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潰れそうな飲食店を立て直す、という番組で、テレビに映されてるのでしかたなくやってます、という感じの、やる気なさそうなアルバイトの子(メイン料理でないにせよ、バイトに料理を作らせてる飲食店なのだった…)が、カメラの前で暗い顔で試作品を一皿作るのだけれど、料理のわざは教えてもらうものでなく先輩から盗むもの、という方針の一流の日本料理店で長年働いていた料理人が、長年かかって獲得したわざのいくつかを、バイトの子が作ってる数分の間に教えていて、できあがった料理を口にしたバイトの子の表情が、急に明るくなって、うれしそうに「おいしいです!」と言った!
2021年04月30日
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悟りについて(その19)質問者「「世界」って、何ですか?」「もちろん、「世界」という言葉と「世界」自体は別なのですが、ここでは、「知覚したり認識したりしているすべて」というような感じで使います」質問者「よくわかりません」「見えたり聞こえたり触れたりしている感覚によって作られる「世界」のことです」質問者「どうしてそれが「私」なんですか?」「見えたり聞こえたり、匂いとか触わったりとか、そういった感覚が「私」なんだ、という考え方です。 見えたり聞こえたり、いろんな感覚が広がってるこの世界が私であり、外側に広がっているかのようにみなしている「世界」がじつは「私」であり、体は「私」の中を移動しているわけです。 私の体は「私」の中を旅している」■悟りについて(その1〜その最新)
2021年04月28日
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カップ麺は味が濃くて嫌だと思っていたけれど、カップにお湯を注いで作ったあと、大きな皿に移しかえて、お湯を継ぎ足せばいいのだった!
2021年04月26日
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悟りについて(その18)「ようするに、言葉から離れる、というのは、私から離れる、ということになるのです。 まあ、こんなふうに言葉をこねくりまわしていると、根本的に重要なこと、言葉は言葉にすぎない、という基本を忘れてしまいそうになるので、注意していなければなりません。 無我だとか言葉の無い境地だとかいう言葉を使ってはいますが、「無我」という言葉と「無我」自体は別ですし、「境地」という言葉と「境地」自体は別ですし、「無」という言葉と「無」自体は別です。質問者「なんだかややこしいですね」「「なんだか」という言葉と「なんだか」自体は別ですし、「ややこしい」という言葉と「ややこしい」自体は別ですし、「ですね」という言葉と「ですね」自体は別です」質問者「はあ…」「ところで、「私」とは「世界」である、という考え方もあります」■悟りについて(その1〜その最新)
2021年04月24日
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言葉の枯渇何かがおかしい、と、私、が、言った。と、私、が、書く。と、を。
2021年04月21日
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悟りについて(その17)質問者「言葉についての質問をしてるのに、どうして私が出てくるのですか?」「ああ、それは、なんと、「私」とは「言葉」だからです。 まあ、「私」とは何か、と考えるとき、いろんな考えがあるでしょうけど、「考えが私である」という考えがあります。これはすごい考えだと思うのです。「言葉によって組み立てられた考え」が「私」である」、という考えです」質問者「何をおっしゃってるのか、かいもくわかりません」「たとえば、悟りに関連して「無我の境地」、というのがありますが、「我(私)」を「言葉」とみなしますと、「無我の境地」というのは、「言葉の無い境地」になります。「考えている私」というと、「私」が考えているみたいですが、「私」が出現するのは、「考え」が出現するのと同時なので、考えていなければ「私」はいません。考える瞬間、「私」も同時に出現します。 つまり、「私」とは「考え(言葉によって組み立てられたもの)」なのです」質問者「何がおっしゃりたいのですか?」■悟りについて(その1〜その最新)
2021年04月18日
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変な夢を見た。図書館で借りて家に持って帰った本が、どこに置いたのか、どうしても見つからない。いくら探しても見つからない。やがて、夢の中の図書館で借りたので、存在しない本なので見つからないのだと、夢の中で気づく。
2021年04月15日
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悟りについて(その16)「たしかにそうなのです。悩んだからといってそれだけで悟れるわけではないでしょう。 けれども、言葉からの離脱なんてのは、悟る前に理屈としてある程度理解していたとしたってですね、悟ったあとでないと、何を言おうとしているのか、得心はできないでしょう。 なので、まずはですね、こんなふうに生きているのはどうしたって嫌だ、というような、深い悩みが必要、と思われるのですが、悩みというのは、悩みを突き進めると、言葉で悩むのではなく、ほとんど身体的な悩み、というような状態になるので、そうした状態が必要なのかもしれません……だけど、身体的に悩んだところで、それだけで悟れるわけではないでしょうけど……すみません、よくわかりません…… ところで、言葉ではうまくいかないということの説明として、さすがクリシュナムルティ、すごいことを言ってくださってます!言葉は幻想に導くだけ(クリックしてね) ところで、なんとなく思うのですが、どうせ悟れないのだとしたら、あれこれ悩むより、頭に言葉を流さないよう試みる方が、よほど身心に良い影響を与えるような気がします」質問者「どうしてそんなに言葉から離れることが重要になってくるのでしょう?」「もしかしたら、「私とは何か?」ということにつながっているのかもしれません」■悟りについて(その1〜その最新)
2021年04月12日
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映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(原題:The Iron Lady)を見ました。サッチャーのことをほとんど知らなかったので、おもしろかったです。とくに、この映画の最初の数分間は、サッチャーのことを知らなければ、かなり奇妙でおもしろい最初の数分です。
2021年04月08日
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悟りについて(その15)質問者「どうしてこんなにも、悟りについての理解は困難なのでしょう?」「これほどにも長期に渡って、悟りについて理解されていないのは、大胆なことを言わせていただきますと(間違っているかもしれませんが)ブッダにせよクリシュナムルティにせよ道元にせよ、彼らは悟っているのに、悟りについて(たまに)説明するにあたって、悟りが、けっきょくのところ、たまたま運がよくて、宝くじに当たったようなものだという偶然性を軽視しているのではないかと思われます。 悟りというのが、いくら望ましいとはいえ、ほとんど起こらないという、事実を見過ごしているような気がします」質問者「ちょっと待ってください。ちょっと戻って、さっきの(悟りについて(その14))、悟るには悩みが必要、というところなんですけど、悟るには頭に言葉を流さないことが重要、ともおっしゃってましたよね。 矛盾しているではありませんか? 悩んでいるとき、頭に言葉が流れ続けていませんか?」「そうですね」質問者「それに、深く悩んでいる人なんていくらでもいるわけですし、その人たちのほとんどは悟れるわけではないんでしょう?」■悟りについて(その1〜その最新)
2021年04月05日
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映画「MERU/メルー」を見ました。おもしろかったです。登山のドキュメンタリー映画なのですが、登山といっても想像を超えていて、驚きの映画です。
2021年04月02日
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