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デイサービスの仕事1.初めに今回は、介護労働講習後に就職したデイサービスで学んだこと、経験したこと等を記したいと思います。介護労働講習の修了が近づいてきた頃、就職活動を開始しました。介護業界は慢性的な人材不足で就職口を探すことに苦労しません。また、デイサービス、訪問介護、特養等、選択肢にも困らない業界です。しかし、実務者研修修了者の給与、待遇は無資格、初任者研修と大して変わりません。私は日勤のみで通勤時間が短いデイサービスを探して、見つけたのが運動特化型デイサービスの事業所でした。早速、履歴書を送付して、1週間ほどして面接となりました。グループ企業のため、勤務する事業所ではなく関連の保育所で面接を受けました。面接は社長一人でしたが、座敷みたいなところで待たされて胡坐で待っていると、社長が現れて開口一番、「なんで胡坐で座ってんだ!」とお怒りでした。正座するのが礼儀だろうということですが、私が膝が悪い旨の話をするとバツが悪そうにしていました。社長は履歴書に目を通して、志望動機等の質疑応答、その後はひたすら社長の独演会に30分程付き合わされる。1週間ほどして採用通知が届いたのですが、あまり気乗りしないまま勤務することにしました。他に目ぼしい求人が見当たらず、介護労働講習が終わると給付金も無くなるので、取り敢えずこの運動特化型デイサービスに就職することにしました。
2026.07.05
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2.運動特化型デイサービス①運動特化型デイサービスとは介護労働講習ではハローワークからの求人情報や事業所の紹介等がありました。多くは特養やデイサービスですが、私が最初に就職したのは運動特化型のデイサービスでした。リハビリや機能訓練は病院という印象がありますが、デイサービスでも同様のリハビリや機能訓練を行っています。リハビリは作業療法士や理学療法士等の有資格者が行います。機能訓練は、看護師や柔道整復師等の様々な職種の人が行っています。私が介護労働講習後に最初に就職した介護事業所は、運動特化型の半日型デイサービスで、機能訓練指導員が中心となって身体機能の維持回復の運動訓練を提供しています。 一般的なデイサービスでは、食事、入浴、レクリエーション等のサービスを提供しますが、私の勤務した事業所では食事、入浴はありません。マシントレーニングを中心に神経筋システムの活動化を主眼に運動を行ってもらうというデイサービスでした。一般的な一日型のデイサービスの場合、利用者は朝から夕方まで施設で過ごしますが、半日型は午前と午後に利用者が入れ替わります。私の勤務先は、常勤で事業所の所長、理学療法士、看護師、介護職(介護福祉士等の有資格者)、事務員が10名程度、利用者は午前・午後の時間帯ごとに最大20名という小規模の事業所でした。事業所の建物は幹線道路沿いにありましたが、家賃の安い物件ということでフロアは狭く職員の居場所が全くない事業所でした。そのフロアにところ狭しとトレーニングマシンや運動器具、椅子等を並べており、その間を職員や利用者が往来していました。利用者のデイの利用は、概ね週1~2回、中には毎日来所する利用者もいました。10年近く利用している利用者もいれば1回で利用を止めてしまう方もいます。また、身体障害者や若年性認知症の利用者もいました。②運動特化型デイサービスの一日半日型のデイサービスの流れは、一日型と違い、午前と午後で入れ替えがあるのでとにかく目まぐるしいです。基本的な流れとして、朝出勤したら電話の留守録や着信履歴を確認します。次に利用者を送迎車で迎えに行き、事業所に到着したらバイタル等の健康チェックを行います。健康チェックの後、オリエンテーション、準備運動を行いマシン運動に移ります。マシン運動の合間に水分摂取を行ってもらい、概ね2時間でマシン運動が終わります。マシン運動の合間に認知症対策の脳トレのプリントを行い、マシントレーニング後は回想法と口腔体操を週替わりで実施、最後に水分補給のゼリーを提供してお送りします。午前の利用者を送った後、そのまま午後の利用者のお宅に向かい午前と同様の流れになります。午後の利用者を送迎して事業所に戻ったら、翌日の送迎表の作成や身体機能評価等のデータ入力、翌日の準備等を行います。また、清掃、マシンのメンテナンス、車の給油、介護職・理学療法士・看護師の専門ごとの業務もありので結構時間に追われます。③留守電の確認デイサービス単独の事業所は職員が夜間常駐していないので、朝出勤時に留守録で利用者の欠席等の連絡を確認します。欠席の場合は送迎の組み換えを行いますが、利用者数が極端に少なくなるとパート職員の出勤を断るケースもあります。特にコロナ禍やインフルエンザが流行した時期は、当日の利用者が半減することもあり大変でした。留守電の内容で、利用者から利用日ではないのに「迎えが来ない」という苦情の場合があります。認知症の見当識障害のためこうした事例がよくあります。こうした場合は、ケアマネージャーに連絡して対応してもらいますが電話した利用者本人は電話したことを忘れていることが殆どでした。④健康チェック・オリエンテーション健康チェックでは、問診、体温測定、血圧測定、個々の持病、処方されている薬の服薬状況についてチェックします。服薬に関して、認知症の高齢者は服薬を忘れていることが多く、特に循環器系の薬を忘れていると運動することが危険な場合があるので要注意です。また、睡眠時間も確認します。高齢者は生活リズムの変調や頻尿等で睡眠が不十分な場合が多く、心身の不調に直結しています。健康チェックでは問題なく元気なのに、運動したくないとトレーニングを拒否する利用者もいます。(総じて男性) 無理強いはしませんが、そうした利用者に限って無断で屋外に出たり、他の利用者とトラブルを起こしたりします。こうした”問題児”がいると職員は気が気ではありません。健康チェックの後、所長の挨拶や職員紹介等のオリエンテーションを行います。当日の年月日、曜日、季節や時事ネタ等の話をして認知症ケアを行います。認知症でなくとも季節や日付の感覚が鈍くなっている利用者もいるので、デイサービスでその感覚を取り戻してもらいます。⑤準備運動負荷の強いマシン運動を行う前に準備運動を行います。急に負荷の強い運動を行うと、心臓、筋肉、関節等へ過剰な負荷が掛かるので軽負荷の準備運動を行います。運動指導員は高齢者の動きや様子を見て、マシン運動等を行っても支障がないか確認します。また、本人に身体の状態を自覚してもらう意味もあります。□姿勢の確認姿勢の確認は、椅子の背もたれから少し離れた状態で、背筋を伸ばした良い姿勢で足の裏をしっかり床に付けてもらいます。自分の姿勢を認識してもらい、これから運動を始めるという意識を持ってもらいます。□深呼吸深呼吸は、鼻から息を吸って口から吐いてもらいます。高齢者は呼吸が浅くなりがちなので、腹式呼吸で呼吸を意識してもらいます。□声出し声出しの練習は、1から10までカウントしてもらい、脳の活性化と呼吸機能、嚥下機能の改善を促進します。声出しはマシン運動時にも行ってもらいます。□セルフマッサージセルフマッサージでは、手のひら、手の甲、頭、耳、腕、肩、鎖骨、胸鎖乳突筋、胸から腹、脇腹、腰、背中、膝、太腿、ふくらはぎ、脛のマッサージを行います。手の届く範囲で全身を撫でるようにマッサージを行い、全身の血行を良くします。□体重移動体重移動は、腰を左右交互に浮かせる運動を行います。歩行動作等の体重移動の感覚を思い出してもらいます。□テレビ体操テレビ体操は、NHKのテレビ体操を行ってもらいますが立った状態と座った状態の2種類があります。高齢者の場合は基本的に座った状態の体操を行ってもらいます。テレビ体操は割と負荷が高いので、高齢者に実施するときは無理をさせないように注意が必要です。また、動作が激しくなったりテンポを外したりしないように指導することも大切です。
2026.07.05
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⑥運動機能訓練(マシントレーニング)一般的なデイサービスでは、高齢者向けの軽い負荷の体操、平行棒や階段を使った歩行訓練、簡易な運動器具での運動しかしません。しかし、私の勤務していた運動特化型デイサービスデイサービスでは、スポーツジムにあるようなトレーニングマシンを使用して運動をしてもらっていました。トレーニングマシンは、レッグプレス、ローイング、トーソ、チェストプレス、レッグ、ヒップの6種類ありました。これらのマシンで日常動作である立ち上がり、歩行、腕の上げ下げ等の動作を改善するトレーニングを行います。利用者が各マシンを巡回しながら、各自の運動能力に応じた負荷を設定して10REP運動してもらいます。全ての機種を行う人もいれば、2~3機種だけの人もいます。片麻痺等の身体に障害のある利用者の場合は、マシンの乗り降りやマシンの調整を行います。□ホリゾンタルレッグプレスホリゾンタルレッグプレスは、座ったままで楽な姿勢で椅子から立ち上がり動作を練習するマシンです。膝や腰、心臓への負担が少ないです。動作:リクライニングされた椅子に座りフットプレートに足を置きます。ゆっくりと両膝を曲げて伸縮を繰り返します。関節の動き:膝関節伸展・股関節伸展・足関節底屈使用される筋肉:大腿四頭筋・ハムストリング・腓腹筋・ひらめ筋□ローイングマルチファンクション普段意識しない肩甲骨の動きを滑らかにするマシンです。姿勢が改善されて、呼吸が楽になる等の効果があります。動作:座面に座り前方のグリップを握り「前へならえ」の姿勢からグリップを引き寄せます。肩甲骨を引き寄せる感覚で行います。関節の動き:肩甲骨内転・肩関節伸展・肘関節屈曲 使用される筋肉:僧帽筋中部・広背筋・三角筋後部□トーソフレクション・トーソエクステンショントーソフレクションは、椅子からの起立動作を練習するマシンです。動作:座位からお辞儀をするように上体を倒していきます。目的:立ち上がりの際の体重移動と上体の起き上がり動作を円滑にして、座位を安定させます。使用される筋肉:腹筋群トーソエクステンションは、姿勢改善、座位姿勢を安定させることが目的のマシンです。動作:お辞儀した状態から状態を起こしていきます。目的:トーソフレクションと同様に、起立・着席動作の改善を図ります。 使用される筋肉:脊柱起立筋群□チェストプレス荷物を棚に乗せる動作、洗濯物を干す動作等、手を肩より上に持ち上げる動作の練習です。動作:座った姿勢で両方のグリップを握り、腕を前方に伸ばします。使用される筋肉:三角筋前部・前鋸筋・上腕三頭筋・大胸筋□レッグフレクション・レッグエクステンションレッグフレクションは、歩行や階段昇降の際の膝の運動を練習します。起立・歩行の安定、膝関節周囲の可動性と安定性の向上を図ります。動作:レッグパッドに脚を乗せて膝を曲げます。使用される筋肉:ハムストリングレッグエクステンションは、歩行や階段昇降の際の膝の運動を練習します。動作:脚にレッグパッドに乗せて膝を伸ばします。使用される筋肉:大腿四頭筋□ヒップアブダクション・ヒップアダクションヒップアブダクションは、湯船をまたぐ、車に乗り込む等の動作を円滑にする運動で歩行や立位姿勢を安定させます。動作:開脚できる範囲内でパットを開きます。使用される筋肉:殿筋群(中殿筋)ヒップアダクションは、ヒップアブダクションと同様にまたぐ動作を円滑にします。動作:開脚できる範囲内でパットを閉じます。使用される筋肉:股関節内転筋群
2026.07.05
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⑦マシントレーニングの運用マシントレーニングでは、運動指導員がマシンの座席の高さの調整、固定バンドの取り付け、ウェイトの設定、乗り降りの介助、タブレット端末への運動記録の入力、運動指導等を行います。負荷の初期設定値や運動リスクの判断は理学療法士、健康上のリスク管理や水分補給は看護師が行います。私が勤務していたデイサービスでは、午前と午後それぞれ受け入れる利用者は最大20名でした。普段は15名ほどで、マシントレーニングやその他の運動器具を使い一巡するのに1時間ほどかかります。ただ、利用者の人数が多いとそれ以上かかることもありました。利用者は1時間ずっと運動しているわけではなく、待ち時間に他の利用者と会話したり認知症対策の脳トレを行ったりしてもらいます。⑧マシントレーニングの実態使用していたトレーニングマシンは高齢者専用と謳っていました。しかし、実際は一般的な筋トレ用のマシンで、公立の体育館等に置いているような古いタイプのマシンでした。そのため、高齢者向けに使用する場合はとても気を使います。脚の上げ下ろしが難しい高齢者にとって、マシンの乗り降りや着座が難しいです。座面の高さ調整では最も低くしても乗り降りが出来ない、マシンのバーに手が届かない等の問題が多く、運動指導員の介助を要することが多かったです。私はスポーツジムに通っていたので、マシンの用途やどの筋肉に効くかもある程度知識を持っていました。スポーツジムでは基本的に筋力の向上、心肺能力の向上等を目的にトレーニングを行います。運動特化型デイサービスでは、「普段動かさない部位を動かして、可動域が広がれば日常動作が楽になる」というのが宣伝文句で、マシントレーニングの主目的が、身体動作の円滑化、心肺機能等の体力の維持です。そのため、マシンは軽負荷、場合によっては無負荷で少ないREP(回数)のトレーニングを行います。結果、体力維持の効果はあるものの筋力向上は殆ど見られないためフレイルの抑止効果は限定的です。筋力が弱ければ動作そのものが円滑にはなりえません。しかし、高齢者は年齢が進むにつれて体力は顕著に低下します。また、循環器・呼吸器疾患、骨粗しょう症や変形性関節症等の基礎疾患により、運動そのものが健康維持に悪影響を及ぼすことがあります。そのため、利用者にむやみに高負荷の運動をさせられないジレンマがあります。
2026.07.05
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⑨運動機能訓練(マシントレーニング以外)□フィットネスバイクマシントレーニングの他の運動器具として、心肺機能を向上させるためのフィットネスバイク(背もたれ付き)がありました。スポーツジムによくあるもので、高齢者が利用するので負荷無しで1~5分の足漕ぎ運動をしてもらいます。バイクは運動した実感があるため利用者から好まれていました。ただ、自力で座席に座れない利用者が多いため職員が介助します。車椅子を利用している利用者でもある程度脚が動かせる人であれば、フィットネスバイクでの運動をしてもらっていました。一般型デイサービスでも簡易型のフィットネスバイクを設置していますが、往々にして利用者の興味が薄れて埃をかぶっていることが多いようです。簡易な器具のため、運動した達成感に乏しいのでしょう。□平行棒歩行訓練用の平行棒は、1日型のデイサービスでも使われている歩行運動等を補助する器具です。平行棒では、歩行訓練はもちろんスクワット、踏み台昇降、脚上げ運動等も出来て、運動時の危険が少ないのでよく利用されています。平行棒は、病院のリハビリやデイサービスでは定番の運動器具です。歩行やスクワット等の下肢の運動に使用するものと思われがちですが、勤務先の事業所では平行棒にタイヤチューブやゴムバンドを結んで腕の運動にも使用していました。□ストレッチベンチ運動器具ではありませんが、下肢の筋肉や腱の柔軟性を高めて腰痛を改善するストレッチベンチがありました。ストレッチベンチはシンプルな構造でただ座るだけですが、プロ野球選手の腰痛改善で使用された実績のあるものでした。□マッサージ器運動器具ではないのですが、足裏マッサージ器が設置されていました。下肢の血行が促進されて気持ち良いことから利用者から好評で、勝手に使用時間を延長する利用者がいたほどです。しかし、心臓に疾患のある人には使用できないので注意が必要です。□その他マシントレーニング後、時間に余裕があるときは百歳体操や椅子を使った立ち座り運動のような高齢者向けの運動を行っていました。マシントレーニングでは、立ち上がり等の特定の機能訓練になってしまいますが、それでは総合的な体力向上につながらないので百歳体操等で補完していました。最近は、動画投稿サイトに高齢者向けの体操や運動に関する動画がアップロードされています。特に自治体が投稿した動画は、使い勝手が良く頻繁に利用させてもらいました。できれば利用者に家庭でもそうした動画で体操を実施してほしいと考えていましたが、高齢者の場合、自分でパソコンやスマホを操作することが出来ないことが殆どのため勧めにくいのが現状です。
2026.07.05
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⑩脳トレ・回想法脳トレ(認知的トレーニング)は近年よく耳にする言葉で、脳の可塑性(使った部分が強化される性質)を利用して、記憶力、集中力といった特定の認知機能を活性化させる効果があるとされています。計算や記憶、パズル等を継続して行うことで、脳のネットワークが強化されて短期的な処理速度や認知テストの成績が向上することは知られていますが、認知症予防の効果は科学的根拠が乏しいです。脳トレとして簡単なクイズやパズル等を行いますが、脳トレ用のテキストや教材は購入またwebサイトから簡単にダウンロードして入手出来ます。デイサービスでは利用者が手持無沙汰になりがちなのです。そこで効果はさておき、世話を焼かずに済む方法として脳トレをさせることが常套手段です。回想法は、高齢者が興味を持ちやすい内容を題材としたテキストで授業を行います。テキストは高齢者施設向けに専売されているもので、年中行事、昔の遊び、流行歌や唱歌といった題材のクイズや合唱等を行います。回想法は脳トレ同様に、記憶を呼び覚まして認知機能の部分的改善に効果はあると思います。しかし、題材によって利用者が関心を示さないことが多く、脳トレ同様に認知症予防とまでにはならないと思います。脳トレや回想法では、デイサービスの職員が教材を自作することがあります。私の勤務先でも自作していましたが、人気があったのは地元の難読地名クイズや地元出身の有名人クイズでした。身近な内容が興味を持ちやすく積極的に取り組んでもらえました。脳トレや回想法を行う場合、利用者の興味関心を如何に引き出すかが肝要と思います。
2026.07.05
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⑪口腔体操口腔体操とは、口、舌、頬、喉等の筋肉を動かすトレーニングであり、食事や会話に必要な筋肉や神経の機能を維持向上させて、誤嚥や食べこぼしを予防する効果があります。□口腔体操の流れ首・肩の運動…肩の力を抜き上下に動かして、首をゆっくり回します。舌の運動…舌を大きく前に出したり上下左右に動かして、左右の頬を内側から強く押したりします。次に唇を閉じたまま歯茎をなぞるようにぐるりと回します。頬の運動…口を大きく膨らませたり、すぼめたりを繰り返します。唾液腺マッサージ…口の中にある唾液腺(耳下腺・顎下腺・舌下腺)を指先でマッサージします。パタカラの運動(発音練習)…それぞれはっきりと連続して発声します。パ:唇をしっかり閉じて弾く(食べこぼしを防止する)タ:舌先を上の前歯の裏につける(食べ物を口の中でまとめる力をつける)カ:舌の奥を上げて喉の奥を締める(誤嚥を防ぐ)ラ:舌を丸めて弾く(飲み込みを円滑にする)早口言葉…「なまむぎなまごめなまたまご」等の早口言葉を発生します。なお、歯科衛生士が指導する口腔ケアは、ケアプランに盛り込まれている利用者のみ実施します。
2026.07.05
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⑫身体評価身体評価は、身体機能、筋力、バランス能力、日常生活の自立度を測定・評価するものです。転倒リスクの予測、健康寿命の延伸、適切な介護や運動機能訓練の計画立案を目的として行います。□身体評価の流れ評価を実施する職員は、利用者の記録用紙を準備して、前回の記録内容等を確認します。前回実施した評価方法を踏襲しますが、麻痺等身体的に大きく変化した場合は評価方法を変更します。準備する機材は、椅子(手摺付き・2脚)、タブレット端末(動画記録用)、三脚、ポール、ストップウォッチ、記録用紙で、撮影機材、椅子、ポールを事前に設置します。□評価実施身体評価は、近影撮影、TUG、CSの順に実施します。また、ファンクショナルリーチ等を追加する場合もあります。体力評価を行う利用者を、赤の椅子に案内します。撮影開始にあたり利用者に体力評価の趣旨を説明します。利用者には、「今から体力評価を行います。体力評価は、ご利用者様のからだの状態を記録するもので、10分ほどで終わります。」となるだけ簡単に説明します。□近影の撮影利用者の座位での全身像を動画で撮影します。これは、座位で姿勢を保持できているか確認するために行います。また、身だしなみ、顔の表情等を記録して、担当者会等の資料にします。□TUG(Timed Up & Go Test)TUGは、歩行や生活動作における転倒リスクを判定するために、動的バランス、歩行、敏捷性などを複合的に観察するスクリーニング検査です。最初に、評価実施者は利用者にTUGについて説明します。「いまから歩いている様子をビデオで撮ります。」「私がこのように”はい”と合図をしたら、椅子から立ち上がり、歩いてポールを回って戻ってきて、椅子に腰掛けてください。2回行います。」 「このように」のところで利用者の前で、大きな動作でストップウォッチを押す動作を展示します。実施直前は、着座して手は太ももに置いてもらいます。杖、ロフストランドクラッチを使用の場合は、椅子の手摺に立て掛けておきます。歩行器を使用する場合は、ご利用者様の前に設置します。初めて実施する場合、ポールを回る方向を決めて、実施者が実際に回って右回り、左回りを決めます。片麻痺等がある場合は患側が撮影できる方向にします。2回目以降は、前回と同じ方向に回ってもらいます。その際、評価実施者が回って見せます。 次に、姿勢を整えて立ちやすいように浅く椅子に腰かけもらいます。計測直前、「転ばないように注意しながら、できるだけ早く歩いて戻ってきてください。準備はよろしいですか? (2~3秒の間を置く。) はい!」 と号令して、ストップウォッチを押して計測を開始、利用者に立ち上がって歩行してもらいます。評価実施者は、利用者の転倒に備えて常に利用者の斜め後方を追従します。ポールを通り過ぎたり、途中で立ち止まったりする等しても評価実施者は見守るだけにします。利用者が着座したらストップウォッチを止めますが、同時に転倒防止のため椅子を支えます。この評価は2回実施します。評価基準は次の通りです。10秒未満は完全に自立、転倒リスクは非常に低い。10〜19秒は良好な移動能力があり、転倒リスクは比較的低い。11秒以上は日本整形外科学会による「運動器不安定症」の診断基準の一つ。13.5秒以上は地域在住高齢者における転倒リスクが増大する目安。20〜29秒は移動能力にばらつきがあり、外出時の介助が必要になります。30秒以上:移動能力が著しく低下。ADL(日常生活動作)に介助が必要となります。実際に評価を実施すると、耳が遠かったり認知症の影響だったりして指示が入らない、評価に消極的でやりたがらない等、うまく実施できないことが多いです。また、歩行器等を使用する場合、評価基準が妥当ではないこともあります。また、時間だけでなく、ふらつき、体重移動、方向転換、着座の様子、評価実施者の指示に対応しているか等について注目します。□CS(Chair Stand test)CSは、下肢筋力や運動のパフォーマンスを評価します。立ち座りの様子を、正面と側面を各2回撮影します。準備として、タブレットはTUGと同じ利用者から5~6m離れた位置に設置します。タブレットの画面は、立ったときと座ったときの状態が画面に収まるようにします。実施者は利用者の動作の妨げにならないように約1m離れて立ちます。次に、評価実施者は利用者にCSについて説明します。「いまから立ったり座ったりする様子をビデオで撮ります。姿勢を整えて、立ちやすいように浅く腰かけてください。私が合図をしましたらお立ちください。」と説明します。次に、CSを実施します。「その場で立ち上がってください。 (姿勢が安定するまで2~3秒の間を置く。) はい、座ってください。もう一度立ち上がってください。はい、座ってください。ありがとうございました。次は、緑の椅子に座り直してください。」と指示します。この評価も2回実施します。この評価では、CS-30のように30秒間で何回立ち座りができるかを計測するのではなく、立ち座りの動作の様子、安定さ、速さ等を前回実施の動作と比較します。□FRT(Functional Reach Test)FRT(ファンクショナルリーチテスト)は、その場でバランスを崩さないように姿勢の調整ができるかというバランス能力を評価します。この評価方法は、腕を90°上げた状態でできるだけ前方に手を伸ばしていくだけです。測定者は、その時の最大移動距離を測定します。但し、この評価はある程度安定した立位がとれる利用者だけに実施します。壁面に直定規を取り付けて利用者に立ってもらいます。手本を見せながら「いまから、ご利用者様の安定性と肩の上り具合を撮ります。立った状態で腕を肩の高さまで上げます。 (肩の高さまで上がらない場合は、上げられる限界の高さでよい。) このように遠くに手を伸ばしてください。腰は曲がっても構いません。これが限界という位置まで行って、元の姿勢に戻ってください。それでは始めてください。」と指示とします。評価実施者は利用者の転倒に備え、利用者が上げた手の中指の水平方向に動いた距離を直定規で測定して記録します。(測定は1回のみ。)評価基準は、18.5cm 未満は転倒リスクが高く、18.5〜25.4cmは中程度の転倒リスク、25.5cm以上はリスクが低いです。
2026.07.05
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□体重測定高齢者の体重測定は、フレイル(低栄養)やサルコペニア(筋肉量減少)の早期発見に直結する重要な測定です。厚生労働省では、75歳以上の高齢者の目標とするBMIを21.5~24.9と定めており、特に「体重減少の有無」を最優先で評価します。1ヶ月で5%以上の減少6ヶ月で10%以上の減少が見られる場合、低栄養や疾患の疑いがあるため注意が必要です。また、ふくらはぎ周囲長の測定や指輪っかテストを実施する場合もあります。□握力測定高齢者の握力測定は、全身の筋力や転倒リスク、サルコペニア・フレイルを評価するための重要な指標です。測定結果は、医療・介護予防における具体的な基準値や、文部科学省の年齢別平均値と比較して評価されます。筋肉量や筋力の低下を評価する「サルコペニア」の基準として、以下の数値未満の場合は筋力低下とみなされます。測定では、座位又は直立で、握力計の握りの間隔を人差し指の第二関節が約90度になるよう調節して、左右交互に2回ずつ測定します。記録は左右それぞれ良い方の最大値を採用します。自立した生活を維持するためには、男性28 kg、女性18 kgを下回らないことが推奨されます。高齢者向け体力テストにおける一般的な目安(中央値付近)は次の通りです。65歳〜69歳: 男性 34~36 kg/女性 21~23 kg70歳〜74歳: 男性 32~34 kg/女性 20~22 kg75歳〜79歳: 男性 29~31 kg/女性 18~20 kg実際、測定すると男性が20kg前後、女性は10kg前後で、30kgを超える人は殆どいませんでした。握力は全身の筋肉量と明確な正の相関があります。手や前腕だけでなく体幹や下肢の筋肉とも連動するため、握力が強い人は全身の筋肉量や骨格筋量指数(SMI)が多い傾向にあります。高齢者に限らず、成人一般も定期的に握力を測定することが健康を評価する上で望ましいと思います。
2026.07.05
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⑬運動機能訓練の効能□運動機能訓練の問題点最近は運動特化型の介護事業所をよく見かけますが、前にも述べたように私はこうした運動機能向上訓練の効果には懐疑的です。多くの利用者を見てきましたが、運動機能が大きく向上し、フレイルが軽減して日常生活が劇的に楽になったという利用者を見たことがありません。フレイルは加齢や病気で心身の活力が低下し健康な状態から要介護状態へ移行する段階のことですが、私の知る多くの利用者は年齢に応じて筋力低下、意欲減退が進行していました。デイサービスの軽負荷トレーニングだけでは運動機能向上の効果は極めて限定的と思います。事業所の研修で、脳梗塞による片麻痺の利用者が劇的に回復する様子をビデオで見たのですが、これは稀なケースと思います。多くの利用者の場合、「何もしないよりはマシ」程度の効果しかないと感じました。私の経験で運動機能向上に最も効果があったのは、40歳代の廃用症候群でリハビリに来所した身体障碍者でした。□改善に向けて健康のための運動やスポーツにおけるトレーニングでは、方法や頻度が大切ですが、食事や睡眠、休養も重要です。タンパク質やミネラル、食物繊維の豊富な食事の摂取し、適切な量と質の睡眠や休養をとることで効果的な運動機能の向上が見込まれます。しかし、デイサービスでの運動機能訓練は方法のみ重要視して、頻度はデイサービス側の都合で決められ、食事等については全く考えていません。デイサービス等の高齢者施設では、取り敢えず何か運動すれば健康になるのではないかという漠然とした考えだけで運動機能向上訓練が行われています。私は何人かの利用者に、運動特化型デイサービスの利用理由について聞いたことがあります。脳梗塞等の後遺症や筋力低下で思うように動けなくなった利用者は、「少しでも体を動かせるようにしたい」という切実な願いを持っていました。しかし、ある程度動ける利用者の多くは、「運動しておいたほうが良いと家族やケアマネに勧められたから」、「半日で帰れるから」、「他にすることがないから」という消極的な理由が多かったです。個々の事情によって運動への意欲が大きく左右されます。高齢者の運動機能向上訓練は研究途上であり、一般的なスポーツトレーニング理論のようにある程度確立したものになっていないと思います。勤務していたデイサービスが謳っているようなマシントレーニングだけで運動機能が向上するとは思えません。運動機能向上には食事や睡眠等も大きく関わっているので総合的に考える必要があると思います。また、高齢者は運動・スポーツの経験の少ない人(特に女性)が多いため、大多数はマシントレーニングに積極的ではありません。そのため、高齢者の運動はメンタル面からも考える必要があると思います。「今更運動しても仕方ない」、「もう疲れることはしたくない」、「この年齢で運動しても体力や身体機能は回復しない」等の消極的な気持ちに配慮しないと、デイサービスでの機能訓練が利用者にとってただ苦痛な時間になってしまいます。更に、デイサービスでの運動機能訓練では、運動量が少ないことが問題です。週1~3回程度のデイサービス利用では、筋力や体力の維持向上は限定的です。そのため、在宅で出来る運動を持続してもらうことが重要になります。私案ですが、デイサービスのない日も在宅で自主的に運動をしてもらうべきでしょう。デイサービス側は、本人の意欲を保ちつつ適切に指導を行います。利用者に対して、具体的にどのような運動を行うか利用者の要望や適性を考慮して、運動の種類や回数等を提案すると良いと思います。例えば、その場足踏み、かかと上げ、つま先立ち、スクワットを10~20回行う、百歳体操を行う等具体的な内容で提案して利用者に実施してもらいます。デイサービスでは運動のやり方や注意点を指導します。そして実施状況を調査、確認することでより効果的な運動機能向上が図れると思います。
2026.07.05
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3.認知症と高齢者の生活への対応運動特化型デイサービスとはいえ高齢者向けのサービスであり、私が勤務していたデイサービスの利用者の多くに認知症の症状がありました。MMSE(ミニメンタルステート検査)を行うと、中等度〜重度の認知症の疑いのある23点以下の人が半数近くいました。認知症の中核症状である見当識障害のため日時が分からず迎えに行っても準備していない、また、帰宅願望が強くなり帰ろうとしたり施設を抜け出したりしてトラブルになることが多々ありました。記憶障害から職員の顔や名前が覚えられない、実行機能障害からマシントレーニングの手順が分からずいつまでも運動を続けてしまう利用者もいました。職員は当然そうしたことを承知の上で対応しますが、想像できないような行動をとる利用者もいるので気が抜けません。運動特化型デイサービスとはいえ、認知症への対応抜きに運営は考えられません。また、高齢者の生活状況や興味や関心のあることを把握して、高齢者の生き方をサポートすることも大切です。そのため、MMSE等の実施と評価を行い、利用者ごとに対応を行っていました。①MMSEMMSE (ミニメンタルステート検査)は、認知症や軽度認知障害(MCI)の疑いがあるかを調べるために用いられる世界共通の簡易的な神経心理検査です。特別な機材は不要で、約10〜15分で記憶力や見当識、言語能力などを客観的に評価できます。検査の評価項目全11問、30点満点で採点されます。見当識(10点): 現在の年月日時、季節、いる場所(都道府県や施設名など)の把握記銘(3点): 3つの言葉を提示し、復唱して覚える注意と計算(5点): 100から7を連続して引く計算、または「フジノヤマ」の逆唱想起(3点): 先ほど覚えた3つの言葉を思い出す言語・構成(9点): 時計やペンの名前の呼称、文章の復唱、口頭・書面での命令理解、文章の記述、図形(五角形)の模写点数別の目安一般的に以下のような基準で評価されます。27〜30点: 正常範囲24〜26点: 軽度認知障害(MCI)の疑い18〜23点: 軽度〜中等度の認知症の疑い0〜17点: 中等度〜重度の認知症の疑い②高齢者生活機能評価高齢者生活機能評価とは、加齢に伴う心身の衰えを早期に発見して要介護状態になることを予防するための総合的な評価のことです。主に自治体が行う基本チェックリストによる生活機能評価を使用します。介護予防のための基本チェックリストは、主に65歳以上の第1号被保険者を対象に保健師などが実施する25問程度のリストです。本来、このリストは要介護・要支援認定を受けていない人が対象となりますが、勤務先のデイサービスでは要支援・要介護の利用者にも使用していました。基本チェックリストの評価項目は、運動器の機能、栄養状態、口腔機能、閉じこもり、認知機能、うつ傾向などです。その目的は、生活機能の低下リスクを早期に発見して、適切な介護予防事業(通所型・訪問型サービス等)へつなげることです。勤務先のデイサービスでは、利用者の生活状況を把握するためにこのチェックシートを毎月すべての利用者を対象に実施していました。□生活機能チェックシート生活機能チェックシートでは、ADL(日常生活動作)、IADL(手段的日常生活動作)、起居動作の各項目を、[自立・見守り・一部介助・全介助]の4つのレベルで評価して、それぞれ課題の有・無をチェックします。□バーセルインデックスバーセルインデックス(BI)は、ADLを評価する指標であり、食事、車椅子からベッドへの移動、整容、トイレ動作、入浴、歩行、階段昇降、着替え、排便コントロール、排尿コントロールの計10項目の自立度を5点刻みで点数化して、その合計を100点満点として評価するものです。□興味・関心チェックシート興味・関心チェックシートは、個別機能訓練の目標を設定するにあたり、生活機能チェックシートとともに活用するシートです。利用者の日常生活や社会生活等について、現在行っていることや今後行いたいこと(ニーズ、日常生活や社会生活等における役割)を把握するものです。各生活行為に対して、[している、してみたい、興味がある]の3つで把握します。チェックシートは、利用者に直接記入してもらうか職員が聞き取りを行って調べます。結構手間と時間がかかるため大変でした。この評価で感じたのは、多くの高齢者が日常生活において消極的だということでした。日に日に出来ることが少なくなり、特段やりたいこともない無為な生活に疲れているようでした。また、自分のことより家族が息災に暮らせればそれで良いという、ささやかな希望だけで生活していることを感じました。
2026.07.05
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③デイサービスでの事例□デイサービス利用中に逃走勤務先のデイサービスを利用していた要支援2の男性で、元植木職人で体力自慢の方がいました。自立して日常生活をしており介護の必要のない方でした。普段は寡黙ですが短気なところが残念な方でした。医師から認知症の診断を受けていましたが本人は認知症の自覚がなく、また、会話をしてもとても認知症とは思えない利用者でした。ある日、マシントレーニング中、その利用者の姿が見えないことに職員が気付き慌ててデイサービス周辺を探したのですが見つかりません。ご家族に連絡して警察にも連絡することになりました。数時間後、利用者のご家族から連絡があり、なんと利用者がタクシーで帰宅したとのことでした。その利用者は、デイサービスを抜け出して近所の山に道具も持たずにタケノコを掘りに行き、その後タクシーを捕まえて帰宅したのです。本人はデイサービスを抜け出たことを覚えておらず、タクシーに乗車しても家の住所を伝えられず、タクシーの運転手はあちこち走って利用者が見覚えのある場所を辿りながら自宅に戻ったとのことでした。その後、利用者はデイサービスの利用を再開、掘った大量のタケノコに持ってこられて自慢していました。(タケノコは職員がいただきました。)この男性は、介護・病院関係者に対する不信感がとても強い方でした。そのためデイサービス職員に無断で施設から逃走したのかもしれません。以前、医師や別のデイサービスの職員に、「あなたは認知症だから・・・」と言われたことを根に持っていたようです。本人が認知症である認識は少ない若しくは無いことが殆どで、自尊心を傷付けられて怒りや不信感を持つ人がいます。しかも、心無い言葉というものは認知症であっても忘れないようです。蛇足ですが、事実を本人に言うことが当然と思っている介護・医療従事者を時々見かけます。自分が認知症になったとき、言われる立場になってどう感じるか想像できないのかと思います。私は、認知症の利用者に対して人の尊厳を貴びつつ、これまで通りの接し方を維持することが肝要と考えます。□迎えに行ってもいない…。ある女性の利用者は、利用日に迎えに行っても不在のことが殆どでした。何故なら、日課の散歩に出掛けてデイサービスの利用日時を完全に忘れているためです。その利用者は、早朝に散歩に出掛けて昼過ぎまで戻ってきません。しかも、履いている運動靴の底に穴が空いているのですが、本人は全く気付いていません。なるべく早く帰宅するように家族が言っても聞く耳を持たなかったそうです。やむなくご家族が携帯電話を持たせてすぐ連絡が出来るようにしていました。ある日、私が送迎車で迎えに行くと、いつものように不在なので携帯電話へ連絡すると案の定散歩中でした。どこにいるか尋ねると「なんか大きな建物があって、フェンスがあって・・・」と場所が良くわからない様子でした。仕方なく周りに見える建物等を言ってもらい、周辺の地理に詳しい利用者から「○○○の近くやね」等と助言を聞きながら捜索してようやく発見、乗車してもらいました。認知症の利用者の徘徊や失踪は事件事故に直結するので、見守りと早期発見が重要です。しかし、少ない職員ではどうしても見抜かりが生じます。最近は、GPS機能付きのスマートタグ等が普及して早期発見が容易になっています。しかし、本人が持たずに出掛ける、バッテリーが切れる等の問題があります。そうしたリスクを考慮した二重三重の対策を行う必要があります。徘徊が恒常化している利用者は複数人で見守りを行い、不穏やせん妄がある場合は利用者の側に寄り添い会話する等して見守りを行うことが肝要です。□やめられない、止まらない認知症の利用者がマシントレーニングを行う際、注意すべき点は運動を止められないことです。マシントレーニングでは、職員に呼ばれてマシンに着座、自分で運動回数をカウントして運動が終わったら職員を呼びマシンから降ります。しかし、認知症のある利用者の場合、いつ運動を終わらせればよいか分からず延々と運動を続けてしまいます。なにせ本人は、何故マシントレーニングをしているのか分からず、疲れたら運動を止めるという判断が出来ません。そのため、キッチンタイマーをマシンに取り付けて、アラームを3分程度にセットしておきます。適度に運動を行うことは、認知症の予防と症状進行の抑制に最も効果的とされています。しかし、過度な運動は筋肉や関節、心肺への過度な負荷になり健康を害する恐れがあります。そのため運動中の利用者の見守りは必須です。
2026.07.05
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4.デイサービスの送迎業務デイサービスは日帰りで入浴や食事の提供し機能訓練を行う一般型、リハビリ特化型、認知症対応型、療養通所介護(療養型)の4つの形態がありますが、いずれも送迎業務があります。送迎を行わない場合は、原則として介護報酬の減算(マイナス査定)の対象となります。そのため、デイサービスが利用者宅から徒歩1分でも送迎車で送り迎えを行います。①送迎の流れ送迎業務は、事業所によって手順がかなり異なりますが、私が勤務していた事業所の流れは次のようなものでした。送迎を担当する職員は、朝出勤して当日の送迎表を確認、自分が送迎を担当する利用者と送迎時刻、座席、使用車両、その他の特記事項を確認します。次に、車の鍵、コロナ対策の除菌スプレー、非接触式体温計、運行記録表を持って車に乗り込みます。そして、利用者の自宅やケアハウス等の居宅を回り、利用者を乗せて事業所に戻ります。戻ったら利用者の降車を介助、車を駐車場に戻します。半日型デイサービスでは、朝の迎え、昼の送りと迎え、夕方の送りと1日に3回の送迎を行います。(一般的なデイサービスは朝夕の2回)②送迎車デイサービスで使用する送迎車はワゴンタイプの軽自動車やミニバンが多く、2~5名ほどの利用者を乗せて送迎します。利用者の多い事業所では、ハイエースのような大型のワゴン車やマイクロバスを使用するところもあります。軽自動車やコンパクトカーは郡部や市街地の狭い道に適しており、送迎の人数が少なければ軽自動車等を使用することが多いです。ワゴン車は多くの人数を乗せられるので効率的ですが、乗り降りが難しい利用者もいるので使用車両の選択に注意する必要があります。規模の大きい事業所では、利用者が車椅子に座ったまま搭載できる福祉車両を所持しているところもあります。軽自動車や普通車タイプの福祉車両は、スロープ付きで電動ウィンチで引き上げるタイプが多いようです。ワゴン車タイプは電動リフトで車椅子を昇降して搭載します。私は勤務した介護施設の送迎で電動ウィンチ式とリフト式の両方で送迎を行っていましたが、移乗介助の必要が少ないのでとても楽でした。但し、車椅子の固定ベルトをしっかり絞めて固定しないと送迎中に車内で車椅子が動いてしまい事故につながります。シートベルトを締め忘れたり、リフト昇降中に利用者の手足が挟まる又は接触したりするヒヤリハット事案を何度も経験しました。便利であるがゆえに、つい注意が疎かになりがちでした。最初に勤務した事業所の送迎車は、社有車ではなくリース車でした。リース会社が定期点検は行っているのですが故障や不具合が多く、夏場にエアコンが故障、自動スライドドアが故障してドアが開かない、バッテリーがすぐ上がってエンジンがかからない等、送迎業務に支障の出ることが度々ありました。社有車の場合でも、タイヤの空気圧不足で走行が不安定で燃費が悪くなる等の不具合がありました。福祉事業所は送迎で人を乗せるのに車両管理が杜撰なところが多く怖いです。介護事業者は運送会社やタクシー会社並みに車両管理を徹底してもらいたいものです。事業所を示すステッカーやシールは何も貼っていませんでした。その理由として、利用者が近所にデイサービスを利用していることを知られたくないように配慮するためとのことでした。高齢者の中には、要介護になったことを恥じて周囲に知られたくない人がいます。多くの介護事業所の車両はそれと分かるようにしています。送迎中に介護施設の送迎車と周囲に知らせて駐車や走行時に配慮を促す必要もあり悩ましいところです。③送迎ドライバーデイサービスでは、介護職員や専従ドライバーが利用者を送迎します。多くの事業所では介護職員が送迎車を運転しますが、介護資格を持たない専従ドライバーを雇っている事業所も多いです。介護事業の送迎業務では、普通自動車第一種免許があれば運転可能で介護タクシーのような二種免許は必要ありません。送迎では、タクシーのように利用者をただ送迎すればいいわけではありません。送迎を行う職員は歩行介助や移乗介助を行うことが多く、「居宅に帰着し安全な状態と認められるまで」が送迎の範囲のため、居室内まで付き添うことも多いです。そのため、介助技術や利用者の個々の身体状況を知っておく必要があります。また、車椅子の介助やリフトの操作等にも習熟が必要な場合もあります。そのため、送迎に当たる職員は、介護福祉士等の有資格者であることが良いとされています。しかし、無資格だから送迎が出来ないことではないので、人手不足もあり事務職や専従ドライバー等の無資格の職員が送迎を行っている事業所が殆どです。介護等の資格の無いドライバーに対して介助技術や認知症への対応等の教育するところもあるようですが、多くの事業所ではそのような対応をしていないようです。無資格の職員は、歩行介助や乗降介助、車椅子の操作等は見様見真似で行っており、事故やトラブルのリスクは高いです。④送迎ルート送迎ルートは基本的にドライバーが考えますが、送迎表で利用者の組み合わせ等から30分以内に送迎できるある程度決まったルートになります。多くのデイサービスでは利用者宅の個別の地図としてGoogle-mapをそのまま印刷していますが、私の勤務先では、地域別に複数の利用者宅を記した地図を作成したり、個別の地図に特記事項を書き込んだりして情報共有を行っていました。例えば、「利用者の車椅子を積み込み」、「玄関先から道路まで階段あり。歩行介助必要」等の情報を書き込みます。また、利用者の居宅や道路状況は事前に覚えておく必要があります。スマートフォンのナビアプリ等を利用することがありますが、郡部ではカーナビが当てにならないことが多々あります。地図に載っていない道があったり、ワゴン車等が通行出来ないルートがあったりします。また、凸凹や段差のある悪路、急カーブの多いルート、渋滞が発生しやすいルート等はなるべく避けなければなりません。更に、利用者の自宅の状況によって、車の駐車位置も注意する必要があります。なるだけ利用者が歩かなくても良いように車を玄関の間際まで寄せたり、片側しかスライドドアがない送迎車ではドアのある方を玄関側になるように進入ルートを考えたりする必要があります。⑤送迎表私が最初に勤務した事業所では、前日に送迎表をエクセルで作成していました。送迎表は送迎車のドライバーと利用者の振り分けだけでなく、利用者の座席配置、歩行器等の有無、当日の簡単な予定や注意事項等も記載されています。しかし、次に勤務した事業所ではホワイトボードに当日の送迎担当者と利用者を割り振った表が掲示されるだけでした。事業所によって送迎の段取りはかなり異なるようです。⑥乗降車時利用者の居宅に到着したら、利用者を迎えに行き必要ならば歩行介助や車椅子介助を行います。居宅が戸建てやマンションの場合は玄関先で呼び出しますが、ケアハウスやサ高住等では建物内に入って居室まで迎えに行きます。自力で車に乗れる人は利用者の半分ほどで、多くは歩行介助や移乗介助が必要でした。杖やシルバーカーで歩行できる利用者は介助があまり必要ではありません。しかし、脳梗塞等で麻痺がある場合や下肢筋力が極端に弱い場合は転倒の危険があります。そういう利用者の自宅にかぎって階段や段差があるので、なおさら注意が必要です。車椅子の場合、車への移乗に注意が必要です。リフト車であればそのまま乗せられますが、勤務していた事業所にはリフト車がありません。そのため車椅子から座席に移乗してもらっています。利用者が乗車したら座席に誘導してシートベルトの装着を介助します。高齢者の場合、シートベルトの装着が困難な人が多く、また認知症でシートベルトの装着方法自体が分からない人もいます。基本は、送迎ドライバーが安全確認も含めてシートベルトの装着を行います。⑦走行時送迎中は安全運転に注意しますが、利用者との会話しながら運転することが多いです。利用者には認知症がある人も多いですが、意外に会話が成り立つので面白いです。毎回同じ内容を話されるのですが、よくよく聞いているといつの間にか内容が誇張したり、都合の良いように変わってしまったりすることがあります。昔アユを1日で100匹釣ったと自慢する釣り好きの利用者がいましたが、ある日10kgのアカメを釣ったというのですが次の週には100kgになっていました。最初は冗談かと思っていたのですが本人は至って大真面目で、そのうちクジラを釣ったと言い出しそうだと他のスタッフと笑いました。認知症の方の会話では、帰宅願望や盗られ妄想等で聞いていて虚しくなるようなことがあります。しかし、昔の楽しい思い出や家族のことを嬉々として話される様子は介護の仕事の癒しでした。⑧送迎中のトラブル利用者の居住地が市街地のマンションや田園地帯のど真ん中にある戸建て等様々です。市街地では駐車位置に注意する必要で、マンションは指定場所に停めないと管理人から苦情を言われます。また、僻地の場合は道路事情が悪く、道幅が狭く車のすれ違いができない場所や急勾配や未舗装等の危険な道もあり、大きいワゴン車や運転技術の未熟なドライバーを行かせられない場所もあります。脱輪や接触のような自損事故は、おそらく送迎を経験した人なら一つや二つ経験していることでしょう。怖いのは人身事故です。幸いにも私はそうした経験がありませんが、時折危険な運転をするデイサービスの送迎車を見かけます。多いのは一時停止の不履行、信号無視等ですが、酷い場合はあおり運転をする送迎車を見かけました。デイサービスの車両は、時折あおり運転をされることはありますが、まさかする輩がいるとは驚きでした。送迎記録は、介護報酬の請求やサービス提供の証明として、乗降時間や走行距離などの送迎記録が義務付けられています。
2026.07.05
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5.デイサービス職員の実情私が最初に勤務した運動特化型デイサービスは、グループ全体で県内に 箇所の事業所があり、運動特化型デイサービスの他に、有料老人ホーム、一般型デイサービス、保育園、放課後デイサービス等、手広く事業を展開していました。①デイサービスの職員私が勤務していたデイサービスの人員構成は、正社員の所長、理学療法士1名、看護士1名、介護職3名(介護福祉士と実務者研修済み)、パートで看護師1名、介護職2名、送迎ドライバー1名でした。歯科衛生士は企業グループ内を巡回していました。所長はデイサービスの運営管理、理学療法士は機能回復訓練の管理と指導、看護師は利用者の健康管理、介護職はマシントレーニングの指導、事務は給与・勤怠管理と事務処理等を行います。小規模の事業所だったので、清掃などの雑用は全員で分担しながら行っていました。私が勤務していた2年弱の間に、所長と介護職2名が退職しました。所長は社長とデイサービスの運営や待遇改善等のことで対立して退職、介護職は新任の所長と処遇のことで対立して退職しました。その都度、職員を新規採用して人員を補充するのですが、介護福祉業界の定着率の悪さは酷いものです。特に幹部職の退職が多いことに驚きます。②職員の待遇介護職の正社員で就職しましたが、給与は介護福祉士や看護師等の有資格者よりはやや低めで無資格よりは少し多かったです。賞与は1年勤務して基本給の1ヶ月分でした。待遇は半年後の有給10日間は法令通りですが、交通費は自車通勤も交通機関を利用しても関係なく出勤した1日につき100円の支給でした。私は車通勤でしたが、勤務地まで距離があるのでガソリン代を補い切れず全くの赤字でした。介護休暇や育児休暇等はあってないようなもので、社長の許可がまず取れませんでした。私が入社してしばらく立ったある日、突然臨時の賞与が全職員に支給されました。これは会社が介護給与加算(処遇改善加算)を不正に貯め込んでいたことが役所にバレそうになり、慌てて支給されたものでした。恐らく職員の誰かが役所にタレこんで、会社に監査の通知があったためのようです。(役所がなぜ事前に通知したのかは不明)③企業運営私の勤務していた会社は、過去にも不正行為があったそうで不正請求がバレて多額の介護報酬の返金を求められたそうです。職員の多くは真面目に仕事をしていますが、社長と専務が無計画な事業拡大や不正請求のような良からぬことを次々に指示するため、それに耐えられなくなった職員が次々に退職していました。しかも、事業所の所長のような幹部職員が、毎月のように退職していたことには驚きました。普通の会社なら倒産してもおかしくないのですが、介護事業の不思議でなかなか倒産する様子がありません。介護福祉事業は、介護報酬だけでなく新規事業に対する補助金や助成金もあり、次から次へと新規事業を始め補助金や助成金をもらうというビジネスモデルが成り立っているようです。また、幹部職が急に退職しても、社長は次席の社員を言葉巧みに後釜に据えて、過重労働を押し付けるということを繰り返しています。多くの社員は、辞めるに辞められない様々な事情を抱えています。介護従事者はただでさえ少ない給与に甘んじながら、他業種への転換もままならず不承不承で勤務しているのが実情です。④転職・再就職さて、私もご多分に漏れず、待遇の悪さ、事業運営の不透明さ、人間関係の悪さもあって2年経たずに退職することを決意しました。所長に退職する旨伝えましたが、代わりが見つかるまで辞めないでいてほしいと慰留さりました。とはいえ、いつまでもいるつもりはないので3ヵ月が限度であると伝えました。結局、代わりが見つかったとのことで退職することが出来ました。現在は社会福祉法人で特養・デイサービス併設の介護事業所に、介護職ではなく庶務兼送迎ドライバーで勤務しています。私は、元々設備管理の仕事をしていたので願ったり叶ったりの仕事です。介護施設は専任の設備管理職を雇っていないところが殆どです。私の前任者もいないので、一から業務を立ち上げています。また、前のデイサービスでの経験が送迎等にも活かすことができます。現在は親の介護をしつつ勤務を続けています。
2026.07.05
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6.最後に介護労働講習に続いて、デイサービス、特に運動特化型デイサービスについて記しました。実際の介護現場は、事業所によって運営方法が異なり職場によっても業務のやり方がかなり違います。介護職が転職してなかなか馴染めない要因に、仕事のやり方に馴染めないことや人間関係があります。人間関係は個々の人間性で解決せざるを得ないでしょう。しかし、仕事のやり方に関しては、介護福祉に関する知識や経験を深め技能を向上させることで変わってくると思います。周囲から評価されて必要とされる人材と認められれば、自ずと職場での立場も変化するでしょう。私は昨年母親を亡くして親の介護の必要がなくなりました。しかし、今度は自分が介護される側になります。その時、これまでの経験と知識が役立つだろうと考えています。老いは逃れられずとも、老化による心身への悪影響や生活での不自由を軽減できると思います。私の稚拙な知識と経験談ですが、どなたかの一助になればと思いこのブログを作成しました。皆様の末永い健康を念じつつ終わりたいと思います。
2026.07.05
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プロローグ職業訓練とは、就職に役立つ知識や技能を無料で習得することのできる公的制度です。私が職業訓練を受講しようと思ったのは、経営していた店を閉店したことがきっかけでした。自営業は自分の思い通りにできる半面、経営責任は全て自分にあるので気が休まりません。売り上げを伸ばすには結局働き続けるしかないのです。1日12時間以上、年間350日以上働きました。好きな仕事だったので長時間労働も苦にはならなかったのですが知らず知らずに心身を蝕み、慢性的な腹痛、倦怠感、無気力感に陥り仕事に支障をきたすようになりました。症状をネットで調べると「男性更年期障害」の疑いが濃厚だったので、専門外来のある地元の総合病院を受診しました。すると、血液検査で男性ホルモン(テストステロン)の数値が正常値の1/3に低下しており、即日男性更年期障害と診断されました。治療としてエナルモンデポー筋注つまりテストステロンを補う持続性製剤の筋肉注射を3週間おきに行いました。4カ月ほど治療を続けて、テストステロンの数値が正常値に回復、倦怠感等はほとんど感じなくなりました。しかし、精神的後遺症は継続していました。男性更年期障害の治療に専念するため廃業を決め、閉店した店の後始末をしていたのですが経済的に余裕はなく休養に専念することは難しいと判断しました。今後の休養と仕事の両立が出来る方法がないか模索しました。その中で、何か資格を取得した方が良いのではないかと考えました。色々調べて、短期間で勉強できる、受験資格の要件が少ない、検定料が比較的安い、ガソリンスタンド等への転職に有利等の理由から「危険物取扱者乙種第4類」を受験することにしました。テキストとネットの資格サイトで3ヵ月ほど勉強して受験したのですが、思いの外あっさり合格しました。危険物は設備管理ではボイラーのあるホテルやガソリンスタンド等の燃料を管理するとき必要な資格です。しかし、危険物取扱者の資格を取得していざ就職活動しようとしても、心身が不安定な状態で仕事ができるのか不安は尽きませんでした。閉店して後始末が終わっても、しばらくはハローワークに通うぐらいで無職の状態が続きました。ちなみに、男性更年期障害の原因は、加齢、ストレス、生活習慣の乱れにより性ホルモンの分泌が低下したことのようなので完治することはないと医師から説明を受けていました。加齢は如何ともし難いので、今後はストレス軽減と生活習慣を正すように心掛けました。個人的に、更年期障害の療養方法として筋力トレーニングは効果的だと思います。筋トレによる適度な運動はストレス軽減につながり、食生活に注意するようになるからだと思います。後年、スポーツジムに通うようになってから実感しました。
2026.06.04
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求職者向け職業訓練職業訓練を受講しようと考えたのは、ハローワークで求人票の閲覧をしているとき職業訓練のチラシを見たことがきっかけでした。施工管理等の経験があるのでその業種への転職も考えていたのですが、体力的精神的に不安があり折角の機会でもあり「職業訓練」なるものを受講してみようと思い立ちました。職業訓練は、失業保険受給者向けの「公共職業訓練(離職者訓練)」と、それ以外の人向けの「求職者支援訓練」の2種類があり、私は自営業だったため後者の方でした。また、職業訓練はポリテクセンター(正式名称:職業能力開発促進センター)で行われる訓練と専門学校等で行われる委託訓練があります。ポリテクセンターは機械、建築、電気等のモノづくり関係のコースが多く、事務や介護等は専門学校等の委託訓練が多いようです。
2026.06.04
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求職者支援制度求職者支援制度は、雇用保険を受給できない人が職業訓練によるスキルアップを通じて早期就職を実現するために国が支援する制度で、無料の求職者支援訓練が受講出来て生活支援の職業訓練受講給付金が支給されます。給付金は月額10万円の職業訓練受講手当と訓練機関までの交通費の通所手当があります。なお、支給される期間は職業訓練期間中のみです。(1)求職者支援訓練私はハローワークの窓口で求職者支援制度について説明を聞き、職業訓練の受講の申請をする前にポリテクセンターの見学会に参加しました。見学会といっても当日は私を含めて3名で、ポリテクセンターの施設や訓練の様子を1時間ほど見学しました。対応したのは訓練校の指導員で、思いの外親切で受講内容等を丁寧に説明してくれました。職業訓練は、地元のポリテクセンターで年に6~7回実施されており、機械CAD技術科、電気設備技術科、住宅CADリフォーム技術科、ビジネスワーク科の4つのコースがありました。私は電気設備技術科コースを希望しました。機械CADは実務経験があったのですが就職先が製造業に限られます。地元の製造業は低賃金で労働環境は最低だったので選択肢から除外しました。住宅CADリフォームは就職先がほぼ建築業であり、機械CADコースと同様の理由で選択しませんでした。ビジネスワークは事務方の仕事で、仕事は比較的楽ですが低賃金のため選択しませんでした。電気設備技術科は、就職に有利な資格が多く取得できることと就職先が幅広いことが魅力でした。私はかつて機械設計や機械据付の施工管理をしていたので機械ものはある程度の知識があったものの、電気は基礎的な知識しかありませんでした。この職業訓練ではとても良い勉強になり、電気設備技術科コースの職業訓練では、電気工事士2種と消防設備士乙種4類の資格取得が目標とされていました。ちなみに、私は電気工事士2種と消防設備士乙4、自主勉で2級ボイラー技士の資格を取得して、最終的に設備管理会社に就職することができました。(2)職業訓練選考会職業訓練を受講するには職業訓練選考会に合格する必要があります。職業訓練選考会は、面接と筆記試験(国語・数学・適性検査)があり、職業訓練を最後まで通い続けて再就職する意欲が問われます。選考会はポリテクセンターで行われ、朝から受験生が大勢集まっていました。会議室に集められて、合否通知送付用の封筒に住所を書き、面接シートを記入します。その後面接等に関する説明を受けました。私が受講希望の電気設備科コースとビジネスワーク科コースは、希望者が募集定員を大幅に超えているとのことでした。次に、安全に関するテストと一般教養テストがありました。安全に関するテストは、縦11個×横18個の漢字の中から設問に応じた漢字を答えるテストでした。5分のテストでしたが難しいものではありませんでした。一般教養テストは、試験時間は25分の中学校基礎レベルの国語と数学でした。試験内容には簡単ですが空間図形の展開図は正答かどうか少々不安でした。どちらにせよ、事前に予習しなければならないような試験ではありませんでした。テスト後、電気設備科コースの希望者は電気工事士の受験について説明を受けました。電気工事士の試験は上期と下期に分かれており、上期の受験申込期限が入所の翌日で、職業訓練選考の合否が決まったら直ちに試験の申込みをするように勧められました。次に受験番号順に面接があります。私はなんと1番だったので早速面接のブースに呼ばれました。面接官は2名で、1名は見学会の時案内してくれた指導員であったのでやや安心しました。面接時の質問は、電気設備科の受講希望する理由、職業訓練中途での就職の希望の有無、現在就職活動をしているかというものでした。就職先として設備保全の業種を希望していること等を説明して面接は10分程度で終わりました。数日後、合格通知のハガキが届き、晴れて職業訓練の受講が決まりました。(3)職業訓練受講給付金私は前職が自営業のため雇用保険の受給ができませんでした。そのため、職業訓練受講給付金の受給を申請しました。給付金は、職業訓練の開始日から1カ月ごとに10万円が支給されて、通所手当が日数分支給されます。この制度は、職業訓練期間中に失業給付がない状態で経済的な不安が軽減されるありがたい制度です。ハローワークのホームページで知った制度で内容や支給要件等確認しましたが、詳細はハローワークの窓口で直接聞きました。給付金の受給申請にあたり、私が職業訓練受講手当の支給要件を満たしているかが問題でした。自分の年収、世帯の年収、資産等が支給要件を満たせるか調べましたが、私はしがない元自営業者で築40年の老朽化した戸建てしか持っておらず余裕で支給要件を満たしていました。そして、職業訓練の受講申込書、職業訓練受講給付金要件申告書、本人確認書類(運転免許証等)、住民票、申請者と同居配偶者等の収入を証明する書類(源泉徴収票等)、銀行の通帳を持ってハローワークに向かいました。職業訓練受講給付金の事前審査が通り、職業訓練選考会に合格、職業訓練が始まるとハローワークから月に一度の来所日を指定されます。来所日に職業訓練受講給付金の支給申請手続きを行い給付金が銀行口座に振り込まれます。なお、私が職業訓練を終えて既に10数年が経過しており、求職者支援制度等は内容が変わっているかもしれません。職業訓練にご興味のある方は、ハローワークの窓口やホームページ等で最新情報を確認してください。
2026.06.04
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職業訓練開始私が通ったポリテクセンターは、市街地から少し離れた場所でしたが車での通学は禁止だったので自転車か電車での通学となります。自宅から自転車でおよそ45分かかりましたが良い運動になりました。(1)入所式4月某日、職業訓練初日の入所式はスーツを着用して出掛けました。入所式に出席した訓練生は殆どスーツ姿でしたが、ラフな服装の者もいました。入所式の後、訓練に関する諸注意や訓練に関する手続きがありました。注意事項で強調されたのは、とにかく遅刻せず通所することでした。これは給付金の受給にもかかわることで重要であることを知ります。広い研修室で他のコースの訓練生と1時間程訓練日程や給付金等の説明を受けて、次に電気設備科の実習室に移動して訓練内容等の細かい説明を受けました。訓練は朝09:10から実習場でラジオ体操と点呼があり、点呼に遅刻すると給付金の支給されなくなるとのことでした。1時間程説明の後また研修室に戻り、受講中の病気や怪我に関する保険や給付金の説明、テキスト代の支払いについて説明がありました。テキスト代や教材費等は個人負担で、電気工事士受験用のテキストと消防設備士受験用のテキストで約5,000円、更に教材費や保険の費用が別途必要で合計が1万円程度だったと思います。最後に特定求職者の毎月の申請手続きについて説明がありましたがハローワークでの説明と同じ内容でした。12:00にすべて終了して帰宅しました。(2)職業訓練開始私が入所したポリテクセンターの職業訓練は、各コース共に1月と4月に入所した訓練生の混成で合計40名でした。座学を行う実習室では、1月生と4月生が隣り合うように長机に座ります。服装もまちまちで、作業服やトレーナーを着用するものが多かったです。中には実習に不向きそうなカジュアルな服装の者もいました。指導員は紺色の作業服を着用していましたが、ただ、実習では作業帽(自費購入)の着用以外は作業のしやすい服装ということで特に指定はありませんでした。職業訓練ということで、会社の研修のような雰囲気で特に違和感はありませんでした。入所式翌日から訓練が始まり、初日に指導員の紹介と訓練生の自己紹介がありました。訓練生の年齢は20~60歳代と幅広く、私のような元自営業や会社員、フリーター、定年退職者、主婦と経歴も様々でした。午前は電気の座学、午後は実習でその日の訓練は16:35に終了、清掃、終礼で終わりました。訓練が意外にのんびりしており、実習の課題を終わらせた訓練生が各自で好き勝手するので指導員は訓練生を持て余しぎみでした。
2026.06.04
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座学(電気)電気設備技術科コースでは、第2種電気工事士資格の取得が大きな目標でした。そのため座学では電気の基礎と電気工事士の学科試験に向けた授業が行われます。授業内容は、テキストやプリントを使用して解説と設問を解くという学校の授業と変わらないものでした。職業訓練で使用したテキストは、市販の第2種電気工事士の筆記・実技試験対策の本で、カラー印刷で見やすく解説が分かりやすいものでした。プリントは主に電気工事士の過去問でした。電気理論では、オームの法則やキルヒホッフの法則等の電気の基礎理論、交流回路、三相交流等の配電理論、配線設計、誘導電動機や照明器具等の電気機器、配線器具や材料、電気工事の施工方法、一般用電気工作物の検査、電気事業法等の法令を学びます。電気理論の勉強は、理論や仕組みを理解するだけでなく公式や名称等の暗記ものも多いです。私は訓練で使用するテキスト以外にネットや他のテキストでも勉強して、ノートにまとめるようにしました。他の資格の勉強でも同様でしたが、私にとっては書いて覚える方法が習得の最適解でした。座学では実習的なことも行います。実際に抵抗回路を作って各抵抗の電流、電圧を回路計で測定することもありました。その点は義務教育の授業と違うところで、大学の物理実験のようで理解しやすいものでした。実習(電気)実習では、スイッチやランプレセプタクル等の配線、金属管や樹脂管等を使った電線管工事の基礎を学び、最終的に全ての学習内容が網羅されたパネル課題を作成します。また、座学と同様に電気工事士の実技試験対策が行われます。①器具の配線実習ではまず工具の使い方から学びます。工具の名称や使用方法の説明がありましたが、見知ったものがほとんどで特に問題はありませんでした。ただ、線材やコンセント等の器具は種類が多いので名称を覚えるのに一苦労しました。実習初日は、工具や配線資材の貸し出しがあります。実習用の工具はポリテクセンターで訓練生一人一人に貸し出されますが、古い工具で使い勝手が悪いものが多いです。使い勝手の悪い工具で実習を行っていて能率が悪く、電気工事士の実技試験では試験時間内に作業が終わらないです。訓練生の多くは訓練中に自前で工具を購入していまいた。私はドライバーやニッパー程度は持っていたので、電気工事士試験に必要な圧着ペンチ、VVFストリッパー、電工ナイフ、絶縁ドライバー等をホームセンターで購入しました。セット物もありますが高額で不要なものもついてくるので私はお勧めしません。ちなみに、電気工事士対策で販売されている工具セットは、実務ではあまり使わないという話を聞きます。実際、電工ナイフは電気工事の現場ではあまり見かけません。また、ストリッパーは種類が多く業務内容で選択すべきでしょう。建物の設備管理では、点検や簡易な修繕程度しか行わなかったので小型で2千円程度の安いIV線用ストリッパーがあれば十分でした。器具の配線は、最初に電工ナイフ、ペンチ、ワイヤーストリッパーを使ってシース(外装)とIV線の被覆を剥く練習で、VVF(600Vビニル絶縁ビニルシースケーブル平形)の1.6-2.0Cを使って実習が行われました。電工ナイフは未経験でしたが扱いは割と簡単でした。ペンチで被覆を剥く作業は心線を傷付けてやすく、ワイヤーストリッパーは簡単であるがシースだけ剥くつもりが心線まで切ってしまい注意が必要でした。VVFは撚り線よりは被覆が剥き易いと感じました。配線の結線では、圧着ペンチによるリングスリーブの圧着作業は圧着前の単線とスリーブの位置や寸法が仕上げに影響します。また、スリーブのサイズの大きいものは綺麗に仕上げることが難しいです。コネクターの結線は簡単で単線をコネクターに差し込むだけです。実際のビルや住宅の屋内配線ではコネクター結線がほとんどでした。ただ、電動機の電力線や振動のある機械設備等ではリングスリーブや圧着端子を使うことも多いです。器具への配線は、ランプレセプタクル、片切スイッチ、ブレーカ、引掛けシーリング、コンセントへの配線を行います。ランプレセプタクルの輪作りは比較的簡単ですが、シースを電工ナイフで剥く時に心線の被覆を傷付けてやり直すことが時々ありました。また、線材やシースや切り取る寸法を定規やゲージで測っていては時間がかかるので、器具の外形、指の関節等の長さで寸法を測りとる方法を学びます。これは実務でも結構利用できます。私の場合、5cmは親指の長さ、10cmは握り拳の幅、15cmは人差し指と親指の間、20cmは小指と親指の間です。パイロットランプの配線では、常時点灯回路、同時点滅回路、異時点滅回路の配線等を学びます。いずれの回路でも配線はきれいに仕上がったのでが、同時点滅回路から異時点滅回路の配線につなぎ替えがうまくできませんでした。回路図は簡単ですが実物では見た目に惑わされてしまい間違えました。これは現場の施工でもよくある話です。②単線図・複線図複線図は現場の施工や電気工事士試験の実技試験で必須の知識です。理論は頭で理解できても、実際に単線図から複線図に書き換えるのは当初戸惑いがありました。また、複線図を綺麗に書くことに気が向いてしまい、配線接続に誤りがないことや配線の使用量を最小にするという目的が疎かになりがちでした。単線図と複線図3路・4路スイッチとパイロットランプ回路では、複線図の作成は出来ても実際の配線作業には苦労しました。自前で購入したIV線用ニッパーが切れすぎで心線まで切ってしまったり、線材の切り取り寸法を間違えたり、スリーブ結線で違う線を圧着したりとミスを頻発しました。作業手順が定まっていないこと、単線図の読み取りが不慣れなことが原因でした。とりあえず配線は出来上がったものの欠陥が多く合格基準を満たしていないか不安で、指導員のチェックを受けるときは気が気ではありませんでした。複線図に慣れてくると、単線図を見て実際の配線がどのように配線されているかが理解できるようになります。私は設備管理の仕事でマンションやビルの電気設備の図面を見る機会がありましたが、図面と実際の配線を照合できたので点検や故障探求で役に立ちました。ちなみに現場の電気工事ではわざわざ複線図を書き起こしたりせず単線図でそのまま配線します。(私は無理ですが・・・。)余談ですが、複線図を書く時に“消せるボールペン”はとても便利です。黒・赤・緑・青の4色あれば電気工事士の実技試験では十分です。なお、青は白線用です。消せるボールペンは、普通のボールペンと違い修正できることが強みです。③パネルを使った配線実習訓練開始から1カ月ほど経過して、実習場での実習が始まりました。座学は実習室という学校の教室のような場所でしたが、実習場は天井クレーンのあるコンクリート床の倉庫のような建物でした。そこには2m四方の総合課題用木製パネルが20台ほど置かれており、主にこのパネルを使って模擬配線の実習が行われます。最初はパネルにケーブル配線を施工する実習でした。まず、パネルに下げ振りを使いチョークラインで簡単な墨出しの練習を行います。その後VVFケーブルをステップルで固定する練習を行いました。次に単線図から複線図を作成、パネルに墨出しを行いましたが、レーザー墨出し器を使用した実習もありました。最近は安価なレーザーが販売されており、チョークでラインを引かなくてもレーザーの線に沿って施工すればいいので楽です。次に、ランプレセプタクル、露出型スイッチ、露出型コンセント、ブレーカを取り付け、VVFケーブルで配線、ジョイントボックスの取り付け、配線の仮止め、ランプ等の輪作りと結線等を行いました。ブレーカは簡単に結線できたのですが、コンセント等は輪作りの際の採寸、被覆剥きが難しく長すぎると絶縁をネジで噛んでしまいます。配線の仕上げを行い最後に絶縁・接地抵抗の測定を行いました。④電線管の実習金属配管の加工では、ねじなし電線管(E管)のS字曲げを行います。指示された寸法に曲げ加工を行うのですが、寸法計算、材料の切り出し、ハイヒッキーという電線管をRに曲げる器具を使ってE19の薄鋼管を曲げます。金属配管の曲げ加工では、計算した寸法通りに曲げられなかったり曲げる方向を間違えてしまったりと悪戦苦闘しました。ハイヒッキー(電線管を少しずつ力を加えて自由な角度に曲げる工具)金属管の立体曲げでは、図面に切り出しの寸法があったのでその通りに切り出してベンダーで曲げ加工を行います。周りの訓練生は配管の水平・垂直を気にして加工していましたが、私は墨出し通りに取り付けられれば問題ないと思い、ジョイントボックス間で管が過不足なくつながるか、図面通りの取り付け寸法になっているかに重点を置くようにしました。見た目ばかり気にして、接続不良や寸法間違いがあっては意味がないと考えたからです。仕上がりは思いの外良好で、作業も効率的でした。合成樹脂管(VE管)の曲げ加工では、ガストーチで簡単に曲げられますがフランジを加工するのは難しかったです。最後にコンセントボックス、ジョイントボックスの接地、配管への通線で完成、指導員のチェックを受けます。⑤模擬家屋を使った実習模擬家屋では、実際の住宅での電気工事を想定した実習を行います。始めに前の実習で取り付けられた蛍光灯、コンセント、石膏ボード等の撤去を行います。その後、ボードの貼り直し、呼び線の挿入、コンセント等の開口部を加工する作業を行います。次に、配線、壁、天井のボード貼り付け、器具取り付け部分の開口、取り付け、絶縁抵抗検査、通電検査を行います。この実習では3名1組で作業を行います。私の班は連携が悪く他の班に比べて作業が遅れ気味でしたが、時間内に何とか最後の通電検査までたどり着きました。しかし、ビス止めがうまくいかなかったり、ボードを割ったりとトラブルが多発して散々でした。模擬家屋⑥総合課題総合課題は、2カ月間実習で学んだ知識と技能を駆使して複線図作成から配線施工の課題を行います。2m四方のパネルを半分に分けて左右1名で製作します。課題の内容は、住宅配線を模したもので、電力線の分電盤への引き込みから金属管や樹脂管、ジョイントボックス等を使用して各器具(コンセント、スイッチ、ランプ)への配線を行います。また、電力計と電気温水器を模した端子台も取り付けます。訓練生に与えられた総合課題のプリントには、単線図と指示事項が記されています。単線図は電気工事士の実技試験と同様に器具や寸法が記されていますが、ジョイントボックス等の取り付け位置や金属管の曲げ寸法等も記されており、その指示通りに製作することが求められます。指示事項には施工の細かい手順が記されていました。更に細かい注意事項(配線の曲げ位置を揃える等)は黒板に掲示されました。まず問題となったのは複線図でした。単線図から複線図を書き起こすのですが、意外に難しい課題だったので不安になった訓練生は正答を指導員に尋ねました。当初はそれも課題だとなかなか正答を教えてもらえませんでしたが、根負けした指導員がやっと正答を示してくれました。案の定、正答の複線図を書けていた訓練生はおらず、正答を見ないまま施工していたら大惨事でした。総合課題では、CV5.5電力ケーブルの配線と分電盤の取り付けはパネルに1個のため共同作業を行い、分電盤から先の金属管や樹脂管、線ぴ等の切り出しと取り付け、ジョイントボックス、スイッチボックス等の取り付け、入線作業、アース線の取り付け等は個々で作業を行います。電力ケーブルはかなり太く固いので配線やスリーブの圧着に手間取り、コンセントのIV線を2.0ではなく1.6と間違えていたため余計な線を切ってしまったり、金属管の曲げ加工が寸法通りにならなかったりと悪戦苦闘しました。また、一部のリングスリーブ結線がいつの間にか差し込みコネクターに変更になっていたり、接地棒の取り付けについて接地棒の本数が足らないので接地線を取り付けるだけに変更になったりしました。問題は指導員の怠慢で、変更の情報が作業中の私らを含め一部の訓練生に伝わっていなかったことです。おかげで余計な作業を強いられて内心腹立たしく思いましたが、文句を言ったところで詮無いことと思い淡々と作業を進めました。他の組は午前中に竣工しましたが、私の組は最も遅く午後2時頃竣工しました。幸い、施工に問題はなく、導通確認で異時点灯ランプは点灯、コンセントへの電源供給も出来ていました。最後に完成報告書を作成して総合課題を終えました。実習後は分別作業を行います。分別作業とは、実習で使用した電線や器具を分別して再利用又は廃棄する作業です。これが意外に手間で握力勝負になります。差込型コネクターにつないでいた電線は引き抜き、スリーブで固定している場合は切り落として線材毎に分別します。差込型コネクター、コンセント、スイッチボックス等の器具は再利用します。総合課題用パネル(完成した状態)課題作成中の状態電源線のスリーブを使った接続
2026.06.04
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⑦リモコン配線リモコン配線(リモコンリレー回路)は、オフィスや店舗の照明器具等の集中配線のことです。器具を直接スイッチで操作ではなく、24V以下の低電圧信号で遠隔操作(ON/OFF)する配線方式で、トランスやリレースイッチを組み合わせたものです。身近なものですが詳しい仕組みを知らなかったので勉強になりました。まず、伝送ユニットを使った配線の実習でした。伝送ユニットは、フル2線式リモコンで、スイッチと照明間の信号をやり取りするコントローラーです。2本の信号線で最大256回路を制御して、照明の点灯・消灯パターンを記憶、管理します。仕組みは頭では理解しても、実際に配線してみると間違いやすく苦戦しました。次に、パネルにリモコン配線を行いました。リレー、トランス、伝送ユニット等の配線は概ね理解できたのですが、伝送ユニットのグループ設定やパターン設定は見学しただけで自分では設定しなかったので理解が不完全でした。また、最後にリモコン配線の筆記試験がありましたが複線図で苦戦しました。リモコン配線はビルやマンション等の設備管理では必須の知識です。私が設備管理をしていたマンションでは、共用部の照明で設定時刻以外の異常な点灯・消灯が発生し、原因を調べると伝送ユニットの中継器の故障でした。他の設備管理員は照明器具の調子が悪いのだろうと放置していましたが、伝送ユニットのログデータを調べて中継器の異常と判明しました。リモコン配線⑧実習(空冷エアコン)空冷エアコンの実習では、一般的な冷媒方式のエアコンの仕組みや施工方法を学びました。最初に冷媒管である銅管のフレア加工の実習でした。パイプカッターで銅管を切断、リーマー加工、フレアツールでのフレア加工を行います。フレア加工の仕上がりがうまくいかず苦戦しました。次に、エアコンの実機を使った実習でした。私たちの組に支給されたエアコンは冷媒管が途中で折れており、しかも背板に本体カバーがはまらないという代物でした。結局実習後に代替のエアコンを倉庫に探しに行く羽目になりました。ペアコイルの取り付けとフレア加工は概ねうまく出来上がり、エアコン本体をパネルに取り付けました。最後は、エアコンの真空引きとポンプダウンを行いました。真空引きは、エアコンの取り付けや移設時に真空ポンプを使って室内機と配管内の空気や水分、不純物を除去して内部を真空状態にする必須の作業です。配管内の圧力が-0.1MPa(-750mmHg)以下になるまで真空引きを行います。ポンプダウンは、エアコンの移設や取り外し時に配管や室内機の冷媒ガスを室外機へ回収する作業です。冷房運転でコンプレッサーを動かして、液側のバルブを閉め、その後ガス側のバルブを閉じて停止します。真空ポンプとマニホールドを使って真空引きを行うのですが、私の組はポンプで真空引きを行っても負圧にならず、またしてもトラブルに見舞われてしまいました。指導員の指示で改めて真空引きを行いましたが結局負圧にはなりませんでした。おそらく配管のどこかが破損して真空にならないようでした。また、室外機の冷媒も無くなっており室内機に冷媒が回らないので運転できません。結局この実習では真空引きの手順を確認するだけで終わってしまいました。実習はこうしたトラブルは時々発生するので、特に使いまわしの機器を使用するときは注意が必要です。エアコンの実習では、雇用支援機構のテキストとA4用紙2枚のプリントが配布されました。テキストはエアコンの構造等の解説で、プリントは真空引きとポンプダウンの手順が記載されていました。プリントの内容は実践的で分かりやすいものでした。
2026.06.04
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(5)電気工事士試験(筆記)電気工事士の筆記試験対策として、訓練期間中は頻繁に過去問を解く補習が行われました。基本的には過去問をひたすら解くのですが、暗記事項が多いので私はノートに学習事項をまとめました。暗記物は書いて覚える方法が確実です。テキストやネットの学習サイトを見るだけではなかなか記憶に定着しないと思います。私たち4月生は、総合課題が終わった直後の6月初旬に筆記試験が行われました。筆記試験は商工会館で受験しました。試験会場は受験者でごった返していましたが特にトラブルも無く13:00に筆記試験が開始されました。試験はマークシートの4択ですが、正答を確実に選択できるように勉強しないと合格は危ういと思います。基礎学力を高めて過去問を繰り返し解いて試験に慣れることが大切です。他の資格試験も同じと思いますが、知識や理解があやふやなままで受験してもほぼ不合格になるでしょう。また、設問で「最も適切なものは」、「最も不適切なものは」の問われ方をしてくるので見間違わないようにすることも大切です。(これでミスする人が多いようです。)また、問題2の配線図を使った問題は、複線図が書けなければ解けません。複線図はいろいろなパターンを解いて勉強する必要があります。そして、ボックス内のコネクターやリングスリーブの種類と最小個数の問題は、実技試験にも関係するため繰り返し勉強する必要があると思います。指導員から年によって難易度が上がる場合があるとは聞いていましたが、私が受験した年は例年と同程度だったので安心しました。試験後、ネットで解答が公表されて確認すると、配線図でボックス内の差込コネクターの組み合わせの種類と数の問題を間違っていました。他は正答していたので合格は確信しましたが悔しい結果でした。1カ月後合否が発表されて、無事筆記試験の合格通知が届きました。ちなみに、筆記・実技の過去問は「電気技術者試験センター」のwebサイトで問題、解答が見られます。(6)電気工事士試験(実技)職業訓練では筆記試験同様に実技試験の補習が頻繁に行われます。補習では、実技試験本番と同様に課題の単線図から複線図を書き起こして、線材の切り出しを行い器具に配線します。初めて実技試験と同じ要領で行う模擬試験では、簡単な課題だったので欠陥無しで完成しました。それでも、試験本番と同じ試験時間40分の中で複線図を書いて配線してきちんと仕上げられるかどうか不安が残りました。2度目の模擬試験では、引掛けシーリングの心線が見えていたので軽欠陥1になってしまいました。原因として、複線図で実際のケーブル配線の並びになっていなかったため戸惑ったこと、連用枠へのスイッチの取り付け、ランプレセプタクルのネジ止め、シースの被覆を剥く長さのミスで時間がかかってしまったため細部に注意が行き届かなかったためでした。何度か模擬試験を繰り返すと、欠陥はなくなり時間もかなり余裕が出来るようになり、過去問の課題を25分程度で終わらせられるようになりました。そして、残った時間で欠陥がないか確認します。実技試験の練習ですが、ポリテクの補習だけでは不十分と思い多くの訓練生は自宅でも練習していました。私は自宅での練習だけでなく、他の訓練生の家にお邪魔して自主練を数回行いました。一人で練習するより他の訓練生との練習は、情報交換が出来て一人では気付かなかったミスや上手に仕上げるテクニックを教えてもらえる利点があります。自主練で教わった小技ですが、リングスリーブの取り付けで挿入する電線が4本を超える場合、圧着前に結束バンドでまとめておくと作業がしやすいです。実技試験で使用する工具やランプレセプタクル等の器具の一部、試験対策のテキストはポリテクセンターで借りることができます。しかし、新品の線材や差し込みコネクター等はポリテクではもらえないのでホームセンターで購入しました。実技試験は7月下旬に行われました。試験会場は筆記試験と同じ商工会館で11:30に試験が開始されました。最初に試験の注意事項の説明、試験で使用する材料の確認の後40分の試験が開始されます。工具は持ち込みですが、持ち込める工具に制限があるので必ず試験案内を確認しておく必要があります。試験のとき気付いたのは、受験者の大半が職業訓練生、工業高校の生徒、作業服を着た電気工事業らしき人でした。当然とはいえ、もっと一般の受験者がいる者かと予想していましたが予想外でした。この年の実技試験課題は例年と同程度の難易度で、私は25分ほどで複線図の作図、配線、欠陥がないか点検を終わらせられました。この時は、意外に作業が捗り、欠陥に該当するものがないか2~3回調べても問題はありませんでした。やはり、実践的な練習を反復した賜物でしょう。終わって周囲を見渡すと大半の者が作業を終えていましたが、一部に配線にも取り掛かっていない受験者がいました。また、再々コネクター等の器具や線材の追加交換を要求する者がおり、恐らく自主勉のみの受験者と思われます。(ちなみに試験中の部材交換や追加支給は認められません。)試験終了の時刻になり、受験生は完成品を置いてその場を離れました。しかし、作業を止めるように指示されてもなかなか止めない者がいて試験官がやや苛立っていました。例の部品の交換を要求していた人物です。職業訓練生の受験者は特に問題もなく安堵していました。ネットや市販本で電気工事士試験対策は可能ですが、実際は様々なノウハウが必要で簡単なものではありません。やはり、直接指導を受ける機会がないと合格はほぼ無理でしょう。ポリテクセンター等で一般向けの受験対策講習を行っているので受講することをお勧めします。
2026.06.04
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(7)実習(CAD)CADの実習では、住宅家屋における電気設備の配線図を作成、最終的に施工用とプレゼンテーション用の図面に仕上げます。CADはポリテクの職業訓練後、就職してもほぼ使うことはないでしょう。しかし、図面が読めないと現場では使い物になりません。電気工事の末端の作業員には、現場の作業経験で配線方法等を習得してはいても、図面を正確に読み取ることが出来ない人が結構います。しかし、監督的な立場になればそうはいきません。CAD実習は、CADの操作を習得するだけでなく、図面の見方を学習するために行われるものです。①JW-CADの基本操作JW-CADの基本操作の実習では、パソコンを使用してCADは設計製図用ソフトウェアのことで、このソフトを使って図面を作成します。JW-CADはWindowsで動作する無料の汎用CADソフトです。建築・土木・機械など幅広い分野で利用されており、私がポリテク卒業後に就職した会社でも使用していました。工業高校や大学の工業系学科の出身者、実務で製図やCADの経験があれば習得はさほど難しくはありません。ただ、一般的なお絵描きソフトとは違い、製図の知識が必要ないと習得するのは難しいでしょう。私は他の機械CADで図面作成の経験があるので、CADの操作はさほど難しくはありませんでした。しかし、CADを使う仕事からかなりブランクがあったことと、演習用で配布されたA4用紙20ページほどの冊子にはCADの操作に関する部分は2~3ページしかなく、私は自宅でJW-CADの学習サイトで自主勉しました。②木造家屋の平面図作成CADの基本的な操作の学習後、木造家屋の平面図を作成します。課題に出された家屋は、木造平屋、70平米の2LDKでした。平面図作成には建築関係の図面の知識が必要ですが、テキストの最初に木造家屋の構造や各部の名称、建築図記号等が示されており、それを参考に作図します。ただ、実習ではこれらについて講義は無く、演習用冊子の指示通りにCADで図面を作成するだけでした。指導員が建築図面に詳しい人がいなかったからでしょう。ちなみに他の職業訓練のコースに住宅CADリフォーム技術科があるのですが、交流が全く無いので建築図面についてどの程度学習するかは分かりません。平面図作成の手順は、中心線、柱、壁、建具(扉や窓等)、テラスやポーチ、階段や設備器具、通し柱・廊下・タイル、寸法をレイヤー毎に記入します。それぞれ建築図面記号等のルールに従って表記しますが、演習用冊子の指示通りに入力すればよいので難しくはありません。また、建具等はツールバーから選択して簡単に作れるので造作もないです。③照度計算と照明器具の選定平面図が出来たら、次は各部屋の照明器具の台数を光束法の計算式から求めます。照明器具の台数は、設計照度、部屋の床面積や照明の光束等から算出します。設計照度はJISの照度基準を用います。照明器具の選定について、演習用冊子では蛍光灯や白熱灯を使用する前提でしたが、私はLED照明を使用することにこだわりました。当時LED照明はまだ高価でしたが普及し始めていたので積極的に取り入れました。また、蛍光灯を使用した場合との使用電力量の比較をすることで節電効果をアピールできるので、プレゼンテーションとして良い印象を与えられると考えたからです。照明器具の選定は、メーカーのホームページを利用します。大手の照明機器のメーカーはカタログや各種資料を公開しているのでそれらを参考に選定します。実習では、実務でないので個人的趣味で器具を選定しており、訓練生の中には平屋の木造家屋に豪華なシャンデリアを選定する者もいました。照明器具の選定後、照明器具を配置した平面図とコンセント・分電盤を配置した平面図をCADで作成します。④使用電力量の積算と分電盤の設計平面図が出来たら、次は分電盤の設計を行います。これも演習用冊子があり、その指示通りに計算を進めれば負荷容量や必要最小分岐回路数を求めることが出来ました。それらの結果を元に分電盤結線図を作成します。負荷容量は、照明器具以外にエアコン、冷蔵庫、IHヒーター等の家電の使用電力量も加算しますが、LED照明を使用したので容量に余裕があったので床暖房を追加して算出しました。⑤見積書の作成今回の実習では、設備費の見積書の作成は特に指示されていませんでした。しかし、実務では当然ながら必要なことなので、私は時間に余裕があったので見積書も作成しました。時間と「積算資料」があれば、労務費等も含めた見積書が作れたと思いますが、さすがにそれはやり過ぎかなと思い止めました。⑥「あかりプラン」の作成とプレゼンテーション分電盤の設計が終わると、それらを図面上に網羅して、「あかりプラン」という名称のプレゼンテーション用の資料にまとめます。私はそれらに加えて見積書を追加しました。CAD実習最終日に訓練生一人一人が各自で作成した「あかりプラン」のプレゼンテーションを行います。多くは一般的な演習用冊子の凡例に沿った設計でしたが、私も含めて何人かは個人的趣味が大いに反映されたものが発表されました。課題の平面図に元々なかったガレージを追加して高級外車を配置する者あり、庭園を追加して屋外照明を多数設置する者あり、シャンデリアやラグジュアリー照明のような豪華な器具を多数設置するなど悪乗りと妄想全開のプランが発表されました。CAD実習ですが、就職してもほとんど役には立たないと思います。なぜなら、職業訓練から来たような半端者に設計など会社がさせることはまず無いからです。設計施工の経験者や電気工事施工管理技士や電気主任技術者のような資格がないとまず相手にされないでしょう。「あかりプラン」のプレゼンテーション用図面と施工図面
2026.06.04
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(8)実習(LAN)LANの実習は、LANケーブルの作成と敷設、パソコンやハブのLAN設定を行いました。パソコンが普及して近年は無線LANが一般家庭でも普及するようになりました。実習ではLANケーブルの作成と測定試験、LANケーブルの敷設、パソコンでの設定を行いました。①LANケーブルの作成LANケーブルを作成では、AWG24(0.25sq)という細線をインサートトレーに挿入してモジュラープラグに差し込み、最後に圧着工具で圧着します。もし、圧着する前に線が抜けてしまうと作業はやり直しです。圧着作業が完了したらLANケーブルテスターを使用し、断線、ペア配線ミス(結線状態)を確認します。私が最初に作ったケーブルは1本接触不良がありやり直しました。私は不器用で細かい作業が苦手で、インサートトレーに細線がうまく入らなかったり線の並びを間違えたり悪戦苦闘しました。②LANの設定次に、LANによるネットワークプリンター、無線LANの設定は、パソコンで設定を行うだけなので簡単でした。昔はパソコンやルーターの設定は結構手間のかかる作業でしたが、現在は本当に簡単になりました。③LANケーブルの敷設LANケーブルの敷設は、パソコンの実習室を使用しましたが狭いため時間別に3班に分かれて作業することとなりました。(作業をしていない班は自習という名の休憩タイムになります。) 教室の床はいわゆるOAフロアなので、床のパネルを外して床下にLANケーブルを這わせて所定の場所まで引き込むだけなので1時間ほどの作業で終わりした。最後に試験が行われましたが、筆記は比較的簡単でしたがLANケーブルの作成は断線が生じており作り直しになりましたが時間切れとなってしまいました。電力用の電線と異なり通信用は繊細で私には向いていないようでした。
2026.06.04
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(9)実習(高圧受変電設備)①座学高圧受電設備は、電気工事士1種受験を念頭に学習する内容でした。第2種は、一般住宅や小規模店舗(600V以下)の電気配線等の工事が行える資格ですが、1種は工場やビルなど高圧で受電する500kW未満の施設(自家用電気工作物)の工事を行える資格になります。しかし、資格取得に3年以上の実務経験が必要なので、試験だけ合格しておいて実務経験が3年に達したら資格を申請する方法をポリテクでは勧められました。座学は、単層交流回路等の基礎理論、配電理論、照度や電気加熱、変圧器や三相誘導電動機等の電気機器、高圧引き込み線の工事方法、高圧受電設備の配線図、シーケンス回路、発電・送電・変電、法令を学びました。座学では2種の学習時に比べて時間数が少なくガイダンス的な内容になっており、電気工事士1種を受験するには物足りない内容でした。1種を受験するなら自主勉するしかありません。後年、設備管理の仕事に従事したとき、これらの内容は大いに役立ちました。ビルやマンションの設備管理では、高圧受電設備やシーケンス回路を組み込んだ機器(ポンプ等)の日常点検を行います。実際、設備管理員といっても回路図が読めない、機器の動作を理解できないため故障探求が出来ない人が結構多く、設備管理員は設備の調子が悪いときに専門業者を呼ぶだけの仕事になっているところが多いです。私は、2種が合格したら1種の筆記試験を受験しようかとも思い勉強しましたが、設備管理の仕事は経験年数にカウントされないとのことで受験は諦めました。高圧受電設備②実技実技は電気工事士1種の実技試験に即したものでした。1種の実技試験の課題は、2種の電灯回路に変圧器や高圧絶縁電線(KIP)等が付け加わった程度のものだったので意外に簡単でした。変圧器等の高圧機器は実際のものは使わず、端子台で代用するのでただ結線すれば良いです。したがって、1種の実技試験は複線図が書けて2種に合格できる人なら問題ないと思います。
2026.06.04
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(10)座学(消防設備)消防設備の座学は、電気工事士同様に消防設備士甲種又は乙種の4類受験を前提の授業内容になります。甲種は、消防用設備等の工事、整備、点検ができ、乙種は整備、点検を行うことができます。また、4類は自動火災報知設備やガス漏れ火災警報設備等の消防設備が該当します。いわゆる“自火報”は電気関係の知識が必要で、ポリテクの職業訓練では電気工事士とセットで取得を目指すようにカリキュラムを組んでいます。座学での内容は、消防関係法令、消防設備の基礎的知識、消防用設備等の構造・機能・整備、実技(鑑別・製図)となります。関係法令はひたすら暗記です。ただ、全て丸暗記するのは効率が悪いので、過去問を勉強しながら関連事項を勉強すると良いと思います。東京消防庁等の消防機関や消防機器メーカーのホームページには、法令関係の資料が豊富にあるので参考になると思います。消防関係の法令は、世間を騒然とさせるような火災や問題が発生すると法令改正や新たな法律が作られます。そのため消防設備士は資格を取得後も定期講習を5年毎に受講しなければなりません。法令はしっかり勉強しておかないと実務の際に困ります。私が現場で経験したことですが、設備管理を担当していたあるマンションの管理組合が、防火管理者を外部業者であるの設備管理員に委託していました。委託すること自体は問題ないのですが、書類を取り交わしていない非公式な業務委託であることと、設備管理員は防火管理上問題が発生しても管理組合に対して何の提言もできないことが問題でした。マンションの管理規約により総会や理事会に設備管理員は出席すらできない状況でした。私ら設備管理員は防火管理者に選任されて無用な責任を負わされるのは御免だと上司に直訴、その後会社と管理組合の話し合いで管理組合の理事長が防火管理者になることで決着しました。他にも、法定点検をしていない、消防訓練を実施していない等の法令違反のマンションや介護施設等を見聞きしたことがあります。設備管理の仕事をしていると、消防設備に関する法令違反というのはまま見受けられます。もし、消防設備関係の仕事に従事して、自分の担当している物件が是正命令や違反対象物として公表されたら最悪です。基礎知識は、設備(電気・機械)の作動原理や物理法則を問う内容です。高校物理の基礎的な問題で出題頻度の多いものだけ勉強すればよいと思います。構造・機能・整備は、感知器や受信機等について学習します。感知器等の消防設備は、商業施設等で実物を見ることが出来るので、テキストだけでなく実物を観察するのも良いでしょう。私は、資格を取得して設備管理の仕事をし始めてから自火報の操作や感知器の点検等を経験しました。構造・機能の知識があると消防設備で問題が生じても適切な対応が出来ます。また、能美防災、ホーチキ、ニッタン等の消防設備のメーカーのホームページやカタログを参考にするのも良いかと思います。実技では、鑑別つまり写真を見て感知器等の消防関連機器の名称や動作原理、点検方法等を勉強します。また、製図では、自動火災報知設備等の設計図(平面図・系統図)を設計、製図します。消防設備士試験では、乙種は鑑別までですが甲種では製図が含まれます。当然甲種の難度は高くなります。私は受験日が座学開始から1カ月後と短期決戦であったため、甲種までは手が回らないと乙種を受験することにしました。(11) 実習(消防設備) 消防設備の実習は、感知器、P型2級自火報、機器収容箱の設置、配線でした。通信用の2芯ケーブルを図面通りに配線するだけなので簡単なはずですが、指導員の説明を誤解して配線がうまくつながらず作業が混乱してしまいました。他の班も上手くいかず作業は捗りませんでした。何度かやり直して作動試験を行い正常に作動しました。訓練生が消防設備に興味がなかったのか、指導員の説明を真面目に聞いていなかったことが混乱の原因でしょう。自火報設備(12) 消防設備士試験消防設備士試験はポリテクセンターで実施されました。受験者は、甲種と乙種共に同じ試験会場で職業訓練生とそれ以外の受験者が2~3人の10数名ほどでした。消防設備士は単に知られていないのか、仕事として魅力がないのか分かりません。10:30に試験開始、筆記30問、実技5問の1時間45分と少し長い試験時間でした。しかし、あまり余裕はなかったように感じました。4択のため法令等の設問は迷いやすいです。ちなみに乙4の実技は、鑑別の問題で感知器等の動作原理や部位の名称等の問題です。その年の試験問題はこれまで勉強した過去問の内容よりも難易度が高く、誘導起電力を求める問題や感知器を道路に設置する場合の正誤問題等全く勉強していなかった問題が出題されて困惑しました。指導員も今年の合格は難しいかもしれないと言っていました。合格率は30~40%といわれていますが、幸い私を含めた受験した訓練生は全員合格したようです。消防設備士の試験は、電気工事士の学科試験同様に4択です。過去問を解いて間違えた問題はなぜ間違えたのか必ず確認することが肝要で、電気工事士の学科試験と変わりありません。電気工事士の過去問はネットで20年以上前の問題と解答をダウンロードできます。また、過去問の解説をしている学習サイトもたくさんあります。しかし、消防設備士は、過去問は参考程度のものしかダウンロードできません。ポリテクで使用していたテキストは結構なボリュームで勉強するには十分でしたが、更に過去問から抜粋した設問のプリントを配布してくれるのでそれを活用しました。ポリテクセンターの電気設備技術科コースでは、消防設備士の第4類(自動火災報知設備等)を受験しますが、乙種第7類(漏電火災報知器)、第6類(消火器)等は自主勉で受験できる内容なので、一般の人でも挑戦して良いかもしれません。
2026.06.04
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(13)実習(シーケンス制御)シーケンス制御は、機械や装置をあらかじめ定められた順序または手続きに従って動作させる制御方法のことです。身の回りの様々な機器は、シーケンス制御されているものにあふれていると思います。シーケンス制御で動作するものは、炊飯器等の家電やエレベーター等の設備機器があり、産業用機械は申すに及ばないでしょう。シーケンス制御の知識は、工場設備の点検保守や制御盤のメーカー等で働く場合は必須です。私は職業訓練後に設備管理員として就職しましたが、各種ポンプの点検時に制御盤の操作や点検があってシーケンス制御の知識は大変役立ちました。また、電気工事士1種では、シーケンス制御(展開接続図)は毎年必ず1〜2問出題されます。①シーケンス制御の基礎ポリテクでの実習では、実際の制御機器を組み込んだパネルが各自1台配布されます。パネルはA3用紙ほどの大きさで、機器を取り付けるDINレールが3本付いています。このパネルにMC(電磁接触器)、CP(機器保護用遮断器)、THR(熱動継電器)、表示ランプ等の制御機器が取り付けられていました。最初の座学では、制御機器の機能や構造について学習します。電動機の制御盤でよく見かけるMCやTHR、スイッチ(a接点・b接点、リミットスイッチ等)、の動作や役割を学習します。また、電気用図記号と制御機器番号、タイムチャートやシーケンス図の見方、基本的な制御回路についても学習します。この辺りはさほど難しいものではなく、仕組みが分かれば良いだけでた。次に、基本回路であるon-off回路、and回路、or回路、自己保持回路、インターロック回路について学習します。自己保持回路は、電動機の始動・停止や警報ブザー等の制御に使用されており、インターロック回路は、ある機器が動作中に他の機器が同時に動作しないよう制限をかけて機械の破損や事故を防止する安全回路です。こうした基本回路は多くの制御盤に組み込まれており、設備管理では必須の知識になります。②シーケンス図シーケンス制御の設計図に当たるシーケンス図の見方と実際に配線するときの手順を学習します。制御回路のシーケンス図(リレー回路図)は、機械や設備の動作順序を電気図記号で表した図面です。電源から機器への流れを左から右へ(または上から下へ)記述した図面です。電気回路としては並列回路になっており、上の線はL(非接地側・電圧側)、下の線はN(接地側・中性線)になっています。制御動作は左から右に向かって動作するので、接続されている機器を見ながらどのような動作になるか理解します。見た目は簡単ですが、図を見て実際の動作が分かるかというとそう簡単ではありません。ちなみにポリテクではシーケンス図を「ラダー図」と呼んでいましたが、本来ラダー図はPLCの制御プログラムのことで見た目が似ているので混用していたようです。次に、各制御機器間を配線するため、配線の接続先を分かりやすくする結線表を作成します。シーケンス図を見ながら、シーケンス図のはしごに当たる配線の電線番号(L,1,2,3…,N)と制御機器の接続先を表す記号(MC1-44,a1,a2等)を記入します。これを見ながら実際に配線します。ちなみに、実体配線図という実際の配線に即した図面もあり、空調機器やポンプ等の機器本体に掲示されています。現場での配線はこれを見て行います。シーケンス図だけで配線するのは制御屋さんでないと難しいのでしょう。③基本回路シーケンス回路の有接点回路の実習では、簡単な制御回路の配線を行います。最初はMC、押しボタンスイッチ(a接点)、表示ランプが各1個の簡単な回路を組み立てます。制御盤の配線は20数年ぶりでしたが意外に綺麗に仕上がりました。and回路とor回路について結線表を基に配線する実習は、結線表の通り接続するだけなので簡単です。しかし、自己保持回路、インターロック回路、タイマー回路は、回路が複雑になり結線表を見間違えて配線ミスをしてしまい手こずりました。やみくもに配線するのではなく、事前に配線の長さを確認しておき、結線表の順番に結線すれば問題ありません。タイマーを使った一定時間動作回路では、ランプの点灯がシーケンス制御らしく興味深かったです。フリッカー回路と信号機制御は、回路が複雑でリレーやタイマーの数が増えて配線が大変でした。しかし、制御盤らしくなってきたので面白かったです。④実用的な制御回路実用的なシーケンス回路としてコンベヤーの制御回路を作成しました。実習を1週間ほど続けてシーケンス図の読図で配線がすぐ出来るようになったことは進歩でした。しかし、回路図から実際の動作を想像しきれないことが課題である。電動機のスター・デルタ回路と正転・逆転回路を製作しました。最終課題では、これまでの実習以上に配線を整えて見栄えを良くすることを求められました。しかし、機器を取り付けたパネルには配線ダクトがなかったためなかなか難しかったです。制御回路の配線作業では、まず配線のルートを決め、長さを合わせて各配線を作成、配線の曲げRを整えて機器に沿わせた立体的な配線にします。これは性格が出る作業です。配線が終わったら、実際に3相交流電動機を取り付けて試運転を行いました。私は事前のテスターでの配線チェックが功を奏して一発で正常運転が出来ました。その後は配線した制御回路パネルを解体して終わりです。シーケンス回路⑤PLC最後にPLCについて学習しました。PLC(シーケンサ)は、機械や製造ラインの動作をプログラムで自動制御する専用コンピュータです。私は就職先が決まったこととボイラー技士の実技試験を受験するため2週間ほど早く職業訓練を終えることにしていため、PLCの実習は最初の簡単な操作方法の実習しか参加していないので割愛します。
2026.06.04
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職業訓練中の就職活動職業訓練では就職講話の時間が時々あり、ハローワークの職員からジョブカード作成の指導がありました。自身の職務経歴や能力や今後のキャリアプランを整理した書類です。(1)ジョブカード作成ジョブカードとは、厚生労働省が定める個人の「生涯を通じたキャリア・プランニング」及び「職業能力証明」を目的としたツールのことです。通常の履歴書より内容がより詳細で、キャリア・プランシート、職務経歴シート、職業能力証明シートから構成されています。ただ、これを就職活動で企業に提出する訳ではなく、履歴書や職務経歴書を作成するときの元ネタにするものです。ジョブカードはハローワークの定型シート(Excel)があり、キャリアプラン、履歴・経歴、所有している資格・免許、自己PR等を記入しますが、経歴や資格等は事実のまま記入するだけなので簡単です。問題は自己PRです。私は就職先や勤務内容の希望について、人との付き合いの少ない設備管理や保守点検の業種を希望していましたが本音を書く訳にはいかないのでどの様に取り繕うかあれこれ思案しました。結局、過去の業務歴から自分に向いているとアピールすることにしました。ジョブカード作成では、職を転々とした人は経歴欄の記入に苦労し、資格や特技がない人は手持無沙汰になってしまいます。お互いの履歴書を見ては、相手をうらやましがったり同情したり、人生悲喜こもごもを感じる時間でした。ジョブカードとは関係ないのですが、ポリテクセンターで訓練生が共用するパソコンは使用の際注意が必要です。ジョブカードのデータはサーバーに訓練生別のホルダーに保管しますが、パスワードをかけていないので他人が勝手に開けられました。そのため、私は作成したジョブカードのデータを誰かに消去されてしまいました。それからはUSBメモリを持参して、サーバーとは別にデータを保管するようにしました。CADの実習も同様なので、データのバックアップをサーバー任せにしませんでした。しかし、近年はセキュリティが強化されてUSB等の持ち込み使用は出来ないかもしれません。実習の際、パソコン利用についてセキュリティ対策や利用規約を確認しておくことが大切です。(2)求人情報の検索職業訓練中の求職活動は、あくまで自主的に行います。ポリテクセンターでは、施設内の掲示板に求人票を掲示していました。また、給付の手続きでハローワークに行った時もパソコン端末で検索も出来ました。求人情報を調べる上で、完璧に自分の希望に合う企業など存在しないことは理解しておくべきでしょう。何を優先するか、どの程度許容できるか考えておくことも大事です。また、ハローワークインターネットサービス等の情報検索ツールを使用する際、検索条件の設定で細かく設定しすぎないことも大切です。条件外の求人票でも詳細を見ると求人条件が良いものもあります。求人票の見方はいまさら説明するまでもないでしょうが、私が注目するのは給与の金額です。端数がある場合と切りのよい場合がありますが、切りのよい場合は要注意で給与等の計算が杜撰で就業規則があってないような企業が多いと思います。また、試用期間が長い(3カ月を超えている)、手当てが少額か無い、時間外労働時間が多い等も注目すべき点と思います。民間の求人情報サイトを利用する際は、ハローワークの紹介状が必要ないですが、私はハローワークを通すことを勧めます。トラブルになったとき、ハローワークの方が対応してもらいやすいからです。実際、私が面接した企業で、求人票に記載している給与が最低賃金に近いにも関わらず、面接時に更に1万円低い給与を受け入れるなら雇うという会社がありました。当然断ってハローワークに相談しました。その会社は求人票が出せますが、窓口で求職者にそういう会社である旨伝えます。結果、その会社に応募する者はいなくなるのです。ちなみにその会社は数年後に消滅していました。いくつか候補を選んだら、ハローワークの窓口で面接してもらえるか連絡してもらい、出来る場合は紹介状を発行してもらいます。(3)履歴書・職務経歴書の作成私が就職活動を行っていた頃は、手書きの履歴書を重視する風潮がまだ残っておりハローワークでは履歴書等は手書きで作成するように指導されました、履歴書を受け取る企業も、手書きが当然だろうとパソコン作成の履歴書を評価しない会社はいまだにあります。ただ、こうした企業は時代遅れも甚だしいところが多く、就職してもろくなことはないでしょう。職業訓練中に、ハローワークの職員から履歴書の作成や面接について講習があります。私が受けた講習でも手書きを推奨していました。しかし、その通りにする必要はありません。履歴書は手書きでなくパソコンからプリントアウトしても何ら差し支えありません。写真もプリンター印刷のもので問題ありません。現代はネット上でエントリーシート等を送信する時代にもかかわらず、手書きは誠意や熱意の表れだと精神論を宣う人物をたまに見かけます。しかし、パソコンを扱えない人物を雇用することの方が問題だと思います。勤怠管理や業務報告等でパソコンやタブレット等の情報機器は必要不可欠であり、私が勤務していた設備管理会社では、手書きの書類は受け付けないようになっていました。最低でもPDF化して送信、保管するようになっていました。そのため、パソコンの操作が出来ない社員がパソコン操作の必要な業務を他の者に肩代わりさせて問題になっていました。履歴書、職務経歴書を作成ですが、ジョブカードが出来上がっていれば作成は簡単と思います。転職が多い人は短期間就業したところは省くことを勧めます。職歴は5~6行に収まるほうが良いです。また、特技や自己PRは短めにしたほうが良いと思います。面接する側からすると長々書かれても読む気になれません。私が店を経営していた時、アルバイトの面接で自己PRが長い人は往々にして自己顕示欲が強く仕事はしない割に要求ばかりしてきます。また、要点をまとめる能力が低いので仕事の効率を良くすることが苦手です。職務経歴書は、具体的な内容を記すべきでしょう。一例として、単に「機械据え付け工事」と記載するのではなく「○○○工事における○○○設備の据え付け、配線、試運転の施工管理」と記入すれば面接担当者は面接者の技量、能力を図りやすいと思います。(4)面接面接に漕ぎ着けて、履歴書等を送付して企業を訪問しますが、面接時に注意すべきは面接担当者が履歴書等を事前に目を通しているかです。面接の場で封筒を開けるような会社は要注意です。よほど業務が多忙ならばともかく、通常ならば履歴書に目を通すぐらいの時間はあります。それすらしていないということは、雇用者が労働者を如何に軽んじているかということです。面接時は、時間厳守、服装や身だしなみに注意するのは当然として、質問事項があれば事前に効く内容をまとめておくことが良いでしょう。さて、めでたく採用されて働き始めてから分かることも多々あります。私の経験で、求人票に記載されている労働条件や給与待遇について実際は自分には適応されない、支給されないことといったことが結構ありました。中途採用者や契約社員等の非正規雇用の労働者は企業にとっては消耗品でしかありません。ゆえに、労働者は会社や組織に無用な義理立てをする必要は無いので、辞めたい時に辞めれば良いと思います。契約を盾に難癖をつけられるでしょうが、雇用条件に虚偽のある場合は正々堂々対決すべきと思います。
2026.06.04
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職業訓練その後(再就職)私は、6カ月の職業訓練終了まで2週間ほど残して退所することにしました。ボイラー技士の実技試験を県外で受験するためと就職が内定したことが理由です。元々就職が目的の職業訓練なので、就職が決まれば退所はすぐに承認されました。①再就職先その1(下水処理場の設備管理)職業訓練後に最初に就職した企業は、下水処理場の設備管理を行う企業でした。四国各地の下水処理施設の設備管理を委託されている企業で、私は契約社員として地元で3か月間研修を受けて別の県の施設に配属されることになりました。研修では、処理場の各種設備、下水処理の仕組み、水質や活性汚泥等の測定等で興味深い内容でした。当初の1カ月は日勤のみで、2カ月目からシフトに入りました。24時間管理のため夜勤業務の研修を受けました。3ヵ月の無事研修を終えていざ任地に向かったのですが、任地先の所長が開口一番、「向こうで何を教わったか知らんが、そんなもの忘れろ」というのです。研修先の処理場では、設備管理や水質管理はとても理にかなったもので県の上下水道課から高く評価されていました。ところが、任地先の処理場は仕事のやり方がかなり杜撰でした。ミーティングは所長のお気に入りの所員と打ち合わせして、他の所員はそれを漏れ聞くだけ。ポンプの運転時間や流量等の各種データは報告書に記入するも記録するだけで、データ分析に活用していませんでした。また、流入ゲート等のいくつかの重要設備の点検を面倒だからと放置していました。水質管理は県の職員が行っていましたが、結果は委託企業側のこちらには全く知らされず、また聞こうともしていませんでした。結局、職場や業務になじめず1月足らずで退職しました。②再就職先その2(公共施設の設備管理)次に就職したのは、大手の設備管理会社で全国の体育館等の公共施設の設備管理を行っている企業でした。私は契約社員として陸上競技場の勤務となりましたが、この施設は競輪場がメインで、ナイター競輪の開催日は施設の営業終了時間が深夜近くまで遅くなることがあります。また、競輪選手のいる施設は特別な許可がないと入れない等、他の施設とはかなり様子が異なっていました。業務自体は慣れれば問題はなかったのですが、所長が30歳台と若いためか古参の職員が業務指示をまともに聞かないことを度々見掛けました。私もその古参の職員の一人の自火報の操作ミスを指摘すると、執拗にパワハラを受けたので試用期間中に退職しました。③再就職先その3(マンション・商業施設の複合施設の設備管理)正直2度も続けて就職に失敗すると疲れ果ててしまいます。それでも生きていくには頑張らざるを得ず、しばらくハローワークインターネットサービスで求人情報を検索する日々を過ごしました。幸い、退職後1カ月も経たずに設備管理の仕事を見つけて、面接することが出来ました。次の就職先は、建物の清掃業務を主に行う零細企業でした。勤務先は地上100mの高さがある160戸のマンションと商業施設が併設された複合マンションで、地元ではひときわ目立つ高層建築物です。設備管理の元請けは大手設備管理会社ですが、下請けのマンション管理人と設備管理員が常駐していました。設備管理員は24時間常駐で1勤務2休のシフト業務でした。業務内容は、マンション管理人の指示の下、電気、給排水等の各種設備の日常点検と不具合の初期対応でした。また、立体駐車場の管理、防犯カメラでの監視業務、休日のマンション管理人業務の代行もありました。マンション管理人はかなりの曲者でしたが、他の設備管理員とは上手く仕事が出来たのでこの職場では4年以上勤務しました。その間、派遣業法の改正等があり、元請け企業に拾われる形で移籍しました。給与は少し上がりましたが、賞与は寸志程度で資格手当は無く有給休暇が取りにくいと待遇は大して変わりませんでした。様々なトラブルに見舞われたものの何とか乗り越えて勤務を続けてきましたが、親の介護が必要になり24時間勤務が困難になったため退職しました。
2026.06.04
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職業訓練よもやま話(1)訓練生電気設備技術科の訓練コースは、表面的には和気藹々とした雰囲気でした。しかし、指導員にすぐ文句を言う者、教えたがりで周囲を混乱させる者、周囲の動きに我関せずを決め込む者等様々な人物模様が見られました。訓練中に喧嘩やトラブルが無かったのは、いずれは会うことのない相手なので容認していたためかと思います。ちなみに、私と同期の訓練生で訓練終了時の就職確定者は数名程度とのことでした。私の同期は、就職活動は訓練終了後に行おうという悠長な人が多かったと思います。訓練期間中の職業訓練受給給付金があるので多少は余裕があるのでしょう。職業訓練では、訓練生同士では協力して作業を行ったり座学で教えあったりして良い雰囲気だったと思います。また、指導員との関係も概ね良好でした。ただ、問題点もありました。一つには訓練生から指導員への無理な要求です。一例で、電気工事士試験の実技対策で貸出不可の器具や工具を強引に借用したり、研修室のエアコンの温度を設定値より下げるように要求する等、訓練生の横暴さが目に付くことが時々ありました。本人は当然のことと思っているようでしたが、こうした人物の存在は指導員達の苛立ちを増してしまいます。結局それが訓練に影響しててまうことを理解していないのだろうかと思わざるを得ませんでした。(2)指導員ポリテクセンターの指導員は、関連分野の大学卒業や実務経験、又は職業訓練指導員免許が必要な公務員です。しかし、結構離職するものが多いようで、私が通所していたポリテクセンターの電気設備科の指導員は、ほとんどが20~30歳台の若い指導員でした。ベテランといえる指導員は一人だけでしたが、そのベテラン指導員という奴がろくでもない奴ですぐにキレる人物でした。私も何度が訓練中に罵倒されパワハラを受けましたが、しばらくすると訓練に出てこなくなりました。後日知ったのですが、他の訓練生にも暴言等の行為があり、上司から訓練生への接触禁止を言い渡されたとのことでした。こうした事例は、ポリテクセンターに限らず様々な企業、学校、組織であることですが、解決のためには我慢することは悪手であり、必ず何かしら対抗処置を採るべきです。訓練生と指導員との間で時々揉め事が生じる原因に、指導員の段取りの悪さがあります。指導員間の連携不足は訓練生から見ても度々見られ、不安を感じることもありました。しかし、少々のことは容認しても問題ないことが殆どなので、訓練生は社会人でもあるので受忍しても良いと思います。
2026.06.04
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最後に職業訓練を受講したことは結果的に良かったと思います。まず何より給付を受けながら就業に必要な技術を身に着けられることは大変ありがたいです。実際に受講してみて6カ月は長くは感じたものの、社会人になってから学びの機会を得たことは良かったと思います。特に、資格取得の自主勉をするときにポリテクセンターでの経験が活きました。もし、このブログをご覧の方で転職を検討している方がおられれば、職業訓練を受講するという選択肢があることをお伝えしたいと思います。最後に、共に電気設備技術科コースで職業訓練を受けた訓練生、ポリテクセンターの指導員や職員の方々に感謝を申し上げます。
2026.06.04
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最後に私は、陸上自衛隊に任期制隊員として5年間、予備自衛官として10年間勤務しました。わずかな期間でしたが、自分にとって忘れがたい時間を過ごすことができました。今から思い起こせば、体力不足で反抗的だった私がよく自衛官を務められたと思います。除隊してから時代が移り変わり、自衛隊も随分様変わりしたと思います。装備の更新、部隊の改編、海外派遣や災害派遣等での経験を蓄積して、有事法制も整えられて実戦的な組織になっているのではないかと思います。しかし、国際情勢がより緊迫していても、日本の世論は緊張感が薄く他人事のように思っているかに見えます。この世界がどのように変化するかは予想もつきませんが、日本の存立に自衛隊が役立つことを願って本文を終わりにしたいと思います。在隊中にお世話になった整備部火器工場及び営内班の皆様が健やかに末永く過ごされることを祈念いたします。
2024.01.01
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予備自衛官の実態東京在住時は、初回訓練は地方連絡部に1日出頭するだけでした。次回以降の招集訓練は武山駐屯地と朝霞駐屯地に出頭しましたが、当然ですが招集訓練に真面目に取り組む人が多かったと思います。首都圏の招集訓練に出頭している隊員は、除隊したばかりの者が多かったためでしょう。招集訓練も充実した内容で、戦闘訓練を現役自衛官と一緒に行うこともありました。予備自衛官には第1空挺団出身者もいて活気ある訓練でした。また、新型の化学防護服を着用する機会等もあり、予備自衛官の訓練もなかなか良いものだなと思いました。実家の四国に帰省してからは、善通寺駐屯地(第15普通科連隊担当)の招集訓練に参加しましたが、ここは酷い状況でした。初日の集合時間に理由も無く遅刻する者や、体調不良や持病を理由に訓練に出ず営内で居眠りをしている者が1人や2人でなかったのです。酷い者は仕事を理由に夕方出頭したり、外出して善通寺の街に飲みに出かけて帰隊遅延したりする者もいました。基本教練は情けないぐらいだらけていて、射撃検定だけ張り切っているような有り様でした。そのような不心得者の予備自衛官に、支援を担当していた15普連の隊員は怒っていたのですが特に注意するでもなく陰で不満を言うだけでした。休日に訓練支援に駆り出されて、予備自のぼんくら相手で心底腹立たしい思いだったことは容易に推察できました。恐らく、予備自隊員とトラブルになると面倒なことになるので我慢していたのでしょう。ある招集訓練の射撃検定で、訓練支援の3曹が予備自を馬鹿にすることを言って揉め事になり、射撃検定が中断してしまったことがありました。その時は、訓練幹部を巻き込むような騒ぎになりました。実弾を使用する訓練時に揉め事を起こすなど言語道断ですが、予備自衛官の一部の不真面目な連中と支援の隊員との軋轢はしばらく続きました。職種別訓練では、私は武器科だったのですが予備自に武器科隊員がほとんどおらず、いつも普通科の訓練に入れられていました。善通寺駐屯地では地図判読や64式小銃の分解結合等の新隊員向けの簡単な訓練ばかりで、1時間程で終わった後は営内待機でした。稀に武器科だけの訓練もあったのですが、訓練担当者が普通科隊員ということもあり、何かの教本をコピーした資料を渡されて、それを5分ほど読んで終了しました。この後はどうしたらいいかと尋ねると、「営内に戻って待機していてくれ」と言われて半日も待機することになりました。また、ある招集訓練の職種別訓練では、後方支援職種の隊員が集められて62式機関銃の展示説明が行われました。その時、予備自衛官では分解結合は無理だろうと小馬鹿ぎみに言うので、私が第4・5段階整備で行う範囲まで機関銃を分解しました。訓練担当の陸曹は元に戻せなくなると相当焦っていましたが、私は無視して分解結合を行いました。様子を見ていた他の予備自衛官から、「あんた、あの陸曹冷や汗かいてたよ」とにやにや薄笑いを浮かべて話し掛けてきました。予備自衛官も現役隊員に少なからず不平不満の感情を持っていたようです。善通寺駐屯地は、当時第2混成団が駐屯していましたが、当時招集される予備自衛官は30歳以上の者が多く定年近い50歳台も多かったと思います。混成団等を1~2任期で除隊してからかなり年数が経っている者が多かったようで、基本教練の号令を忘れている者、64式小銃の分解結合を忘れている者が多かったです。私が予備自衛官になってしばらくたった頃、行政改革の一環なのか予備自衛官の訓練が急に厳格になり、招集時間に遅刻したり訓練をサボったりするような予備自衛官がいなくなっていました。即応予備自衛官制度や民間人から選抜される公募予備自衛官制度が創設されたこともあり、規律を守らない予備自衛官には退職を勧奨したのではないかと思われます。形骸化した予備自衛官制度の見直しは、実に正しい判断だと思いました。私は40歳となり、仕事が多忙になったので予備自衛官を退官することにしました。勤続10年の方面総監表彰と予備3等陸曹の階級章が私の退職金でした。予備自衛官と海外派遣1992年(平成4)年から始まった自衛隊PKO派遣では、現役隊員ではなく予備自衛官を派遣しようと一時期議論されたことがありました。予備自衛官は現役自衛官ではないほぼ文民なので、憲法にも抵触しにくいだろうという考えだったのではないかと思います。しかし、予備自衛官の任務は、有事に現役隊員が出払った駐屯地の警備や後方支援が任務です。予備自衛官は、退職自衛官が年間5日間の基本的訓練しか受けておらず、海外派遣に必要な語学、医療等の知識がある予備自の隊員は極めて稀だったと思います。したがって、海外派遣などとても不可能でした。後年、従来の予備自衛官だけでなく、訓練期間が長く練度の高い即応予備自衛官、自衛隊勤務経験のない者から募集する「公募予備自衛官」の制度ができました。また、技能公募予備自衛官補は語学、医療、車両整備等の専門技術者たる予備自衛官になることを目的とされており、随分と制度が整えられているようでPKO派遣での教訓が生かされていると思います。
2024.01.01
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6. 予備自衛官私は除隊して1年後、予備自衛官に応募しました。除隊時に地方連絡部から勧誘されたのですが、多くの除隊した任期制隊員は予備自衛官になることを断っていました。理由としては、せっかく自衛隊を辞めたのにまた自衛隊に戻ることが嫌だったからでしょう。また、現役自衛官の予備自衛官に対する偏見もありました。予備自衛官は現役自衛官から見ると、よれよれの戦闘服を着た使えない爺さん達という印象があったからです。しかし、私は地方連絡部の強い勧誘に押し切られ、現役時代の悪行の罪滅ぼしのつもりで応募しました。それから10年間、予備自衛官の招集訓練に参加することになります。予備自衛官は、常備自衛官の人員抑制のため退職した自衛官から募集されており、有事の際の後方支援や駐屯地警備等が任務です。身分は非常勤の特別職国家公務員で、管理は各地方連絡部が行っていしました。陸上自衛隊の予備自衛官は、在隊当時は約3万人が登録していたようです。なお、私が在隊中、予備自衛官は1度として訓練以外の災害派遣等で招集されたことはありませんでした。予備自衛官は、年5日間の招集訓練に参加します。5日間連続が困難な場合は分割もできます。私は、仕事があるので土・日の2日と金・土・日の3日に分割していました。このパターンであれば、有給休暇は1日しか消費しなくて済むからです。招集訓練は、年間の予定表が届くので、その中で出頭できる期間を選んで返信します。予備自衛官の招集訓練は、居住地の管区内の普通科連隊が担当します。そのため、自分が勤務していた駐屯地等で招集訓練を受けられる訳ではないので、見知らぬ部隊に出頭するのはやや緊張します。招集訓練の1日目は、招集部隊に出頭して、被服を受領して健康診断を受診します。2日目は体力測定と基本教練、3日目は射撃予習や精神教育、4日目は射撃検定、5日目は職種別訓練で被服を返納して終わりです。予備自衛官は、月額4,000円の予備自衛官手当と訓練招集に応じた際に日当8,100円の訓練招集手当と交通費が支給されます。年間で88,500円なのでちょうどいい小遣いにはなります。
2024.01.01
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自衛隊の災害派遣2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生したその日、私は学習塾の講師をしており生徒や他の講師と雑談をしていました。激しい揺れでしたが特に被害はなく、その日はいつも通り授業を行いました。しかし、次々に被害の情報が伝わるにつれて、自分が災害に全く備えていないことを思い知らされました。その後は、教室に講師・生徒全員分のヘルメットを用意して、書架等の転倒防止処置等を行いました。自宅では避難時の持ち出し品を防水リュックに梱包して、長期保存用の食糧を常備するようにしました。また、各種保険や自宅の権利書等の重要書類を整理してすぐに持ち出せるようにしたり、家族の個人情報をデータ化して共有したりしました。東日本大震災における自衛隊は、自衛隊創設以来最大規模の災害派遣を行い災害復興に尽力しました。その活躍は報道で広く知られましたが、これには問題もあると思います。多くの人に”災害が起きても自衛隊や行政が助けてくれる”という誤解が広まったように思います。私が在隊中に比べて、法整備や行政機関との連携、災害対策用機材の整備が促進されて、災害派遣訓練の練度も上がっているようです。しかし、自衛隊は災害対策だけに特化した組織ではありません。自衛隊の主任務は防衛であり、そのために多くの予算と労力を費やしています。災害時に自衛隊に期待し過ぎることは間違っていると思います。一部の企業や市民には、災害が発生してから臨機応変に考えればいいという誤った認識があるように感じます。しかし、そのような安直な考えは被害を受けた先人の思いを無碍にしています。国民はできる限り自助自立ができるような具体的手段を講じることが大切だと思います。自衛隊と国民保護法有事法制の拡充のため、武力攻撃等を受けた際に国民の生命・財産を保護することを目的として、2004年に国民保護法が公布されました。現在、日本に対する武力による威嚇、領土の不法占拠等の侵略行為が継続しています。戦争、テロ攻撃等は、自然災害の発生と同様に予測が困難で、いざ発生すれば被害は計り知れません。しかし、防災に関する議論に比べて、どこか荒唐無稽なことと捉えられて真剣に議論されていないと感じます。2022年1月に四国で行われた国民保護法に基づく他国からの武力攻撃想定した避難訓練が、「リアリティーを欠く設定を疑問視する声がある」と報道されました。訓練の想定は、「某国から日本への武力攻撃の可能性の示唆」があり、検討の結果、「2カ月後には高知県が攻撃目標となり得る」と判断された。国は国民保護法の「武力攻撃予測事態」に認定し、高知県民を山口、愛媛両県に飛行機と船、バスで1カ月かけて避難させるとの内容でした。私はこの報道に、「では何がリアリティーなのか」と聞き返したくなりました。東日本大震災やそれに伴う原発事故を予想した者がいるでしょうか。地方都市が武力攻撃されないと誰が保証できるのでしょうか。私が日本に対して何らかの威嚇や挑発をしたい立場なら、いきなり首都圏、在日米軍・自衛隊の施設、原発等の重要施設を攻撃せず、ほとんど警戒されておらず被害が少ない高知県のような地域に通常弾頭の戦術ミサイルや生物化学兵器による攻撃を仕掛けることを検討するでしょう。この攻撃で、こちらの明確で強い意思を示して日本に強い圧力を掛けて、同盟国のアメリカも含めて交渉の場に引き出させようと考えます。日本国民に対して自国の防衛能力が低いことを見せつけて、自衛隊や米軍に対する信頼感を低下させる効果も狙えます。また、被害が少なければ国際的非難も少ないので外交交渉に支障は少ないでしょう。反撃能力を持たない日本に対して、様々な要求を呑ませられると思います。日米安全保障条約がどの程度機能するのかも見極められます。攻撃が思ったほどの効果がなければ、事故と偽ればいいのでメリットはあると思います。実際、太平洋戦争当時、日本はアメリカの戦意低下を目的にアメリカ西海岸を潜水艦が砲撃したり搭載の水上機で爆撃したりしています。この攻撃のアメリカ側の被害は微々たるものですが、アメリカ国民に日本軍上陸という恐怖感を与え影響が甚大であったことは歴史に記録されています。
2024.01.01
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自衛隊の地位自衛官の地位は、他の国家公務員や地方公務員と比べると総じて低く見られているように感じました。ある自衛隊幹部が自治体の災害対策会議に出席したとき、県幹部、警察、消防はテーブルを囲んで座っているのに自衛隊幹部は部屋の隅に座らされて会議中発言を許されなかったそうです。自衛官幹部の中には、自治体に言われるまま防災訓練や災害派遣に人員機材の供出を協力させられることに憤慨していたと聞きました。災害派遣は自衛隊の重要な任務ですが、自治体が自衛隊の行動を制限したり自衛隊側の進言を無視したりすることもあったそうです。東日本大震災等の災害において、自衛隊が必要不可欠であることが社会に広く認識されるようになったとはいえ、防衛省以外の官庁や自治体によってはいまだに自衛隊を格下に見る傾向があるそうです。また、私が十条駐屯地に配属された頃、防衛庁官舎は近隣の都営アパートよりも狭く老朽化していました。引越しの手伝いで官舎に行ったことがありますが、天井が低く色褪せた畳の狭い部屋はとても公務員の官舎とは思えませんでした。環状7号線沿いにあった高級マンションのような某省庁の官舎と比べると雲泥の差でした。国の役所には、省の付く役所や古い組織ほど新しい省庁を格下に見て侮る傾向があるそうです。自衛隊は比較的新しい組織であり、当時は防衛庁であったことからさらに格下扱いされていたようです。しかし、近年隊舎等が建て直されてきれいになっているのを見ると、2007年に防衛庁が省に格上げになった効果ではないかと思います。自衛隊の海外派遣1991年(平成3年)、大学の研究室で卒研を行っていた時、研究室のテレビでは湾岸戦争の実況中継が放送されていました。当時、国会では海上自衛隊の掃海艇部隊をペルシャ湾に派遣するかしないかで揉めていた時期です。掃海艇は小型艦艇で外洋を航行することは非常に困難で、釣り船で遠洋漁業に行くようなものでした。この話をニュースで知った時、”机上の空論”という言葉が脳裏に浮かんだことを覚えています。このような国際平和協力活動に関する議論から分かるのは、国会議員、官僚、マスコミがいかに国防軍事に疎いかということです。自衛官は、素人同然の国会議員による議論と採決された法律に基づいて危険な任地に派遣されます。自衛隊は1992年のカンボジアPKO派遣から海外派遣が任務として課されるようになりましたが、体面ばかり取り繕う”机上の空論”に翻弄される自衛隊の姿を痛々しく感じました。ペルシャ湾への掃海部隊派遣に始まり、カンボジアPKO派遣、ゴラン高原の停戦監視任務、イラク派遣、ソマリア沖海賊の対策部隊派遣、東ティモール派遣、南スーダン派遣と自衛隊の海外派遣は続いています。任務内容や危険度は違えども、直接戦闘にまで至った事例はなく自衛官の死傷者は出ていません。しかし、いずれ戦闘により死傷者が出る日も遠くはないと思います。そのとき、何のために派遣するか、何をするのか、国民や派遣隊員に対して明確に説明できるのか、実に心許ないと思います。死傷者が出るような状況が発生したとき、如何に対応するか楽しみです。曖昧で不明瞭な派遣目的で、現地の実情に合わない装備を持たされ、現地部隊の要望を軽視した命令が発せられ、死傷してもすぐに忘れ去られるようなことになれば、派遣隊員は死んでも死に切れないと思います。また、派遣部隊の隊員の自殺者数が多いことは、直接戦闘に巻き込まれずとも過酷な状況下でのストレスが如何に人の心を破壊するかが分かります。海外派遣は危険な任務であることは覚悟していても、いざ派遣されて現地での想像以上の緊張感や重責に苦しむ者が大勢いたことは想像に難くありません。せめて海外派遣が直接、間接に関わらず多くの人々を窮地から救う有意義なものであることを願うばかりです。2024年現在、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻の話題が報道を賑わしています。しかし、どこか他人事で、一過性の出来事のように感じます。支援物資を送ることや避難民を受け入れることも大切ですが、日本に武力攻撃があった場合の対応について改めて考え直すべきと思います。自衛隊がどこまで対応できるのか未知数ですが、自然災害も同様で国民はただ支援を受けるだけの受動的な立場でいいのか考え直す時期ではないかと思います。
2024.01.01
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除隊の日1991年(平成3年)3月下旬、卒業式も終わり除隊するだけとなった頃、有給休暇中で昼間から営内でひとり荷物を整理していました。就職先の都内の社員寮に荷物を運び出して、貸与されていた被服、半長靴等の個人装備を返納しました。私の除隊日が日曜日だったので、除隊の挨拶回りは金曜日に出掛けました。勤務中でもあり、私に対して色々と思うところのある人もいたので、無暗に不興を買わないように手短に挨拶してその場を立ち去りました。火器工場には私が通っていた大学に1年遅れで入学した少工出身の某3曹がいて、挨拶回りが終わった頃に声を掛けてきたのでしばらく雑談をしました。某3曹は私より階級が上なので私を呼び捨てにしても問題はないのですが、気を使ったのか人の目がないときは私を「〇〇ちゃん」と呼んでいました。何を話したかはっきりとは覚えていませんが、大学のことや就職先のことを話したように思います。また、火器工場の某曹長は、事あるごとに助言を与えてくれて叱咤激励してくれた人物でしたので特に感謝の意を伝えました。当然、小火器班班長をはじめ、小火器班の人達にはこれまでの好意に礼を述べて小火器班を後にしました。営内班は、課業後はいつも通り騒がしく、通学や遊びに外出する者、洗濯等の雑用に勤しむ者等、営内で日常生活が行われていました。私のすぐ下の後輩である某士長は、私に代わって陸士班をまとめていました。少々思慮が足りない男でしたが、積極性があるので私よりは良い先輩になるであろうと期待していました。その他の陸士もそれぞれ不安はあるものの、これまで大きな問題も起こさずにきたので、これからも自衛隊勤務をうまく凌げるだろうと思いました。退職日前日の土曜日は、外出して社員寮に荷物を運び込み夜には営内に戻りました。営内班は、ほとんどの者が外出していたので静かでした。十条駐屯地での夜はこれが最後だと感慨深い感情もありましたが、それ以上に営内の劣悪な環境から逃れられることの嬉しさがこみ上げてきました。社員寮はワンルームでエアコン完備だったので、営内班とは雲泥の差がありました。ギシギシとうるさいベッドとも今夜でお別れです。日曜日の朝、わずかな荷物を持って静かな営内隊舎を出ました。駐屯地の咲きかけていた桜を眺めて警衛所に向かい、窓口で身分証を返納して十条駐屯地の営門を出ました。定年退官する幹部や陸曹は部隊総出で見送りが行われます。しかし、任期満了除隊の陸士の場合は、営内者等の有志だけの見送りとなります。私の場合、除隊が日曜日でもあり見送りは遠慮しました。警衛司令に敬礼して営門を出て、十条駅から鉄道を乗り継いで都内某所の社員寮に向かいました。特に何の感慨もなく淡々とした除隊でした。1998年、十条支処は部隊改編で廃止されて「陸上自衛隊補給統制本部」が設置されています。レンガ造りの工場や営内隊舎は建て替えられて、新しい鉄筋コンクリート造りの庁舎が立ち並んでいるようです。十条支処の勤務者は、武器補給処本処のある霞ヶ浦駐屯地等に異動したようですが、私の知る人は既に定年退官していると思います。
2024.01.01
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任期満了除隊・大学卒業1990年(平成2年)になると、私の自衛隊除隊が目前となり10月頃から就職活動を行いましたが、夜間学生の求人は少なくほとんど中小企業でした。ある大手企業は、求人票に"夜間学生不可"と堂々と記載していたことを今でも記憶しています。1986年からのバブル経済で、大学新卒の求人は異常な売り手市場となっており、地方や偏差値が高くない大学にも大企業から好条件の求人募集があったそうです。しかし、夜間大学の学生はその恩恵に与(あずか)ることはなく、元の職場で働き続ける者もいたようです。幸いにして私は某財閥系企業の系列子会社に正社員として就職が決まりました。また、陸上自衛隊の任期制隊員は2年若しくは4年で任期満了となりますが、私は5年在隊したため3任期目途中の中途除隊となります。しかし、大学を卒業した後、民間会社に就職することになったので任期満了除隊扱いにしてもらえました。当時、私は有給休暇が40日残っていたので、1991年2月から除隊の3月末まで有給休暇を消化することにしました。有給休暇中は、大学の卒業研究と自動車教習所に通って普通自動車免許の取得に専念しました。陸士長になれば習志野駐屯地の自動車訓練所に通所することができたのですが、大学通学を優先したため民間の教習所に自費で通うことにしました。費用は任期満了金を充てて、無事免許を取得しました。大学の卒業研究の課題は、「消音器の形状による圧力損失について」という個人的に全く興味のないものでした。また、卒研の他のメンバーが担当教授の学生に対していつも高圧的な態度であることに立腹して口論となり、教授も激怒して私の卒研グループは私を通じてのみ実験や論文の指示を出すことになってしまいました。たたでさえやる気の失せたところに余計な負担が掛かって、私はストレスが蓄積するばかりでした。大人気ない話ですが、担当教授の話が分かりにくいと文句ばかり言い講義を真面目に聞かない学生と、それに苛立つ教授の気持ちも分からないでもないです。しかし、夜間の学生は世間慣れした社会人で、普通の大学生のように叱責すれば簡単に折れるような柔い人間ではありません。湾岸戦争で「砂漠の嵐作戦」が最高潮の頃、私達の卒研の論文がなんとか無事完成しました。卒研発表会も無事に終わり、後は卒業式のみとなりました。卒業式は大学の本校で行われ、数千人規模の卒業式に出席することになりました。卒業式直前、私は大学職員に呼び出されて「あなたは総長賞が授与されるので最前列の席に着きなさい」と言われました。初めは何のことかよく理解できなかったのですが、どうやら機械工学科での成績が首席だったので表彰されるのだと分かりました。各学科の首席の学生が次々登壇して、大学総長から賞状と記念のブロンズ像を授与されました。営内の自習室等で地道に勉強したことが結果に結びついたようで、内心報われた気がしました。夜間大学では、機械工学科のガラの悪い同級生との付き合いが多かった私は、品行方正ぶった優等生達から陰で馬鹿にされていたようです。しかし、私が学科の首席になったことがかなり衝撃的だったようで、卒業式後の卒業パーティーでは、私から優等生諸兄に声を掛けようとしましたが逃げられてしまいました。私は余程性格が悪い人間のようです。
2024.01.01
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一般幹部候補生試験私は入隊4年目の時、自衛隊の一般幹部候補生試験を受験しました。一般幹部候補生試験は、防衛大学校以外の一般大学卒業予定者等が受験して幹部自衛官になる国家公務員2種相当の試験です。大学4年になった平成2年(1990年)、私は一般幹部候補生試験の受験について職場や営内班の誰にも話さずに受験しました。理由としては、単に腕試しの受験だったので落ちたら恥ずかしいからです。陸曹候補生試験を落ちているのに幹部候補生試験を受験するなど実に無恥な行為ですが、何事もやってみないと気が済まない性格の私は深く考えることなく受験しました。試験対策の過去問が市販されていたので、それを購入して勉強しました。1次の学科試験は、技能系の公務員試験とほとんど同じ内容でした。そのため、過去問と大学の教科書等で勉強しました。しかし、陸曹候補生試験と比べて当然簡単ではないので学科試験に自信はありませんでした。7月の試験当日、市ヶ谷駐屯地の試験会場に出掛けたのですが、受験生の中には制服姿の現役自衛官の姿もありました。恐らく私と同じ夜間や通信の大学卒業予定の隊員だったのでしょう。私は、一般の大学生を装っていたので私服でした。試験は一般教養科目と機械工学の専門科目の4~5択問題だったと思いますが、過去問と同程度の難度だったと思いますが手ごたえは全くありませんでした。これは落ちたなと落胆しましたが、これも思い出のひとつと納得させました。その日は、1日がかりの試験で疲れ果てました。さて、数日後、十条駐屯地に第2次試験受験通知書のはがきが届きました。1次試験の合格率は10%未満だったようですが何故か合格してしまいました。はがきには8月の2次試験の案内が記載されており、受験するか迷っていました少し迷いました。自分が幹部自衛官には明らかに不向きであることは承知していましたが、せっかくの儲けものだからそのまま2次試験も受けようかと調子に乗っていたところもありました。それに、2次試験に合格してとしても幹部候補生学校に出頭しなければ済む話なので、2次受験についてはもう少し検討するつもりでいました。後に聞いた話では、2次試験の口述試験、つまり面接では余程のことがない限り落とされないということでした。2次試験を受けようか迷っていたとき、火器工場の工場長に呼び出されました。はがきは駐屯地の総務部で仕分けるので、誰かが気付いたのでしょう。また、防衛庁から十条駐屯地の隊員が一般幹部候補生試験を受験して1次試験に合格しているので確認の連絡があったようでした。工場長は、私が受験したことを聞かされていないことに対して怒るでしょうが、何より私が自衛隊を続ける意志が全く無いのに受験したことに激怒していました。散々叱責されて最後に「2次試験は受験するな」と命ぜられてしまいました。「そんなの俺の勝手だろう」と思いましたが、これ以上騒ぎを広げるのは就職に影響するかもしれないので不承不承従うことにしました。また、当時は冷戦体制が崩壊して世界情勢が大きく変化しようしているにもかかわらず自衛隊は不毛で空虚な論争に翻弄されていたこともあり、将来に不安を感じていたことも一因です。さらに、自衛隊が旧日本軍同様に兵站つまり補給・整備等の後方支援職種を軽視する悪弊が改善されていない様に落胆していたことも一因です。幹部自衛官になるには、防衛大学校、航空学生に合格するか、陸曹から部内幹部候補生試験に合格する方法等があります。部内幹部候補生試験は、合格率が頗(すこぶ)る低く十条駐屯地の陸曹は何年も受験して落ち続けている人が大勢いました。ところが、下っ端の陸士が陸曹を飛び越して幹部自衛官になるかもしれないという出来事に十条駐屯地は騒然としたらしいです。小火器班の班長から、陸士から部内幹部候補生になることは過去にもあったそうでしたが稀有なことであると聞かされました。私の一般幹部候補生試験1次試験合格の話が駐屯地内で知れ渡ると、陸士の同期や後輩はとても喜んでくれました。日頃陸士を蔑(さげす)んでいた陸曹には部内幹候試験に何度も落ちていた陸曹もいたので、同期や後輩は「陸士でもやればできるのだ」と溜飲が下がる思いだったのでしょう。周囲の私を見る目は様々で、高く評価してくれる人、素直に喜んでくれる人、嫌味を言う人、困惑する人等々、意図した結果ではなかったのですが様々な反応が見られて面白かったです。この出来事で、反逆の陸士長として結果を残せたことに密かにほくそ笑みました。もし、私が間違って幹部自衛官になっていたら、ろくでもないぼんくら幹部になっていたことでしょうけれど・・・。
2024.01.01
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十条駐屯地こそこそ話 その9どこの駐屯地でも幽霊話は付きもののようで、ご多分に漏れず十条駐屯地にも幽霊話がありました。それも私の職場である小火器班があった原動機工場で幽霊が出ると言われていました。昔、工場内で首吊り自殺した隊員がいて、その幽霊が出るとの噂が広まっていました。消防隊勤務の夜の巡回で、原動機工場のチェックポイントに行くのですが、無灯火の工場は実に不気味で幽霊が出ると言われても信じてしまうほどでした。幸い幽霊の類に遭遇することはありませんでしたが、気持ちの良いものではありませんでした。朝霞駐屯地では、深夜巡察中の当直幹部に向かって旧日本軍の兵隊が行進してきて「自分達の原隊は何処でありますか」と尋ねたそうです。その当直幹部は「分からん、とにかく戻れ」と言って「回れ進め」の号令を掛けて来た道を引き返させたそうです。他の駐屯地でもその類の話はたくさんあるようで、なかなか興味深いです。十条駐屯地こそこそ話 その10自衛隊は、様々な設備や機材がありますが、どこの駐屯地でも必ず見掛ける装備にリヤカーがあります。このリヤカーは、自衛隊の影の主力装備品と言って過言ではありません。私が十条駐屯地にいた頃、リヤカーは各工場に2~3台配備されていました。年季の入ったリヤカーで、何度も修理して使い続けられていました。リヤカーは、主に次のような物品の運搬に使用されていました。○ 行事や会議で使用するテーブル、パイプ椅子等の備品○ クリーニングに出す営内班や警衛所のシーツ○ 各部署や営内班のゴミ○ 工場で使用する塗料、灯油、グリス等の缶○ 草刈りで刈り取った雑草○ 射撃予習で使用する標的等の訓練機材○ バッカン、しょうゆ・食用油の一斗缶等の糧食関係の物品時にはお遊びで人を運んでいましたが、様々な用途で使用されるリヤカーは自衛隊にはなくてはならない装備品です。十条駐屯地こそこそ話 その11十条駐屯地には他の駐屯地にはあまりない設備や機材がありました。車両工場他ではエンジン式のフォークリフトが活躍していました。主にトラックや戦車等のエンジン、ミッション等の重量物の搬出入に使用します。車両工場所属の私の先輩、同期は、内緒でフォークリフトのドラッグレースをしていたそうです。大型フォークリフトなのでさぞ迫力あるレースだったことでしょう。小火器班のあった工場には人・貨物兼用の大型エレベータが活躍していました。大型エレベータは、軽自動車を乗せられるほど大型のものでした。しかし、扉は手動で上下に開閉する旧型で、エレベータに乗って昇降している間はいつか止まるのではないかと冷や汗もののエレベータでした。このエレベータで小銃、機関銃等を大型台車に乗せて運搬していました。また、各工場には天井クレーンがあり、機材の積み下ろしや火砲や戦車砲の砲身取り付け等にも使用していました。現在の天井クレーンはペンダントで操作するものがほとんどですが、当時の天井クレーンは運転室が付いており、操作員はそれに乗ってクレーンを操作します。運転室には、路面電車のようなマスコンと呼ばれる操作装置があり、これで走行・横行・巻き上げ・巻き下げを行います。私も運転を練習したのですが、クレーンを停止するとき吊り荷が振れてしまいます。また、榴弾砲の砲身を吊ると砲身が水平方向に回ってしまい、なかなか上手く運べませんでした。自衛隊には古い設備や機材が多いですが、民間でも古い設備が残っているところは多いです。運転室付きの天井クレーンは、再就職後に古い水力発電所の工事で機材を搬入するとき再び運転することになりました。古い設備や機材に慣れていれば仕事の幅が広がるので、いい経験をさせてもらったと思っています。
2024.01.01
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十条駐屯地こそこそ話 その7陸上自衛隊で、危険な任務として知られているのが不発弾処理です。不発弾処理は武器科の任務だったことから、後期教育隊等で不発弾処理について話を聞く機会がありました。私が在隊していた当時、不発弾処理の特殊勤務手当は時給250円程度だったそうです。また、自衛官が公務で死亡して場合の弔慰金は2~300万円程度だと聞きました。現在の不発弾処理は、出動1回につき5,200円、危険性の低いものについては時給110円の支給があるそうです。また、死亡弔慰金は2012年の南スーダン派遣で最高9,000万円に引き上げられたそうです。但し、災害派遣時や通常勤務時を問わず1,000万円程度の支給が一般的らしいですが、それでも随分引き上げられたと思います。ようやく警察、消防等の他の公務員並みに自衛官の処遇は改善されているようですが、政府や自衛隊上層部の愚策で戦死するぐらいなら任務を放棄した方がましなどと思われないようにしてもらいたいです。十条駐屯地こそこそ話 その8私が在隊当時、自衛隊は慢性的な人手不足でした。自衛隊の各部隊は定員を満たさない部隊がほとんどで十条支処も同様でした。自衛官の定員に対して、どの程度の人員(実員)を充足するかを示す割合を”充足率”といいますが、陸上自衛隊全体では9割程度の充足率を維持しているようですが、普通科、特科等の戦闘部隊優先のため武器科等の後方部隊の充足率は7~8割だったと記憶しています。また、任期制隊員は8割を割り込んでいて慢性的に不足していたようです。したがって、武器補給処では陸士は常に人数が少ない状況が続いていたようです。通常業務には大きな影響はないのですが、警衛勤務やKP勤務に陸曹が割り振られやすかったようです。毎年10月は、4月入隊の新隊員が部隊に配属されることが多いです。私が先任士長の頃、新たに誘導武器部に配属された新隊員の噂が駐屯地に広まりました。その隊員は、双子で共に知的障害があるようでした。まともに会話ができず、突然奇声を発したり走り回ったりする等の奇行を行うため営内班長等がこの2人を常に監視していました。職場には出勤せず、営内で清掃や草刈り等の雑用をさせていたようですが、目を離すとすぐ行方不明になるとのことでした。ある日、警衛勤務後に営内隊舎で休んでいた時、突然火災ベルが鳴り響きました。慌てて廊下に出て様子を伺ったのですが、営内隊舎2階の整備部営内班では火も煙も見られませんでした。1階に降りると誘導武器部の陸曹が当直陸曹と何やら会話をしていました。私が近づくと、「例の2士が火災ベルを押したらしい」とのことでした。誘導武器部の陸曹の顔には悲壮感が漂っており、あの2人のお守り役を押し付けられて辛そうでした。火災ベルの鳴動はすぐに止められて大して騒ぎにはなりませんでしたが、例の双子のことが駐屯地のお偉いさんの耳に入ったようで、しばらくしてその2人は除隊させられたそうです。あの2人は自分の意志でもないのに、家族によって入隊させられたのでしょう。また、地方連絡部が隊員確保のノルマ達成のため、採用試験等をごまかして教育隊にねじ込んだのかもしれません。教育隊では戦闘訓練や射撃等はまともに訓練できず、一般部隊での勤務は無理なので武器補給処に配属されたようです。しかし、武器補給処側はたまったものではありません。そのため、お守り役の陸曹は本来の業務ができず、過度のストレスを被ったのですから同情を禁じ得ません。自衛官募集では、準禁治産の宣告を受けている者は応募できないという条件があります。しかし、これには心神耗弱を原因とする者以外という例外があり、これでは精神障害者や知的障害者でも入隊できるのではないかと思います。しかし、現実問題として武器を使用する自衛隊に、精神障害者や知的障害者を就かせることは無謀過ぎると思いました。障害者差別を無くすことは大切でしょうが、物事の優先順位を間違えているのではないかと疑問に思った出来事でした。
2024.01.01
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十条駐屯地こそこそ話 その5自衛隊では、年に1~2回の頻度で「精神教育」というものが行われました。新隊員教育隊では区隊長が講話を行いますが、十条駐屯地では、整備部の訓練幹部が担当していたと思います。自衛官、防衛庁職員に対して様々な内容で1時間ほどの講話を行います。講話の内容は、防衛に関する国際及び国内情勢や防諜事案の解説等でした。私が在隊していた頃は冷戦真っ最中の時期でした。ソ連は仮想敵国(甲)、中国と北朝鮮は仮想敵国(乙)と分類されていたと思います。また、自衛隊の訓練や演習において対抗部隊甲はソ連を想定しており、対抗部隊乙は中国等を想定しています。当時は、極東ソ連軍の領空・領海侵犯が発生しており、北方四島付近で漁船がソ連に拿捕される等、厳しい状況が続いていた頃です。私が除隊する直前の1990年には「湾岸戦争」が勃発しました。精神教育では、幹部がソ連軍の編成や自衛隊の対応について解説しました。新聞や市販書籍でも知りうる内容で新鮮味はありませんでしたが、燃料弾薬等の備蓄不足による自衛隊の継戦能力の低さ、有事における法整備がほとんど出来ていないこと、日米安全保障体制の弱点にも言及した内容でした。幹部自衛官が自衛隊の弱点にしっかり目を向けていることに感心しました。また、防諜に関して注意を促す内容の精神教育も行われ、事例として次のような話を聞きました。十条駐屯地近傍の居酒屋で、ある隊員が日本語の流暢な外国人に声を掛けられて親しくなったそうです。こちらが自衛官とは明かしていなかったそうですが、親しくなると駐屯地の様子や業務に関して聞き出そうとし始めたそうです。不審に思い警務隊に通報して、その居酒屋には行かないようにしたそうです。都内の場合、外国人と接することは珍しいことではありませんが、十条駐屯地のような末端の部隊を調べてどうするのかと思いましたが、武器補給処は誘導武器等の機密情報を手に入れるのに敷居が低く比較的簡単ではないかと思いました。外国人は地方では目立ってしまうので警戒されやすいですが、都内の部隊ならば怪しまれにくいです。自衛隊の待遇等に対して不満のある者、借金等の個人的問題を抱えている者を見つけ出すのは困難ではないと思います。実際、「宮永スパイ事件」や「ボガチョンコフ事件」が発生しています。私のような下っ端隊員で機密情報に接する立場にない隊員の情報であっても、部隊の動静、訓練内容等の情報を積み上げれば、重要情報に辿り着くことはある程度可能でしょう。十条駐屯地こそこそ話 その6自衛隊の災害派遣は、阪神淡路大震災、東日本大震災等で広く認知されるようになりましたが、私が入隊していた頃は今ほど認知されていなかったと思います。当時の自衛隊は、世間一般では地震や台風でたまに出動して消防・警察の手伝いをする程度の存在としか認識されていなかったと思います。自衛隊でも、国防が主任務であって災害派遣は”余技”と捉えており、特に訓練はしておらず災害派遣に対応した専用機材はありませんでした。自衛官の中には、「災害派遣なんか自衛隊の仕事ではない」と公言憚らぬ者もいたそうです。私は在隊中、災害派遣や民生支援等で派遣されることはありませんでした。ただ、1985年の「日航ジャンボ墜落事故」で第1空挺団等が派遣されて、間接的ですが現場の様子を聞くことがありました。また、1987年11月の「大韓航空機爆破事件」、同年12月の「対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件」は隊内でも話題になりましたが、補給処ではそれらに対応した動きなどはなく普段と変わらぬ日々でした。ただ、1度だけ影響があったのは、近隣火災か何かの事故が発生して十条駐屯地から支援要員を派遣するかもしれないため、営内者に一時外出制限が行われたことです。しかし、十条駐屯地から要員派遣はなく、外出制限も直ちに解除されていつもの日常に戻りました。
2024.01.01
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十条駐屯地こそこそ話 その3私が先任士長となった頃、誘導武器部補給課に新隊員が配属されたました。その新隊員は地対艦誘導弾やホークミサイル等を整備する部署に配属されたそうですが、虚言癖のある評判の悪い隊員だったそうです。ある日、駐屯地に警察が来たというので騒ぎになりました。原因は、誘導武器部で窃盗事件があり、その犯人が引き渡されたとのことでした。その犯人は例の虚言癖の隊員でした。誘導武器部にいる同期の話では、日頃から自分は金持ちで高級車を持っている等の虚言が甚だしく、外出しては飲み屋で嘘を吹聴していたようです。そして、消費者金融で借金をしていたようでした。その隊員は、配属先の部署で保管されていた貴金属を盗み出して廃棄物業者に売り、百数十万円の金額を得ていたそうです。しかし、すぐに足が付き犯行がばれたそうです。ミサイル等の誘導武器には基板やコネクター等に金銀等の貴金属が使用されており、基板等を廃棄するとき貴金属を取り出して地金にします。スチールロッカーに保管していたその地金を、何かしらの方法で盗み出したそうです。しかし、盗み出した直後に発覚して部隊内で内偵が行われたものと思われます。自衛官の不祥事として、窃盗は時折発生していたようです。営内の個人用ロッカー等から財布や貴重品が盗まれたり、部隊の備品が盗まれたりすることがあったそうです。幸い私は被害にあうことはありませんでしたが、営内には信用できない者もいたので用心していました。しかし、鍵を掛けていないロッカーに現金入りの給料袋をそのまま放り込んでいる古参陸曹もいたそうで、そのような安易な行為がいらぬ事件を誘引すると内心はがゆく思いました。十条駐屯地こそこそ話 その4冬のある日、建て替えられて間もない隊員浴場に出掛けました。私は大学が冬休みで営内に残留しおり、私以外の営内班の陸士は外出していたので1人で浴場に出掛けました。普段は通学していたので帰隊後はシャワーしか浴びていなかった私は、新しく隊員浴場の広い湯船に浸かれると期待して出掛けました。浴場はあまり混雑しておらず、私は浴槽に肩まで湯に浸かり”十条温泉”を堪能していました。私の前に50歳台と思われる細身で白髪頭の人が湯船に入ってきました。その人物は、脱衣所で見掛けた誘導武器部の当直幹部でした。その人物は、湯船に浸かると目を閉じて座っていましたが、突然湯の中に沈んでいったのです。最初は変なことをする人だと思ったのですが、湯から出てこないので様子が変だと感じて近づきました。すると、力なく湯の中で漂っているので慌てて湯船から引き上げました。浴場のタイルの上にぐったりと横たわっていましたが自発呼吸はしていたので、取り敢えず部隊の救急訓練で教わっていた気道確保のための回復体位という横寝の姿勢をとらせました。呼び掛けに反応せず嘔吐し始めたので、周囲の人に助けを求めました。すると、ある陸曹が声を掛けてくれたので、衛生班を呼んでほしいと頼みました。その陸曹は、すぐに浴場から駆けだして衛生班の隊員を呼んできてくれました。衛生班の隊員と私は、駆け付けた駐屯地の救急車に倒れた当直幹部を運び込みました。ちなみに、自衛隊内で救急車は、英語の”アンビュランス:Ambulance”と呼びます。その後、倒れた当直幹部は近隣の病院に搬送されたそうですが2日後に死亡したと聞かされました。死因は脳卒中だったそうです。その当直幹部は退官間近で、大学生の子供がいたそうです。人の死を間近で見たのはこの時が初めてでしたが、自分の対応が正しかったのか今でも自問自答することがあります。なぜ自衛隊のような救急救命の必要が生じやすい業務にもかかわらず、隊員に対して救命訓練を積極的に実施しなかったのか疑問でした。後年、消防署の上級救命講習やスポーツ指導者の救命講習を受講しましたが、当時私が自衛隊で受けた救命訓練は比較できぬほどお粗末でした。(包帯の巻き方や骨折時の三角巾の使い方程度)ちなみに、私が助けを呼んだとき、後に任満除隊した誘導武器部の同期がいました。しかし、面倒事に関わりたくなかったのかそそくさと浴場から逃げてしまいました。酷い野郎だと思いましたが、浴場内には他にも何人か人がいて気付かなかったのか誰も進んで手を貸そうとする者はいませんでした。実に残念でした。
2024.01.01
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十条駐屯地こそこそ話 その1十条駐屯地の自衛官や技官は、幹部自衛官を除いてあまり転属しません。補給処業務は熟練を要する業務が多いことが理由だったようです。十条駐屯地の自衛官の業務は、一般的な自衛隊の業務と異なり民間の工場勤務のようなものでした。そのためか、意識の高い者とそうでない者に二極化していたように思いました。業務や訓練に物足りなさを感じる者は、危険物取扱者等の公的資格を取得したり部外の学校等に通って自己研鑽に励んでいました。しかし、十条駐屯地のぬるい水に慣れてしまった者は、日常業務をただこなすだけでした。そうした自衛官は演習や訓練の多い武器隊や野整備中隊への転属を忌避していました。私が警衛勤務に上番したある日、整備部勤務の某1曹が出勤して来なかったため、整備部関係者や警務隊が捜索に出ました。朝、自宅から出勤したことは家族の話で分かっていたので、駅周辺や親戚宅等を捜索したようですが発見されませんでした。1週間ほど経って、行方不明になっていた1曹が都内の駅で発見されたとの報が整備部内に流れました。噂では某1曹は仕事や家庭が虚しくなって衝動的に出奔したとのことでした。丁度、私は某1曹が公用車で護送されてきたところに居合わせたのですが、魂の抜けたような空虚な顔をしていました。当時の私には某1曹の失踪は理解しがたい行動でしたが、今になって思えば40~50歳台というのは気力や体力が衰えて、仕事の先も見えてきて意欲が減退するのは当然です。また、将来に対する不安感もあったのかもしれません。自衛官は早期退職制度のため、早ければ53歳で定年退官することになっていました。退職後は、警備会社や保険会社等に転職する人が多いようですが、仕事や新しい環境に馴染めない人が少なからずいるようです。また、年金も他の公務員に比べて少ないので、経済的な不安を感じている人が多かったようです。十条駐屯地こそこそ話 その2十条駐屯地勤務は、自衛官、特に幹部にとっては島流しの地だったようです。武器科の幹部は一般大学の工学系の出身者か部内幹部候補生の出身者が多く、防大出身者はほとんどいませんでした。駐屯地司令を除く幹部自衛官は3佐で定年を迎える人が多かったようで、私が十条駐屯地配属当初の火器工場の工場長もそうでした。十条駐屯地から栄転するような幹部は見たことがありません。逆に他の部隊から転属してくる幹部は何人かいましたが、概ね十条駐屯地が最後の勤務地だったようです。ある日、総務部の知り合いの陸士から、十条駐屯地に1佐が転属してくるという話を聞きました。1佐といえば連隊長クラスの階級です。1個連隊は、編成にもよりますが定数約1,100名なので、連隊長は大企業の部課長や工場長クラスかと思います。十条駐屯地は、駐屯地司令が1佐で、他に1佐のポストはありませんでした。そのため、どういう事情で転属してくるのか皆不思議がっていました。ほどなくして、その1佐が転属してきました。普通、転属した者は駐屯地の合同朝礼で紹介されますが、なぜかその1佐の紹介はありませんでした。しかも、その1佐のポストは「十条支処総務部付」でした。仕事は特に無く、ただ出勤して退庁時刻まで自分の机に座るだけだそうでした。何事か不祥事でもやらかして飛ばされてきたのかと勘繰る者もいました。ある日、私は誰かと一緒に駐屯地内の大通りを歩いていると、大通り沿いの芝生に制服を着た幹部が体育座りをしていました。奇妙に感じましたが取り敢えず敬礼したのですが、反応はなく訝(いぶか)しく思いました。総務部の同期に芝生に座っている変な幹部がいたが何者かと尋ねると、例の転属してきた1佐だというのです。詳しく聞くと、その1佐は防衛大学校出身で幹部自衛官でもかなりのエリートで、上級指揮官・幕僚として必要な知識技能を修得する「指揮幕僚課程:CGS」か「幹部高級課程:AGS」の学生だったようです。将来は師団長、方面総監、幕僚長への道が開かれる課程ですが、大変な難関で課程履修中に出される課題や試験は非常に厳しいものだそうです。その1佐はある試験で落第してしまい、そのことがきっかけで精神疾患に罹患してしまったとのことでした。40歳台と思われるその幹部は、しばらく家族の付き添いで十条駐屯地に通勤していたようですが数ヵ月後に退官したそうです。退官するとき駐屯地に家族が引き取りに来たそうですが、家族の胸中いかばかりか察するに余りあると思います。自分で選択した道とはいえ、家族からすれば「自衛隊に殺された」と思われても仕方ないのではないかと思います。ここ10数年で職場や学校等でのメンタルケアが普及して、自衛隊でも海外派遣や災害派遣に参加した隊員のメンタルケアを積極的に実施しているようです。当時は、「本人の責任」、「適性がなかっただけ」、「運がなかった」と安易に片付けられていました。しかし、精神疾患等による人的損害は経済的損失だけでなく士気の低下を招きます。戦闘等の過酷な状況下に置かれる自衛官なればこそ、メンタルケアは重要であり隊員のセルフケアの能力向上を図ることにも注力してほしいものです。
2024.01.01
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KP勤務警衛勤務等の特別勤務ではありませんが、臨時勤務であるKP勤務、つまり食堂勤務というものがありました。十条駐屯地のKP勤務は、隊員食堂と幹部食堂で、配膳、食器洗い等の雑用を営内居住の陸曹、陸士3名が3日間勤務します。警衛勤務と同様に概ね月1回勤務が回ってきます。ちなみに、食堂勤務を差す「KP」が何の略なのか誰に聞いても分かりませんでした。後年、KPはKitchen Police:コックを補助する下士官兵の略と知りました。ちなみに、一般的な駐屯地の隊員食堂における調理は、業務隊の調理担当の陸曹等が行いますが、十条駐屯地の糧食班は、調理を専門に行う事務官がいました。KP勤務は、早朝5:00に隊員食堂に集合します。KP勤務時は、ジャージ上下でゴム製の前掛けとゴム長靴を着用します。KP勤務者は、隊員食堂の通路にトレイ、飯椀、箸等の食器類と米飯の入ったバッカンを配置します。次に、配膳カウンターに汁物、おかず等を運びます。汁物やおかずの配膳は糧食班の事務官が行います。それが終わると勤務者は朝食を食べて、すぐに隊員食堂出口にある食洗機で待機します。6:15に朝食のラッパが放送されて、警衛勤務者や営内者が隊員食堂に来て喫食します。食べ終わった食器は、食堂出口で残飯を残飯入れに捨ててから食洗器前の水槽に放り込みます。KP勤務者は、水槽の放り込まれた食器をスポンジで洗い、食洗器のベルトコンベアに乗せます。後は食洗器が洗浄するので、洗浄された食器をかごに整理して入れます。かごがいっぱいになると蒸気殺菌するため配膳車に入れます。後は食堂の清掃をして朝の勤務は終了、営内に戻って9:00まで休憩します。9:00に隊員食堂に再び集合、昼食の準備のため仕込みの手伝いや配膳を行います。このとき、厨房の事務官から、米飯の炊き方、味噌汁、おかずの下ごしらえ、調理方法の色々なノウハウや裏話を教えてもらいました。例えば、米飯は蒸気を使った大釜で炊くのですが、おいしい部分は大釜の中央付近であるとか、大量の芋類の皮むきは洗濯機のような皮むき機で行っていること等を知りました。隊員食堂は、昼食時が忙しいです。何故なら、営内者や特別勤務者だけでなく職場の会食もあるので、人数が朝より倍以上に増えるからです。作業自体は朝と同じですが、食器の量が多くなるので大変でした。時には洗い切れず、夕方に残す場合もありました。昼の勤務が終わればまた営内で休憩です。15:00に再度集合して、朝、昼と同じ作業を行いますが、朝と同じ程度の人数に減るので作業は楽になります。18:30頃にようやくKP勤務は終了します。KP勤務は、水仕事なので冬は厳しいものがありました。時にはゴム長靴に水が入って濡れたまま作業をすることもありました。また、大量の食器を運搬するので大変で、ステンレス製のトレイの運搬はちょっとした筋力トレーニングでした。ちなみに、現在の隊員食堂ではトレイはプラスチック製に変わったので作業はかなり楽になったようです。KP勤務で役得だったことは、余ったヨーグルト、果物、パックのジュース等をもらえることです。糧食班から毎月発行される隊員食堂の献立表を見ながら、KP勤務で何がもらえるか楽しみにしていました。隊員食堂の献立は、月に1回、各部隊の営内班長と糧食班の栄養士が集まり会議が行われます。そこで献立の希望や隊員食堂に関する要望が出されます。私も一度、営内班長の代理で会議に出席したことがありますが、出席者から特に要望はなく形式的な会議でした。私の職場の小火器班は、月1回は隊員食堂で会食を行っていました。献立表を見て、昼食にカレーが出る日に行います。海上自衛隊では毎週金曜日にカレーが出されるのは有名ですが、十条駐屯地は毎月1回必ずカレーが出ます。十条駐屯地のカレーは具がジャガイモ、ニンジン、牛肉、玉ねぎと普通ですが、隠し味にすり下ろしたリンゴ、桃、パイナップル等の果物の缶詰の汁を入れていました。隊員食堂のカレーは好評で、他の職場でもカレーの時はよく会食が行われていました。十条駐屯地の隊員食堂では、時々奇妙な料理が出されていました。当時の糧食班の班長が少々変わり者で、年度末に予算が余ったのか伊勢えびのムニエルや牛肉のステーキが昼食に出されて皆を驚かせました。予算の配分を誤ったのか待遇改善で予算が増えたのか、はっきりした理由は分かりません。また、当時珍しかった果物のライチが出されてどうやって食べるのかと右往左往しました。ちなみに、習志野の第1空挺団等では、「空挺食」という増加食で昼食に肉類が1品追加されているそうです。そのため、習志野の隊員食堂は、空挺団の隊員と他部隊の隊員のレーンが分けられているそうです。私は、陸上自衛隊を除隊後に予備自衛官で善通寺駐屯地等の隊員食堂での食事を経験しましたが、米飯は硬過ぎたり、煮物が半煮えだったりといまいちでした。最近では、調理を業者に委託する駐屯地も増えているようです。自衛隊ではありませんが、私が経験した社員食堂で最悪だったところは、財閥系企業の神奈川県にある製作所の社員食堂でした。主食の量は少なく、副食の味は薄いが塩分は濃く、汁物は具がほとんど入っていない貧相なもので、とても上場企業とは思えないものでした。つくづく”自衛隊万歳”と思いました。
2024.01.01
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消防隊勤務臨時勤務のひとつである消防隊勤務は、駐屯地内又は駐屯地近隣で火災が発生した際、消防ポンプ車を使って初期消火を行うことが任務です。本来は「消防ポンプ班」というのが正式名称らしいですが、十条駐屯地では単に「消防隊」と言われていました。駐屯地消防隊は、火災発生時に消防ポンプ班と営内者等で臨時に編成されます。十条駐屯地の消防隊は、常勤の事務官1名と陸曹、陸士2名が1ヵ月交代で勤務します。消防隊の業務は、駐屯地各所に設置されている消火用具(消火器、消火バケツ、消火砂)の点検、消防車の始動点検、駐屯地内の巡回を行います。消防隊の仕事はそれだけだったので、残りの時間は消防隊の詰め所で待機します。昼間は3名、夜間は2名で詰め所に待機します。23:00から5:00の間、2名の勤務者が交互で仮眠を行います。夜勤明けは、警衛勤務と同じく1日休暇となります。消防隊勤務は、通常業務をしなくていいこと、夜間はテレビが見放題だったこと、営内の面倒事から解放されるので警衛勤務よりはるかに楽な勤務でした。詰め所では他の勤務者と雑談したり、本を読んだりして過ごしました。勤務者によっては、職場にこっそり戻って仕事をする人もいました。私は普段通学していたので夏休みや冬休みに勤務していたのですが、夜勤明けに外出して昼間から街に遊びに出掛けられるので嬉しい勤務でした。消防隊は駐屯地の防火が任務ですが、私が勤務中1度として火災や防火に関する事案は発生せず、とにかく退屈な勤務でした。ただ、消防勤務で苦痛だったことは営内隊舎同様に詰め所に扇風機しかなかったことです。私が夏に上番したときは、消防車の点検を兼ねて詰め所の屋根に放水して建物を冷やしました。ただ、水の無駄遣いになるのでこの方法はあまり使えませんでした。冬は石油ストーブを盛大に焚いていたので、営内より遥かに暖かく快適でした。深夜、大学の勉強にも飽きてソファーに座って深夜のCNNニュースを見て待機するのは少し物悲しく感じました。暇な勤務といえば、弾薬支処の弾薬庫勤務はたいへん退屈な勤務だったようです。弾薬庫を望む監視哨でひとり見張りをするのですが、平時にはまずもって異常など起こりません。昔、勤務中に何事か思いつめた者が自殺することがあったそうで、「死ぬほど暇」とは正にこのことか不謹慎にも思ってしまいました。
2024.01.01
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大喪の礼警衛勤務で特に思い出すのは、1989年(昭和64年)1月の昭和天皇崩御から大喪の礼までの期間です。昭和天皇の容態が悪いとの報道が盛んになると、自衛隊は崩御に伴う行事に参加するので様々な動きがありました。そのひとつに、大喪の礼が行われるまで自衛隊の全駐屯地は増加警備体制となり警衛隊の増員が行われました。十条駐屯地は、小規模な駐屯地のため自衛官が少なく警衛の要員が少ないです。そのため、夜間のみ増員することになりました。ある日、私は増加要員を命ぜられ、戦闘服、半長靴を着用して21:00に警衛所に出頭しました。警衛司令から立哨する場所と時間を告げられましたが、警備上の指示は特にありませんでした。駐屯地に毎度の不審電話があったことを聞かされただけで、実にのんびりした雰囲気のいつもの警備でした。駐屯地には頻繁に脅迫電話やいたずら電話があったようでした。その度に総務部、警衛隊、当直幹部等に報告して。電話を受ける通信隊はたまったものではなかったようです。営門を完全に閉鎖する23時頃、当直幹部がジープで営外巡察に出掛けるか外出者が戻ってくる程度で人の出入りが減ります。駐屯地周辺の道路は、深夜ともなれば人通りは絶えて車も疎らにしか通行しません。駐屯地内も静まり返り、冬の冷たい風が吹くばかりでした。増加要員の歩哨は、外柵沿いに数ヶ所あるポリボックスで2名が交代で立哨を行います。ポリボックスは、人一人が入れるだけの鋼製の「電話ボックス」のようなものでした。暖房器具のないポリボックスの中で2時間ひたすら立哨を行うだけでした。ポリボックスは一人しか入れないので、もう一人は建物の影で風を凌ぎながら休憩することにしました。暇なので世間話をしながら気分を紛らしていましたが、いつしか話のネタも尽きてしまい黙って立哨していました。その内、小雨が降りだしてとんだ貧乏くじを引かされたと思いました。私のいたポリボックスは、駐屯地に隣接した公園が良く見えました。公園は水銀灯で明るく照らされており、様子が良く見えました。しばらく立哨をしていると、公園から男女の言い争いをしている声が聞こえてきて、不審に思い外柵に近づいて行き様子を注視しました。すると、中年のアベックが痴話喧嘩をしていたのです。様子をうかがっていると、男が「見てんじゃねーよ」と怒ってきました。私はあまりのくだらなさに呆れてしまいポリボックスに戻りました。昭和天皇崩御で世間は騒然としているのに、アベックが夜中の公園で痴話喧嘩しているとは日本は平和で腑抜けた国だと思いました。
2024.01.01
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警衛勤務 その2十条駐屯地の気楽な警衛勤務にも例外はありました。後期教育の教官でいつも新隊員を怒鳴り散らしていたH1曹が、何の因果か私が上番したときの警衛司令だったのです。昼間は大人しく仏頂面で勤務していましたが、人の目が無くなる夜になるとH1曹は一人演説を始めました。業務への不満、上官への侮蔑的な発言をしゃべり続け、いつの間にか自分の自慢話や知識をひけらかすようになっていました。他の勤務者はただ黙って聞くしかなく、私は警衛司令が早く仮眠してくれないかと願っていました。だが、知識自慢の話でおかしなことを言い出したので、怖いもの知らずの私はH1曹に向かって、「その話はおかしい、間違っている」と食って掛かりました。1曹と士長という大きく階級の離れた者で言い合いをすることなどありえないのですが、怖いものとらずの無鉄砲な性格が出てしまいました。警衛所内は罵声が飛び交う修羅場となりました。下っ端士長と古参の1曹が口論するという、自衛隊ではなかなか見られないものをご披露してしまいました。結局、一緒に勤務していた営舎係が間に入って仲裁により鎮火しました。この件については、特にお咎めはなかったのですが、私は幹部や陸曹から上官に歯向かう要注意人物として目を付けられるようになってしまいました。いくら相手が問題ある人物とはいえ、上官に公然と反抗することは自衛官では大問題でした。後に知ったことですが、H1曹は少年工科学校出身で曹長や幹部に昇任していてもおかしくない年齢なのに1曹で昇任が止まっていたようです。部下をすぐ怒鳴り散らすだけでなく、上官にも反抗的だったことが災いしたようです。その後、H1曹はいつの間にか都内某駐屯地の営繕係に転属させられたと噂で聞きました。営繕係はボイラー等や施設管理を行う部署で、通常は技官が行う業務です。自衛官が就くような業務ではなかったのですが、どうもH1曹は上司の幹部に何事かあって盾突いたため転属させられたようです。気に食わない奴でしたが、どことなく私にも通ずる部分があり、機会があれば話を聞いてみてもよかったのかなと少し後悔しています。警衛隊の失態十条駐屯地の警衛隊勤務は、前に書いた通り平和でゆるいものでした。しかし、時々不測の事態が発生していました。私は遭遇したことはなかったのですが、在隊中に駐屯地への不法侵入が2度発生しています。1度は、近所の高校生が外柵を乗り越えて駐屯地に進入したのですが、ワナ線に引っ掛かり警報が発報、直ちに警衛隊が駆けつけて取り押さえられました。その後は警務隊に引き渡されて、親が迎えに来ると釈放されたそうです。なぜ侵入したのか問われて、高校生は「何があるのか興味があったから」と答えたそうで、至って幼稚な動機だったそうです。十条駐屯地には外から見ても工場の建屋しか見えないのに何があると思ったのでしょうか。2度目は、十条駐屯地の分屯地である通称”赤羽地区”で発生しました。夜間は2名の歩哨が派遣されて、巡回等を行います。赤羽地区は、車両工場の他に米軍に返還するハーフトラック等の用途廃止になった車両を保管しています。また、その時期は、駐屯地祭りのために使用するテントを置いていたそうです。夜間、1人で巡回していた守衛が、テントを集積していた付近で不審者を発見しました。不審者は気付いて逃走したので守衛が追跡しました。しかし、守衛は高齢で鈍足のため不審者をとり逃してしまったのです。赤羽地区の警衛勤務についていた陸曹が駐屯地の当直幹部に通報、直ちに当直幹部らが周辺を捜索、警察への通報等を行いましたが結局犯人は見つからずに終わりました。不審者の侵入目的は保管していたテントを盗むためだったようですが、被害はなかったとのことでした。赤羽地区は、敷地が広く死角も多いため侵入されやすいです。また、守衛は高齢者ばかりでこうした事案の対処には不向きでした。しかし、警衛の増員もままならず、盗まれそうなものは人目につかない場所に保管するぐらいしか対応手段はありませんでした。
2024.01.01
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警衛勤務 その1警衛勤務とは、駐屯地において24時間の警備を行う特別勤務のひとつです。営門での立哨(りっしょう)、警衛所において駐屯地を出入りする人や車両の確認と警戒、駐屯地の外柵、武器庫や燃料庫等の巡察、国旗掲揚降下等が主な任務です。朝、8:15に補給倉庫前に当日上番する隊員は、戦闘服とライナーを着装して集合します。武器庫から各自の小銃を持って整列します。警衛司令による隊容検査の後、警衛所前まで行進します。上番、下番の隊員が整列して、警衛司令が「上番します」「下番します」と言い交して交代します。なお、上番はこれから勤務に就くことをいい、下番は勤務を終えることをいいます。その後は引継ぎを行い、警笛モール、警棒、警衛用の白い弾帯を装着します。小銃は銃架に立てかけて保管します。当時は、警衛所には実弾5発が置かれていましたが、金庫の中に厳重に保管されていました。使わないなら置く必要はないと思うのですが、「何か事案が発生した場合の備え」という曖昧な理由で置かれていたようです。十条駐屯地の警衛隊は、警衛司令(1曹、曹長)1名、営舎係1名(1~3曹)、他に歩哨要員として陸曹、陸士が2名と事務官相当の守衛1名の計5名が勤務していました。十条駐屯地は、他の駐屯地に比べて自衛官が少ないので警衛勤務専門の事務官が雇われていました。また、夜間だけですが、車両工場等がある赤羽地区に2名配置されていました。立哨は、営門の中央にあるポリボックスで、出入りする人や車両を警戒します。立哨中は整列休めの姿勢で立ち、自衛官、防衛庁職員であれば身分証を確認して、出入りの業者や面会人は警衛所の受付に誘導します。車両が出入りする場合は、営門のチェーンゲートを操作して車両のナンバーや部隊名等を記録します。稀に不審者が徘徊したり、左翼のデモ隊が営門前で抗議活動をしたりすることがありましたが、特に緊張感はありませんでした。十条駐屯地は、人や車両の出入りが多かったのでチェーンゲートの開閉が大変でした。チェーンが降り切らない内に進入する車両がいるので、早めに操作する必要があります。降ろすタイミングが遅いとドライバーに睨(にら)まれます。役得もあり、十条駐屯地の隣には某女子短大があり通学する女子大生達を眺められました。数ある駐屯地の中でも、このような光景が見られるのは十条駐屯地だけだったと思います。余談ですが、十条駐屯地にはデモ隊対策用に大型バリケードが保管されており、何かの訓練でそのバリケード2~3台を営門に並べたことがあります。高さが約2m、幅約4mでアングルを溶接して作られた三角形のバリケードは、鉄条網が巻き付けられていて物々しい雰囲気を醸し出していましたが、邪魔なだけで大した効果がなさそうに感じました。結局バリケードは並べたものの数分で撤去しました。駐屯地司令の登退庁時、警衛隊は「捧げ銃」で送迎します。また、防衛庁や他部隊のお偉いさんや外国の駐在武官が来訪する時は、ラッパ手が増員されて警衛隊と共に送迎します。特別勤務時の昼食は、”早飯”と言って11:45に隊員食堂で食べます。他の駐屯地では警衛所に糧食を運搬するようですが、十条駐屯地は警衛所から隊員食堂まで徒歩で3分もかからない場所にあったので勤務者は交代で食べに行きました。16:55になると、警衛隊の若手3名で旗衛隊を編成して国旗掲揚塔に前進します。17:00にラッパ譜の国歌吹奏と共に国旗降下を行います。旗衛隊の隊長は、国旗を所定の方法で折り畳み恭(うやうや)しく捧げ持って駐屯地司令室に返納します。国旗が見えている間は、駐屯地司令であっても敬礼し続けなければなりません。そのため、17:00になると国旗掲揚塔周辺から人がいなくなります。17:00で課業は終了になり、殆どの営外居住者や防衛庁職員は退庁します。入場していた車両が全て出れば営門を半分閉じて立哨勤務は終了です。そして、営内者の門限である22:00が過ぎれば営門は全て閉じます。夜間の警衛勤務では、定時に駐屯地の外柵等を巡回します。また、外周の赤外線センサーやワナ線の警報が発報すれば、現地に急行して異常の有無を確認します。しかし、赤外線センサーは猫や鳥に反応したり、ワナ線は強風で揺らされると発報したりしていました。当時は監視カメラ等が無く、誤報と分かっていても警報が鳴ればすぐに現場に行くことになっていました。定時の動哨、つまり徒歩での巡回は2時間毎に2名で出掛けます。駐屯地の外柵、燃料庫、武器庫のある原動機工場を動哨しますが、1971年の「朝霞自衛官殺害事件」の影響か動哨中の自衛官は小銃を携行せず警棒を装着します。これは小銃を奪われることを恐れてのことです。さて、十条駐屯地の緩さなのか、当時の十条駐屯地では当直幹部の営外巡察が終わると1人で自転車に乗って動哨を行っていました。警衛所では23:00から翌朝6:00までの間、2名ずつ仮眠します。本来仮眠は2時間しか取れないのですが、巡回を1人にすれば起きている者を1人減らせることができるので仮眠を増やせます。これで特に問題も生じないほど十条駐屯地の警衛勤務は平和なものでした。夜間や休日はとにかく何も起こらないので暇で仕方なかったです。警衛司令や営舎係は机があるのでこっそり新聞や本を読むこともできますが、下っ端の隊員は椅子に座っているだけなので雑誌や漫画も読めず警衛所でひたすら待機するだけなので、他の隊員と世間話などして過ごすしかありません。しかし、警衛勤務のおかげで他の部署の人と知り合いになれ、色々な話を聞くことが出来ました。警衛勤務では、”増加食”というものが支給されます。期限切れの近い携行食糧、いわゆる”缶飯”や乾パン、カップラーメン等が支給されます。これは警衛勤務のちょっとした楽しみでした。他に、外出者の差し入れが結構ありお菓子や飲み物、時には近所の中華料理屋の焼肉弁当が差し入れされることもありました。お菓子屋飲み物は下番するとき皆で分けて持ち帰りました。朝6:00になると営門を開けて、6:15に朝食をとり7:00に再び立哨に立ちます。7:15頃、駐屯地司令を駅に迎えに公用車が営門を出ます。7:45頃に駐屯地司令が登庁するので、警衛司令他2名が小銃を持って警衛所前に整列して公用車が来るのを待ちます。駐屯地司令が乗った公用車が来ると「捧げ銃」で出迎えます。7:50頃、国旗降下の時と同様に旗衛隊を編成して、駐屯地司令室に国旗を受領するため行進します。国旗を受領して国旗掲揚塔に前進して待機します。朝礼が始まり、国歌吹奏と同時に国旗を掲揚します。国旗掲揚の手順として、掲揚塔に巻き付けているロープを外して三角に折り畳んだ国旗を広げてロープら取り付けます。国歌吹奏が始まると、2名でロープを引いて国旗を揚げますが国歌吹奏が終わると同時に掲揚塔の上端に到達するように引かなければなりません。旗衛隊長は、国旗に対して敬礼を行い注目しながら、ロープを引く2名に「速い」「遅い」と小声で指示します。国旗掲揚がうまくいかないと警衛司令の機嫌を損ねるので旗衛隊は全力で国旗掲揚を行います。私は、国旗掲揚で旗衛隊の隊員や旗衛隊長を務めたことがあります。何度か経験して掴んだコツは、始めはゆっくりと上げて掲揚塔の2/3の高さまで来たら早目に揚げると見栄えが良く、ラッパ譜とタイミングが合わせやすいことでした。国旗掲揚が終わると、ようやく警衛下番となります。上番する警衛隊に引き継ぐと、小銃を武器庫に返納して差し入れ等を持って営内隊舎に戻ります。警衛勤務後は、明け休暇なのでそのまま外出できます。私は、通学していたため土・日曜日に外出ができなかった時期があり、警衛勤務明けはここぞとばかりに池袋や新宿などに遊びに出掛けました。営内隊員は、警衛勤務が概ね月1回ありましたが、私は通学していたため土・日曜日や祝日に上番することが多かったです。皆、休日の警衛勤務を嫌がるので、警衛勤務の割り振りの時には重宝されました。
2024.01.01
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陸曹候補生試験 (その3)次に体力検定ですが、私はどの種目も苦手で、特に1,500m走はいつも5・6級でした。そのため、何度か練習をさせられたのですが芳しい成果はありませんでした。走力は1ヵ月でどうにかなるものではなく、密かに体力検定で不合格にされるだろうと思っていました。これは願望も込めたものでしたが、周囲には秘していました。体力検定で級外になると例外なく陸曹候補生試験は不合格です。面接は、営内班長から過去の事例や心得を聞かされて、総務部の幹部が面接官になり練習が行われました。内心、陸曹になる気がほとんどないのに受験していたので、想定問答を丸暗記して答えていました。この面接は、単に陸曹になる意思の確認だけでなく、自衛官としての適性も見られます。過去にあった事例で、面接を行う部屋に突然面接官が飛び込んで受験生の反応を見るということがあったそうです。驚いて茫然自失する者、物陰に隠れる者等反応は様々だったようです。臨機応変に対応できるか、とっさの判断力を見たかったようです。陸曹候補生の2次試験は、霞ヶ浦駐屯地で行われました。朝、トラックに乗せられて十条駐屯地から茨木の霞ヶ浦駐屯地に移動、到着後直ちに試験が行われました。最初は面接で、面接官の幹部から志望動機等の質問を受けましたが、ごく普通の面接だったので拍子抜けでした。次に、グランドで基本教練の試験が行われました。十条駐屯地だけでなく武器補給処本処等の受験生もいるので、自分の番が来るまで随分待たされました。そのため余計に緊張感が高まり、早く終わらないかと願うばかりでした。ようやく自分の番となり、分隊教練の展示を行います。分隊員は武器補給処本処の隊員で、初めて見る人ばかりでした。停止間の動作は勢いで終わらせて、行進間の動作に移ります。当初はミスなく順調に進められたのですが、縦隊行進で号令を掛けるタイミングが遅れてしまい、分隊の先頭が枠からはみ出てしまいます。慌てて「回れ進め」の号令を掛けて、分隊を枠内に戻して行進を再開させました。その間、ほんの十数秒ですがとても長く感じました。内心、やってしまったと一瞬後悔しましたが、分隊を動かすことに精一杯であれこれ考えている余裕はありませんでした。15分ほどの基本教練はどうにか終了して、最後に「解散」と号令した後は安堵感と後悔の気持ちが混合した何とも言えぬ気分になりました。受験者全員の試験が終わり体力検定に向かうとき、見知らぬ受験者の一人から声を掛けられて、「よく慌てず訂正できたな」と褒められました。内心かなり焦っていたのですが、評価されるのはまんざら悪くありませんでした。試験の最後は体力検定でした。懸垂では、長懸垂のため腕をまっすぐ伸ばした状態から体を引き上げて顎(あご)が鉄棒の高さを超えないと回数として認められません。2回ほど注意されましたが12~3回できました。同期には25回を楽に超える者もいたので特別良い成績ではなかったのですが、自分なりに頑張ったなと自分を慰めました。100m走、土のう運搬、走り幅跳び、ボール投げの記録は記憶にありませんが、級外ではなかったと思います。最後は1,500m走ですが、相変わらずの鈍足で定位置の最後尾を走っていました。そして1,000m辺りで右足が痙攣(けいれん)して足がつってしまいました。これで陸曹候補生試験不合格の言い訳ができたと内心安堵しました。しかし、痛みは強烈で脂汗を流しながらゴールしました。私は、体力検定が級外となり無事陸曹候補生試験は不合格となりました。同期の隊員や職場の人達は、薄々私の本心を知っていたので、「わざと落ちたろう」と問い詰められましたが、「はい」とも言えず、さりとて「いいえ」とも言えず「これが私の実力ですよ」とうそぶきました。陸曹候補生試験は、骨の折れる体験でしたが冥途の土産話ができました。この経験で得たものはある疑問でした。陸曹候補生試験がいったい何を選別するための試験なのか最後まで理解できませんでした。単なる通過儀礼のようなもので、取り敢えず分隊教練ができて基礎体力がある者を選抜して、後は陸曹教育隊で鍛えればいいというものだったと思います。陸曹の適性というものがどのようなものか私には分かりませんが、自衛官として任務遂行に支障がない体力と常識を持った人間なら、余計な試験など行わず陸曹希望者をさっさと陸曹教育隊に送ればいいのではないかと思いました。ちなみに、陸曹候補生試験に合格した3名は、十条駐屯地で履修前教育を受けて、陸曹教育隊、武器学校での教育期間を経て十条駐屯地に戻ってきました。3名は陸曹教育隊で厳しい訓練を受けただけのことはあったようで、面構えが凛々しくなっていました。ちなみに、陸曹教育隊での教育が終わると御殿場の板妻駐屯地から戦闘服に背のうを背負って徒歩で十条駐屯地に戻ってきました。私のような腑抜けたぼんくらと違い優秀な者が陸上自衛隊に残ったことは朗報です。
2023.12.23
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