全7件 (7件中 1-7件目)
1
先日、旭川市の中学生・廣瀬爽彩さんのいじめ自殺の経緯が、再調査委員会によってまとめられ、旭川市教育委員会も公表するに至った。旭川市いじめ問題再調査報告書(公表版)旭川市教育委員会膨大な量なので全部を抄読してはいないのだが、よんでいると息苦しくなる。中学生の少女がどれほどの苦しみの日々を過ごしていて、自死を選ぶに至った気持ちが胸に迫り息苦しくなる。どうしてこの少女を救えなかったのか、みんながそれぞれの立場で考えなくてはならないだろう。そして、ひょっとすると今現在も、このような思いを抱えている子ども達がいるのではないか。旭川 女子中学生死亡 “いじめが原因の自殺” 市が報告書公表 2024年9月13日 NHK【詳報】廣瀬爽彩さんの苦しみが克明に…旭川いじめ問題 再調査報告書公開で具体的な内容判明9/14(土) STV3年前、北海道旭川市の公園で女子中学生の遺体が見つかった問題で、再調査委員会の報告書が13日に公表されました。クラスで居場所を無くした生徒が上級生につながりを求め、さらなるいじめに苦しむようになった過程が事細かに記されています。「いじめ被害が存在しなければ廣瀬爽彩の自殺は起こらなかった」13日公表された367ページにわたる再調査報告書は、ひとりの女子生徒が自ら命を絶った理由についてこう結論付けました。旭川市の中学校に通っていた廣瀬爽彩さん・当時14歳。2021年3月、市内の公園で凍死した状態で発見されました。廣瀬さんは2019年4月に中学校へ入学しましたが、直後から体の不調を訴え、学校に行きたがらないなど、様子が変わっていきました。再調査報告書は廣瀬さんに対する7件のいじめを認定しました。(※原稿末尾に詳細内容あり)新たに認定されたのは「クラス内でのいじめ」です。入学直後、クラスで悪口や真似されるなどのいじめを受けたといいます。クラスでの居場所を失った廣瀬さんは、上級生らのグループにつながりを求めるようになりました。▼学校内でのいじめを訴える廣瀬爽彩さんの投稿「前の学校でクラスに馴染めなくてクラスが怖い」「クラスではいつも浮いていました」「1人になりたくなかった。だから先輩たちから離れられませんでした。何より何より1人が怖かったから。でも先輩たちといることによって私は誇りも失うことになります」こうした中、上級生は廣瀬さんに対し、SNSなどを通じて性的な動画を要求。廣瀬さんは必死にこれを拒もうとします。▼廣瀬爽彩さんが送信したメッセージ「動画とりたくない」「動画が嫌なんです」「動画やだ」「動画ってなんか怖い」「動画無理です」しかし、上級生らが廣瀬さんを公園で取り囲み、性的な行為を強いるなど、いじめはエスカレート。廣瀬さんは「もう死にます」と話して近くの川に入り、中学校の教員に自ら電話しました。▼廣瀬爽彩さんと教員の電話でのやりとり(教員)「もしもし、〇〇中学校です」(廣瀬爽彩さん)「1年〇組の廣瀬さあやです…」(教員)「お!さあや!どうしたの?」(廣瀬爽彩さん)「…」(教員)「ん…?〇〇先生かい?」(廣瀬爽彩さん)「死にたい…」(教員)「え、どうしたの?いまどこにいるの?」(廣瀬爽彩さん)「川です…死にたいです…もう生きたくない!!死にたい死にたい死にたい!!!」(教員)「さあや?さあやっ!?」その後、別の教員が電話を替わり、廣瀬さんは少し落ち着きを取り戻しました。(教員)「寒くない?」「どこの川にいる?」(廣瀬爽彩さん)「公園」(教員)「どこの公園かな?」(廣瀬爽彩さん)「〇〇小学校の裏」(教員)「そうか、わかったよ」この電話のやりとりの後、教員数人が現場へ向かい、川から引き揚げたあとに車内で廣瀬さんの体を温めました。その後、廣瀬さんは別の学校に転校しましたが、家に引きこもるようになります。そして、2年後の2021年2月。「ねえ、きめた。今日死のうと思う」廣瀬さんは知人にこう告げて消息を絶ち、翌月、公園の雪の中から凍死した状態で見つかりました。廣瀬さんの死後、旭川市教育委員会はいじめの疑いがある「重大事態」として、第三者委員会による調査を開始しました。しかし、第三者委員会の最終報告書では上級生らによるいじめが認定された一方、クラスでのいじめは認定されませんでした。さらに、自殺の背景にいじめがあったか明言を避けたのです。これに対し遺族側は反発。「理解に苦しむ内容であるのみならず無責任とのそしりを免れない」遺族側の訴えを受け再調査委員会が立ち上がり、13日にいじめと自殺の因果関係を認める報告書を公表したのです。認定結果が覆った決め手。それは、廣瀬さんがネット上で発していたSOSでした。「いじめを受けてから1年がたちそうなのに私は何もできません。何もかもが怖くて怖くてたまりません」転校したあと、廣瀬さんはSNS上にいじめの記憶を綴っていました。また、インターネットでライブ配信する男性に自ら相談もー(廣瀬爽彩さん)「いじめを受けていたんですけれど、そのいじめの内容が結構きつくて、自分のほうでなかなか納得がいかないというか処理できないという気持ちになってしまっていて」失踪直前まで廣瀬さんがつづった「死ぬ」「怖い」などの言葉。こうした言葉の分析などから、より踏み込んだ調査結果が導きだされました。いじめの記憶が自殺の要因となったとする今回の報告書。公表を受け、旭川市の今津寛介市長はー(今津寛介市長)「同じことが二度と繰り返されないよう、関係者ひとしく取り組みを進めていくことこそが、爽彩さんが生きてきた証になると思います」廣瀬さんが受けた苦しみを記した今回の報告書。遺族は「今後同じことが繰り返されないよう、そして同じような悩みを抱える方にも役立てていただきたい」とコメントしています。▼再調査によって認定されたいじめ7項目①廣瀬爽彩さんの特性を背景として、クラス内の人間関係から疎外されていると感じさせ、孤独感を抱かせるに至ったこと②廣瀬爽彩さんの特徴的な行動を取り立てて指摘したり、(自分たちとの)「違い」を、略語・隠語で言ったり、クールダウンのために教室を離れる廣瀬爽彩さんの行動を「私もう帰る」といった言葉とともに真似をして笑いをとったりしたこと③性的な写真を送付させたこと、体を触ったこと④ジュースなどをおごらせたこと⑤LINEで性的行為を見させたこと、性的な話題を続けたこと、写真などを送らせたこと⑥公園で性的行為をさせたこと⑦生徒が廣瀬爽彩さんの真似をしてからかったこと、廣瀬爽彩さんに対して死ぬつもりもないのに死ぬなどと言うなといった趣旨の発言をしたこと再調査委員会は報告書で「いじめは廣瀬さんの自殺の主要な原因であった可能性が高い」と結論付けています。同じ悲劇を生まないために、廣瀬さんのいじめ問題を教訓に再発防止が求められています。
2024年09月15日
コメント(0)
ジャニーズ性加害「メディアはもみ消しに加担」 国連部会が会見8/4(金) 19:51 毎日新聞 ジャニーズ事務所の前社長、ジャニー喜多川氏(2019年死去)による性加害問題を巡り、実態調査のため来日していた国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会の専門家2人が4日、日本記者クラブ(東京)で記者会見した。作業部会のピチャモン・イエオパントン氏は「ジャニーズ事務所のタレント数百人が性的搾取と虐待に巻き込まれるという深く憂慮すべき疑惑が明らかになった」と述べ、「日本政府が主な義務を担う主体として捜査と救済方法の確保をすべきだ」と強調した。 会見には、イエオパントン氏と、作業部会のダミロラ・オラウィ議長が出席し、外国人技能実習制度や性的少数者など、日本のさまざまな人権課題を報告。日本のメディアとエンターテインメント業界に関して「心の痛む問題について調査を行った」と言及した。「この業界の搾取的な労働条件は、労働法による保護やハラスメントの明確な法的定義の欠如と相まって、性的な暴力やハラスメントを不問にする文化を作り出している」と指摘した。 ジャニーズ性加害問題では、被害を訴える当事者数人に面会したと説明。「数百人が性的搾取と虐待に巻き込まれるという、深く憂慮すべき疑惑が明らかになったほか、日本のメディア企業は数十年にわたり、この不祥事のもみ消しに加担したと伝えられている」とメディアの責任も厳しく追及した。また、被害者を「数百人」と見積もったのは事前調査と、滞在中の面会で得た情報に基づくとしたが、詳細は明らかにしなかった。 一方、ジャニーズ事務所の代表にも面会したと明かしたが、藤島ジュリー景子社長が対応したかは「さらなる情報は提供できない」とした。「告発に対してどのような措置がとられ、それが正当で効率的かを知りたかった」とのみ説明した。 さらに、ジャニーズ事務所が設置した「再発防止特別チーム」による調査は「透明性と正当性に疑念が残る」と批判。「心のケア相談窓口」も対応が不十分な可能性があるとした。 作業部会は7月24日~8月4日、国連が定める「ビジネスと人権に関する指導原則」に基づき、日本政府と企業が人権上の義務と責任にどのように取り組んでいるか調査。政府や国会議員、自治体の関係者や市民団体、企業の担当者などと会談した。今回の調査内容を踏まえ、来年6月、報告書を国連人権理事会に提出する。【伊藤遥、平本絢子】故ジャニー喜多川氏の少年たちへの性加害が明らかになった時は本当に驚いた。勇気を振り絞って過去の体験を告発した人たちは、自分のような被害者が今後も潜在化しないことを祈り、ある種の使命感で公表したのだろうと感じた。しかし、被害者の中には現在もタレントや有名になって活躍している人もいるであろうし、加害者が故人となっていることもあるので、「暗黙の了解」で推移してきた芸能界もメディアも、従来の態度のままに時間が過ぎるのを待つかもしれないとも感じていた。先月、このことについて書いたものがこれ。「ジャニーズ性加害問題に思う」2023年07月03日しかし、国連がこの件について調査に入ったと知り、少し驚きながらも少しの希望も抱いている。「外国人技能実習制度や性的少数者など、日本のさまざまな人権課題を報告」とのことに、確かに日本は人権侵害が世間の常識と絡み合って当たり前に存在している国だなと思っている。今までの私は、主に女性や児童、障がい者の人権に関心を持ってきたので、児童虐待や教育虐待(?)、女性差別、障がい者差別のことは少しはわかっていた。しかし、外国人実習生問題、難民対応、性的少数者問題は、最近になって気が付いたことが多い。だがこれは、みんな根っこが同じの枝葉の問題だったのだと思う。その根っこについては、日本人はその社会の中で生まれ育っているので無自覚なことがほとんど。私もその例に漏れない。当然ながら、その根っこや茂った枝葉に守られてきたような人たちは、決して気付こうともしない。ひょっとすると、これだけ枝葉に問題があり、あちこちで腐ったり枯れたりしていては、やがて根っこという土台から崩れるかもしれないのに。国連という世界の目から指摘されて初めて、「エッ!? これって本当にヤバいのか?」と、政治やメディア、権力に近い人たちが気付いてほしいと心から願っている。
2023年08月06日
コメント(0)
下記のニュースを見た時には、本当に様々な思いが交錯した。しかし、「信じられない」とは思わず、「そのようなことが潜在的にはあるのではないか」とも思った。今もなかなか整理がつかないのだが、一方的に施設が責められる問題ではないと思う。結婚した後の様々な現実的な問題を、支援する側が具体的に説明し、それを本人たちがどのくらいの覚悟で受け止めての決断を促すのは、当然のことだと思う。障碍にも色々ある。身体障碍、精神障碍、知的障害と大まかに分けられるが、ほとんどは複合的な課題を抱えている。健康なカップルでも結婚して子どもを産み育てるには、様々な課題がある。それを全部本人たちの自己責任にすることはできず、家族的・社会的・経済的サポートが必要だ。ましてや、様々な課題を抱えやすいハンディを持つ人達の結婚と出産には、よりきめ細かい支援が必要だ。現在の福祉の支援体制の中でそれができるのか。私はとても難しいことだと思っている。私は、今回のグループホームで、結婚したいというカップルの気持ちを尊重し、それを支援者側がどれだけのサポートが可能かをはっきりと示していたことは、間違いではなかったと思う。しかし、施設でのサポートを受けなくてはならない当事者が、わが子を抱きたいという人間本来の思いを自ら封じたであろうとも想像できる。強制ではなかっただろうが、結婚するためには捨てなくてはならないことがあると突きつけられたともいえる。ただし、この話し合いの時に、もしも結婚して施設を出て暮らす時のサポートの社会資源についての具体的な説明があったかどうかだけは、少し気になっている。どうかすべての人が、このニュースをきっかけに、自分の問題として考えてほしいと思う。ちなみに、私が親だったなら、やはり不妊手術に同意するだろう。次第に高齢化する自分が、孫の世話を買って出る自信はないと思うから。また、自分がハンディを持っていて、施設を出て二人で結婚生活を送ることが困難だと思ったら、やはり同意するだろう。社会的資源の活用をしながらの子育ての可能性を見出せたら、二人で生活保護やヘルパーなどの社会的資源を使いながら、頑張ってみようと思うかもしれない。その時に一番重要なことは、好きな人との結婚を認めてもらい、堂々と夫婦としての暮らしを送ることだから。江差「あすなろ福祉会」、知的障害者の結婚に不妊処置 20年前から条件化、8組に実施 拒めば退去要求12/19 11:00 更新 北海道新聞江差・施設の不妊処置要求「あり得ない」 福祉関係者に衝撃 支援のあり方問う声続々12/19 23:10 更新 北海道新聞 江差町の社会福祉法人「あすなろ福祉会」が運営するグループホームで、知的障害がある男女の同居や結婚を認める際に不妊処置を条件として提案していた問題で、道南のグループホーム運営者や福祉関係者に「あり得ない」と驚きが広がった。ただ、障害があるカップルの生活や子育てに支援が必要なのは事実で「支援のあり方や障害者のせいについての議論が広がってほしい」という声も上がっている。 「あまりに時代錯誤。課題はあるが、希望する人生を送れるよう、一緒に模索するのが福祉ではないだろうか」。老人ホームや障害者施設を運営する社会福祉法人七飯有隣会(七飯)の横田有一理事長(74)は語気を強める。同法人の運営するグループホームは4ユニット(定員計28人)あり、利用者の中には結婚して子どもを産んだ夫婦もいた。夫婦はグループホームを出てアパートで暮らし、子育てではヘルパーなどを利用した。横田理事長は「法人だけではできない支援もあり、外部との連携が大切」とする。 道南の別の社会福祉法人でも職員から「あり得ない」「がくぜんとする」などの声が上がったという。この法人が運営するグループホームでも、過去に結婚した夫婦がおり、子どもはこの法人の保育園に通った。職員らが育児相談に乗ることもあったという。担当者は「今も、利用者に結婚したいという希望があれば、職員は寄り添う」と強調する。 ただ、福祉関係者は口をそろえて「課題がある」と訴える。妊娠の可能性を考慮できずにせい行為を続けてしまったり、危険性を考えられずに交流サイト(SNS)で出会いを重ねたりするケースも考えられるという。 道南の障害者支援施設を運営する法人の担当者は「性欲は誰にでもあり、抑えることは難しい。その先に待っているのは子育ての問題。誰が支援するのか、費用はどうするのか。(あすなろ会の言い分が)分かる部分もある」と明かす。障害者のせいの問題が業界でタブー視されてきた側面もあるとし「業界全体で考えていかなくてはならない」と訴える。 函館市内の障害者就労支援事業所の男性経営者も「どのように支援すべきか、もっといろいろな機関を巻き込んで議論する必要がある」とする。 道南知的障がい児・者家族会の安田由美会長(57)は「障害者が『子どもを産みたい』と言った時に『支援できない』と突っぱねるのではなく、他のサービスや自治体などと相談しながらできることを考えてほしかった。どうすればいい選択になったか、道の調査などで明らかにしてほしい」と話している。(石川実和、中橋邦仁、鹿内朗代)《注》書き込もうと思ったら、「本文にわいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています」と投稿できなかった。なぜだと思い、「性」の漢字を「せい」にしたら書き込めた。うーん?
2022年12月20日
コメント(2)
下記の事件については、このことがニュースになってからずっと気になって新聞などを見ている。今朝の北海道新聞では、下記の記事の他にも特集記事がある。学校側一転、いじめ否定 母「転校の意向表明後」 旭川・中2死亡 02/13 11:54 更新 北海道新聞 【旭川】旭川市内で昨年凍死しているのが見つかった中学2年広瀬爽彩(さあや)さん=当時(14)=が2019年にわいせつ行為の被害を受け、広瀬さん側が転校の意向を示したところ、いじめの疑いも含め調査していた学校側が「単なる悪ふざけだった」などといじめを否定する見解に変わっていたことが分かった。 学校側は、本人に聞き取りしないまま、いじめを認められなかったと市教委に報告。問題視した道教委は事実解明をするよう市教委に対し、2度の指導を行っていた。 北海道新聞のインタビューに対して、母親が明らかにした。母親は「爽彩は『何で学校はいじめを隠すの』と悲しんでいました」と話している。 中学1年だった広瀬さんは19年6月、体を撮影して画像を送信させられた。別の日に複数の生徒らとトラブルになり、川に入って自殺未遂し、入院した。 母親によると、トラブル後、学校にスマホの画像や加害生徒らとの通信内容を知らせたところ、学校はいじめの疑いも含めて調査を開始。当初は母親に聞き取りの状況報告があった。 しかし、広瀬さんが退院した同年8月、母親が「画像を同級生が持っているかもしれないので学校に行けない」と転校の意向を伝えると、学校側は「悪ふざけの度が過ぎちゃっただけ。転校しなくても大丈夫」などといじめではないとの見解を示すように態度が変わった。 母親は「誰かが画像を持っているかもしれない。怖いですよね」と理由を説明したが、教頭は「自分なら怖くない。男だから分からない」などと話し、溝は埋まらなかったという。 広瀬さんはその後、転校。学校は本人に聞き取りをしないまま、市教委に20年3月、わいせつ被害を文書で報告した際、いじめに該当すると記入しなかった。 学校側の対応の変化について広瀬さん側の代理人弁護団は「転校先でいじめの実態を明らかにされ、評価に影響が生じることを恐れたのではないか」と指摘する。 学校と市教委は「第三者委員会の調査中でコメントできない」としている。 文部科学省は「いじめを受けた可能性のある子どもや保護者に寄り添って対応すべきだ」としている。(村田亮、山口真理絵)学校でのいじめが表面化した時、どうして学校や教育委員会はいじめられている本人よりも、いじめをした子どもの保護に回るのだろうか。子どもはある意味では残酷なところがあり、からかいもいじめも遊びもごちゃまぜになってしまうところがある。そのような時にこそ、ちゃんとした指導が必要だし、「悪ふざけ」だとして見過ごしてはならないと思う。そうでなければ、嫌な思いをしている友達の気持ちにも気付く機会を失ってしまう。この事件では、道教委の二度の指導も現場の学校と旭川市教委によって無意味化された。イジメられた子が自死するという最悪の事態になってもなお、保護者の神経を逆なでするような対応が続いていた。爽彩さんは、二度も三度も殺されたように感じて、怒りを抑えることが出来ない。そしてまた、いじめに加担した子どもたちやそれを傍観していた子ども達のことも心配である。悪いことをしても、ちゃんとした反省の機会も与えられず、ずるく立ち回ればいいということを学んではいないか。私が最初に、いじめによる中学生の自殺の事件を知ったのは、鹿川君事件だった。学校でいじめにあい、その一環として「葬式ごっこ」が行われ、それには何と担任教師も加わっているという、私には信じられない事件だった。それがいつのことだったかとネット検索したら、下記の記事を見つけた。これが一番、事件のことについて詳細に書いているようなのでリンクしておく。忘れてはならない昭和の事件「中2いじめ自殺事件」【再編集】この事件が起きたのは1986年で、もう36年前だ。いま改めて上記のブログ記事を読み、そのおぞましさに気持ちが悪くなりそうだが、これは現実に学校という場で起きたことである。この事件の教訓を、教育に関わる人たちはどれほど生かしてきたのであろうか。このような事件は、その後も後を絶たないのだ。今の私が言えることは、このような学校からわが子を守るには、子どもにとって学校が安全ではないと思った時には、勇気を出して学校に行かせないことだ。そして、「この子にとって安全と思われ、かつ本人が行きたいというまで休ませます」と学校には宣言し、そのうえで、無駄で嫌な思いをするかもしれないが、教育委員会、人権擁護委員会などに事実を伝えることだ。(もちろん、それも学校に伝える)それでも何も適切な対応がなければ、都道府県教育委員会に訴えることだ。モンスターペアレントと学校は言うかもしれないが、気にすることはない。本気で子どもを守れるのは、そんな時は親しかいないのだ。そして、子どもには「絶対にお前を守るから」と安心させてあげてほしい。そのくらいしか思いつかない自分が情けないが、自分たちだけで何とかしようと思ったり、我慢していてはいけない。そして、学校に行かなくなると同時に近くにある「不登校等の親の会」を見つけて参加してみよう。学校に行かない間にどのようなことができるのか、きっと参考になる話が聞けるはずだ。学校でのイジメや体罰などで、学校に行けなくなっている子どもたちは多いし、今では各地にそのような親の会が活動をしている。全国の親の会情報(全310件)現在は、オンラインで開催している親の会もあるようなので、参考にしてください。蛇足ではあるけれど、私は学校を全面的に否定もしていないし、精一杯頑張っている学校も教師も多いと思うし、そのような良い学校や先生が増えて、子ども達には元気に楽しく学校生活の中で育ってほしいと願っています。【追記】もう一つ大切なことを書き忘れていました。イジメなどで学校と話し合いをする時は、母親一人では行かず、両親が揃って行くか、それが無理な時は第三者の人に同席してもらうことです。学校は第三者の同席を嫌がると思いますが、「私一人では感情的になると困るので、そばにいてもらうだけです」と伝えましょう。その人は口出しせずに、そばにいて学校とのやりとりをじっと聞き、時にはメモしておいてください。各地には親の会があるので、その会のメンバーか世話人にお願いしてもいいですね。また、地域には「主任児童委員」がいますので、勇気を出してコンタクトをとり、その人が信頼できそうならお願いしてみてください。決して断らないはずですし、それすら断る学校はそれだけで問題です。
2022年02月13日
コメント(2)
小山内さんのブログを見たら、三浦さんの死やALSの女性の死について書いていた。多くの人に読んでほしいと思ったので、転載させていただきます。三浦春馬くんは、きっと今頃天国でそろばんで頭をたたかれているだろう2020/07/29 15:39京都のALSの女性は誰かと話したかったのでは?京都でALS(筋ジストロフィー症)を患った女性が、SNSを使って医師2人に連絡をとり、薬物による安楽死を望んで実行したという事件が起きた。医者がお金をもらって殺すなんて、その医者たちは、日本のヒトラーのようなものだと感じた。殺された人の名前をここには書かないが、メディアの報道では、だいぶ障がいが重くなって話せなくなってから殺されたのではないかと思う。殺された時にほんとうにその方が死にたいと希望していたのかは、いまや確かめようもない。その人は誰かと話したかったのではなかろうか。障がい者の人には色々な生き方(国会議員もいれば、会計士もいる)をしている人がいるが、それは見えにくくて、失望してしまう人も多いのではないか。「生きていたくない」という気持ちは とてもよくわかるときがある。癌で入院していたとき、夜中に髪の毛一本が鼻のてっぺんにかかり、痒くてたまらなかった。ナースコールは、ガムテープで布団の足元に固定されていたが、その日の当直の看護師が夜中に呼ぶと怒る人だったので、足指が動かなった。涙が止まらなくなった。髪の毛一本で、体中が震えて「いまは死んだほうがいい」と叫んだ。そのときの叫びで吐いた息が、髪の毛を吹き飛ばしてくれて、やはり明日も生きようと思った。障がい者はそのような思いを繰り返しながら生きていると思う。ある友達は兄弟から「(障がいを持った)あんたがいるから、私は結婚できない」と言われたそうだ。その人はそれが苦しくて、自殺未遂をした。生きていれば、一緒に泣いてくれる親もいるし、「あなたの気持ちよくわかるわよ」と言ってくれる友達もいる。周囲の人たちが、生きるエネルギーをあげているのだ。私も最近67歳になり、肩首腰が痛い。お酒や薬を飲んで我慢していても、やはり夜中に辛くて目が覚める。そんな時にまた死にたくなる愚かな私がいる。心の痛みと体の痛みはちょっと別なのかもしれない。人生において悩んで死にたいのと、障がいや病気になって苦しくて死にたいのとはちょっと違うのかなと思う時がある。私は夜中に体が痛くて目が覚め、テレビをつけると、驚いたヘルパーさんが隣の部屋から飛んでくる。「どうしたの?どこか痛いんですか?」と聞かれる。「肩が痛いのね」と言い、長い時間肩を揉んでくださる人もいて、そんな夜は心も揉んでいただいたような気がする。死にたい時に、大声でそう言える相手が誰かいればいい誰かに話しているうちに生きようという気持ちに変わっていく。人生はそのような繰り返しではなかろうか。「僕たちは、死にたいと思っても死ねないもんね!」と当時40歳だった筋ジストロフィーの友だちが言った。その頃若かった私は「死ぬ方法はたくさんあるじゃない?あなたはまだ手が使えるのだから、電動車椅子で道路に飛び込んだり、アパートの近くに池があるんだから、そこに落ちればいいんじゃない?それから…」と色々死ねる方法を羅列していたら、彼は「もう聞きたくない!わかったから!僕は生きる!」と返しきた。「そうね、車に轢かれてもっと重い障がいになったら困るでしょ?」と言ったら、彼は大笑いした。「こういう話を出来るのはいいねえ。なんだか生きたいと思えるようになったよ」と言われた。人間は孤独過ぎて死んでしまう人もいるのかもしれない。でもその彼は85歳まで立派に生き抜いた。彼が死んだという知らせが葉書で届いたのは、彼が亡くなった後だったので、残念だ。お葬式に間に合ったなら、抱えきれないほどの花を持っていきたかったのにと、悲しくて、涙も出なくなり、なぜか体中の緊張がとれた。いつも脳性まひで緊張している力がぬけ、「あぁ、楽だなぁ。彼が私の体をマッサージしてくれているのかもしれない」と思えた。(私も85歳まで生きるからね)とつぶやいた。筋ジストロフィーでも死にたくない人もいるそういえば「こんな夜更けにバナナかよ」のモデルとなった鹿野さんは、筋ジストロフィーだったが、死にたいとは言わない人だった。彼はいつもアホな事ばかり言い、泣いているのは女性にフラれたときぐらいだった。「僕は長生きして、人に迷惑をかけながら生きるんだ」といつも言っていた。私はその言葉が大好きだった。彼は強い人だったんだね、あほだけど。アホな人の方が強いかもしれない。いろいろな人から映画についての前評判は聞いていた。私は「現実と本や映画は違っていて当然。自分もテレビドラマや記事の題材になったときに、いろいろと違うことがあったから」と最初から割り切っていた。映画はとても感動的だったが、1つだけ注文をつけたいと思っていたことがある。彼が仕事をしているシーンを、2秒間でもいいから描いてほしかった。というのも、鹿野さんは数年間は札幌いちご会に来て、会計担当だった。そろばんをやっているふりをしていたが、頭の中で全て計算ができていたのだ。彼はただ人に甘えていたのではなく、職業人だった。障がい者が仕事をしている姿を伝えるメディアはまだまだ少ないので、そろばんを頭でたたいていた彼の姿を描いてほしかった。前田監督にそういうシーンをリクエストしようかなと思っていたが、もう撮影も済んでいたようで間に合わなかった。鹿野さんは、鹿野靖明という人生を送り、こんな夜更けにバナナかよという本でまた生まれ、その後は映画で生まれ変わった。三浦春馬さんは早く天国に行ったが、きっと鹿野くんとはどこかですれ違うだろう。鹿野さんなら「春馬さん、はやくきすぎだよ。もっともっと女を口説く時間もあっただろう」と、そろばんで頭をたたくにちがいない。三浦さんもいろいろな形でこの世に生き続けるだろう。ご冥福をお祈りします。
2020年07月31日
コメント(0)
小山内さんはどうしてるかなと以前のブログを見たら、新しいブログに移動していた。小山内美智子さんのプロフィール。1953年生まれ。脳性マヒ。77年札幌いちご会を始める。自立生活の寄付金を集め、職員を雇い、ケア制度を作る。札幌オリンピック開催時、地下鉄にエレベーターがなく、仲間と共に用事もないのに地下鉄に乗り、腰を痛めた駅員たちも巻き込んだ。これが、私の代表する障がい者運動の始まりだった。彼女は私よりも三歳年下なので、ほぼ同時代を生きてきている。私は障害幼児の通園センターの指導員が最初の仕事だったので、彼女が自立生活を目指してパワフルな活動を始めたことに、とても関心を持っていた。彼女たちの活動の少し前には、「全国青い芝の会」という団体が活動していて、多分私は、北海道支部の総会に参加したような気がする。(それとも何かの集会だったのかな)その時、脳性麻痺の人たちが、障害のある体や言葉を振り絞るように、自立生活への戦いを挑んでいる姿に衝撃を受けた。なぜそのような会に参加したかというと、私が関わる子どもたちには脳性麻痺の子どもも何人もいて、その子たちの将来像を確かめたい思いが強かったのだと思う。(当時は、重度の障害を持つ子たちは、学齢期になると施設入所して、そのまま生涯を終えるのが常識だった。だから、自立生活を主張する彼らは、それだけで社会の異端だったと思う)その後小山内さんたちの「札幌いちご会」の活動が注目されるようになり、あまり青い芝の会の話を聞かなくなったように思う。青い芝の会はどうしているのかといま調べたら、北海道支部は2014年に50周年を機に解散したようだ。私が初めて青い芝の会を知ってから、もう50年になる。あの時から半世紀、障害を持つ人たちを取り巻く環境は変わったのだろうか。制度的にもハード面でも、彼らの活動がきっかけとなって確かに変化したことは多い。医療の発達により、50年前には生きることができなかった重度の障害を持つ人たちも、結構長生きできるようになった。しかし私の印象では、彼らへの世間の偏見や障碍者観は、さほど変わっていないように感じることが多い。そう感じるとき、私は人間がいかに偏見を持ちやすいのかを痛感せずにはいられない。そういう私自身、無意識の偏見や旧来の常識から解放されてはいないだろう。そう思うとき、いちご会の人たちや小山内さんの苦労はいかばかりだったかと思うし、それだけにずっと先頭を走ってきたような小山内さんに、心からの尊敬を覚える。さて、久しぶりに小山内さんのブログを読み、色々な意味でとても心を打たれ考えさせられている。ぜひ、多くの人に読んでいただきたいと思う。脳性まひのばあさんが考える2つの道多目的トイレは、欲望を果たすところではない障がい者の私がコロナ禍で考える医学の歴史車椅子で行ったNY旅行で思い出した。これからのゆたかさってなんだろう?生きる遠い先に夢を持とう
2020年07月03日
コメント(0)
今回の児童虐待死事件で、子どもの権利条約についてあらためてしっかり知る人ようがあると思ったので、関係することをリンクしておこう。子どもの権利条約(ユニセフ)子どもの権利条約 締約国条約に署名したが批准していない国: 1カ国←アメリカです日本は1990年9月21日に109番目で署名、1994年4月22日、158番目の批准国「国連・子どもの権利委員会」から日本政府への勧告1勧告2回目勧告3回目もうすこし整理されてわかりやすいものがあるはずだと思ってますが、時間切れ。その後のことも調べてみたいものですが。《追記》基本的人権の尊重とはを簡単に分かりやすく!外国人も適用される?
2019年02月07日
コメント(6)
全7件 (7件中 1-7件目)
1