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近くのプールは明日で年内は終わりだから、今日と明日は泳ごうと思ってさっきプールから帰って来た。先週の練習日に持ちタイム二分で50m全速力を続けて十本してから、調子が戻った気がする。今日泳いでいても、身体が軽いし良く浮く。スピードも出る。ついこの間までは全然駄目だったのに。泳ぐ事はとても楽しいし、泳いだ後の爽快感が好き。練習日も、きつい時はある。全力を出し切った後はヘトヘトになるけれど、その脱力感も好きだ。もてる限りの力を出し切るというのは、とても気持ちが良いし、満足感がある。今日は元選手らしき泳ぎの男の人がいたので、その人のピッチに合わせて泳いでみた。どうしてワンストロークで進む距離がこんなに違うのかと思うけれど、出来るだけキックもしっかり打って少しでも追いつくように泳いでいた。三ノ宮という街をぐるぐる回っていた、クリスマスイヴの前の日に。お目当てのステーキハウスは予約で一杯だった。高額ではなく、庶民的な価格で美味しくて柔らかい神戸牛を食べさせてくれる店だったのに・・・。予定が狂ってしまったので、手ごろで美味しいステーキハウスを求め、街中を歩き回った。バカ高い店にはどうしても入る気がしない。ステーキなんて、自分で焼いてでも食べられるものだし。美味しいお肉はそれなりの肉屋さんで売っているのだから。でも神戸付近に行くとステーキがどうしても食べたくなる。
2006.12.27
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「真田広之はいい役者かもしれないけれど、わたしにはどうしても、彼は自分を棄て切っていない ような気がするの。例えば彼が映画の中で、誰かを見つめるとする。好きな誰かを。その眼差し の行方は勿論、その女性にそそがれているのだけれど、彼の目に映っているのは彼女ではなく て、彼自身なのではないかと思うの。彼女の瞳に映る自分自身を本当は見ているって気がするの よ。ただそんな風に私には見えてしまうって事なんだけど。彼が真面目になればなる程、伝わっ てくるものが少ないの。むしろ彼が人に憎まれる役を演じる時の方が、いいの。 彼は何処から見ても好男子だから、薄汚れた心を持った人間を演じた方がまだいいわ。その意外 性に怖さを感じることが出来るのよ」 詠子はサイコロ型にカットされたステーキを、カウンターの鉄板の上で箸で弄びながらそんな話 をしていた。 僕は、せっかくのステーキに火が通り過ぎて硬くなってしまうのが見ていられなくて、そんな話 はどうでもいいから、早く食べるようにと彼女に忠告したいくらいだった。 大体、クリスマス・イヴに何が食べたい?と聞いて、ホテルのステーキハウスで食べたいなん て、臆面もなく言ったのは詠子だったのだ。 僕は、自腹を切ってまでそんなところで食べることなんて今までなかった。 誰かが連れて行ってくれただけだった。 それは景気が良かった頃の父であり、親戚の叔父さんだったり、大人になってからは上司だった りした。 いずれにしてもその時レジで支払う金額を目にして、子供の僕としては目玉が飛び出るくらい 高額だったことを鮮明に覚えていた。 発育盛りの十代の頃の僕にとっては、500グラムくらいのステーキでなければ、食べた気もし なかった。 300グラムでは足りないだろう?と言った、父や叔父は太っ腹だったと思う。 僕は遠慮もなく、大きく頷いたものだった。 それにコースについてくるアラカルトなんて、一口で終わってしまうほどの量だったし。 それが今では僕の彼女である詠子を連れて、そこにいた。 はっきり言って、僕には食欲など沸いてはこなかった。 今となっては自分の家で神戸牛でも買って、こんがりカラッと焼いたニンニクスライスと共に 食べた方が、美味しいに決まっている。 ステーキを焼いた後のフライパンにブランデーを注ぎ弱火にし、焦げ付いた肉汁をブランデー で溶かすようにして煮詰め、そこに火がついたら醤油を垂らして火を止めて、それからバターを 入れて溶かし、そのソースをニンニクスライスを載せたステーキにかけて食べるのだ。 多分このステーキハウスで支払う金額の五分の一で、二人で美味しいステーキを僕の部屋で 味わう事が出来たと思う。 ホテルのステーキハウスと聞いたとき、僕はこの提案を彼女にした訳だけれど、「あなたの部屋ではムードもなにもないわ。いくらあなたが美味しいステーキを焼いてくれたとし ても。ただステーキが食べたい訳ではないのよ。そんなのわたしだって作れるわ。わたしが欲 しいのは、異空間でのサービなのよ。現実とは少しかけ離れた世界でもてなされたいのよ。 でもね、一人では行けないわ。わたしは良くても、周りがきっと淋しい女だと思うわ。それに 女友達や家族とでは気分が出ないし。あなたしかいないのよ」 という返事を彼女はあらかじめ用意した台本を読むように、すらすらと僕に訴えた。「だからね、わたしが言いたいのはね、あなたもわたしを見ているようで見てはいないってこと なの。あなたの瞳に映るのが誰なのか、わたしにはわかるわ。あなたの場合は真田広之のように 自分自身ではないわ。何故ならあなたは美男子でもないから。ナルシストではないもの。あなた の瞳に映るのは、紗智子よ。わたしと良く似ているものね。わたしの妹だけあって。 丁度良かったわ、紗智子が来たわ。紗智子ここよ。さあ、ここに座りなさい。わたしこれから 人と会うから、後はお願いね」 僕は少し震えていたと思う。いや少しどころではない。ガタガタと音を立てていたと思う。 「そう、あとひとつ、言い忘れていたわ。今夜はありがとう。ここの支払いはあなたに任せる わ。本当は私が全部払って帰ろうかと思ったけれど・・・。 とにかく、もう何も気にする必要はないわ。あなたたちは好きに出来るわ」 詠子は僕たちの耳元でそれを囁くと、コツコツとヒールの音を響かせるように店を出て行った。 どういう顔をして良いのかわからないで、ただ僕をじっと見つめて座っている紗智子が、僕には 何だか詠子に見えて仕方なかった。
2006.12.22
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今日は新宿と家をニ往復した。その間に髪を切りに行った。いつものお店まで行かずに紹介で、近くのお店に行った。かなりのへそ曲がりと自称する人が切ってくれた。その人も髪に癖があるので、わたしの癖毛について詳しく説明してくれた。髪は切り揃えて、レイヤーなどにしないで、ある程度長い方が良いと言っていた。短いのは癖が顕著にあらわれるのでとのこと。いつもとかわり映えしないスタイルにあきていたけれど、変えない方が言いというのでそのまま。ガンダムとか、戦車とかのプラモデルに熱中していて、工房まで作ってしまったそうだ。ガンダムのプラモデルを作ると、それを買う人がいるので、その為に作っているというのもあると言っていた。ガンダムってどうしてあんなに人気があるのだろう。あまりにも、根強いと思う。男の人の何かをくすぐるのだろうか。池袋も新宿も今日はカップルがとても多く、つい観察してしまう。電車に乗っていた時、結構感じの良いカップルがいた。彼女はボクシングジムで軽いトレーニングをしているらしく、楽しそうに、その様子を彼に話していた。最近筋肉がついてきたとか、パーティドレスを着ると背中に1本筋が出来ると言う事なども。彼は直ぐにやめてしまうと思っていたけれど長く続いてるね、と言っていた。二人とも、とても楽しそうに話していた。もしかしたら昔からの友達なのかもしれないけれど。帰りの電車の中でも、友達なのか、カップルなのか、と思うような二人がいた。友達関係のように見えたけれど、電車から降りると、親密そうに寄り添っていた。その二人もなかなかお似合いだった。お店で向かい合ってコーヒーを飲んでいるのに、全く話をしない二人というのは、見ていても淋しい。もう話すこともない二人なのかもしれないけれど、秘かにケンカしていたのかもしれないというのもあるけれど。過去にそんな経験が自分にもなかったわけではないから、他人事のようには思えないけれど。仲が良いというのは見ていても微笑ましいと思う。暖かい気持ちになる。冷めた二人を見ていると、寒さが増すけれど、それは仕方の無い事なのかもしれない。冷え切った二人には、その二人にしかわからない事情というものがあるのだ、きっと。輝いていた頃もあったのだと思う。二人で微笑みあって、同じ話題に夢中で話しをした日も。その時二人はきっと、お互いが無口になる日が来るなんて思ってもいなかったかもしれない。そんなことを、口を曲げたまま、むっつりと夫と二人座っている、老夫婦を見て思っていた。
2006.12.17
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今日は練習日で、個人メドレーのピラミッドをした。100m個人メドレー、200m、400m、200m、100mの順で泳いだ。タイムは関係なしだったので、ゆっくり泳いだ。最後の100m個Mはとても楽だった。400mのメドレーを泳ぐのに比べたら。200mのメドレーも楽に感じることができた。100m個Mを速くしょうと思ったら400m個Mを泳ぎ込まなければ速くならない事を実感した日だった。個人メドレーは苦手種目だから、強制されない限り、自主的には練習しない。でもこれからは、400m個Mを取り入れようと思った。今日は練習を終えた後、身体がとても軽くなった気がした。お昼を食べないで練習に行ったからかもしれない。その後も、用事があって、お昼を食べ損ねて、夕食にはすき焼きを食べた。最近は、お肉も美味しいけれど、焼き豆腐もとても美味しく感じる。今月の23、24日は神戸に行く用事がある。来年の三月の末には大阪に行く用事も。二月は海外へ行く予定もある。自分が立っている裏側の地球へ行くと思うと、物凄く遠い所だと思う。飛行機で12時間以上かかる。飛行機以外では行けない。行けたとしても、時間がかかりすぎる。飛行機がなければ行かれない場所。誰もが何げなく、出かけて行くけれどわたしには仕事で出張ということもないし、家族がそこにいるわけでもない。特に観光したいというわけでもない。何かが欲しい訳でもない。ただ、そこの空気を吸いたい。そこの空を見てみたい。そこで生活し、暮す人々を見たい。夜の街の気配を感じたい。夜の街の魅惑的な雰囲気を知りたい。そこでしか見ることが出来ない作品に出会いたい。そして何を自分が感じるの。何を思うのか。何があるのか。そこに身を置く事で、自分の中で何が違うのか。そして何が起こるのかを。
2006.12.15
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あれは昨夜の事。わたしはマサシと二人、安いとんかつ屋で擦り切れそうに薄い、ロースカツとは名ばかりの代物を、食べていたのは、深夜の1時を過ぎていたから、昨夜ではないけど。カウンターの人々はみんな不必要な顔をして、その定食を、ただ飲んだ後の流れで食べていた。薄汚れてしわしわになってしまったトレンチコートを羽織ったまま、マサシは私の肩にしなだれかかっていた。お酒臭さを振りまいて、大きな欠伸をする。彼はほとんどその定食に箸をつけないまま眠ってしまった。「もう行くから起きて」と言っても、マサシは一向に目を覚まそうともしないで。そのうち、わたしの肩からずり落ちて、彼の頭はわたしのヒザの上に移行していた。そのまま席を立って、帰ってしまおうかと思った。酔っ払いの世話なんて、わたしは大嫌いだから・・・。 今日マサシが酔ってしまったのは、彼女に振られたからだ。簡単な言葉だと思う。「他に好きな人ができたの」何の遠慮もなく、何の感慨もなく、何のためらいも、何の罪の意識もないまま、その紗江子というマサシがつきあていた人は、ただそれだけを口にすると、くるりと背を向けて、会社の玄関前から足早に、待っている新しい彼の車に乗り込んで、行ってしまったのだった。呆然と立ち尽くすマサシ。いきなり笑い出すマサシ。そのうち泣き笑いになって、しゃがみ込んでしまったマサシを。「情けないヤツ」と思いながらも、無視して通りすぎて行けなかったわたし。「初めから無理があったのよ。それに彼女、勘違いしてたのよ。マサシのこと。 あんなお嬢様みたいな人が、よくあなたを好きになったと思った。何かの間違いだと わたし思っていたわ」「どうしていいのかわからない」とマサシはつぶやく。「オレ、もう生きていけない」って。「アイツなしでは・・・やっていけない」「ふ~ん、そんなに好きだったんだ、あの人のこと」「ああ、好きだったよ。どうしようもないくらいに。オレの出来るだけの思いで好きだった。 わかるかよ、そんな気持ち、お前に」「わかるけど、それにしても、随分お粗末な終わり方だったわね」なんて、そんな嫌味でも言いたくなる。マサシをちょっと傷つけたくなる。見当違いな愛を。マサシはお酒をがぶ飲みするから、「止めなさいよそんな飲み方、良くないわ」「いいだろう、どうせオレはバカ野郎だよ。こんな日に酔っ払わないで、いつ酔っ払うんだよ。 なあ、そうだろう、素面でなんていられないよ、いられる訳がないだろう。1人で部屋に帰って 泣けばいいのかよ。1人でしんみりしてろなんて、言うなよ、言わないでくれよ、な」それからは、もう何も言わずにいた。好きなだけ酔っ払えばいいと思った。酔って歩けなくなったら、おまわりさんに言って、タクシーに詰め込んでもらおうと思ってた。でも置いて帰れない。このまま置いては。何やってるんだろう、わたしって思う。一体わたしって何だろうって思う。マサシはさっきまでの憂いなんて、忘れたように、気持ち良さそうに、よだれをたらさんばかりに眠っている。薄い蛍光灯の明かり。狭い店。油で黒く汚れた壁。店を閉めたがっている、店の主人。一向に帰る気配のない、酔っ払いたち。流れるニルソンの「Without you」という曲。この店に不似合いな曲。マサシが聴いたら、思い出して泣いてしまいそうな曲。だから代わりにわたしが泣いてあげる。マサシの分を。そしてわたしの分も。 Without You No I can't forget this evening Or your face as you were leaving But I guess that's just the way The story goes You always smile but in your eyes Your sorrow shows Yes it shows No I can't forget tomorrow When I think of all my sorrow When I had you there But then I let you go And now it's only fair That I should let you know What you should know I can't live If living is without you I can't live I can't give anymore I can't live If living is without you I can't give I can't give anymore Well I can't forget this evening Or your face as you were leaving But I guess that's just the way The story goes You always smile but in your eyes Your sorrow shows Yes it shows I can't live If living is without you I can't live I can't give any more I can't live If living is without you I can't give I can't give anymore
2006.12.11
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昨夜はある劇団の、ミュージカル仕立の発表会を見た。初心者から段々プロに近い人順に歌って演技して踊って行く。やはり初心者は大きな声で歌えないし、音域も狭い。表現力も少ないし、余裕がないし、自信もないのが見える。なんか自分を見ている気がした。自分の書くものに当てはめて考えてみると、きっとそうなのだと思った。才能とは努力なのだろうか、それとももって生れたもの・・・。舞台に立って見るその初心者の人たちには、容姿の点でも魅力に乏しかった。美しいからだのライン、美しい表情、美しい声、オーラ、それは舞台に立つ人の条件かと思う。その後プロに近い人たちが出て来て思ったのは、容姿というのはそれほど素晴らしくなくても、衣装やメイクでカヴァーできるということと、一番必要なのは個性的な声であり、美しい声、歌唱力、表現力なのだと。ダンスに関しても、容姿も大事だけれど、やはり表現力とカラダのしなやかさだった。知り合いの女の子は、舞台でも、申し分なく、美しかった。手足も長いし、顔も綺麗で表情も生き生きしていた。輝いていた。持って生れたものが大きい。声も個性がある。けれどまだ幼いから、音域が狭いけれど、きっと訓練を続ければ、良くなると思う。ダンスもまだ硬いけれど、それもこれからだと思う。でも一番感動したのは、特別出演で演奏した方の、お琴だった。曲は、さくらさくら、だった。子供の頃、祖母が子供用のお琴を買ってくれて、指導してくれた頃を思い出した。遊びに行くといつもお琴を弾かされた。それが、さくらさくら、だったけれど、子供用の易しいバージョンだった。好きで教えて貰っていた訳ではなかったから、あまり嬉しくはなかったけれど、弾ける様になるとそれはそれで楽しかった。祖母はよく、六段、というのを弾いてくれた。祖母の琴の音色が自分の音色と違うと思っていた。祖母のような音が出せたらとよく思ったけれど、その為に精進することはなかった。けれど、昨夜、上級者の演奏を聴いて、目から鱗が剥がれた気がした。どうして日本にはこんなに素晴らしい楽器があるのに、と思わずにいられなかった。ハープと表現の仕方はにているけれど、お琴の音色には日本の川のような流れを感じる。日本人であることが誇りに思えるような、それは美しい絹のような音色。生で聴かなければそれは伝えられない音の響きなのだ。三味線も祖母は良く弾いてくれた。三味線もお琴も一体祖母が亡くなってから何処へ行ってしまったのだろう。それがもしあれば、また弾いてみたいと思ってしまった。琴の演奏を聴いて、心に溜まっていたものが、綺麗に流れて、透き通っていくように感じた。日本には素晴らしいものがあるということを忘れてはならないと強く思った。
2006.12.10
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最近はすっかり寒くなってあまり泳ぎに行かなくなってしまった。週一、クラブで練習するだけで。タイムも少し遅くなった。何が何でも、時間を縫って泳ぎに行くという思いが、減少してしまったとうのもある。また暖かくなったら、存分に泳ぎたくなると思う。なんでもそうだけれど、熱はいつか冷めるものだと思う。ある程度均されてからが丁度よいのかもしれない。熱くなっている時にはわからないものが、見えたりする。無駄に動くこともなく、必要なものだけがわかったりする。今日仕事中に突然コップが割れた。結構厚みがある小さめのコップだった。取り替えたばかりでひびが入っていた訳でもない。流しで洗った直後、ちょっと置いた隙に、いきなりパリンって音がして、粉々に割れてしまった。粉々に・・・。一緒にいた人と二人で呆気に取られてしまった。何が起こったの一体?って感じだった。前に一度、自分の家で食器棚からやはりパリンって音がして、見てみたら、ご飯茶碗が真っ二つに割れていたことがあったけれど・・・。何の負荷もなくいきなり、粉々に割れる事ってあるのだろうかと思うけれど、そういうことってあるということを知った。何かが作用してそうなったのだとは思うけれど、科学に疎いので可能性として考えられることが浮かばない。形あるものはいつか必ず壊れるものだという。形のないものでも、壊れる。宇宙の始まりが一点だとしたら、存在するすべてのものは、出所が一緒ということになる。割れたコップも、壊れた心も、私も、何もかも、もとは1つなのだ。だからわたしがもし死んでも、本当に死んだことにはならない気がする。ただ形が変わるだけで。そんなことを今日は何故か考えていた。寒さのせいなのか、何なのか、淋しい気持ちの1日だった。こんな日もある。
2006.12.07
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ちょっと前のことだった。夕方友達とふらっと入った店で話をしていた。取りとめも無い事を話していたその時、「あこがれ」が流れ始めた。実に久ぶりに耳にした。ジョージ・ウィンストンのあまりに有名なピアノ曲。急に話をやめてしまってその曲に聴き入ってしまう。ソロ演奏に関しては、一音も逃がしたくないという気持ちに囚われる。特にピアノの場合。この曲を聴く時、いつも小説みたいだと思う。印象派の絵画という人も多いけれど。この曲を聴くときの様な、綺麗すぎて哀しくて多くを語らず、透き通るような気持ちになれる話がいつか書けたらなと思う。今日はこの「あこがれ」を聴きながら、英語の勉強をしていた。テキストがメールで送られて来て、プリントアウトして、答えを記入して、FAXで送り、添削してもうらうのだ。小文を訳すのがとてもたのしかった。トマトのお話。ほとんど知っている単語ばかりでとても嬉しい。トマトってやっぱりかわいらしいと思う話だった。日頃から、トマトを湯むきする時、湯むきしたトマトってなんて可憐なんだろうと思っていたから。何を馬鹿なこと、と思われるかもしれないけれど。「きらめき」という短い曲もいい。同じジョージ・ウィンストンの曲。ウィンストンの曲を聴いていると、何かすごくイメージが膨らんでくる。
2006.12.01
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