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2009年12月18日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私の出した結論

それは批判をした書き込みついての結論ばかりでなく

私のイデオロギーの主軸を構成する思想でもある


論

私は愛とは必ずしも相手が望む事をする事でないと考えている

相手の幸せ、成長の為に尽くす行動が愛情であると考えている

例え相手に受け入れらず嫌われようとも

その人へ幸せの為に善行をする事も

愛情の一つではないだろうか



しかし私は愛情には独善的な面もあるのではないかと考えている

独善的という言葉は「独り善がりな善行」という意味で

一般的に良い意味を含まない

しかし愛情において独善的という状態が必ずしも悪いとは限らないと私は思う

親子における愛情を例にあげて考えると

親が子に対して独善的である状況はよくある事である

具体的にいうと

親が勉強を全くせずに遊び呆けている子に

「勉強をしなさい」と叱りつけた時の事を考えてみる

親は子に対して勉強をする事が

将来の幸せに繋がると独自に考えて叱る



勉強をしたくない子は親の忠告を快く受け取らないだろう

これも独善的という状態は成立しているといえる

しかし親が子に勉強をするように言うことが間違った事なのか?

私はそうは思わない子供に疎ましがられようとも

子供の将来の為勉強をさせる事が親の愛情だ



勿論それだけが私の愛情の形ではない

一つの面というだけの話である

またそれは世界でたった一人私という人間が

独自に生み出した思想であり

それが絶対的に正しい考え方というわけではない

だからその考え方について今回の書き込みのように

愛の形やアイデンティティを批判するのは自由である

しかし大前提としてこの世に完璧に正しい普遍の論理、思想はない

特に愛の形は人それぞれ違うもので

世界に一つの絶対的に正しい愛の形はない

現存しているだけでも愛の形は68億通りある

では人は何と比較して正論というのか?

おそらく殆どの人間は自分の考えるイデオロギーを正論と位置付け

大枠から外れているか否かで判断するのではないだろうか

しかし何度も繰り返すが

相手の「独自の思想」を批判するのもまた

同じように自分の「独自の思想」である事を忘れてはならない

どちらも絶対的に正しいという保証がない独自の思想からくる論理だ

どちらが正しいのか議論する時にはその点を踏まえるべきだ

また事柄に対する知識や

明確な問題点の提起

そしてそれに対する具体的な問題解決方法

それらがなければ相手には伝わりにくい

それはただ終わらせるだけの「否定」でしかない

そこには成長も何もない

今回私が今まで弥子や浩之に対してしてきた事を

独善的で幼稚な思慮だという見解、意見があったが

私はその意見に対してアクションを起こそうとは思わない

それは書き込みに具体的な問題提起と

解決策が書かれていなかったからだとか

私の考え方について否定的な意見だから蔑んで無視をしているからでも

人には人の考え方があるので他を受け入れる必要がないと

馬耳東風している訳でもない

ただ返す言葉がない返す必要がないから反応しないだけだ

選択の際広い視野を得る為には他者の意見に耳を傾け見方を変えたり

判断材料として取り入れる事が必要だ

今回浩之や弥子との件で様々な決断を迫られたが

私はひとりで考えるのではなく数人の友人の意見を取り入れながら決断してきた

私の中では自身の思想や決断を正しいと思っている

しかしそれは皆が賛同する絶対的な正しさでない

正しさは世に数多の人間がいる限り数多の正しさが存在するのだ

今回の書き込みについても

私は一つの思想、考え方、として在り方、存在について認めている

だが私がそこに正しさを見いだすかどうかはまた別の話だ

今私は書き込みが有意義なものであると感じている

なぜなら人は自己の思想を人に伝え

自己のイデオロギーを軸として生きているのだ

その意味で書き込みをした人は生きているといえる

己のない人が居るとすればそれは死んでいる事と同意だ

一言も交わさない行き交う人々に何も感じないように

自身の思想も意見も何も伝えない人は

相手の意識の中に色深い自分は居ない

それは実質認識の中で動く人形のように映っている

相手にとって自分が「色の濃い人間」として生きているという認識

それはその人独自のイデオロギーを軸とした言動を受け取って形作られるのだ

人は自分以外のイデオロギーや自我に触れる事で他者を理解し

その上で受け入れる心を持ち他人と共存し進歩しているのだ

時には受け入れられず争う事もあるだろうが

それは己を持ち生きているからこそ生まれるのだ

付和雷同の人形のような人間ばかりで争いのない世界は死んでいる

しかし己がある限り違いがある限り争いは終わらない

生きるという事を私は自身の好く道に進んでいく事であると考えている

だが好く道を誰もが叶えられる訳でもない

その道を進む際誰かと争う事もあるだろう

そうしてどこかで誰かが傷付くのだ

誰もが争わない世界は有り得ない

結論に近付くほど世界が理想にはならないのだと悟らされる

しかしそれでも人は生きていく

相手の意識の中で自分が生きているという状況は「伝える」という行動により認識できる

その意味で書き込みは非常に素晴らしい生の現れだ

私にはそんな色の濃い生が眩しい





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Last updated  2009年12月26日 11時38分35秒
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