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ジャズ、それは私にとっては遠い音楽だった。積極的に聴いたことがなかった。アンリ・マティスのジャズという切り絵や、イヴ・サンローランのジャズというフレグランスの方が身近だった。ジャズ=マイルス・デイヴィスという印象はあった。でもそれもほとんど薄っすらとしたもので、何も知らないのと同じだった。ほんのつい最近、マイルス・デイヴィスの「Time After Time」という、シンディー・ローパーの曲をフュージョンしたのもを気まぐれに聴いてみた。シンディー・ローパーのはいい曲だとは思っていたけれど、その曲にのめり込むとか、特別な感情は抱かなかった。ただ歌詞は良いなと思ってはいたけれど。マイルスのそれは、マイルス風に言えば「あの音が私の中に入ってしまった」ということになる。それほどそのマイルスのトランペッの音は私を魅了した。いきなりマイルスのトランペットのむせび泣くような音から始まる。その音の素晴らしさと言ったら、例えようもない。音が言葉を話しているようにしか聴こえない。あの曲の切ない思いを見事に語りつくしている。何かで読んだのだけれど、ステージでマイルスが「Time After Time」を演奏すると、女の人がみんな泣き出したと書いてあって、そうだろうなと思った。何度聴いても聴き足りなくて、3日間くらい家にいる時間はずっとかけていたと思う。それからも事あるごとに聴いている。その事があって、マイルス・デイヴィスという人と、彼の作り上げてきた音楽を知りたいと思うようになった。そして自叙伝を読み、アルバムを聴き始めた。(Donna Leeさんという方がマイルス・デイヴィスに非常に詳しく、アドバイスを頂いた)Donna Leeさんのブログを前から読んでいたので、マイルス・デイヴィスという人がジャンルを超え、常にミュージックシーンをリードしていた事は知識として知ってはいたけれど、マイルス・デイヴィス本人の言葉として書かれた自叙伝を読むと、さらにそのマイルス・デイヴィスという存在に圧倒された。それについて暫く書いていきたいと思っている。(自問自答しながら書いて納得しないと、飲み込めないところがあるので)はっきり言って、私には理解できない部分が多くある。まずジャズという音楽そのものと、ジャズ界を知らなさ過ぎるという事があるし、その歴史も無知同然だ。黒人社会の成り立ちについても、明るくは無い。後はドラッグについて。このドラッグについては、深く探れるものなら探りたい。素晴らしい演奏とドラッグ使用は切り離せないものなのか、それとも常用してしまうと、それがないと、体の調子が悪くなってやらずにはいられないのか。専門家がそういうことについて書いていると思うので、読んでみたいと思っている。あとは自叙伝を読んでマイルス・デイヴィスの発する言葉がとても好きになった。例えば彼が生まれて何年かして、大きな竜巻がやって来て、当時彼が住んでいたセントルイスを滅茶苦茶にしてしまった。マイルスは時々癇癪を起こすのはその竜巻のせいではないかと思っている。それについて彼は次にこう語っている。「あの竜巻が暴力的な力をオレの中に残していったんだ。いや、あの強い風のヤツと言うべきかな。だって、トランペットを吹くには、強い風が必要だろ。オレは不思議なことや超自然の現象を信じているんだ。竜巻だって、そうじゃないか」「あの強い風のヤツと言うべきかな。だってトランペットを吹くには強い風が必要だろ」という部分が特に気に入っている。つづく
2006.01.31
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音楽は人の心を癒す効果がある。音楽というのは物語と似ているといつも思う。勿論それは個人的に私の好む音楽についてだけれど。共通しているのは、癒されるというものが多い気がする。物語や小説も好むものはどこかそうゆう効果のあるものを読んでいた。書く事も結局は、書くことによってどこかですっきりしたりそれによって気持ちがとても楽になったりする。重たいものを抱えていたのが、解き放たれた感じが一瞬するものだ。それは持続性はない。ホンの一日だけのことだけど、それを得たくて音楽を聴いたり、本を読んだり、書いたりする。暫く書きたくないな、なんて思っていても不思議とまた書きたくなったりする。そして、書きたいと思うものが出て来たりする。書くことで、幾つもの人格や、幾つもの人生のある部分を生きたりする。結局は自分が創り出しているわけだから、それになりきっている。男の子になったり、母親になったり、お父さんになったり、女の子になったり。それって結構面白い。自作自演みたいで。全部その中では自分の考えのままに行動できるから。思うのは、その自由に出来る世界を求めて書いているような気がするという事。創作するというのは限りなく自由であることだと思う。だから実人生なんて書けないなぁと思う。とても苦しい作業のような気がする。書いたことがないからわからないけれど。でも書き始めの頃は、まだブログを始めるうんと前は実生活についてちょっと書いたりしたけれど、書いていて面白くなくてどこまでも暗くなって行きそうだったから何も書き切れなかったし、書きたくなくなった。やはり遊びが無いとつまらない。創作って遊びなんだと思う。でもいつか自分の人生も遊びのように書けたらいいナと思う。そのためにも楽しい人生でありたい。勿論哀しいこととか、苦しい事とかあっていいんだけどそれでも楽しかったと言える様に年をとりたいと思う。
2006.01.29
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昨日で話を書き終えた。毎日一話を書くのに大体2時間から3時間はかかってしまう。でもその時だけはとても集中しているから、時間はあっという間に過ぎていく。書き溜めておいてアップするわけではなく、その日その日の夜にほとんどの場合、創る。その切羽詰った状態でなければ、書き終えることは出来ないと思う。何でも良いから、出てきた言葉を書き連ねていくしかない。だから言葉尻とか、~だった、~だった、のように単調になってしまう。そこまで直していたら、更に時間がかかるからそのままアップしてしまう。どうせスケッチのようなものなのだ。このままでは使い物にならないのはわかっているけれどその日にアップするという緊張感がなければほとんど毎日4000字前後の創作なんて出来ないなぁ。今の私の能力では。後は話の持って行きかたも、時系列でしか書けないし。大体思いつきで毎日書いているから。十代の高校生の話と言うだけでそれ以上のテーマもないし。構想も何もないので、書きながらイメージするだけ。頭で考えて練り上げた文章よりもそのまま出てきた言葉の流れや、勢いを大切にしたいといつも思っている。十代を題材にしたものを書きたかった。そういうものを一度は書いてみたいなと思っていたので。でも書いているといつまでも終わらなさそうだった。話の中の二人が付き合っていた日数だけ書けてしまいそうだった。例えば半年間付き合っていたとしたら、180話になってしまう。もう10話で沢山という感じでした。登場人物にちゃんとした名前をつけるようになってから、長い話が書けるようになった。前はこんなに長く書けなかった。短い話が好きだったし、長いのは書けないと思っていた。ミニマリストと呼ばれる人でも、いつしか長い話を書き出すものだ。始めは大体短いものから始める人が多い。それはそう。よほどでない限り、始めからそんな事できないと思う。何でも出来る人も中にはいるとは思うけど。そして短いものしか書けないという人も。人それぞれだから。今度の話もちゃんとした形にする為に、時間があったら非公開で言葉尻を直したり、もっと詳細に描写したり足りない部分を書き加えたり、話の順序をシャッフルしたりするつもりだ。そういう作業が結構楽しいし、好きだ。いい加減で、雑だった文章が、段々に洗練されていく。と思う。自分では。そして、チェックしてくれる友達が最近出来た。ずっと前からの知り合いだったけれど、仕事の関係で良く会うようになった。そして彼女と以外に音楽の趣味や本の話が楽しく出来るので思い切って、自分が創作していることを話してみた。そしてコンテストに出す時にチェックしてもらうようになった。読んでもらっておかしいところや、誤字脱字までみてもらっている。
2006.01.28
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二人はテーブルを挟んで、そのホテルの有名な庭園を窓越しに見ていた。「陽がもうすぐ沈むね。時間が経つのは今も昔も変らなく、僕には速く感じる。まだ大丈夫?」「大丈夫・・・もう俺って言わないのね。今は僕っていうのね」「いつからかな・・・、多分最近だと思う。授賞式でインタビューされた時、僕って言ってたんだ。それまで僕なんて言ったこと無かったのに。そうとう上がってたね、きっと。でもそれからずっと僕って言うようになってた。君に言われるまで、僕自身気がつきもしなかったよ」私は会社の同僚の結婚式に、構造は知人の講演会に、赤坂のホテルに来ていた。私は式のあと、二次会までの時間を潰す為にガーデンラウンジにいた。会社の仲間は、二次会に出席する為に、花嫁でもないのに、着替えに行っていた。構造もやはり、講演をした知人との、飲み会までの時間を潰すために、窓際の席に1人でいた。電話をする為に立った時、構造のいるテーブルの前を通った。高校を卒業してから、一度も会ってはいなかった。私は結局夢が破れ、水泳から離れていた。そして構造は、夢を叶え、まだあまり有名ではなかったけれど小さな映画祭で賞を受賞する映画監督になっていた。私は前にもちょっと触れたけれど、構造とのことと水泳を両立できなくなって、構造と別れるほうを選んだ。コーチにも集中するために、出来るだけ、異性とは付き合うなと言われていた。はじめは関係ないと思っていたけれど、構造との気持ちの行き違いが原因でけんかをしたりすると、イライラしたり、心配になったりと、気持ちが揺れるので練習にやはり集中する事が難しく、それをコーチに指摘されていた。このままではどっちも駄目になると思って、水泳を選んだのだ。勝手な願いとしては、そっとして欲しかった。そして遠くから見守って欲しかった。私が挫けそうな時、力になって欲しかった。それがどれだけわがままな願いかはわかっていたけれど本当に私を好きならそれが出来ると思っていた。私が構造の夢をかなえるためなら、そうするだろうと思っていたからだ。でも構造にそれを望むのは、あまりにも無謀だった。今思うと、私は間違っていたとはっきり言える。甘えていたのだ。人を大事に出来ない人間は何も掴めない。会えないにしても、思いやりが構造に対して足りなかったのだ。もっと構造のことを考えていれば、構造も納得してくれたかもしれない。私はただ、何でわかってくれないの、と自分を責めないで構造を責めていた。JO杯で決勝に残るのが取りあえずの目標だったけれど0.01秒の差で、九位に終わって、八位入賞を逃がした。それは2年の夏のことだった。けれど3年は思うように伸びなくて、とても決勝を望めるタイムではなかった。大学で水泳を続けることも考えたけれど、自分の中ではもうこれ以上は無理だということがわかっていた。水泳を辞めたとき、紗織のお墓参りにはじめて行った。その帰りに紗織の家に行って、お線香をあげさせて貰った。紗織のお母さんは私が来た事をとても喜んでくれて今まで来れなかった気持ちをとてもわかってくれていてでもいつかきっと来ると信じて待っていたと言ってくれた。構造は私と別れた後、1年のときチョコレートを貰った子と付き合っていた。かなりショックだったけれど、文句は言えなかった。その頃は本当に辛かった。でも段々に二人が学校の中で一緒にいるのを見ても何も感じなくなっていった。いつも二人は一緒だった。とても仲が良さそうだった。構造はそれでも私とばったり廊下ですれ違ったりすると、元気?と声をいつでもかけてくれた。そんな時は、ふざけて、もう死にそう!なんて言って、哀しい気持ちを気づかれないように誤魔化していた。卒業式の帰りに彼女と歩いている構造と会った。「元気そうだね」と構造は私を見た。「まあね、なんとかね」私は出来るだけ笑顔で話した。「水泳やめたんだってね。店に君のお母さんが買いに来てくれてそんなことをうちの母親に言ったって聞いたから・・・」「そう、今度こそ納得してやめたの。限界を本当に感じたから。何のために何もかも犠牲にしたのかって思うけど、それも後の祭りってことね。でもやってみないとわからなかったし、紗織のこともあったから・・。自業自得よね。ごめん、つい、話し込んじゃって、彼女が待ってるわね。じゃ、またいつか・・。映画監督になるんでしょう?頑張って、夢を叶えてね」私はそれだけ言うと、歩き出した。後ろは振り返らなかった。駅に向かって歩いていた。これからは大学も行かずに全く違う道を歩くことになっていた。角を曲がって横断歩道を渡ろうと信号待ちをしていると、後ろから私を呼ぶ声がした。私は振り返らなかった。それが構造であることはわかっていた。構造は私のとなりに立つと「はじめからやり直せないかな」と言った。けれど私はいろいろな思いを込めて「出来ない」と言った。「なにがあっても、なくても、いつでも電話してほしい」と構造は、私の、出来ない、の本当の意味を察しながら言った。「ありがとう。あなたのやさしさと思うわ。でも私は平気、今までもやってきたし、これからもやっていくだけ、心配しないで」構造は何も言わなかった。ただ私を見ていた。そして私は構造から離れて行った。それが青春の終わりだった。昨日の事のようだね、と言う構造は、少し年を取った少年みたいだった。本当にね・・・、と言いながら、私は暮れていく空を窓越しに見上げて、今日という日の持つ意味を考えていた。夕日は赤く空を染めるけれど、沈む夕日をどうすることも出来ない。明日という日が来るために、陽は沈まなければならない。だから時を止める事は出来ないから、いつでも明日を生きることだけを考えていればいいという事を。完
2006.01.27
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「組織(さおり)、先週の木曜日、新宿辺りを坂口構造君と歩いてた?」千絵と昼休みに教室でお弁当を食べていたら、同じクラスの吉田さんという子がわざわざそんなことを言いに来たことに、とてもびっくりした。「えっ、そうなの組織(さおり)!」しかも千絵は私以上に驚いている。「付き合ってるんでしょう?そういう噂もあるんだけど」と、吉田さんは何か特別な秘密でも掴んだ探偵のように、得意げな顔を見せた。私がなんて答えるのか、千絵も息をひそめて、私を凝視しているのが感じられる。どうしてそんな他人事に熱くなるのだろう?どうでもいいことなのに。誰が誰と付き合おうと、別れようと。それとも構造は以外と、女子の関心が厚いのだろうか?普通の人なのに。「何でそんなことに興味があるの?」私は疑問として聞いてみる。「噂の真相を確かめたいだけよ。構造君と組織(さおり)って意外な組み合わせっていうのもあると思う。どっちが先に好きになったの?ねえ教えてよ」普段話したこともないのに、こういう時だけ親しく話されるのも、あまりいい気はしない。間違っても、友達になりたくない人だった、吉田さんは。「なんでもいいけどさ、黙って聞いていれば随分勝手なこと言うのね。悪いけど、今食事中なの。そういう話は持ち込まないでくれるかな?迷惑だから」ふん、という顔をして、吉田さんが自分の友達のいる場所へと戻って行くのを見極めてから千絵が「ちょっと吉田さんて、無神経な人だけど、さおりも案外言う時は言うのね。びっくりした」「そうかしら、当たり前のこと言っただけよ。千絵だから言うけど、構造君とはあれから日が合えば一緒に帰ったりしているの。お互い好きって言えば好きだけど、私も水泳もあるし、これから忙しくなるからこの先どうなるかはわからないけれど、今のところは友達以上で、いわゆる恋人未満ってとこかな」「そうなんだ!きっとケイコ、ショック受けるかも。ほら、同じテニス部で、構造君にチョコあげた子いるって言ったでしょう?」「聞かれるまでは言わないほうがいいんじゃない」「勿論、そのつもりだけど。でもいいね、羨ましいな。構造君がさおりを好きになったのね」「どっちがっていうか、お互いにね」「ふ~ん。ますますいいなぁ」「そうなんだ、そんなに羨ましがられることなんだ」「だっていいじゃない。幸せでしょう?」「でもいろいろあるよ、問題は。私は水泳にこれから力入れていくつもりだけど構造君が理解してくれるかどうか・・・、まだわからないんだ」放課後、校門に行くと、構造はいつものように先に待っていてくれた。「どうしたの?浮かない顔して。何かあったの?」「そんな変な顔してる、私?」「ああ、いつもの組織じゃないな。元気もなさそうだし」私達は歩きながらそんな話をした。「今日ね、同じクラスの子にね、構造と一緒のところ誰かに見られたらしくてつきあってるって噂だよって言われた。それに意外な組み合わせなんだって。私と構造って。しかもどっちが先に好きになったのかだって。だから、はっきり、迷惑って言っちゃった」構造は笑っていた。「何がおかしいの?酷いと思わない。ほとんど話したこともない子なんだから」「きっと、むっとして、言いたいこと言ったんだろう。それもキツく。いい加減にしときなよ、みたいな感じで」「・・・。そこまでじゃないけど、何でわかるの?」「わかるよ。はっきりしてるからな。俺なんていつもビクビクもんだよ」「そうなの?」「ああそうだよ」構造は笑って私の深刻そうな顔を見て楽しんでいた。「はい、付き合ってますって言えばいいんだよ。でも組織は言わないな。言えないよな。言うわけないし」「構造は友達に私の事話した?」「ああ、部活の奴らには言ったけど。みんな驚いてたよ。お前が?って」「私も千絵っていう同じクラスの友達に話たんだ。羨ましいだって」「みんなそう思うみたいだな」新宿に着くと構造は、楽しい時間はあっという間だね、と淋しそうに言った。「会えない時間って、大事な気がする。いつも時間が有り余るほどだときっと水に薄まっていくような関係になりそうじゃない?それよりも、短い時間を大事にした方が、深まっていくように思える」言ってから後悔した。構造はまたなんだか変になっている。構造に抱きつかれる前に、それじゃ明日またね!と言って手を振って先にさよならをした。構造と別れた後、新宿駅の地下の雑踏の中を歩いていると、後ろから私の名前を呼ぶ声がして、はっとして振り返ると、構造が立っている。そして私の頬に、あっという間に唇で触れると、何事も無かったように走り去っていった。立ちすくむ私を迷惑そうに人々がぶつかってゆくけれどその痛みを感じないほど、私は上の空になっていた。もしかしたら、その時の構造が一番素敵だったかもしれない。それはまるで映画のシーンみたいに私の中に色濃く残っているから・・・。つづく
2006.01.26
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昨夜夢を見た。電車に乗っていて、ある人と一緒に並んで座っていた。その人は芸術家で、私のスケッチブックを見せると、何かをずっと書き込んでいた。それが終わって、スケッチブックを手渡されて、開いてみると、全ての絵にコメントが記されていて例えば、ここはもう少し、色を強く出した方が良いとか、このラインはぼかし気味にとか、これはよく出来ています、と言う様に。そして空いている所々の箇所には、その人の描くモノトーンのイラストのような絵が描き込まれていた。そのイラストのような絵は風変わりで、今まで見てきたもののどれにも似ていなかった。人物も描かれていたけれど、とても不思議な例えようもないものだった。私はすっかりその絵に夢中になっていた。多分穴が開くほど見ていたのだろう。となりに座っているその人も、一緒にスケッチブックを見ている。でも私達は何も話さずにただ、それをじっと見ている。でもその二人の間にはシンパシーが感じられた。何にシンパシーしているのかはわからないのだけれど、ただ感じていた。そしてその状態が続いていることが自然だった。違和感が無かった。電車は何処へ行くのか、それはわからない。何の目的で乗っているのかも。とても不思議な夢だった。今日は夜、泳ぎに行ったけれど、なんとなくあまり気が乗らなかった。雪が降ったこの間の土曜日の日中、泳ぎに行くと、男の人が1人いるだけだった。そのうちぱらぱらと5、6人増えていた。プールはガラス張りになっていて、外は一面白い世界。雪は止むことを知らずに降り続いている。子供達が雪合戦をしたり、雪だるまを転がして造っているのが見える。タルコフスキーの“鏡”という映画のワンシーンみたいだった。その時シンディー・ローパーの“Time After Time”が流れ始め、いいナと思っていたら、ブッツという音がして、切れてしまった。その後にかかった曲はクール&ザ・ギャングの “ジョアンナ”だった。昔良く聴いた曲だ。その日は調子が良く、結構泳いだ。帰りに表に出ると、来る時に係りの人が雪掻きしていた道は、十分過ぎるほど、雪が積もっている。2時間の間にそれだけ降ったのだろう。子供達の姿は消え、誰もいなくなっていた。私は1人雪の中を傘もささずに歩いていた。その時、不思議な感情に襲われた。何も心配は要らない、何にも心配する事はない、という気持ちが急に押し寄せてそれまで抱えていた重たいものがすっと引けていくように感じられ急に体が軽くなったような錯覚を起こした。そしてそれは、ちゃんとなるようになるから、心配はいらないということだった。そして今思うと、昨夜の夢とそれは繋がりがある様に何故か思えた。それは関連している。そういう考えが何処からともなくふっと浮かび上がってくるのだった。
2006.01.25
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「なかなかいい子じゃない?感じが良くて、すれていなくて。何時ごろ帰ったの?」「お父さんが三時ごろ帰ってきたから、恐縮してその後、直ぐ帰って行ったけど」「あらそうだったの。せっかく大変な思いをして来てくれたのに、そんなに早く帰ってしまったの。お夕飯でもご馳走しようと思っていたのよ」「でもあんまり遅くなると、帰りが大変だし、今日はそれで良かったのよ」「そうなの?なんだかあなた浮かない顔してるけど、何かあった?」母はホームパーティーのお土産の、牡蠣のコキールと、ほうれん草とベーコンのキッシュ、舌平目のムニエルそれに付け合せの人参のグラッセと、カリフラワーとインゲンをお皿に盛り付けていた。私はコンソメスープとクロワッサンを温めて、テーブルに置いた。父は書斎に籠もったきり、出てこないので、父の分をいつものように運んで行くと、「ありがとう」と言って、直ぐにドアを閉めてしまった。「お父さん、なんか機嫌悪そうだった」と母に告げると、「男親って、どんな男の子でも、気に入らないものなのよ」「構造のことを気にしてるってこと?」「そうよ。誰もいない家に二人でいたことが気に入らなかったのもあるんじゃないのかしら?」「そうなんだ。お父さんって何にも気にしない人かと思っていたけど、気にするのね」「一応ね、気にするのよ。そういう事は」母は十分ホームパーティーで食べてきたからと、コンソメスープだけを飲んでいた。私はみんな好きな食べ物ばかりだったので、次から次に食べていた。特にコンソメスープはきれいな黄金色をして、味に深みがあってとても美味しかった。クロワッサンもフレッシュバターを使用していたので、香りが良く濃厚なバターの味がした。「普段気をつけて和食ばかりだったけど、たまにはいいんじゃない、こんな食事も」と母は勢い良く食べている私に半分呆れながら言った。「今日ね、構造に練習を増やす話をしたんだ。でも学校の帰りは大体一緒に帰れるし、大会が無い日曜日は会えるし、でも構造はショックだったみたい」「それはそうよ。自分だけを見ていて欲しいって思うのが普通でしょう?あなたが違う方を向いているのが辛いんじゃないかしら」「それはわかってる。でもなんでなんだろう。私は構造にもっと自分のやりたいことをやって欲しいし、それについては応援したいと思う。それが原因で会えないとしても。でもきっとそのうち、夢から醒めるみたいに、私から醒める日も来ると思うのね。今はちょっと自分を忘れているみたいだから。そうしたら、映画を撮るという夢を追いかけると思うんだけどな。前に喫茶店でお茶したとき、前衛映画研究会を辞めて、自主映画を作りたいって言っていたから。その為にバイトもしなければならないって」「そうね、そうなってくれるといいわね。構造君のためにも。あなたの為にも」母が冷蔵庫で冷しておいた、フルーツポンチを出してきてくれた。私はまるで小学生のように大喜びで、ガラスの器に入ったそのソーダ水の中の、丸くくりぬかれた様々な色の果物を頬張っていた。「あなたもまだ子供ね」と母は本当に呆れていた。10時すぎに構造から電話があって、帰りは雪もほとんど上がっていたので一時間くらいで帰れたらしい。家に戻ると中学時代の友達が誘いに来て、友達の家に行っていたと言うことだった。「まだ良く考えてはいないけど、何とかなるよね。とりあえず、毎日一緒に帰れるんだし」「自分の夢よりも私といた方が楽しい?」「今はそんな気になれない。でも夢を忘れたわけでもない。ただ今は手に着かないだけで」「構造の映画見てみたいな。どんな映画を撮るんだろう」「まだ何にも決めていないんだ。まだ白紙だよ」「とにかく、楽しみにしているからね」「ドキュメンタリーになると思うけど。一番初めに撮るのは。それだけは決めてるんだ」構造との電話を切ると、私はお風呂に入って、自室へ上がって行った。ベッドに横になると、天井を眺めた。明日からは日曜日以外は毎日泳ぐようになる。コーチについて練習する日はいいけれど、一人で練習する日は自分で自分に厳しくしないとならない。きつくなった時、もうここまでで今日はやめよう、なんて気持ちでやっていても、速くはならない。速くなりたかったら、1人でもきっちり出来ないと駄目だった。辛い時に、怒鳴られたり、はっぱを掛けてもらえるから、頑張れるというのがある。側に誰もはっぱをかけてくれる人も無しで出来るか、正直不安だった。でもとにかくやるしかないのだ。机の上の紗織の写真を見る。紗織と私が写っている。二人とも良く似ている。紗織の青い瞳は水晶みたいだった。透き通っていて、吸い込まれそうだ。でも紗織は私の茶色の瞳を羨ましがっていた。どうして?と聞くと、この国ではその方が目立たないから、と言った。でもそれはね、紗織の瞳があんまりきれいだから、誰もが羨ましくて見るんだよと言っても紗織はわかろうとはしなかった。たった瞳が青いだけで、随分酷い事を言う人もいたし、信じられないけれど、あからさまに嫌な顔をする年配の人がいた事も事実だった。クラスでも紗織のことを青といい、私のことを茶色と呼ぶ男子もいた。そんなときは紗織と二人して、そのこが謝るまで、延々と文句を言い続けた。紗織は直ぐに泣くような子では無かったし、不正を見過ごしたりせずに戦う姿勢が幼い頃からあった。弱いものに優しく、強いものに立ち向かう子だったのだ。紗織の分まで生きなければ。紗織に恥じないように。私は紗織にもう少し待っていて欲しいとお願いしてから、部屋の電気を消した。目を瞑ると紗織の顔があった。紗織は笑って私に、待っているからね、と囁いているように見えた。つづく
2006.01.23
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構造から昼過ぎに連絡があって、芦花公園から新宿までは電車は走っていたけれど徐行運転で、しかも各駅の停車時間が長く、途中で止まってしまったりもして新宿まで2時間近く電車に乗っていたそうだ。母がとりあえず家に来てもらいなさいというので、駅まで迎えに行った。構造はブルーと紺と白の縞模様のスキー帽をかぶり、紺色のダッフルコートを着てスキー帽とお揃いのマフラーをして立っていたので誰だか初めわからなかった。私が構造の前を通り過ぎると、構造は私の腕を掴んで引き寄せたので、思わず、キャーと言うと「俺だよ」と言いながら、ドサクサに紛れるように肩を抱いた。私もかなり厚着をしていたし、特に寒かったので、まあそのくらいは許そうと思って黙って歩き出した。「電車がそれでも動いてくれていて良かったよ」と構造は白い息を吐きながら言う。「良く来る気になったわね。そんなに逢いたかったの?」と、探るように見ると「嬉しかった?」と聞き返すから「そうね、嫌な気はしないわね」と冷静に言うと「随分だな・・・」と言いながら私の顔を見て笑った。「私は雪が好き。雪が降ってあたり一面が白く美しく見える。汚れた街が消えて、違う世界に変る現象が好きなの。あと雪を踏むときのキュキュという音も」「雪が好きって事に、随分情感がこもっているんだね。俺には素っ気無いくせに」「言葉であらわせない事ってない?一言では言えないし、多くを語るのも違う気がして、だからただ黙っていることしか出来ない事って。私にとって人を好きになるってそんななの。どう説明していいのかわからないの。説明できるものなんて本当のものじゃないって気もするし、多くの美しい出来事は説明不可能だと思ってる」私は普通に言ったのだけれど、構造は感極まったとばかりにいきなり抱きついてきた。「人が見ているでしょう?ここうちの近くなんだから」と小声で言うと構造は私を離した。家に着くと母がお昼に、しょうが焼きと、けんちん汁と、揚げなすの煮浸しを作って待ってくれていた。母と構造はお互いに挨拶をして、幼稚園の頃の構造と私の話をした。構造は覚えているけれど、あれが私だったと聞いてとても驚いた。私が覚えていないと知るとちょっと膨れた顔をした。母は今日これからこの建物の中にあるフランス料理の教室のホームパーティーがあって、それに出かけて夕方まで帰っては来ない。構造は母の作った食事をとても美味しそうに食べている。「和食が好きなの?」と構造が聞くので、本当は洋食が好きなんだけど、和食を食べるように水泳のコーチに言われているので、なるべく和食を食べるようにしていると話した。「脂肪をあまり取らないほうがいいから?」「そうみたい」「随分熱心なんだね」「最近調子がいいからもしかしたら現役に復帰できるかもしれないんだ」「嬉しそうだね」「そうね、とても嬉しいわ。やっぱり紗織に対して自分が納得できることをしなければ、何も前に進めない気がしてた。ずっと水泳をしてきたから、それで華を咲かせることが私には一番の望みなの。まだ期待できるってだけで復帰が出来ると決まった訳じゃないけど。ただ今はそれに向かって全力を尽くしたいの」「上手くいえないけど、水泳に嫉妬しているな、俺。素直に頑張れよって言えないもんな。何でだよって思うよ。でも組織がしたい事を、するなとまでは言えないよ。出来るだけの事を今するべきだと思うのなら、俺となんて付き合っていられないだろう?」「明日から練習量を増やそうと思っているの。今は、月、水、金ってコーチについて習っているけどそれだけじゃ足りないから、コーチに練習メニューを作ってもらって日曜日以外はスイミングクラブの一般開放の時間に練習するつもり。ごめん勝手に決めて、相談もなく。でも一緒に帰れるし、新宿まで、それに日曜日は会えるでしょう?それで構造が良いって言ってくれれば今までどおりにしていきたいけど」「でも水泳の大会は大体日曜日にあるでしょう?これからはいろんな大会にも出るようになるんじゃないの?」「うん。まあそうだけど・・」その後はとても気まずい空気が流れて、構造は何を言っても心ここにあらずといった感じだった。きっとショックだったのだろう。構造は二人でいる時間をもっと考えていたと思うし一緒にいろいろなところにも行きたかっただろうし、もっといろいろ話もじっくりこれからしたかったのだと思う。その望みを私が全部潰してしまったようなものだった。「さっき言った事は本当だよね。信じてもいい?」構造は急にお茶碗を洗っている私のところに来てそんなことを言った。初め何のことを言っているのかわからなかったけれど、多分駅から家まで来る時に私が「好き」ということについて話した内容だと思ったので「好きについての事?」と聞くと「ああ、そうだよ」と言って、後ろから私を抱きしめた。私は随分辛い気持ちになっていた。構造のことを考えるといたたまれない気がした。何故私は構造を一番に考えられないのだろう、こんなに好きなのに・・。でも水泳の事と構造の事は私の中では全く次元が違っていた。それは仕事みたいなものだった。やめるわけにはいかないし、向上し続けなければならなかった。それが小さい時から身についてしまっているのだ。だからその意識を変えることは難しかったし紗織のこともあるからなお更だった。でもきっと紗織は構造のことを一番に考えてあげてというだろう。だけど構造と会い続けていろいろ話しをするだけではきっと終わらない。いつか構造は本気で私の全てを欲する日が来ると思う。でも私にはその気持ちはなかった。全くないわけではないけれど、その先に何があるのだろうと思ってしまう。行き着くところまで行ってしまった先には。そんなのは後の方が良いに決っている。今ももう、構造は我を失いそうな視線になっていた。玄関の鍵が開く音がして、構造は飛び跳ねんばかりに私から離れると、居間のソファーに退散して行った。朝早くから出かけていた父が帰って来たのだった。私は構造を連れて玄関に行き、父に構造を合わせた。父はすぐ書斎に籠もってしまうので、その前にちゃんと挨拶してもらいたかった。父はちょっと怪訝そうな目で私を見て、構造にごゆっくりというと、自分の部屋に入って行った。それからずぐ「俺帰るよ」と言うので構造を駅まで見送りに行った。「今晩ゆっくりと考えてみるよ。今は何も考えられないから、冷静になって頭を冷してみるよ。明日一緒に帰ろう。校門にいるから」「ありがとう。私を許してね。勝手なところを」「いいんだよ。仕方がないことなんだよ。でもお互いの気持ちがあればどんなことでも乗り越えていけるんじゃないかな、きっと」「そうね、そう思うわ。気をつけて帰ってね。着いたら電話して、心配だから」「わかったよ。電話するよ」構造は何度も手を振りながら帰って行った。構造のことを思い出すとき、いつも決まってバッハのG線上のアリアが私の中で響く。そしていつも哀しい気持ちにさせる。でももうそれは終わってしまったことで、私の中では完結していた。けれどそれを1つの形とし、私が生きたあの頃を、残しておきたかった。紗織のことも何もかもを。つづく
2006.01.22
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朝目覚めると、あまり気分は良くなかった。けれど昨夜から雪が降り続いている。窓の外は一面白くて、とてもきれいだった。こんなに雪が降り続いたのは何年ぶりだろう。もしかしたら電車が止ってしまって、構造は新宿まで来れないかもしれない。ベットから飛び出し、暖かい格好をして下に降りていくと、母は新聞を読みながらお茶を飲んでいた。「お休みなのに早いのね。もっと休んでいると思っていたわ」「今日はね、構造と会うんだけど、来れるかな?この雪で」「何処に住んでいるの?」「芦花公園、ほら駅前のケーキ屋さんあるでしょう。ベルリンっていう、あそこの子なの」「あらそうなの、あなたが小さい頃、お店で一緒に遊んでいた子かしら・・・。確かあなたと同じ年の男の子だったわ、そういえば」「え?いくつの時?」「幼稚園くらいだったと思うわ。お部屋に1人でいられなくて、お店に出てきていたのよ。可愛い男の子だったわ。目がクリンとして。あなた覚えていないの?」「全然覚えていないわ。でもなんとなく言われてみればそんなことがあったのかな、って気がするけど」「京王線は徐行運転で今の段階では止まってはいないらしいわよ。何時に何処で待ち合わせたの?」「10時に紀伊国屋で」「そのうち電話がかかってくるんじゃない?電車の都合で遅れるって」「それにこんな雪じゃ来ないかもしれないしね」「そう思う?私はあなたに会いに来ると思うわ」「どうして?確信なんて出来ないと思うけど」「来るわよ、きっと。だって初めてのデートでしょう?」「デート!そんなんじゃないけど。そんな大げさなことじゃ。改まりたくないし、普通でいたいの。だってドキドキしたりするのって、苦手なんだもん。もし構造が私の彼だとしたなら、リラックスできる関係でいたいの」「でもね、男の子は違うわよ。あなたが考えているようなのんびりした関係なんて。あなたは自分は自分って思っていてもね、男の子は自分のものにしたいのよ、好きな子を。その時あなたはどうするつもり?」「きっと、もめると思う。だってそんなの嫌だなぁ・・。モノにはなりたくない。自分の意思で何でもできるまでは、何もしたくないし、自分で責任の取れないことはしたくない。最近ね、クロールのタイムがね、上がってきたの。金曜日の練習でJO杯の標準記録が切れたの。自分では信じられなかった。練習量が現役の時より減ったのに。それが良かったのかな。だからこのまま様子をみて、タイムが伸び続くようであれば復帰できるんじゃないかって、コーチが言ってくれたんだ。まだ伸びる可能性はあるって言うの。まだ全力を出し切ってないって。余力を残してのタイムだったって。私、紗織のお墓参りも行ってないし、お線香もあげに行っていないでしょう?それはね、まだ正面から、紗織に会えないからなの。紗織に何も示せない。こんなことを頑張ってしたんだよ、って言えるものがまだないから。紗織はきっとそんなの関係ないっていうと思うけど、私が駄目なの。どうしても自分のせいで紗織が事故に合ったと思ってしまうの。その気持ちをぬぐえない限り、紗織に会いに行けない。会いに行くにはそれなりのことをしないと。だから現役に復帰するのが今一番の目標で、全国で入賞するのがその次の目標。それをクリアしたら、紗織のお墓まいりに行きたいし、お線香もあげに行きたい」「あなたは自分に厳しすぎるわ。紗織ちゃんはあなたのせいなんて思ってもいないわ。でもあなたが自分で納得しない限り、誰が言っても駄目な気持ちもわからなくはないわ。でもね、もっと自分を楽にしていいのよ。人はそんなに偉くはないのよ。間違いだらけだと思うわ」「考えておく。朝ごはん今日は何があるの?お腹が減った」母は鯵の干物と、卵焼きと、白菜のお漬物に、なめことお豆腐のお味噌汁を出してくれた。父は朝早くからどこかへ出かけたらしい。母にも黙って出かけていったそうだ。この雪の中を一体朝早くから何処へ行ったのだろう。何も聞かない母も変わっている。聞いても答えないから、しかたないでしょ?とは母は言っていた。母はいろいろ話してくれる。決して批判で終わるようなことはないし、理解しようとしてくれる。だからまあ素直に聞くだけは聞ける。ただ母の言うとおりにするかしないかは別として。朝ごはんを食べ終わった頃、構造から電話があった。電車は止まってしまったそうだった。でもバスを乗り継いで来ると言う。帰りが心配だから、今日はとりあえず中止にしようと言っても、構造は言う事を聞かなかった。家で待っていて欲しいと言う。新宿に着いたら電話するからと言って切れてしまった。その頃はその構造の重みに気がついていなかった。構造を失って初めて、どれだけ想っていてくれたのかを知った。構造が違う子と付き合いだした時の心の苦しみははかり知れない。私は構造よりも水泳を選んだのだ。両立は不可能だった。自分で自分の道を選んでおきながら、心はそれに逆らうかのように構造を追い求めていた。つづく
2006.01.20
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たった2日や3日で何がわかると言うのだろう。けれど私は構造を母が言うように好きになっていた。勿論人を好きになるのに日数が必要な訳ではないし、何か規定がある訳でもない。ただ気がついたら好きになっていたようなものだった。ルックスも構造は悪くもないし、顔もまあ人並みだった。同じクラスで仲良くなった千絵が言うには、構造と同じクラスのテニス部の子が構造を好きで、1週間前のヴァレンタインの日にチョコレートを渡したらしいけれどその後二人は何もなかったそうだ。けれどその女の子は今でも構造の事を諦めてはいないという話を聞いたときは少し気になったりもした。何でも、構造の誕生日が来月の初めだから、その日にまた改めて何かを渡すそうだ。「構造君と組織(さおり)って知り合いなの?」「たまたま帰りが一緒になって同じ方向だったから、ちょっと話しただけ」「そうなんだ。構造君てやさしいんでしょう」「よくわからない。あまり話してないし、良く知らないし」「女の子と自分から話したりしないタイプらしいけど、話すと凄く感じがいいらしいよ。話掛けられれば話す程度だから、あの子もお誕生日に何かあげても付き合うとか言う関係にはなれそうにもないかな・・・・」構造と中央公園で付き合う話をした次の日の昼休みの事だった。千絵に構造との一部始終を聞いてもらおうと思って、A組の坂口構造君って知ってる?と聞くと、そんな話が千絵の口から思わず出てきたのだった。千絵と同じテニス部の子が構造を好きと知った以上千絵には構造のことは話せないと判断した。千絵を信じていない訳ではないけれど、テニス部の子との付き合いのほうが最近親しくなった私とよりも長いし、それに同じ仲間としての気持ちもあるだろうからとりあえず構造との事は伏せておくことにした。今日は土曜日で午後は構造は部活に出るので待ち合わせはなかった。その代わり明日、朝10時に新宿の紀伊国屋書店の映画の本が置いてある階で待ち合わせをする事になっていた。ヴィム・ベンダースについての本が欲しくていろいろ探していると言っていた。昨夜構造から電話があって、そんな話をした。「なんか眠れないよ。付き合って欲しいなんて言ったの生まれて初めてだったから」「何で急に言ったの」「何でって、好きになったからじゃないのかな。好き=付き合ってください、と思うけど」「私が母の話しをしたから?母が心配していると思って、言ってくれたのかなって」「でもそれはきっかけでさ、付き合いたいなって最初の日から思っていたんだ」「何で?」「大塚駅に向かう途中の果物屋のガラスに写ってだんだ。俺と組織が並んで歩いてるところが。それを見た時、初め俺達だってわからなかった。似合いの二人だなってただ思ったんだ。それで良く見ると俺と組織だった。アレは不思議だった。客観的に見ると、以外にわからないんだなって」「それだけ?」「可愛いと思った」「何が?」「全部」「何処が?」「だから全部だよ」「嘘みたい」「だって誰が、自分の好きな子を可愛くないって思うんだよ。綺麗とか可愛いとか思うのが普通だよ」「そうなんだ。そうゆうものなんだ」「組織は俺の事、どう思うんだよ」「どうって、話が出来るところと、好きになってくれたところと可愛いと思ってくれたところと、真面目に考えてくれるところかな。でも最初の日の夜、いきなり電話くれたの結構ポイント高かったなぁ。後は付き合って欲しいて言ってくれたときの言葉が全部良かったから」「カッコ良かったからとかないの?」「別にないけど。普通だと思うけど。だってかっこいい人なんて、いっぱいいるでしょう。でも私に付き合って欲しいなんて言う人はそういないと思う」「じゃ付き合って欲しいって言われたら誰でもいいの?」「だからさっき言ったいろいろな要素が重なっているから。そんなに思ってくれる人はそういないでしょう。それから言葉も人それぞれ表現が違うし、私は構造が言った言葉が気に入っているの」電話で話しているとキリがなかったから、じゃあ日曜日ね、って言って切ろうとすると、「組織、まだ俺の事、好きって言ってないけど、俺の事好きだったら好きって聞きたいんだ。じゃないと日曜日まで待てないよ」「そんなあらためて言うなんて出来ない。それって自然に出る言葉だと思うから。もし聞きたかったら、普通にしてて。特別な事を考えないで」「冷たいんだね」「そうかしら、ただ言う事なんていくらでも出来るけど。それでもいいの?」「何でもいいよ、言ってくれれば」「好き」「本当に義務的な言い方だね。日記につけておくよ。記念に」「気に入ってもらえてうれしいわ」「じゃあ日曜日な」自室に戻るととても空気が冷たかった。窓の外を眺めると雪が降っている。薄っすらと屋根や道が白味がかっていた。まだ雪は降り始めたばかりだった。構造を好きな気持ちは一杯あった。それを言葉に表すことはとても私には難しい。好きだけでは納まらないだろう、きっと。雪が降っている。ただそれだけを言ったほうが気持ちがうんと伝わるような気がする。雨が降ってきたわ、とか。そんな風に言いたい。でも構造にわかるだろうか・・・。つづく
2006.01.19
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家に戻ると母は夕食の支度に忙しく、父は珍しく帰宅していて居間でテレビを見ながらビールを飲んでいた。父はとても無口な人でほとんど話しをしない。いつも考え事をしているような顔をして、突然立ち上がると書斎に籠もってしまうのだ。「またお父さん行っちゃった?」今も何かが閃いたような顔をして、書斎に行ってしまったのだ。「うん、いなくなったけど」「そう、じゃあ後でお父さんの部屋にお食事、運んでもらえるかしら」「わかった、今着替えてくる」父は何かを書いているようだった。何を書いているのかは母も私も知らない。父は書斎に鍵をかけていた。個人主義でまるで協調性がなかった。それでも母は特に不満はないように見えていた。私は母に「お父さんといて、何がいいの?」と、父に運ぶ食膳を母から受け取りながら聞いてみる。「良いも悪いもないでしょう。そういう人なんだから」それはそうだけど、口もきかない夫婦なんて、意味があるのだろうかと思う。部屋をノックすると暫くして父が出てきて、食膳を受け取り、「最近はどうだ」と珍しく話しかけてきた。全くそんなことを予測もしていなかったので、「うん、まあ、特に、何も、これと言って、ないけど」「なんでも、なにかあったらお母さんに話しなさい。お母さんには無理なことなら、お父さんに言いなさい。いいね」「わかった。そうする」父はドアを閉め、行ってしまった。母にそれを言うと「きっとあなたのこと、お父さんなりに心配してるのよ」「なにも心配することなんでないでしょう?何か問題ある?」「昨日の男の子は誰なの」「構造のこと?」「坂口って言う子よ」「だから構造っていうの」「親しいの?」「友達だけど」「お付き合いしているわけじゃないのね」「おつきあい!それはないけど、でも、何をお付き合いって言うの、一体。お母さんの基準では」「それは例えば、お互いの気持ちを確かめ合った上で、お休みの日とかに、出かけたりする事をいうのよ」「そうなんだ。じゃあ、付き合っていない。お互いの気持ちなんて、確かめ合ったりしてないもん。だってまだ昨日知り合ったばかりなんだから」「それで電話してきたの?」「そう」「じゃあ、あなたのこと好きなのよ、その人」「なんで」「知り合ったその日に電話してくるなんて、そうゆうことじゃないかしら。つまり一目惚れされたんじゃない」「怖がっていたみたいに見えたけど。おどおどしていたもん」「怖い人に電話はしないでしょう」「なにが言いたいの?」「お付き合いしてもいいけれど、何でも話してね。黙って無理なこととかしないで、相談して。言いたいことはわかるでしょう?」「まだ付き合ってもいないのに、そんなこと言うのっておかしくない?」「あなたも彼を好きって顔に書いてあるわよ」母は変に鋭いところがあった。何故かいつも私の心を見透かしていた。だから嘘はつけなかった。父と母は私の知らないところで会話しているのだろう。きっと父に構造の事を話したに違いない。だからさっき珍しく話しかけてきたのだろう。親に心配はかけたくないし、自分が困るようなこともしたくはなかったから、母が言う以上に自分ではあれこれ考えていた。中学時代の友達は遊んでいる子が多いから、男の子と付き合ってあまりいい話は聞かない。知り合う場所もディスコだったり、歩いていて声をかけられたとか友達の紹介とか、だった。簡単にくっついて、簡単に別れ、それを繰り返していた。ただ時間を浪費する為だけの付き合いみたいに見えたし相手が変わるだけで、何もかわらなかった。好きという気持ちが根本的に違う。いくら話しても平行線を辿るばかりだった。だから最近はほとんど誰にも会っていない。その代わり、高校の同じクラスの女の子で結構気が合う子が見つかって休み時間とか、昼休みには、話しをするようになった。その子は千絵と言った。ただ彼女はテニス部に所属していたので、学校にいる時間帯しか話が出来なかった。ほとんど毎日練習があったからだ。少しずつ学校になれたように思えた。構造と知り合ったし、千絵とも。今では学校へ行くことが楽しみになっていた。構造と帰りに待ち合わせしていると思うだけで、退屈な授業にも耐えられた。学校で構造と出会うことはなかったけれど、見かけることはあった。授業が終わって校門へ行く、構造が先に来ていた。「今日はやっぱり先輩から声がかかって、どうしても部活に出ろって言うからさ親を病気にして、ケーキ屋の手伝いをしなければならないからって、嘘ついて来たんだ」構造は嬉しそうにニヤニヤして話していた。「そう、じゃあ、ばれないうちに早く行こう」と言って私たちは足早に大塚駅に向かった。「ねえ、母にね、昨日の夜、付き合っている人いるの?って聞かれたの。それもね、構造のことなんだけど。電話してきた人はどういう人なのって。だから友達っていっておいたから」「心配してるんだね、お母さん」「何でも言いなさいだって。まるで子ども扱い。何でも親に言う高校生なんて気持ち悪いと思わない?」「でも大事な娘と思ってるから心配するんだよ」「それはどうでも良いと思われているよりはいいけど・・・」構造はちょっと考えごとをしているような顔をしていた。その表情が誰かに似ていた。誰だろうと思っていると、それが父である事に気が付いた。ちょっと眉間にしわを寄せて一点を見つめていた。「着いたよ。新宿に」と言うと、構造はふっと我に返ったような表情を浮かべて、慌てて降りた。「まだちょっと時間ある?それとも急いでいる?」「スイミングは夜だからまだ大丈夫だけど、行く二時間前に夕食を済ませたいから5時半までに家に着けば大丈夫だけど」「今は4時15分だから、あと一時間あるね」「どこか行きたいところでもあるの?」「そうじゃないけど、話がしたいんだ」「話?そう。じゃあどこか座れるところへ行く?」中央公園に向かって寒い中を歩いて行った。今日は二人ともウールのコートを着ていたから寒さを凌げた。二月の公園は何処も寒々しかった。暖かいコーヒーを買ってベンチに座った。「あのさ、まだ知りあって間もないけど、俺のことも良く知らないと思うけどこれから知って欲しいんだけど、まあ特に何があるって訳じゃないけどでも何が好きとか、何になりたいとか、何してきたかとか、そんなこと話していきたいし、聞いて欲しいんだ、これから。それで、俺の事どう思うかでいいんだけど取り合えず、そんな感じで付き合ってくれないかな?」それを言う間、構造はとても真面目な顔をして、目を離さずに話した。まさか構造がこんなにしっかりとしたことを言うとは思っていなかったのでちょっと驚いたけど、凄くいい気持ちだった。だから「私でいいの?」と聞き返した。「ほかに誰もいないよ」「じゃあ、選ばれて光栄ですって言えばいい?」私は笑って構造を見た。構造は笑ってはいなかった。私たちはお互いにちょっと見つめあってからどちらともなく目をそらした。そのままでいたらどうなっていたのだろう・・。「寒いからどこかでお茶でもしてかえろうか」構造は随分凛々しい顔をしていた。男の子って変わるんだなと思った。それから私たちは駅の近くの喫茶店で暖ままりながら、話しをした。今度の日曜日に会う約束もした。そして構造をいつものように改札まで送ると、別れ際に「今日は最高の日だった。ありがとう」と言った。私はただ黙って頷いた。今思えばそれは本当に最高の日で、それからは緩やかな坂道を下るように何もかもがゆっくりと色褪せていく。いつでも恋の始まりにかなう日なんてないという事をまだ二人は知らなかった。これからが始まりで、これからどんどん加速していくと信じていた。つづく
2006.01.18
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人の人生なんてわからない。私はまだその時16才という未熟な年齢だったけれど何もかもを知ってしまった人のように自分を感じていた。つきさっきまで一緒にいた人がもう数時間後にはこの世のものではなくなってしまう。まるで天使みたいな心を持っていたあの子が・・・。小学校の五年生の時のことだった。私と紗織は双子に良く間違えられるほど、とても良く似ていた。紗織も私も色白で髪が自然に茶色がかっていた。背も同じくらいの高さで、着る服もほとんど同じようなものだった。ただ瞳の色が私は茶色で、紗織はブルーだった。彼女の祖父がロシア人だったからだけど。その瞳の色の違いがなければ見分けられないほどよく似ていると言われていた。その日私と紗織は乙女山公園(正しくは御留山公園)という新宿区下落合にある都会では珍しい自然公園に遊びに行った。乙女山公園は鬱蒼とした緑に覆われ、山の中腹から沸き水があふれ、小さな池があり、夏の夜は蛍が見えた。丘の上には東屋があって、私と紗織は男の子達と鬼ごっこをするとよくそこに隠れて二人でひそひそ話しをした。同じ組の男の子と遊びに行くこともあればそこに遊びに来ている違う学校の子達と遊ぶ事もあった。まるで都会にいることを忘れてしまうようなその公園が私と紗織のお気に入りの場所だった。けれど椎名町辺りから歩くと、片道30分はかかるので結構思い切らないと遊びに行けなかった。その日思い切って遊びに行った為に、私とバイバイした後直ぐに紗織は環状6号線で事故に合い、帰らぬ人になってしまった。横断歩道をわたる紗織に、バイバイ!と声をかけて、振り向いた時の紗織の笑顔・・。あの時声をかけなかったら、紗織も周りに注意ができたかもしれない。そうすれば、事故にも合わなかったかもしれない。まさかトラックがそのまま横断歩道に突っ込んで来るなんて思いもよらなかった。ちゃんと手前で止るものだとばかり思っていた。けれどトラックは速度を緩める事無く、突き進んで、それが起きてしまったのだ。トラックの急ブレーキをかける物凄い音が今でも聴こえる。私は最後まで紗織を見ることは出来なかった。お通夜もお葬式も顔さえ出せなかった。だから私の中では、紗織が本当にいなくなってしまったことは、保留になっている。ただ認めたくないだけだった。卑怯だと思うけれど。認めることができない。その後いろいろなことがあった。ただ私は自分のできることだけを考えていた。何ができるのかを。組織は私の名前で、さおりは紗織と書いた。だから私は自分の名前と紗織の名前が似てもいたからそしきではなく、さおりにかえた。中学に行ってもさおりと呼んでもらっていた。なんて読むの?と聞かれると、組織って書いてさおりって読むんだよ、って教えていた。紗織をいつでも身近に感じるために。紗織と一緒に生きていると思いたかった。両親は、その気持ちを理解できなくて、相変わらずそしきと呼んでいたけれど。あと、紗織と私の違いは性格だった。紗織はまず人を決して悪く言ったことがなかったし、誰にでも親切だった。一緒にいてなんでそこまでというくらい、人が良かった。冗談で、そんなに人がいいと早死にるすから、もっと悪くなってもいいんだよ、なんて言ったことがあった。それを聞いて紗織は、死ぬわけないでしょう、と笑っていた。思い出すだけで死にたくなる。忘れられない。なんでそんなこと言ってしまたんだろうって、後悔してもしきれない。あの時それを言わなかったら、もしかしたら紗織は生きていたかもしれないとも思う。それから私は水泳を本気でやりだした。紗織がいなくなってから。それまでは言われるからやっていたけれどそれからは言われなくてもやるようになっていた。大会でも勝ちたいと思った。だから練習にも身が入った。出来ることはそれだけだと思っていた。自分を追い込む事。きつい練習に耐えること。そして結果を出す事。それをしないといられなかった。何かに熱中していないと、自分が駄目になりそうだった。それはとてもきわどいところにいたのだ。紗織の話を誰も私にはしなかった。私もだれにもできなかった。けれど沙織に対する想いは溜まっていく。後悔、責任、罪、自身の脆弱さ、哀しみ、憂いマイナスなことなら何でもわたしの中に積もっていった。それをどこかで処分しなければ、その重さで自分が崩壊しそうだったのだ。崩壊しても良かったのかもしれない。けれどわたしは健康で若すぎた。心は荒んでいっても、身体は動きを求めていた。じっとしていられなかった。動いて燃焼していなければ爆発しそうだったのだ。爆弾を抱えて生きているみたいだった。だから小学5年から中学二年までがわたしの全盛期だった。紗織に対する罪の意識がわたしを動かしていたから。けれど、それもたった四年で止ってしまった。リベンジも考えたけれど、14,5才でタイムが止ってしまった選手はもうそれが限界だと言われていた。その年頃から伸びていく選手には追いつけないと。その4年間にハードに練習をしすぎたのも原因だと言われた。だからわたしは現役を降りて、ただ水泳を続けることにした。とにかく水泳を辞めない事。自分に合った道で続けること。それだけだった。ここまで話すと構造は「大変だったんだね」と言ってくれた。「黙ってずっと聞いてくれてありがとう。紗織がいなくいなってから初めて紗織のこと、自分の事を人に話した、自分でもびっくり。誰にも言わないつもりでいたから。でもなんでだろう。話をしたくなって、話しちゃった」「俺なんて何にもないけど、でもなんかわかる気するよ。きっと誰でも苦しむよ。・・・ただ1つだけ言ってもいいかな。俺、さおりって呼びたくないな。やっぱりそしきって呼びたいな。だってそれが坂入の本当の名前だろう。さおりさんはさおりさんで、そしきはそしきなんだよ。他の人はいいけど、俺はただそうしたいと思う」帰りに校門で昨夜の約束どおり会って、一緒に帰った。新宿に着くと構造はもし暇だったら新宿でもぶらぶらしようと言うので寒い中新宿御苑の日本庭園の辺りを歩いたり、西洋庭園に行ってみたりしていた。そんな風にぶらぶら歩いている時に構造が「昨日、組織がいやだから、さおりって親しい人に呼んでもらっているって言ってたけど、何でさおりなの?」と思いだしたように聞いた。ふだんなら、「だって、組織と紗織って漢字で書くと良く似てるでしょう?」と答えるのだが、何故か構造にはそれが言えなくて、しばらく黙っていた。「何か悪い事でも聞いちゃたのかな?」と心配してくれたので「実はね・・・」と紗織のことを話し出したのだった。それは自然に溢れるように出てきて、止らなかった。構造は校門で会うと「昨日お母さんに怒られなかった?あんな遅くに電話したりしたから・・」顔を曇らせていた。だから「全然平気だったよ」と言ってあげた。「良かった。印象悪くすると電話もう出来なくなっちゃうでしょう」と屈託がなかった。新宿御苑でも、お菓子を買って食べたり、ココアを買ってくれたり、何かと親切だった。良く気がつくところがあった。構造はいかに前衛映画研究会が馬鹿げたクラブであるかを熱弁していた。部員が少ないので、先輩の手前なかなか辞めさせてもらえないと嘆いていた。初めの頃は気合いの入った映画を観に行ってかなり高度な話もしていたけれど段々堕落して、今ではハリウッドの映画を平気で観にいくような軟弱なクラブになってしまったと構造は言っていた。帰りはもう暗くなっていた。そしてすごく寒かった。お腹も減っていたし。駅に着くと京王線の改札まで構造を見送った。「今日はいろいろありがとう」「いいよ、なんにもしてないよ」「そう、でもね、結構してくれたと思うよ」「そうなんだ、ならまた何か出来るといいな」「きっとしてくれると思う、多分」「できるだけするよ」「私もなにかあったら、したいな」「何してくれる?」「エッチな事以外なら」「おもしろいこと言うね」「だってそういうこと男って考えるんでしょう?」「明日も会ってくれる?」「明日は水泳があるから、新宿に着いたらそのままお別れだけど、それでもいいの?」「かまわないよ。でもこのごろ部活ばっくれてるからそのうち呼びだされるかもしれないな」「ちゃんと出たら?」「そうだね。たまには顔を出しておけばいいんだよね。でも明日は部活にでないから、一緒にかえろう」「わかった。じゃね」「じゃあね」構造が消えていくまで見ていた。今日はなんだかとてもたくましく見えた。昨日はそうでもなかったのに・・。けれど今日で構造がとてもわたしにとって、大切な人になったことを構造は分かっているだろうか・・。つづく
2006.01.17
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私たち家族は、ニューステートメナーの屋上に建てられた二階建ての家に住んでいた。ニューステートメナーはとても大きく、複雑なつくりをしていた。特に私たちの住む屋上の家に行くには、エレベーターと非常階段を使って迷路の様な行き方をしなければ、たどり着けないように出来ていた。何故そんな変な場所に住むようになったかと言えば、私たちが住む前はある暴力団の組事務所として使われていたからだった。だから簡単には行けない仕組みになっていたのだ。要塞のつもりだったのだろう。組が解散して出て行ってくれたので、壊してしまおうとしたらしいのだが壊した後の廃材を運ぶのが大変なので、とりあえず貸家にする事になって父がたまたまこの建物の管理を一挙に引き受けている会社の役員と面識があり安価で貸してくれると言うので、それまで借りていたマンションを引き払って、ここへ五年前に移って来たのだった。ニューステートメナーは飲食店から郵便局、スーパー、クリーニング店と生活できるほとんどの物が敷地内に揃っていて、その上24時間の管理体制が出来ていた。駅も近く、都会暮らしが嫌いでなければ最高のロケーションだった。勿論私は気に入っていた。英会話教室から弁護士事務所、探偵事務所、塾、編み物教室から料理教室と様々な職種の人たちが、ここを事務所にして出入りしていた。いろんな国籍の人もいた。白人が主だったけれどイスラムのモスクとして使われている部屋もあったしインドの人たちのヒンドゥー教の寺院がわりになっていたりもした。住み始めたころは面白くて、一々館内を探検して回ったものだった。何処に行くにも便利だったし、前に住んでいた西武線の椎名町という池袋から一駅目の町に比べ、毎日が刺激的だった。新宿、原宿が直ぐだったから、学校にいるよりもそのへんをぶらぶらしていた方がその頃の私には楽しかった。その頃、西口の住友ビル別館にあるスイミングクラブに週三回通って泳いでいた。月、水、金の夜8時から10時までの2時間の、マスターズクラスに入っていた。昔、選手だった人が主だったから練習も厳しく、クラブでマスターズ大会に出場していてのでリレーのメンバーに選ばれたりして、結構本気で練習していた。私以外はみんな社会人だったから、とても親切にしてもらっていた。今日の練習はまあハードだった。アップに500m、その後はクロールで100mを1分50秒で泳ぎ10秒休む。それを続けて50回。速く泳げばそれだけ多く休みが取れる。例えば100mを1分45秒で泳げば15秒休める。5秒の差は大きい。泳いでいるうちにリズムが出来て、意識しなくても自然に1分45秒で100mを泳げるようになる。体が覚えるのだ。リズムが出来ると呼吸も楽になってくる。コーチにオマエには楽すぎたな、と言われた。確かに現役の選手を続けている中学時代の水泳仲間は今では凄い練習をしているだろう。私は脱落したのだ。タイムが止ってしまって全く縮まなくなってしまったことが、選手を辞めた原因だった。どんなことをしてもピクリとも縮まなかった。いつかきっと自己ベストを更新できると信じて続けていたけれど、一番の成長期に1年近く0,1秒も縮まなかったらもう辞めるしかなかった。その悔しさは今でも残っている。みんなが大会の度に平気で1秒近くも縮めているのに自分はどうにもならなかった。誰も何も言わなかった。言えなかったのだ。かける言葉なんてなかったと思うし、かけられても慰めにもならなかった。自分で何とかする以外方法はないことはわかっていたからだ。辞めるか続けるか・・・。そして私は辞めたのだ。多分自尊心が強すぎたのだろう。小学生高学年から中学二年までが私の全盛期だった。だから中学三年になって自分より遅かった仲間に抜かれ続けることに耐えられなかった。でも全て水に流して今は水泳を楽しもうと思っていた。やるだけのことはやったのだと思いたかった。家に帰ると母親が、坂口構造という同じ学校の男の子から電話が8時ごろあって今日は水泳に行っているので10時過ぎないと戻らないと言うとまたかけますと言うので、電話番号を聞いてこちらからかけさせると言ったと言う。「お友達?めずらしいわね。高校の人とはほとんどお付き合いがないのにね」母親は私の夜食の鳥雑炊を作りながら言った。泳いでほてったところに急に寒い中をマウンテンバイクを飛ばして帰って来た私はお風呂に入って、雑炊を食べたら、11時近くになっていた。母親はよしなさいと言ったけれど、私は構造の家に電話をかけた。勿論夜分遅くにすみませんと言うことと、電話を頂いたので何か学校のことで大切な用事があると思いましてと話を繕った。電話に出たのは母親らしき人だった。今お風呂に入っているからこちらからかけさせますと言う。一体なんだろう・・何でわざわざ電話してきたのだろう。学校で会えるのに。電話番号は学年名簿で調べたのだろう。私はお茶を飲んで居間で構造からの電話を待っていた。それにしても肩甲骨が痛む。今日は何だかんだアップとダウンを入れて6km泳いだせいだろうか。私はキックよりもストロークを使うほうだからか、肩への負担が大きい。明日時間があったら接骨院へ行こう。少しマッサージしてもらうだけで随分楽になるから。待てど暮せど構造からの電話はなかった。12時近くになったので諦めて眠ることにした。私は居間の電気を消すと二階の自室に上がっていった。明日は一時間目が地理だった。非常に眠くなる授業だった。先生はただ黒板に書き続けるだけなのでほとんど授業に出る意味がない。けれど明日出ないと単位が危ないので行かなくてはならない。目覚ましを6時半にセットしてベッドに入ると、下で電話のベルが鳴りだした。構造かもしれなかった。なんて間の悪い奴だろう。大体お風呂に何時間入っているのか。私はベットから出ると、そこらへんにあった上着を着て、下へ降りて行った。受話器を取って耳に当てると電話は切れた。多分構造だと思ってすぐ電話をした。「はい、坂口です」という心細い声がした。「坂入と言いますが、今電話した?」と、構造だと決め付けて聞くと「うん、した。もう眠ってしまったかと思って、夜分遅くなっちゃったし家の人にもはじめてなのに、大丈夫かなぁって、思っていたんだ。お風呂から出て直ぐかけようと思ったんだけど、親父に捕まっちゃってなかなか話しを辞めてくれなくて、電話できなかったんだ。親父は話し出すと長くて、しかも途中で話しをきると物凄く怒るんだ・・・ごめん関係ないね」「なにかあったの?電話くれたのは」「うん、特に何って訳じゃないけど、明日ももし良かったら一緒に帰らないかなって思ってさ。別に用事があるんならいいんだけど。学校じゃ話せないかなと思って・・」「前映会はないの?」「明日はない日なんだ。あっても休むけど。もう辞めることにしたんだ」「そう、別にいいけど」「じゃ、六時間でしょう?明日は」「そうね、確か」「じゃ、校門にいるよ」「わかった。じゃあね」「おやすみ」二階に戻ってベッドに入ると、何故かプロコル・ハルムの青い影が聴きたくなってカセットをリピートにして、何度も繰り返し聴きながら眠りについた。夢の中ではバッハのG線上のアリアが流れていた。青い影はバッハのこの曲をモチーフにしたからだろうか・・。でもやはりバッハの方が遥かに美しかった。私は夢の中で、広い草原に立って青い空を見上げこのアリアを聴いていた。この曲を聴くといつも、もしかしたら神様って本当にいるのかなって思ってしまう。神の存在を信じたくなるような気持ちになる。何故バッハはこんな旋律を生み出せたのだろう。何が彼に起こっていたのか。あのいかめしい表情からは何も見つけることは出来なかった。苦悩の中で生きているような顔だった。けれど心の中ではいつも空を飛んでいたのかもしれない。柔かな風が吹いていた。私も空を飛べるような気持ちになっていた。それほど心は軽やかで、私の中をその柔らかい風が吹きぬけていった。自由だった。全ては今日というから日から始まるように、その時の私はこの広い世界に立ち感じていた。つづく
2006.01.15
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構造と私はその二月のある寒い日に校門前で一緒になった。私は彼を知らなかったし彼も私を知らなかった。クラスがアルファベットのAからIまで9クラスあったし、私は帰宅組みで、彼は前衛映画研究会とかいう部に属していた。彼は坂口構造という名前で、A組で、京王線の芦花公園という駅から通っていて、家は駅前で洋菓子店を経営していた。私は坂入組織といい、I組で、住所は渋谷区代々木だけれど新宿駅から5分のところにあるニューステートメナーという大きなマンションに住んでいた。土地柄、事務所に使っている人が多かった。その日構造は部活の仲間と高田馬場にある映画館に「マイナス」というフランスに亡命したチェコの映画監督の作品を観にいく予定だったけれど、あまり意味のない作品だったので、具合が悪いと仮病をつかって部活を休んで帰るところだった。私はいつものように授業が終わるとさっさと校門へ向かう。学校は居心地が悪かったからだ。本当につまらないところだった。期待が大きかっただけに失望も大きかった。全てが平凡に見えた。全てが平均的だった。都立高の中間レベルの学校だったから、生徒は悪くもなく良くもなかった。自分もその一員だと思うとその場にいたくなかった。それを認めたくはなかったのだきっと。だから学校が終わると直ぐに帰宅して、バイトをしたり、スイミングクラブに通ったり、図書館に行ったり、それこそ映画を観に行ったりして過ごしていた。中学時代の友達はみんなディスコ通いに忙しかった。真面目だった友達も何故か高校に行った途端に遊びだしていた。真面目な都立高に行った友達ほど。分る気もした。あまりにも学校がつまらなかったから、遊ぶ以外になかったのだろう。そんな友達たちからよく誘われて一度だけ付き合ったけれど、深夜の新宿のディスコは好きではなかった。ただボックス席に座って大きすぎるボリュームの音楽を聴いて周りを見ていた。食べ物も飲み物も酷かったから手もつけなかった。狂ったような男たちが踊ろうと誘いに来るけれど、一々断るのも面倒だったからひたすら無視していた。皆は何であんな我を忘れられるのかが不思議だった。私があまりにも雰囲気に酔えないタイプなのか、それとも彼女達が軽率なのか、でもその場にいると酔えない自分が一番おかしく思えた。実際おかしいと言われた。何で踊らないの?おかしんじゃないの!でもその頃から自分が入り込まないでただ見ていることが好きだったのかもしれない。そこで何が起こっているのかを見ないではいられなかった。真剣に踊りに来ている人を見ていた。それが一番私をひきつけたから。グループで同じようなパターンで踊っているのはつまらない。オリジナルで一人か、男女ペアで踊っている人たちに自然と目がいった。どんなところでも真剣に生きている人は美しかった。何かを生み出す人たちは。ものまねではなくて。そんなことを漠然と考えていた。それ以来誰も私をディスコには誘わなくなった。校門で構造と一緒になった。お互い一人だった。構造はまるで飛び跳ねんばかりにギクッとした表情で私をみた。まるで怖いものでも見てしまったかのようにビクついた見方だった。私はたまにそんな見方をされた。多分あまりにも偉そうに見えるのだろう。堂々としすぎていると言われることがあったからだ。自分ではそんなつもりはないのだけれど、それが酷く私には気になったので、「なんですか?」と聞かずにはいられなかった。すると「1年?」とおどおどした口調で聞いてきた。そんなに怖いのだろうかと思うってしまう。構造は学校の制服である詰襟を着て、首に紺のチェックのマフラーを巻いて、髪は普通に横分けにしていた。私も私服も認められていたけれど、毎朝面倒なのでやはり制服を着ていた。「そう、1年」と出来るだけ優しく答えると「はじめて見るな・・」と一人でつぶやくように言った。私は特に構造に興味を持たなかったので、そのまま黙って歩き続けていると「家はどっちの方?」と聞くので、「新宿」と言うと「じゃ、新宿までいっしょだ」と言って私のとなりに並んで歩き出した。「何組?俺A組なんだけど」まるで子供みたいな奴だった。幼いと思った。だからなんでもいいいやという気になれた。この子に対しては特に構える必要は無いと判断した。「I組だけど」「じゃ会わないはずだね。教室が全然離れている。部活は何?」「帰宅部」「帰宅部か・・。俺はね、前映研に入っている」「なにそれ、ゼンエイケンって。聞いた事もないけど」「前衛映画研究会の略だよ。大した事してないけどね。ただ好きな映画を皆で見て、ああでもないこうでもないって話すだけだよ。この頃つまらないから辞めようかな、なんて思ってるけど」「ふ~ん」大塚駅に着くと私たちは定期を見せて改札を通り階段を登って、新宿方面のホームに立った。「俺はね、芦花公園って知ってる?そこに住んでるんだ。京王線の」「へー偶然ね。祖父母が住んでる。都営住宅に」「駅前のケーキ屋知ってる?ベルリンっていうんだけど」「知ってるも何も、良くケーキ買うし、そこでお茶もするけど、そっちに行くと」「それ俺んちだよ」「ウソ、信じれらない。もう小さい頃からずっとそこでケーキお土産に買ってる」「俺、さかぐちこうぞう、っていうんだ。なんて名前?」「言いたくないわ」「何で」「変な名前だから」電車が着いて私たちは乗り込むと空いている席に座った。座った途端構造は「何でもいいから教えてよ。変だなんていうと余計聞きたくなる」と目を輝かせた。「そこまで大げさじゃないけれど・・・笑わないでよ。坂入組織」「さかいりそしき?どんな字?」「さかは急な坂とかの坂でいりは入口のいりでしょう、そしきは組織図の組織」「めずらしいね。俺の構造もあまりいないけど」「どんな字書くの」「社会構造とかの構造だよ。坂口と坂入っていうのも似ているようで似てないし、構造と組織っていうのもなんか関連性があるような・・・まあ共通している部分があるな」「そしき、なんて呼ばれるとぞっとするから、親しい人にはさおり、って呼んでもらっている」「さおりね、また偉く違うな」あまり初対面の人と話す方ではなかったけれど、構造とはいつまででも話していられそうな感じがした。新宿に着くと構造は少しなごり惜しそうだったけれど、私はスイミングクラブに泳ぎに行く日だったので、京王線の連絡口へ行く階段の前で別れた。私は家に帰る方面に向かって人混みを歩きながら、普通に男の子と話したのなんて久しくなかったと思った。学校ではほとんど誰とも話しをしなかったし、中学時代の男友達とたまに偶然ばったり何処かで会っても特に話し込むこともなかった。構造とは気軽に話せる友達になれるかもしれなかった。少しは学校が楽しくもなるかもしれない。真剣にあまりのつまらなさに辞めようと思ったこともあった。この先二年以上も通うのかと思うと、嫌気が差していたからだ。だから最小限の単位だけ取ればいいように適当に授業をサボっていた。明日は少し真面目に一時限から出てみようかと思った。つづく
2006.01.14
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ずっと前に、まだ子供だった頃、別れの朝って曲があったでしょう。覚えてる?あの曲好きだったわ。別れの朝二人は 冷めた紅茶飲み干し さようならのくちずけ わらいながら交わした・・・別れの朝二人は 白ドアを開いて 駅に続く小路を 何も言わず歩いた・・・言わないでなぐさめは 涙を誘うから 触れないでこの指に 心がみだれるから・・・やがて汽車は出て行き 一人残る私は ちぎれるほど手を振る あなたの目をみていた・・・違うかもしれないけれど、こんな詩だったわね。大人の曲って感じがして、ドラマみたいに情景が浮かんで大人ってこんな風に別れるんだ、なんて思ったりしたわ。でもまだ幼いから、お友達のお誕生会にお呼ばれしたりして、前に出て、歌ったの。馬鹿でしょう?全然場違いもいいところだったし、みんなぽかんとしていたわ。真剣にね、別れの朝には紅茶を飲むんだって思ってたのよ。コーヒーじゃなくて、ココアでもない、紅茶なんだって。きっと白いポットにでも入っているんだなって考えるの。さようならするのに笑うんだ、大人はって。くちづけを交わすくらいだからきっと嫌いになって別れるわけじゃないんだでも、じゃなんで別れるの?なんの理由で?不思議だった。でもね、それが大人なんだって思っていたわ。わからない事が、大人のすることだって。白いドアの家に住んでいるのって素敵だと思った。駅に続く小路も。何も言わずに歩くのね。別れの朝は。きっと女の人は長い髪をして、身体にぴったりしたロングコートを着ている。ブーツを履いて。片手をコートのポケットに入れて、片手で男の人の腕に手をかけて・・。男の人は茶色の皮のジャンバーを着て、ジーンズを履いている気がする。髪は少し長いの。二人はきっとお似合いだったと思う。でも別れなければならない何かがあったのね。なぐさめを言うのは男の人みたいだから、男の人の方から別れを切り出したのかもしれない。なのに指に触れようとする。別れの決心をしているのに心をみださないで欲しいと思ったのね、きっと。汽車にのって出て行くのは男の人で、そしてちぎれるほど手を振るあなたの目を見ていた・・。汽車が見えなくなるまで見送ってから、今来た道を一人で帰るのかしら・・。そして白いドアを開けて、部屋で泣くのね、多分。どう思う?そんな別れ方って素敵じゃない?お互いにうらんだり、憎んだりしなで、お互いが言いたいことも言わずに別れていくの。お互いがお互いをすごく気遣っている。それが大人なのね。わかったよ。君の言いたいことは。もう十分だ。それだけ聞けば。別れたいんだろう。笑って別れるよ。わかっていたんだ。君がずっと思っていたことを。ただ言い出せないでいることも。僕も決心がついているから。君を恨んだり、憎んだりしないよ。僕は車で帰るから、汽車には乗らないけれど見送ってくれたら、手ぐらい振るよ。ちぎれそうには振れないけどね。私たちの終わりはそんな誤解が原因でした。ただ私は好きな曲について話しただけだったのに彼はそれを、私が別れたがっていると思ったのです。けれどその後彼はすぐに違う子と付き合いだしたから多分彼はそれを利用しただけだったかもしれません。私が振られたのです。でも後悔はしない。いずれは別れることになったのだと思うからです。そんなことがあっても、あの曲を嫌いにはなれませんでした。素晴らしい曲をありがとう、と言いたいです。歌詞和訳 なかにし礼歌詞を基に創作しました
2006.01.13
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ワカサギを一尾一尾ステンレスのバットに並べて、夕食の仕込をしている。君たちはまさか生まれてくるときは、冷凍されて、解凍されて、こんなところに並べられる運命だなんて、思わなかっただろうね。君たちはどれも同じ大きさで、同じ方向に綺麗に僕にならべられているけれど、多分嫌だろうね。生まれなおして、もっと魚らしい死に方を多少なりともしたかったと思うでしょう?マグロとかカツオみたいに君たちは戦って捕まった訳でもないしね。気がついたら網に入っていたみたいな感じかな?それともまさかワカサギ釣りのように一匹一匹釣られたわけじゃないよね。いずれにしても、君たちに同情するよ。出来たら僕もこんな仕事はしたくない。夕食の献立は、ワカサギと海老となすとかぼちゃの天麩羅に、若布としらすの酢の物、ふろふき大根、春菊と梅麩と里芋の白味噌仕立てのすり流しだ。二週間前も同じ献立で作ったばかり。でも別に僕には関係ないや。ただレシピどおりに作ればそれでいいんだから。献立を決めるのは栄養士だし。入居者もお年寄りばかりだから、二週間前のことなんて忘れてるかも知れない、あっ、でも結構食事にはうるさいんだった。まあ今のところ苦情はないから大丈夫だとは思うけど。家に帰ると亀が待っている。アイツは夜凄くうるさい。水槽の壁面に体当たりしてるんだ。ミドリ亀だからでっかくなっちゃうし、大変だようもう!これ以上大きくなって欲しくないから、餌は一日一回、水槽も大きくしない。そう、かわいそうだよね。わかってるけど・・。僕が小学生の夏祭りの縁日でこいつを釣ったんだ。二匹釣ったのに一匹しかくれなかったから、文句言ったけど、おかあさんが、亀は長生きするのよ!と言って一匹でいいですなんて言うから頭にきたけど、正解だった。まさか就職して一人暮らしするのに亀付きになるなんて思いもしなかった。置いていこうと思ったら、連れて行きなさい、あんたの亀でしょう!だってさ。僕の亀だけど名前も無いなそういえば。本当にかわいそうな奴。死ぬまでこんな狭い場所で、誰にも会わずにその日を迎えるのかと思うと・・。ただ孤独に一人でじたばたしてるだけなんて・・。あのいかにもまずそうな、かめのえさ、とか言うのをねだる為に大暴れするだけの人生なんて僕には耐えれない。キミのことを考えると涙がでそうだよ。僕、キミに一体どうしてあげればいいんだろう。最近別れた彼女が最後に僕に言ったのは、あなたの亀、亀弁天に逃がしてあげて、だった。わたしはあなたの飼い猫みたいになりたくないから、それは、その前に彼女が言った台詞だった。僕は意地でもキミを逃がしたりしないって、彼女に去っていかれた悔しさから、自分を省みずにいたけれど・・。でもキミを亀弁天の池に放してあげてもいいけどさ、一人で食べていけるのかな?池での暮し方を君は知っているのかって心配なんだ。それとも命がけでも、ここよりは生きてる実感がもてるのかな?ねえ、どっちがいい?ここか、それとも仲間が一杯いる池か。僕はキミのごつい顔を見る。首を出したり引っ込めたりしている。考えてるのかよ?何とか言えよな。池に行く確かに聴こえた。確かに聴いたんだ。本当に聴こえたんだよ。だから僕は電車に乗ってそれから行ったんだ。そしてこっそり亀を池に放した。初めはおどおどしてたけど、仲間と上手くやっていけそうだと言うから、それなら良かったねって言って別れて来た。彼女に報告しようと思ってる。君の言うとおりにしたよって。もう僕は君に窮屈な思いなんてさせないと言おう。自由を約束しよう、君に。
2006.01.11
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今朝一番で原稿を送った。間に合ってよかった。間でいろいろなことがあったけれど、それが良かったのかもしれない。とにかく開放された気分でうれしい。終えた後のこの感触が好きだ。そのために書いているのかと思うほどに。フルマラソンやトライアスロンをする知り合いの人たちがゴールした後に飲むビールの為にやっていると言う。なんとなくその気持ちがわかる気がする。原稿用紙100枚以上書いたのは、はじめてだった。書いている途中、見直すために続けて読みきれる枚数だけど、それ以上だとどうなるのか・・。未知の世界だからわからないけど、次は200枚を目指そうと思う。去年50枚書いた時、次は100枚と思った。それが出来たことが良かった。結果は気にしない。今は書きたいことが書けたことの喜びが大きいから。「両国の隠居」さんが、短編を書き溜めておく事が大事とブログにかいていらしたけれど、このブログをはじめたのも、短い話を書き溜める為だった。練習もかねて。今回書いたものに、溜めておいた短い話なり、連載したものが大いに役立った。それと歌詞を元に創作したり、詩みたいなものを書いたりと新しいことをしてみたのも良かったと思う。後は音楽から多くの刺激を受けた。スポーツにリズムは欠かせないけれど、書く事もリズムが必要だ。リズムの無い文章は読みにくい。読みにくいと思うと、リズム感の無い文章だったりする。書き直す時のポイントの多くはそれだった。これからも短い話を書き溜めていこうと思っている。それが種になるから。そして書き続けていく。いつかその種が花を咲かせる日を夢見て。そして書く事によって自分に何が出来るのかを、問いただしていきたい。多くの人に支えられて、自分が立っていられる事も忘れずに。
2006.01.10
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ギフトへあなたは私を知らない。けれど私は昨日あなたに出会った。私があなたを知る為に多くの人たちがかかわっている。多くの力が私にあなたを会わせてくれた。その多くの人がいなければ、私はあなたに出会えなかった。あなたは今どうしているの?あなたはふっとした顔をして、うつむいて、両目から涙を零した。涙はふとした瞬間にはらっとこぼれ落ちた。何枚もの写真がある中で、私はそのあなたの一枚の写真の前から離れられなかった。あなたのその表情が私を離さなかった。顔をゆがめて泣いているわけではない。ただたとえようのない無常さを感じさせるあなたがそこにいた。あなたの悲しみの大きさがそのまま私に伝わって私は涙がこぼれないように必死だった。あなたを写したカメラマンの高橋氏が胸をぎゅっとしめつけられた、その想いがそのまま、それを読むまでも無く、写真は十分物語っていた。写真展は主催のjojoさんの張りのある、明るい声がして、心和む雰囲気の中行われていた。お手伝いに来ているあんずさんがこまめに声をかけてくれる。ぬくぬくとした居心地の良い中で、jojoさんがリベリアで助産婦をしていた頃のまだ平和な時代のアルバムを見せて貰ったり、近隣の小学生の感想文を読ませてもらったりして時間は過ぎていった。けれど帰りの電車の中で、写真集を開いてみると、ギフトのあの涙の写真が私を再び悲しみの世界へと導く。あそこで止めたはずの涙が今度は容赦なく流れる。幸い乗った車両は座席が全て進行方向を向いていたから、顔を隠すように窓を見ていた。なぜこんなことを許しているのか、こんな事があってはいけない、絶対許してはいけない、と小学生は文章の中で強く訴えていた。それは子供を戦争に巻き込んで、恐怖心をなくすために麻薬を利用して兵士にしていることについて。それをさせていた大統領に対しての怒りの声だった。私も小学生と同じように思う。ギフトのような少女にこれほど辛い涙を流させてはいけない。何故ここまでこの少女が悲しまなければならないのかと。ギフトあなたは十年前に両親を殺され、そして三年前に三人のお姉さんと一人の弟が殺されてしまった。あなたは頭に片手を乗せて、大きく口を開いて途方に暮れて悲しみを訴えてた。泣きながら彷徨うあなたを、一人の女性が不憫に思って引き取った。あなたはその家の椅子にすわり大きな目で私を見ている。朝あなたは洗濯をする。沢山の家族がいる家だから、沢山の洗濯物がある。あなたは何かを見つめ腰をかがめて、洗濯ものを洗っている。朝の洗濯からご飯の支度、近所の赤ちゃんの面倒、忙しい毎日。あなたはほっとする時間が出来ると、教科書を開く。学校へ行けないから。あなたは白い服を着て部屋の片隅に腰を降ろして教科書を見ていた。大きなバケツで赤ちゃんを洗っているギフト。女主人は段々に厳しくなり、あなたに容赦が無い。一度家を飛び出したけれど、行くあてはなかった。みなしごのあなたに。結局また長屋に戻った。女主人の元に。ギフトは夢を見る。何度も同じ夢を。夢に現れるお姉さんたちに、もうこんな生活はいや、私もお姉さんたちのところへ行きたい・・・と訴える。お姉さんたちはそしていつもこう答える。一人でも頑張りなさい。神様がそばについていてくれるから。あなたに会いたいと思った。あなたがどうしているのか私は知りたい。けれど私に出来ることはあなたが今もおねえさんたちに夢の中で励まされて、生き続けてくれることを祈るだけ。生きていればいつかきっといい事もある、とあなたに言える世界にする為に一体何が私に出来るのかと、私は今日も考える。戦争が終わっても 高橋邦典 ポプラ社から一部引用させてもらい加筆しました。
2006.01.08
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