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大喪の礼
警衛勤務で特に思い出すのは、1989年(昭和64年)1月の昭和天皇崩御から大喪の礼までの期間です。昭和天皇の容態が悪いとの報道が盛んになると、自衛隊は崩御に伴う行事に参加するので様々な動きがありました。そのひとつに、大喪の礼が行われるまで自衛隊の全駐屯地は増加警備体制となり警衛隊の増員が行われました。十条駐屯地は、小規模な駐屯地のため自衛官が少なく警衛の要員が少ないです。そのため、夜間のみ増員することになりました。

ある日、私は増加要員を命ぜられ、戦闘服、半長靴を着用して21:00に警衛所に出頭しました。警衛司令から立哨する場所と時間を告げられましたが、警備上の指示は特にありませんでした。駐屯地に毎度の不審電話があったことを聞かされただけで、実にのんびりした雰囲気のいつもの警備でした。駐屯地には頻繁に脅迫電話やいたずら電話があったようでした。その度に総務部、警衛隊、当直幹部等に報告して。電話を受ける通信隊はたまったものではなかったようです。
営門を完全に閉鎖する23時頃、当直幹部がジープで営外巡察に出掛けるか外出者が戻ってくる程度で人の出入りが減ります。駐屯地周辺の道路は、深夜ともなれば人通りは絶えて車も疎らにしか通行しません。駐屯地内も静まり返り、冬の冷たい風が吹くばかりでした。増加要員の歩哨は、外柵沿いに数ヶ所あるポリボックスで2名が交代で立哨を行います。ポリボックスは、人一人が入れるだけの鋼製の「電話ボックス」のようなものでした。暖房器具のないポリボックスの中で2時間ひたすら立哨を行うだけでした。ポリボックスは一人しか入れないので、もう一人は建物の影で風を凌ぎながら休憩することにしました。暇なので世間話をしながら気分を紛らしていましたが、いつしか話のネタも尽きてしまい黙って立哨していました。その内、小雨が降りだしてとんだ貧乏くじを引かされたと思いました。
私のいたポリボックスは、駐屯地に隣接した公園が良く見えました。公園は水銀灯で明るく照らされており、様子が良く見えました。しばらく立哨をしていると、公園から男女の言い争いをしている声が聞こえてきて、不審に思い外柵に近づいて行き様子を注視しました。すると、中年のアベックが痴話喧嘩をしていたのです。様子をうかがっていると、男が「見てんじゃねーよ」と怒ってきました。私はあまりのくだらなさに呆れてしまいポリボックスに戻りました。昭和天皇崩御で世間は騒然としているのに、アベックが夜中の公園で痴話喧嘩しているとは日本は平和で腑抜けた国だと思いました。
陸上自衛隊武器補給処十条支処勤務の顛末 … 2024.01.01
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