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昨日は、映画「箱男」を観終わった後、カナモトホールに向かった。北海道文化塾の七回目、毛利衛さんのお話を聞くためだ。毛利衛さんは誰もが知る通り、日本人初の宇宙飛行士として宇宙に飛び立った人だ。北海道余市町出身で北大を卒業された人なので、道民にとっては我らがスーパースターという感じの人である。だから、今回の文化塾ではお話を絶対に聞きたい人でもあった。今まで、テレビなどで話を聞くことは何度もあったけれど、直接ご本人にお話を聞くことは初めてだった。今回の講演テーマは「宇宙から見た生命と北海道の未来」であった。前半は宇宙飛行士になった経緯やその時のミッションの内容、そして宇宙からの映像での説明があり、テレビで見るよりはずっと迫力がある映像に、しばし自分も宇宙から地球を見ている気分をチョッピリ味わえた。私が毛利さんの話を聞きたかった大きな理由は、宇宙飛行士になって宇宙での体験をした人の中には(特に欧米の人)、宇宙で神の存在を確信したと言っているという話を読んだことがある。地球上では絶対にできない体験をしているのだから、人によってはそのような気持ちになるのはわかるので、毛利さんは宇宙で何を感じたのかを直接聞きたかったのだ。その話は後にすることにして、毛利さんの現在は今回の講師紹介によると、全国科学館連携協議会会長、NHK交響楽団理事、カネカ取締役等、とある。この「(株)カネカ」という会社では、《社会が抱える課題解決に挑戦》という理念で色々な研究開発をしているのだが、その一つに「生分解性バイオポリマー」という、微生物発酵プロセスによって生産されるプラスチックのような物質があり、それは地中や海水の中で分解されるのだという。現在、石油由来のプラスチックごみ問題が顕在化しているが、それを防ぐためのすばらしい研究であり、すでに色々なものに商品化されているけれど、製品化が追い付かない状態だそうだ。毛利さんがこのような企業の取締役になっているのも、宇宙飛行士体験の流れだろう。毛利さんは、ぽっかりと漆黒の宇宙に浮かぶ地球を見た時、宇宙に存在する生命体のように感じ、私たち人間はその細胞の一つなのだという気がしたと話していた。人間は科学技術や知識を得たために、他の動植物とは別格の存在のように思ってしまっているけれど、地球からみたら地球上の多種多様な動植物や微生物、細菌と同様の一つの種にすぎないのだと。私はそれを聞いて心から納得した。今、生きとし生けるものが生きるためには、多様性が大切だということを、遅まきながら傲慢になった人間も気が付き始めている。きっと、宇宙で地球を見下ろしてそれを実感した人たちが、色々な形でそれを伝えてくれていることも大きいのかもしれない。映像やパワーポイントを見ながらお話を聞いていたのでちゃんとメモしていないのだが、地球上に命がある生命体は、みんな生き延びるための努力をしている。私達人間には、幸いに獲得した技術や知識によって未来を考えられる「知恵」があり、毛利さんはそれを「生命がつながるための未来智」と言っていた。未来智は「情報ネットワーク」「多様性」「生きる喜び」が大きな要素で、「一人勝ちはダメ」で「適者生存の原理」と共に、生きることの喜びが生き延びるための大きなパワーになるのだと。地球は生きているから人間がどんなに頑張ったっていずれは寿命が来るし、大きな太陽という存在の影響も避けられない。今は温暖化が脅威とされているけれど、地球の歴史をみたらそのうちに寒冷化にもなる。それでも私達は、少し先の未来の子孫たちのためになすべき責任はある。宇宙開発も、他の惑星探査も、膨大なお金をかけて何になるのだと思うかもしれないけれど、その研究開発の成果が今の私達の生活を豊かにしている。しかし、月や火星に住むというのは無理であり、どんなに頑張っても宇宙船のような狭い世界でだけしか、人間は宇宙では生きられない。大切なのは、今と自分たちの子孫が幸せに生きることを願って、できることをしてゆくことなのだ。今を生きている喜びを大切にすることが、持続可能な社会と未来への貢献になる。そのようなお話を聞いて、心から納得し嬉しくなった。毛利さんからは「神」という言葉は一言も出てこなかったけれど、過去や未来を見据えた視点は、宇宙からの目を持つ人のものだろう。北海道はまだまだ自然もあるし、人々の多様性も以前からある。それだけ可能性は無限大だというようなニュアンスの話もされていた。今、南海トラフ地震のことや、昨日のテレビでは軟弱地盤に建物を建てることの危険性も報道されていた。まだまだ北海道にはゆとりがありますから、子孫が安全に生き延びるためにも、北海道の過疎地への開拓移住を考えてみませんか?今は、土地を開拓するのではなくて、これからの子ども達がのびのび育つことができための仕事の開拓をしてほしいですね。
2024年09月02日
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8月12日に開催された北海道文化塾の村木厚子さんの講演会について書いていなかったので、遅ればせながら書くことにする。北海道文化塾を受講することにした一番の理由は、村木厚子さんのお話を聞きたかったからだ。村木厚子さんが中央官僚であった時に、障害者郵便制度悪用事件のえん罪で起訴され、その後無罪となった経緯は、とても関心を持っていた。私も事件がメディアで取り上げられた時には、強い関心を持って見ていた。しかし当初は、残念ながら私も報道を半ば信じていた。 国会対策大事となった背景を思う 2009年06月18日しかし、その後彼女の無実を信じている支援者たちの言葉やネット情報で、やはりえん罪なのかもしれないと思うようになった。 やはり村木厚子さんは冤罪? 2010年01月06日無罪となった後に仕事に復帰し、厚生労働事務次官となり、退官後は様々な役職について現在に至っている。今回の講演のテーマは、「あきらめない生き方の」その先へで、これは与えられたテーマだったようだ。村木さんの本は二冊ほど読んでいるので、裁判で闘っていた時のことはあらまし知っていたし、彼女の考え方や仕事の仕方については強く共感していた。彼女の話し方や態度は、一見バリバリのキャリアウーマンと言う感じではなく、柔らかな雰囲気ではあるがとても知的で誠実な人だという印象。本当に幅広い意味で能力の高い人なのだろうとあらためて思った。事件についてももちろん最初に触れていたが、印象的だったことは当時の事件のきっかけになった部下のことも、検察のことも、まったく非難も批判もしていなかったことだ。経緯についてはサラッとわかりやすく説明し、その時に友人の勧めで弁護士を頼んだことが良かったと言っていた。また、留置所の体験も好奇心を持って受け止めていたようで、このプラス思考や視点の多彩さが一番自らを助けるのだろうと思った。彼女も強く言っていた。困った時には、プロの支援がとても大切だということ。支援には「問題解決型」と「伴走型」の支援があるが、これは福祉の視点である。官僚時代も現在も、福祉や若者支援の世界で働き続けている人の確固たる信念だと思う。そして、仕事を通して培った体験や経験知は、必ずその人のその後の助けになるということ。それは、私自身痛感していることだ。色々と参考になる言葉をメモしてはいるが、今は次のことだけ書いておこう。何事も諦めずに取り組み、その後の人生に生かしてゆくときのポイント。・学び続けること・異なるものと意識的につながること・「誰かのために」はとても強いまだまだ多くの役職を抱えて働き続けている村木さんに、とても励まされる思いがした。なんと、全国社会福祉協議会会長、全国老人クラブ連合会会長、中央共同募金会会長だそうだ。私も老人クラブに入ろうかしら。それよりも興味深いのは、瀬戸内寂聴さんとはじめたという「若草プロジェクト」。そのきっかけは、刑務所で若い女性たちの受刑者に出会ったたことだという。私も好奇心があり、何かのために役立てることがあれば、それを自分の力にして未来を生きたいと思う。
2024年08月18日
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昨日、読書感想文の宿題をやめてくださいと書いたのだが、今朝「読書感想文」で書いているブログをいくつか拝見して、本当に驚いた。いや、今更驚くことではないのだろうが、自分のことと重ね合わせたら驚くしかなかった。今は、夏休みの宿題は親の宿題でもあるみたいなのだ。昨日のブログは、あくまでも感想文は子ども自身が苦労して書くものという前提だったのだが、今ではその前提が間違っているらしい。そういえば、以前に「宿題代行」とか、「レポート代行」などのビジネスがあることを知り驚愕したものだが、それすら忘れていた古い時代の私だった。 親が一緒に宿題に取り組むメリットが全くないとは思わないが、あくまでも子どもにアドバイスしたりする程度にとどめるのが当然と思っていた。昔の話をしたら皆さんに笑われることを承知で書くけれど、私の子ども時代には(私の育った地方では)親が宿題を手伝ってくれる人は相当に恵まれた人だった。どう恵まれているかと言えば、まず母親が専業主婦であり子どもの教育に熱心であることだろう。私の育った地域は、自衛隊の駐屯地だったので自衛隊官舎の子ども達は、親が教育熱心で母親は専業主婦。地元は農村地帯で私の家も農家だったので、学校のことは子ども自身が何とかしなくてはならないのがあたりまえだった。そもそも農家の子は、休み中は家の農作業の手伝いをすることが当然の時代だったのだ。宿題でわからないことがあったとしても、少なくても私は親に教えてもらおうと思ったことは全くない。官舎の友達が親に宿題を手伝ってもらったことがあると知ったのは、大人になってからである。 そんな育ちをしていたので、自分が子育て中も当然そんなものだと思っていた。息子たちの夏休みや冬休みには「自由研究」のようなものがあったので、「何をしたらいいかわからない」などとボヤくときには、「こんなことはどうかな」なんてアドバイスくらいはしたと思うが、手伝った記憶はない。夏休み終盤になって「まだ宿題ができてない」と泣き言を言っても、「何やってたの。早くやりなさい」と口先だけ注意して、始業式前日に「先生に怒られる( ノД`)シクシク…」とべそをかいても、「やっていなかったのはあんたが悪いんだから、怒られてきなさい。どうしてもわからないなら教えてあげる」と言う程度だったと思う。私も仕事をしていたので、子どもの宿題を心配する時間もなかったし…。ひょっとしたら、その頃は私の子ども時代より専業主婦は多かったはずなので、親に宿題を手伝ってもらっていた友達は多かったのかもしれないが、私がそんな調子だったので息子たちも私に頼ることを諦めていたのかもしれない。 時代は下がって孫たちはどうだったのだろう。離れて暮らしていたので、宿題がどうのこうのという話は記憶にない。割と計画的できちんとした性格のお嫁さんなので、きっと早め早めにさせていたのだろうと思う。 そんなことで、今は「親が手伝う、協力する」というレベルを超えているような気がするブログをいくつか拝見し、うーんとうなってしまった。そのようなことが本当に子どものためになるのかどうか、私は首を傾げるばかりだ。先生たちは、そのような状態をどう考えているのかな。親の宿題になるような宿題なら、ヤメてしまった方が親子でスッキリするんじゃないだろうか。
2024年08月08日
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昨日は、北海道文化塾の四回目で、「世界ふしぎ発見」のミステリーハンターでおなじみの竹内海南江さんのお話を聞いてきた。テーマは、「地球と遊ぶ」で、30年以上もミステリーハンターとして世界を百カ国以上飛び回ってのエピソードがてんこ盛り。ミステリーハンターとしてはダントツで296回出演したそうだ。(あと四回で300回だったのにね)スライドを使ってのものなので、とても面白く興味深かった。不思議を発見する旅だから、当然未知の地域にも入っていくわけだし、今のようにドローンなんてものがない頃は、ヘリによる空撮でリポートするわけだから、死と隣り合わせの緊張感。このような人を間近にすると、本当に度胸と勇気と元気と体力が必要なことだと尊敬するばかり。ずいぶん昔に「兼高かおる世界の旅」という番組があり、これも好きで見ていたのだが、「世界ふしぎ発見」も好きな番組だった。随分お金がかかるんだろうなと思っていたのだが、昨日の話で日本から海外へ行くスタッフは基本彼女を含めて五人で、現地で通訳の人が加わり六人での行動だったという。それにしても、世界はまだまだ不思議なことか満ちている。人類が誕生してから今まで、地球は大きな気候変動や地殻変動を繰り返してきたが、人間は何とか生き延びてきた。人類が生きることが可能な場所が地球上になくならない限り、人間はしぶとく生きるのだろうな。
2024年05月27日
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昨日は「HBC北海道文化塾」の二回目、齋藤孝先生のお話でした。齋藤孝さんを知ったのは、多分「声に出して読みたい日本語 2001/9/12発行」がブレイクしたころ。当時の私は、不登校の親やその子ども達との関りを始めていた頃で、中学校に通っていない女の子と話を時々していた。その彼女に、「この本を声に出して読んでみたらどう?」と教えたことがある。その時に初めてこの人を知ったと思う。今、この本を検索したら、シリーズになっていて⑥まであった。講演を聞いたのは二回目。東京で当時関わっていたブックスタート事業のボランティア団体が、何かの賞をもらったので、会長の代理で授賞式に行った時。多分、もう20年近くも前だったんじゃないか。この時の講演は、全国各地で国語教育や図書館活動をしている人が対象者だったので、日本語の本質などに関わるようなレベルの高いものだったと記憶している。資料も随分丁寧に沢山作成されて配布され、一部を参加者全員で音読したのだが、古典であっても音読すると何となく意味が腑に落ちるというか、ちょっと目から鱗の気持ちがしたことを思い出す。それに比べたら今回は、「コミュニケーションと発想力」というテーマで、対象者も高齢者が多いということで、かなりくだけて楽しいものだった。言葉遣いも以前の印象とは全く違っていたし、話題も私たち世代の特徴や現代世相をちりばめているので、聞いているだけでも全く飽きない。後半は、全員が体を使いながらの初対面同士のコミュニケーションをとるワークショップになり、あの大人数の講演会場を沸かせる技術は大したものだと感心した。昨日のお話でメモをとっていたものを羅列する。・コミュニケーションには漢字変換能力が大切確かに、相手の話している言葉を脳内で漢字変換できなくては、何の意味か分からないことが多い。・相手を褒める時には具体的に・人の話は胸で聞くちゃんと話す相手に体を向けて聞くこと。耳だけ、顔だけ、頭だけ向けるよりも伝わるのは確か。・人と会話する時は、意味はなくても上機嫌でいること。確かに、不機嫌そうな人と話すと余計な気遣いをしてしまう。私のモットー「とりあえず笑顔」に通じることかな。・身体文化と精神文化は人格の基盤。この二つは継承可能なことであり、その上に個人の心が乗っかっている。心は不安定なものなので、基盤がなければ揺れるし風に左右される。・読んだり聞いたりしたことを、要約して誰かに話すことで自分のものになる。そんな話の中に、自分の経験をプラスして話すとよりgood!・出会いの時を祝宴に。そのほかにも、丹田呼吸の大切さや、緊張をほぐして出会いを明るいものにするヒントなど色々あったけれど、笑ったり拍手したりしてメモしていない方が多かった。それほど目新しいことではないけれど、やはり時々意識することは大切だと思う。–
2024年04月15日
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今年は「HBC北海道文化塾」の受講を申し込んだ。会場の札幌までは電車を利用するし、講座料金も10回で23,000円。それほど高額でもないけれど安くもないという感じなのだが、今回はお話を聞いてみたい人が多かったので申し込んだ。費用や開校日(日曜日)であることが、友人を誘うのもちょっと遠慮して、私一人の受講だ。さて第一回目のこの日、30分ほど前に会場に行くと、もうかなりの人が席に座っている。講演が始まる頃には空席は見た目ではわからず、会場係がパネルで指示しているが、その係の人もなかなか空席を見つけられない状態。ざっと見たところ、今日の講演内容のせいなのかほとんど高齢者でそれも女性が多い。最近はこのような講座に参加する機会がなかったので、久しぶりのことで少しワクワク。さて、この日は和田 秀樹氏の「老いの正体」というテーマ。この方のことについては以前から知っていたけれど、お話を聞くのは初めてであった。今までの経歴のお話の中で、若い頃から浴風会病院で勤務されていたと知った。浴風会は関東大震災後に見寄りを失ったお年寄りのために、日本で初めての病院併設の養老院としてスタートしたため、最後までお世話して亡くなった後は解剖させていただくということで、高齢者の病理についての研究実績は蓄積されているという。そのことは初めて知ったのだが、そのような研究の結果でのお話は、説得力があると感じた。なるほどと思ったことは沢山あるのだけれど、全部を書くのには記憶も時間も足りないので、自分にとって関係あると思ってメモしたことだけ書いておこう。・現在の「臓器別診療」→薬の量が増える。薬を五種類以上服用すると副作用が出てきやすい。・高コレステロールや糖尿傾向で数値を下げると問題も出てくる。 コレステロールは免疫細胞の健康に重要。低血糖も低コレステロールも良くない。 高齢者の自動車の暴走は、薬による意識障害の可能性も高い。 糖尿の人はボケない。・85歳以上の人にはほとんど癌がある。検診で発見し手術や放射線治療が良いかどうかは?・感情の老化→前頭葉の委縮、セロトニンの減少、男性ホルモンの減少。・老いを遅らせるためにできることは沢山ある。 できることはやめない。 高齢者の自動車事故はそれほど多くはない。ニュースに取り上げられるから多く見える。 服薬の影響による意識障害が多く、本人が死ぬことが多い。(低血糖、低ナトリウム) (他を巻き込むのは高齢者ではない)・引退しないで働く→身体と頭を使う。・栄養をバランスよくとる。光を浴びる。バランスの良い運動→散歩が良い。動ける間は積極的に脳機能や運動機能を使い続け、好奇心を持ち、やりたいことをやり、ストレスのかかる付き合いはせず、インプットよりアウトプットを大切にした方が良いようだ。ということで、私も昨日インプットしたことをブログでアウトプットして、少しでも健康に老いていきたいと思う。ただし、記憶能力は落ちているし、久しぶりにメモを取ったら字がグチャグチャ。だから、ここに書かれていることを鵜呑みにしないで下さいね。あくまでも私のメモです。
2024年04月08日
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近所のスーパーで、地元の教育委員会が作成したであろう、公立小・中学校の臨時教員等の募集のポスターを見て驚いた。今までこのようなポスターを見た記憶がなかったからである。私が気が付かなかっただけなのかもしれないが、とうとう教師もパート募集のような形で募らなくてはならない状態なのかと考えてしまった。今、北海道教育委員会のサイトで調べたら、このページがあった。公立小・中学校の臨時教員等の募集についてそして、【事務職員以外の職種について、実際に勤務していただくには、原則として、対応する学校種・教科の教員免許が必要ですが、臨時免許状の授与等により対応できる場合があります】とある。え、臨時免許状っていうのがあるんだと調べたら、下記のサイトがあった。教員免許なしで学校で働く5つの方法私は子どもの教育に意欲のある人が、社会人を経て教師になる人が増えてほしいとは思っている。しかし、少なくともそれに見合う安定した処遇がなければならないと考えている。だが、このような形では不安定な臨時職、つまりパートの先生になりやすいだろう。やはり首を傾げてしまうのだが、教育現場にはこのような先生が量産されているのだろう。これでは、本当の意味での子どもの個性に向き合った教育は難しいのではないかと思う。学校が楽しくなくて、辛い場所になる傾向は益々強くなるような気がする。私の住む石狩管内の募集は次のようになっていた。小学校…江別市8名、恵庭市7名、千歳市3名、北広島市5名子どもを大切にするといいながら、何と言うことだ!
2024年03月19日
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今年はクリスマスイブが日曜日だったので、例年以上にクリスマスを楽しむ家庭が多かったのではないでしょうか。しかし、中には冬休みもクリスマスもお正月も関係なく、塾や勉強に追われる子ども達も多いかもしれません。購読する北海道新聞の記事を見て、教育熱心な親に潜む問題を考えてしまいました。教育虐待に走った母 自らと子どもを同一視 名誉欲満たすため暴力も北海道新聞 2023年10月18日 2666字に及ぶ長文には、後悔と贖罪(しょくざい)の言葉が並んでいた。今秋、北海道新聞社に届いた1通のメール。子どもが耐えられる限度を超えて勉強を押し付ける「教育虐待」をかつて繰り返していた札幌市内の女性(56)からだった。「子どもに手を上げたくて、上げていたわけではない」。そう語る女性はなぜわが子の心身を傷つけたのか。教育やしつけが虐待へと変わる背景を探った。 「勉強しないならいい。捨てる」。学習道具を真冬の屋外へ放り出し、はだしの子どもに拾いに行かせる。胸ぐらをつかみ、身体への暴力もいとわない―。 10月8日、女性から届いたメールには6年ほど前まで自らが行っていた虐待の様子が記されていた。その2日前、北海道新聞デジタルに載った教育虐待の記事を読み「一歩間違えば誰もが虐待する側の人間になることを知ってほしい」との思いでしたためたという。■子どもの幸せにつながると信じていた 女性は夫と社会人の長女、定時制高校に通う次女の4人家族。子どもの教育に熱を入れるようになったのは、長女が小学校低学年になったころからだった。 「高学歴を求められる職業に就くことが子どもの幸せにつながると信じていた」。女性は対面での取材に応じ、当時の心境をそう説明した。 受験戦争が過熱した1960年代生まれ。母親も「高学歴信仰」が強く、女性は自らの大学受験の失敗が長年コンプレックスになっていた。中学受験を視野に子供たちを塾に通わせ、自宅では女性が勉強を指導した。熱が出ても登校させ、満点以外のテストは「何これ」と突き放した。 子どもを激しく叱責(しっせき)した後はいつも「自己嫌悪の塊」になったが、それでも虐待は止められなかった。「子どもを使って自分の名誉欲を満たそうとしていた」。女性はそう回想する。 転機は次女との衝突だった。当時小学5年生。登校をしぶる次女に馬乗りになり、気付くと首に手をかけていた。同居していた女性の母親が声を掛けなければ、命に関わる事態に発展していた可能性もあった。 教育虐待に起因する事件は後を絶たない。2016年には名古屋市で、父親が中学受験を控えた小学6年生の息子を刺殺した。父親は日常的に刃物をちらつかせながら、長男を指導していたという。 今年3月には教育虐待に長年苦しんだ元九州大生が実家で両親を殺害する事件も起きた。女性は「私はたまたま罪滅ぼしのために生かされているだけ。事件は人ごとではない」と話す。■「子のエネルギーが満ちるまで見守ろう」 その後、次女は不登校となり、女性は自らの教育観を見つめ直した。インターネット上にあふれる不登校の関連情報を読みあさる中、女性が目を留めたのは不登校の子どもと親をサポートするNPO法人のページだった。 「親が言い過ぎると、子のエネルギーが奪われる。子のエネルギーが満ちるまで見守ろう」。干渉一辺倒だった女性の胸に刺さったのはそんな一文だった。 以来、女性は勉強を無理強いするのではなく「子どもがやりたいと思うことをできる環境を用意しよう」と考えるように。次女が短時間でも登校できたら褒め、興味を持ったスポーツも積極的に経験させた。 長女は母親の変心を「私はどんなに努力しても褒めてもらえなかった」と何度も責めた。女性はその都度「お母さんの価値観が変わり、それまで認められなかったことも『有りかな』と思えるようになったの。だからごめん」と謝罪した。 女性は現在、札幌でカウンセラーとして働く。不登校や教育虐待に悩む子どもや保護者の相談にも応じ、自らの体験を伝えている。 あの時、女性はなぜ教育虐待に走ったのか。「子どもが勉強をできないのは自分のせいだと捉えていた。子どもは自分の分身のような感覚だった」。女性は自らを責める気持ちが、子どもへの虐待になって現れていたのだと今は思う。 自身と子どもを同一視し、自らが果たせなかった社会的成功を子どもで実現しようとしていないか―。女性の証言は多くの保護者に自省を促しているようにも聞こえる。(工藤俊悟)教育虐待、心身に傷 親の過度な期待、道内でも 被害者に後遺症も 北海道新聞 2023年10月16日 親が子どもの耐えられる限度を超えて勉強を押し付け、時には暴力も伴う「教育虐待」の被害が道内外で後を絶たない。「教育熱心」との境界があいまいで表面化しづらく、親が虐待であることを自覚しないまま、子どもの心身を傷つけているケースも目立つ。成人後も精神的な後遺症など深刻な影響に悩まされる被害者は多く、専門家は「どの家庭でも起こり得る」と警鐘を鳴らしている。 「母は自らぜいたくすることなく、私の教育にお金を掛けてくれた。逮捕されると思うと、警察に突き出すようなことはできなかった」。道央在住の20代女性は母親から長年虐待を受けてきたが、児童相談所に自ら通報したのは高校2年生になってからだった。 小学校低学年になると、母親は漢字を覚えられない女性に「なぜできないのか」と怒声を浴びせ、勉強机の上の物を投げつけるようになった。直接暴力を振るわれたこともあり、女性は今も心的外傷後ストレス障害(PTSD)で通院を続けているという。 「教育熱心」や「しつけ」を大義名分に家庭内で繰り返される教育虐待。被害者が声を上げづらく、第三者も事態を把握しにくいのが特徴とされる。会員制交流サイト(SNS)上では、道内在住者らも「テストや問題集で間違った分だけ、父親に殴られた」などと深刻な被害を訴えている。 子どもの養育環境改善に取り組む一般社団法人ジェイス(東京)代表理事で、教育虐待という言葉を公の場で最初に使った武田信子さん(61)は虐待の見分け方について「子どもが親にノーと言えない関係は注意が必要」と説く。「明確な暴力だけではなく、『あなたのため』と言い、子どもが耐えられる以上の負担を継続的に強いる行為もトラウマを生む」という。 難関高志望の生徒が多い札幌市中央区の学習塾でかつて講師を務めた30代男性は、普段は明るく振る舞っていた男子中学生の涙ながらの訴えが忘れられない。 「両親が言うから仕方がない。本当は別の高校に行きたいのに」。生徒は中3の冬になっても自らの学力とかけ離れた高校を志望していた。生徒と丁寧に対話を重ねるうち、志望校決定の背景に「一定レベル以上でなければ、高校として認めない」という両親の考えがあることが分かった。 元講師は両親とも面談したが「家庭の問題に口を挟まないでほしい」ととりつく島もなかった。生徒は結局、両親の希望する高校を受けたが不合格となった。元講師は話す。「親が価値観を押し付け、進路を強制する話はごまんとある。子どもの人生のはずなのに」 厚生労働省によると、2022年に自殺した小中高生は過去最多の514人に上った。学校問題に起因する動機のうち、最も多かったのは「学業不振」の83人で、次いで「進路に関する悩み」の60人だった。 親の抑圧で心身のバランスを崩した子どもが起こす事件も絶えない。今年3月には、教育虐待に長年苦しんだ元九州大生の長男(19)が佐賀県の実家で両親を殺害。18年には滋賀県で医学部進学を強要された娘が9年間の浪人生活の末、母親を殺す事件が起きた。 成績不振時に母親から暴力も振るわれていた娘は殺害直後、SNSに「モンスターを倒した。これで一安心だ」と投稿した。 滋賀の事件を追った「母という呪縛 娘という牢獄(ろうごく)」(22年・講談社)の著者で元通信社記者の斉藤彩さん(28)=北大卒=は読者からの反響に「自分も子どもに価値観を押し付け、期待するがゆえ、厳しい教育を課してしまった」との反省の声があったと明かす。 札幌市児童相談所地域連携課で虐待の初期調査を担う小林明弘調査担当係長(49)は「教育虐待の根本にあるのは子どもへの期待。親なら誰もが持つもので、それ自体は悪ではない」と指摘。「育児は誰にとっても難しい。子どもの教育に悩む人は、児相などに相談すれば自らを後方支援してくれる人を増やせることを知ってほしい」と呼び掛けている。(工藤俊悟)私は長年、子どもが不登校やひきこもりになり悩んでいる親たちの話し合いの場に関わってきた。学校に行くのが当然で、せめて高校くらい卒業しなければこの世を生きていけないのではないかという「学校信仰」に洗脳されているような日本では、わが子が学校に行かず家に引きこもってしまった時の親の驚きや焦りは想像以上のものだ。そんな保護者(主に母親)の話を聞いていて、教育熱心だとは感じても「教育虐待」と思ったことはない。だが、一歩間違えば子どもにとっては虐待に近くなることは想像できる。わが子へのプレッシャーが過剰であり、子どもに苦痛を与えているのではないかと思える親はきっと大丈夫だろう。だが、親と教師がタッグを組んでプレッシャーを与え始めたら子どもはたまったものではない。そのストレスが心身の不調を呼び込み、自分で自分を苦しめたり傷つけるようになると、悪循環にはまりこむ。不登校の背景には学校内での人間関係やいじめ、学力不振、教師からの不適切な指導や対応がきっかけになると思うが、その遠因に「教育熱心な家庭」は無視できないだろう。広い意味での教育は大切だし、その意味では教育熱心は悪いことではない。適切な教育熱心さはどのようなことなのかを、子育て中のご両親や祖父母の皆さんは、自分や子どもの性格を見つめつつ、熱心さのあまり、「虐待」に近いことになってはいないかどうかを考えてほしいと思う。ちなみに私は、どちらかというと放任に近い感じだったような気がします。何故かといえば、子どものことより自分自身のことで精一杯で、必要最低限度の子どもへの目配りしかしていなかったから。当時の私は、教育熱心で優しく見えるお母さん達を横目で見ながら、激しいコンプレックスとわが子への罪悪感と闘いながら、とにかく早く育ってくれと思っていました。教育虐待と教育熱心 境界線は? 第一人者の武田信子さんに聞く<デジタル発>
2023年12月27日
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白石の不登校特例校開校4カ月 18人全員が登校継続 マイペースでいられる場所みつけた8/9(水) 河北新報 全国でも珍しい宮城県白石市の小中一貫不登校特例校「白石南小・白石南中」(通称「白石きぼう学園」)が開校し、4カ月が経過した。 在籍する児童生徒18人は全員が登校を継続。話を聞いてくれる大人、打ち解け合える友達と出会い、「自分の居場所」を見つけたようだ。(白石支局・岩崎泰之)[白石きぼう学園]閉校した白石市郊外の旧南中校舎を活用し、今年4月開校。全国24校の不登校特例校のうち公立の小中一貫校は3校目で東北初。市内の不登校の児童生徒は21年度67人で、出現率は中学生が全国を上回り、小学生は同程度。市教育支援センターなども不登校支援を行う。東北の不登校特例校はほかに富谷市が開設した富谷中西成田教室、私立「ろりぽっぷ小学校」(仙台市太白区)がある。■細やかな対応、みんなと一緒で心地よさ感じる 7月中旬、心臓マッサージなどの救命救急を学ぶ授業があった。子ども3人の班に複数の教諭や支援員がついた。一人一人の体験を重視しようと必要以上の助言や手助けはせずに様子を見守った。 「授業が分かりやすい」と中学1年の菊地宗佑君(12)。休みたいときには休めて、図書館には少しだけ漫画もある。「学校に行くのがプレッシャーにならない。学校が楽しい」と感じている。 4~7月で長期欠席の子はゼロだった。「明日は休もう」「途中で帰ろうと思ったのに最後までいてしまった」。児童生徒は教諭らに気持ちを率直に伝え、自分のペースで通う。保護者からは「行ってきますと言ってくれるのがうれしい」との声が寄せられている。 同校は「学校らしくない学校」を掲げ、学び直しや体験学習に力を入れる。現場を支える教諭やカウンセラーらは19人。「試行錯誤」「臨機応変」をキーワードに4月以降、手探りで学校運営を続ける。生出真理教頭(53)は「みんなで話し合い、細やかな対応ができている」と手応えを口にする。 登校時間が午前9時20分と遅めなので、教諭らは事前に打ち合わせをして授業に臨む。子どもたちとの会話から「今日は調子が悪そう」と察知すれば、みんなで情報を共有する。部活動や定期テストがない分、教える側もゆとりがある。 6月、子どもたちの希望で白石のまちを散策する校外学習が行われた。市役所や武家屋敷を見て回り、お店でランチを食べた。 「みんなでいることに心地よさを感じているのがいいなと思った」と我妻聡美校長(55)。「不登校は独りのイメージが強い。学校を休むことよりも、孤立し誰とも関わらず家にこもってしまうことの方が心配だ」と子どもの居場所づくりに注力する。 学校は23日までの夏休みに入っている。子どもたちの生活リズムが変わることへの不安はあるが、教諭らは「夏休みも乗り切れる」と信じている。21日の登校日には体を動かすミニゲームの企画で出迎える。■不登校の事情さまざま 自分を説明「分かってもらえた」 白石市に4月、開校した小中一貫不登校特例校「白石きぼう学園」。さまざまな事情を抱える児童生徒が居場所を求めて学びやに通う。 中学3年西川幸信さん(14)が体育館で息を切らしながら遊んでいた。「人混みが駄目。運動もあまりしてない」。体力不足はいかんともしがたいが、「ここに来てよかった。人が少なく、周りの人も話しやすい。家だと暇」と言う。 本格的に休むようになったのは小6の時。スマホなどのゲームに夢中になった。中学1年時はなかなか学校に行けず、2年時は転校先の先生の優しさに甘えて休み続けた。休むことへの後ろめたさはなかった。 同じ3年の鈴木琉稀さん(15)は自分の意思に関係なく特定の動きや発声を繰り返すチック症を抱える。中学1年で症状が出始め、周囲の目が気になるようになった。野球好きで「小学校が全盛期。輝いていた」と振り返る。 きぼう学園ではみんなの前で自らの特徴を説明し、「分かってもらえた」。登下校時は見知らぬ人の視線が気になるし、体調によって休む日もある。それでも学校ではのびのびと過ごせている。 3年生の関心事は高校受験。鈴木さんが高校が開くオープンスクールへの参加を考えていると話すと、西川さんが「一緒行く?」と誘ってきた。友達と一緒なら心強い。■「多様な学びの場が必要」半沢芳典・市教育長に聞く 「白石きぼう学園」の開校を進めた白石市の半沢芳典教育長に開校の狙いや開設までの経緯を聞いた。 ◇ -全員が登校している。 「登校だけが目的でないが、出席率が毎日7、8割で推移しているのは学校が居場所になったからと感じている。子どもたちを見ていて、学校は楽しくないといけないと改めて学んだ」 -スピード開校だった。 「2018年に教育長に就任して以来、不登校は大きな課題だった。16年の教育機会確保法の成立を背景に昨年4月、開校に向けた準備に本格的に着手した。見切り発車的な部分はあったが、昨年度は全国の申請数が少なく国の認可を得やすかった事情もあり、1年で開校にこぎ着けた。職員の頑張りと校長会のおかげだ」 -宮城は1000人当たりの不登校児童生徒数が19年度まで4年連続で全国最多で、21年度も2番目の多さだった。 「東日本大震災が影響しているとも言われるが、白石は沿岸部でなく、宮城特有の影響があると考えられる。多様な学びの場が必要だ」 -国は特例校を全国に300校設置する考えだ。 「白石に引っ越し、きぼう学園に入りたいという子もいる。その子の地元にも特例校ができてほしい。多数派だけでなく、少数派の声にも可能な限り対応していく時代だろう」特例校(不登校児童生徒を対象とする特別の教育課程を編成して教育を実施する学校)について不登校特例校の設置者一覧子ども達は、どんなにそれぞれに事情があろうと、学校が楽しければ行くなと止めたとしても学校に行こうとします。たとえ病気があっても障害があっても、一緒に遊んだり笑ったりできる友達がいて、知らないことを教えてくれる先生がいて、悩みを聞いてくれる人がいたなら、そこが学校であってもなくても行きたいと思うでしょう。残念ながら現在の公教育ではそのような場が少数だから、これだけ「不登校」が増えているのだと思います。北海道での特例校は、「星槎もみじ中学校」だけで、公立はありません。このような特例校をぜひ多くと思うけれど、よく考えてみたらこのような教育課程が可能で子ども達が生き生きと学校生活を送ることが出来るなら、全国の公立小中学校を全部地域に合わせた特例校仕様にしたらいいのではないでしょうか。むしろ、従来の画一的で何事にもルールが決まってパターン化したような学校は「特例校」にしたらいかがでしょう。そのくらいの大ナタを振るわなくては、子ども達はのびのびと学び成長することが難しい時代なのかもしれません。
2023年08月11日
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日大のアメフト部での部員の薬物所持のニュースを知った時には、正直なところ「日大はまだこんなことやってるのか」と呆れた。かつてどのようなことがあったか明確には記憶していないが、色々な問題があって現在の林真理子理事長になったとは記憶している。しかし、その時も私は、林真理子さんが理事長になったとしても大学の体質を変えることが出来るのだろうかと危惧していた。現在の日本で組織のトップになっている人は大多数が男性であり、それを支える人たちもトップの息のかかった人であることが多い。日大の過去の不祥事も、ほとんどが男性中心のパワハラ体質から生じていると思うので、そこに女性が落下傘降下したように飛び込んで頑張っても、なかなかうまくいかないだろうと思ったのだ。日本の社会で女性を重用したように見える時は、多くは「世間の目をクリーンに見せるためのお飾り」や女性を大切にしてるよとみせかける「アリバイ作り」が多いから。林真理子氏だってそのことは重々承知の上で、ほとんど義侠心で引き受けたのだろうと想像している。だから、今回の顛末を見ていても、最初は理事長にはこれほどの大変なことなのに、何も伝えていなかったのだろう。彼女の悔しさや怒り、そして虚しさは想像を超えるもののように思う。でも、今回明るみになったきっかけの保護者からの告発文を読み、林さんが理事長であったからこのようにできたのかもしれないと思った。林さんには、何とか踏ん張ってほしいと思う。日大アメフト部薬物事件 “保護者”が関係各所に送った「告発文書」に書かれていた“隠蔽”への怒り 複数の部員が関与か?8/5(土) (前略)「隠蔽です」〈息子はアメリカンフットボール部の推薦で入学し、スポーツ科学部に通いながら寮生活をしています。その寮は中野区南台にあるアメリカンフットボール部の寮で60名ほど住んでいます〉「告発文書」はA4用紙1枚で、このような書き出しで始まる。筆者は、日本大学スポーツ科学部に所属する学生の保護者と名乗る人物。注目すべきは次のくだりだ。〈昨年、寮で大麻を吸っている上級生のチームメイトがいるとのことで、同じ部屋の子が親に相談しました。それが父母会で問題になり、保護者会が開かれました。大学の調査で上級生たちは大麻を吸ったことを認めましたが、コーチ陣の方針で退部退学させず、犯罪を犯しているのに大学の懲戒委員会にもかけませんでした。隠蔽です〉 この告発者によれば、昨年中にはすでに「大学の調査」が行われ、「上級生たち」、つまり複数の部員が大麻の吸引を認めていたというのだ。さらにこう続く。いきなり学生達のベッドをひっくり返し…〈何もなかったように秋にはリーグ戦に出ていました。息子やその他チームメイトはこの異常な状況の中、何の説明もされずに今日まで過ごしています。中村(俊英)監督やコーチに何かを言ったら推薦入学なので大学も辞めなければいけないという考えもあります。私たち保護者もどうしてよいかわからず、ただひたすら自分の息子たちを応援するしかない状態です〉 その後、話は直近の動きに入っていく。〈先週、息子から聞いた話では、7月上旬に日大本部職員が数名アメリカンフットボール部寮に立ち入り、いきなり学生達のベッドや鍵付きの金庫まで全てひっくり返し、持ち物検査をしたとのことです。そのようなプライベートも何もない行為を行った中にはアメフト部の中村監督、Aコーチもいたとのことです〉 このくだりはこれまでの報道と一致する。この時の調査で、逮捕された北畠容疑者のベッドの備え付けの収納箱から覚醒剤成分が入った錠剤と乾燥大麻の植物片が見つかり、大学は警視庁に届け出た。その時の北畠容疑者の弁明については、こう書かれている。〈その選手の言い訳はOBから預かっていたとのことです〉 そして、文書は「隠蔽」について辛辣に批判する。〈そのパケを本部職員は本部へ持ち帰りました。当該学生にはまたもや何の処分もなく、警察にも通報していません。このまま、隠蔽するつもりでしょうか。林真理子理事長はご存知でしょうか〉〈これは、完全な日大職員の犯罪隠ぺい行為ではないでしょうか。農大ボクシング部も大麻事件が最近ありました。日大野球部は未成年の喫煙で選手を処分しています。日大アメフト部は隠蔽ですか。学生ファーストの動き方でしょうか…調査をお願いします〉当局も「複数犯」については把握しているが… 文末には、〈日大本部、各報道機関、日本アメフト協会、関東アメフト連盟、へお送りします〉〈令和5年7月10日〉と日付が入っていた。 この告発文書を受け取った一部のマスコミはすぐさま取材をスタートさせていた。「一部の民放が、7月22日にアメフト部で保護者を集めた説明会の様子を遠くからカメラで押さえていたのも、この情報提供があったからです」(警視庁担当記者) 今回逮捕されたのは北畠容疑者一人だが、気になるのは告発文が、「上級生たち」と複数の部員が薬物使用していたことを示唆しているところだ。今後、捜査が拡大していく可能性はあるのだろうか。「当局もその情報を得て捜査していますが、すでに発覚から時間が経過しており証拠が隠滅されている可能性が高い。また大麻の使用だけだったとしたら、現行法では罪に問えません。立件するのは難しいのではないか」(同) もちろん、この告発文に書かれていることはあくまで匿名の告発者による伝聞の話であり、真実とは限らない。ただ、もしここに書かれてあるように、大学が学生達の薬物使用を認知しながら隠蔽していたならば、さらに騒動は大きくなりそうだ。デイリー新潮編集部↓やっぱりね。日大・林真理子理事長はハメられたのか アメフト部薬物問題…学内にはびこる〝田中元理事長派〟8/5(土) 東スポそもそもであるが、スポーツ等の強豪校と言われる私大は、有望な学生を推薦入学で合格させているはずだ。大学生としての勉強よりも、スポーツ等で成果を上げることが求められているのだろう。それを是として常態化していることが、私はおかしいと思っている。もちろん、スポーツで努力することで学生が学ぶことは多いとは思うが、大学は「幅広く学ぶ場」であって、「学問」が欠けては大学とは言えないだろう。偏った価値観で育った人間は、やはり人としてバランスを欠いてしまうのではないだろうか。結果がすべての世界で、結果を出せなくなった学生は次第にくさってゆく。その先に、様々な暴力事件や詐欺事件、薬物汚染事件につながってゆくのだろう。ことは、日大だけの問題ではないはずだ。名門運動部と薬物 各大学体育会は総点検を 2023/8/7 (産経)甲子園ボウル21度の優勝を誇る日本大学アメリカンフットボール部の寮で、乾燥大麻と覚醒剤成分を含む錠剤が見つかり、3年生部員が大麻取締法と覚醒剤取締法違反容疑で警視庁に逮捕された。朝日大学ラグビー部員3人も岐阜県警に大麻取締法違反容疑で逮捕された。7月には東京農業大学ボクシング部員2人が同法違反容疑で逮捕されたばかりだ。令和2年には東海大学野球部員や、日大ラグビー部員の大麻使用も明らかになった。いずれも名門、強豪といわれる体育会運動部における犯罪で、多くは部員寮が舞台となっている。各大学や体育会、学生競技団体は総点検に乗り出すべきだ。全運動部、全部員が薬物に汚染されているわけではない。一部の部員の不心得としても、この頻発は異常である。大麻の摘発人数は平成26年以降増加を続け、令和3年に5482人と過去最高を記録した。4年は微減に転じたものの、摘発された7割が10~20代の若者だった。運動部員の摘発を、単にこうした傾向の一環ととらえているなら判断が甘い。名門運動部の特権意識や、各部独自のルールによる運営、濃密な人間関係により部員寮が閉鎖空間と化し、違法行為の温床となっている実態はないか。強豪運動部では部員数が数百人に膨らむが、試合に出場するのはほんの一握りだ。スポーツエリートとして推薦入学し、活躍の場を失った多くの部員の行動に目は行き届いているか。1人の不祥事が部や大学、競技団体に与える不利益について教育は行き届いているか。確認すべき事項は山ほどある。日大アメフト部は平成30年の悪質タックル問題で出場停止処分となり、信用回復の途上にあったはずだが、それも不十分だったというしかない。大学関係者は、危機感を持った対応をしてほしい。
2023年08月07日
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さきほど書いた、「学校であだ名、呼び捨ては禁止?」のブログに関連して、現代の日本の教育の問題点は、子どもを大人の都合の良いように育てることだと考えている。かつては戦後の復興に資するために働く人材育成装置としての学校だった。その後も、資本主義社会に適応する会社に滅私奉公できるような人材育成装置。それらのために学歴優先の価値観は有効だった。やがてグローバル社会に適応できるような学歴と語学力を身につけるためも含め、子ども達は早期教育に追い立てられるようになった。自然にそれらの風潮についていける子どもばかりなら良いのだろうが、当然ながら子どもは様々な個性と能力を持って生まれてくる。競争についてゆけない子もいるだろうし、格差社会の広がりの中で、受験競争から脱落せざるを得ない家庭もある。大人が教育や指導をしやすいように学校はどんどん管理化されるようになり、意味が分からないように校則が増え、とうとうあだ名までが校則で禁止になる。そんな中で子ども達も教師たちもストレスを抱え続け、様々な学校に関する問題が出てきた。私は、ざっくりとではあるが、今の日本の教育と課題をそのようにとらえている。それに加えて、医学の進歩なのかもしれないが、色々な病気を抱えたり、「〇〇障害」と診断される子ども達が増加しているようだ。つまり、私の子ども時代よりもずっと、多様に個性を持つ子ども達が増えているのだ。それなのに、その個性を無視したような画一的教育体制が続いている。時々、多様な子ども達に対応する努力を続けている公立の学校が紹介されているが、それもほんの一部であり、見ている限りなかなか一般化はされそうにない。そんな中で頑張っているのが、公教育になじめない子ども達を受け入れているフリースクールなどだ。次に書くのは、私が関わっている不登校やひきこもりの親や当事者の会のホームページに書いた内容だ。それをコピーしておこうと思う。全国には、不登校児童生徒が19万人以上いるとの文科省統計が出ていますが、実際はもっと多いと想像できます。コロナの影響もあるかもしれませんが、それ以前も不登校生徒数はずっと13万人前後でした。子どもの数が減少しているのですから、これは不登校数の割合が高くなっているということです。学校に行かなくても、子どもの成長を保障する学びの場があるなら良いのですが、近年増えてきたフリースクールも人口が多い場所にしかありません。設置が増えている市町村の適応指導教室も、必ずしも子どものニーズに沿ったものとはいえないことが多いような気がします。そんな中で不安や焦りと闘いながら、まずは学校に子どもの状況を理解してもらい、何とか子どもが通学しやすいようにと苦心しているのが、ほとんどの保護者だと思います。今回は、「多様な学びプロジェクト」のご紹介と、その取り組みの中で練り上げた「学校への依頼文」フォーマット」のご紹介です。学校に問い合わせたりお願いする時には、大変な勇気が必要だと思います。自分の思いを正確に伝えるためにも、これらのフォーマットは考えを整理するのに役立つでしょう。いきなりフォーマットで文書を作り学校に突きつけるのではなく、ポイント整理と学校に確認をとるための参考にしても良いし、これをチェックする形で学校や担任と話し合いを持っても良いでしょう。また、学校と話し合いを持った時や電話でお話した時には、メモで良いのでちゃんと記録を書いて残した方が良いと思います。口頭でのやりとりは、あとで「言った、言わない」になりがちです。担任や学校との対話がうまくいかず、学校との関係が悪化した時には、スクールソーシャルワーカーや教育委員会との話し合いに移るかと思いますが、その時にはそれらの記録が役立ちます。これらのことは、お互いに冷静に子どものことをキチンと話し合うために大切なことだと思いますまた、学校を訪問して話し合いをする時には、必ず複数の人で行きましょう。まずは両親、それが無理なら信頼できる誰かに同席してもらいましょう。「多様な学びプロジェクト」のHPには参考になることがたくさんありますので、ぜひご覧ください。
2022年05月29日
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先程、ネットニュースを見ていてこの記事を読み、ビックリしてしまった。とりあえずコピーしておく。「あだ名」「呼び捨て」は禁止、小学校で「さん付け」指導が広がる 読売 5/28(土) クラスメートを「あだ名」で呼んだり「呼び捨て」にしたりせずに、「さん付け」するように指導する小学校が増えている。身体的特徴を揶揄(やゆ)するようなあだ名は、いじめにつながるケースがあるからだ。ただし、さん付けは円滑なコミュニケーションを阻むおそれもあり、有識者は「『さん付け』を求める場合は、きちんと理由を説明してあげてほしい」と指摘する。(松本将統、平出正吾)お姉さん気分 「皆さんはお友達を『○○さん』と呼ぶことができていますか?」 今月19日、東京都江戸川区立葛西小で、1年1組の担任の千葉千央(ちひろ)教諭(37)が、帰りの会で児童29人に呼びかけた。元気のいい返事を聞くと、「あだ名や呼び捨ては、相手を嫌な気分にさせることがあります。さん付けは、人を大切にする呼び方なのですよ」と続けた。 幼稚園では「君」や「ちゃん」で呼び合っていたという女子児童(6)は「お姉さんになった気分。呼ばれてうれしい」と、はにかんだ様子で話した。 同小では、名字にさん付けするよう求めており、この取り組みは今年で6年目。内野雅晶校長(60)は「小さいうちから相手を尊重するという素地を育めば、人を攻撃するような行動は取らないはずだ」と話す。校則に明記 文部科学省の問題行動・不登校調査によると、全国の小学校でのいじめ認知件数は増加傾向だ。2020年度は42万897件の報告があり、このうち約6割が「冷やかしやからかいなど」だった。 児童同士の呼び方について、文科省では指導はしておらず、担当者は「あだ名にはプラスとマイナスの両面がある。相手をどう呼ぶかは、相手がどう受け止めるのかに尽きる」とする。 <友だちを呼ぶときは『さん』をつけます>。水戸市の私立水戸英宏小では校則にそう明記している。野淵光雄教頭(51)は「あだ名は身体的特徴や失敗行動など相手を蔑視(べっし)したものが多い。呼び方だけでいじめを根絶できるわけではないが、抑止することにはつながる」とする。 約160の公立小学校がある京都市でも、ある校長は「この10年で『さん付け』は半数近くにまで広がっている」と語る。 一方、埼玉県内にある小学校の40歳代の男性教諭は「さん付けは時代の流れであり、それを各校が取り入れることは理解できる。ただし、あだ名まで禁止すると円滑なコミュニケーションがとれないのでは」と語る。長野県で小学校の校長経験がある60歳代の男性も「昔は子供たちが愛称で呼び合った。その効果か、クラスはにぎやかだった」と振り返る。嫌な思い 日本トレンドリサーチが20年11月、社会人1400人に調査したところ、小学生の頃にあだ名があったのは69%。このうち36・7%が「嫌な思いをしたことがある」と回答した。 小学校の校則であだ名が禁止されることについては「賛成」が18・5%、「反対」が27・4%、半数超の54・1%は「どちらでもない」だった。 名古屋大の内田良教授(教育社会学)は「クラスメートをどう呼ぶのかは難しいテーマだ。教員が『さん付け』を一方的に求めるだけだと、なぜそうした呼び方をするのか子供は考えなくなってしまう。理由や背景をきちんと大人が説明し、考えさせることが大切だ」と指摘する。「大切なのは敬意」 大人の世界でも名前の呼び方に工夫が凝らされている。 東レ経営研究所(東京都)では、2020年から上司も部下も「さん付け」で呼び合うことを決めた。肩書での呼び方を改めて、一人ひとりを優秀な社員として尊重し合い、働きがいを持ってもらうことが狙いだという。ウェブコンサルティング会社「フォノグラム」(広島県)では、03年の創業当初から社員同士をあだ名で呼び合う。代表の河崎文江さん(47)は「河崎」を中国語読みした「ハーチィ」が呼び名として定着しており、「親しみを感じて話しやすくなり、会話から新たな仕事のアイデアが生まれる」と語る。 日本サービスマナー協会認定マナー講師の吉岡由香さんは「呼び方一つで相手を不快にさせることもある。さん付けもあだ名も大切なのは相手への敬意。学校現場では、幼少期から相手を尊重することの大切さを教えてほしい」と話している。大人も子どもも、「〇〇さん」と呼ぶことには反対はしない。できるだけそのように呼ぶようにと指導することまでは理解する。しかし、校則であだ名を禁止するなんてやはり行き過ぎだと思う。どんな呼び方であっても、相手をバカにする気持ちがあれば蔑称になる。また、「慇懃無礼」ということだってある。その違いを自覚できないことが一番の問題だし、それは相手がどのように感じているかの感受性や想像力の有無でもある。相手の身体の特徴をあだ名にすることは、本人が気にしていることが多いので、それについてはやめた方が良いと指導するのは大切だ。肝心なのは、相手がどのように感じるかを自分の頭でよく考える習慣だ。学校の先生も「校則で禁止なのだからあだ名はダメ!」と言うようになっては、あだ名は学校から一掃しても、決していじめは減らないだろう。ひょっとすると、もっと陰湿さを深めるかもしれない。校則で色々なことを禁止することのマイナス面は、自分の頭と心で考えたり判断することをやめてしまうことだと考えている。どんどん人の心の耕しを放棄しているのが、現代の教育環境の状況だと感じてしまう。
2022年05月29日
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リンクしているMilkywayさんのブログで、「コロナウイルスによる休校で拡大する教育格差。どうする?」を読み、とても納得と共感ができたので、ご紹介します。私は、その記事へのコメントに下記のように書きました。このようなことが起きる前は、小学生の頃からデジタル教材を使うことには懸念の方が強かったのです。それは、小児脳科学の見地から、子どもの脳と心の成長への悪影響が指摘されていたし、その視点からの小児科医の警告的な講演も聞いたりしていたためです。でも、このような事態になると、それよりも教育格差の悪影響の方が強いと思うので、様々な課題をクリアしながらオンライン授業がどこでも誰でも受けられることの方が大切だと思うようになりました。少子化で子どもが減少し、新自由主義の政策で所得格差も広がり、子どもの貧困や児童虐待、いじめや不登校などなど、子どもを取り巻く状況は悲しくなることが多い日本になってきました。それをさらに強化するような今回の長期休校による教育格差の進行は、これからの日本だけではなく、世界にとっても大変な問題だと感じます。この大ピンチを、大人の英知を結集して日本の子ども達の教育環境整備に舵を切ってほしいと願っています。
2020年05月09日
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今朝のNHKを見ていたら、磯田道史先生が「薩摩藩の郷中教育で『反実仮想』のトレーニングをしていたから、幕末の危機に際して薩摩藩士が中軸となった」というような話をしていた。私は「反実仮想」という言葉を、恥ずかしながら改めて知った。「反実仮想」について書かれているものがないかとネット検索をしたら、下記の記事を見つけた。幕末薩摩のちびっこ教育がものすごかったという話 磯田道史2013年の記事なので、消えるかもしれないのでコピペしておこう。「日本を取り戻す!」って総理大臣も叫ぶけど、実際、過去の何を取り戻したらいいのだろうか。だいたい、そんな簡単に「昔のいいトコ」だけ取り戻せるものなんだろうか。映画化もされたベストセラー歴史本『武士の家計簿』の著者でもある磯田道史先生は、明治維新をリードした薩摩(さつま)藩出身者たちが“ちびっこ”時代に学んだ教育システムには、今の日本にとってさまざまなヒントがあるという。■それは戦国時代の知恵の生き残り磯田 幕末から日露戦争にかけ、かなりの確率で勝てる政治判断を下した人材を、薩摩藩は多く生み出しました。そんな薩摩藩では、武士の子供たちに「郷中(ごじゅう)教育」という独特の教育が行なわれていたんです。「郷中教育」とは、方限(ほうぎり:地域のこと)ごとに6歳から15歳くらいの少年が集まり、そこに15歳以上の先輩がついて行なう自習システム。今の教育はもちろん、幕末に日本中に広まっていた「藩校」ともまったく異なる制度でした。―そこでちびっこたちは何を学んでいたんですか?磯田 薩摩の子供は、まず早朝にひとりで先生(主に近所のインテリ武士)の家に行って儒学や書道などの教えを受けるのですが、誰を先生に選び、何を学ぶかは、子供が自分で勝手に決めていいんです。そして次は子供だけで集まって、車座(くるまざ)になり「今日は何を学んだか」を各自が口頭で発表します。決まった校舎や教室はなくて、毎日、子供が順番で、地域の家に「今日はこの家を教室に貸してください」と交渉します。社会性も身につきますよね。何より大事なのは、皆の先生がバラバラなことです。思想が統一されないし、話す本人は復習になるし、口伝え・耳聞きによって、知識を皆で効率よく共有できる。ちゃんと理解してるか、親よりも厳しく仲間同士でチェックし合います。とにかく先輩は怖い。―ものすごい会話コミュニケーション重視の学習なんですね。磯田 対話重視という意味で、郷中教育の中で特に重視されたのが「詮議(せんぎ)」というメソッドでした。今でいう「ケーススタディ」で、起こり得るけど簡単には答えが出ないような状況をいろいろ“仮想”し、その解決策を皆で考え合う訓練です。例えば「殿様の用事で急いでいるが、早駕籠(はやかご)でも間に合わない。どうするか」とか、「殿様と一緒に乗っていた船が難破した。向こうから一艘(そう)の助け船が来たが、乗っているのは自分の親の敵(かたき)だった。どうするか」とか、「道で侮辱された。どうするか」といったリアルな設問を次々と挙げ、各自が自分だったらどうするかを述べ、皆で議論する。「ハーバード白熱教室」みたいですよね。あの番組は日本でも大人気でしたが、日本人のDNAに、アメリカより先にこれをやってきた記憶があるとさえ思えます。―あれ? これって薩摩藩だけの教育システムだったのでは?磯田 実は「詮議教育」は、戦国時代くらいまでは日本中で行なわれていたようです。江戸時代になるまでは、公家や荘官や守護大名のようなごく一部のエリート以外は字を読めなかったので、一般的に武士は、戦(いくさ)の成功・失敗事例を文字でなく耳で学び、皆で議論し、実践的スキルを向上させる学習会を行なっていた。江戸時代に入ると、藩校のようにテキスト重視の教育が普及していきますが、文字は使わないけど、極めて非常に実践的な中世式の教育スタイルが、九州の端っこにだけ「子供版」として残っていたわけです。実際、当時の薩摩は、国内で最も識字率の低い土地でした。しかし、「明治国家をつくり出した判断力」が、文字でなく口伝えの教育で育まれたのが面白いところで。―道徳教育はあったんですか?磯田 これも文字でなく、「日新公(じっしんこう)いろは歌」(日新公は島津の殿様)というのを毎日毎日、それこそ大人になるまでに何万回も唱えました。ちなみに最初の「い」は「いにしえの道を聞きても唱えても わが行ないにせずばかいなし」といって、「どんな昔の教えを聞いても自分で実践しなければなんの意味もない」という意味。やはりすごく実践的な教えですね。―それをひたすら暗記する?磯田 文字が読めなくてもリズムで暗唱できるようになっていますが、郷中教育では、例えば「『義』とは何か」といったテーマで議論を繰り返したりして、そうした日常生活の規範を、それぞれが内面化していくんです。■西郷隆盛が抜擢された理由―薩摩式教育で、子供たちは何を得られたと思います?磯田 判断力、決断力、実行力を伴った、まさに「知恵」ですね。定まった知識をテキストで身につけるのでなく、(1)あらゆる事態を仮想し、(2)それに対処するアイデアを考え出し、(3)その中から正しいものを選択し、(4)実行する“度胸”を持つという。「野村ID野球」なんか、ちょっとそれに近かったんじゃないかな。野村監督は古田たちに「野球とは何か」まで質問して。予算はなくても当時のヤクルトは強くなりましたよね。―ただ、講義やテキストではなく、主に対話だけで学ぶ学習って、グループリーダーの力量にすごく左右されそうですよね。磯田 それはあります。郷中教育におけるグループリーダーを「二才頭(にせがしら)」と呼んだのですが(二才[にせ]は薩摩で若者の意)、例えば薩摩の城下町で「名二才頭」と噂になっていたのが、下級武士だった西郷隆盛でした。西郷の地元では、子供たちも行儀よく、顔つきも違うと評判だった。西郷は島津斉彬(なりあきら)に抜擢されますが、つまり、天才的な殿様にいきなり召し出されたわけではなく、6歳から20歳ぐらいの間でちゃんと、あいつは指導力があると自然に現場で証明されてたわけです。だから薩摩藩は校舎も教師もなかったけど、郷中教育で「名二才頭」と呼ばれる若者を採用すれば、後に明治の国家をつくるような人材を効率的に選べた。話が飛ぶけど、今の日本で良い政治家がいないとよくいわれますが、やはり草の根の根っこのところでお互いがお互いを選び合うようなシステムがないと、それは難しいものです。あと、もし今、本当のエリート官僚を選びたいなら、やはり数回のペーパーテストと面接では無理でしょう。選挙もテストも一見公平な方法ですが、リーダーの選び方において今の日本社会は怠けてると僕は思う。もっとしっかり長い時間をかけ、実際の行動のなかから指導者を選んでいくシステムを復活させないと。―人材を育てるだけでなく、人材発掘の面でも、今の日本にとってヒントがあると。磯田 あと、今の日本に特に必要という意味では、さっきも話した、あらゆる事態を想定しておく「仮想力」です。明治以降の日本は欧米へのキャッチアップが目標だったから、生きる知識も学校で注入できました。しかし今は、記憶だけでは生きていけない事態を前提とした教育が求められています。それに日本人は、起きたら困るようなことは考えないようにしがちですから。まさに原発事故が、その象徴でした。―ただ、さすがの薩摩武士たちにとっても、生麦(なまむぎ)事件(1862年、島津久光(ひさみつ)の行列を横切ったイギリス人をその場で斬り殺し、薩摩藩がイギリス軍と戦争する原因となった事件)なんかは想定外だったんじゃないですか?磯田 そういう事態すら彼らの念頭にあったのではと僕は思うんです。「刀はめったなことでは抜くな。抜いたらただでは収めるな」というのが薩摩武士の道徳教育だったから、とどめは刺した。けど、その直後、島津久光の駕籠をとにかく内陸へ向け必死に走らせるわけ。実際、イギリス陸戦隊は即座に上陸し、島津久光の身柄を拘束しようとしていたんですから。―では、絶対に負けるとわかっていた、イギリス軍との戦争にはどう対処したんでしょうか。磯田 薩摩藩はすごいリアリストたちですから。彼らはイギリス軍の大将が乗った旗艦へ向けて砲弾を集中させ、相手の艦長を戦死させるんです。確かに薩摩はあちこち焼き払われ、とても勝ったとはいえないけど、イギリスにその実力は認めさせた。結果的には、「これは簡単に占領できる相手ではない。日本に親イギリス政権を樹立するために組む相手だ」って信用されたんですね。―最後に、郷中教育は、なんらかの形で、今の日本でも復活させるべきだと思いますか。磯田 そこには多くのヒントがあります。ただ、薩摩の郷中教育はあくまで忠孝(ちゅうこう)思想なんです。君に忠義、親に孝行。下の者に対し「慈悲をかけよ」という部分も少しはあるけど、根本は上に対する責任を持たせるのが目的の教育です。 でも、これからの日本に必要なのは、そうした身分制社会の教育ではなく、社会的弱者をどう救済するかとか横の関係とかですよね。 さらに、郷中教育はやはり戦士の教育なんです。討ち死にしてでもとにかく敵を打ち負かす、チームとして戦に勝つための合理性を追求した教育であり、そこは情報化社会における合理性とは異なる。そこは組み替えないといけません。しかしこの教育が、当時の「人づくり」に大きな成果を挙げたことは間違いありません。
2020年03月09日
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このブログは、もともとは自分が慶應の通信教育で卒業した体験を、後輩たちの参考にしてもらえたらと書き始めたものだった。しかし、今では卒業も遥か昔のこととなり、かつてはフリーページに乗せていた「体験記」も随分前に削除した。私が学んだ頃とでは、ネットの活用などで随分学び方も大学の状態も変わっていて、すでに参考にはならないだろうと思ったからである。ただ、提出したレポートの記事については、自分の復習のためと、レポートをどのように書いたらいいかと悩む人は今でもいるかもしれないと残しておいた。しかし、これもすでに時代遅れだろうから、今月中に削除するつもりである。誰も見ていないかもしれないけれど、とりあえず予告しておきます。
2019年12月19日
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記述式見送り、公明が主導 政権に痛手、野党追及へ 大学入試改革12/18(水) 7:20配信 時事通信 大学入学共通テストの国語と数学の記述式問題の導入が17日、見送られた。 採点の公平性などへの疑問の声が与党内で上がる中、公明党が見送りを主導した。英語民間試験と並ぶ大学入試改革の二本柱が撤回に追い込まれた形で、安倍政権にとって痛手。主要野党は混乱を招いた政権への追及を強める構えだ。 「公明党の提言を重く受け止め決断された。賢明な判断だ」。同党の斉藤鉄夫幹事長は17日の記者会見でこう語った。 11月1日に英語民間試験導入が先送りされ、焦点は記述式問題導入の是非に移っていた。その後、記述式は採点基準が不透明な上、アルバイトが採点に加わることも判明。受験生から疑問が噴出し、自民党内で「なぜこんなにずさんな制度なのか」(閣僚経験者)と指摘する声が相次いだ。 公明党内でも、2020年度からの実施への懸念が強まった。若者の批判が与党に向けば今後の国政選挙への影響も考えられるからだ。政府に見直しを提言するため、同党幹部や文部科学行政に明るい党中堅議員らが水面下で首相官邸や文科省との調整を急いだ。 今月5日に斉藤氏が萩生田光一文科相と面会。「国民の理解が十分に得られているとは言い難い」として記述式問題の延期を要請、萩生田氏は「重く受け止めたい」と応じた。6日に提言した自民党に先立ち、公明党が一足早く流れをつくった瞬間だった。 自民党の出足が鈍かったことについて、公明党幹部は入試改革を主導した下村博文元文科相らを念頭に「自民は文科相経験者がいたからだろう」と解説する。一方、自民党からは公明党が「抜け駆け」したとの不満も漏れる。 記述式問題中止法案を先の臨時国会に提出した主要野党は、見送りの判断を評価しつつも、関係者を混乱に陥れた責任は重いとみている。 立憲民主党の福山哲郎幹事長は17日、記者団に「国会で追及したい」と記者団に表明。同党の安住淳国対委員長は自民党に対し、来年1月の通常国会召集前の閉会中審査開催を要求した。 共産党の小池晃書記局長は会見で、萩生田氏について「責任は極めて重大で文科相の職責を果たすことはできない」と辞任を求めた。 この記事では、まるで公明党のお手柄みたいに感じるのが不満ではあるが、とにかく記述式問題が中止になったのはホッとした。 英語の民間試験導入も含め、教育関係者からは最初から問題点を指摘されていたこの改革は、一言でいえば「教育産業」をお金のために、公的責任のある教育に導入しようとごり押ししてきた政治家の責任だと思う。 「民間の力の活用」と「行政改革」を旗印に、福祉や教育分野は競争が求められるようになり、民間業者が続々参入してきて、それをしなければ時代遅れの風潮になってずいぶん経つ。それが全部ダメとは言わないし、それによってよくなった部分も当然あるだろう。しかし、どう考えても競争力重視の制度設計は、様々な部分で格差は広がり、取り残された庶民はそこから這い上がるのは大変なことになっていると感じることが多い。「やってみなければわからない」と基本的に考えるタイプの私は、同時にどこか楽天的傾向もあるので、「ダメなら見直せばよい」と考える傾向がある。しかし、今回のドタバタ顛末を見ていると「やってみるためにどれだけの見えないお金(税金)が動いたのだろう」とも思うようになってきた。そして、信頼できるはずだった官僚たちの信じられない劣化状態を知ると、本当に頭を抱えるばかりだ。一度腐ってしまったリンゴはもとには戻らない。腐らないリンゴを育てるには、土壌作りからの長い年月がかかる。私達も腐るリンゴを育てている土壌の一部なのだと思うと、震えるような危機感を抱く。こんな中でも、まだ腐らずに頑張っているリンゴたちもいるのではないか。せめてそのような人たちに光を当てて評価していきたいと思うし、腐りきった政治畑のリンゴたちは、速やかにその場からいなくなってほしい。尾木ママ、大学入学共通テスト記述式見送りに「高大接続改革として位置づけないとダメ」12/17(火) 21:34配信 ↑同感です。「よかった」「振り回された」共通テスト記述式見送りに安堵と憤りの声交錯12/17(火) 18:09配信 産経
2019年12月18日
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記述式「共通テストに必要なし」 大学教員らの入試改革を考える会12/6(金) 20:30配信 共同 大学入学共通テストで予定されている記述式問題導入を巡り、大学教員や予備校講師らによる「入試改革を考える会」(代表・大内裕和中京大教授)が6日、東京・霞が関の文部科学省で記者会見を開き、「多くの大学が個別試験で記述式問題を出しており、共通テストには必要ない。立ち止まって、一連の入試改革の再検討をすべきだ」と訴えた。 考える会は、2020年度からの共通テスト全体の実施延期と大学入試センター試験の続行を求める緊急声明を萩生田光一文科相宛てに出した。 メンバーの予備校講師吉田弘幸さんは提出後の会見で「文科省は記述式が必要だと論理的に説得できていない」と指摘した。大学側からこのような話があまり出てこないようなのが、私には不思議だった。それほどに文科省の顔色を大学は見なくてはならないのかと。教育産業へのプレゼントのようなこんな改革は、すぐさまやめてほしいと思う。
2019年12月07日
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PISA調査 日本の読解力低迷 、読書習慣の減少も影響か産経新聞1620 3日に公表された国際学習到達度調査(PISA)で、日本の高校生の読解力低下が浮き彫りになった。文部科学省によれば、パソコンを使ったコンピューター形式のテスト形式に不慣れなことや、記述式の問題を苦手としていることなどが要因として考えられるという。ただ、本や新聞などをよく読む生徒の方が平均点は高く、読解力低下の結果には、読書量の減少も影響しているようだ。 日本の読解力の順位は、前々回の2012年調査では過去最高の4位だったが、前回の15年は8位、今回は15位と急落した。 文科省によれば、小6と中3を対象に毎年実施している全国学力テストなどでは、特に学力低下の傾向はみられないといい、同省担当者は「今回のPISAで読解力がなぜ低下しているのか要因を特定するのは難しい」と話す。 考えられる一つは、15年から導入されたパソコンを使ったテスト形式に不慣れなこと。日本の生徒は紙の筆記テストに慣れ、ポイントとなる部分に線を引くなどして思考を深める傾向があるため、パソコンではそれができず、戸惑うケースが多かったとみられる。 また、インターネットのサイトから必要な情報を探し出したり、情報の信憑性を見極めて対処法などを自由に記述させたりする問題の正答率が低かった。日本では選択式問題のテストが多く、記述式が苦手な生徒が多いと指摘されてきたが、PISAでもそれが浮き彫りになった格好だ。 また、読書習慣のある生徒の方が平均点が高いことも分かった。小説などを月数回以上読む生徒の平均点は531点で、読まない生徒より45点高かった。新聞を同頻度で読む生徒の平均点も、そうでない生徒より33点高かった。 テスト以外にもアンケート調査が行われたが、活字離れが進んでいる実情も明らかになった。日本の場合、新聞を月数回以上読む割合は21・5%で、9年前の09年調査に比べ36・0ポイント減少。雑誌を読む割合も30・8%で、33・8ポイント減少した。私は、「読解力」は紙媒体の読書をすることで培われていると考えている。私も、このようにネットを使ってニュースや他の人の書いたものを読んだりしているが、パソコンやタブレット画面で読んだものは、「馬耳東風」に近い感じで脳の中を通過しているような気がする。これは単に私がアナログ型脳であるのではなく、紙媒体の文字を読むときと、光刺激によるネット画面では、脳が受け取る場所が違うことは脳科学で証明されていると聞いたことがある。思考力と連動しやすいのは紙媒体の読書なのだ。実は、私の地域のローカル新聞(夕刊で週6日発行)が、来年1月で休刊になることが決まった。本社は苫小牧で、その地域の新聞は発行するらしい。地域のきめ細やかなニュースを取り上げているので、我が家は北海道新聞とこのローカル紙をずっと購読していた。一時期は、もっと複数の新聞を(夫のつきあいで)購読していたが、夫が退職してからはこの二紙となっていた。販売店の人が集金に来た時に聞いたのだが、購読数の減少が止まらなかったという。今や、ニュースはスマホやテレビで見る人が多くて、新聞を取っていない家庭が増えているという。「それじゃあ、どうしようもないねえ。日本の民度も下がるわけだ」なんて話したのだが、これは笑い事ではない事態だと思う。国も、ずいぶん前から子どもの読書活動を推進する必要性を感じて、「子どもの読書活動の推進に関する法律」を2001年に制定している。しかし、この取り組みは各自治体に任せられているので、地方交付税にまとまって交付される子どもの読書推進に関わる財源は、その自治体によって使われ方がまちまちのようだ。地方に行けば行くほど市町村自治体の財源不足は深刻なので、子どもの読書推進に関係する交付税は、別のところに使われてしまう可能性が高い。だから、自治体の考え方により学校図書館の地域格差は広がるということだ。新聞もとらず読書習慣のない家庭で育つ子供たちは、学校で本や新聞を読むしかないことになる。こんな状況が進んでいては、日本の子ども達の読解力が上がるわけがないだろうと思う。
2019年12月04日
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派遣ALT困窮 財政難、直接雇用難しく 年収200万円、任期中帰国も12/02 05:00 北海道新聞 道内の小中高校に勤務する外国語指導助手(ALT)が、低賃金など不安定な労働環境に置かれ、生活苦に陥っている。国は英語教育の充実に向けてALTの積極活用を進めるが、各地の教育委員会が直接雇用するには財政面から限界があり、民間から派遣される非正規雇用も目立つ。年収200万円程度の「官製ワーキングプア」の状態は深刻化。専門家は「教育の質の確保には、ALTの生活安定が不可欠」と指摘する。 「アルバイトをしないと生活できない」。札幌の中学校に派遣されるALTで、英語圏出身の30代男性はうつむく。月給は約20万円だが、授業が少ない3~4月は約8万円に減る。派遣業者との単年契約で賞与や昇給はなく、年収は約200万円。英会話教室で週2回バイトし、生活費を補う。 男性は母国の大学を卒業後、ALTとして働くため約6年前に来日。家賃6万5千円のアパートで妻と暮らす。待遇は改善されず、「持病の薬さえ買えなかった」。学生時代の奨学金300万円も返済できない。共働きで家計を支える妻は「親の仕送りが頼り。将来を見通せない」という。■自治体任せ ALTの雇用形態は自治体に任されている。札幌市教委は本年度120人を雇用。このうち7割の85人はALT派遣業「インタラック北日本札幌支店」(札幌)との契約で確保し、残りは国の交付税措置で給与を「初年度336万円」と保証する外国青年招致事業(JETプログラム)を活用する。正職員となると研修や生活支援などで支出が増えることから、市教委は「直接雇用は難しい」と話す。 函館市教委は民間委託で計8人と5年契約を結ぶ。釧路市教委は計6人のうち、JETプログラム5人、派遣契約1人と振り分ける。一方、旭川市教委は英会話教室の元講師ら計7人を単年契約で直接雇用するが、一般的に学校数が多い都市部ほど非正規雇用が多い傾向がみられる。■「助手」に一任 近年の英語教育の拡充に伴いALTのニーズも高まり、2018年度は全国で約2万人に達した。20年度から実施される新学習指導要領では小学5、6年で英語が正式教科となり、文部科学省は「読み・書き」の指導のためALTの活用を推奨している。札幌市教委もALTの増員が不可欠とするが、「派遣契約を増やして対応する」という。 道央の中学校に勤める別のALTの30代男性も派遣契約で、1日3~4コマの授業に出向く。担当の教員から授業の計画づくりを含め全て任されることもあり、「もはや『助手』ではない。派遣のまま生活が安定しなければ、授業に身が入らない」。ある教育関係者は「困窮して任期中に帰国するALTもいて、入れ替わりが激しい」と明かす。 ALTの雇用問題に詳しい相模女子大の奥貫妃文(ひふみ)准教授は「非正規雇用が続けば生活基盤がつくれず授業に支障が出かねない。英語教育を推奨する国や自治体は任期を定めない直接雇用などを進め、安心して働ける環境づくりを急ぐべきだ」と話す。(下山竜良) <ことば>外国語指導助手(ALT=Assistant Language Teacher) 生きた英語に触れる機会を増やすため、小学校高学年の外国語活動や、中学・高校の英語の授業で教員を補助する指導員。教員免許や資格は必要ない。雇用形態は、一定の待遇を保証する国の外国青年招致事業(JETプログラム)、直接雇用、民間業者との派遣契約などがある。文部科学省によると昨年度のALTは全国の小中高校で1万9234人。主な内訳はJETプログラム4890人、直接雇用3609人、派遣契約3741人など。こんなことではダメでしょう。私は、直接に外国語を母国語とする人からの言葉のシャワーを浴びなければ、言葉は身につかないと考えている。その点では、とても中途半端ではあるけれど、外国語指導助手(ALT)の配置は有効だと思っていた。その人たちがこのような状況であることを、多少の予想はしていたけれど今朝の新聞で現実を知り、ガックリしている。政治家たちは、教育産業の活用に熱心であるが、大切なのは子供たちにとってどのような外国語教育が本当の力になるかを考えることではないのか。私の孫は田舎の小学校で小中学校を学んだのだが、中学校の学校祭で英語のスピーチコンテストを聞き驚いた。私が聞いても、とても良い発音で堂々とスピーチしていたのだ。きっと、ALTの先生が丁寧な指導をしてくださっているのだろうと想像できた。各学年一学級、英語を母国語としている人が住んでいるような環境ではないので、その英語力はALTの存在でしか考えられない。ちなみに、息子のお嫁さんは大学で英語を学んではいるが、留学経験もないせいか会話力には自信がないと言っている。英語が好きで多分学生時代は英語の成績も良かったのだろうけれど、そんなものなのである。
2019年12月02日
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ふと思い立って、ブログを始めた年の11月はどんな感じだったかと見てみた。すると「遅咲きのコスモス」という日記に目が留まった。今日は11月6日、コスモスはまだ花がついていたけれど、先日さっさと片付けてしまったので、この年はまだ花が咲いていたのかと思ったのだ。読んでいて、そうか、そうだったんだと思うけれど、そんなことは全く覚えていない。でも、内容については、今私が日頃思っていることとあまり変化はない。自然界に生きている私たちはみんな、それぞれの環境の中で持って生まれた個性の種を精一杯生きようとしているのだということは、年を重ねるごとに強く思うようになっている。このところ話題になっている「大学受験の英語民間試験導入」なんて、高校生の英語教育のためというよりも、教育産業支援のための政策だということはみんなわかっていることだ。つまり、本気で日本の若者をどのように育てようという根本的な信念なんてないに等しい。私は時々このブログで書いてもいたと思うが、人間に一番必要なのは言葉で自分の気持ちを周囲に伝えられることだと思う。そのために必要なのは、伝えたい気持ちと伝えられる相手がいることだ。もちろん、その相手には、今では外国の人だっている。だから、英語教育も必要だと思うが、それにはいつも外国の人が周囲にいることが大切だし、それなしに読み書きだけの教育をしてきたから、6年間学んでも英語が話せなかったにすぎない。私は英語が全く話せない時に外国人留学生のホストマザーを何度か引き受けたけれど、必要ならば身振り手振り、辞書をはさんでのカタコト会話で何とかなった。(留学生だって、母国で日本語を勉強してきたといっていたけれど、込み入った内容なら理解不能)その時、留学生自身が言っていた。「日本の高校生は、辞書も引けるし単語も知ってるから、外国に行っても大丈夫!」と。私は今でも、小学校の英語教育を義務化するのは反対だ。それよりも、母国語の日本語で十分ものを考えたり言葉に出せる勉強が必要だし、英語を教科として導入するなら、外国人が必ず教える側にいることを義務化してほしい。でなければ、先生たちの負担が増えるばかりだし、さらに教育産業を喜ばせるばかりだろう。つまりは、教育の格差が広がるということだ。話はずれたが、子どもは自分の個性に従って育ってゆく。早咲きのこもいれば、遅咲きの子だっている。周囲に関心が強い子もいれば、一点集中タイプの子だっている。どっちがいいとか悪いとかではなくて、個性の種はみんな違うということだ。それをみんな並んで同じようにしようとするから、日本の子ども達の元気はどんどんしぼんでゆくのだと思っている。
2019年11月06日
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どうしてこんなに英語の民間検定導入を急ぐのかと考えたら、政治と教育産業との癒着ではないのかと考えてしまう。子どもの教育を考えるというより、教育産業で儲けるために子どもたちを利用しているとしか思えない。次々と学校教育に導入されている電子黒板やタブレット利用の推進なども同様である。もう、子育てや教育を金儲けのために利用しようとする、本末転倒政策はやめていただきたい。「2年前ルール」逸脱した文科省 地域・経済格差もネックに11/1(金) 21:16配信 産経新聞 来年度からの大学入学共通テストで導入予定だった英語の民間検定試験をめぐり、萩生田光一文部科学相が実施の延期を発表した1日、高校現場には戸惑いが広がった。大学入試への民間試験活用が検討されるようになって、およそ6年、地域格差や経済格差の問題が明らかとなる中、試験開始まで残り5カ月となったタイミングでの方針転換。大学入試改革の目玉とされた施策への一連の対応に疑問も強まっている。■文科省方針と矛盾? 民間試験の活用は、政府の教育再生実行会議が平成25年にまとめた入試改革の提言に盛り込まれたことから、文科省内で検討が始まった。29年には受験年度に2回まで受けられるなどのスキームが固まり、30年には英検など8種類の試験が認定された(うち1種類は取り下げ)。 ところが、ここからさまざまな懸念が浮上する。ひとつは費用の問題。1回の受験料が最大2万5千円の試験もあり、受験生側の負担は大きい。もうひとつは会場の問題だ。民間が実施するため、多数の受験生が見込める大都市に集中し、地域で会場数に偏りが出ることが予想された。 文科省はこれまで、低所得者世帯を対象に大学などの無償化を図る新法を今年5月に成立させるなど、格差を縮める政策に力を入れてきた。それと矛盾するかのような入試制度に、「このまま実施に踏み切っていいのかという思いが全くなかったわけではない」と、同省幹部は打ち明ける。■2年前ルール逸脱? 最大の懸念は、民間試験の成績が各大学でどう扱われるかの詳細が、なかなか決まらないこと。民間試験の成績を合否判定などに利用するかどうかは各大学の判断に任されている。だが、文科省が8月時点でまとめたところ、私立大を中心に約3割が利用の有無を決めていなかった。 大学入試には「2年前ルール」というのがある。試験方式に大きな変更がある場合、原則2年前までに公表するもので、文科省の要項にも明記されている。 にもかかわらず、一般試験まで残り1年半を切っても詳細が固まらない-。このため全国高等学校長協会が9月、文科省に延期を要望する事態となっていた。 文科省が延期に踏み切った背景には、こうした事情があった。しかし1日は大学入試センターで受験に必要な「共通ID」の申し込みが始まる日。ここまで決定が遅れたことに同省幹部は、「延期すれば文科行政への信頼が揺らぐとの思いもあった」と明かす。 今回の決定に対し、全国高等学校長協会は「抜本的な見直しをお願いする」とのコメントを発表。一方、予定通りの実施を求めていた日本私立中学高等学校連合会は「準備を進めてきた高校と生徒が気の毒だ」と批判した。
2019年11月02日
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NHKクローズアップ現代「知られざる天才 “ギフテッド”の素顔」小中学生の不登校が4年連続13万人を超え、画一的ではない教育を模索する動きが本格化し始めている。そのなかで注目を集めているのが、生まれつき高い知能(IQ130以上が目安)や才能を持つ「ギフテッド」と呼ばれる若者たち。マーク・ザッカーバーグ、ビル・ゲイツなども“ギフテッド”とされ、米国などでは国家の教育支援を受けている。今回番組では、日本国内のギフテッドにアンケートを実施。すると、才能を秘めた若者が「生きづらさ」を抱えている現状が明らかになった。才能を十分に発揮できる社会には何が必要なのか、数々のギフテッドの例とともに考える。私は、「ギフテッド」という言葉を初めてこの番組で知った。生まれつき特別な才能を(神様から)もらって生まれてきた子どものことのようだ。今の日本の教育体制ではこのような子どもたちが浮いてしまったり、その能力を発揮できないことは容易に想像できる。不登校となっている子どもたちの中にも、そのような子どもたちが存在していることもよくわかる。そのような子どもたちをどのように育て、教育したらよいのかということがこの番組の狙いだったと思う。しかし私は、この番組を見ながら何を考えていたかというと、「子どもは誰もがギフテッドではないか?」ということだ。能力の高い子どもがその力を発揮できないことがもったいないというのでは、ちょっと違うだろうと。人は誰もが、それぞれ能力の種を持って生まれてきている。その種が腐ったり、せっかく芽が出ても摘み取ってしまったり枯れたりしないように、育てることが一番大切なことだろう。それぞれの能力の種や芽、あるいは特徴を「個性」という。教育や育児に一番大切なのは、とてもシンプルなことなのだ。その子の個性を認め、その子の内部から湧き出てくる「好奇心」を大切に見守ることだろう。この世の中を変化させていくのは「天才」の力も必要なのかもしれないが、その力を発揮させる環境を支えてゆく「縁の下の力持ち」の力も必要なのだ。様々なことで「生きづらさを感じる」人たちが多いのであれば、その人たちをサポートし癒す力を持つ人たちもまた大切なのだ。最近の世の中は、経済効果や競争原理に乗る人たちばかりを育てようとしているように思える。また、自分中心主義が跋扈し、自己の利益にならないものは無益と切り捨てる傾向も強い。一見役に立たないように思える力が、見えないところで社会を支える力となっている。もしも神様がいるとしたら、それぞれの力をのびのびと発揮している、穏やかで平和な社会を望んでいるに違いない。
2019年08月29日
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ネットニュースを見ていて、下記の記事を見つけた。このようなことは決して稀ではないと思うし、その影響は現在の子どもたちにも及んでいると思う。部活体罰、成人後もトラウマに 暴力が再生産される根深い構図 「消えろ」「死ね」エラーのたびにビンタ 7/3(水) 7:00配信 朝日新聞 学校の部活動の指導者が、子どもに手をあげる事態が各地で繰り返されている。どうしたらなくすことができるのか。 ある東北地方の20代の男性は中学時代、強豪校の男子バスケットボール部に所属。顧問の指示通りにプレーができないとコートの横で腹を殴られ、顔を平手打ちされたという。当時は「体罰は結果を残すため」と思っていた。男性の代では県大会で上位入賞。「部活の成績が加味されて高校に推薦入学できた。自分にとって成功体験」だった。 しかし2012年、大阪市立桜宮高校バスケットボール部の主将の男子生徒(当時17)が顧問の暴力がもとで自殺。自身の経験と重なり、教師を目指して進学した大学で体罰の論文を読み込んだ。「体罰はよくない」と頭で理解しても、厳しく指導する場面では仕方ないとの思いがあった。「自分の過去は否定しづらかった」と葛藤を明かす。だが、次第に「体罰はすべきではない」と考えが変わった。男性は小学校の教師になった。「恐怖を与えて言うことを聞かせる体罰は長い目では将来につながらず、指導とは言えないと思う」■血で汚れたTシャツ、教諭が捨てさせる 兵庫県の公立高校男子バレーボール部の元部員の40代男性は「監督の男性教師から、ささいなミスでほぼ毎日殴られたり、たたかれたりしていた」と振り返る。成人してからもトラウマに苦しんでいるという。「たたかれる時は『ハイ』と返事をしなければならない。パチン、ハイ、パチン、ハイが延々と続いた」。唇や口の中からの流血でTシャツが汚れることもあった。 「教師はいつも新品のTシャツを袋に入れていた。着替えさせ、汚れたTシャツは捨てさせた。親に発覚しないようにするためだったのでは」と振り返る。 男性は「何年たっても教師に殴られる夢にうなされる。殴られても殴られても部活を辞めさせてもらえず、追い詰められる夢です」と訴える。 九州地方の小学校教師の女性(39)は中学のソフトボール部で監督の男性教師から体罰を受けた。空振りやエラーのたびにビンタされ、フライを捕れないと「消えろ」「死ね」。たたかれながら教師の気が済むのを待ったという。 「ミスした自分が悪い」と思い込み、親にも相談できなかった。部活をしないと高校受験で不利との理由で、退部もできなかった。 数年前、同僚の教師が子どもを怒鳴りつける様子を見るなどして、不眠や吐き気がでて精神科を受診。PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断され、「中学時代の体罰が関係している」と医師に言われた。 女性は「自分の指導力不足で子どもが動かないのに、脅して動かそうとする指導者が少なくない。体罰がいかに心に長く傷を残すかを実感しており、私は絶対に子どもに体罰をしない」と話す。 文部科学省は体罰を「受けた生徒のみならず、その場に居合わせて目撃した生徒の後々の人生まで、肉体的、精神的に悪い影響を及ぼす」としており、学校教育法でも禁止している。なぜ、なくならないのか。■「成果」出した指導者、異動させず 早稲田大の友添秀則教授(スポーツ倫理学)は、「勝利至上主義」を挙げる。スポーツで知名度をあげようとする学校は少なくなく、指導者は全国大会での活躍が仕事上、「必須」。生徒側も好成績を残せば進学につながる。結果を出した指導者をブランド力をあげるために長年異動させない結果、他者がものを言えない状態になるケースも少なくない。こうした環境だと「勝つためには何をしても許される」と指導者が勘違いしがちだという。 また、「体罰が嫌な人はスポーツをやめ、『愛情だった』などと肯定的に捉えた人がスポーツ界に残って指導者になるため暴力が再生産される」という。 大阪体育大(大阪)では、スポーツ指導での暴力根絶を目指す講義「運動部指導実践論」を、土屋裕睦(ひろのぶ)教授(スポーツ心理学)が開いている。「ミスを繰り返す選手を走らせるのは体罰か」といった実際の指導で起こりうる場面を想定し、体罰の是非を学生が議論。授業後には体罰否定派が増えるという。 部活の「自治」を提唱するのは、関西大の神谷拓教授(スポーツ教育学)。「部の目標や方針」「練習の内容」「出場メンバー」などを、子どもが中心になって決める。宮城や山梨の学校で実践してきた。「みんなで話し合う場を設けることで体罰は抑止できる」と話す。 いま体罰に苦しむ子はどうしたらいいのか。「自分が悪いと思わず、まずその場から離れる。教育委員会やスクールカウンセラーなど複数に相談し、しっかりと対応してくれる大人を探して欲しい」と話す。(坂東慎一郎、吉田博行、長富由希子)学校という場で被支配状態の子どもが教育委員会などに相談することは至難の技だ。どの教師がどのような指導をしているかは、同僚の教師や管理者が注意深く見ていたらわかるはず。教育が子どもに及ぼす影響を少しでもわかっているなら、学校内で体罰やいじめ抑止のための真剣な取り組みが一番大切だと思うのだが。
2019年07月03日
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今年も、札幌学院大学のコミュニティカレッジを受講している。今回受講申し込みをしたのは、「愛国心と道徳教育を考える」。講師の安岡先生のことを私はとても尊敬しているし、お話にもとても共感するので今までも何回も受講している。しかし今回は、4回の講座なのだが、残念ながら一回目と最終回は受講できない。(昨日、三回目を受講してきた)1・2回目は若原先生(生物学)のお話で、愛国心と生物学でどんなお話をされるのかと興味があった。二回目しか聞いていないのだが、人類の発生やその広がりの過程や、どのように現代人まで続いてきたのかということから、「人種と差別の問題」がどのように力の強い征服者たちの国家形成につながるかなど、予想以上に面白く考えさせられた。そして、昨日の三回目は安岡先生の「身びいきと愛国心の心理学」。もちろん、とても考えさせられる内容だったが、その概要を書く時間も力もないので、特に記録しておきたいものを書いておく。最近の「〇〇ファースト」は、エスノセントリズムethnocentrismだというところから話は始まった。私はこの英語は知らなかったのだが、「自民族中心主義」といわれたら、とてもよくわかる。何にでも功罪はあるのだが、最近の世界はその傾向が強まってブレーキがかからなくなっているような気が、私にもしていたからだ。そんな話の中で、ビアス(Ambrose Bierce)の「悪魔の辞典」の中から、「愛国者」と「愛国心」の項を紹介してくださった。【愛国者】 少数の利益の方が、全体の利益よりも大事なように思える人間。政治家にバカみたいにだまされ、征服者には手もなく利用される人間。【愛国心】自分の名声を輝かせようとする野心家なら誰でもたいまつを近づけるとすぐに火がつくがらくた。ジョンソン博士(イギリスの文豪、1755年に英語辞典を完成。1709~1789)の著名な辞典によると、愛国心は悪漢の最後の拠り所と定義されている。教養深い、しかしながら二流どころのこの辞書編纂者に対して、まことにはばかりながら、小生は最後の拠り所とし愚考することを許されたい。(以上、安岡先生のレジュメから転記)まだまだ紹介したい言葉もあるが、時間がないのでここまで。若原先生がブログを書いていた。
2019年06月14日
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高1自殺、顧問の責任否定 アンケート廃棄「苦痛与えた」 札幌地裁04/26 01:15 更新 北海道新聞 2013年3月に札幌市の道立高校1年の男子生徒=当時(16)=が自殺したのは、所属する吹奏楽部のトラブルで当時の男性顧問教諭から叱責(しっせき)されたのが原因として、生徒の母親が道に約8400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が25日、札幌地裁であった。高木勝己裁判長は顧問による叱責などの指導に問題はなかったとして自殺に対する元顧問の責任を否定した。一方で高校が自殺の原因を調べたアンケートを廃棄したことで原告に精神的苦痛を与えたとして、道に110万円の支払いを命じた。 判決によると、13年1月に生徒と他の部員がメールのやりとりでトラブルになった際、元顧問は生徒のみを叱責し、全部員の前で謝罪させた。3月にも生徒が行った別の部員に関する発言について「俺なら黙っていない。おまえの家に怒鳴り込み、名誉棄損(きそん)で訴える」などととがめ「他の部員に一切メールをしないこと」を部活に残る条件として要求。生徒はその翌日に自殺し、原告は16年3月に提訴していた。 判決理由で高木裁判長は、生徒のメールは全部員を動揺させ、発言も他の部員の名誉を傷つける可能性があったと指摘し「指導の必要があり、方法も違法とはいえない」と判断。「指導が自殺のきっかけとなったことは否定できないが、原因は複雑かつ多岐にわたる」と述べ、自殺との因果関係は認めなかった。 一方で高校が、在校生アンケートを道教委が定める保管期限5年を待たずに廃棄したことは「自殺の原因に対する有益な情報を確認する機会を失わせ、多大な苦痛を与えた」などとして賠償を命じた。 原告側は「控訴を検討する」とし、道教委は「判決の内容を十分検討し、今後の対応を判断する」とコメントした。(中秋良太、松下文音)関連記事札幌・吹奏楽部指導死訴訟 同級生が証言「顧問は、一切、連絡をするなと言っていた」孤立していく様子が明らかに この時点で裁判所から開示を命令されていたのに、道教委は破棄させていた。顧問や学校側に不利なことが書いてあるから破棄したと考えるのが妥当だろう。ご遺族の悔しさや悲しみを考えると、言葉がない。体罰後に自殺した生徒の先輩らが語る学校・部活の体質―シンポジウム「きょうだいらが語る『指導死』」より(上)恣意的・感情的な指導、配慮に欠けた指導直後に自殺した子どもたち―シンポジウム「きょうだいらが語る『指導死』」より(下)↑この記事に、自殺した生徒の姉が証言をしている。
2019年04月26日
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私がこのブログを書くようになったきっかけは、通信教育で慶応大学文学部を卒業した体験が、後輩の人たちに少しでも参考になったりエールになればいいと思ったからである。ブログ開始が2003年6月だから、卒業から三年くらい経ってからだ。私にとって、通信で慶応を卒業することはそれなりに苦労があったけれど、その日々は間違いなく私の青春時代だった。実際の青春時代は決して明るく楽しいものではなく、勉強だって楽しかったという記憶はない。義務のように学校に行き、福祉系の大学に行きたかったけれど親の反対で諦め、急遽決めた短大の食物学科も、興味の湧かないだけではなく全然向いていない科目が多く、たった二年だと頑張ってはみたものの、その他の要因も加わり不登校→鬱状態で、嫌でたまらなかったその短大をめでたく退学。その後は、何とか初志貫徹というのだろうか、福祉畑をウロウロして仕事をし、その間に結婚、子育て、仕事の挫折を繰り返し、天職だと一時は思った仕事も煮詰まって退職。その間に、常に心に占めていたのは「ちゃんと学んでいない」というコンプレックス。それの解消のためとは言わないが、最後の仕事の頃に出会った大学生に大学で学ぶ楽しさを教えてもらい、学びたい意欲が沸き上がっていたので退職を機に慶應通信課程に入学。なぜ慶應を選んだかといえば、当時次男が東京に就職したので、東京でのスクーリングを理由に息子の様子を見に行けると思ったこと。それに、多分途中で挫折するかもしれないので、どうせなら慶應大学の教授の講義をスクーリングで聞きたいと思ったことと同時に、「あの有名大学の学生に一度はなってみたい」という思いもあった。最初の頃は、次々と届くテキストを読むことにも苦労し「私には無理かも…」とすでに諦めの境地。それでも、スクーリングを理由に息子の様子を見に行くことと、「スクーリングで講義を聞きたい」という二つの理由で東京に出かけた。そこでの講義は私の期待以上のもので、たとえ卒業できなくてもこれで十分とさえ思った。それに、その時に出会った通信仲間の姿は、自信を失いそうな私を強く叱咤激励したくれた。私以上に年齢の高いと思われる人も沢山いたし、仕事をしながら頑張っている人も多かった。明らかに重い障害を持っていると思われる人も、何人も見かけた。そのような人たちが、昼休みに大学の中庭の木陰で楽しそうに談笑していて、その姿にとても感動し、「少しは頑張ってみるか」というモチベーションを高めることができた。帰宅してから覚悟を決めて勉強に取り組み始めたのだが、一番苦労したのは英語だった。とにかくテキストが理解できない状態で、中学校のできるだけわかりやすい参考書を買い、それを勉強することから始めたのだった。それでもやっぱりテキストをちゃんと理解をするには独学は無理と思い、当時大学で英米学科に在学していた長男が帰省した時、バイト料を払ってつきっきりで教えてもらった。これがなければ、私は英語の壁をよじ登ることはできなかっただろう。そんなわけで、私は10年で卒業することを目標にしたのだが、幸いなことに7年で卒業することが出来た。しかし、スクーリングや慶友会で出会った人の中には、途中で挫折した人もいたと思う。卒業してわかったのは、通信での卒業は私にとって予想以上の自信となり、その後の生き方に大きな意味があったので、せっかく入学したなら簡単に諦めずに卒業してほしいと思った。「この私でも卒業できたのだから、諦めずコツコツ続けていたらきっと卒業できるよ」それを伝えたくてこのブログを書き始めたのだ。しかし、卒業後ずいぶん経ってしまったので、左側の通信関係の記事はある時期に消してしまった。「復習のページ」だけは、自分の復習の意味で残しているが、私にとって単位を取るためのレポート作成は本当に大きな学びとなり、今現在の考え方の基礎になっているからだ。そんなわけで、もう通信関係の記事はほとんど書いていないのだが、今回リンクしているqueen_yさんが卒業されると知ったので、「おめでとう」のコメントをした。するとそのお返事に、「入学当初、みらいさんのブログを見つけて、ものすごく参考にさせていただきました。楽天ブログを始めたのもみらいさんのマネです(^^;;」と書かれていてビックリ。一人でも私のブログが参考になったと言ってくださる人がいたと思うと、本当に嬉しかった。queen_yさん、5年での卒業は本当にすごいことですよ。どれほど頑張られたか、私にはよくわかります。それだけ頑張れたという体験は、これからの人生の大きな糧となること間違いなしです。生きていると色々なことがあり、思いがけないことだって起きるし、年々自分も高齢化します。それでも、たとえ寝たきり状態になっても、私はあの頃のことを思い出すことさえできれば、きっと前向きに生きることができそうな気がするのです。諦めないこと、精一杯努力していたら必ず助け手が現れること、知らないことを知る喜びは、どんなに年が取ろうと手に入れることが出来ること。私にとっての卒業には、そんな意味がありました。それを思い出させてくれたqueen_yさん、ありがとうございます。今後のご活躍をお祈りしています。
2019年03月10日
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昨年末に読んだ本。これは紹介しておかなくちゃ。学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ― 単行本 – 2018/12/1 工藤 勇一 (著) 《内容紹介》東京のど真ん中に学校の常識をみんなひっくり返している公立中学校長がいる! 宿題は必要ない。固定担任制も廃止。中間・期末テストも廃止。多くの全国の中学校で行われていることを問い直し、本当に次世代を担う子どもたちにとって必要な学校の形を追求する、千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長。自ら学習し、将来を切り拓く力は「自律」。大人が手を掛けすぎて、挙句の果てに、何でも他人のせいにするようなことにならないよう、中1から中3までの授業や行事を組みかえる。生徒や保護者に強く支持される学校づくりの全貌がここに。【本書内容より】現在、取り組んでいる千代田区立麹町中学校での実践の多くは、ありがたいことに、注目を浴びつつあります。「宿題を出さない」「中間・期末テストの廃止」「生徒主体の体育祭」…。初めて聞く方は、おそらくびっくりされると思います。しかし、なぜこうした取り組みをしているのか、その考え方を話すと、皆さん、たいてい納得して下さいます。「目的と手段を取り違えない」「上位目標は何か」「自律のための教育」「進取の気性」私は、こうした言葉で麹町中学校の取り組みを説明しています(その一部は、学校のホームページにも資料として掲載しています。ぜひご覧ください)。これらは、昨日や今日、思いついたことではなく、山形で教員を始めた頃の考えや、その後、東京都の中学校の教員となり、目黒区、東京都、新宿区の教育委員会で指導主事等として経験してきた中で、ずっと考え続けてきたことでもあります。それは、自分自身の習慣や考え方を「剥ぎ取る」作業でもありました。(はじめにより抜粋) 内容(「BOOK」データベースより)「みんな仲良く」と教室に掲げても、子どもたちは仲良くなりません。他者意識のない作文、目的意識のない行事すべて、やめませんか。宿題は必要ない。クラス担任は廃止。中間・期末テストも廃止。何も考えずに「当たり前」ばかりをやっている学校教育が、自分の頭で考えずに、何でも人のせいにする大人をつくる。 著者について1960年山形県生まれ。東京理科大学卒。山形県中学校教諭、東京都中学校教諭、目黒区立目黒中央中学校副校長、新宿区教委指導課長を経て、2015年4月より現職。教育再生実行会議委員、経産省「ed-tech委員」、文科省若手有志による「教育長・校長プラットフォーム発起人」等、公職を歴任。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)工藤/勇一1960年山形県鶴岡市生まれ。東京理科大学理学部応用数学科卒。山形県公立中学校教員、東京都公立中学校教員、東京都教育委員会、目黒区教育委員会、新宿区教育委員会教育指導課長等を経て、2014年から千代田区立麹町中学校長。教育再生実行会議委員、経済産業省「未来の教室」とEd Tech研究会委員等、公職を歴任。『学校の「当たり前」をやめた。―生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革』が初の著作となる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 昨年末、新聞広告でこの本を知り、Amazonで購入した。千代田区立麹町中学校の校長先生の本である。以前のブログにも書いた、大阪市立大空小学校と同じ、公立の中学校である。この二つの学校の実践を知ると、「公立だから難しい」というのは単なる言い訳に過ぎないということがよくわかる。もちろん、地域や諸々の条件でこのような取り組みがどこでも可能というわけではないだろうが、校長をはじめとする管理職が、子どもの成長には何が必要かというはっきりした教育目標や理念を持ち、学校はそのために何を取り組めばいいのかと教職員に納得させて取り組めば、少なくても学校現場で起きている悲しい状況は変えることが出来るように思う。私は、学校や教育委員会と話し合う機会が多かったのだが、どうしても子どもを一番の中心に据えて取り組んでいるという信念が感じられず、何とも歯がゆい思いを何度もしてきた。学校の先生たちも、子どもの未来のためになるのだという確信を持ちながら教育に携わりたいはずだ。長年の学校の常識を、教育関係者だけではなく保護者一人一人も考えなくてはならないだろうと思う。
2019年01月09日
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数日前に、下記のエッセイというか文章を知人からいただいた。講座での付録資料で、精神分析医である安岡先生の文章なのだが、とても興味深いし納得できるものなので、ここに転載させていただく。フェイク・ニュース(fake news) このところ全世界的に虚偽の情報、議の話がまことしやかに飛び交って、人々を戸惑わせている。いわゆる、フェイクニュースの氾濫である。それは主に政治的意図に基づいているものが多い。そのため、諸国民の人々の「真実を知る」ことへの混乱と困惑、それによる人々の認知と行動選択に悪影響を与え、人々の有害な対立と分断、亀裂をひきおこしている。マスコミもそれに意識的、無意識的に報道不信を助長するような嘘に加担するがごときにいたっては、私は内心に怒りさえ覚えている。 上記のことは、もちろん今に始まったことではない。昔からよくあることなのである。私が若年の頃は、とくに、アメリカ(CIA)とソ連(KGB)の両大国の政府(諜報機関) が虚偽の情報を意図的に垂れ流し、それを大義名分にして、自分の意に反する他国に対して不正義の戦争やテロや介入支配を陰謀的に行なってきたことを数え上げれば枚挙にいとまがないほどであった。ヴェトナム戦争、イラク戦争だけをみてもそれは明らかであろう。その度に、政府の嘘を国民に信じ込ませるように、マスコミ操作や「印象操作」をしてきたのは常に権力側であったし、現在もその本質に変りないことが続いている。だから、今更、私にとっては驚くべきことではないのである。 ところで、最近でも、事態の本質は変わらず、否、なお一層深刻さを増しているように見える。アメリカのトランプ大統領の「ロシア・ゲート疑惑」をめぐるゴタゴタは、大統領自身“faker’’であることを示している。ひとつ他国の例をあげれば、先のフランス大統領選挙では、トランプ系のアメリカ人(すでに特定されている)が、マクロン候補を中傷する嘘のスキャンダル(フェイクニ主置ス)をでっちあげ、発信し、それに便乗した右翼ルペン候補支持者が拡散させた。幸い、それが投票前に白日のもとにさらされたので、マクロンが圧勝し、ルペンは自ら墓穴を掘るかたちでi参敗した。フランスでは正義が、まだ健在であったことを証明している。 さて、日本はどうであろうか。 現在、森友学園、加計学園スキャンダルに象徴されるように、現・自公政権、政府にとって「不都合な真実」を隠蔽するのに必死のようである。せいぜい「黒塗りの文書」で訳のわからぬお茶のにごし方で逃げまくり、 一方で、平気で嘘をつき、ごまかしを言う算段に躍起になっている。子どもだましの平然たる傲慢な態度で、恥の上塗りをしている。というより、 「恥知らず」である。それば「犯罪人」として刑務所行きを恐れているというのが、「政治的責任」よりもっと恐いからであろう。 そうした政治家や官僚(とくに、警察官僚)の-部、政権への太鼓もち連中は、心の中では自分が嘘をついていることは多少とも意識はしているのであろう。ただ、正直に真勢にそれを認めることは破滅と考えていて、出来ないだけのことであろう。 人は、言葉によって嘘はつくことができるが、体(顔、表情、眼つき、動作など)は嘘がつけないように人間の心はできているのである。このことに、例外はない。 その点では、彼らにある種の「同情」を禁じえないのは、人は嘘をつき誤魔化すことは、身体表現にぎこちなさとして表われるばかりでなく、どこか心苦しく、後ろめたく、罪の意識から一生逃れることは決してできないからである。 とはいえ、一見、例外にみえる言動を示す者がいる。それは、 「狂信者」と「確信犯」で、その殆どは人格障害か精神病障害に属する人たちである。彼らば自分の虚偽の言動に全く反省も疑問も、恥や罪の意識をもたず、否認する。平たく言えば、 「自分が変である」ことに全く気づかないか、気づこうとはしないのである。「病誠の欠如した精神障害者」と精神医学では記載される状態である。つまり、深刻な心の病理をもった人たちなのである。 つまり、治療の対象となり、医療によって癒し救わなければならない人ならということになる。その点でも、 「同情」に価するのである。 人間が人間で真にありうるのは知性と理性を身につけていることにある。その最低限の条件は、 「嘘をつかない」という道徳心である。また、真実を大切にし、真実の前に謙虚となることである。 真実あるいは真理とは、「神」や「仏」と同義である。そのことを理解できぬものは単なる野獣に近い存在であり、「悪魔的存在」にすぎないことを証明することになろう。ただ、「悪魔は天使の顔をしてやってくる」ので、人々はだまされやすくなる。善人ほどだまされる危険が高いことは記憶しておいてよい。 ちなみに、蛇足であるが、フェイク(fake)とは詐欺師をも意味し、フェイカー(faker)とは偽造者、ペテン師を意味することをつけ加えておく。〔平成29年(2017) 6月24日〕フェイカーの見分け方や付き合い方をもっと知りたいものだ。
2018年11月17日
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「人はなぜ嘘(うそ)をつき、人はなぜ騙(だま)されるのか? ―「嘘」と「だまし」の心理と病理」の二回目今回は、様々な「嘘」の分類と言うか病理についての考察。各種のパーソナリティー障害や病気によって嘘をつく場合は多いのだが、その中で思わず笑ってしまったのは「自己愛性パーソナリティー障害」の診断基準を見た時。DSM-IV-IRにおける「自己愛性パーソナリティー障害」の診断基準誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲望、共感の欠如の広域な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況 で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。 1.自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないのにもかかわらず優れていると認められる ことを期待する)。2.限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空 想にとらわれている。3.自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または団体で)しか理解されない、または関係がある べきだと、と信じている。4.過剰な賞賛を求める。5.特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。6.対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。7.共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、 またはそれに気づこうとしない。8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。9.尊大で傲慢な行動、または態度。どこかの大統領はぴったり当てはまるんじゃないでしょうか?いえいえ、日本の政治家たちだって…。
2018年10月11日
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札幌学院大学コミュニティカレッジ、安岡誉先生の講座人はなぜ嘘(うそ)をつき、人はなぜ騙(だま)されるのか? ―「嘘」と「だまし」の心理と病理この先生の講座を受講するのは何回目になるだろうか。昨年までは、札幌の大通沿いに受講会場があったのだが、今年からは札幌学院大学本校での開催になったので、受講するかどうか迷っていた。今まで一緒に受講していたのは、うつ病で療養中のTさん。その彼女から、「受講しませんか?」とお誘いメールが届いた。彼女が自分から私を誘うなんて、今までなかったように思う。それがとても嬉しくて、講座開催時期は他の用事とも重なる日もあったのだが、彼女の気持ちを無にしないためにも受講することにしたのだ。(講座概要) 昨今、「おれおれ詐欺」が跡を絶たず、政治の分野では「公文書改ざん」や「偽証」、「ごまかし」などの事実の「隠蔽」、それに世界では「フェイク・ニュース」の氾濫など、世の中は「嘘とだまし」のオンパレードといった状況です。 本来、人は嘘をつき、嘘にだまされやすい存在です。今回は、そうした人間のこころの特性について、分析し理解を深めてまいりたいと思います。札幌学院大学は江別市になるので、なんだか遠いような気がしていたが、行ってみたら電車やバスで乗り継いでも結構近くてビックリ。大学の学食で落ち合ってランチをしてから受講したのだが、学食は低価格でメニューも豊富で嬉しくなってしまう。大学の学食の利用は、慶應のスクーリングで利用して以来のような気がする。講座もとても興味深い話満載で、私は三回目までしか受講できないけれどとても楽しみである。
2018年10月03日
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フリースクール札幌自由が丘学園が、困窮家庭への授業料補助を目的としたクラウドファンディングを始めている。子どもたちが学校に行けなくなった時、学校に代わる学びの場はとても少ない。公的な場として、自治体が開設する教育支援センター(旧適応指導教室)があるが、もともとが「学校復帰を目的とする」ために開設されてきた経緯もあり(現在は、文科省でも「学校復帰を目的としない」というようになっているが)主たる指導員は教職退職者(それも学校長など)なので、学校で辛い体験を持つ子たちにとっては必ずしも行きやすい場とはなっていない。それに代わる学びの場として様々なフリースクールがあるけれど、これも公的な補助はなくて保護者の授業料や寄付などに頼って運営しているところが多いと思う。それも、人口の多い首都圏に限られているので、地方の子どもたちは行きたくても行けない場合がほとんどだろう。その都会(道内ではほとんどが札幌・旭川・函館あたりかな)においても、昨今の所得格差や単身親家庭の増加で、授業料の負担が苦しい家庭が増えている。札幌自由が丘学園では、今までも収入に応じた「授業料等減額措置」を行っていたが、利用を希望する家庭が多く学園の経営状態を圧迫しているという。それでクラウドファンディングで支援を呼びかけることになったらしい。多分、他のフリースクールでも似たような状況で、それぞれが何とか子どもたちが通えるようにと頑張っているだろうが、私達としては気付いたものが可能な範囲で支援するしかない。もしも共感いただけて協力できる方がいたなら、よろしくお願いします。
2018年09月14日
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色々と腹の立つニュースが続いているが、これだけはどうしても記録しておこう。女子は減点「差別許せぬ」 憤る道内生徒ら 東京医大入試不正疑惑 北海道新聞 8/3(金) 6:10配信 東京医科大が一般入試で、女子受験者の得点を意図的に一律で減点していたとみられることが明らかになった。結婚や出産で医師を辞める例が多い女性の合格者数を抑えて医師不足を防ぐ目的があったとみられ、医師を目指す道内の受験生や女性医師らからは「妊娠、出産は当然の権利なのに」「性別を理由にした差別は許されない」と憤りの声が上がった。 「努力しているのに、性別が理由で減点されたならひどすぎる」。医師志望の札幌市東区、札幌北高3年井沢莉子さん(17)は怒りを込めた。予備校に通い、1日約10時間は受験勉強に励んでいる。「同級生にも医師志望の女子は多い。男女で差別されるのは許せない」と話す。 浪人しながら医師を目指す札幌市手稲区の西山綾音さん(19)は「妊娠や出産は当たり前の権利。こんな時代でも男女差別があるなんてショック」。私立大医学部を目指す同市中央区の古畑花さん(21)は「女性だからこそできる医療もある。性別で差別されるのは理不尽。『女性は結婚して仕事を辞める』とみられる風潮はまだある」と憤る。 道の16年の調査によると、道内の女性医師の割合は15・2%。年々増加しているものの、都道府県別で全国最低水準だ。女性医師の約6割が20~40代前半に集中する。定年がないことを考えると、出産や育児で離職を余儀なくされ、職場復帰できていない例が多いとみられる。妊娠出産でやめる女性が増えて医師不足になるという理由だけじゃないだろう。(それも理由にはなっていないし、女医が働き続けることが出来る環境を整えればいいことだ)「女性医師が増えて男性医師が少数派になるのがイヤ」だったんじゃないか?それにしても、こんな時代錯誤がまかりとおっているなんて、信じられない。私でも腹が経つし悔しいのに、この医大を受験して落ちた女子学生は、どれほど悔しいことだろう。最低でも昨年度の入試については情報を公開し、このことで不合格になった女子学生の救済を考えてほしい。そして、それで不合格になるべきだった人にも、ちゃんとそのことを伝えるべきだろう。退学させろとまでは言わないが、可能な限りの不合格者へのフォローをお願いしたい。
2018年08月03日
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東京医科大が「裏口入学リスト」 記号で優先度示す07/16 16:17 更新 北海道新聞 私大支援事業を巡り受託収賄容疑で文部科学省の前科学技術・学術政策局長佐野太容疑者(58)が逮捕された事件に絡み、前理事長らが贈賄の疑いを持たれている東京医科大で、過去に点数を操作して不正に合格させる受験生の氏名などを記したリストが作成されていたことが16日、関係者への取材で分かった。 東京地検特捜部は既に複数のリストを入手。過去にも「裏口入学」があった可能性があるとみて調べている。 関係者によると、リストは臼井正彦前理事長(77)の指示で作られたとみられ、合格の優先度を示す「◎」「〇」などの記号も書かれていた。2次試験の小論文で毎年10~20人の受験生の得点を加点していたといい、大学関係者の親族が含まれていた年もあった。合格に至らない受験生もいた。 佐野容疑者は2017年5月、臼井前理事長から東京医科大を文科省の「私立大学研究ブランディング事業」の対象校にするよう取り計らってほしいと頼まれ、その謝礼と知りながら、今年2月に実施された医学部医学科の入試で息子を合格させてもらった疑いがある。 東京医科大は17年度の対象校に選ばれ、助成金を受給した。佐野容疑者の息子は1次の筆記試験で得点を加点されたとみられる。 関係者によると、佐野容疑者は、元医療コンサルティング会社役員谷口浩司容疑者(47)=受託収賄ほう助容疑で逮捕=も交えた会食で、東京医科大を目指していた息子について「よろしく」と臼井前理事長に伝えた。同じ場で、支援事業の応募時に提出する事業計画書の書き方をアドバイスした。ひょっとすると、氷山の一角じゃないんでしょうか。地球温暖化の影響は、この氷山も崩し始めているのかな?大学だけではなくて、黒やグレーの氷山は日本各地にあると思うのでそれは崩れてほしいけど、本物の氷山は頑張っていてほしい。
2018年07月17日
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いつも拝見している札幌からのたよりさんのブログで、下記の記事を知った。早稲田大学 水島朝穂のホームページから「ゆがめられた行政」の現場へ—獣医学部新設の「魔法」まだ全文をしっかり読んでいるわけではないが、あまりにもひどい加計学園のレポートだ。水島氏は憲法学者であるが「獣医の4代目を継がずに憲法研究者になったという事情があり、また、息子が獣医学部卒で、獣医師をやっている」とのことなので、そのレポートにも信頼性があると思う。とにかく、「図書館の書架に本がない」って、それで大学と言えるのだろうか。続きは可能なら後で書きます。
2018年07月11日
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今日は、朝からパソコン作業。来月の事業に向けての、様々な依頼文書等の作成発送のための準備作業である。印刷の合間にネット記事などを見ていて、文春オンラインの下記の記事を見つけた。前川喜平 前事務次官“初告白”「完全に右翼だった軍歌少年時代」前文部科学事務次官・前川喜平 2万字インタビュー #1前川喜平 前事務次官が語る「思想的には相容れない、加戸守行さんのこと」前文部科学事務次官・前川喜平 2万字インタビュー #2安保法制反対デモに参加した事務次官 前川喜平が語る「安倍政権下の“苦痛な仕事”」前文部科学事務次官・前川喜平 2万字インタビュー #3ついでにこれも前文部科学事務次官いわく、ネトウヨは「教育の失敗」前川喜平×寺脇研『これからの日本、これからの教育』を読む実はまだ、全部を読んではいない。時間がある時に、ゆっくり読もうと思ってメモ代わり。
2018年06月22日
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神戸・中3自殺メモ 「先生、腹くくってください」市教委、校長に隠蔽指示6/3(日) 22:50配信 神戸新聞 事務処理が煩雑になる-。2016年10月に神戸市垂水区で起きた中学3年の女子生徒=当時(14)=の自殺を巡り、神戸市教育委員会の首席指導主事が当時の校長に、直後の聞き取りメモの存在を隠蔽するよう指示した理由は、遺族にとって「信じられない」ものだった。何度も訂正する機会はありながらうそにうそを重ねた対応に、市教委幹部らは「縦割りなど組織的風土の問題」とうなだれた。 問題の発端は、17年1月の情報開示請求だった。当時、一貫して遺族対応に当たっていた首席指導主事。市教委によると、メモは重要視していなかったとみられ、遺族に渡された資料に含まれていなかった。 同2月末、不審に思った遺族が改めて情報提供を求めたが、首席指導主事は当時の校長に「いまさら出すことはできない」などと隠蔽を指示したという。再度の情報開示請求や、第三者委員会の報告書完成が遅れることを恐れたとされ、遺族との関係悪化を心配した校長も同意した。 同3月に神戸地裁が証拠保全決定を出し、事態はさらに複雑化。提出しなくていいか尋ねた当時の校長に、首席指導主事は「先生、腹くくってください」と隠すよう促したという。さらに、こうしたやり取りについて、上司らに相談や報告をしなかった。 昨年8月、現校長がメモの存在を市教委に報告した後も、首席指導主事は「メモは存在しないはず」と答えたという。事態を把握した上司らも「内容は第三者委の報告書に反映されている」などと、メモを半年以上放置した。 遺族は「首席指導主事は遺族の窓口となる立場で、なぜこんな対応をされたのか信じられない」とし、市教委の一連の対応についても「本当に個人の責任なのか」と憤った。 一方、文部科学省は17年3月、いじめの重大事態の調査に関するガイドラインで、手書きのメモも公文書に該当する場合があるとして、保管を求めている。市教委は今回のメモが公文書に当たるか調べており、長田淳教育長は「(ガイドラインが出る前とはいえ)非常に不適切な取り扱い。コンプライアンス遵守も含め、組織を変えていきたい」とした。(広畑千春)私が最初に「いじめによる自殺」を意識し始めたのは、鹿川君いじめ自殺事件のニュースからだったと思う。物忘れが多い私が、今でも「鹿川君」という名前を憶えているから、当時かなりのショックを受けたのだろうと思う。今検索したら、中野・富士見中学いじめ自殺事件をみつけた。1986年というから、もう30年以上も前のことである。あれから、何人の子どもたちがいじめで自らの命を絶っているだろう。それが発覚するたびに、学校や教育行政は謝罪したり再発防止を誓ってきたけれど、それはその場限りのことで、抜本的な対策になっていないからこのように繰り返されている。日大アメフトの違反行為のニュースを見た時、私は「これは氷山の一角」と感じていた。その氷山はますます肥大化しており、教育の場だけではなく、様々な分野と連動・連結しているように感じる。このようなニュースを見るたびに、私は「またか!」と呟いている。
2018年06月04日
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この件は、現在の大学生スポーツやのみならず、小学校の部活や学校でのいじめも含めて大変重要な問題をはらんでいると思うので、記録として書いておこう。部活動が健全なものと変わるターニングポイントとなってほしいと願っている。日大アメフト部が声明文 仲間救えず「私たちの責任はとても重い」「指示に盲目的に従って…」5/29(火) 17:05配信 日本大アメリカンフットボール部の守備選手による悪質な反則問題で、29日、選手一同が声明文を発表した。「大切な仲間であるチームメイトがとても追い詰められた状態になっていたにもかかわらず、手助けすることができなかった私たちの責任はとても重い」とした。 声明文の冒頭で「ケガを負ったQBの選手とご家族の皆さまにお見舞いを申し上げるとともに、関西学院大学アメリカンフットボール部関係者の皆さま、関東学生アメリカンフットボール連盟その他の関係者の皆さまに、多大なご迷惑とご心労をおかけしてしまったことを、私たち日本大学アメリカンフットボール部選手一同、心よりお詫び申し上げます」と謝罪。 反則をした宮川泰介選手(20)に対して「大切な仲間であるチームメイトがとても追い詰められた状態になっていたにもかかわらず、手助けすることができなかった私たちの責任はとても重いです」と打ち明け「これまで私たちは、監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきてしまった。それがチームの勝利のために必要なことと深く考えることもなく信じきっていました」と組織、体制の問題点を挙げた。 今後については「私たちは、日本大学アメリカンフットボール部全体が生まれ変わる必要があることを自覚しています。今後、具体的に何をしていかなければならないかについては、これから選手一同とことん話し合って決めていきたいと思います」と誓った。 「そして、いつか、私たち日本大学アメリカンフットボール部が、部の指導体制を含め生まれ変わったと皆さまに認めていただいた時には、私たちが心から愛するアメリカンフットボールを他のチームの仲間たちとともにプレーできる機会を、お許しいただければ有難いと思っています。また、そのときには、もし可能であれば、私たちのチームメートにも再びチームに戻ってきてもらい、一緒にプレーできればと願っています」と切なる願いを記した。【日大アメフト部声明文全文】指示に盲目的に従順 ふがいない姿勢が一因 深く反省 チーム改革実行に一丸 この問題が発生して以来、私は忙しかったこともありブログに取り上げることができなかった。しかし、その動向はとても気になっていたので、テレビや新聞等は見ていた。そして、解説者などが「教育者なのに」とか「学生を守らないなんて」というような批判を聞くたび、「学校は問題が発生した時には子どもを守らない方が多いよ」「組織や力のある人たちは、何かあると保身に走り弱いものに責任転嫁するのだよ」と、ブツブツ呟いていた。そして、どうしてそのような学校の体質(これは日大に限らないはず)にもっと踏み込まないのかと苛立ってもいた。昨日、学生たちの声明文を読み、これは精一杯の意思表示で異議申し立てだと感じていた。また、一人の学生の勇気ある行動と謝罪に、やっと自分たちの問題に真剣に向き合ったことに、希望を感じもした。声明文を読んだのは「関東学生アメリカンフットボール連盟」の記者会見の前だったので、このような学生たちの悲痛な訴えに、大人たちがまっとうな判断や反省の姿勢を見せてほしいと祈るような思いだった。この状況になっても、大人の判断というか潔い態度を示すことが出来ず、ものごとをうやむやにするようなことがあれば、学生たちは大人社会への不信感や無力感の中で、真の倫理観・道徳観を学ぶことが出来ない。そして、関東学生アメリカンフットボール連盟の会見があった。日大・内田前監督の供述「虚偽」と認定 「インカム落とした」言い訳もあった 日大アメフット部による悪質な反則タックル問題で、関東学生アメリカンフットボール連盟(関東学連)が29日、臨時理事会を開き内田正人前監督、井上奨前コーチを事実上の永久追放にあたる「除名」処分とし、社員総会での承認を求めることを発表した。事実認定の上でタックルを実行した宮川泰介選手と内田氏、井上氏の指導者との主張に矛盾が生じている点について、基本的には内田氏らが嘘をついていると事実認定をした。 選手と指導者の間で矛盾があることを関東学連の規律委員会は4点にまとめて事実認定をした。 (1)「QBをつぶせ」という指示に込められた意味。 宮川選手は「けがをさせてしまえ」という指示と受け取り、直接発言した井上前コーチは「そういう気持ちでプレーしてほしい」という意図だと会見、規律委員会のヒアリングで証言している。 事実認定の中では、井上前コーチが「相手QBは友達か」と発言していることを重視し、「友達にはとてもできないようなことをしてこい」というニュアンスで、「認識の乖離は存在しないと規律委員会は断定します」とした。 (2)内田前監督の指示の有無。 内田前監督は指示をしていないと一環して主張している。井上前コーチも同様に発言していたが、規律委員会としては「内田監督を守ろうとして事実をねじ曲げている」と認定した。日大の選手が「ハマる」と呼称していた、内田前監督が集中的に選手を追い込む指導を当該選手に対して行っていたことが、複数の関係者へのヒアリングで判明しており、また、スタートリストから外れていた選手が急きょ試合に出たことからも、選手と内田前監督の会話がないとするのは不自然と認定した。 当該選手の供述は「極めて具体的かつ迫真性があり」と認め、また、反則タックルがあった直後に内田前監督が「不自然なほど冷静で淡々としていた」ことも、その証左とした。 (3)「1プレー目からQB選手をつぶす」ことが出場の条件となったか。 前項と同じく、練習から外され、メンバー表に名前がなかったにも関わらず急きょ出場したこと。また井上前コーチが「できませんでしたじゃ済まされない」と発言したことからも「『1プレー目から潰しに行け』という指示は5月6日の関学大戦に出場するための条件だった」と考えるのが妥当だとした。 (4)内田前監督は当該選手に「やらなきゃ意味ないよ」と言ったのか。 内田前監督は23日の記者会見でも「彼が何を言っているか正直、分からなかった」と出場を直訴した当該選手との会話はなかったと主張したが、規律委員会は「不自然きわまりない」と認定した。監督に直訴をした後に会話が成立しなかったのに、「そのまま帰っていくでしょうか」と指摘。「自身の関与に関わる部分は信用性がない」と切り捨てた。 また、内田前監督は規律委員会のヒアリングでも「(反則時に)ボールを見てしまった」「宮川選手は見ていなかった」ため、当該選手を反則行為の直後に下げなかった理由を説明した。さらに、ヒアリングでは「インカムを落として見ていない」とも付け加えたという。 しかし、公になっている映像などを見ると「内田監督が視線を当該選手に向けていたことは映像でも確認できます。また、内田監督がインカムをひろう動作は認められていない」と嘘が露呈。「最初の反則行為を見ていないとする内田氏の供述は虚偽であると判断します」と切り捨てられた。 こうした事情から内田前監督が反則を容認していたことが認定された。とても長時間の会見だったので全部を見てはいなかったのだが、今朝の新聞やテレビ、ネットニュースを見て、私が納得できる内容だったのでホッとした。日大、主張一蹴され窮地に 甘い学内調査、安易な否定…大学上層部の責任論不可避に 日大アメフット部による悪質な反則タックル問題で、関東学生アメリカンフットボール連盟(関東学連)が29日、臨時理事会を開き内田正人前監督、井上奨前コーチを事実上の永久追放にあたる「除名」処分、危険なタックルをした宮川泰介選手には「2018年度シーズン終了までの公式試合の出場資格停止」、チームには「2018年度シーズン終了まで公式試合の出場停止」処分を下した。 これまで日大が関学側に説明していた主張、23日の前監督、コーチの会見での主張は、今回の裁定ではほぼ一蹴された。負傷に至るような反則指示について、日大側は当初から「指導者と選手での受け取り方の乖離」としてきたが、関東学連の調査では「乖離など存在しない」と断定。23日の会見で内田前監督は、宮川選手が掛けられたと主張した「(反則行為を)やらなきゃ意味ないよ」という言葉を「言っていない」と話していたが、これも関東学連は「(前監督の)虚偽」と、断じた。今後は大学側が立ち上げる第三者委員会と、警視庁による捜査に委ねることになるが、試合の運営者であった関東学連の今回の判断は重い。 日大側はこれまで行ってきた広報レベルでの安易な否定や、学内調査の結果もほぼすべてが覆される形となった。後手後手の対応に、世間の批判を呼ぶ“悪手”を繰り返しながら、内田監督側の主張を擁護してきた大学側。理事長、学長ら幹部に対する責任論が強まることは、避けられない情勢となった。さて、これから日大がどのように対応してゆくのか気がかりである。日大には危機管理学部があるようだが、この学部について少し調べたら、うーん?という感じ。さらに、他校の危機管理学部を調べてみたら、千葉科学大学と倉敷芸術科学大学で二つの大学は加計学園だった。もう、ブラックジョークとして笑ってしまいそう。いやいや、そこで真摯に学んでいる学生たちがいるのだから、今こそ全力をあげてこの学部の存在意義を示してほしいと思う。
2018年05月30日
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「不登校新聞」の編集長である筆者の記事は、私の日頃感じていることに共通することが多い。とても説得力があると思うが、そう感じるのは私だけだろうか?学校へ行けない人はなぜ増えた? 不登校の歴史20年間をふり返る石井志昂 (『不登校新聞』編集長、不登校経験者)これ↓については、改めてビックリすると同時に、根っこは同じだろうと思う。中学生へのセクハラは20年前と比べ4倍増 背景に「校則」の影響もだいたい、下着の色を校則で決めるなどどんな理由があるのか私にもわかるように教えていただきたい。下着チェックなんてセクハラそのものではないか。ついでにこれも。いじめ発生件数は過去最多32万件、注目すべきは『うち9割が解消』という不思議学校側が「解消した」という言葉は、私は全く信用しない。解消したかどうかは、あくまでもいじめられたと感じた本人が決めるもの。「学校が取り組んで解消させた」という裏では、いじめがさらに陰湿・巧妙になったりすることが多い。その取り組みの経過の中で親子で疲弊し、諦めたり恐怖心に囚われ不登校になることがいかに多いことか。私はそのような当事者の話を聞いたときには、迷わずに断言している。「学校は心身を傷つけてまで行くところではないです。信頼できず恐怖心を感じる場所には、登校を拒否しましょう。それは自分を守る権利で、恥ずべきところではないのだから」不登校のきっかけには、部活動関連も多い。このような学校教育の結果として、現在の政治家、官僚、大学スポーツの問題も起きていると思っている。
2018年05月28日
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「アルマーニ制服」問題で文科省 選定時の競争、各校に促す 「公取委の報告書参考に」3/21(水) 13:29配信 産経新聞 東京・銀座の公立小学校が、実質的な制服に当たる標準服にイタリアの高級ブランド「アルマーニ」監修のデザイン採用を決めた問題で、文部科学省が今後の保護者の経済的負担軽減に向け、学校や教育委員会に対し、制服を選ぶ際に制服メーカー間の競争を促すことなどを求めた公正取引委員会の調査報告書を参考にするよう通知したことが20日、分かった。通知は19日付。 公取委の報告書は平成29年11月に公表。学校に期待する事項として、制服メーカーや販売店を選定する際のコンペや入札、見積もり合わせを挙げたほか、指定販売店を増やすことを求め、学校が販売価格に関わる場合の方法も示した。通知では報告書を参考にするよう要請。学校が選定や見直しを行う際には、教委が必要な指導を行うことも明記した。 アルマーニ監修のデザイン採用が発覚した際、高額すぎるといった批判が続出。中央区教委などには「公立校でアルマーニはおかしい」「買えない子はどうするのか」などの意見が数百件寄せられ、児童が見知らぬ人から服をつままれるなどの嫌がらせもあった。 この小学校の新しい標準服は今春入学予定の新1年生が対象で、上下の服にシャツ、帽子などを含めると、負担は8万円を超える場合もある。小学校でも中学校でも、一般的に制服や標準服は高いと思う。今では、体育の時のジャージや運動靴、通学バックやサブバックまで学校指定の場合が多い。また、小中学生はどんどん身長が伸びる時期なので、在学中に買い替える必要もある。この問題がニュースに流れた時、「この校長は保護者や子どものこと考えてるのか!?」と嫌になってしまった。小学生の、特に男の子は動きが激しい。私の息子たちが小学生のころ、買ったばかりの指定ジャージがたった一日で穴が開き、「結構高いのに、どうしてこんなにすぐに破れるのだ!」と腹が立ち、「同じような色で安いものではいけませんか?」と聞いたことがある。すると「絶対にダメではないけれど、できれば指定のものを」と言われ、仕方がないからあて布をしてミシンで縫った。次からは、最初から膝の部分の裏にあて布をして着せていた。幸いに息子たちはそのようなことに無頓着で着てくれたからいいけど、女の子だったり気にする子は嫌がることだろう。子どもって、そんなもんだと思うけど、銀座の子どもたちはお上品なのだろうか。(上品にお行儀よくしていたなら、それはそれで心配だと思うけど)文科省も、問い合わせをするならこっちの方が重要だろうに。
2018年03月21日
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私にとっては、財務省問題よりもこちらの方がはるかに気になる。<前川氏授業>市教委への質問、添削も 自民文科部会の幹部3/20(火) 5:00配信 毎日新聞◇池田佳隆議員、複数回照会 部会長の赤池議員も照会 文部科学省が前川喜平・前事務次官の授業内容を報告するよう名古屋市教育委員会に求める前、文科省に照会したのは自民党文科部会長代理の池田佳隆衆院議員(比例東海)で、市教委への質問項目の添削もしていたことが取材で明らかになった。文科部会長を務める赤池誠章参院議員(比例代表)が文科省に照会していたことも判明した。【伊澤拓也、西田進一郎、山衛守剛】 前川氏は先月16日、名古屋市立八王子中で総合学習の授業として講演した。政府関係者によると、同市を地盤とする池田氏は2月中旬から下旬にかけ、複数回にわたって文科省初等中等教育局に電話し、授業の内容や経緯の説明を求めた。赤池氏も照会したという。 文科省は今月1日、天下りあっせん問題による引責辞任や「出会い系バーの利用」に言及して前川氏を招いた経緯や理由を尋ね、録音データの提供を求めるなど15項目の質問を市教委にメールで送信。6日には校長の認識など11項目の追加質問を送った。関係者によると、池田氏は質問項目を事前に確認し、修正を求めたという。林芳正文科相は12日、「メールの表現ぶりにやや誤解を招きかねない部分もあった」として高橋道和・初等中等教育局長を口頭で注意していた。 毎日新聞の書面での質問に対し、池田氏の事務所は回答していない。赤池氏の事務所は20日に開かれる文科部会終了後に赤池氏が取材に応じるとしている。 一方、文科省は19日の野党合同ヒアリングで、前川氏の授業があったと把握したのは、翌日の先月17日にあった外部からの照会がきっかけだったと明らかにした。これまでは同日付の新聞記事で知ったと説明していた。この日は土曜で、「外部は政治家か」との質問には、市教委に問い合わせると決めた省の判断に影響を与えていないとして「答えは差し控えたい」と繰り返し、議員の複数回の照会についても答えなかった。 19日の参院予算委員会の集中審議で、安倍晋三首相は「今後とも文科省で法令に基づきしっかり対応してもらう」と述べ、市教委への問い合わせに問題はなかったとの認識を示した。民進党の難波奨二氏への答弁。林芳正文科相が「法令に基づいている」と言っていたので、このニュースが流れてから、関係するかもしれないという法令をいくつか読んでみた。しかし、私の読み方が悪いのか探せないのか、文科省から現場に対して問い合わせをする場合は、児童生徒の不利益になるような教育に対しては指導や助言ができるようにしか読み取れなかった。(どなたか、このような場合の文科省から地方の教育委員会への照会を是とする法令があれば教えてください)だいたい、地元出身の議員であれば、わざわざ文科省に問い合わせなくても、このような質問であれば地方の教育委員会へ直接聞いたらいいではないか。たとえそれであっても、地方の教育委員会は少しビビるだろうけれど、監督官庁の文科省からの照会となると、「介入」と受け取られてもしかたがない。今回の場合、開催地の教育委員会や学校も素晴らしい対応だったと思う。当市の教育委員会だったら、事前にわかっていたらストップをかけるかもしれないし、そもそも学校長が企画を許すとも思えない。そのくらい、現場は政治や監督行政や官庁のご意向を忖度しまくっていると感じている。保護者や児童の訴えに対して、その半分でも忖度していただきたい。さらに、照会した議員だって姑息である。「問い合わせただけだ」なんて言っているようだが、問い合わせ文書のチェックまでしていたとなれば、政治家からの介入でなくて何なんだ。本当に教育のありかたや、子どもたちのことを考えての行動であったのなら、最初から顔を出して、堂々と「このように考えたので、正しいと思って行動した」と説明すればいいじゃないか。私の想像では、所属する政党や団体の覚えめでたくなるようにとの行動ではないかと思う。また、文科省もそのことを論理的に明確に「できること、できないこと、その影響」などを説明できずに、政治家の言うままになっているなんて、本当に情けない。「政治主導」から「官邸主導」となり、官僚たちは上から下まで政治家への忖度が仕事になっているようだ。このことの恐ろしさについて、私たちはもっと敏感にならなくてはいけない。結局は、政治家たちも権力を持つ人たちに群がっているからこんなことになっていく。頼みの綱は野党だけなのだが、これも隠れ権力志向者が多くて、本当に野党なのかどうかわからなかったりする。筋金入りの野党政党も、言葉尻をとって「鬼の首をとったような」感じがして、見ていると恥ずかしいこともある。本当に嫌になっちゃうけど、「好きにしてください」とは言えない問題だと思う。
2018年03月20日
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前川氏の授業内容報告求める 文科省が名古屋公立中に異例調査03/16 07:26 更新 北海道新聞 文部科学省の前川喜平前事務次官が名古屋市立中に講師として招かれた際の授業内容や録音について、同省が市教育委員会に報告を要請していたことが15日、分かった。文科省は「問題ない」としているが、国が個別の授業に絡み、講師の言動に関わる内容を細かく調べるのは異例で、批判の声も上がりそうだ。 文科省や市教委によると、2月に前川氏がこの中学の校長に招かれ、総合学習の時間の講師として全校生徒や地元住民らに授業をした。内容は生き方やキャリア教育、夜間学校についてだったという。 報道でこの授業を知った文科省は今月、市教委に対しメールで、前川氏が文科省の組織的天下り問題で引責辞任したことや、「出会い系バー」に出入りしていたと報じられたことに触れた上で、授業の内容や目的、講師を依頼した経緯、学校の見解など10項目以上を質問。授業内容の録音データもあれば提出するよう要請した。 市教委は、録音データは出さず、学校がまとめた回答を文書で報告した。これに対し文科省は、前川氏が天下り問題に主体的に関わって処分を受けたことを事前に確認していなかったのでは、との指摘を送ったという。 教育関係の法律では、学校教育に対して指導や助言をするのは主に教委で、国の役割は学習指導要領など、全国共通の教育基準を作ることや、教育条件の整備と想定している。文科省の担当者は今回、個別の授業内容を調査したことに対し「事実関係を確認しただけで、内容に口を出したわけではない。問題はなかった」としている。 前川氏は昨年1月に発覚した天下り問題で、文科事務次官を引責辞任した。同5月に加計学園を巡って「総理の意向」などと記された記録文書の存在が明らかになると、記者会見で「公正、公平であるべき行政の在り方がゆがめられた」と発言し、国会にも参考人招致された。昨夜、私が見たのはこれですね。文科省が授業内容などの提出要求 前川前次官の中学校での授業で3月15日 19時15分 MHK 国が学校に授業の内容を問いただす異例の事態です。愛知県の公立中学校が文部科学省の前川前事務次官を先月、授業の講師に呼んだところ、文部科学省から教育委員会を通じて授業の内容や録音の提出を求められたことがわかりました。いじめなどの問題を除き、国が学校の個別の授業内容を調査することは原則、認められておらず、今後、議論を呼びそうです。愛知県内の公立中学校で、先月、文部科学省の前川前事務次官が総合学習の時間の講師に招かれ、不登校や夜間中学校などをテーマに授業を行い、全校生徒のほか地元の住民らも出席しました。この授業について今月1日、文部科学省の課長補佐からこの学校を所管する教育委員会宛てに内容を問いただすメールが届いていたことがわかりました。メールでは、前川氏が天下り問題で辞任したことや、出会い系バーの店を利用していたと指摘したうえで、「道徳教育が行われる学校にこうした背景のある氏をどのような判断で授業を依頼したのか」と具体的に答えるよう記しています。さらに、録音があれば提供することなど15項目について文書で回答するよう求めています。関係者によりますと、中学校には教育委員会からこれらの内容が伝えられ、録音の提出については拒んだということです。教育委員会も授業内容は事前に了承していたということです。今の法律では、いじめによる自殺を防ぐなど、緊急の必要がある場合は文部科学大臣が教育委員会に是正の指示を出すことが認められていますが、今回のように個別の学校の授業内容を調査することは原則、認められていません。教育行政上の国の役割とは戦前の愛国主義的な教育の反省に立ち、国による学校教育への関与は法律で制限されています。教育基本法16条にも「教育は不当な支配に服することなく」と記されています。地方教育行政について定めた法律では、学校教育に対して、指導や助言などができるのは原則として教育委員会です。国は学習指導要領の作成など全国的な基準の設定や、教員給与の一部負担など教育条件の整備が主な役割です。一方、いじめ自殺など子どもたちの命に関わる問題が相次ぐ中で、国による関与が必要だとする声も強まり、平成19年に文部科学大臣が教育委員会の対応が不適切だった場合、是正の指示ができるようになりました。しかし、これも法令違反や子どもの命や身体の保護のため、緊急の必要がある場合に限定されていて、今回のように個別の授業内容を調査できる権限は原則、認められていません。話聞いた主婦「とても勉強になりました」講演で、前川氏が語ったのは中学時代の不登校体験や今、みずからも関わっている夜間中学校の必要性などについてでした。終了後は教員や生徒、さらに住民と一緒に記念撮影するなど、好評だったということです。話を聞いた50代の主婦は「夜間中学校について、熱く語られたのが印象残っています。とても勉強になりました」と話していました。また、別の男性は「政治的な話は全くなく、和やかな雰囲気でした」と話していました。日本教育学会会長「国の行き過ぎた行為」日本教育学会の会長で教育行政に詳しい日本大学の広田照幸教授は、「国の地方の教育行政への関わりは、基本的に抑制的であまり口を出さないのが基本だ。学校の教育内容は教育委員会の管轄であり、何より個々の学校が責任を持って行うものだ。それに対し、明確な法律違反の疑いもないまま授業内容にここまで質問するのは明らかに行き過ぎだ」と指摘しています。そのうえで、「行政が必要以上に学校をコントロールすることになりかねず、現場は国からの指摘をおそれて萎縮し、窮屈になってしまうのではないか。国があら探しするような調査をかけることは教育の不当な支配にあたると解釈されてもおかしくない」と話しています。文部科学省「問題ない」文部科学省は「前川氏が文部科学省の事務方トップだったことや、天下り問題で辞任したことを踏まえ、講師として公教育の場で発言した内容や経緯を確認する必要があると判断した。正確性を期すために文書での確認を行った。問題があるとは思っていない」と話しています。昨夜、テレビニュースでこのことを知った時、本当に驚いた。文科省官僚が、その原則を知らないわけがない。多分、政治家の方から、あるいは政治と近い人たちから指摘を受け、無視できなかったのでないかと私は感じている。森友・加計問題と言い、今の政治と官僚の関係は本当に嫌なものを感じる。前川さん、このような嫌がらせや脅しに屈しないでください。政治家や古巣の悪口まで言わなくてもいいから、現在のありかたに上手に警鐘を鳴らし、私たちにもどのような視点で政治や教育問題を見るべきか、伝えてほしい。そして、職務と人としての誇りとは何かを、ご自分の体験から語ってほしいと思う。
2018年03月16日
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昨日は、道教委主催の「スクールソーシャルワーカーフォーラム」に、仲間と二人で参加。いじめ、不登校、非行、虐待、性被害、子どもの貧困など、学校のみでは問題の見立てや解決の糸口すら困難な場合、保護者や本人、学校だけではなく、様々な関係機関等と連携をして課題解決にとりくむ専門職として、スクールソーシャルワーカー(SSW)が位置づけられている。しかし、日本におけるその歴史は新しく、まだまだ試行錯誤の段階のように思える。今回のフォーラムはSSWの現状と課題を明らかにしたうえで、その活用のポイントなどの説明や、事例検討などであった。私はSSWではないが、その職種の方とも情報交換しながら活動をすることがあるので、教育委員会でSSWをどのように活用しようとしているのかを知るために参加した。参加者のほとんどは、道内で市町村に配置されているSSWや教育委員会担当者、その勉強をしている学生のようであった。SSWの現状と課題や活動状況を概観できたのは良かったのだが、少しばかり首を傾げる点があった。それは、地方のSSWのほとんどは退職教師のように聞いているし、つまりは処遇もそれなりであろう。このような職種は経験とネットワーク力が有効活用の肝だと思うのだが、そのあたりが課題としては全く触れられてはいなかった。また、SSWが向き合うのは学齢期の子と親であるので、当然学校との信頼関係や学校や教師がSSWの役割について認知し、子どものために共に協力し合う姿勢が不可欠なのだが、そのあたりがなかなか難しいようにも聞いている。私の感覚では、一番の課題はこの二つだと思うのだが、道教委はどのような認識なのだろうか。この職種が、退職教師の受け皿となっているような感じがする。実は、適応指導教室の指導員もそうなのである。学校の先生が不適格と言うわけではないけれど、本当はソーシャルワークの基本をしっかりと学んだ人であってほしい。また、長年教師として生きてきた人は、どうしても子どもと向き合った時に「指導的態度」をとりやすい。そのことで、せっかく心を開きかけて元気を取り戻しつつあった子が、ぴしゃりと心を閉ざしてしまうことも少なくはないのだ。しかし、一所懸命に指導している人は、自分の態度への拒否だと思わないことが多いし、「そんなことで傷つくのは心が弱い」ととらえがち。退職教師の第二の仕事として、SSWは定着していくんでしょうか。また、「連携が必要」ということで、地域によって児相、警察、地域住民等による「地域協議会」などが設置されているようだが、これも問題解決の実働部隊として機能しているのだろうか。そんなことを色々考えさせられたフォーラムだった。
2018年02月27日
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<茶色の髪問題契機>「ブラック校則なくそう」運動スタート12/14(木) 21:08配信 毎日新聞 ◇まず不合理な校則など全国的なアンケート調査で実態把握へ 大阪府立高校の女子生徒が生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強要された問題を受け、子どもの学習支援に取り組むNPO法人「キッズドア」理事長の渡辺由美子さんらが14日、東京都内で記者会見し、「ブラック校則をなくそう」と題したプロジェクトを始めたと発表した。不合理な校則やルールについて全国的なアンケート調査で実態を把握し、全国の学校に見直しを求める活動を展開する。 プロジェクトの前にツイッターで情報を募ったところ、学校への「『くせ毛届』の提出」など頭髪に関するもののほか、服装や登下校のルールが寄せられた。「女子の下着は白のみ。スカートをめくられチェックされた」という内容もあった。 プロジェクトのスーパーバイザーに就任した評論家の荻上(おぎうえ)チキさんは、こうした校則について「教育効果が確かめられていない理不尽なルールが多い。違反した生徒を公然と非難するなど、不適切な指導とセットで運用される」と指摘した。 インターネット上で行うアンケートは調査会社に依頼。今月中に20~50代の2000人程度を対象に実施する。年代による校則の変化や学校、地域ごとの特徴などを把握し、結果を来年1月に公表する方針。また、中高生や教員にヒアリングをして現在の校則についての意見も集約する。ホームページで活動への賛同を求める署名を受け付けており、3月に文部科学相に提出する予定という。 渡辺さんは「昔の常識でつくられた校則が子どもたちを苦しめている。新しい時代の校則はどういうものか、社会全体で議論したい」と呼びかけた。【伊澤拓也】 ◇ツイッターで寄せられた「ブラック校則」の例・パーマ禁止、「くせ毛届」の提出・眉毛と髪の毛をいじってはいけない(30代男性、国公立高)・女子の下着は白のみ。スカートをめくられてチェックされた・カーディガン禁止(20代男性、私立高)・日焼け止め禁止・通学は徒歩以外、許されず、水分補給も禁止・カップルは一緒に帰ってはいけない(20代女性、国公立中)生まれつきの髪の色を黒に染めなくてはならないという過剰な指導のニュースには、本当に怒りを覚えた。ここに書かれている校則は、どうしてこんなことになったのだろうと思うものばかり。人権侵害、セクハラまでまかり通るのが校則なのか。これらの学校は、どのような人間を育てようとしているのか理解に苦しむ。
2017年12月15日
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11月19日に道南で開催された「スクールソーシャルワーカーの導入と役割」についての講演会に参加。講師はスクールソーシャルワークの第一人者と言われている内田宏明先生(日本社会事業大学准教授)。日本でのスクールソーシャルワーカーのパイオニアである山下英三郎さんの一番弟子ということなので、友人と共に参加することにしたのだ。子どもに関するボランティア活動をしているため、いじめや不登校、虐待や発達障害等には人並みよりプラスの関心を持っている。近年、文部科学省も増え続けるいじめや不登校対策の一環として、スクールソーシャルワーカーの導入にも力を少し入れている。しかし導入は自治体判断なので、財政が厳しい自治体では特に導入が進まないだろうということは予想される。また、「ソーシャルワーク」は福祉分野では常識的な概念だが、教育分野ではまだまだ認知されていないだろう。ということで、はっきり言って現在の子どもの問題がこれほど複層的なものであるにも関わらず、スクールソーシャルワーカーの導入はあまり進んでいないようだ。学校ソーシャルワーカー、都道府県で最大30倍の格差(毎日 2016.10.6) 学校でのいじめ問題などに福祉の専門家として対応する「スクールソーシャルワーカー」(SSW)の配置割合で、都道府県により最大30倍を超える格差があることが毎日新聞の全国アンケート調査で分かった。対象としている児童生徒1万人当たりの数(全国平均1・5人)は最少県で0・3人、最多県で9人超、11府県で1人に満たなかった。【大原一城、森野俊、田中将隆】 SSWは不登校や児童虐待も含め、教員だけでは解決が難しい問題に対応する。国は2009年度から人件費の3分の1を補助しており、16年度予算では10億円、17年度概算要求では約16億円を計上。19年度までに約1万の全中学校区に配置する目標を掲げている。 いじめ防止対策推進法施行から9月28日で3年が過ぎ、法制定のきっかけとなった大津市立中学2年の男子生徒の自殺から今月11日で5年となるのに合わせ、毎日新聞が9月中旬〜10月初旬、47都道府県と20政令市の教委に今年度の状況を尋ねる調査を書面で実施した。 各都道府県・政令市が配置するSSWの数は計1703人。文部科学省の統計では、15年度に国補助を活用したSSWは1399人だった。SSWの大半は非常勤で、「常勤」と明示したのは福岡市の1人と名古屋市の17人だけ。対象とする公立の小中高校と特別支援学校の児童生徒数は計約1130万人。 都道府県別で1万人当たりの数が多いのは高知9・4人▽島根7・9人▽鳥取6・0人など。1人に満たなかったのは千葉0・3人▽茨城0・4人▽秋田、三重、奈良0・5人▽栃木、群馬0・6人▽長野、鹿児島0・7人▽新潟0・8人▽大阪0・9人だった。46都道府県市(69%)が「十分でない」など増員の必要性を訴えた。文科省児童生徒課は「補助以外の3分の2の負担や成り手の少なさなど、都道府県により格差が生まれている」としている。 道内配置は3割 北海道内の市町村に配置されているSSWは今年度、札幌市など29市町村の計53人で、全179市町村の約3割にとどまっている。このほか、道教育委員会が非常勤のSSW5人を採用し、必要に応じて未配置地域をカバーしている。 道内のSSWは2008年、札幌市が初めて2人を配置し、徐々に増加しているが、国が配置目標数とする全中学校区数は約600に上り、大幅に不足している状況だ。道教委のSSW派遣回数は昨年度、計100回程度で、担当者は「十分な配置とは言えないが、どこまで増員できるか。小規模な自治体では適任者が見つかりづらいという事情もある」と指摘する。【昆野淳】 ■ことば スクールソーシャルワーカー いじめや不登校、児童虐待など子供が抱える問題について、本人だけでなく、周囲の環境を含めて理解し解決策を探る社会福祉の専門家。カウンセラーが「心のケア」を中心に働きかけるのに対し、ソーシャルワーカーは「取り巻く環境」に着眼し支援。国の補助事業では原則として社会福祉士か精神保健福祉士などの資格を求めている。中央教育審議会は2015年12月、「学校等において必要とされる標準的な職」として職務内容などを法令で位置付けることを検討するよう答申した。 ■スクールソーシャルワーカー(SSW)の配置人数といじめ認知件数 配置人数 児童生徒1万人当たりの数 1000人当たりのいじめ認知件数 北海道 58 1.2 6.4 青森 21 1.7 8.6 岩手 16 1.3 13.0 宮城 57 3.1 69.9 秋田 5 0.5 11.0 山形 32 3.7 36.5 福島 54 2.7 4.1 茨城 11 0.4 13.9 栃木 12 0.6 9.5 群馬 11 0.6 10.1 埼玉 101 1.3 4.0 千葉 16 0.3 39.9 東京 155 1.6 7.0 神奈川 82 1.2 7.5 新潟 18 0.8 6.1 富山 33 3.2 7.7 石川 22 1.9 5.4 福井 18 2.7 9.0 山梨 13 1.6 25.3 長野 15 0.7 6.3 岐阜 16 1.0 11.6 静岡 57 1.6 11.3 愛知 53 1.0 13.3 三重 9 0.5 4.5 滋賀 15 1.0 9.0 京都 73 3.3 85.4 大阪 85 0.9 5.4 兵庫 68 1.2 4.2 奈良 7 0.5 8.8 和歌山 29 2.8 33.8 鳥取 35 6.0 8.7 島根 42 7.9 9.1 岡山 37 2.2 4.9 広島 34 1.2 5.2 山口 40 3.1 14.8 徳島 15 2.0 9.5 香川 51 5.2 4.5 愛媛 28 2.7 12.7 高知 59 9.4 9.4 福岡 65 1.4 6.8 佐賀 15 1.7 2.8 長崎 28 2.1 13.0 熊本 32 1.8 15.0 大分 19 1.7 25.3 宮崎 12 1.7 66.0 鹿児島 9 0.7 26.4 沖縄 20 − 5.1 ※SSWの数は2016年度の把握分を都道府県と政令市に尋ねて合算。市町村の独自配置で一部把握漏れの可能性がある。いじめ認知件数は文部科学省がまとめた14年度の数。小数第2位を四捨五入。沖縄は精査中 文科省のページを探したが、上記の統計がうまく見つけられなかった。文科省ページで見つけたのはこれ。私自身、まだスクールソーシャルワーカーの教育委員会での位置づけや実態、この制度で求められている他の専門職や教員、他機関などの地域資源との連携のありかたについてわからない部分もあるので、一泊二日で道南まで足を運んだのである。結果として、参加してとても良かったと思う。スクールソーシャルワーカーの役割や現状の諸課題について自分なりに整理できたし、今後色々な場面で教育委員会や学校と関わる時には、基礎的知識や情報として活用できるように思う。というのは、地元の教育行政機関や学校現場でも、スクールソーシャルワーカーはどのような役割かすら、きっと明確に理解している人は少ないだろうと思うからだ。講師の内田先生は、師匠である山下先生とは対照的な個性の持ち主だった。何年も前に山下先生のお話を聞いたときに、はじめてスクールソーシャルワーカーについて知った私なのだが、その時は山下先生のお人柄にも深く感銘を受けた。その一番弟子という内田先生の話を今回聞いて、あらためて山下先生の偉大さを間接的に感じた次第だ。
2017年11月23日
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加計学園問題で、獣医師の立場の意見を探していたら、坂東旭山動物園園長の記事を見つけた。私のパソコンが古くなったせいか、日経ホームページが見れないので、別の場所からコピペする。日本の獣医学部問題についてとても説得力があると感じるし、このような視点での議論がされていないことを残念に思う。獣医学部新設問題に思う 獣医師は足りているのか? 坂東元 旭山動物園長日経電子版2017/8/13 7月1日が旭山動物園50回目の開園記念日でした。忙しさにかまけて原稿を書くのが延び延びとなり、気づけば8月になっていました。申し訳ありません……。 さて近年、多くの学校が「命の大切さ」を伝えたいと動物園を訪れます。「ペットの殺処分ゼロを目指して」との活動やポスターを目にすることも増えました。「また尊い命が」といった切り口で、ペットの過密飼育や虐待を扱ったニュースも目にします。とにかく殺さないことが基本で、死を否定的にとらえることになります。 一方、野生動物の問題ではイノシシやシカなどをいかにして効率よく駆除、つまり殺処分するかについての特集番組やニュースを目にします。子どもを産むメスをいかにして効率的に駆除するか……。 このようなニュースを子どもが見てどのように感じ育つのだろう? ふと心配になります。人にとって大切な生きものの命は徹底的に大切にする。人にとって問題となる野生動物(外来種も含む)は効率よく処分する。大切なものは守り、不都合なものはいなくなってもいい。そんなメッセージになりかねません。人同士の戦争のニュースや、身近で起きている殺人や自殺の問題など、様々な情報に無垢(むく)なままさらされて育つこと、教育の中で学ぶ命の大切さと現実の中での命の扱われ方、報道のされ方の違い……。 あるいはペット(一般的な言い方を使います)の飼い方。動物愛護センターなどでは盛んに不幸な命を生まないため、幸せな一生を送らせるためにと避妊、去勢を推奨しています。命とは生まれ、死ぬものです。だから命をつなぎます。今この瞬間に生きている命は、何千万年も1度も途切れなかったから今、生きているのです。 飼い主(消費者)に渡ったイヌ、ネコは避妊去勢され、伴侶とはいいますが、極端な言い方をすれば「利用して使い捨て」との見方もできます。なぜこんな言い方をするかというと、飼育動物を繁殖もさせずに展示し、死んだら購入し続けてきた動物園の歴史への反省があります。 誰かが繁殖をさせ(生産者)、消費者に買ってもらえるよう一定の品質(性格や見た目など)を維持した個体を流通させないといけないため、淘汰は必ず必要になります。ペット産業は経済です。 もっとも、ペットブームの中でとにかく大量生産をしようと極端な近親交配が進んでしまい、その命にとっても購入した飼い主さんにとっても、大きな苦しみや負担を背負う問題も生じていますが。いずれにせよペットも、人の都合でつくり出した生きものです。ウシやブタ、ウマなどの家畜と、イヌやイエネコなど現代では愛玩動物となった種の間に線を引き、命の扱い方を都合よく解釈しているのは人です。「命は大切」は当たり前ですが、その死を大切にすることはもっと大切だと思います。なぜなら、命は必ず死ぬからです。死に蓋をして、生きていることだけ見続けても、大切さは見えてきません。 ところが近年、獣医大学でも解剖実習などの際、学生に生物の安楽死をさせず、安楽死したものを教員が学生に提供するようになりました。 「治すために学んでいるのだから、殺すことはしたくない」。医学を学ぶ者は、死を客観的にとらえられなければいけません。獣医師が強制的に命を奪わなければいけない実験動物や畜産動物はもとより、街中の動物病院が扱うペットでさえ、安楽死を選択せざるを得ない場合があります。 自らが動物の命を絶つことから受ける感覚や、奪った命に対する責任を考えることは、獣医学を学ぶ上で根底になければいけない、とても大切な過程だと思うのです。現代は「命」に対して一本筋の通った文脈がないというか、みんなが「そうだな」というベースとなる感覚や、理解がない時代になったようです。 獣医大学で思い出しましたが加計学園の話題。いろいろと議論されていますが、僕が感じた最大の違和感は、全く議論に上がってこない野生動物の獣医学についてでした。 諸外国の獣医大学が教える獣医学には畜産動物、愛玩動物、野生動物の分野があります。日本の獣医学の中には、野生動物の分野がないに等しいのが現状です。 人の生活が地球上のあらゆる生きものに影響を与えている中で、これは異常な状態といえます。人に依存しないで生きている野生動物の生態を理解し、医学的な視点で環境保全、生物多様性保全などを考えるベースとなる教育がないのです。将来どの分野に進むかは別としても、保全という視点で生きものをみる獣医師を育てていないのです。 日本は傷病野生鳥獣を診るという点でも、お粗末です。野生動物には飼い主がいませんから希少種は環境省、そうでない種は都道府県が窓口となって扱うのですが、直営の診療施設、保護収容施設を持っていません。 さらに、土日祭日は休みです。動物園がある県や市では動物園を頼り、動物園がない地域では、愛玩動物とは全く異なる野生動物の習性を学んでいない開業獣医師(勉強されている獣医師もいますが)に頼っています。 さらには高病原性鳥インフルエンザなどの対応も、実は、都道府県ごとに様々なのが実情です。もしも高病原性鳥インフルエンザに感染した鳥がペットの診療もしている開業医に持ち込まれたら、つまり人の生活圏に持ち込まれた時のリスクをどう考えているのか。とてもお粗末です。 外国では保全獣医学、環境獣医学などへと、さらに発展しています。ウイルスや細菌、寄生虫さらには野生動物種の研究者にはない医学的な視点も併せ持つ獣医師は健全な環境、人への影響または逆の影響など、地球環境の健全さを保つために大きな力を発揮するはずです。 まだまだ書きたいのですが、今すべきは全獣医大学・学部に早急に野生動物の分野を確立すること。このままでは獣医学の後進国になってしまいます。 もう1点、獣医師が不足しているように言われていますが、いま獣医師を目指している学生は環境問題に意識が高く、野生動物の分野の仕事につきたいと考えている学生も多くいます。 しかし、そのような分野の仕事はほとんどありません。行政に獣医師が不足しているとされますが、財政状況が厳しいなか、雇用の優先順位は高くありません。裏返すと、社会がそこまでお金をかける必要性を認めていない面があります。 欧米では野生動物に関わる獣医師は、エリートです。社会に対する発言力もあります。収入という点でも恵まれています。獣医師は欧米やアジアの多くの国で、人の医者と同じくドクターです。 最後は愚痴のようになってしまいました。命と向き合う獣医師に何を求め、獣医師が向き合う命の価値をどう捉えるのか、もう一度考えるべきではないでしょうか。 坂東元 1961年旭川市生まれ。酪農学園大学卒業、獣医の資格を得て86年から旭山動物園に勤務。獣医師、飼育展示係として働く。動物の生態を生き生きと見せる「行動展示」のアイデアを次々に実現し、旭山動物園を国内屈指の人気動物園に育てあげた。2009年から旭山動物園長。北海道は、野生動物や絶滅危惧種との共存で様々な課題を抱えている。もちろん、畜産分野でも獣医師の確保は喫緊の課題だろう。道内には獣医学部が三校あるが、まずは課題と近い場所にあるこれらの学校がこの問題に真剣に取り組んでほしいと願う。
2017年08月15日
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昨日は札幌に出かける。大通公園の近くの札幌学院大学の社会連携センターで開講されている市民講座の受講が目的。同行したのは、長年うつ病で療養中のSさん。毎年入退院を繰り返しているのだが、今は在宅療養期間。講座は精神医学の安岡誉氏と遺伝子学などの若原先生による「個性とは何か」(4回)の一回目。安岡先生の講座は何度も受講しているが、いつもしっかりした資料を用意して下さるのでありがたい。大通公園ではちょうどライラック祭が開催されていて、多くの人で賑わっていた。天気が良く気温も7月並で暑いほど。公園の花壇も周囲のライラックもとても美しかった。Sさんと会場をブラブラして、ズラーッと並んでいるフードコートで昼食でもと思ったが、どれも良いお値段なので、ケチな私達は「どうせ同じ値段を出すのなら、ゆっくりとしたところで食べよう」ということになる。観光客なら「せっかくだからここで食べよう」と言うことになるのだろうが、私達にとっては「お得感」が一緒でなくては食指が動かないんですよね。講座は期待に違わずとても興味深いものであった。「市民講座」なのでとてもわかりやすいのだが、内容はとても濃いというのが感想である。次回も楽しみである。
2017年05月19日
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6月に札幌学院大学のコミュニティカレッジで、佐々木洋(札幌学院大学名誉教授)先生による「チェルノブイリ30年と福島5年の負の遺産-原子力安全神話の謎の歴史続編」を4回にわたって受講した。福島原発事故発生から5年、政府は早々に原子力発電の再稼働や、原子力発電の輸出、さらには避難している住民の帰還に向けての動きを強めている。素人の私から見たら、メディアで取り上げられているニュースだけ見聞きしても、メルトダウンした福島原発が放射能を現在も撒き散らしているのではないかと思うし、いくら除染作業をしたといっても、福島周辺が住んで安全な地域になったとは考えられない。原子力の知識が乏しいから、必要以上に不安を感じてしまうのかもしれないと思い、今回の講義を時間や日程も調整可能なので受講したのだ。今回の講義は、今まで知らなかったことの連続であり、私自身十分に理解できたとは言えないのだが、それでも今まで霧の中だったことが、随分と明確になった気がする。原発事故として有名なのはスリーマイルの事故とチェルノブイリ事故だが、その前史としての59年前の「ソ連のウラルの核惨事」については全く知らなかった。当時は現在とは比較にならないような秘密主義のソ連だったから、この事故についてはずっと隠され続けていたのだが、この事故隠しと被害隠しの悪しき伝統(?)が、現在の原発事故にもつながっているようだ。隠された半世紀・ウラルの核汚染(森住卓)原発の構造やその特徴、それぞれの危険性などについても講義では触れ、その上で日本がこだわって諦めきれずにいる「核燃料サイクル」についてもお話をされた。先生はとても慎重に言葉を選んで講義をされて、問題点などははっきりと指摘されるが、その是非については明言を避けていらっしゃるように感じた。それは、研究者としての節度なのかもしれないし、これからも研究を続け、明らかになったことを堂々と発表し、判断を私たちに問いかけ続けるための布石かもしれない。しかし、先生が本音ではどのように考えていらっしゃるかは、十分に伝わるものであった。結果として、「高速増殖原型炉もんじゅ」は完全に無理だと思うし、チェルノブイリ事故30年を経て「絶対に近づいてはいけない」という基準を、日本は「安全」とみなし住民を住まわせようとしているのだ。それは決して住民の気持ちに沿うなどというものではなく、被害者保障を軽くする政治的理由なのだ。もう、それだけでも私は現在の日本に失望を感じる。さらに驚いたことがある。日本は唯一の被爆国であるのだが、アメリカが原子力を軍事兵器として研究するためのきっかけは、「真珠湾攻撃」であったことだ。それまでは、アメリカは海外で戦争をしていなかったし、兵士を海外に派遣もしていなかったという。さらに、原爆の開発も、大量破壊兵器であることから推進するのに二の足を踏んでいたらしい。その間にドイツでは物理学者たちが、ヒトラー政権で原爆が戦争に使われることの危険性を感じ、なんとルーズベルト大統領に書簡を送っていたという。それでもまだ躊躇していたアメリカが、迷いなく原爆開発を進めるようになったのは「真珠湾攻撃」であり、ヨーロッパやアジアでアメリカが戦争をするきっかけになってしまったらしい。歴史を知るには色々な見方があることは承知している。しかし、原子力の戦争利用という視点から見ると、まさに目から鱗のような気がした。原子力の平和利用ということで推進されてきた原発も、一歩間違えば人類を破滅に向かわせるものなのだ。核廃棄物の安全な処理方法も確立されておらず、日本では最終処分場も決まってはいない。福島原発からはまだまだ放射能が放出され続けており、今後どのような人体への影響がでてくるかわからない。しかし、原発事故の伝統から言えば、その被害は過少にされるか隠されるかのどちらかであろう。佐々木先生は元々は農学博士で「生物学・遺伝学」の専門家だ。その視点で人類の未来を考え警鐘を鳴らされている。私には、とても説得力のある講義であった。ネットで検索したら、佐々木洋のページというのがあった。これから読んでみたいと思う。
2016年07月02日
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記事をコピペしてワードに編集する作業は、結構時間がかかってしまった。実は、削除するときに間違って「通信教育雑感」を消してしまったので、これは影も形もなくなった。でも、あれはまあいいかという気がする。復習ページは残しておきたいので、削除にはもう少し時間がかかりそう。
2016年03月21日
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このブログを始めたのは、大学の通信課程体験記を後輩の参考になればと思ったのがきっかけ。卒業から16年も経つので、ほとんど参考にならないと思い、いつ消そうかと迷っていた。しかし、私のブログを参考にしてくださって、時々メールを頂いていた方が、今年めでたくご卒業されるので、これを機に左側の通信関係の記事を削除しようと思う。しかし、消すのは簡単なのだけど、自分の体験記は残しておきたいとの欲が働き、現在順次ワードにコピペ中。それが全部終了したら削除することにします。それにしても、コピペしながら思います。現在半分までもいっていないのに、すでに13ページ。結構な小冊子になる分量になりそう。よく書いたなあ。
2016年03月15日
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このブログを始めたのは、通信教育で大学を卒業した経験を現在頑張っている後輩の参考にしてほしいと思ったからである。開設は2003/06/19となっているので、もう13年くらいも前になる。当時は「ブログ」なんてことを自分でやろうとも思っていなかったのだが、ネットで通信教育の掲示板に書き込んだことがきっかけで、ネットで出会った慶応通信の後輩にブログのことを教えられて始めた。最初の頃はその人ともブログやメールを通してやりとりをしていたのだが、いつの頃からか連絡が取れなくなってしまった。彼女は卒業したのだろうか…。子育て中で多忙な中がんばっていらっしゃったのだが、どうなっただろうかと気に掛かっている。その後、色々な人が私のブログに訪問してくださったり、メールを下さったりしてきた。以前の楽天ブログはメール機能もあったので、コメントを書かなくてもメールのやり取りができて、便利だったなと思う。私のブログが少しは役に立ったのか、立たなかったのかわからないが、何人もの方がめでたく卒業されていった。昨年末には、あとは卒業試験というところまでこぎつけたという、Tさんからのメールをいただいた。5年目で卒業というのだから、随分頑張られたと思う。ここまできたら卒業は確実なので、あとはゆったりと卒論を見直す程度でいいのだが、やはり口頭試問を受けるというのは緊張するものだと思う。きっと、今頃は卒業試験を控えて少し緊張気味の人たちがたくさんいらっしゃるのだろう。どうか、大学生として最後の素晴らしい思い出となりますように。
2016年01月05日
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