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十条駐屯地こそこそ話 その5
自衛隊では、年に1~2回の頻度で「精神教育」というものが行われました。新隊員教育隊では区隊長が講話を行いますが、十条駐屯地では、整備部の訓練幹部が担当していたと思います。自衛官、防衛庁職員に対して様々な内容で1時間ほどの講話を行います。講話の内容は、防衛に関する国際及び国内情勢や防諜事案の解説等でした。

私が在隊していた頃は冷戦真っ最中の時期でした。ソ連は仮想敵国(甲)、中国と北朝鮮は仮想敵国(乙)と分類されていたと思います。また、自衛隊の訓練や演習において対抗部隊甲はソ連を想定しており、対抗部隊乙は中国等を想定しています。当時は、極東ソ連軍の領空・領海侵犯が発生しており、北方四島付近で漁船がソ連に拿捕される等、厳しい状況が続いていた頃です。私が除隊する直前の1990年には「湾岸戦争」が勃発しました。
精神教育では、幹部がソ連軍の編成や自衛隊の対応について解説しました。新聞や市販書籍でも知りうる内容で新鮮味はありませんでしたが、燃料弾薬等の備蓄不足による自衛隊の継戦能力の低さ、有事における法整備がほとんど出来ていないこと、日米安全保障体制の弱点にも言及した内容でした。幹部自衛官が自衛隊の弱点にしっかり目を向けていることに感心しました。
また、防諜に関して注意を促す内容の精神教育も行われ、事例として次のような話を聞きました。十条駐屯地近傍の居酒屋で、ある隊員が日本語の流暢な外国人に声を掛けられて親しくなったそうです。こちらが自衛官とは明かしていなかったそうですが、親しくなると駐屯地の様子や業務に関して聞き出そうとし始めたそうです。不審に思い警務隊に通報して、その居酒屋には行かないようにしたそうです。都内の場合、外国人と接することは珍しいことではありませんが、十条駐屯地のような末端の部隊を調べてどうするのかと思いましたが、武器補給処は誘導武器等の機密情報を手に入れるのに敷居が低く比較的簡単ではないかと思いました。外国人は地方では目立ってしまうので警戒されやすいですが、都内の部隊ならば怪しまれにくいです。
自衛隊の待遇等に対して不満のある者、借金等の個人的問題を抱えている者を見つけ出すのは困難ではないと思います。実際、「宮永スパイ事件」や「ボガチョンコフ事件」が発生しています。私のような下っ端隊員で機密情報に接する立場にない隊員の情報であっても、部隊の動静、訓練内容等の情報を積み上げれば、重要情報に辿り着くことはある程度可能でしょう。
十条駐屯地こそこそ話 その6
自衛隊の災害派遣は、阪神淡路大震災、東日本大震災等で広く認知されるようになりましたが、私が入隊していた頃は今ほど認知されていなかったと思います。当時の自衛隊は、世間一般では地震や台風でたまに出動して消防・警察の手伝いをする程度の存在としか認識されていなかったと思います。自衛隊でも、国防が主任務であって災害派遣は”余技”と捉えており、特に訓練はしておらず災害派遣に対応した専用機材はありませんでした。自衛官の中には、「災害派遣なんか自衛隊の仕事ではない」と公言憚らぬ者もいたそうです。
私は在隊中、災害派遣や民生支援等で派遣されることはありませんでした。ただ、1985年の「日航ジャンボ墜落事故」で第1空挺団等が派遣されて、間接的ですが現場の様子を聞くことがありました。また、1987年11月の「大韓航空機爆破事件」、同年12月の「対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件」は隊内でも話題になりましたが、補給処ではそれらに対応した動きなどはなく普段と変わらぬ日々でした。ただ、1度だけ影響があったのは、近隣火災か何かの事故が発生して十条駐屯地から支援要員を派遣するかもしれないため、営内者に一時外出制限が行われたことです。しかし、十条駐屯地から要員派遣はなく、外出制限も直ちに解除されていつもの日常に戻りました。
陸上自衛隊武器補給処十条支処勤務の顛末 … 2024.01.01
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