中日ファンが多いわけで、東海地方の田舎でも、周りの人達は当然中日に応援するわけで、中日でも日本ハムでも勝った方に応援しようと、気楽に構えている当方としては、いささか気の引ける思いであった。朱に染まれば何とやらで、巨人ファンの同居人も、にわか中日ファンになった。今日は朝から日本ハムを食べることになった。美味しいハムの見分け方などと言うパンフレットまで用意されては、従う以外に道はない。日本ハムを何度も食べても、北海道のファンの熱気に押された日本ハムは勝利した。中日の敗因は早い冬の到来に抵抗するかのような北海道の熱気だ。俗に言う勝負に勝って相撲に負けた的な敗戦であるが、それは日本シリーズではどっちが勝っても同じことが言えるだろう。日本ハムの金村が札幌ドームのファンに謝罪し、全ての野球ファンに謝罪した。ヒルマン監督は金村を称え免罪符が降りた。金村は一皮向けて大きくなった。日本シリーズ第四戦は金村のための試合だった。と、言えない事もない。今日は後のない中日は総力戦であり、一気に勝負を決めたい日本ハムもまた総力戦だ。朝からハムを食べて、昼もハムを食べてを食べて、夕食にもう一度ハムを食べてのテレビ観戦だ。
2006.10.26
コメント(1)
「何故、僕はこの手紙を書いているのだろう。 君には絶対にこの手紙を読んで欲しくない。だって、 読むということは、僕が死んだと言うことなのだから。 君は愛がどういうもので、愛されると言うことがどういう気持ちになるか、 僕に教えてくれた。 いかに生き、ほんとうの幸せのためにはどうあるべきかを教えてくれた。 神様が僕らをこの地上で引き合わせてくれたのだと思う。 僕のベットの頭の上には、君の写真をはっていた。 毎晩、きみに見守れながら眠りにつく。 今度は僕が、夢の中でも君に安らかでいられるように君と見守ってあげる番だね。 寂しい時は何時だって、そっとめを閉じてごらん。 僕は君のすぐそばにいる。 僕は全身全霊で君を愛した。君は僕の全てだった。 永遠の愛を。リー」 <朝日新聞10月25日> イラク戦争で銃弾に倒れた、英ランカシャー州出身の兵士ソーントン・リーさんから婚約者への手紙である。「私に気持ちはとても言葉で表せない。 彼は親切で、寛大で、男の人に求める全てのものを持っていた」 手紙を受け取った婚約者の言葉もまた、感動を呼ぶものである。「僕は全身全霊で君を愛した」に対して、「男の人に求めるものを全て持っていた」の言葉は、これ以上の愛の言葉は無いような気がするほどだ。イラクで戦死した若い兵士の手紙が婚約者によって公開された。自らの死を見つめる若い兵士の心は、平和な国で平和惚けの日々を送るものに分かるはずもないが、少なからず感動を思えた。手紙を公開した婚約者の気持ちは分かるような気もする。ちなみにイラク戦争のイギリス兵の犠牲者は119人だと言う。まだまだ戦争は続いている。
2006.10.25
コメント(0)
北の大地が揺れた。そんな感じの日本シリーズ北海道決戦であった。勝ったのは日本ハムで、勝つのが当然のような日本ハム一色の札幌ドームは揺れた。オーバーな表現ではなく揺れたのだ。テレビ画面が揺れ、アナウンサーはスタンドも揺れ、カメラも揺れていると言っていたが、正に札幌ドームの揺れが画面から伝わってくる感じであった。最も揺れたのは、稲葉のホームランの場面であった。勝負のあやと言える場面は武田勝から武田久にかわった投手リレーであり、圧巻は武田久対ウッズであった。ウッズのバットは空をきり、若い小柄な投手は表情さえ変えない。自信に満ちた鉄火面。何事にも動じないポーカーフェイス。どんな表現でも言い表せないような無表情の両武田投手が、日本ハム勝利の主役であった。ポーカーフェイス、武田勝も武田久もポーカーフェイスだ。窮地に立たされても淡々と投げる投手の無表情は美しい。落合監督の表情が気になった。いつもの落合監督ではないような気がした。勿論札幌ドームの異様な雰囲気の中であるから、そんな感じがしたのかも知れないが、今まで、表情を変えなかった落合監督が、感情を顔に出した場面があった。今日は名古屋決戦に夢をつなぐように、中日に応援しよう。
2006.10.25
コメント(0)

北の地方からの紅葉便りに誘われて紅葉探索と思ったが、この地方では、紅葉には早かった。熊野古道通り峠への県道からの上り口だ。晩秋の風の漂う苔むす石畳は古道の最大の魅力である。木漏れ日にも秋の気配を感じる。峠はお地蔵さんが守る。賽銭箱に五百円硬貨が幾つもあった。リンドウの咲くころ、そんな歌はなかったか。リンドウの群生が多い階段の数を見ると、足も重くなる。階段とリンドウ階段もすぐに終わる。風景は千枚田、収穫は終わっている。山が重なり合う。まだ3時半過ぎだが、夕日だ。
2006.10.24
コメント(0)
そんな馬鹿なと思うことが突然起きる。自分に被害がない限りは楽しくユウモラスな感想なども言いたい放題が人情だ。だが、呆れてものも言えないことも当然起きる。そんな日々の中で、今更少々の出来事に愕くほど柔じゃない思っているが、そうではなく、毎日驚くことばかりだ。と改めて言って見ると、テレビから流れるニュースにも新鮮な驚きを感じる。197人の生徒が卒業できないかもしれないと言う珍しいことが起きた。197名がこぞって頭が悪くて、或いは怠けて、或いは校則に違反して、などの、理由があるなら兎も角、学校のミスで必修科目を取ってなかったのだと言う。それならそれで、学校のミスであるから卒業に影響しないしないだろうと考えるが、形式的にも必修科目は勉強する必要があるらしい。歴史Aと歴史B の違いさえ分からない門外漢が、どうこう言うことでもないが、進学校の欠陥が見えたような気がする。
2006.10.24
コメント(0)
談合に関係した贈収賄容疑でまたまた知事さんが逮捕された。福島県の知事であり、よその件の人間には関係ないかもしれないが、知事の不祥事が続くと、何処の県の知事もそうではないのかと、いささか懐疑的になり、わが県の知事ももしかしたら等と思ったりする。過疎の地方田舎の町に住む者にとっては、談合は必要悪の類であると思っているが、それは業者の側からのことであり、上から見返りを求めての談合などのことではない。生き残りをかけての業者間の駆け引きは、程度の差こそあれ、何時でも何処でも行われていることで、話し合いに、ある程度の談合的要素が入っても仕方がない。それが必要悪を認める最大限の譲歩と言える。知事が天の声で見返りを求めるなどは、なんとも嘆かわしと嘆く田舎暮らしの浪人である。
2006.10.24
コメント(0)
携帯電話の番号継続制(ポータビリテイー制)が始まるが、その前日に、ソフトバンクの孫さんは意外性のある発表だ。黒人の男性が名刺を出して野口五郎ですと挨拶する、あのCMはその日の為だったのか。確かに意外だが、無料といってもソフトバンクの携帯どうしかと、喜びもつかの間少々考えたが、やはり意外な発表に変わりはないし、友人や親類縁者の動向次第では、それは凄いことだと思う。もしかしたら永遠に基本料金だけでいいわけである。色々ややこしい条件もありそうだが、今よりはかなり安くなるような気もするが、他社の動向が気になるから、早々と動くユーザーもいないだろう。直ぐに他社も反応するだろうから、その反応が楽しみだ。
2006.10.23
コメント(0)
デイープ・インパクト薬物使用疑惑のなぞは、秋の天皇賞出場見送りで、いよいよ深まった。デイープ・インパクトに罪など無いはずだが、デイープの誇りを傷つけ、その栄光も泥が塗られようとしている。と、こんな感じの天皇賞出場辞退である。デイープの応援にフランスまで駆けつける、多くのファンがいることを考えると、デイープ・インパクトは単に、馬主だけのものではなく、ファンのデイープ・インパクトであることを、馬主は理解する必要があるだろう。引退宣言からにしても不可解である。走ってこそサラブレットであり、勝ってこそ栄光に輝き、天馬の称号も与えられる。四歳馬が引退しての種牡馬とは、なんとも違和感がある。デイープ・インパクトは公人ならぬ公馬である。馬主の馬であると同時に多くの競馬ファンのものである。それが天馬の宿命だ。
2006.10.23
コメント(0)
日本シリーズ第二戦は日本ハムの勝ちで、これで一勝一敗の対になった。対になったが日本ハムに有利になった。第二戦は第一戦以上に重要な意味を持つ。何よりも日本ハムは熱烈なファンが待つ札幌に帰れる。しかも勝った勢いのままでだ。第二戦の前半だけを見ていると、中日の勝利は決まったようなものだった。勝負の分かれ目は、八木のバント処理だったような気がする。山本昌の送りバントは悪くはなかったが、八木のファインプレーでアウトになった。次のバッターは粘りに粘り、山本昌は長い時間塁上にいた。そこは百戦練磨のベテランで、次の回の投球に影響があるのではの懸念は、直ぐに跳ね飛ばしたかに見えたがそうではなかった。二死二、三塁バッターは金子、一塁は開いている。敬遠か勝負かの選択である。落合監督は山本昌まかせだろう。山本昌のプライドが金子との勝負を選んだ。しかし、八木のプレーは山本昌の勝負勘を狂わせていた。打球が山本昌のグローブを掠めるようにセンター前に向けた。二塁ランナー新庄が弾けるようにホームインした。とまあ、解説者のように振り返っても、微妙な勝負のあやは日本シリーズの怖さであり、勝敗を左右するプレーに新庄が絡んでいることである。
2006.10.22
コメント(0)
中村梅雀さんを好きになったのは、NHKの大河ドラマだったと、友人は電話口でうなっている。確か惚け役を演じていた中村梅雀の演技がどうのと薀蓄を聞いた記憶はあるが、それは何年前のことかさえ思い出せないほどの昔のような気がする。その中村梅雀さんが結婚していたと友人は電話で言う。別に驚くことも無いがと前置きして、25歳年下の女性との結婚でも、別に驚くべきニュースでもないがと言う。50歳の梅雀さんだとちょうど半分で、別に驚くべきことでもないがと更に続ける。25歳の女性だとちょうど2倍で、と、わけの分からない計算をして、挙句に驚くべきことではないがと念を押す友は、五年前に離婚して永遠の独身貴族などと、古めかしい言葉を唱えて嘯いていたが、なんと言うこともなく、中村梅雀さんが羨ましいだけである。
2006.10.21
コメント(0)
民主党小沢代表が柴犬と川原にいる。映像としては半端な映像で、何をしているのか、散歩の途中なのか、それとも話をする為にわざわざ座っているのかは分からないが、「政治は何のためにあるの」と柴犬が訊く。誰かそばの人ではなく、確かに柴犬が訊いたのだ。「政治はみんなの幸せな生活をこさえるためにあるんだよ。それを忘れたら正しい政治とはいえないんだ。それが僕らの信念だ。・・・・さあ行こう」と小沢代表は国会で安倍総理に語ったように、とくとくとした語りで答えた。 民主党のコマーシャルだが、テレビで流れているのは見たことがない。ここは田舎だから流れないのか、それとも補選のある地方限定なのかは知らないが、民主党のホームページで見るきっかけは、小沢代表が選挙応援にも犬を連れて行ったとのテレビニュースによってだ。「 、、、さあ行こう」と言った時、何故か知らないが仲間由紀江のCMの、「さあ、いらっしゃい」を思い出した。犬がどんな意味があり、選挙への効果の程も知らないが、面白いと言えば面白い。更に面白いのは、犬触れの選挙運動に噛み付いた、自民党の元幹事長武部さんだ。偉大なるイエスマンと自ら言ったあの武部さんだ。武部さんの言う動物虐待は、いささかオーバーだが、面白さにかけては、犬を選挙運動に使うその遥か上だ。
2006.10.21
コメント(0)
土曜日はチャングムだが、このところ、見終わって疲れを感じることが多い。勿論ドラマに夢中になってとも云えるが、ドラマの複雑さに疲労感を感じる。王の後継者問題から、王権に支える右大臣左大臣の権力闘争に、巻き込まれるチャングムに同情もする。同居人が毎週のように嘆くように、「何故あの娘だけ」と、思わず叫びそうなことが次々と起きる。まだまだ、終わりそうにないチャングムの誓いである。DVD購入を密かにもくろむが、でも、やっぱり、テレビで毎週ハラハラの方が良いだろう。DVDはその後の楽しみだ。
2006.10.21
コメント(0)
アメリカ合衆国国務大臣コンドリーザ・ライスは、現在、世界で最も力のある輝く女かもしれない。輝かないが最も力があるのは、勿論アメリカ大統領である。知名度ではブッシュの次か、ブッシュをしのぐかも知れないのがライスだろう。彼女の紹介には必ずIQ200がついて回る。いわゆる天才である。その経歴を見ると、天才以外の何者でもない。次の大統領がヒラリーであっても、アメリカで最も偉大な女はコンドリーザ・ライスだろう。だからどうして分けでもないが、兎にも角にも凄いライスだ。蛇足だが、もちろんご飯ではない。
2006.10.21
コメント(0)
日本シリーズは今日決戦の火蓋が切られる。大方の評論家の予想は中日だ。4:3で中日の勝ちが無難な予想なのだろう。評論家の皆さんの予想も、4:3での勝ちだと、第何戦は中日が勝って、第何戦は日ハムが勝ってと予想もこまかくなりそうだが、そこまでは必要ないらしい。日本シリーズには色々の楽しみ方があるだろう。特に両チームのファンではなく、どっちが勝ってもいい様なファンは自然と楽しみ方と見つける。リーグ優勝を逃した一流選手が、日本シリーズの解説者としてテレビ出演する。彼らの解説も日本シリーズの楽しみの一つである。と同時に、一流の解説者、お馴染みの解説者の味のある解説も当然楽しみである。独特の解説を展開で、人気解説者の一人である栗山さんの、予想も4:3で中日であった。話の中で、新庄がシーズン中に相手の投手のビデオではなく、打者のビデオを見ているとの話は興味深いものであった。普通打者の研究するのは投手であるが、新庄は打者を研究していた。打者の研究は、守備位置のためのものであり、日本ハムの外野の守備は新庄の指示で動く。しかし、新庄は研究に研究を重ねて左寄りの守備位置に立ったとしても、時に、動物的勘で右寄りに守備位置をかえることがある。左方向への打球が多い打者だから当然新庄の守備位置は左寄りと思っていると、打球が飛んだ瞬間新庄は右よりの守備位置にいる。その新庄の動物的な感が日本ハムに勝利を呼ぶ可能性がある。しかし、予想はあくまで4:3で中日だと、栗山さんは言う。どっちのファンでもなく素人の私は日本ハムを応援すると決めた。予想は逆で、4:3で日本ハムだ。それも新庄の動物的感が冴えわたってだ。
2006.10.21
コメント(0)
大リーグナショナルリーグのプレオフの結果は、田口のカージナルスが勝ち、ワールドシリーズでデトロイト・タイガースと対戦する。日本人プレイヤーが何人も活躍する大リーグで異色の存在が田口だ。他の日本人プレーヤーは日本での華々しい実績を引っさげての大リーグ挑戦であった。さしたる実績もないし、また肉体的にも大リーグでやっていけるかと、思われたのが田口であったし、誰もが無謀な挑戦と思っていただろう。大リーグ挑戦選手が多くなった時期に、あの野村監督は新庄が試金石だと言った。新庄が通用すれば我元思う選手がわんさか出るとの予想でもあった。しかし、新庄を見て田口ガ挑戦して分けではない。新庄はなんだかんだ言ってもスターであったし実績もあった。大リーグでも華々しい活躍のイチローの同僚であった田口は、目立つほどの活躍などなかった。時には三番を打っていたが、本来は七番か八番バッターであった。田口は3Aから這い上がって大リーグでプレーを続けた。華々しい活躍はないし、出番もそれ程なかった。しかし、田口はワールドシリーズの大舞台に立つ。世界最高の舞台に立つ。イチローは凄いが、田口は素晴らしい。ある意味では、イチローや松井以上に日本の少年たちに夢を与えるかもしれない。
2006.10.20
コメント(0)
クリント・イーストウッドは、云わずと知れたハリウッドスターであり世界的監督である。 クリント・イーストウッドと言われて頭に浮かぶのはなんだろう。 勿論、人によって違うのは当然だ。 ローハイドを思い出す人は団塊の世代以上の人で、荒野の用心棒が思い浮かぶ人は五十代で、ハリー・キャラバンを思い浮かべる人は四十代で、初監督の恐怖のメロデイーは三十代などと、大まかに分かれるかも知れない。 監督主演作品「許されざる者」でアカデミー賞に輝いた後の、監督としての活躍はご存知のとおりである。 また、政治家としてもカリフォルニア州カーメル市長イーストウッドであった。 名実ともに世界的な監督クリント・イーストウッドが、 またまたやってくれた。 しかもスピルバーグとともに。 そんな作品が「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」である。 おそらく、 太平洋戦争関係の映画や書物で誰もが一度は見ただろう一枚の写真、 硫黄島に星条旗が立てられる、 正にその舜間の写真は、 アメリカの勝利を決定的にしたと見ていし、帝国主義の崩壊と民主主義の勝利を象徴するかの様な印象で見ていた。 その写真は国家的戦略の役割を果たしていた。 英雄に祭り上げられた兵士達は、 自分たちが英雄と呼ばれえるのに違和感を感じた。 英雄になるために戦ったのではない。 真の英雄は硫黄島に眠っている男達ですと言う若い兵士は、 ある意味ではその瞬間に真実の英雄になったかもしれない。 彼らにとっては賞賛の言葉は問題ではない。 戦場の悲惨さを見ている彼らが訴えたいことは他にあった。 だから彼らは、 俺を英雄と呼ぶなと叫び、 真実の英雄は祖国のために戦い、 死んでいった男たちだと叫んだ。 ハリウッド製作の戦争映画はアメリカ的視点であり、 日本製作の戦争映画は日本的視点であるのは当然であるが、 同じ戦場を双方の視点で同時に描く試みは、 正に革命的だ。 戦争に正義も悪もない。 誤った国家戦略で始まった戦争は、 若者の命の犠牲の上にな行われる。 硫黄島での殺戮戦でも双方の兵隊は若く、 アメリカ兵は平均十九歳だったとイーストウッドは言っていた。 勿論日本兵も違いはなかっただろう。 多くの若い命は失われ、作られた英雄は星条旗を立て、 国家の宣伝に利用されて生きた。 世界が忘れてはいけない島がある。 と、イーストウッドは言う。 それは、全ての人の心に響いていくだろう。
2006.10.20
コメント(0)
未成年の喫煙防止の為に購入カード発行される。その名はタスポと言う。2008年7月から全国の62万台以上の自動販売機で、タスポが無ければたばこは買えないらしいが、それがどれほどの効果があるのかは未知数だ。個人的な意見では、ほとんど効果はないだろう。身分証明書でカードを作る必要がある。しかし、親のものをくすねることも出来れば、先輩などに作ってもらうことも出来る。繁華街などでは、カードの売人も出てくるだろう。一割のマージンを乗せての販売でも結構売れるだろう。千円のカードを千百円で売っても商売になるだろうし、買う方も負担にはならない。仮に五割り増しでも買うだろう。現在もそういう意味では、未成年者が堂々と買えるわけではない。不良は堂々と買っていると反論があるかもしれないが、だから不良であり、喫煙は初歩的な不良の特権である。また、そんな事ぐらい作る側も考えていて、指紋などでのより強力な個人判定機能を備えたカードを考えているらしいが、やはり効果はないだろう。大人へ自己主張的反抗が喫煙であり、理由なき反抗が青春である。喫煙ごときで未成年者がどうのは、いき過ぎの気がする。「ニコチンをビタミンへ」のキャッチフレーズの商品が、表示を変えるように指導されたらしいが、たばこは何かと大変である。国会でも完全な禁煙場所の拡大論争が展開されると言うし、喫煙者の受難は続く。
2006.10.20
コメント(0)
デイープから薬物イプラトロピウムが検出された。今年限りでの引退が決まったディープインパクトが、スペインでも大きなニュースになっている。種牡馬(しゅぼば)として日本競馬史上最高の51億円の値がつき、14日付の地元紙マルカはサッカーの人気選手、ベッカム(レアル・マドリード)の移籍金と肩を並べるスターホースとして大きく取り上げた。 マルカ紙は高額の評価を比較する上で、サッカーの「銀河系集団」レアルのスター選手を引き合いに出した。03年に移籍のベッカムは3500万ユーロ(当時約49億円)。ディープインパクトの価格は欧州サッカー界の大スターに匹敵するというわけだ。(共同) asahi com10月15日(共同)何とも嘆かわしいことだ。デイープに罪などあるわけも無く、世界が認めたその力に唾するようなものである。しかし、真相は分からない。日本的な薬への考え方と、フランスなどEU的な薬物思考とは、隔たりがあるかもしれない。日本的には何の問題もなかったと言うことなら、何と言うこともないだろう。現在、テレビから流れるニュースと、インターネットニュースで確かめる程度であるから、何時間後には、問題無しになっているかもしれない。凱旋門賞当日、横断幕に幟を持った日本からのファンに、フランスのマスコミもいささか呆れ気味だったが、そんなファンは誰に怒りをぶつければいいか。せめて、日本的には問題無しで解決して欲しいものだ。
2006.10.19
コメント(0)
今年は雨の多い年だと思っていた。確かに雨は多かった。梅雨も何時までも明けない感じだった。ところが、秋になり台風もいくつか近づいてきたのに、雨不足の声が聞こえるようになった。信じられないが、九州では農産物に被害がでているらしい。散歩道の畑でおばあさんが野菜に水をまいている。黒いビニールで覆われた畝には、ビニールを破って野菜の苗が植わっている。何にかと訊いたら、白菜だとおばあちゃんは答え、「暑かったから、これこの通り元気もありはせん、皆植え替えじゃ、 いつもならもう、こんなに大きくなっているが、植えた日から陽がつようなって、 やけてしもうたわ」 おばあちゃんはゾロを上下に振りながら、天への怒りである。素人には分からないが、冬野菜にとっても、今年の秋の気候は良くないとのことだ。水不足に強い陽射し。自然は気まぐれのようで、あらゆる事象には明確な因果があると、テレビでお馴染みの偉い先生が言っているが、白菜が心配なおばあちゃんは、苗を植えかえれば、何ってこともないが、その陽射しはどげんなっとるかと怒っている。
2006.10.19
コメント(0)
今年は熊の被害が多い年だ。冬眠を控えた熊には事情もあるはずで、やたらと人間を襲うわけではない。自然の摂理に忠実な野生の生き物が、その摂理を破っての人間襲撃は、食料の確保のため以外には無いけれど、熊にとっての人間はなんだろうと考える。あきらかな敵か。それとも他の狐や狸と同じくらいの存在か。熊の棲む森や林の破壊縮小は、人間のせいだと分かっているのだろうか。人間の側からの熊の価値は、毛皮をはいだり、熊の手などの高級食材や、熊の胆嚢は漢方になる。乾燥した熊の胆嚢を飲んだことがあるが、その苦さには閉口し、腹の痛みなど何処かへ吹っ飛んだ感じだった。そんな事はどうでも良いが、世界の熊が危機に瀕しているは事実で、他の国々でも熊の棲む森が消えていく。熊に同情したい気持ちになる。かといって、人間を襲う熊に同情など出来るわけでもなく、もしかしたら、熊が増え過ぎているのではと思ったりもする。襲うことはないと、共生を阻むような熊に怒っているのである。
2006.10.19
コメント(0)
安倍新総理と民主党代表小沢一郎党首討論がはじめて行われた。多くの国民が期待していたが、多くの国民は肩透かしをくったとの報道番組もあったが、肩透かしとくったはずの多くの国民が、はたして期待していたかどうかはいささか疑問だ。党首討論がはじめて行われたのは、当方の記憶が正しければ、まだ日本政界で社会党が元気な頃の話である。マドンナ旋風を起こした土井たか子さんが社会党代表になって、社会党政権誕生の可能性もあり、女性首相誕生の可能性さえあった時代のことである。日本の議会に英国の議会の熱気を輸入しようとしたのが党首討論であった。時の英国の首相は鉄の女サッチャーであった。日本にメデイアが紹介する英国議会の党首討論は、角突き合わせての喧嘩腰の凄まじいさであった。それを真似ようというのであるが、国民性が邪魔をするし、第一日本の政治は国会の議論では決まらない。いわゆる、料亭政治全盛期の時代で、国会はパフォーマンスの場だった。そして、ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦が分解し、社会党が消滅の危機を迎えた。そんな事はどうでもいいが、小沢さんは何度目の党首討論だろうか。勿論、民主党代表としてではなく、色々な政党代表としての党首討論は何度目だろうか。
2006.10.18
コメント(0)
イグノーベル賞 (Ig Nobel Prize) とは「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられる賞である。ノーベル賞のパロディ的な賞で、1991年に創設された。 イグノーベルの名は、「ノーベル賞」に反語的な意味合いの接頭辞を加えたもじりであると共に、「卑劣な、あさましい」を意味する"ignoble"と掛けている。ウイキペデイア そんなノーベル賞があったなんて、知らなかった。本物のノーベル賞とは違うだろうとの疑問は当然沸くし、本物ののノーベル賞ではないが、それなりの世界的な価値ある賞に変わりはない。授賞式には本物ノーベル賞受賞者も出席するくらいの権威がある賞である。コメデイアンやお笑いタレントなどにも、また落語家などにも可能性があるのかと考えるが、そうではなく、人を笑わすような研究である。つまり思わず噴出してしまいそうな研究に対しての賞である。ウイキペデイアの説明を借りると、「同賞には、工学賞、物理学賞、医学賞、心理学賞、化学賞、文学賞、経済学賞、学際研究賞、平和賞、生物学賞などの部門がある。 毎年10月、風変わりな研究を行ったり社会的事件などを起こした10の個人やグループに対し、時には笑いと賞賛を、時には皮肉を込めて授与される。」と言うことである。日本人も数多く受賞している。いくつか紹介すると、 「へそのゴマの研究」 「象の体表面積の算出」 「力士からカエルまで浮かせる磁力の浮力研究」 「人間がぎりぎり耐えられるさまざまな拷問についての経験的研究」「おならが外に放出される前に匂いを消すフィルターつきパンツの開発」なるほど、納得のノーベル賞クラスの研究である。
2006.10.18
コメント(0)
心に筋肉をと森光子さんが腕まくりで、心におしゃれと曽野綾子さんが微笑んでいる。森光子さんの姿は大きな力を与えるようだし、曽野綾子さんの微笑みは安らぎだ。女性の神々しいまでのパワーを感じる広告で、日野原重明先生だけがかろうじて男性の面目を保っている。いやいや、テレビではみのもんたさんが、内臓脂肪がどうのと男性の威厳のためにがんばっている。そんな事を思いながら、しばらく、新聞広告に見入っていた。何時の間にかみのもんたさん声が消えたテレビに、マライア・キャリーが浮かび上がった。浮かび上がったのだ。まさに浮かび上がった感じのマライア・キャリーの肉体に圧倒された。リモコンを持つ同居人は、この人太ったわねと、シャーシャーとしているが、当方の頭の中はマライア・キャリーの肉体に蹂躙されている。神の声を持つ歌手マライア・キャリーが、歌ではなく肉体で迫ってくる感じだ。その偉大な肉体も女性パワーの権化だ。神の声の歌も、その肉体も、結局は女性パワーだ。前の日にニュースで見た高橋尚子の、高山での練習風景画浮かぶ。男では不可能と思われる練習風景は、まさに女神の走りを感じさせた。男に不可能とは、個人的な思いであるが、女性力の凄さの前では、、、思うのである。
2006.10.17
コメント(0)
日本ハムは面白い企画をやるものだ。日本シリーズのために練習に汗を流す。秘密の練習など無く、練習は全てオープンらしい。そんな中での紅白戦は本番を想定しての実戦練習だ。そんな中でもフャンをサービスも忘れてはいない。紅白戦の入場料は自由だと言う。好きなだけ払えばいいのだから子供たちにとってはたまらない。テレビで見るか限りでは、子供は平均すると百円ぐらいで、大人は五百円と言うところだ。小遣いが無くてごめんと言いながら一円玉を入れる子供もいた。それが実に子供らしくてユーモラスである。そうだ、子供は一円でもいいのだ。一円玉を入れる子供の表情が面白い。他の球団には真似できないファンサービスだ。すっかり北海道の球団になった日本ハムは、パリーグの救世主かもしれない。球団がファン獲得のために一生懸命だと、分かるような企画であった。身売りだ合併だと騒ぐ前に、ファンが球場に足を運ぶような面白い企画を考えて欲しいものだと、スポーツコメンターは頷いていた。そこにも新城効果があるらしい。去年はあわや消えかけた球団が面白パリーグの牽引車となって、来年は、新しく出来た球団もそろそろお荷物返上だ。そして、日本ハム的ファンと共に燃える面白パリーグが、北海道から東北そして九州へと攻めていく。そんな時代が始まったような気がする。野球は北の国から面白くなる。そんな時代だ。
2006.10.17
コメント(0)

アヒルの出演のコマーシャルは、もうすっかりお馴染みになった保険のCMであるが、カエル出演のCMは珍しいだろう。二匹のカエル出演CMが面白い。かといって、何のCMであったかは分からない。二匹のカエルが登場するが、強そうなカエルが他のカエルを何度も脅す。脅しても効果がないと悟って、ついには手を上げ、強そうなカエルは暴力行為に出る。苛められるカエルは飛び退くが直ぐにまたも戻って来る。二匹のカエルの表情が面白い。カエルの動きにひきつけられていた時、壁にカエルが跳びついた。何とも奇妙な偶然に一瞬息を呑む思いがしたが、カエルは入り込んでくるのは、今に始まったことではない。田舎の特権である。窓を開けていると色々な虫が入ってくる。目の前には川があり、裏にも水路があるからカエルいくらでもいる。しかし、窓は開いてない。窓はあいてなくても何処からか入る隙間をあるのだろう。それとも窓の開いていた時入って何処かに身を潜めていたかだと思うが、テレビで二匹のカエルが争っているときに、本物のカエルが壁に張り付いている。奇妙な偶然が、何かの啓示かと思ったりする。単なる偶然以外の何者でもないが、テレビ画面の二匹のカエルの争いが、生きたカエルの行動に何らかの刺激を与えることがあるだろうか。カエルはテレビの画面を見ることができるのだろうか。画面のカエルを自分の仲間だと判別できるだろうか。そんな事を考えているうちに、画面はかわりカエルは消え、壁のかえるも何処かに姿を消し、探してもその姿は見えない。
2006.10.17
コメント(0)
日本もついに核兵器保有かニュースが世界を駆け巡った。地球上唯一の核の被爆国日本の核への言動は世界の注目するところだ。そして、ついには与党の執行部から核保有の可能性を示唆する発言が出ると、世界各国のメデイアが飛びついた。核保有を議論してもいいのではと言う、中川政調会長の発言に対する世界の世論の反応である。憲法には核保有禁止は明記していないと言う。非核三原則があると言う。結局どうなるのか。核は持ちたいが、今一つ踏み出せないと自民党といった感じだ。民主党はどうだろうか。自民党内でも批判が続出しているが、攻める民主党には絶好の発言も、そうでもないらしい。日本は核アレルギーとよく言われるが、日本が核に対してアレルギーを持つのは当然である。確かに、中川政調会長は議論はしても、、と言っているが、その前提には、議論の先にある核保有の可能性が浮き上がる。議論の結果核が持てる、へと進む。一方で核廃絶の先頭に立ち、一方で核保有の可能性を探る。面白い国だ日本は、と、如何にもよその国のような感じだが、多くの国民はそうだろう。核保有などの議論も結局国民から遠く離れては、何のための政治かも分からないと、テレビニュースのコメンターは少々怒り気味だった。可能性も何も、核を持つ議論は、北朝鮮と同じだと肝に銘じて、平和な国日本の現在と継続して欲しい。平和ボケでもいいから、平和な国がいいのだ。
2006.10.17
コメント(0)
駐車場に並ぶ軽トラックも威厳に満ちている、田舎の喫茶店の午前の客は高齢者がほとんどである。 注文するのはモーニング・サービスと決まっている。毎日のメンバー、いわゆる常連さんは決まっているから、誰かがいなくても何故いないかは誰かが知っている。 大抵は病院であるが、誰も知らない時は誰かが呟くように言うのは「いったのか」である。 「いったのかは」もちろん、 「逝ったのか」である。 フリーの客に対しては、常連さんは親切である。 テーブルの片付けや灰皿などの世話もしてくれるし、モーニング・サービスの解説もしてくれる。 常連ではない当方は、何度かには常連さんと顔見知りになり、親しく話し掛けてくる世話好きもいる。中でも元国鉄マンのAさんは百年来の知己を思わせる親しさだ。元国鉄マンであるから、その年はおのずから想像はつくが、いたって若々しい。 新聞を広げる当方の肩を軽く叩いて、 Aさんは前席に座った。 珍しく夫人同伴のAさんは片座りで、 「孫(ソン)の野郎また何かする気か」といった。 何のことやら分からない当方は、黙ってAさんの顔を見た。 「携帯の値下げを期待したが、あの野郎、その気はなさそうだったな。まあ、そう値下げばかりもしていられないだろうな」 Aさんはあきらかに当方に向かって言っている。 「何のことですかAさん」 と聞き返すと、 「何のことかって、孫(ソン)のことに決まっているだろう。あれは、何って言ったかあいつは、そうそう、ホリエモンや村上何某とは違うからな、浮かれることは無いからな」 改めて新聞の活字を見ると、 「孫、代理出産、、、」の大見出しであった。 Aさんは孫だけを見て、 ソフトバンクの孫(ソン)さんの携帯電話参入時の、 インタービューを思い出したのだ。 確か値下げについての質問も記者から出ていたような気がする。 奥さんに諭されて座りなおしたAさんの背中に、 「携帯の値下げはないでしょう」 と投げかけ、 新聞ラックに戻ったスポーツ紙を取り、 読んでいた新聞を尻の下に敷いた。 Aさんが帰るまでは動かないと決めた。
2006.10.17
コメント(0)
団塊の世代が定年退職を迎え始めるのが、来年2007年からで、いわゆる2007年問題である。団塊の世代は、持っている技術力もさることながら、資金力、いわゆる退職金で狙われているのである。テレビドラマでも団塊の世代が主役のドラマが多くなり、特集なども多くなり、団塊の世代の代表的なタレントの出演も多くなってきた。活字メデイアはテレビ以上に活発である。本屋に入ると、驚くほど団塊関係の本が並んでいる。最も驚くのは細木和子関係の本の多さであるが、それは、勝手の大川某関係の本と同じくらい驚く。ほんの種類の多さは、読者の多さであるなら、驚く筋合いのものではなく、著者の偉大さを称えるべきかもしれないが、個人的にやはり驚くのである。そんなことは兎も角として、団塊の世代は、これから何年か後に高齢者と呼ばれるようになってからも、平均寿命の年齢に至るまで、老人社会の老人代表として、社会の中核に居ることだろう。さて、その後は、、、。兎にも角にも、今後はしばらくは団塊の時代であり、新しい価値観が生まれるかもしれない。と、団塊の世代は考えているかもしれない。
2006.10.16
コメント(0)
アラブの国と言われて連想するのは、石油か、王様か、アラビアンナイト的世界だろう。中東で連想するのは、戦争であり、イスラム教でありユダヤ教だろうか。アラブの国や、中東で連想するのは、人それぞれによって違うのは当然だが、アラブはやっぱり石油と王様である。政治的に安定しない、イラクやイランからは戦争しか連想しないが、サウジアラビアとその周辺国からは、アラビアンナイト的な世界が連想される。そのアラブの国はアラブ首長国連邦のドバイは建設ラッシュである。何と、世界のクレーンの四分の一が集まると言われるほどらしい。日本の石油の四分の一前後はアラブ首長国連邦からの輸入と言うから、四分の一気になっている。かと、云って他に四分の一に関わるものはないが。日本のクレーンの四分の一にしてもかなりの数だから、その数の大きさは想像を絶するほどだろう。どれだけの建造物が建つか、どんな風景になるか楽しみであるし、肉眼で見てみたいものだ。砂漠の国でのスキー場建設などの記事も驚くし、冬季オリンピックでもと言ったようなとんでないことまで、考えてしまう。まんざら不可能ではないと言う思いは、アラブの王様の財力は無限であり、石油も尽きることはないとの思いへ、、、、。そんな思いがする建設ラッシュの記事である。
2006.10.16
コメント(0)
遠来のお客さんに心の中にはそこはかとなく涼風がそよぐ。初対面の客は同居人の親友であり、専門的学校の同級生と言う特殊な関係であり、他の人間には知りえないような結びつきがあるのだろうと思って、二人の語らいの邪魔をしないようにしているが、そこは女同士の会話であるから、ほとんど切れ目のない、あえて言えば雨後の川のような言葉の流れである。学校の寮で同室と言う関係を、喩えるなら、刑務所(ムショ)仲間のようなものか、ムショ兄弟のようなものかと訊いて見ると、二人ともハトが豆鉄砲と食らったように、目を丸くし、キョトンとして顔を見合わせたが、それもほんの一瞬で、すぐにもとの流れになった。感心するのは、他の事をしながらも会話が続くことだ。久しぶりに会うのだから、話題は尽きないと思うが、それだけでは納得し得ない能力、つまり、神が女性に授けた特殊な能力だと思った。久しぶりに会った女同士の会話には、余人の入る隙など存在しないと言う、古典的な真実を再確認した。
2006.10.16
コメント(0)
いじめによる犠牲者は、後を立たない。福岡の中学校で少年の自殺があった。幾つも遺書めいたものを残して自殺した少年の心は想像することもできない。それにしても、自殺といじめの因果関係を否定する学校の対応は毎度のことである。教育の現場はと、偉そうなことをあえて言えば、何時でも自己保身の卑劣な処世術を実践するところのようだ。自己保身は人間の本能であるから致し方ないとは云えないのが教育である。本能を規制して社会的人間育成が教育であるから、やはり学校側の対応はいささか納得し得ないものがある。やはり事件の起きる学校には問題があるのかと、思うような発言が多いし、特殊な学校化と思ったりして、全ての教育現場ではないと言う思い出、安堵感を覚えるのは、いささか不謹慎であるが、特殊なケースであって欲しいと思う。一人の子供の自殺は大きな問題である。校長が、教頭が、教師が、自己保身で逃げることは出来ないはずだ。多感な時期の教育は難しいものだろうし、厳しい課題も多々あるだろう。当然、好きな子もいれば嫌いな子もいる。生理的に受け付けない子もいるかもしれない。かと言って、先生が生徒のイジメの先頭に立つことは常識的にもありえない。テレビやインターネットでの情報であるから、学校側が改めて全校生徒に校内放送で言うように、間違った情報かもしれないし、実態はどうと断言できないが、少年が遺書を残し自殺した事実や動かない。間違った報道であるかもしれない報道で、部外者が言うべき事ではないかも知れないが、校長の言い訳も、教頭の言い訳も、教育委員の言い訳も、先生の言い訳も、苛めた生徒の言い訳も、あってはならないような気がする。
2006.10.16
コメント(1)

キャメロン・デイアスが、颯爽と言うか慌しくと言うか、携帯をかけながら、何度も荷物を落として歩いている。テレビCMだが、何のCMだったか記憶に残っていない。キャメロン・デイアスだけが、脳裏のスクリーンで踊っている感じだ。勿論、キャメロン・デイアスが好きだからそうなるのだが、それにしても、最近のハリウッド女優は際立つような美形はいない。エリザベス・テイラーやグレース・ケリー、ビビアンリーなどのように、際立つ美しさの女優は少なく、個性的な美しさの女優が多くなった。ブリジット・バルロー的な美しさの女優さんが多くなったと思う。勿論、個人的見解であるが。メグ・ライアンも、ジュリア・ロバーツも、そして代表格がキャメロン・デイアスだと思っている。そう云えば、メグ・ライアンも、CMに出演していたが、なんだったか思い出さない。アルツハイマーではない。なぜなら、キャメロン・デイアスもメグ・ライアンも、脳裏のスクリーンで踊っているから。勿論メグ・アイアンも好きだから。
2006.10.16
コメント(0)
1920年生まれの森光子さんは、1800回公演を記録した放浪記を、一大決心して読むと誓った友人の話は、まさか、認知症、それともアルツハイマーかと、疑いたくなる、、、、、思ったが、そうではなく、林芙美子と樋口一葉がこんがらがっているのである。文学に疎い当方でも、森光子さんの放浪記の話となると、言われるままに黙ってはいないぞ等と気負ってはみても、特に、声高に言うほど観たり読んだりしているわけではない。森光子さんがでんぐり返る映像がテレビから流れたのがきっかけでの、読書の決心であるから、当然放浪記のはずが、彼が買ってきたのはたけくらべと他の一葉作品である。本屋に行くまでは放浪記が頭の中にあったが、書棚の樋口一葉の本を見た瞬間、それだと思い込んだ。普通はその時点ではっと気づくものだが、気づくどころか、勢いついて他の本も買ってしまった。そんな事も、よくあることの一つであるが、滅多に本など読まない友にとってはショックであった。それでも、放浪記は観るもの、読むのはたけくらべ等と嘯いている。多くの共通点があると思われる二人の女流作家だ。どっちを読んでも結構だし両方読むのがベストだと言うと、お前がかわって読めと少々怒り気味である。如何に文庫本でも、最近は決して安くはないのだとぶつぶつ言いながら、買ってきた本を置いていくと言う。放浪記は俺が買ってくるよと言うと、苦笑いの友は、東京への観戦ツアーを企画しようと、気分は急転した。
2006.10.15
コメント(0)
談合のニュースが後を絶たない。談合をなくす為の改革も意味を成さない。国家デベルの大プロジェクトの談合は少なくなったようだが、県の発注する工事は談合の温床だ。談合への市民の声も、司直の目も厳しくなり、近年は談合も少なくなり、大きく様変わりした県も多いと思われるが、まだまだ、県単位、市町村単位の談合は後を絶たない。土木業の友人は談合は必要悪だと言う。無くなるわけなどないと言う。業者でなければ分からない、業者同士の助け合い的な談合は、無くなる事はないし、無くなれば生き残れない業者が多いと言う。そんな必要悪の談合が罪に問われるのは可笑しいと言う。しかし、県職員の介入する管制談合や、県知事関係者の介入する資金集めての為の談合は、決して必要悪とは認めらないだろうとも言う。談合が有ろうが無かろうが、入札予定価格内であれば、落札価格が何パーセントであっても、国民はさほど気にもしないのだが、権力者の介入だと目をつむるわけにもいかないのだ。仕切り役がいて、天の声があっては、談合に背く訳にも行かないのが土木業者だと続ける。道路を走っていて、談合の話題になった工事現場などを通ると、工事そのものが偽りの気がする。手抜きやなにかがあって壊れるのではと、いらぬ事を考えたりもするし、働いている人たちに何の罪もあるはずも無いのに、談合の仲間のような気もする。談合がなくなることがあるのか、必要悪はなくならないものだと、土木業の友は言うが。
2006.10.15
コメント(0)
「料理は権力に利要されてはならない」と言うチャングムは、自らの命を捨てる覚悟である。一体何処までチャングムは進むのかとハラハラどきどきであるが、佳境に入りそろそろ終わるどうと思いつつ何ヶ月も過ぎた。何時までも続いて欲しいけれど、話の展開に無理が生じるだろう。お世継ぎ問題、いわゆる権力闘争がチャングムを引き込んでいく。NHKの大河ドラマ豊臣の世継ぎ問題でゆれた。秀吉が愛したお茶の話題が少なかったが、お茶と料理の違いはあっても、どっちも権力闘争にかかわると毒にしかならないようだ。最大の権力闘争が世継ぎであるから、現在のチャングムは権力闘争の真っ只中と言うことであるが、王と皇后との間で奇妙な争いである。と言っても、皇后の陰謀にチャングムが加担するか否かの単純なことである。勿論、チャングムが皇太子東宮毒殺など引き受けるわけがない。王も知ることになった、皇后の陰謀は如何に、、、。となって今週は終わったが、、、。もう何年もチャングムを見ているような気のしてきた。
2006.10.14
コメント(0)
全87件 (87件中 1-50件目)

![]()
