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「明日へつながる5つの物語」あさのあつこ 角川文庫紐解いたのは、「岡山藩物語」が収録してあると聞いたから。岡山市が自治体PR誌としてつくった6篇の短編集なのだが、未取得だった。此処には2篇載っている。古代がテーマのあと4篇が不掲載だったのは残念だったけど、これも読み応えあった。この短編集全部、時代や地域の周辺で頑張っている者たちに焦点を当てている。池田綱政なんて、名君で父親の池田光政と比べると知られていないし、地元では名臣・津田永忠こそ知られているけど全国的には無名である。ましてや、国宝・閑谷学校のあの見事な石の壁を築いた石工なんて、誰も知らない。後楽園の造営、備前平野の広大な沖新田の干拓を支えた高い技術の基に、大阪で孤児になった藤吉の頑張りがあった事も読んだあとなら信じられる。幸島稲荷神社のひょうたん石は全く知らなかった。今度行ってみよう。あとの数篇も、企業や自治体とのコラボ企画である。あさのあつこは、私は長編作家として位置付けていた。有名になった「バッテリー」にしても、天才投手の物語として描けば1-2巻で終わる内容だ。それが全7巻になったのは、ひとつ一つの気持ちを丁寧に汲み取っていった結果であるし、あさのあつこさんはそういう書き方しか出来ないのだと思っていた。本巻も、出来事よりも、主人公たちの気持ちを描いている。それでもスパッと終わらせて、後味が良い作品ばかりだった。いっとき、あさのあつこコンプリートを目指して、あまりもの「多作」ぶりに諦めたことがあった。また少し読み始めようかな、と思わせた文庫オリジナルであった。
2022年01月30日
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「おでんくん あなたの夢はなんですかの巻」リリー・フランキー 小学館単に、リリー・フランキーが「東京タワー」を刊行する前の著書を探しただけだった。描いた時期は、おそらく御母堂死去の直後。狙ったわけじゃない。狙ったかのように、当時の彼の夢がそのまま描かれていた。英語の題名は「The Adventure of Oden-kun」(おでんくんの冒険)。別に海外展開を狙っていたわけじゃないだろう。非英語圏の映画作品に英語の題名が付くのを真似たのだろう。絵も文章もリリーなので、映画大好き青年としては監督になった気分でつくったに違いない。映像も構成も、とても映画的だった。なんでも知ってるつもりでもほんとは知らないことが、たくさんあるんだよ。最初の絵は、東京タワーとその下の道沿いにあるおでん屋さん。「世界のふしぎ、いろんなきせき、もしかしたらそれはみんな、おでんたちのしわざかもしれないのです」そういう〈天の声〉があって、東京タワーは、やがてグニャグニャしておでんくん世界に入ってゆきます。おでんくん、と言いながら何故か餅巾着の姿をしているおでんくんは、仲間たちと力を合わせて、お客さんのお母さんの「ガンノスケ」を退治してしまいます。「きせき」は起きました。最後におでんくんはおでん村に帰ってゆきます。おでんくんの夢、それは「東京タワー」という小説に書いているので、そちらをご覧下さい。こんな、はたから見ると極めて自分の心情を描いた絵本が、何故か受けたらしい。たくさんのシリーズが出来たそうです。「あきらめないことそれが夢をかなえるたったひとつのほうほうなのじゃ」だいこん先生はそう言っていました。まるで、リリーさんの半生のようでもあり、いい加減なリリーさんの性格のようでもあります。でんでーん。
2022年01月29日
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し「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」リリー・フランキー 新潮文庫主人公の〈ボク〉が東京に出るまで、ほぼ毎日読んで2週間かかった。読み通すことが出来ない本は他に幾つもあるのだけど、どうしてこんなに読むのが遅いのかよくわからなかった。〈ボク〉と僕は、ほぼ同世代だ。僕にとっては異次元の世界と、同次元の世界が、交差しながら進む「1人語り」に、僕は幼少時を追体験してお腹いっぱいな気分になっていたのかもしれない。どんなに平凡な人生でも、ついつい誰かにむかし語りを始めれば、それは途轍もなく面白い物語になることがある。筑豊から出てきた少年が、東京で紆余曲折して、オカンの最期を見届ける。少年期がとてつもなく面白い。要は語りようなのだろう。「小学生になって、ボクは突然、活発な子供になった」1人汽車、学芸会の仕切り、イタズラ、柔道場通い、白いままの夏休み宿題、麻生何某の選挙ポスター掲示板の柱のバット転用等々、ひとつひとつのエピソードを膨らませば、一冊の本になりそうなことも、数文字で済ませて、怒涛の如く少年時代が過ぎてゆく。そういうひとつひとつが、僕と全然違う。〈ボク〉の初レコードは「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」だったという。僕のそれは南沙織の「色づく街」であったこともつい思い出してしまう。そうそう、500円のレコードだった。親子には簡単になれるけど、家族は違うと感じてしまう〈ボク〉とは違って、僕は当たり前のように親子も家族も満喫していた。そのこと自体にショックを受けて、なかなか前に進めない。東京に出てきてからの〈ボク〉は、一般的に自堕落な80年代の若者を過ごし、一般的に独り立ちをして、一般的にオカンを東京に呼び寄せる。本人は次第と一般的ではなくなってゆくのだけど、仕事と恋の描写は見事に省略される。何故かスラスラ読めてしまう。本屋大賞コンプリートのために読み始めた本。読み終わった今ならば、僕も母親と父親の最期までの長い物語を書けそうな気がする。読んだ直後のほんの1時間の間ぐらいの走馬灯の勘違い。脳内再生は、どうしてもリリー・フランキーにはならない。どうしてもオダギリ・ジョーになってしまった。しかも朝ドラ出演中の60年代のジョーになってしまう。脳内再生はどうしてもオカンは樹木希林になってしまう。内田也哉子さんはあまり再生されない。リリー・フランキー自体は作家よりも前に凄い役者なのだ、という僕の刷り込みがある。2013年の「そして、父になる」の優しい父ちゃんと「凶悪」のサイコパスの振り幅の凄さ。その源泉を、この作品から読み取ることができる。そうか、どちらもちゃんと見てきたものだから演じることが出来たんだ。ひとつどうでもいいこと。この文庫本は、2010年の初版のまま、岡山の本屋の棚の一番下に並んでいた。つまり、11年間売れることもなく、返品されることもなく、居続けた。新潮文庫「7月のヨンダ?」チラシが挟まっていた。凄いことだ。これが本屋大賞受賞作としての、実力と運命なのだろうか。ごめんね、そしてありがとう。そうだね、僕も逝ってしまった人にそんな言葉しか浮かばない。
2022年01月28日
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「クリスマスを探偵と」伊坂幸太郎 河出書房新社大学一年生の伊坂幸太郎は「サンタを信じられなくなった大人」だった。でも、伊坂幸太郎は最初から伊坂幸太郎だった。彼はそんな彼に向けてサンタのプレゼントを書く。リアルの中のウソ、ウソという名の奇跡。だってクリスマスだから。そんな想いは回り回って彼に絵本というプレゼントとして返ってくる。世界的な画家の絵とともに。絵本だからもう一度眺める見出しのページをめくるとドイツ・ローテンブルクの切妻屋根の街並みひとつ一つの灯りがグリュック(幸せ)に包まれてるこじつけだけど、見方を変えるとだけど、サンタのいる街に見えてくる。
2022年01月25日
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古代吉備文化財センターで選んだ遺物のふたつ目は、「袈裟襷文銅鐸」である。2014年に、180号バイパスを建設中に総社市福井で見つかりました。場所は神明遺跡。総社市北側の今は田んぼが広がるところですが、出てきた遺物をみると、総社平野を代表する集落だった様です。その後、この東側南側は吉備国の中枢になるわけですが、弥生時代は未だ一集落だったのでは無いか。銅鐸は山の中腹で見つかることが多い。埋納状態が明らかにならないことがあるが、ここは集落の中で、埋納状態が詳細まで明らかになった。しかも、吊り手に流水紋を飾る珍しい中期の銅鐸だった。使われていた形跡もあり、それが埋納されたということは、長く使われた銅鐸が「何故」「此処に」「いつ」埋納されたのかという「謎」を解く材料がひとつ増えたことを意味する。しかし、未だ謎は解けていない。山の中腹にしろ、集落の中にしろ、楕円形をした穴の中にヒレを上下にして横たえるという形式は、どこでも同じ。ということは、銅鐸をめぐる全国的な「教え」があったということなのだろう。いつ、埋納したのか、ハッキリ分からない。けれども、紀元前後ではないか、とあの頃の発掘担当者は言っていた。と、すると、その150年後に楯築の王の祭りがあったわけだから、その150年間の間に銅鐸の共同体の祭りから、王を弔い、王の神権を継承する方に、人々の関心が移ったと見なくてはならないだろう。発掘地は、5-6年前に現地説明会に行った頃とあまり変わっていなかった。古代吉備文化財センターにある資料しか見ていないので、池澤夏樹の取材よりも遥かに簡単であるが、発掘報告書や博物館の説明書を読むだけで、現地に行って書くだけでは、レポートようし一枚にもならないことがわかった。本になるぐらいの取材旅というのはどんなに大変なのか、逆にわかった気がした。
2022年01月23日
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池澤夏樹「パレオマニア」の取材方法を真似て、博物館で好きな遺物を2つ選んで、その発掘地に行き、記事を書くということをやってみたい。久しぶりに古代吉備文化財センター(岡山市北区花尻1325-3)に行くと、企画展「真金吹く吉備」をしていた。その感想はまたの機会に。何度もきているので、選ぶ遺物の目処はついている。当然弥生時代。ひとつは、コレ。吉備の国発祥と言われる「分銅型土製品」である。名前の由来は、江戸時代に使われたばかりのおもりに似ているためであり、分銅として使われたわけではない。これまでに中国・四国・近畿・北陸・九州から900点あまり出土して、そのうち4割が岡山県出土となっている。私の一番好きなのはコレ。岡山市加茂政所遺跡出土。もうどう見ても、赤ちゃんの顔に見える。しかし、これを赤ちゃんの顔だという研究者はあまりいない。これは「顔」であるということでは意見は一致している。しかし、目が左右対称では無いことなどに注目している。微笑んでいる様に見えるのは、「のちに埴輪にも見受けられる『魔除けの効果』」を狙ったのだという見方である。ひとつ発見したのは、普通壊れた形で出てくるのが多いのに、これは完成形で出土したのである。近くから出土した顔つきのが無表情で壊れた形で出てきたのとちがう。また、この土製品は、下がむしろ大きく、ホントの分銅型をしていて、いわゆる普通の分銅型土製品とは違うという指摘もある。弥生時代後期の最終次期の製品らしく、何の意味があるのだろうか?左右に一般的にある「穴」はついている。現在の研究では、子どもの枕元に置く魔除けではなく、上に飾り物を刺せる穴もあったことから、額につけて使ったのでは無いか?という説もある様だ。この土製品にも穴はあったが、飾り物の穴はなかった。また、思ったよりも鼻は高くて、ちゃんと鼻の穴は二つある。くびれは小さい。よって最初から壊さないことを前提にして作ったということだろう。だとしたら、壊して魔物を他所に持っていく効果とは違う祭祀に変化したということだろう。弥生時代後期の中頃、ここで何が起きたのか。ひとつは、楯築遺跡に繋がる、王の出現だということなのだろうか。私はセンター職員に聞いて、出土場所に行ってみた。場所は、文化財センターから吉備津神社に降りて、180号線を西進し、山陽自動車道と交わるところである。その工事中に発見された遺跡なので、今は高速道路の下になっている。東側はすぐ緩やかな、ちょっと見には神南備山に近い形の山が迫り、北も山が近くにある。西は足守川がながれ、南にはほとんど小森にしか見えないが、楯築遺跡の小山が見える。走って30分ぐらいだろうか。吉備国中枢祭祀場から生活圏にある、津寺遺跡と併せて、この辺りは、まさしく吉備国の中央地区だった気がする。常に楯築の山を見ながらの生活だったのだ。私は、やはり、子供を助けるための祭祀だったと思う。集落で行われた豊作を祈る祭り(青銅器祭祀)が下火になるにつれて分銅型土製品も姿を消したこと、家々での出土だったことを考えると、村の祭りを司る力は低下して、王国の強力な呪術の力が、人々の生活を守る様になっていったのかもしれない。
2022年01月22日
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「文豪ナビ 藤沢周平」新潮文庫・編時代劇作家は、文豪ナビシリーズには「司馬遼太郎」「池波正太郎」「山本周五郎」と、この「藤沢周平」ぐらいしか編まれていない。とりわけ、藤沢周平は他でも、文庫本の読本になる率が高いと思う。それほど、語っても語っても語り尽くせない世界があるのである。正月、本屋の店頭に文庫オリジナル本を見つけたので、無条件で買った。もはや藤沢周平で未読の作品は数冊しかない。なんらかの発見があるだろうと期待しての買い物である。半分以上は作品紹介である。「市井の哀歓」「海坂藩」「武士の矜持」「捕物帖」「義に生きる」と5つに分けて短くまとめている。他には作品から抽出した名言集。ちょっと藤沢周平読み始めました、という人のための入門編である。もう何度転載されたかわからない、井上ひさし筆の「海坂藩・蝉しぐれ地図」も出てきた。ここまで何度も出てくるのならば、この地図を改変して、藤沢周平全ての海坂藩作品地図を完成させてほしい。権利の問題もあるかもしれないけど、もうそろそろ出来るでしょ。評伝の名手・後藤正治の「評伝」が載っていたが、正直枚数も読み込みも不足していた。ただし、藤沢周平没後に発見された「未刊行初期短編」の作品評から筆を起こしているのは、今までの読本にない視点だった。「木地師宗吉」を作品の完成度のみで評価しているが、私はもっと別の視点も書いて欲しかった。珍しいのは、批評家や作家の藤沢周平論ではなく、俳優からのコメントが何人分も載っていること。特に「たそがれ清兵衛」で壮絶な死闘を演じた田中泯のそれは面白かった。真田広之も田中泯も、お互い殺すつもりで撃っているので、2人とも毎日「怖かった」そうだ。1週間かけた、あの死闘だったらしい。次の「隠し剣鬼の爪」でも永瀬正敏の身体に防御用クッションをしっかり巻いて師匠役の田中泯は遠慮なく胴を撃つ。永瀬正敏はうずくまりなかなか起き上がれなくなったらしい。こんな映画は少なくなった。最も面白かったのは、藤沢周平の愛娘・遠藤展子さんのコラム「父にとっての家族」。数年前に発掘された「藤沢周平 遺された手帳」を全面展開して、「あの時の父親の気持ち」を初めて推察している。また、「獄医立花登手控え」シリーズのおちえは、明確に高校生の展子さんがモデルだったらしい。道理で、最初の頃のおきゃんな様子がリアルだった。かなり取材したらしい。娘に、ともだちの様子をしつこく聞いていて、「お父さん、娘のことをよく聞いてくれる」と思っていたら、不良仲間の友達が、そっくりの描写で出てきた、という。叔母さんの松江は、二番目の奥さんのエピソード(母に何か言われて黙って二階に消えるところなど)が使われている。「普通が1番」という口癖の藤沢周平の良好な家族の姿が浮かび上がる。藤沢周平の既に移転した後の住居跡を探して、冬の大泉学園町を歩いたこともある。もはや、何もかもが懐かしい。
2022年01月20日
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「書痴まんが」山田英生・編 ちくま文庫ごめんなさい。本の中身は、ほとんど読んでいません。表紙についてのみ、語らせていただきます♪表紙は諸星大二郎「栞と紙魚子シリーズ」の紙魚子さんが、古本屋の店番をしているイラスト(初出・2010大阪古書研究会の合同古書目録「萬巻24号」に描き下ろし)の「部分」です。最近の大阪の天神さんの古本まつりのフライヤーとしても使われているらしい。背後の背表紙を見ていただきたい。判読できるものだけでも「生首の正しい飼い方」「自殺のススメ」「古本探検」「不思議昆虫図鑑」「珍妙昆虫図鑑」「陳氏菜経」「邪馬台国は火星にあった」「古墳の呪的紋様」「殺伐詩集」「地獄の三時のオチャ」「サイボーグベビーの逆襲」「異聞馬頭教」「根暗なミカン」「魔王瑠死滅の生涯」そして、紙魚子さんが読んでいるのが「怪人猫マント」。どうです?いずれも、「あってもよさそうな本」と思いませんか。ブクログで検索したらいずれも、「この世に無い本」でした。「古本探検」などは「関西古本探検」はあったんだけど、この書名は一応ありません。ホントは原画は、もっといろんな背表紙を載せているんですよ。右上に隠れている「室井恭蘭全集」(1-7巻)などは、室井恭蘭で検索したら、信濃の地方図書館で見つけたという情報まであるのですが、良く調べると、とんでもないことになっています。右下に隠れている「虹色の逃走」などは、このアンソロジーに載っている諸星大二郎「殺人者の蔵書印」で詳細に語られています。是非お読みください。「殺伐詩集」「陳氏菜経」などは、紙魚子さんの他の短編で出てきます。背表紙だけで、いろんな妄想がムクムクと湧いてきます。「根暗なミカン」には、背表紙に可愛いイラストまで付いています。根暗だけど、かなり凶暴そうです。当然、ときは正月なのでしょう。美味しいミカンほど幸せだった時はまた短くて、ちょっと腐ったミカンと一緒にされるとオミクロン株と見紛う様なスピードで影響されてしまう。その危機を脱した根暗なミカンの運命や如何に‥‥という内容なのかもしれません。「サイボーグベビーの逆襲」たるや、ボス・ベイビーならぬサイボーグベビーですか!もうはちゃめちゃで楽しそうです。「邪馬台国は火星にあった」全然不思議じゃない。「邪馬台国比定地」で検索してみてください。もう無数にありますから。みんなオラが村にとか思っている様です。エジプトもあります。それなら、タイムパラドックスやら使って火星にあってもおかしくない。「古墳の呪的紋様」これはね、考古学を少し齧ったモンならば「装飾古墳」のことだな、とピンときます。でも「装飾古墳の世界をさぐる」(大塚初重・祥伝社)ぐらいの普及本がせいぜいのところで、アレを最初から「呪的紋様」だとするのは諸星大二郎ぐらいなモノです。大塚初重先生の書物を紐解くと「朝鮮半島から幾何学紋様は来たのだろう」とか、「星とか太陽とか鏡を意味しているのだろう」とか、つまらないことしか書いていません。まあ、諸星先生の解釈は名作「暗黒神話」をお読みください。今回の本屋アンソロジー。前回は古い短編が主でしたが、今回は2010年代の短編も相当採用されています。未だ読んでないけど、面白そうです。
2022年01月19日
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「雑種文化 日本の小さな希望」加藤周一 講談社文庫加藤周一という「知の巨人」がいた。現代日本に「思想家」という冠をかけ得る人がいるとすれば、私は先ずこの人を挙げなくてはならないと思っている。思想家とは(1)その思想が生涯に於いて首尾一貫していること(2)その思想が独創的で且つ社会に多大な影響をもたらしたこと。コレを、私は「思想家」の定義にしている。よって、思想家とは、テレビに出ている(東大出の)有象無象のコメンテーターのことではない。思想家とは、竹中平蔵のようなマヌーバーのような理論で以って政界に(ひいては日本社会に)多大な(悪)影響を与えたような人物でもない。よって、吉田松陰は思想家ではあるが、その弟子の何人も政治家ではあったが遂には思想家たり得なかった。木戸孝允然り、伊藤博文ならば尚更。また、いっとき戦後思想界を牽引したと言われる丸山真男と清水幾太郎のうち最後まで自らの思想を進化させていった丸山は思想家だが、安易に保守に寄り添った(転向した)清水は思想家ではない。反対に一般的には無名だが、戦中戦後を通じて日本的唯物論を論じた古在由重は重要な思想家である。閑話休題。没後13年。これから日本思想史に位置付けが始まる加藤周一の代表作を再読した。かと言っても、本書は加藤周一の論文集であり、日本の雑種性を正面から論じた文章はごく短い。また、私は幾つかずっと疑問があった。そのことを含めて、この機に探ってみたい。「日本文化の雑種性」(「思想」1955・6)⚫︎「伝統的な日本」と「西洋化した日本」で分けて考えると、「日本文化の特徴は、その2つの要素が深いところで絡んで容易に抜け難いところ自体にある。←これが加藤周一の「雑種文化論」の概要である。なんだ、当たり前のことじゃないか、と考える人は多いだろう。加藤周一がこれを堂々と論じてはや半世紀以上。誰もが堂々と言えるようになったことが、改めてこの論文の影響性のひとつかもしれない。もちろん加藤周一は「西洋化」だけを問題としていない。「神ながらの道」があった古代に「仏教化した日本」も同じように、「二つの要素が深いところんで絡んで」いるのは、私たちが日々実感するところだろう。⚫︎ キリスト教圏の外で、西欧の文化がそれと全く異質な文化に出会ったら、どういうことがおこるか、それが日本文化の基本的な問題である。←雑種化は多くが認めることになった。実際加藤以前にもそのことを論じた人はいた。では、雑種化そのものは、未来の日本にどういう意味を持たせたら良いか?という問いかけをしたのは加藤周一の「独創」だった。そのためには、加藤周一は、もう一編文章を書いて寄稿する必要があった。「雑種的日本文化の希望」(「中央公論」1955・7)西洋文化が日本に入って雑種化した時に、何が残って何が残らなかったか、それが雑種化の「意味」のひとつになると加藤周一は言う(戦後民主主義の不可逆性)。もう少し具体的に言うと西洋伝来の民主主義という考え方、『「社会科教育を受けて成長した子供」「選挙権と教育を含めて原則上の男女平等を得た女性」「土地を得、得たことを当然と考えはじめている農民」「訓練された組織労働者」「戦前よりも世界情勢に敏感になった知識人」』これらのことは「ものの考え方や感じ方の変化がおこって容易にもとに戻らぬものがあるだろう」と加藤周一は分析している。←それから67年が経った。このうち「組織労働者」だけは大きな後退が起きた。しかし、戦前までは後退してはいない。「子供たち」はまた別のステージに上がっているだろう。非キリスト教的世界でのヒューマニズムの発展が、文化の面、特に思想・文学・芸術の面でどういう形を取り得るかという見通しを立てることは、この当時の中国・インドの問題ではなく、日本の問題であった。加藤周一は、そこに日本の雑種性の「小さな希望」を見出している。近代的合理主義の背景に、「プロテスタンティズムの倫理」を日本に求められないとすれば、何がその思想を支えるのか。朱子学にしろ、実存主義にしろ、日本人の民衆の根に降りはしなかった。マルクス主義「のみ」が、「西洋伝来のイデオロギーを日本の大衆の道具に使おうとした」。しかし外国で既に出来上がった型を輸入したために「日本の特殊性に応じたイデオロギーの型を生む」には至っていない。という。「それ」はどうしたら生むのか。以降、いろいろと述べているが、実は「日本の特殊性に応じたイデオロギー」「小さな希望」は何処にあるのか。遂には具体的には語らなかった気がする。ただ、雑種文化だからこそ、優れたものを生み出す可能性がある。そのことまで言及した人は、加藤周一だけだったことは強調するべきだと思う。1974年「文庫版あとがき」‥‥私がここで言おうとしたのは、現代日本の文化の雑種性に積極的な意味を認めようではないか、ということと、対外的には、排他的でもなく、外国崇拝でもなく、国際社会のなかでの日本の立場を、現実に即して、認識しようではないか、ということであった。1974年、加藤周一は既に「日本文学史序説」を著し始め、日本文化の姿の全体を明らかにしようとした。しかし、「現実に即して」どういう「日本の特殊性に応じたイデオロギー」を用意するのが、国際社会での生きる方向なのかは、遂には著さなかったように私は思う。←それで良いよね。いま、「特殊なイデオロギーがないこと」もしかしてそれこそが日本の生きる方向なのかと、これを書きながらふと思った。あ、「ずっと思っていた疑問」について、展開できていないですよね。なんか、ぐだぐだした文章になっています。昨年の夏から書き始めて、途中放り投げ、また書き始めたので、こんな感じになっています。つまり、今回再読してもハッキリわからなかったんです。かつて高校生の時に梅棹忠夫「文明の生態史観」で、日本の地政的な立場がアジアよりも西欧的な文明化への道を歩もうとしている、という「わかりやすい説」に私は影響されました。大学時代に加藤周一はそれを明確に批判した文章を読み、生態史観を卒業しました。小松左京の「未来学」を読んで、じゃあ日本の未来の青写真はどうなのか、と青臭い青年は未来が気になって仕方なかったのも、この頃です。マルクスの「共産党宣言」を読んで、「日本型の革命」は何なのだろう?と思ったのも、この頃です。柳田國男は「日本人の本性は事大主義である」という。そんな日本人の何処に希望があるのか?と思い、民俗学の講師と夜を徹して討論したのもこの頃です。その中で、「いま・ここ」主義の日本の文化を、国際的視野と歴史的知識で眺めながら半世紀論じ尽くした加藤周一の言説に、その「回答」があるのではないかと、ずっと約40年間思ってきた私です。加藤周一の著作に手をかけて登って眺めてみたら、未来を見渡すことができるのではないか?有為な若者だった私も、少しは何か役に立てることができるのではないか?とずっと思っていた。青年老い易く学なり難し。むしろ、終わりが見えてきた。あと10年で、形を作りたい。未だよくわからない。もう少し再再読してみたいと思う。
2022年01月18日
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「池澤夏樹の旅地図」池澤夏樹 世界文化社スタンダールが自分で選んで刻ませた墓碑銘が「アッリゴ・ベール、ミラノ人。生きた、書いた、愛した」であったことは広く知られている。(略)ぼくならば「生きた、書いた、愛した」の他にどうしても「読んだ、旅した」が加わる。(245p)そういう池澤夏樹だから、本書を紐解いた。結局私の人生も、大学4年間のほかは岡山を離れたことはないけど、魂は池澤夏樹に近い。ギリシャにしろ、沖縄にしろ、フランスにしろ、行ってみないとわからないことは多い。でも基本として移住者にはなれない。池澤夏樹は徹底しているから5年ほどは住んでみるけど、やがて気がついたら他に移っている。そうやって池澤夏樹は旅人として生きてきた。それが、一冊の中に縦横に語られている。自分の本領は自分語りではなく、旅で得たことを語り広げることだと、池澤夏樹は若い時に規定した。だから材料を集める必要がある。山の頂点にある作品をモノにするためには、その基底部の広い土地を自分のものにしなくてはならない。それは物凄く理解できる。池澤夏樹に5年間の旅が必要だとしたら、凡人たる私には時々の旅含めて20-30年間の「世界」の見聞が必要だということだろう。豊富な写真と自らの旅体験を解説したインタビューとエッセイ、他者の批評、好きな旅本、旅映画、旅音楽の短評、著作ガイドを載せる。また、自分語りはしないが、唯一の例外として幸せだった6歳までの帯広体験を新聞連載としてまとめた文章も載せている。以下は、インタビューの一部を抜粋して、以上に書いたこともう少し具体化する。⚫︎僕の場合は、最初から飛行機の旅。シベリア鉄道ではないんです。安くてもホテルに泊まる旅でしたから、前にも言ったように、旅を目的にしない。旅先で見たものが大切なんであって、旅はその手段でしかないんです。(略)行かなければ見えないものはあるし、それを見なければ仕事にならない‥‥だから行くんです。(略)取材の旅でも、必ず見つかるものを取ってくることを取材とは言わないんです。もう少し越えていかないとわからない。駄目かもしれない範囲が普通のジャーナリストや作家の取材よりももう少し広くて、ダメでもともともある程度見込んでおかないと、予定したものしか見ないで帰ってくることになる。(75p)⚫︎「池澤さんは還暦の前に新たなステージに移られた。そのエネルギーは、やはり作家としての挑戦として受け止めていいのでしょうか」‥‥全然違います。この商売は仕込みに時間がかかるんです。ここまでくるのに、どうやったって50年はかかるんです。天才は別ですよ。ぼくはたたき上げですから(笑)。何かの素質はあったと思いますが、ぼく程度の素質だけでは何もできない。人にとって意味あることを言うためには、土台を作らなければならない。それには時間がかかるんです。ピラミッドの斜面の角度が変えられないとしたら、高くするには底の幅を広げないといけない。ですから、まだ三合目。(78p)⚫︎「『パレオマニア』の取材の旅はどうだったんでしょうか」‥‥時間と労力が大変でした。一回の取材で2ヶ月分書くわけです。一回の取材は2週間かかります。年の四分の1は旅の空という暮らしが実質3年から4年かかりました。新聞連載と重なったときは、休載していました。(略)(知識は)走りながら勉強するの。みんな一夜漬け。ロンドンに行って博物館を見る。これを何度もしました。基本的には毎回ロンドン発の旅の形をとっています。まさか韓国に行くのにロンドン発にはしなかったけど。大英博物館を見て回って、気に入ったものを見つけて、それをデジタルカメラで撮影する。博物館の中は三脚さえ使わなければ、撮影は自由で、ストロボも大丈夫なんです。だから、ちょっと気になったものは全部撮る。物を撮ったらその説明プレートも撮る。そうしないと、後で何が何かわからなくなるから。それをその日のうちにコンピュータに取り込んで、タイトルをつけながらぼくなりのカタログをつくるわけです。その中から気に入ったものを一点選び、それが、どこでできたかを調べる。大英博物館のブックショップが非常に役立ちました。あれだけ本が揃っていますから。トランクいっぱいの資料を買って帰る。という旅の繰り返しでした。(略)僕の旅は、移動の体験が三分の一、遺跡を見るのが三分の一、後は考えること。印象より一歩踏み込んだ、今まで誰もやってこなかった旅だったと思います。実際には、行く先々の大半は観光地で、旅としては楽なんですが、その割に普通の人が見過ごしているところまで踏み込んで見ていけば、意味のある旅になる。(90p)←『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』は買って読むことに決めた。パレオマニアとは、古代狂の意。
2022年01月16日
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今月の映画評「すばらしき世界」 昨年観た映画は109作でした。その中で、ベスト5に入った作品です。 魅力は、主人公三上を演じた役所広司に尽きます。人生の大半を刑務所で過ごした主人公が、再出発をする話です。もはや若くはないし持病もある。今度こそまともな職に就こうと頑張るのだけど、社会はなかなか彼を受け付けない。しかも、アパートの騒音を注意するのに、ついヤクザまがいの強面を使って見せたりする。仏の顔と鬼の顔が共存する難しい役を、役所広司は絶妙な演技でやって見せました。隣に三上が越してきたら、私たちはどう対応するのでしょうか? 保護司やケースワーカー、町内会長、昔のヤクザ仲間、そして当初彼をテレビ番組で扱おうと取材を始めて途中で諦めた若い作家崩れの青年(仲野太賀)の目を通して、等身大の三上という人間が浮き彫りになっていきます。 西川美和監督は凡そ15年以上前の著作で「まだ諦めきれない、もう一度闘うんだ、やりなおすんだ、と歯を食いしばっているような人物たち。そういう悔恨だらけの、黄昏の中に佇むヒーロー」を描いてきた、と告白しています。今作も正にその通りであり、それは翻って私自身でもありました。 いろいろと我慢しなくてはいけないことが多く、理不尽なことも多い。「シャバは空が広い」それだけが、この「すばらしき世界」の正体なのかもしれません。 主人公の最後に、力を貰いました。(原作・佐木隆三「身分帳」、2021年作品、レンタル可能)
2022年01月15日
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「映画評 シン・エヴァンゲリオン」「家族で楽しめる正月映画を教えてくれ」「君の家は中学2年の男の子だったよな。アマゾン・プライムは登録しているか」「している」「ならば、エヴァシリーズを4作全部観ることをお勧めする。今ならば、今年の新作含めて全部アマプラで観れるし。何しろ今年のマイベストワンは庵野秀行監督の『シン・エヴァンゲリオン』なんだ。面白いぞ」「お前の趣味はオタク気質だから信用できないな」「それは否定しないけど、息子さんと内容を巡って、ああでもない、こうでもない、と会話できるぞ。4作ムリならば、最新作だけでも良い。息子さんが既にチェックしている可能性はあるし、冒頭には過去作のダイジェストもある」‥‥と、ここまで書いて月一度の映画評に再度「シン・エヴァ」を書く企ては諦めた。何故ならば、エヴァシリーズは確かに全て配信されている。しかし、それはAmazonプライムに限った話だ。DVDでも未だ「シン」は出ていないのである。よって、12月号の映画評はいったん「初恋のきた道」になり、やがて「グランパ・ウォーズ」になった経緯は既に書いた。今年のBest10も既に書いた。一位は「シン」になった。どうしようもない。Best10を載せようかとおもい!この文章を書き始めたのであるが、既に発表していることを思い出してやめた。ネタを描き始めてやめた話を2つも書いたので、この辺りでやめにしたいが、色(写真)がないので、年末の年越しそばを二つ載せたい。上は、岡山市内に場末の食堂で食べた蕎麦。下は、岡山国際ホテルで特別食としてメニューに入っていた年越しそば。どちらも850円。どちらも、6割蕎麦ぐらいで、特別美味しくはなかった。
2022年01月14日
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「古代の食を再現する みえてきた食事と生活習慣病」三舟隆之編 吉川弘文館横文字である。よって研究者向けである。よって興味ある部分のみ「つまみ食い」する。しかも、古代とは言いながらほとんどの言及は、木簡文字等の文字資料のある奈良時代以降になっている。ただし研究態度は、考古学や民俗学との融合や調理実験検証の成果などを交流していて好感が持てる。私はずっと不満だったのだが、平安時代にしろ弥生時代にしろ、現代の博物館にある「古代の食事」展示のなんとみすぼらしいことか。殆どは材料をそのまま置き、或いは煮て焼いているだけ。とても美味しそうには見えない。【内容紹介】古代日本人は食べ物をどう加工し、調理していたか。「正倉院文書」から土器、木簡までを総動員し古代食を再現。古代日本人の食生活や、病気との関係を明らかにする。オンライン開催の2020年9月のシンポジウム討論も収録。では、この本で「美味しそうな調理」が出たかというと、出ていないと言わざるを得なかった。唯一の主張は、「単なる材料を並べただけの再現は、もうやめにしたい」という意思表示だけであった。そこだけは評価したい。反対に言えば、ここまでが現代研究の到達点なのである。西欧古代料理の到達点となんとかけ離れていることか(←おそらく、文字の歴史が1600年ほどの日本と3000年以上ある西欧との違い)。以下内容は、弥生時代まで遡れる可能性のある知見と関連する知見のみをメモする。⚫︎ 甑(蒸し器)を使った古代の炊飯方法 西念 幸江/著「奈良時代はうるち米を蒸していた」というのを調理実験すると、蒸しただけでは食べれるご飯はできなかった。今までの定説の再考が必要。⚫︎ 古代の食事と生活習慣病 シンポジウム総合討論 奈良時代「正倉院文書」の貧乏な写経生も多くは、ご飯等を相当食べていた(現代一般男性の最大が3800kcalとすると、写経生は5600kcalもあった。更には塩分も現代は7.5gが推奨されているが、87gも提供されている)。彼らは「糖尿病」になっていた。それでみると、「日本霊異記」にある皮膚病や視覚障害の原因もそれが疑われる。また、写経生の病欠の記録には足病、腹病、皮膚病、赤痢がほとんど。これも糖尿病の合併症の可能性が高い←琵琶法師が多く輩出したのは、こういう背景があったからなのか。これが米しか支給のなかった都市の貧乏人の病なのか、お米が新しい栄養源となった日本全体の国民病なのかは、未だ検討が必要。←田舎では、米だけを食べるはずがなくて、きっと「都会病」と位置付けて良いと私は思う。⚫︎ 『延喜式』にみえる古代の漬物の復元 土山 寛子/ほか著・根や灰汁の処理を行わず、重石や落とし蓋を使わないと直ぐにカビが発生した。重石で空気が遮断され、漬け汁も出ると1か月は保存できる。塩は約4%ほど。また、塩水で洗うと良い。10%以上の濃度の梅干しでは数年保存はできるが、野菜はどうしていたのか。⚫︎ 古代の堅魚製品の復元 堅魚煎汁を中心として 三舟 隆之/著 中村 絢子/著煮鰹に塩漬けして干したもの、或いは海水で煮て天日干ししたものが「堅魚」。削って酒に浸して旨味を出すのに使われていた可能性はある。⚫︎ 古代における猪肉の加工と保存法 高橋 由夏莉/ほか著煮佛後に塩漬けして5日天日干すと保存が効く。←「図書館の魔女」には「塩漬けした獣肉で出汁を取った雑穀スープ」が出てくるが、そのような使い方は弥生時代からあっても全然おかしくはない。⚫︎古代における「豉」の復元現在の納豆というよりか、寺納豆。グルタミン酸もあり、免疫力も増すことから薬として使われてきた。
2022年01月13日
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「楠勝平コレクション」山岸涼子・編 ちくま文庫昭和マンガのアンソロジーを刊行し続けてきたちくま文庫が、満を持して個人コレクションを立ち上げ「楠勝平」を最初にとりあげた。当然の選択だろう。【内容紹介】1960年代後半から70年代初めの騒然とした時代、実験作が覇を競った『ガロ』。その片隅で、人の世のはかなさ、江戸庶民の哀歓をみずみずしく描き、迫り来る死をも凝視して逝った幻の作家。同時代にその息吹にふれ、市井の人々へのあたたかな眼差しに魅了されてきた作家が編む、珠玉の文庫オリジナル・傑作選集。【収録作品】「おせん」「茎」「梶又衛門」「鬼の恋」 他 著者について楠 勝平(くすのき・しょうへい) 1944年、東京に生まれる。中学の頃より心臓弁膜症を患う。15歳のとき貸本マンガ「必殺奥義」でデビュー。白土三平、水木しげるらが常連の短編誌『忍法秘話』に作品を発表する一方で、同人グループによる短編誌『破―ブレイク』を刊行。その後、白土三平の赤目プロでアシスタントのかたわら、『ガロ』を中心に『COM』や青年劇画誌に佳作を発表したが、病が悪化。1974年、30歳で逝去。 「山岸涼子と読む」と副題を付けているが、山岸涼子のソレは5頁の解説に過ぎない。それっぽっちの文章では語りきれない「観たことのない世界」が、作品集の中にはある。最初に出会ったのは、青林堂のマンガ傑作集の一巻を古本で買ったものだった(「おせん」)。その頃好きだった山本周五郎の作風に似てはいた。が、明らかにそれとは一線を画す何かがあるとは思っていた。今回30年ぶりに読むと、当時はあまりにも展開が速すぎて汲みきれなかった「おせん」の悲しみも、「ゴセの流れ」のジンの残酷さも、その他多くのことが、今なら想像できる。山本周五郎作品はテレビドラマにできるが、楠勝平作品の多くはテレビドラマにはできない。「どうして主人公はあんなに豹変するの」「救いが全くない」「話が飛躍し過ぎている」等の苦情が来るのが必至だからである。場面転換の鋭さ、下町景色の再現度の高さ、隠しきれない叙情、なによりも自らの死を意識している者だけが描ける世界を描いて、おそらく唯一無二の作品群だと思う。今までの単行本は3冊のみ。いずれも限定発行か絶版。この普及版の発行が、楠勝平再評価の決定打とならんことを祈りたい。楠さん、貴方の生命削った作品群はどのような目に遭おうとも決して埋もれるべきものではないのだから。多分、「梶又衛門」「鬼の恋」は単行本初収録。
2022年01月11日
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「フーガはユーガ」伊坂幸太郎 実業之日本社文庫「僕の喋る話には記憶違いや脚色だけじゃなくて、わざと嘘をついている部分もあるので、真に受けないほうがいいですよ」伊坂幸太郎はエンタメ作家である。ちょっとトボけて、ちょっと優しく、それでいて不思議な主人公が出てくるのが特徴である。リアルな現実を描きこみながら、一つの嘘を紛らわすことでしか、真実を描けないことがある。歴史家には出来ない。小説家にしか出来ない。それがエンタメの役割だろう。いっときはブンガク者になろうとした時期があったような気がする。伏線回収を行わず、ディストピア作家になろうとした時期があったような気がする。でも最近は吹っ切れて、読者が望む小説家になろうとしてるかのようだ。曰く。魅力的なキャラ。伏線回収。アクション。勧善懲悪。笑って泣ける小説。でも寅さんじゃないけど、笑って泣ける話ほど難しいものはない。「嘘をついているー」もそうだけど、前半から新幹線にしろ、ボウリングにしろ、ワタボコリにしろ、そして章立てに使われた熊のぬいぐるみにしろ、伏線アリアリ。お陰で半分予想がついた、と同時に1/4はビックリした。そして1/4は途轍もなく寂しくなった。閑話休題。フーガとユーガは双子の兄弟。同時にひとつだけ「現実離れした能力」を持つ、そして「辛い現実」を生き抜いてきたバディである。そんな2人の2010年代の物語。正月の一気読みでした。
2022年01月10日
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12月に観た映画の最後の2作並びに2021年のベスト10を発表します!「マトリックス レザレクションズ」恐ろしいことに、20年経っても全く同じことを、まるで猫の「デジャヴ」のようにやっていた。反対に言えば、20年前から仮想現実の話を作ろうとしたら、アレ以上のこと(当然少しは変化はある)が出来ないのだということを証明してしまった。キアヌ・リーヴスもキャリー=アン・モスも、20年の歳だけをとった。それは見事に現れていて、それを記録した作品とも言える。スミスもサイフォスも、代替わりしたのに、である。STORYネオ(キアヌ・リーヴス)は自分の生きている世界に違和感を覚え、やがて覚醒する。そして、マトリックスにとらわれているトリニティーを救出するため、さらには人類を救うため、マトリックスと再び戦うべく立ち上がる。キャストキアヌ・リーヴス、キャリー=アン・モス、ジェイダ・ピンケット=スミス、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世、プリヤンカー・チョープラ・ジョナス、ニール・パトリック・ハリス、ジェシカ・ヘンウィック、ジョナサン・グロフ、クリスティナ・リッチ、(日本語吹き替え版)、小山力也、日野由利加、諏訪部順一、中村悠一、内田真礼、津田健次郎、本田貴子、水樹奈々、間宮康弘、小野大輔スタッフ監督:ラナ・ウォシャウスキー上映時間148分2021年12月27日MOVIX倉敷★★★「偶然と想像」必ず、人生にしても、ドラマにしても偶然がドラマツゥルギーを与える。監督・脚本家の想像が、ドラマをつくるだけでなく、俳優の想像がドラマを創造する。極限に限定した設定で、終始彼らにそのセリフを喋らせることで、ひとつの世界が出来上がる。更に観客が、それを解釈してゆく。何度も観たい!そう思わせる、稀有な作品。特に女優がいい。古川琴音が全面に出ているが、玄理、森郁月、占部房子、河井青葉が良い。彼女たちになんらかの賞を挙げたい特に森郁月が良かった。(解説)親友同士の他愛のない恋バナ、大学教授に教えを乞う生徒、20年ぶりに再会した女友達…軽快な物語の始まり、日常対話から一転、鳥肌が立つような緊張感とともに引き出される人間の本性、切り取られる人生の一瞬…小さな撮影体制でリハーサル・撮影時間を充分に確保し、俳優たちの繊細な表現を丁寧に映した。まるで劇中に流れるシューマンのピアノ曲集『子供の憧憬』のように軽やかかつ精緻で、遊び心に溢れた俳優の演技は必見だ。日本映画の新時代を感じさせる映画体験が、観るものの心を捉えるだろう。偶然――それは、人生を大きく静かに揺り動かす第一話 魔法(よりもっと不確か) 撮影帰りのタクシーの中、モデルの芽衣子(古川琴音)は、仲の良いヘアメイクのつぐみ(玄理)から、彼女が最近会った気になる男性(中島歩)との惚気話を聞かされる。つぐみが先に下車したあと、ひとり車内に残った芽衣子が運転手に告げた行き先は──。第二話 扉は開けたままで 作家で教授の瀬川(渋川清彦)は、出席日数の足りないゼミ生・佐々木(甲斐翔真)の単位取得を認めず、佐々木の就職内定は取り消しに。逆恨みをした彼は、同級生の奈緒(森郁月)に色仕掛けの共謀をもちかけ、瀬川にスキャンダルを起こさせようとする。第三話 もう一度 高校の同窓会に参加するため仙台へやってきた夏子(占部房子)は、仙台駅のエスカレーターであや(河井青葉)とすれ違う。お互いを見返し、あわてて駆け寄る夏子とあや。20年ぶりの再会に興奮を隠しきれず話し込むふたりの関係性に、やがて想像し得なかった変化が訪れる。2021年12月30日シネマ・クレール★★★★2021年Best10 1.「シン・エヴァンゲリオン」2.「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」3.「コレクティブ 国家の嘘」4.「デューン 砂の惑星」5.「すばらしき世界」6.「花束みたいな恋をした」7.「サマーフィルムにのって」8.「グレタ ひとりぼっちの挑戦」9.「アオラレ」10.「21ブリッジ」
2022年01月09日
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12月中間の3作品です。「ラストナイト・イン・ソーホー」怖くない、ホラー映画。というよりか、青春かつalways調の特撮映画、さまざまな楽しみ方ができる作品だった。最後まで、自分を殺そうとしたラスボスを許して仕舞う、珍しい作品。こういう英国映画良いと思う。STORYファッションデザイナー志望のエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)は、ロンドンのソーホーにあるデザイン専門学校に入学するが、寮生活に向かず一人暮らしをすることに。新しいアパートで暮らし始めた彼女は、1960年代のソーホーにいる夢を見る。エロイーズは夢の中で、歌手を夢見るサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)と出会い、肉体的にも感覚的にも彼女と次第にシンクロしていく。キャストトーマシン・マッケンジー、アニャ・テイラー=ジョイ、マット・スミス、ダイアナ・リグ、テレンス・スタンプ、リタ・トゥシンハム、シノーヴ・カールセン、マイケル・アジャオ、ジェシー・メイ・リー、カシウス・ネルソン、レベッカ・ハロルドスタッフ監督・脚本・製作:エドガー・ライト製作:ニラ・パーク、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー脚本:クリスティ・ウィルソン=ケアンズ撮影監督:チョン・ジョンフン衣装:オディール・ディックス=ミロー編集:ポール・マクリス音楽:スティーヴン・プライス美術:マーカス・ローランド2021年12月12日MOVIX倉敷★★★★「あなたの番です 劇場版」2時間で決着つけるとしたら、そうなるよね。それでも、テレビを見てないとイマイチわからないつくりはどうなのか?それに、真相がわかったからと言って、何か観客に得になるようなことはあったのか?何もない。それなのに、こんなに観客がいる。田中圭が「死んじゃダメだ。みんな誰からから愛されているんだから!」と叫ぶ。セリフとしては、感動的だけど、作品としては、人生観が変わるほどの説得力はない。それに、とうとう管理人さんを巡る謎が解けなかった。(←ネットで調べると、黒島と内山が、なんらかの彼らの計画を察知して殺した説を採用していた。でも、映画本編でちゃんと解説しろよ、と思う)(ストーリー)穏な日々をおくる菜奈と翔太は、引っ越して2年後、晴れて結婚!住民会を通じて仲良くなったマンションの住人たちを招待して船上ウェディングパーティーを開催することに。幸せいっぱいの菜奈と翔太と住人たちを乗せて出港するクルーズ船。そして、起こる、連続殺人・・・!逃げ場のない船上で、一人、また一人と殺されていく。謎解きに乗り出す、菜奈と翔太と住人たち。だが、そこには、思わぬ殺意が交錯していた・・・!!?監督 佐久間紀佳出演 原田知世、田中圭、西野七瀬、横浜流星、浅香航大、奈緒、山田真歩、三倉佳奈、大友花恋、金澤美穂、坪倉由幸、中尾暢樹、小池亮介、井阪郁巳、荒木飛羽、前原滉、大内田悠平、バルビー、袴田吉彦、片桐仁、真飛聖2021年12月20日岡山イオンシネマ★★★「ビルド・ア・ガール」「ほぼ」事実を基に描かれた、フィクション。90年代に突如出現した辛口「女子高生批評家」のアップダウンを描く。原作者自身(現在40数歳?)が脚本担当。最後は定番、まとめにかかるなど、かなりわかりやすい。「ビルド・ア・ガール」は「自分づくり」と訳されていた。しかも、本格的にライターとして描き始めたコラムのテーマなんだ。16歳にして、既に街の図書館の本を全て読み込んだと豪語する彼女は、男の子との「偶然の出会い」によって道が開ける可能性はよう知っているだけにないと知る。1ページの作文の宿題に30ページを渡してしまい、実は300ページの元作文があるのだと教師に言ってしまうような、暴走気味、容姿はイケテナイ女の子。いそうでいない、いなそうでいる、女の子。やってみて、潰れて、それでも若い、やり直せる、という主張が眩しい。部屋の好きな作家たちが、見事にバラバラ。結局、この「教養」が彼女を助ける。目的なくとも、本は読んでおくに越したことはない。(解説)主人公のジョアンナを演じるのは、『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』や『レディ・バード』での名演技で強烈な印象を残した新星ビーニー・フェルドスタイン。劣等感もパワーに変えて、自らの力で未来を切り開くヒロインを魅力たっぷりに熱演する!そんな彼女が初めて恋するロック・スターのジョンを演じるのは、人気ドラマシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』のシオン・グレイジョイ役で注目を集めたアルフィー・アレン。ミステリアスな雰囲気と大人の包容力を備えた、ヒロインに寄り添う紳士を好演する。さらに主人公の運命を占う重要な役どころでオスカー女優のエマ・トンプソンが登場。オアシス、ブラー、プライマル・スクリーム、ハッピー・マンデーズやマニック・ストリート・プリーチャーズといった人気バンドが旋風を巻き起こした90年代前半のUKロックシーン。原作はキャトリン・モランの半自伝的小説「How To Build A Girl」で、脚本も彼女自身が担当。当時のロック・ジャーナリズム業界の裏事情もうかがい知れる。「何かが起こるのを待っていても人生は変わらない!」と、勇気を出して初めての世界へ一歩踏み出したジョアンナは、数々の失敗を経験する。それでも“いま”のジブンをフル活用し困難に立ち向かう。その姿には世代を超えて、誰もが勇気をもらえるはず。がむしゃらに突き進むジョアンナに共感せずにはいられない!2021年12月26日シネマ・クレール★★★★
2022年01月08日
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2021年12月に観た映画は8作品でした。三回に分けて紹介します。「そして、バトンは渡された」映画の時、私は「絶対ファンタジーにしてほしくない」と思っていた。ちょっとあり得ない設定だけど、あり得るかな、と思わせて欲しい、と思っていた。それは出来たか?子役は可愛かったけど、やはり荷が重かったと思う。ファンタジーにしないためには、みぃーたんが父親に捨てられたと思ったとき、みーたんが母親に捨てられたと思ったとき、その傷を隠しながら立ち直る様を映像として見せなくてはならなかった。それは観客の想像にまかされた。でも、それは奇跡だと思う。もちろん、泣くよりは笑顔でいようという母親の教えがあったからこそ、高校生活を乗り越えられたとは思う。でも1番重要だったのは、小学校5-6年だ。その時の複雑な心情を全部省略したのはダメだ。稲垣来泉が幼い頃の宮崎あおいにそっくりで、ファンとしては、父親になったような気持ちになった。もちろん、幼い頃のようなカリスマ性はない。でも、そっくりというのは、こんな複雑な気持ちなんだ!【ストーリー】瀬尾まいこ原作『そして、バトンは渡された』(文春文庫 刊)を永野芽郁×田中圭×石原さとみ出演で映画化。4回苗字が変わっても前向きに生きる優子(永野芽郁)と義理の父森宮さん(田中圭)。そして、シングルマザーの梨花(石原さとみ)と義理の娘・みぃたん(稲垣来泉)。ある日、優子の元に届いた母からの手紙をきっかけに、2つの家族が紐解かれていくー。優子が初めて家族の《命をかけた嘘》を知り、想像を超える愛に気付く物語。映画のラスト、驚きと感動であなたの幸せな涙があふれ出す……。【公開日】 2021年10月29日【上映時間】 137分【配給】 ワーナー・ブラザース映画【監督】 前田哲【出演】 永野芽郁/田中圭/岡田健史/稲垣来泉/朝比奈彩/安藤裕子/戸田菜穂/木野花/石原さとみ/大森南朋/市村正親2021年12月6日イオンシネマ岡山★★★「コレクティブ 国家の嘘」もの凄いドキュメンタリーを観た。最初はジャーナリストが鋭く国家の嘘を大暴きにして、国が転覆しないまでも一新するのではないかと期待をもたせる。お決まりの重要人物の事故死があり、直ぐに反対派が保健相に就くなどの改革まである。想田監督と同じ、観察映画に徹する絵つくりが、まるで映画のような緊迫感を生む。そして、まさかのラスト。2016年ごろから世界を席巻するポピュリズムの政治、そして2020年から始まる世界感染症の医療危機をも彷彿させる、ヨーロッパの一小国の「9割が腐敗している」現状、そしてまるで今年冬の日本の総選挙を彷彿させる程投票率のもとでの保守党の「圧勝」!「もう30年、ルーマニアは変わらないぞ」と叫ぶ父親の電話が、もう痛くて痛くて。(ストーリー)2015年10月、ルーマニア・ブカレストのクラブ・コレクティブでライブ中に火災が発生。27名の死者と180名の負傷者を出す大惨事となったが、一命を取り留めたはずの入院患者が複数の病院で次々に死亡、最終的には死者数が64名まで膨れ上がってしまう。カメラは事件を不審に思い調査を始めたスポーツ紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」の編集長を追い始めるが、彼は内部告発者からの情報提供により衝撃の事実に行き着く。その事件の背景には、莫大な利益を手にする製薬会社と、彼らと黒いつながりを持った病院経営者、そして政府関係者との巨大な癒着が隠されていた。真実に近づくたび、増していく命の危険。それでも記者たちは真相を暴こうと進み続ける。一方、報道を目にした市民たちの怒りは頂点に達し、内閣はついに辞職へと追いやられ、正義感あふれる保健省大臣が誕生する。彼は、腐敗にまみれたシステムを変えようと奮闘するが…。カタリン・トロンタンCATALIN TOLONTAN (47)調査報道記者・スポーツ記者ガゼタ・スポルトゥリロル紙の編集長を務めるスポーツ記者。この数年間、ルーマニアのスポーツと政治の腐敗に関する一連の調査を主導し、何人もの大臣の辞任や、何人もの政治家の投獄に繋がった一連の裁判を引き起こしたことで、大きな名声を得た。 クラブ「コレクティブ」の火災の後、編集者チームのミレラ・ネァグ(47)とラズバン・ルツァク(21)と共に、コレクティブの悲劇に関与した国家機関の役割を調査し始めた。コレクティブの火傷患者に影響を与えたブカレストの病院での医療行為に関する彼らの調査は、ルーマニアの歴史において最も偉大なジャーナリストによる捜査のひとつである。また、ヘキシ・ファーマ社に対する徹底的な調査は、医療システム全体を崩壊させた。ヴラド・ヴォイクレスクVLAD VOICULESCU (33)金融スペシャリスト、慈善家、保健相(2016年5月〜12月)ウィーンにあるエルステ銀行の投資部門の副社長として長年勤務していた。27歳で「サイトスタティック・ネットワーク(cytostatic network)」を設立し、薬を入手できない患者のために、オーストリア、ドイツ、ハンガリーからルーマニアにがん治療薬を密輸する数十人のグループを結成。患者の権利を守る活動をしていた彼は、前任者が辞任に追い込まれた後、新たに保健相に就任した。彼は大臣のオフィスをアレクサンダー・ナナウ監督に開放し、保健省への前例のない常時アクセスを可能にする。テディ・ウルスレァヌTEDY URSULEANU (29)建築家火災の生存者。頭や体に重度の火傷を負い、指は切断しなければならず、容姿は大きく変わってしまう。しかし、彼女は前向きで、生きていることに喜びを感じる。新しい自分を受け入れ、自分のトラウマをアートで癒すことで、他の人の手本になりたいと考えている。カメリア・ロイウCAMELIA ROIU (47)ブカレスト大学病院の麻酔医「コレクティブ」クラブの火災の後、ルーマニア初の内部告発者となった。彼女は、火傷患者の死因についてルーマニア当局が厳重に管理していた秘密を、ガゼタ・スポルトゥリロル紙のトロンタン氏と彼の調査チームに明かすことを決意する。彼女の勇気に触発され、医師や関係者らは、ルーマニアの医療システムに蔓延る不正の告発に乗り出した。2021年12月7日シネマ・クレール★★★★「パーフェクト・ケア」医者と施設と後見人が結託したら、合法的にやり放題なのか?とっーても怖い作品。途中からヤクザと知恵合戦、復讐合戦になるけど、それは映画的サービスに過ぎない。まぁ、どっちともやられて欲しい、できたらマーラの方がやられて欲しいと感じたのではあるが、最悪の展開に‥‥。ラストも、気持ちいい終わり方じゃない。でも、これがこの作品の価値だといえば、その通り。観て後悔はしない、観て良かった。この恐怖感をあと数十年間持続して、間違い犯さないようにしよう!ところで、途中マーラが奥歯を死体に埋め込んで偽装工作をやる映像が執拗に出てきたが、意味ないので、あれは編集でカットしたほうが良かったんじゃないか?それよりも、あのあとCEOとして成功する過程をもっと描いて欲しい。全然リアルじゃない。悪の描き方としては、近年ないエグさ。女の同性愛者というのは、あり得る設定であり、許せる。相棒(エイザ・ゴンザレス)も美人で、ちょっと羨ましい。そういえば、敵役も小人で、監督にちょっとこだわりがあるのかもしれない。まぁキャラ設定としては、アメリカあるある。日本ではあまりやらない。STORY判断力の衰えた高齢者をサポートする法定後見人マーラ・グレイソン(ロザムンド・パイク)は裁判所からの信頼も厚いが、その正体は合法的に高齢者の資産を奪い取る悪徳後見人だった。彼女は新たな獲物として、資産家のジェニファー(ダイアン・ウィースト)に目を付ける。身寄りのない彼女なら難なくだませるはずだったが、その背後にはロシアンマフィア(ピーター・ディンクレイジ)の影が見え隠れしていた。(解説)デヴィッド・フィンチャー監督の映画『ゴーン・ガール』(14)で失踪した妻エイミーを怪演し、第87回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされるなど高い評価を獲得した俳優ロザムンド・パイクのあらたなる最高傑作が誕生した!主人公マーラを演じたロザムンド・パイクは本作で第78回ゴールデン・グローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)受賞。監督は『アリス・クリードの失踪』(11)のJ・ブレイクソン。キャストロザムンド・パイク、ピーター・ディンクレイジ、エイザ・ゴンザレス、ダイアン・ウィーストスタッフ監督:J・ブレイクソンプロデューサー:テディ・シュウォーツマン、ベン・スティルマン、マイケル・ハイムラー撮影監督:ダグ・エメット美術監督:マイケル・グラスリー衣装デザイナー:デボラ・ニューホール音楽:マーク・キャナム2021年12月14日MOVIX倉敷★★★★
2022年01月07日
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「ノースライト」横山秀夫 新潮文庫去年5月に横山秀夫の著作を20年ぶりに再読した時に、最近描けていないのはネタ元が尽きたからだという意味のことを書いた。全く失礼なことを書いた。横山秀夫は新たなステージに登った。久しぶりの新作がやっと文庫化した。勇躍して紐解くと、その新しいテーマ、その瑞々しさ、隅々まで絞り込んだ表現、それなのに変わらないスタンスに驚愕した。誤解を恐れず言えば、女流作家には描けない、ぶざまにも美しい「男の矜持」が、全篇にわたって描かれていた。建築を設計し建てることは、小説を書くことに似ている。青瀬の〈Y邸〉は、横山秀夫にとっては、辿り着いた最高傑作に似ているのだろう。かつて横山秀夫は、新聞記者時代に培ったサツ回りの経験を膨らませて10数年を突っ走った。今回それを総て捨てている。捨ててどうしたかというと、おそらく子供時代から培ってきた「感性」を、この作品に注ぎ込んだ。じぶんの原点は何かを問い直し、それに沿って一から創り上げた。まるで、青瀬が〈あなた自身が住みたい家を建ててください〉という言葉に救われたように、まるで、岡嶋が〈足りないものを埋めること、埋めても埋めても足りないものを、ただひたすら埋めること〉という言葉で救われたようにおそらく横山秀夫が描きたかったものは「巧い、暗い、恐い、そして美しい」ナニカなんだったのだと思う。上質のミステリとして巧く緊密で硬質な文体は暗く時折見せる心理描写は恐くそしてすべてが美しいずっと積読状態だった「日本美の再発見」(ブルーノ・タウト)は、今年は紐解こうと決心した。kinya3898さんのレビューで文庫化を知った。
2022年01月06日
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「中国の歴史(4)三国志の世界」金文京 講談社学術文庫「中国の歴史」シリーズ4巻目、「三国志演義」を歴史学の側面から検証する本。その方面に関心のある方には、面白いはず。私は「第9章 邪馬台国をめぐる国際関係」のみについて記す。日本や朝鮮半島の考古学からのみ深掘りしてきた私ではあるが、この時代の中国の文献史学の信頼性は無視出来ない。批判的検証を経てどのように弥生時代末期を描いたか?1番大きな検証は以下。「卑弥呼は景初2年に洛陽に来たのか?3年に来たのか?」魏志東夷伝には景初2年(238年)、使者・難升米が6月に朝鮮半島の帯方郡に来て、天使に朝貢したいと申し出たので洛陽に向かわせ、12月に貢ぎ物生口(奴隷)男女10人と班布二匹二丈を献じたとある。コレは考古学界では景初3年の間違いであるというのが定説である。大きな理由は、景初2年6月は魏と戦闘中で帯方郡公孫氏が8月に滅びる直前であり、そんな余裕はなかったというのが大きい。しかし、金文京氏は景初2年であると主張する。読んでみると、非常に説得力がある。たかが1年の違いではない。この一年で、皇帝の代替わりがあった。よって、たかが東夷の小国に、生口10人というみすぼらしい贈り物に対して「鏡100枚」等という破格の待遇を授けた意味合いが、まるきり変わるのである。金文京氏は文献を読んで、景初2年でも無理がないと判断する。そうすると、倭国に対して期待したのは、呉に対する魏の「牽制」だったことがハッキリするのである。つまり、呉国が海を渡って公孫氏を援助させないようにする、呉と倭国との朝貢関係を結ばせない、とさせたのである。それは景初2年でなくては意味がなかった。三国時代は、諸葛亮孔明が期待するように、三国が併立して平和をもたらすものではなかった。どうしたらいち早くTOPになるか、魏としては何としても朝鮮半島を自分のものにして呉国からの挟撃を潰さなくてはならなかった。そのためには、蛮国たる邪馬台国への過剰な接待など当たり前のことだったのである。魏にとり、卑弥呼が凄いから、倭国が凄いから、「親魏倭王」になったわけでは無かった。見方を変えると、まるきり違う世界が見えてくる。つくづく「文字の力」は大きい。炎天下、大汗をかいて山を登り、土を掘り返してやっと掴んだ仮説も、机上の考察ですんなり覆る。以下、完全私の覚えです。完全無視を。とりあえず、勉強になった。・後漢光武帝中元2年(57)正月、「倭の奴国、貢を奉じて朝賀す」・安帝永初元年(107)10月、「倭国王帥升等、生口160人を献じて請見を願う」←因みに、松木武彦氏は帥升を吉備国王と見ている。・155年曹操生まれる。(ー220)・161年劉備生まれる。(ー223)・165年高句麗新大王即位。・167年「この頃卑弥呼即位」と文京氏は書く。ちょっと根拠が不明。誕生としても少し早すぎる。・179高句麗の故国川王即位。・182孫権生まれる。(ー252)・197高句麗山上王即位。王の兄反乱、遼東の公孫度が援助するも失敗。・201扶南大王立つ。・207遼東太守の公孫康が袁氏を斬る。袁氏滅亡。 劉備、諸葛亮を得る。・208 赤壁の戦い・216曹操魏王となる。・220曹操死亡。曹丕皇帝に。・221劉備皇帝に即位。・223孫権黄武の年号をたてる。・227諸葛亮出師表 高句麗の山上王死去、東川王即位。・228遼東の公孫康死去、公孫淵即位。 孫権皇帝に。建業に遷都。 大月王が親魏大月氏王に封ぜられる。・232孫権、遼東に周賀らを派遣。 魏の田豫、遼東を討つも成果なく撤退。 遼東の公孫淵、呉に使節を派遣。 田豫、成山で呉の使節の周賀を斬る、曹植死去。・233孫権は使節を送って公孫淵を燕王に封ず。 12月公孫淵は呉の使者を斬る。魏は公孫淵を楽浪公に封ず。呉の使節の従者、高句麗に至る。 陳寿生まれる。(ー297)・234魏の明帝が親征、呉軍は撤退。 諸葛亮死去。 高句麗王が呉に使節を送り臣従、呉も使節を送る。・236高句麗王が呉の使者を斬り首を魏に送る。・景初元年(237)魏、公孫淵を討つも失敗。公孫淵は燕王を自称、明帝、海船を建造させる。・景初2年(238)1月、司馬懿が遼東を征伐。他将軍が海路、楽浪、帯方郡を攻める。公孫淵は呉に援助を求める。 6月、倭の卑弥呼の使節、難升米ら帯方郡に至る。 8月、遼東の公孫氏滅亡。 12月、明帝重病。この頃、難升米ら洛陽に到着。魏は卑弥呼を親魏倭王とし、鏡などを下賜する。・景初3年(239)1月、明帝死去。曹芳(少帝)が即位。 2月曹爽が実験を握り、司馬懿を太傅に祭り上げ政権から遠ざける。 4月呉国遼東援助部隊が到着、既に時期を逸す。・元始元年(240)3月、帯方郡太守が健中校尉を倭に送る。・241、孫権は四路に分けて魏を攻撃するが、失敗。・243、12月倭の卑弥呼の使節、伊声耆ら洛陽に到着。・246、2月魏の母丘倹、高句麗を攻め、丸都を陥落。高句麗王を粛慎の境界まで追い詰める。・247 王きんが帯方太守となり、張政を倭に送る。 倭に内紛が起こり、卑弥呼は帯方郡に訴える。・248 高句麗東川王死去、中川王即位。・249、この頃卑弥呼死去。壱与が女王になる。 司馬懿がクーデター、曹爽一派を誅殺。 壱与の使節が入貢。・251 司馬懿死去、司馬師が跡を継ぐ。・263 蜀が滅ぶ。・265司馬炎が魏帝を退位、晋武帝として皇帝になる。・266 11月倭の使節が晋に貢物を献ずる。
2022年01月03日
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「図書 2022年1月号」今回から表紙が杉本博司さんになった。見たらわかるように(?)シェイクスピアである。これって、写真なのか?細密画なのか?どうも写真のように見えない。ところが、「表紙解題」で杉本博司さんは、終始写真の話をしている。「私はこの写真を操る技術者として、真を写すとは如何なることかを探求してきた」らしい。とすれば、これは写真の加工品なのか?次回でもう少し詳しい解説を待ちたい。因みに、一般的なシェイクスピア写真よりも遥かに生き生きしている。連載「うすねこやなぎいろ4」で柳広司さんは沖縄問題について語る。2022年は「沖縄本土復帰50年」になる、ということもある。現在満を持して沖縄復帰の「歴史」を小説化しているということもある。それは置いといても、柳広司さんは、この間の沖縄に対する扱いについて終始怒っていた。それは私の怒りともシンクロしている。出来たら全部書き写したいくらいだけど、大迷惑になるので自粛する。是非本屋からくすねて来て読んで欲しい。「北杜夫と躁うつ病とZ旗」高橋徹(精神科医師)という短文を読んで、小学生の頃「さびしい王様」というのんびりした物語を読んだ後に、中学生の時に「楡家の人びと」という暗い話を読んで、「この人、同じ人なんだろうか?」とビックリしたことを思い出した。Z旗とは、躁病時に、長編にかかる時に自分を励ますためにかかげたものらしい。今回遺族から引き取った大量の遺品の中にあったらしい。昔の「さびしい王様」シリーズは、ゆったりとした文字で、かわいい絵がたくさんあった美品の本だったのであるが(続きを自分の小遣いで買ったのでよく覚えている)、検索したら完全絶版でどこにも置いてなかった。「漢字の動物園ln広辞苑4」(円満宇二郎)では、一月、おめでたい動物たちが、選ばれた。曰く、鷹、鶴、亀、鳳凰、麒麟。初夢には鷹は出てこなかったけど、こんな妄想をした。亀の項で発見。亀といえば、甲骨文字。広辞苑によると「亀甲・獣骨などに刻まれた中国最古の体系的文字」らしい。日本は一般的には鹿の骨を焼いて占卜する。でも本来は亀だったのだ。「荘子」には、死んでから3000年(←現代から5500年前!)もの間、大切に祀られ続けている亀が象徴的に言及される話があるらしい。古代でも亀の化石を発見していたことがあったのかもしれない、と円満さんは推測しています。古代からいるからこそ、未来が見えるという考え方は、現代にも通じる。浦島太郎に亀が登場するのは偶然ではなかった。「海のトリトン」にも何百歳という亀が登場するが、最近ナイジェリアで推定年齢344歳の亀が亡くなったらしい。もっとも眉唾モノですが。科学的には亀の平均寿命は100歳ほどらしい。‥‥遠い昔、幼児の頃に既にお爺さんだった亀に、壮年になってまた出会うという「語り(物語)」があった。亀は未来を言い当てていた。それがいろいろ伝わって占卜まで行き、その時メモされた文字が最古の甲骨文字にたどり着いた可能性は十二分にあるだろう。誰か小説にしないかな。
2022年01月02日
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ホテルで正月を迎えた。屋上から御来光を拝めると言うので、登ってみる。この時にしか開いていないからである。登ってみると、2年前にきた湊茶臼山古墳から朝日が登る設計だった。まさか意識していたのか?今日は良い御来光だった。朝日を浴びた岡山市街。ホテルのおせち料理。雑煮は、すましのぶり、ほうれん草、煮た丸餅というシンプルなものだけど、ウチとは魚のぶりが入るところは違う。
2022年01月01日
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