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夫が在職中は、ゴールデンウイークは人並みに天気が良ければ外出していた。子ども達が小学生の頃までは、まだ肌寒い時期ではあったがあちこちの自然がい所に出かけた。ある年は、然別湖に行ってどこかでキャンプをしようという予定だったが、湖はまだ氷に覆われていて、キャンプするには寒すぎて夜中に帰ってきたことがある。その頃は、ゴールデンウィーク中で桜を見る年はほとんどなかったと思う。子ども達が中学生以上になると、部活や友達と出かけることが多くなり、せいぜい実家の庭先でジンギスカン(バーベキュー)をすることがイベントだっただろうか。やがて息子たちが家を出てからは、多分夫婦でドライブしていたような気がする。そういえばこの時期は、庭の手入れや実家のビニールハウスを建てたりするのが恒例だった。長男が結婚し、孫が生まれ、息子がワイン用ブドウ農家になってからは、息子たちは忙しいので私達が孫たちをあちこち連れてくことが恒例となった。滝野スズラン公園の「子どもの国」、モエレ沼公園、動物園や水族館、砂川の子どもの国、岩見沢グリーンランドなど、毎年楽しみだったような気がする。そして孫たちも大人になった今は、晴れた日は庭の春仕事と、息子たちのブドウ畑の手伝い。昨日・一昨日の連続二日で剪定枝集めとそれを燃やす作業に頑張った。ということで、今日は全身筋肉痛。斜面のブドウ畑の上り下りはそれだけで疲れるし、集めた枝を効率よく安全に燃やすのも結構忙しいのだ。それでも、今年も元気に働けそうだと思うと感謝するばかりだ。コブシも終わりころになったけれど、山々は山桜のピンクや春紅葉、木々の芽の萌黄色が美しい。本当にこの時期は、自然の美しさに毎年感動する。今日は休養日。連休後半はどうなるかな。
2024年04月30日
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昨日は、今年初めてのブドウ畑の仕事を手伝った。この日の作業は、息子たちが剪定している枝集めと、番線張り。午前中は暖かかったので、剪定枝集めを一時間くらいしていたらのぼせ状態に近くなった。こまめに水分補給はしていたのだが、これはマズイと小休止。この状態で作業を続けて熱中症になってしまった経験があるので、用心に越したことはない。しかし、その後は割と落ち着いて、あまり疲れを感じずに作業をすることができた。この日のブドウ畑は傾斜がきついので、上り下りだけでも結構大変なのだが、この数年通っているカーブス効果なのか、春の最初の作業の割には楽だった。この畑で手伝うようになった最初の頃の方がずっと体力がなくて、いつもゼーゼーハーハーしていたような気がする。人間はいくつになっても、健康であれば体力や筋力は維持向上するのかもしれない。この日は、鎌倉からボランティアで実習にきているHさんが少し離れたところで作業していたのだが、昼食の時に「お母さん、すごいですね。あの斜面を休まずに上っているのを見て、負けちゃいられないと思いました」と言った。何だかちょっと嬉しかったのは、正直な気持ちである。この日は息子夫婦と長男の娘、私たち夫婦での作業になったので、Hさんが「三世代揃ってますね」という。このような日は珍しくはないので「ああ、そういえばそうですね」と答えたが、よく考えたら現代農業ではさほど多くはないのかもしれない。ただ、私の本音は(農業って、本来家族みんなで働くものだったんだよ)である。現代は様々な事情で家族による小規模農業は次第に減り、個人であっても大規模化した形か、農業法人、他の業種の会社が農業に参画することが増えている。それも農業を守るために必要なことであるとはわかっているが、家族が力を合わせて農作業をし、自然を守り食糧自給率を守り、家族の絆を守ることが、日本の農林畜産業の土台にならなければ、日本人は益々弱体化するような気がしている。と、そんなことまで思ってしまったのは、私が考えすぎかな?本当は三時頃で帰ろうと思っていたのだけど、夫は運搬車で剪定枝を運ぶ係で、私も思いのほか元気だったので、昼食をはさんでの9時から午後4時まで頑張ってしまった。流石に今日は全身筋肉痛だけど、明日は大丈夫のような気がする。
2024年04月12日
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母が亡くなり、実家は妹が一人で住んで管理している。渡道四代目なので、私が若い頃までは農地だった場所も、今では周囲が住宅地や商業施設に変貌した。それでも、曾祖父(渡道からは125年)の時代からの庭や木々、築100年は経つであろう納屋や築50年の旧住宅があり、敷地もそれなりに広い。妹は、自分が元気なうちにそれらをキチンと処分することが自分の仕事と考えていて、数年以内に納屋や小屋や庭などを解体処分して売り払い、自分が住む住宅だけ残そうと考えている。私や末の妹は、妹の考え方に従うだけだ。再活用できたらと思ってはいたが、あの敷地や庭をまるごと購入してくれる人はなかなか見つからなかったのだから。ところが、「もったいないなあ」と数人の思いが集合すると、道が開けてくるのが不思議だ。長男の住む近くに、古民家再生もしている建築会社がある。息子たちのワイナリーもその会社が建ててくれたので、せめて納屋の木材だけでも再活用できないかと相談してもらった。それで、昨日その会社の社長と社員と長男が実家に見に来てくれたのだ。納屋は、およそ百年前に曾祖父と祖父が、地元の大工に建ててもらったと聞いている。今はもう無くなってしまった最初の旧実家も、「蔵」と呼んでいた穀物倉庫もその人が建てたと思う。曾祖父と祖父は、持山から木材を切り出し、乾燥させて準備して、住居・蔵・納屋と建てていった。社長はその納屋を一目見るなり、「どこも歪んでいない」という。土台も梁もしっかりしているし、地中に埋まっている柱は傷んでいるかもしれないが再生には問題なさそうだし、「これを建てた棟梁の腕が良かった」とも。実は息子は、ワイン倉庫を作りたいと言っているので、納屋の木材の一部でも使ってもらえればと思って相談したのだ。色々と調べた社長は「これは、このまま移築してリノベーションした方がいい」とおっしゃる。私達はそれほどまでのことは全く考えていなかったので、ビックリである。それを聞いた私の胸には、なぜか不思議な思いが湧き上ってきた。実家の姓は妹で絶える。父は生前、私達が三姉妹なので「姓なんて消えたっていいんだ。その命がつながっていればそれでいい」と言っていた。しかし、きっと内心では娘の代で祖先からつないできた姓が消えることに寂しさはあったと思う。曾祖父は養子に入って姓をつないだが、明治維新の波の中で北海道に渡り、新たな地で一族をつなごうとした。その子である祖父もそうだし、多分父もそうだったはずだ。戦後の農地解放、平成・令和の時代の土地開発の波の中で、とうとう苦労して手に入れたはずの土地も残りわずかだ。その中で開拓時代の名残を残す納屋もなくなる寸前で再利用されると知った時、あちらの世界の曾祖父母・祖父母・両親がどれほど喜んでいるだろうかと思うと、ひょっとすると今回のことは、ご先祖様たちがそのように仕向けてくれたのかもしれないとさえ感じる。だが、移築して再生するとなれば、新築よりも費用がかかるかもしれない。でも、開拓時代の木々を次の世代に残すことは、きっと大きな意味があると思うので、できるだけ応援をしたいと思っている。
2024年04月05日
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私の母の実家は、明治25年に広島県から曾祖父が出稼ぎのつもりで北海道に渡ってきた。広島県に妻子を残し、当時13歳の祖父だけを連れて、船を乗り継ぎ一か月かかって北海道に着いたという。父方の曾祖父とは違い、裸一貫での渡道だった。その後、農地を借りて農業をやってみて、何とか農業で生計が立てれそうだと家族を呼び寄せて、子孫も増えて現在に至っている。先日、曾祖父の渡道から百年を記念しての集まりが平成四年に開かれた時の映像を見ることができた。最初はビデオでの撮影だったようだが、それをDVDに変換したものを近くの従兄が渡してくれたのだ。もう32年も前のことであり、記念誌は手元にあるのだが映像で見たことはなかった。そのせいか、私たち三姉妹はそんな集まりがあったことも完全に忘れていた。いや、本当に驚いた。私達の家族は全員参加していて、115人集まった親族の前で父がまとめて自己紹介をしている。母は八人姉妹の末っ子だったし、時代のせいもあり母の姉たちは沢山子どもを産んでいる。当然従妹たちも多くて、全員集合したわけではないのだが、115人もの大集合パーティだったのだ。会場は母の実家近くの集会所で、仕出し弁当での集まりで、ぎゅう詰め状態だった。この集会所は母の娘時代は小学校だったらしく、母や叔母さん達にとっては懐かしい場所なのだ。主だった人達の挨拶で(主催は母の実家を継いでいる四代目)、曾祖父が北海道に渡ってからのエピソードや苦労話を知り、あらためて昔の人は本当にすごかったと思うばかりだった。そして、映像に映っている人の多くはすでに亡くなっているので、在りし日の動く姿を見て本当に懐かしかった。当然ながら私も若かったし、息子たちは高校生。長男の映像を見て、長男の息子である孫とあまりにも似ていることにビックリ。似ているとは思っていたが、これほどまでとは!昨日、届けてくれた従兄の家に寄り、お礼と共にあのビデオを撮ってくれたのは誰だろうと聞いたが、「きっと本家の誰かが撮ってくれたんだと思うよ」とのこと。DVDに変えてくれたのは、母の二番目のお姉さんの孫だという。付き合いはないので、「その人にお礼を言っておいてね」とお願いしたのだが、子孫にとっては先祖のことを知ることのできる、貴重な資料である。「栄枯盛衰」というけれど、沢山の親族が集まることがで来たあの時から32年。酪農業を営む本家は後継者がなく、これからどうなるのかもわからない。しかし、大勢の私にとっての従兄・従妹たちは道内はもとより全国に散らばって、曾祖父の開拓者魂のDNAをつないで頑張っているはずだ。私の息子たちは「自分には開拓者のDNAがある」なんて時折言うけれど、それは間違いなく母方の遺伝子だと映像を見ながら確信した。誰が映像を撮って編集してくれたのかわからないけれど、心から感謝します。もちろん、家族を養うために北海道に渡ってくれた曾祖父や祖父にも、感謝するばかりです。
2024年04月03日
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長男のワインは、ワイナリー設立の時にサポート会員として出資してくれた人や、応援してくれる人(メール会員)や酒販店、レストランなどに先に販売するので、その他の一般の人にはホームページで時期限定で受け付けるだけになる。できるだけ対面で買っていただきたいと店頭販売分は先着順なのだが、これが年々熾烈な競争になっているらしい。昨年は15分くらいで定員に達したが、今年は2022年のブドウの収穫量減で本数が少なく、アクセス集中のためにサーバーがフリーズし、復活後は数分で終了になってしまったとか。ということで、運よく購入可能になった方に販売するのが昨日の日曜日だった。例年通り私たち夫婦も朝から助っ人に行き、私は販売、夫は車の誘導整理担当。本当にありがたいことに、道内各地はもとより、本州からも来てくださった人がいた。交通便の悪い場所なので、JRの駅からタクシーで来てくださる人も。日曜日の販売の時には、懇意にしている地元のイタリアンのお店が、おつまみ料理セットやピザの販売、ワインの試飲もしてくださる。(試飲には販売するワインでだけではなく、一般販売しないものや次男のワインも提供)11時の販売開始から多くの人が来てくださって、多少肌寒いけれどワイナリーの前で飲食とおしゃべりに花を咲かせていらっしゃった。毎年のことだけれど、その様子を見ていると親として幸せな気持ちに満たされる。このように多くの人に愛され支えられている息子たちと、「本当においしいんですよ!」といって下さるワイン愛好家の人達や仲間。私には、ワイン好きの人達のワインに対する熱量は信じられないくらいだけど、その人たちのおかげで息子たちも頑張れるのだ。おつまみセットだけは時間を見て買えたのだが、お目当てのピザはお昼過ぎには売り切れ。お店の人が急遽食パンを買いに行って、それでパンピザを作っていたので、それは食べることができた。(ピザのトッピング材料はまだまだあったらしい)午後三時が販売終了だったので、私達もその後帰宅。戸外に半日いて車の整理や誘導をした夫も、販売で常日頃しないお金の計算や、買いに来てくださった人との会話を続けていた私も少し疲労気味。でも、心地よい疲れの一日だった。
2024年04月01日
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本州に住む妹が来ているので、久しぶりに母の月命日に一緒に手を合わせる。そして、実家のこれからのことについて方針を話し合う。私達もそれぞれいつ何が起きるかわからないので、少しずつ考えておかなくてはならない。
2024年03月25日
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二日続けて、息子たちのワイナリーでのラベル貼り作業。三月末に販売するので、それに向けてラベル張りと蝋付けをしてゆく。何種類もあるので、準備できたものから発送作業も同時進行。さほどの重労働ではないのだが、やはり何時間も作業を立ち仕事で続けると軽い疲労感。それでも、家族総出で仕事をすることは楽しいと少しワクワクする。畑の雪融けも随分進んでいるようだ。今年はどんな年になるだろう。変な天候になったり、鳥獣被害があまりなければいいけれど。昨年は鳥の被害が甚大だったので、収穫量がガクンと減ってしまった
2024年03月13日
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11月12日(日)に、身内で母の四十九日法要を行った。コロナ禍で色々と大変なこともあったし、入院や施設に入っている時には簡単に面会が出来ないということもあったが、葬儀や法事はとても簡略化されたことだけは良かった。コロナ前の法事では、法要後に参会者と会食するのが常だったけれど、今は持ち帰りのお弁当をお渡しする形が一般的になった。それは楽で良いのだが、葬儀や法事でなければ会えない親戚と話す機会もなくなってしまった。故人の若い頃のエピソードなどは、そのような機会に聞くことができるので、実は私は少し楽しみだったのだけれど…。次の日は、実家の檀家寺の納骨堂に納骨。この日は、私たち夫婦と妹たちの五人のみ。とても寒い日だったので、火の気のない納骨堂は足元から冷えてしまう。私はそれが想像できたので、喪服はパンツスーツにしてタイツに靴下。妹二人はスカートに薄いストッキングでとても寒かったらしい。ともあれ、無事に納骨も済ませてホッとしている。
2023年11月14日
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10月13日に収穫終了とは、最速である。今年は鳥の食害がものすごくて、葡萄に食べられるのが先か収穫が先かと、鳥たちにお尻をつつかれているような感じで収穫を進めていた。それでも、数日前は大丈夫だったブドウたちが収穫の日にはほぼ食べ尽くされていて愕然という日もあったようで、息子の畑に長期研修&ボランティアに来ていたM君が、「怒涛の日々でしたね」と少し疲労気味。昨年は収穫量が少ないとぼやいていたが、今年はそれ以上に収穫量が落ちたらしい。まあ、こんな年もあったという思い出の年になったらいいのだが。次男は、来年のために対策を考えておこうという。禁止されている霞網で一網打尽にして焼き鳥にして食ってやると、誰かに聞かれたら通報されるようなことも。まあ、冗談めいた本音だと思う。それでも、そんなことを聞くと、その光景を想像してちょっと怯えてしまう私だった。それにしても、今年の被害はひどかった。
2023年10月14日
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現在は、ワイン用ブドウの収穫と仕込みの真っただ中である。今年の夏は暑く、そのために例年とは違う状況が起きているらしい。半月前くらいから品種によって収穫が始まっているのだが、その前から鳥の食害がひどいと息子たちは言っていた。ぶどう畑の中に鷹の形をした鳥追い凧をいくつも置いたり、山側の畑の見回りをしたりしていたようだが、鳥たち(主にひよどりらしい)はそんなもものをかいくぐり、ムシャムシャとブドウを食べているようだ。実際に私もその状況を見ているが、本当に見事に食べ尽くしている。今まではこのようなことはあまりなかったようだが、今年はどういうことなのだろう。昨日は、ワイナリーに来ていたボランティアが別の畑の収穫に行ったら、八割以上食害にあっていたとか話していた。一年間頑張って八割も鳥に食べられてしまったら、泣くにも泣けないだろう。この数日でひよどりの大軍に襲われたらしい。ワイン用ブドウは収穫して仕込むものだから、小規模のワイナリーは一度収穫したらその仕込みのために畑に行かない日がある。ヒヨドリたちはそれを知ってか知らずか、「今日はあの畑が餌場だぞー」とやってくるのかもしれない。さて、わが息子たちの畑の食害は、最終的にどれほどになることだろう。
2023年10月10日
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備忘録くらい書かなくちゃと思うのだが、書かない日が続くと書こうという気が薄れてしまうようだ。実は、先月の25日に母が97歳で亡くなった。母との別れの時に、自分がどのような感情になるのかと色々と想像していたのだが、随分前から徐々に覚悟ができていたためか、あるいはコロナのためにこの一年半くらいは一か月に一度程度しか会えなかったせいか、落ち着いてその時を迎え、葬儀など必要なことを妹たちとこなしつつ、今に至っている。その合間に息子たちのブドウ畑の手伝いをするなど、格別に非日常ということはない。父が亡くなった時には、ふとした時に「ああ、もういないんだな」と思ったような気がするが、今のところ穏やかに枯れるように亡くなったせいか、寂しさより安堵する気持ちの方が勝っている。思春期の頃から母とは様々な葛藤の中で暮らしてきたが、今はそれがあっての自分と思える。97年生きるということは、なかなか大変なことだ。祖母101歳、父92歳、そして母が97歳、それぞれの死に至る過程を見つめてきたが、それが自分のこれからの老いと死に、どれだけの参考になるのかは想像がつかない。とにかく、誰もが死への過程をたどることだけは確かだ。おかげさまで、三人とも苦痛の中で逝くことはなかった。それだけはあやかりたいと思う。
2023年10月07日
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詳しくはシークレット
2023年09月28日
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今年は暑かったせいかブドウの生育も早く、この日は初収穫の日となった。8時から始めるというので15分前には着いたのだが、すでにボランティアの人が数人来ていた。この日は白ワインにするぶどうの収穫で、選果しながら取ってゆく。毎年この時期に会う人たちも多く、それぞれ楽しそうに話をしながら収穫作業。いつも思うのだが、彼らの話題はワインに関する話ばかり。本当に皆さんワインやそれを提供するお店などに詳しくてビックリする。昼食は近くの町のカレー屋さんのテイクアウト。毎年収穫で動員されるときは、このテイクアウトのお弁当が楽しみ。いつもは、箸休めに浅漬けなどを作っていくのだが、この日は前日夕方に連絡が来たので、何も持参せずに行くことになった。昼食の時は、せめてもの生産者のサービスとしてワインも数種類出すことが多い。ボランティアの方たちは、通常あまり飲むことができないそれらのワインが楽しみなようだ。私達夫婦はさほど飲めないし、ワイン談義についていけないので、休憩小屋で二人でランチ。それでも、窓越しに話す声は聞こえるので、聞くともなしに聞いている。(盗み聞きではないですよ)午後は収穫したブドウのプレス作業というので、私たちは若者たちに任せて帰宅。さても今年はどんなワインの年になるのでしょうか。
2023年09月17日
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来週はあまりパッとしない天気のようなので、9月8日と9日は連続でブドウの手入れ作業。畑は二か所あるのだが、夏の暑さが度を超えていたので、いつもは手伝いに来てくれるボランティアも来ず、私達も熱中症が怖くて行けずで、畑は枝が暴れ下草は伸び放題。息子たちは少しずつ手入れはしていたようだが、とても追いつかなくなってしまった。そんな中でも、葡萄たちは健気に実をつけている。あと半月もしたら収穫作業が始まるかもしれないが、それまで頑張って病気に負けないでほしい。
2023年09月10日
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やっと猛暑から脱し始めた昨日は、息子の畑のネット張りの手伝いに行く。ぶどうが実り始めてきたこれからは、動物たちの侵入を防ぐためのネットが必要。もちろん、春先から電柵は張りめぐらせているのだが、小動物たちは日中作業中に電気を切っている間に侵入したり、上手に隙間から侵入するのだ。涼しくなったとは言っても太陽が出ていたらやはり暑い。私はあまり体力の使わない作業をしていたのだが、二時間くらいで少し危ない感じになり、別の作業をすることにした。続いた暑さで、息子たちも畑作業ができない時間も多く、伸び放題になった枝が暴れている。その枝を切ったり、番線に押し込んだり、余分な枝を取り除いたりの作業だ。大量の汗が出るので、それに見合う水分補給と塩飴をなめながら、昼食休憩をはさんで午後二時まで作業が出来た。例年よりもブドウの成長が早く、すでに色付き始めているので、9月中には収穫が始まりそうだ。このまま収穫まで何事もないようにと願う。
2023年08月30日
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北海道も連日30℃を超える日が続いている。日中暑くても夕方から涼しくなるのが北海道の常識だったけれど、最近では最低気温も25℃前後の夜が多い。そんな中、昨日は息子の畑の脇に植えてある蕎麦を刈った。実は、1週間前に刈る予定で作業を始めたのだが、途中でゲリラ豪雨になり中断。刈った蕎麦は息子たちが後日乾燥のためにニオ立てしてくれた。昨日も30℃を超える予想で、暑さに弱い私は途中で熱中症寸前になり離脱。わが夫と息子二人は、11時頃までに刈り終えて、一休みしてからニオ立て作業。私もその頃は少し体調が回復し、少しでも手伝おうと一緒に作業を始めたのだが、しばらく作業をしていたらまた汗が噴き出してきた。もちろん水分補給はしたのだが、スーツと気が遠くなる感覚があり「ごめん、無理みたい」と息子に声をかけ、そのまま支えられるようにして軽トラックに乗り自宅に這うように入ってパタン・キューである。気を失うまではいかなかったけれど、しばらくフローリングの床に寝て起き上がると、床がびっしょりと濡れて跡がついている。それからは必死にスポーツ飲料をがぶ飲みし、クーラーで体を冷やし、何とか本格的な熱中症にはならずにすんだ。昨日は、伊達市の小学校で、体育の授業後に小2の女の子が倒れ死亡した。熱中症か?小2女児が死亡 「体育の授業後に急に倒れて…」病院搬送されるも死亡確認 北海道・伊達市私も何度か熱中症もどきになった経験があるが、感覚としては突然体調がおかしくなる。こんな気温の中で、体力がまちまちの子どもを一緒に体育の授業をするなんて信じられない思いだ。暑さや体温調整が上手な人間もいるが、私のようにそれがうまく働かないタイプは、自分で十分に気をつけているつもりでも、急激に体調悪化をすることがある。ましてや、まだ小学生の子どもには、自分自身のことはよくわからない。大人が十分に配慮してやらなくてはならない。伊達市では、当分の間戸外での体育は禁止になったとニュースで報じられていた。私はそれも極端な話だと思う。外気温、戸外活動の内容、時間など、十分に気をつけて判断したらよいだろうに。話がずれたが、昨日は体から水分が抜けてしまったようで、夜になっても喉が渇いて仕方がなかった。今日は復調はしているが、外気温は現在でも32℃を超えている。洗濯ものを取り込んだだけでも汗が噴き出してきた。早くこの暑さから解放されたいと思うが、新潟の方は水不足で大変なようだ。日本中が沸騰しているような日々が続き、犠牲者が増えないことを願う。
2023年08月23日
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私は三姉妹の長女。下の二人の妹たちとは、四歳ずつ年が離れている。末の妹が市内にある自宅の庭まわりの手入れのために帰ってきているので、隣町のお寿司屋さんでランチをしてきた。この店は個室があるし、この日の部屋は一番端だったので隣を気にせずおしゃべりすることが出来た。いつも三人で話をする時には、おなじ親、同じ家庭で育っても異なる育ち方をしているのだなと思う。また、性格も三人三様で、違う感じ方をする者同士では話がどうもかみ合わないのは良くある話。今回もそれを痛感し、ビックリ仰天のことがあった。互いに気を遣っている結果ではあるのだが、感じ方がずれると勘違いを通りこして誤解が生じる。具代的に書くのはやめておくが、今回は私にとってショックな誤解であった。それでも姉妹であるし、関係を悪化させるのはお互いに嫌なので、なんとかその後は普通の会話に戻すことが出来た。私としては言い分も多々あったけれど、妹には言い訳にしか感じられないだろうと、「それは私の聞き間違いだったのかもしれない。ごめんね」と謝った。もう何か月も前のできごとだが、その間妹は腹に据えかねていたのかもしれず、何となく重い雰囲気が続きそうだったのだが、それを緩和してくれたのは末の妹だった。思えば、このパターンは子どもの頃からあったような気がする。二番目の妹は、思い込むと考えを変化させることが苦手。随分前から、どうも私の話には素直に「それもそうだね」と言わず、私はひそかに「年齢があがっていよいよ頑固になってきたのかな」と思うことが何度もあった。母が自宅にいた最後の頃から、一切私には何も相談することがなくなり、私が大変だろうと思い「たまには友達とランチにでも行ったら」などと言っても、「お母さんの細かいこと、お姉ちゃんにはわからないでしょう」と言われたこともある。私は妹に強い口調で言われると、何だか自分に自信がなくなり、「大丈夫だよ、任せなさいよ」とはっきり言えず「何か手伝うことがあったら言ってね」としか言えない。そのパターンが、少しずつ誤解を生じる伏線になっていたのだろう。一応今回のことは、妹が私に思いをぶちまけたおかげで互いの誤解がわかったのだが、これからもこのパターンが続くような気がして気が重いのは事実。それでもお互いにそれなりに大人だから、表面上は以前通りではあるのだが。帰宅してからも色々な思いが心をよぎる。その時の三人の話で、お互いの両親の思い出が随分異なっていることを改めて知る。私は早い頃から母親の顔色を気にしながら暮らしていたが、妹たちはまったくそんなことがなかったらしい。二番目の妹はよく母親に叱られていたようだが、あまり傷にはなっていないようだ。末の妹に至っては、可愛がられたという印象が強いようだ。この差は大きいと思う。子どもの生来の気質は、親の反応も変化させる。私と母は、やはりどうも相性が悪かったようだ。それでも性格の違いは悪いことばかりでもない。…と考えることにしよう。
2023年07月20日
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6月は、次男、孫、私の誕生月なので、この数年寿都に牡蠣を買いに行き、牡蠣やホタテをメインにしたバーベキューをすることが恒例になっている。今ブログを確認したら、3年前からだった。今年は次男が一緒に寿都まで行ってくれたので、夫と交代で運転。幸い良い天気になり、美笛峠を通っての寿都行き。途中で、ルスツ、真狩、ニセコの道の駅に立ち寄り、バーベキューの食材になるような野菜を物色。11時半には寿都に着いたので、ダイマル大谷会館で食事。ここはホッケもおいしいようで、次男は寿都ご当地グルメの「ホッケ飯定食」夫は「ホッケの半身焼き定食」私は「牡蠣フライ定食」。どれもボリュームがあり、満腹・満足。その後、お目当ての森越水産へ。去年は息子のところには研修生もいたので、80個を予約していたが、今年は家族だけだったので60個を予約。昨夜山形に住む孫に「牡蠣を送ろうか?」と聞くと「食べたい」というので、20個を発送。本当は友達と一緒に食べるというので30個を送るつもりだったが、急だったので当日中には数が足りないとのことで、万一友達と調整がつかなければ困るので数を減らした。やはり、前日までに予約しておいた方が間違いがないようだ。予約分の牡蠣とホタテも10枚買ったのだが、おまけで気前よく小さめの牡蠣を無造作に突っ込んでくれた。その後、黒松内を抜けて伊達から自宅に寄り、前日作っておいた煮物や漬物、以前にもらって冷凍してあった豚ジンギスカンなどを持って息子のところへ。5時半頃からバーベキューになったのだが、やはり1年に一度くらいは家族でのバーベキューはいいなと思う。息子たちが家にいる頃は、夏場はよくジンギスカンで盛り上がった。息子が学生の頃には、本州からの友達が来た時には必ずジンギスカン。その後も、孫たちが家にいる頃には年に数度はジンギスカン。北海道では、「ジンギスカン」がバーベキューと同義で、野菜や焼き鳥、イカやサンマなどの海産物も炭火で焼くのだ。そんな日々が懐かしく思い出される。火を囲みながら、「アッチチ!」「もう焼けたよ!」「まだいっぱいあるからどんどん食べよう」なんて言いながら、色々な話をするのも楽しい。きっと古来から、人々は火を囲んで食材や獲物を焼いて食べて盛り上がったのだろうな。ということで、今年も恒例行事を行うことが出来ました。みんなが健康であることに感謝です。
2023年06月16日
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隣町の介護医療施設に入所している母との、月に一度のリモート対面の日。施設に入所してから一か月、どうしていることやらと思いながら妹と二人ででかける。現在のところこの施設では、月に一度のリモート対面15分間、家族は三人までというルール。タブレットを通して母と対面し、声をかける。最初はきょとんとした顔をしていたが、私達の顔を理解したら「あー、わかるよ」と返事をしてくれた。思いのほか反応が良くてホッと一安心。しかし、耳が遠いせいもあって私達の声が聞き取りにくいのか、そばにいる看護師さんがその都度通訳してくれる。私達も慣れていないので、何を話しかけたら良いか戸惑いながらの会話である。でも、「食事はおいしいし食べている」とか、「部屋は二人いる」「みんなよくしてくれる」ということは自分の口で話してくれた。「何か私達に話したいことある?」と聞くと、その時はそれまでより大きな声で「こっちに来なさい!」という。それは、元気なころに私達に少し命令口調で話す、間違いなく母の言い方だった。ああ、直接面会に来ない私達に対して不満なのだろうなと感じると同時に、ぼんやりと日々を過ごしていても、色々思ったり不満だったり、どうして誰も来ないのかと思っていたりするのだろうとも想像する。隣の看護師さんが耳元で「今はまだ直接会えないんだよ」と話してくれて、それに対しては「わかった」と頷いている母だった。途中で何度も、「こんなことができるなんて、ビックリだー」という。多分、テレビ画面で話しているように感じているんだろう。正直なところ私達だって、こんな時代になるなんてビックリです。来月はまだリモート対面だけれど、7月からは面会室での直接対面となるようである。
2023年05月31日
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一週間ぶりに息子たちのブドウ畑の手伝い。天気が良かったせいか植物たちはそれぞれにグングン伸びている。ぶどうも、もう花芽がつきはじめているのだが、それ以上の勢いがあるのは「雑草」と呼ばれてしまう草花たち。このぶどう畑には50種類くらいの草花が共存していて、植物仲間の中ではぶどうもその一種類。しかし人間は、葡萄という一種類を大切にするために、その他の植物たちを削ったり刈ったりを繰り返している。除草剤は使っていないので、草花たちは隙あらば自分たちの勢力を守ろうと頑張っているのだ。それは理解していても、こちらも生きるためには罪なき草花たちをやっつけることになる。今はタンポポの綿毛やイネ科の植物の花粉が飛び始めている。それらを吸い込むとクシャミや鼻水に悩まされるので、マスク着用。這いつくばって株周りの草たちを削り取り、周囲の丈のある草は刈り取り、株周りに敷いてマルチングする。そうすることで雑草が生えにくくなり、かつ養分になってゆくのだ。しかしとにかく手間がかかる。9時半から午後4時くらいまでの間に、私は一列半しかできなかった。腕力のせいか、根こそぎ草を掘り起こすのに時間がかかるのだ。上っ面だけ刈っただけではすぐに草が伸びてしまうので、根を切らなくてはならないのだが、私には結構な重労働。もうすこし要領よくできないかと色々試してみるが、結論から言えば私に合った道具を見つけるしかないし、今のところは息子の手ガマを使うしかない。まあそれでも、一列半といえども猫の手よりはマシということだ。ガンバレよブドウたち。今年は去年より実をつけてください。
2023年05月30日
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【旅行】5月21日(日)~5月24日(水)夫が随分前から行きたいと言っていた、「奈良井宿」と「身延山」へのツアーではない旅行。千歳空港から羽田→新宿→特急あずさで塩尻→ローカル線で奈良井宿へ。奈良井宿ではいかりや町田民宿に泊まる。宿に荷物を置いてから、奈良井宿を散策。予想以上に昔の街並みが残っていて、タイムスリップしたような感じ。その日の宿泊は、カナダ人女性二人と私達夫婦。食事はとても美味しくて、特に鯉の煮つけが美味でした。次の日は、奈良井宿を一通り散策してから、塩尻→甲府→身延山へと、ローカル電車を乗り継いで向かう。身延山の宿泊先、山本坊に着いたのは午後三時半頃。次の日は雨の予報だったので、大急ぎでロープーウエイ駅まで送ってもらい、身延山山頂へ。山頂に着いた時はまだ下界が眺望できたのだが、あっという間に霧が湧いてきて、奥の院までぐるっと回っているうちに霧で体が湿ってくるし寒いしで、早々に下山。雨に濡れなかっただけラッキーだった。次の日は、早朝五時半からの久遠寺の勤行に参加することにしていたのだが、夜中から明け方までものすごい豪雨。雨音で夜中に何度も目覚めて、「こんな雨の中、久遠寺までの石段を上るのはイヤだな」と思っていたが、5時頃には小雨となったので予定通り出発。宿坊の人は「車で送りましょうか」と言ってくれたのだが、この程度なら大丈夫と自分の足で行くことにする。階段は一段一段が高めなので、やはり息が切れて休みながら行ったのだが、息子たちの急斜面の畑で鍛えているせいか、思ったよりは辛くはなかった。勤行はやはり荘厳で、私は信心しているわけではないが、多くの人達の祈りの歴史を体で感じて、何かパワーを浴びているような感じがした。その日は天気が悪い予報だったので、朝食後はすぐに出発して東京に向かう。東京についても雨交じりの肌寒い天気で、神田のビジネスホテルに向かう。チェックインしてから上野の鈴本演芸場で寄席を楽しむ。以前通信教育のスクーリングで上京していた頃は、いつも寄席や歌舞伎や演劇などを楽しみにしていたのだが、卒業して次男も東京を引き上げてからは、とんとご無沙汰だった。この日は天気が悪かったせいか、お客さんも少なく、ゆったりと楽しめた。次の日は、親戚からの驚きの電話で1日が始まる。何と、夫の義理の甥が突然亡くなったということだった。彼は2年前に胃癌の摘出手術をしていたのだが、抗がん剤治療も終わり、最近はパークゴルフにも行けるようになったと、つい数日前に訪ねた時に「良かったねえ」と話したばかり。また葬儀日程は決まっていないということだったので、私たちは予定通りに浅草とスカイツリーを見学して夜帰宅。【葬儀関連5月25日~27日】次の日の朝、とにかく姪の家を訪問。亡くなった経緯を聞き、本当に人の命はいつ尽きるかわからないものだと思う。お昼過ぎに調子が悪いというので病院に行ったのだが、その時はすでに意識がなくなり緊急手術。その夜の午後10時過ぎに亡くなったという。葬儀の手順やなど、姪の長男と共に打ち合わせ。姪は70代後半なのだが、多少認知症気味で家族も心配していた状態なので、独身の長男が頼りである。普段は無口で色々なことは故人である父親に任せている感じなのだが、やはり責任感で頑張っていた。その日は午後から夫が会議を2つほど入れていたので、私は買い物をして大量の煮物を作り、夕方届ける。次の日は通夜なのだが、留守の間に庭の草も伸びていて、今は芝桜などが花盛りなのだが、それに負けじと草たちも伸びている。とにかく目につくところだけ除草にいそしみ、通夜に向かう。家族葬的な葬儀ではあったが、コロナ禍で人数制限されていた時は火葬場にも行けなかったし、通夜の後の会食も家族以外はできなかったけれど、今回は以前のような形で行うことが出来た。実は、亡くなった日は2020年に亡くなった姪の母親の命日。義理ではあるが親子で同じ日に亡くなるなんてと、ビックリした。きっと、深い縁があるのだろうと思う。
2023年05月28日
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川崎市に住む姪一家が、何年かぶりにゴールデンウィークを利用して来道。姪たちが着いたのは一日の昼過ぎで、その日は母の入所日でもあり、夕食は妹たちや私たち夫婦も含めての夕食会。上の男児は小学校一年生、コロナ下で妊娠出産した下の女の子はもうすぐ三歳。姪夫婦は共働きなので、コロナ禍での出産と育児は本当に大変だったと思う。それでも、ご主人が一緒に育児・家事を担ってくれる人なので、姪も頑張ることが出来ているようだ。二日の日は私達は息子たちの畑の手伝い。姪一家は小樽観光。三日の日は、息子のブドウ畑で馬耕をするというので、そちらに行ってから長沼のハイジ牧場へ。私は道案内役である。ハイジ牧場は孫たちが幼い頃に来て以来なので、もう15年以上ぶり。ちょうど昼食時間になるので、コンビニで食べ物を買ってから入園。広い駐車場には車が一杯であったが、牧場内も広いのでさほど混雑している感じではなかった。青空の下で、小動物へのエサやり体験やふれあい、広場での凧揚げなど、特に一年生の男の子は好奇心のままに走り回り、幼い頃の息子たちを見ているようだった。それを目で追って見失わないようにするだけで、こちらは疲れてしまいそう。姪の夫は都会育ちで、今も川崎市に住んでいるので、何度も何度も「北海道っていいねー」と繰り返す。息子のブドウ畑の馬耕も興味津々で、自分もやってみたいようだったが、仕事がらみの見学者や研修する人がゾロゾロいるので、さすがに遠慮したようだ。ハイジ牧場で子ども達と嬉々として遊ぶ彼の姿を見ていると、子育てしているからこそできる体験を、とても楽しんでいることを感じられる。姪は本当に良い人と結婚したと本当に嬉しく思った。このような男性ばかりなら、きっと子どもを産む女性も増えるだろうな。
2023年05月03日
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食事が細くなり、市内の介護付き老人ホームから病院に入院していた母が、K市の介護医療院に入所することになり、妹二人と同行した。病院でも少し顔を合わせたのだが、着替えなど諸々で疲れたのか、状況がよく理解できずに不安なのか、目をつぶったままの母だった。しかし、施設に入り少し検査をした後に面会した時は、私たち三人の顔を認識し、私達が「今日からはこの施設にお世話になるんだよ。看護婦さんもお医者さんも、お世話をしてくれる人もみんないい人だよ。これからは一か月に一回は面会できるから、安心していてね」などと話すと、「あ~、分かった。みんなの顔を見れて良かったー」と言ってくれた。それぞれの担当者や医師が入れ代わり立ち代わりやってきて、それぞれの対処方針説明などを丁寧にしてくれて、私達の希望も丁寧に聞いてくれたので、私達も安心することが出来た。私達の願いは、いやなことを無理強いされずに、苦痛なく穏やかに過ごしてくれること。それだけなのである。
2023年05月01日
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昨日は天気が良かったので、息子の畑の手伝いに行く。雪もすっかり融けて、ふきのとうがあちこちから顔を出している。木の芽も少し膨らんできているようで、木々がうっすらと若草色の気配を醸している。初作業は番線上げ。一番下の番線を次々に上げていくのだが、畑の傾斜がきついので結構な運動量となる。予想以上に気温も高く、かつ風もないので、少し経つとジャンバーを脱いでの作業。のぼせ状態になっては大変なので、こまめに水分補給をしながらである。それでも、途中で息子に「顔が赤くなっているから休んだ方がいい」と言われ、用心して少し休んだ後は、急斜面を上り下りの作業はやめて、番線に残っている巻蔓取り。昼食を食べている時、夫が「初日は疲れるから、今日は半日でやめよう」という。私の疲れを心配しているというより、自分自身が疲れてきたようだ。やはり年には勝てませんね。ということで、この日はこれで終了。帰りにM市の道の駅に立ち寄り、いつも行列ができているワゴンの焼き鳥屋にこの日は5~6人しか並んでいなかったので、ラッキーと並んだ。いつも10人以上は並んでいて、かつその行列の進むのが遅くて諦めていたのだ。並んでわかったのだが、一人20本まで(一本160円)なのに、限度いっぱいの20本を買う人が多くてビックリ。ということで、予想より時間はかかったけれど、初めてなので10本購入。しかし、帰宅して夕食に食べてみて納得のボリュームと味だった。当然冷めているのでレンジでチンしたのだが、その美味しさにびっくり。これならばお土産にしても時間が経ってからの夕食にしてもOKだ。次に買う時は、限度いっぱいの20本を買って、息子たちにも分けてあげたい。しかし、一度買いたいと思ってから一年くらいは諦めているんだよね😢次にラッキーな時はあるだろうか。
2023年04月05日
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前日に、母が退院して施設に戻ったと聞きホッとしていたのだが、昨日の午前10時半過ぎにまた入院したと連絡が入る。この日は関わっている会の例会があり、会場に着く直前のことだった。妹も「これから病院に行く」ということだったので、様子がわかったら連絡してほしいと頼んだ。(連絡はラインで)実は、前日に本州から妹が帰ってきていて、(ひょっとしたら、そのタイミングで…)などとも思ってしまった。しかし、昼過ぎになっても妹からは連絡はなく、多分病院にいるのだろうと一時頃に病院へ向かう。病院の待合室奥の廊下には妹二人が座っていた。朝、血中酸素が下がっていて具合が悪そうだったので、施設が救急車を呼んだとのこと。でも、酸素吸入などで状態は回復し、私が病院に着いて母の顔を見たら、「あー、あんた来てくれたのか~」と、酸素吸入のマスクのままに言ってくれた。私は母が施設に入ってから三か月ほどは会っていないのだが、すぐにわかってくれたのでホッとする。三姉妹揃った顔を見た母は、「あ~、これでいつ死んでもいい」という。私が行く前に妹たちと話をしていたせいもあるのか、自宅にいた頃よりも反応が良い。施設では色々と声をかけてもらったり、他の人達とも会話しているというから、自宅にいた頃よりも刺激があり、脳も活性化しているような気がする。病院でも私の到着を待ってくれていたようで、少し会話をしてから病室に移動した。またこれで、しばらくは面会が出来ない状態になるのだが、年も年なので私たちはそれなりに覚悟はしている。施設の方も、退院してすぐに再入院になってしまったので、しばらくは入院して体調が回復するまで戻さないような気がする。しかし、母の姉妹はみんな長寿で、それぞれ100歳前後まで頑張った。多分母(あと二か月で97歳)も、あとしばらくは頑張るのではないかと私達は予想している。
2023年04月01日
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従兄の奥さんが亡くなったというので、昨夜の通夜と今日の葬儀に行く。以前から体が弱いと聞いていたのだが、7年ほど前に筋ジストロフィーと診断され、2年ほどは自宅で過ごしていたがその後施設に入所したとのこと。私は、母からは「リューマチ」というように聞いていたので、葬儀でそのことを知り驚いた。何年か前にお会いした時は、歩くのには不自由な感じではあったが、以前と変わらず明るく話をしていた。(ひょっとするともう10年も前かも)葬儀場には、元気だったころの家族写真や、施設や病院での写真が飾られていた。コロナ禍になる前は、土日は帰宅していたそうだが、その後は一時帰宅どころか、面会も難しくなっていたが、写真の笑顔は変わらない様子だった。どれほど悔しく辛い思いがあっただろうけれど、家族にはそんな様子を見せなかったそうだ。あまり会う機会はなかったけれど、ここにも立派な人がいたと思った。久しぶりに、葬儀らしい葬儀に参列した。心からご冥福を祈りたい。
2023年03月29日
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3月25~27日は、息子のワイナリーでの販売日だった。息子たちのワインの生産本数は少ないので、毎年ホームページで販売案内をする。できるだけ地元の人たちに飲んでほしいとのことで、今年はネットで先着150人には一人三種類一本ずつ、受け取りに来れない人は抽選で30名という状況。ワイナリー建設の時にサポート会員になってくれた人などには先にメールでお知らせして販売するので、一般の人が手に入れようとしたらこの機会しかない。例年こんな感じでアナウンスして注文を受け、この三日間の間に受け取りに来てもらうのだ。北海道や空知地方のワインが知られるようになり、年々短期間で完売になってきて、今年は30分足らずで受付ストップになったようだ。今までは販売の時には孫や研修生がいたので私達は手伝いに行っていなかったのだが、今年はどちらもいないので、私達も土日だけ手伝いに行く。この日の販売は3種類なのだが、近くのイタリアンレストランが土日は来てくれて、ピザやオードブルセット、カレーなどを販売してくれるので、販売していないワインも試飲(有料)できるようになっている。しかし、ホームページにはそのお知らせをしていないので、初めて来た人は「試飲もできるのなら、運転手を連れてきたらよかった…」と残念がったり、試飲グラスをラップでくるんで大切そうに持ち帰ってくれた人もいる。私は販売の手伝い、夫は車の整理係である。農家だから駐車スペースはあるのだが、何台も来ると整理が必要なのだ。というわけで、この2日間は慣れない仕事をしましたよ。驚いたのは、はるばる網走や東京から来た人がいること。東京からの人は何人かいたけれど、「最後のスノーボードに合わせて」など、何かの用に合わせて来てくれたのだろうが、網走からの日帰りの男性はワインを手に入れるだけのために朝6時に出発し、お昼過ぎに到着。一息ついてまたすぐに帰って行かれた。ワイン好きの人達の世界は、本当に驚くばかりであるが、とてもありがたいことだ。土曜日は風もなくわりと暖かかったので、ワイナリーの前にテーブルと椅子を並べて飲食してもらったのだが、日曜日は風もあったし寒くてとても屋外で飲食してもらうのは申し訳なく急遽ワイン発送のための段ボールやワインがぎっしりのワイナリーを整理して、中で飲食と歓談をしていただく。飲める人も飲めない人もそれなりに楽しんでいただけたようでホッとする。このような人たちのおかげで、息子たちは何とかワイン生産で食べていける。そんな姿を見ることが出来たのは、親としてはとても嬉しいことだった。今年も、皆さんに喜んでいただけるようなワインを造るため、良い葡萄が収穫できますように。
2023年03月27日
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山形県で働いている孫が、幼馴染の結婚式で一泊二日で来道。11時半の便で帰るというので、千歳空港で落ち合うことにしていた。札幌発8時2分の快速に乗ったというので時刻表を見たら、札幌から空港までほぼ直通の快速があることにビックリ。ということで、大慌てで私も駅に走り、彼より10分遅れで空港駅に到着。朝食は食べていないというので、彼が職場などへのお土産を買った後、三階のフードコートに向かい、孫はラーメン、私はアイスコーヒー。久しぶりに再会したので仕事のことなどを中心に話を聞く。楽しそうに仕事をしている様子で元気そうなので安心する。もっとも、この孫はいつも楽しそうなタイプで、特に人懐っこい感じではないのだが、気持も優しいし人の悪口は聞いたことがない。だから、周囲の人にも可愛がられているようだ。性格というのは持って生まれた気質の要素が大きいと私は考えているのだが、彼はその意味ではとても恵まれた気質を与えられたとことあるごとに感じる。しかし、穏やかで競争や争いが苦手ということもあり、運動神経は良いのだが、小中学校でサッカー部にいたのだが、全く勝たなくてはならないという闘志はみられなかった。だから、負けたとしても少しは悔しいのだろうが、下の孫は負けたら悔し泣きをするような感じだったが、悔し泣きをする仲間に対してどうふるまったらいいのか戸惑っているような感じだった。何にでもプラスとマイナスがあるものである。一時間後くらいに母親も到着して、結婚式の様子とか、集まった友達の情報などを話していた。小中学校だけではなく、高校までも一緒の友達が多いので、お嫁さんにしても一緒に育てた子ども達のようなものなのだ。ちょっと驚いたのは、札幌で結婚式があり、泊まったのはネットカフェだそうだ。結婚式に参加するスーツでネットカフェかーと、私には考えられない時代を感じた。彼が山形にいる間に、一度遊びに行きたいと思っている。
2023年03月20日
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今月末にはワイナリーでの販売があるので、そのためにもラベル貼りを早急に終えなくてはならない。昨年までの二年間は研修生がいたし、孫も休日には手伝いに帰ってくれたのだが、今年はその戦力がないので、私達も応援に行く。単純な作業で、私はさほど疲れる仕事ではないのだが、やはり一日中立ちっぱなしというのは少し疲れる。作業をしながら思うのは、今年も天候に恵まれて良い葡萄が収穫できればいいということ。とにかく、ワインの出来はブドウ次第なのだから。近年、北海道のワインが注目されているようなのだが、やはりブドウにとって北海道は厳しい土地であることには変わりがない。葡萄たち増えている生産者たちも、みんなガンバレ!実はこの日は、店頭販売のメール受付の日。昨年は二日間くらいで完売したのだが、今年は30分も経たずに完売。それほど息子たちのワインを飲みたいと思ってくださる人たちがいらっしゃるのだと、驚きと感謝である。
2023年03月17日
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昨日は、孫の卒業・就職祝いを届けがてら、息子のワイナリーの手伝いに行く。息子たちは三月のワインの販売に向けて、連日ラベル貼りなどの作業をしているらしい。それに加えて、この季節はワインイベントも次々にあるようで、なかなか忙しそうだ。私達夫婦にとっては、今年初のワイナリー作業だ。息子たちは、冬場は畑仕事はないけれど、冬期間はワインの瓶詰やラベル貼り、出荷作業がある。小さなワイナリーを三軒で運営しているので、お互いの作業が重ならないようにやりくりしながらやっているようだ。ワイナリーのある場所は積雪量が多いので、私たちは用がなければあまり行くことがない。やっと積雪量も減り、ワイン畑の様子も杭が見えてぶどう畑だとわかるようになってきた。久しぶりの立ち仕事で、さすがに少し疲れた。カーブスに通って体力維持に努めてはいるが、このところ足首や肩の関節炎で、あまり負荷をかけないように痛くないようにとやってきたので、やはり体力は低下気味のようだ。あと一か月半も過ぎたら本格的な畑作業になる。それまでにもう少し体力をつけたいと思う。疲れたけれど、作業しながら息子たちからワインの話や仲間の話、孫たちの話をするのはやはり楽しく幸せだった。
2023年03月05日
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女の子の孫が、今日成人式を迎える。朝、孫からのラインがあり、「今日、無事に成人式を迎えることが出来ます」から始まる、成人式を迎える感謝のメッセージが届いた。想像していなかったので、とてもビックリしたし嬉しかった。女の子なので、二か月も前から成人式の和服選びや事前の写真撮影などがあり、お正月にはその晴れ姿の写真も見せてもらった。もちろん振袖は貸衣装なのだが、とても素敵だった。いつもは「どうして成人式の時にはみんな制服のように振袖なんだか」なんて、少し皮肉めいたことを感じている私なのだが、孫となると一生に一度のこんな姿も、日本人としては悪くないと思うんだから我ながら笑ってしまう。この孫がこのブログに登場するのは、この日「笑顔が上手になったよ」だ。2300g足らずの小さな赤ちゃんだった。同室にいた男の子の赤ちゃんは、4000g越えのジャンボベビーで、比べたらその小ささに心配になるくらいだった。それでも、小さくても元気だったようで保育器などのお世話にはならず、バスタオルに包まれた孫を抱いた時は、「とにかく元気に育ってね」と祈る思いだった。小さいので赤ちゃんらしい丸顔ではなく、大人顔だったのがおかしかった。あれから20年、この孫のおかげでどれだけ楽しい思い出を貰ったことだろう。感謝しなくてはならないのは、私達の方なのだと心から思う。ちなみに、私の成人式は、わが人生最低のどん底時代だった。それでも今では、あの時期があってこその今の私だと思う。私も真っ暗闇だったけれど、両親や家族も真っ暗闇だっただろう。でも、暗闇がなければ明るい光も感じられない。今も、ひょっとすると真っ暗闇のどん底気分の人がいるかもしれない。しかし、それは新しい人生へ向かうトンネルなのだよと伝えたい。その頃のことについて書いたブログガあったはずと探したら、下記を見つけた。成人の日 2006年01月09日
2023年01月08日
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結婚以来若い頃は、大晦日は実家の両親などと集まり、オードブルやお刺身、年越しそばなどで年を越し、元旦には夫の兄弟姉妹の家族が我が家に集まり(人数は20~30人!)2日は私の実家で正月祝い。4日には仕事始めなので、その後集まってくる夫の職場仲間の宴会。ということで、仕事納めの後の29日からは連日正月料理に終われていた。やがて子ども達も大きくなり、夫の親族の甥姪も成長して来なくなり、息子たちも家を離れてからは次第に正月料理に終われる作業が軽くなってきた。コロナ感染が広まってからは、実家の母に感染させては大変なので、実家での会食もしなくなった。そして今年は、上の孫は就職して帰省せず、下の孫は年末までバイトで年越しには来れないという。実家の母も施設に入所して、今年の年越しは息子たち夫婦と研修生次男と妹が集まるのみ。(つまり6人)息子たちが知り合いのレストランのオードブルを持参してくれるというので、我が家では生寿司を注文し、夫が蕎麦を打ち、私は天婦羅と煮物とサラダを準備するだけ。元旦のおせち料理は出来合いを注文している。その日は下の孫も合流するので、少しはお正月らしいだろう。それでも結婚以来、一番楽な正月準備だ。あと数年たったら、どんな年末年始になるのだろうか。
2022年12月28日
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今月初めの頃から、息子たちが相次いでコロナに感染し、後始末作業(秋の剪定、剪定枝外し、番線上げなど)が随分遅れてしまったということで、昨日まで三日間連続で手伝いに行った。小春日和という感じの天候が続き、結構仕事ができたけれど、やはり三日目の昨日は疲れたようだ。私は疲れすぎると熟睡できない傾向があり、夜中に何度も目が覚め、かつ喉が渇いて水を飲んだりもした。あまり汗はかいていない感じだったけれど、気付かぬうちに体の水分が抜けていたのだろう。今日は用があるし、日曜日から本州に旅行の予定。北海道は現在コロナの感染が大変なことになっていて、親しい友人も感染してしまった。だから、万一感染していたらとドキドキものだったが、今のところ大丈夫。無事に久しぶりの旅行に行けますように。
2022年11月25日
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一か月半、腰痛で入院していた母が、市内の介護付き有料老人ホームに入所した。実はこの日は亡父の月命日で、午前中は檀家寺の住職が来てくれたので一緒に父やご先祖様に手を合わせ、午後からは病院→施設となった。なんだかちょっと、ご先祖様たちのお計らいを感じてしまう。腰が痛くて立てないということで救急車で入院したため、その後は会うこともできなかった。だから、久しぶりなので私達のことがすぐにわかるかなと多少案じていた。しかし、予想していたよりずっと元気な様子で、私達のこともすぐにわかってくれた。退院して老人ホームに行くということも、どの程度理解しているかはわからないが、それなりに納得しているようなのでホッとした。北海道ではこのところ感染者が激増しているので、どうなることかとも思っていたが、無事に退院し老人ホームに移動し、私と妹もホームの居室まで入ることが出来た。今まで、この老人ホームのことは知っていたし、母がもう少し元気なころにはこの施設のデイサービスも利用していたので、施設に対する不安はあまりなかったのだが、中に入るのは初めてだった。個室は想像していたより広くて、スタッフの皆さんの雰囲気も良い。私達は居室に入るには抗原検査をしなくてはならなかったが、陰性だったのでダブルでホッとした。実は、この日入院していた病院の別の階でコロナ感染者が出たということで、ホームに入っても三日間は居室での食事になるようだ。これから病院の方でクラスターにならなければいいが。ホームではまだ入所者に感染者が出たことはないそうで、今後は面会は事前申し込みの上、面会室で会えるようだ。このご時世だから当然のことだし、できれば自由にいつでも面会出来るようになってほしいが、今の状況だとそれがいつのことになるのか。今後は、施設への訪問診療をしてもらいながら生活することになる。私達の希望はただ一つ。母のペースで穏やかに暮らしてほしいということだけだ。ホームスタッフの皆さん、どうぞよろしくお願いします。
2022年11月17日
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今月初めに腰の痛みで入院した母は、嫌がってリハビリもしないようだ。在宅していた頃から、もう嫌なことはしないという態度で妹も世話が大変だった。だから、絶対にリハビリはしないだろうと予想していたがその通りになった。妹は支えて立てるくらいにならなければ在宅介護は無理と言っているし、私も同感である。ということで、市内の施設入所を考えることになった。当面は妹が病院のSSWやケアマネージャーさんと相談しながら施設の担当者と話す予定。「必要なら私も一緒に行ってもいいよ」と言ったのだが、「いや、私だけで大丈夫」という。ずっと母の介護をしてくれていた妹なので、私は妹の意向に従うことを旨としているのだが、全部の責任を押し付けられていると感じたら申しわけないとも思っている。私は幼い頃から母との折り合いが悪かった。祖母と母の折り合いも良くなかったから、祖母が施設や入院していた時は、私が都合のつく日は通った。その頃には、結構複雑な思い出がある。当時「私は母を介護しなくてはならなくなった時、母に優しくできるだろうか」ととても不安だった。当時の妹はまだ若く独身で仕事もしていたし、彼女を自由にさせるためには私が介護をするのだろうという覚悟はしていたのだが、それでもその日が来るのがとても怖かった。月日は流れ妹も退職し、父母と同居してずっと介護をしてくれてきた。私は内心でとてもホッとして、妹に感謝しつつ彼女からの要請には何をおいても協力することに努めてきた。同時に妹の意見を最大限優先させている。さて、これからの調整で妹はどこの施設を選ぶんだろう。彼女の判断を待ちたいと思っている。
2022年10月28日
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今年のブドウの収穫も、無事に終了した。天候などの影響で例年より収穫量は少なかったのだが、息子たちに言わせたら「こういう年もあるさ」。今年もまた、道内はもとより全国から、収穫と仕込みのお手伝いをしてくれる人が集まってきた。一番遠い人は宮崎県。ワインは春先からの作業から最終イベントになる収穫と仕込みまで、素人でも手伝えることが多く、ワイン好きな人たちはその過程に参加することや、生産者やワイン仲間との再会や情報交換が楽しいらしい。また、息子たちのワインは生産量が少ないので、手に入れにくかったり、味わえる機会が限られているので、昼食の時や夜の作業の合間に、それらのワインを楽しめることも魅力のようだ。そのような人たちに支えられてのワイナリーである。多分道内には同じようなワイナリーがあると思うので、同じような光景があちこちで見られるのだろう。みなさん、お疲れさまでした。
2022年10月26日
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実家の母が、腰が痛くて起き上がれないということで、ひょっとすると骨折かもしれないと救急車で入院。私は友人との約束があったので、実家の妹とちょうど帰省していた末の妹にまかせて出かけた。検査の結果、骨折ではなかったようなのだが、とりあえず一か月の入院となった。母は96歳。随分前からトイレや食事に移動する以外は、ずっと居間のマッサージチェアに座りっぱなしで、ほぼ寝たきりに近いような日々が続いていた。入院すると、今でもよほどのことがない限り面会はできない。最近は食事の量が減っていたが、入院すると点滴などで栄養補給をするかもしれない。さて、一か月の入院が母の心身にどのような影響がでるのだろうか。ずっと自宅で母の介護をしていた妹にとっては、少し気分転換できる一か月になるだろう。
2022年10月03日
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私達が参加するブドウの初収穫。秋晴れの良い天気の中、家族とボランティアの方4人での収穫作業。今年は天候のせいもありあまり収量は多くはないようだが、今回はオーセロワという品種を収穫し、これは二種類のワインにするそうだ。これから一か月は次々と収穫&仕込みで息子たちは忙しくなる。私達も都合がつく限り助っ人にいくつもりである。
2022年09月30日
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秋晴れの良い天気。今年も蕎麦の脱穀作業をする。毎年、知り合いの誰かが昭和時代の脱穀作業に興味を持って手伝いに来ていたような気がするが、この日は家族五人のみ。それでも、午前中に脱穀が終わり、昼食は何年かぶりで「大地のテラス」へ。開店直後に行って以来だから、何年振りなのか。たしか、孫がまだ高一くらいだったような気がするので7~8年も経つのだろうか。(月日が流れるのは本当に早い)このお店も、本当に田舎にあるので、冬期間やコロナの間は大丈夫なのだろうかと思っていたが、息子たちの話ではやはり冬期間は休業したり、経営者が変わったりしたようだ。でも、最初の頃から見たら、メニューも豊富になり、以前は畑だった場所に子どもの遊び場があったりして、お客さんも結構いた。私達はシュラスコプレートとテラスのビュッフェをいただき、とても満足だった。久しぶりに美味しいお肉やソーセージを食べたような気がする。午後からは唐箕かけだったが、これは戦前の道具を今年も使っての作業。「この道具たちも、この作業も、資料館状態だね」と今年も笑いあう。今年の収穫は42kg程度。良かった良かった。
2022年09月08日
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夫の一番上のお姉さんが亡くなったのは二年前だった。自宅で倒れて救急車で搬送されてから、コロナの感染が広がっていた時期だったので、一度も家族と面会できぬままに亡くなった。その時のブログ。昨年は集まっての会食もせず、それぞれ都合の良い時に仏壇にお参りするだけだった。夫の他の兄弟姉妹も80~90歳前後と高齢のために、7回忌は集まることもできないだろうと、今回は自宅で近しい人だけで集まることになった。コロナが始まってから、本当にみんなで集まることがなくなり、久しぶりの顔合わせであった。(多分、葬儀以来)これが終わって、ずっと母親と一緒に住み、それなりの様々な葛藤があった姪も本当に役目を終えたという気持ちであろう。本当にお疲れさまでした。さて、お次は誰の番になるのだろうか。
2022年05月22日
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時々、「よく読まれている記事」を見ると、忘れていることが思いがけずに蘇って楽しい。今朝は、「だ~い好き!」2004年06月06日を読み、心がホンワカしている。このブログでは二歳だった孫は、現在19歳の短大生。さすがに、私に向かって「おばあちゃん、だ~い好き」とは言ってくれないけれど、優しい女の子に育ってくれていると嬉しく思っている。以前にこの孫と話した時に親子関係の話になり、「友達の中には、お父さんが大嫌いだったり、親とはほとんど話さない人がいるんだよね」と言っていた。そして、「自分は何でも親に相談できるし、結婚するならお父さんみたいな人がいいなと思う」という。まあ、今のところはそれで幸せだなと、そのような親子関係を紡いできた息子夫婦を褒めてやりたい。しかし、天邪鬼なおばあちゃんはチラと思ったりもする。「父親を理想の夫像にしちゃうのも、ちょっとねえ…」と。私自身は、父も母も理想の大人とは思ったことがない。だから、結婚生活にも過剰な期待は抱かずにすんだと思っている。孫は、早く子供が欲しいという。結婚してもいないし、現在のところ結婚したい男性もいないようだが、小さい頃から「赤ちゃんってかわいいねえ。早くお母さんになりたい」なんて言う子だった。私は結婚しても早く子供が欲しいなんて思ったことがないので、こんな子もいるんだとわが孫ながら不思議な気持ちになってしまう。だからつい、余計なクギを刺したりする。「お父さんは自分の娘は文句なく可愛いし、味方だよ。でも、ダンナさんにそれを求めたら当てが外れるよ」「赤ちゃんは可愛いけれど、育てるのはなかなか大変だよ。可愛いだけで育ててもだめだし、厳しすぎても良くないし、なかなか難しいものだから。あなたのお父さんとお母さんは、そのあたり上手に育てたと思うから、お手本にはできるね」などと孫と話せるのは、やっぱり私は幸せなおばあちゃんだと思う。
2022年04月25日
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昨日は夜中に地震で目が覚めたのが、この一日の始まり。詳しいことは秘密日記に書いておくが、多分結局は何とかなるだろう。
2022年03月18日
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このブログでも何度か書いたけれど、亡き父は占守島で終戦を迎え、終戦後に突然侵攻してきたソ連軍と戦い、その後ソ連で二年間の抑留生活後に帰国した。戦時中のことは、元気なころにはほとんど話すことがなかったが、脳梗塞で失語症を患い、様々な地域活動からも離れてから、当時のことを話すようになった。今のロシアのウクライナ侵攻のニュースを見ながら、父の言葉をたびたび思い出している。終戦後のソ連の占守島への侵攻で、必要のない戦いをしなくてはならなくなり、ソ連という国の卑怯さには生涯怒りを抱いていた父だが、次のような話もしていた。「ソ連の兵隊は可哀そうなもんだった。戦争が終わって故郷に帰れると思っていたら、占守島で日本軍と戦うことになったんだからな。こっち(日本軍)は戦車部隊が無傷で迎え撃っているところに、鉄砲担いで上陸させられたんだ。占守島の戦いでは、日本兵よりソ連兵の方がずっと死んでいるんだ。」それは、まさに「軍事演習だと言われていたのに、ウクライナと戦争することになった」現在のロシア兵の驚きと困惑と共通しているように思う。抑留されてからの話にも、「ソ連は嫌いだがロシア人は好きだ」というエピソードが色々あった。抑留生活になっても、日本軍時代の上下関係は日本人社会では健在だったようだ。だから、上官だった人は階級が低い人をイジメたり偉そうに振舞うのは当たり前。しかし、だんだん苦しくなってくると、互いの足の引っ張り合いや、少しでもソ連兵のご機嫌を取ろうとするものも出てくるし、「共産主義教育」にも進んで協力する人もいたようだ。もちろん、中には本当に共産主義に共感した人もいるだろうが、卑怯な「面従腹背」や「忖度人間」も多かったであろうことは、現在の日本人の傾向性をみれば理解できる。父は本当はどうだったかわからないが、もともとリベラルな考え方の人で、要領よく立ち回ったであろうとは思うが、日本人の卑しさやいやらしさを抑留生活で骨身にしみたと言っていた。それに比べて、ロシア人はとても人が良く、命令には従うけれど、日本人を敵視することはあまりなく、父はロシア人を次第に好きになったようである。人一倍頑丈な体を持ち、仲間の分までよく働き、ロシア人すら好きになってしまう父のことをロシア人だって親しく接してくれただろう。父が日本に帰ることになった時には、ロシア人の兵隊が「おめでとう」と祝福してくれたようだ。のみならず、「日本に帰らずに、こっちで結婚して生活したらどうだ。ソ連にはモンゴル系の人達も多いし、お前ならいい生活ができるかもしれない」とすら。日本人の嫌らしさで嫌な思いをしていた父は、一瞬「それもいいか」と思ったようだが、やはり日本の家族が待っていると帰国したという。そんな経験をした父が生きていたら、今のロシアのウクライナ侵攻をどう思うだろう。「あの時とおんなじだ。やっぱりソ連とロシアの為政者の考えることは変わっていない。そして、「ロシアの人達は気の毒だ。プーチンは兵士の命なんて何とも思っていない。ロシアの国の人のことだって、本当は何とも思っていないんだ。ソ連もロシアも大っ嫌いだ。ロシアの人達は気の毒だ」と言うのではないかと想像する私である。
2022年03月16日
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6日の日曜日、三回目ワクチンの前倒し接種を、集団接種で受けた。集団接種はモデルナ社で、ファイザー社ワクチンは医療機関での接種ということであった。日曜日の午後に打ったのだが、その深夜から接種部位が腫れてきて熱が上がり、明け方に解熱剤を服用。しかし、36.5℃くらいまで下がってもまた上昇し、結局今日の深夜までに4回も薬を飲んでしまった。それでも、二回目の接種の時のような強い倦怠感はなくて、熱による頭痛がずっと続いたけれど、今日の午前中には平熱に戻り、無事に実家の母のワクチン接種のサポートもできてやれやれである。同じ日に打った夫は、多少の接種部位の痛みと熱っぽさはあったようだが、解熱剤に頼ることもなかった。若いほど副反応は強いと聞くので、やはり私が若いという証拠だろうその分だけ、ワクチン効果も絶大と信じたい。
2022年02月08日
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長男の畑作業がまだかなり残っているというので、急遽助っ人に行く。息子たちの畑は二か所あり、一か所は終わったのだそうだが、自宅周辺の畑はまだ半分以上も残っている。積雪が多い方を先に終えたらしい。今は番線から蔓を外して、番線を上げ下げする作業で、私は蔓切り専門。というのは、番線を上げるためには腕を精一杯伸ばさなくてはならないのだが、この半年、左肩がどうも不調なのでその作業は痛みを伴うのだ。しかし、巻蔓を剪定ばさみで切るのも、結構握力が必要で、夕方には右手の親指が擦れて痛くなり、かつ普段使っていないので右腕下腕部が疲労で力が入らなくなってしまった。それでも、何とか工夫しながら午後三時半まで作業して、猫の手よりはましな手伝いが出来たと思う。根雪が降る前に作業が終わりますように。
2021年11月30日
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先週は3日ほど晴れ間を狙って手伝いに行く。今はすっかり落葉し、作業は番線の上げ下げである。葡萄は番線に蔓が巻き付いているので、息子が大まかに剪定した後を、番線からブドウを外しながら上の二本は杭の上へ、一番下の番線は下に下ろしてゆく。この日は曇りの予報だったが、昼頃にパラパラと霰が降ったけれど、あとは陽もさして風もなく、とても作業がはかどった。まだ作業が全部終わったわけではないが、あとは息子たちだけで雪が降る前に終われそうだということで、この日でお役御免である。今年も無事に春先からこの日まで手伝うことが出来、ブドウたちも頑張ってくれてまずまずの収穫ができ、今頃はワイナリーのタンクの中で着々とワインに育っているはずだ。家族みんなが元気に働くことが出来たのが、何よりも嬉しく思う。来年も元気に働くことが出来ますように。
2021年11月20日
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ブログを確認したら、今年の収穫が始まったのは9月20日だった。あれから一か月ちょっと、息子たちは多くの収穫ボランティアの人たちに助けられながら、収穫→仕込み→収穫→仕込みの毎日を繰り返してきた。勿論私達も、都合のつく限り畑やワイナリーに通って手伝ってきたのだが、10月24日に全部の収穫が終了した。春の芽吹きの時から、収穫の時に向けて祈るような気持ちでブドウたちを見守ってきたのだが、今年は春先の天候に恵まれ、夏の少雨や乾燥もぶどうには悪い影響を与えなかったようで、まずまず豊作の状況で終わることが出来たようでホッとしている。今年は飛び込みの自費研修生がやってきて、その彼が本当に働き者の性格の良い青年で、一緒に作業をすることも楽しい日々だった。元気で健康的な若者は、周囲を明るくしてくれる。コロナ禍が続いた影響で、若者の自殺が増えているニュースを見るたびにやりきれない気持ちになるが、こんな北海道の片隅では、自分のやりたいことに夢中になっている若者たちがいる。そして、ワインを通してつながりあっている様々な人たちが、年に一度の収穫と仕込みを共に作業し、北海道の自然を存分に楽しんでいる。その姿をかたわらで見ていると、「まだ日本は大丈夫」と思えて嬉しくなる。さて、これからは後始末作業が始まる。どんどん寒くなり、時には雪が舞う中での作業なのであまり好きではないのだが、手伝うことのできる体力がある間は、夫婦二人で手伝いに行きたいと思っている。
2021年10月24日
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10月に入ってから、雨の日以外は息子たちのブドウ畑に通う日々が続いている。今日は雨模様なので休養日。いつも、家族以外のお手伝いの人が来ていて、土日は特に多い。家族以外の人が来るときには、色々な飲食店のテイクアウトのお弁当が用意される。これがひそかなお楽しみである。ボランティアの人たちは、ワイン好きな人や飲食店、酒販店の人達なので、昼食時は小さなワイン会状態。私達夫婦はアルコールに弱いので味見程度だが、みなさんは詳しい人が多いのでワイン談義で楽しまれているようだ。さて、今年の収穫はいつまで続くのだろうか。
2021年10月11日
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今年は暑く雨の少ない夏だったせいか、ぶどうの生育もはやく、20日が初収穫となった。こんなに早い収穫と仕込みは、今までに経験がないということだ。これから10月後半までは、息子たちは大車輪での作業が続く。私達も、あまり疲れない程度に手伝いに行くことだろう。息子のワイナリーに研修に入っている若者が、「家族で一緒の仕事ができるって、いいですねえ」と言ってくれた。先日、知り合いの夫婦が少しだけ収穫前のブドウのお掃除作業を手伝ってくれて、「ご家族がが生き生きと仕事をしているのを見て、サラリーマンには考えられない世界だと思いました」と言ってくださった。私も本当にそう思っている。
2021年09月23日
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天気と蕎麦の状況を見ながら、ずっと夫が気にしていた蕎麦刈りを行う。(夫は蕎麦打ちが趣味で、それも自家栽培・天日干しのソバにこだわっている)今年は、私達夫婦と次男、息子夫婦と孫、研修中の若者と元研修生と言う8人。だから、午前中にニオ積みまで完了。午後からはブドウ畑の作業を三時半ころまで行い帰宅。とにかく今年も例年の作業を無事に終えることが出来たことに感謝である。
2021年08月31日
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