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「DEATH NOTE 短編集」小畑健 大葉つぐみ 集英社コミックス この前書いた「DEATH NOTE」レビューにおいて私は「デスノートは究極の殺人兵器」になり得ると書いた。知らなかったが地球っこさんから現代編が短編で描かれていると教えてもらって紐解いた。果たして「究極」になり得たか? 読了後、原作者の大葉つぐみは、もうこれ以上の続編を作る意思は無いと思った。根拠は末尾に述べる。 「究極の殺人兵器」になる根拠は、二代目「L」(ニア)がもし、デスノート所有者の場所や名前を特定できなければ、絶対捕まえることは出来ないと考えたからである。初動さえ間違えず、慎重に行動さえすれば完璧に違いない、と思った。ところが、2008年に発表された「cキラ編」では、表面的にはその行動を起こしていた(c=チープ)キラに対してニアは、ある方法によって「排除する」ことに成功する。私は、コレは「たまたま」だと理解しているが、もはや「マンガ的には」同じようなタイプの所有者は存在出来ないだろう。 「aキラ編」は2019年の設定である。ほぼ現代だ。もはや、以前のようにネットを使った連絡や発表や工作は全て筒抜けになることを前提として作られている。もはや、デスノートの実在は国家間では「公然の秘密」になっている。本来ならば、戸籍上の名前は「超重要情報」なので、新・個人情報保護法により厳重管理する法律が作られるべきだ。漫画を見る限りでは、作った形跡はない。政治家は年寄りばかりなので「自分にとっては作っても手遅れ」、死なば諸共作る気はないのだろう。aキラは、ニアも認めるある方法によりデスノートを「使った」。ニアは初めて敗北を認める。しかし今更云うのもなんだけど、デスノートは核兵器のような「究極兵器」ではない。勿論その存在インパクトは核兵器よりも更に大きいけど(名前さえわかれば相手国元首をテロし放題)、ひとつ大きな違いがある。夜神月がリュークの気まぐれで死んだように、デスノートの最後の管轄は人間にはないのである。結局、最後の最後で「人の死」は運命に委ねられている。 今回は物語の規模を国家規模まで大きくしてしまった。それはデスノートの性格から当然の帰結ではあるのだが、だからこそこの結末にしたことで私は「詰んだ」と思った。もはやデスノートを使って、王将戦の如く棋譜を詰めて行っても「意味ない」と作者が宣言したようなものである。結局「人の死」は「運命」なのだ。 以上が、新たな「DEATH NOTE」は生まれない、と私が推測する所以である。
2021年06月19日
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14日の日曜日午前中に録画した番組を観て作ったのが、この具だくさん味噌汁です。各界で活躍するヒーローやヒロインたちが子供時代に食べてきた家庭料理を軸に、家族の愛を描くドラマトークバラエティー。NHK岡山が、2017年度の新番組として季刊放送するらしい。第1回タイトルは『辰吉丈一郎』ご存知のように、彼は岡山県倉敷市児島の出身である。しかも、私よりも10歳歳下だから、私が23歳で社会人になったときに、彼は児島の中学校で有名なガキ大将をちょうど始めた頃になるだろう。「46歳の今も世界王者への返り咲きを目指して現役生活を続ける不屈のプロボクサー辰吉丈一郎を迎える。故郷・児島から大阪へ修業に旅立つまでの15年間の子供時代を男手一つで育て上げ、52歳の若さで亡くなった父・粂二。母がいないことでイジメにあって苦しんでいた丈一郎にボクシングを教えた粂二が、その無骨な手で毎日作り続けた"ごちそう"によって不死鳥ボクサーのカラダは作られた。丈一郎が愛して止まない亡き父のレパートリーとは?!( ※ 辰吉丈一郎の吉の字の上半分は士ではなく土。丈の字の右上には点が付く。)」と、ホームページには書かれている。ひとつが、具だくさん味噌汁であり、ひとつが卵焼きだった。米は鍋で炊いた。私が作った味噌汁(写真)は、この番組で辰吉が作ったそれとは違う。具には、麩、玉ねぎ、じゃがいも他のいろんな具が入っていた。しかしいいのだ。要はあり合わせの野菜やタンパク質が取れればいいのである。特徴は、その切り方にあった。必ず子どもが食べやすいように、薄く切っていた。無骨だけど繊細。それはそのまま辰吉の血と肉になった。残念ながら、辰吉がいた15歳までを、私は児島の方面に仕事に出向かなかった。私が30歳代で児島方面で仕事をしていると、辰吉が世界チャンピオンに何度も返り咲いた頃で、「辰吉は味野中学校で、ものすごいヤンチャしてたんだぜ」という噂は聞いた。辰吉は中学校卒業後、先生の勧めで大阪に出向いてボクシング修行をすることになった。長屋形式の借家で、時には自分は飯を食べずに辰吉を育ててきた粂二は、先生の勧めを直ぐに引き受けたらしい。その気持ちを辰吉が汲むのは、ずいぶんあとになっての事になる。辰吉は、根っからのファイターチャンピオンだった。負けても、網膜剥離になっても返り咲いた。その頃粂二は、「俺の役目は終わった」とばかり辰吉の誘いを断り岡山を出る事もなく、飯も作らず、毎日酒と缶コーヒーを飲んでいたという。辰吉がチャンピオンになっても、粂二は周りに威張ることはなかったが、時々辰吉の中学校の友達には「丈一郎はすごいけど、わしもすごかろうが。わしがミルクつくってオムツかえて、全部しよったんで。信じれんじゃろうが。こんなかっこしとっても、する事はしてきとったんで」と言っていたらしい。98年、チャンピオンベルトを失った翌年、粂二死去。辰吉は誓う。「チャンピオンになるまで、お父ちゃんの骨を墓に入れない」。それから18年、今でも現役に拘っている。
2017年05月16日
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最近ないいい話です。お玉おばさんや、いろんな護憲派ブロガーが話題にしているのですが、沢田研二のニューアルバム「ROCK'N ROLL MARCH 」の9番目に収録されている曲「我が窮状」の歌詞を見て、感動しました。こんな歌詞です。「我が窮状」 作詞:沢田 研二,作曲:大野 克夫 麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが 忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない 英霊の涙に変えて 授かった宝だ この窮状 救うために 声なき声よ集え 我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ 麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ 老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ 諦めは取り返せない 過ちを招くだけ この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう 我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない この窮状 救えるのは静かに通る言葉 我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう ちょっとした隠喩を使っているとはいえ、ど真ん中ストレートな歌詞です。特に60歳の還暦で、今年大きなツアーを組んでいるジュリーが作っていることに感動しました。団塊の世代よ、ジュリーの一巡りして生まれ変わった歌を聴け。「我がきゅう状 守りきれたら 残す未来輝くよ 」「老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ」
2008年08月26日
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昨年の秋、岡山県立博物館で待望の「発掘された日本列島2015」が開催された。それだけでも岡山県の博物館にとってはすごいことなのですが、併用して開催される地域展が予想以上に素晴らしくてまだ興奮している。それは「邪馬台国と吉備」というテーマで、邪馬台国時代の吉備の岡山県所蔵遺物が一堂に会していた。岡山県の、それも私がこの十数年ずっと関心を持ってきた遺物なので、一度は見たものばかりではあるのですが、それが一つのフロアに集まることはなかったのです。各地域の埋蔵文化センターや予約してからでないと見ることができない(結果一度しか入ることができていない)岡山大学埋文センターの遺物が隣同士で見ることができる。しかも、フラッシュをたかなければ写真撮り放題なんです。その日は午後から用事があったので、10時から見始めて十分に余裕があると思っていたのですが、気が付くと午後二時に迫っていました。もう一度じっくりと見る必要があり、じつは写真を撮りに後日もう一回入りました。。本当は「発掘された日本列島」展のことも紹介したほうがいいのでしょうが、こちらには詳しく解説された本がすでに出版されているので、機会があればそれを紹介します。今回はとりあえず「邪馬台国と吉備」展を見て気がついたことを中心にメモしたい。総社上原遺跡のトリ型立体仮面も久しぶりに見た(弥生時代前期)。幅20センチほどで、こうやってみると小さな頭の人なら被れるかもしれないと思うようになった。子供用かと思っていたが、実は今回絵画土器で岡山県からも鳥のいでたちをしたシャーマンの絵が出土していたのに気が付いた。だとすると、被る主体は子供ではありえない。小さい頭だとすると、成人女性だったかもしれない。弥生時代中期、新庄尾上遺跡の絵画土器である。頭は鳥の格好(嘴と鶏冠)をして、両手を広げ何かマントを羽織っている。これは大和にも同じようなものが出土している。そうなると、鳥の姿に神性を求めるのは、広く強く西日本を覆っていた可能性がある。もっといえば、朝鮮半島から、稲の文化とともに来たのかもしれない。これは勉強になった。邪馬台国時代の吉備の土器ということで展示されていたのであるが、やはりこの帯をまいたような形が吉備特有なのだと再確認したことと、甕(かめ)は「器の壁が非常に薄く作られており、熱効率に優れています。また、大きさや形態が規格的で、商品として生産・流通していた可能性が指摘されています」と説明文があった。なかなか素人目に「これは吉備の土器だ」とわからないのですが、これからはそういう目で見てみようと思う。二股鍬は柄の組み合わせ方によって鍬(くわ)や鋤(すき)として用いたものだそうだ。漢字変換して気が付いたのだが、スキは鍬と書いてもスキと読ませることもできるようだ。弥生時代にできたこの道具によってそういう読み方になったのだろう。そして、なんとこの二股鍬は弥生時代後期に吉備で考案されたそうだ。「古墳時代に全国に広まった」とある。岡山県人よ、もっと誇りをもとう!百間川遺跡から出土したこの彩文土器(弥生時代後期)は、何度も見たことのある有名なものなんです。でも、今回の展示会には「突っ込んだ説明文」が書かれているのが特徴でした。この土器に関しては「井戸から出土したもので、赤色で書かれたS字形は龍を表しているという説もあります」と書いていた。後期から晩期にかけて吉備の国が「隆盛」しました。そのときに、弧帯文等の龍を思わせる模様を作る過程の一つして、祭祀土器のこれに龍の文様が描かれたことは、充分ありうることです。吉備の国の信仰の一大特徴は、龍神信仰である。それが時にはこういう模様になり、または弧帯文、特殊器台になる。それを今回つくづくと確認した。その龍神信仰が王位継承儀礼と密接に結びついている。その王位継承儀式が、おそらく大和朝廷の王位継承儀式に受け継がれた。つまり、この吉備の文様の秘密を知ることは、日本という国を知るためにも、とてつもなく重要なことなのである。日本の政治体制が、戦争が決定的な契機にならないで大きく変わったことは、史上二回あると私は見ている。一つが明治維新であり、一つが倭国統一である。明治維新では、国境を越えて若者が縦横に行き来をした。おそらく、倭国統一前夜もそうだったのではないか。奈良の纏向遺跡に各地の様々な土器が搬入しているのは有名であるが、実はここにあるようにそれと同等に吉備の国でも各地の土器が搬入している。四国、山陰、機内、東海、北陸、九州遠隔地のものが多いが、それぞれに弥生時代を代表する国がある。弥生時代後期、倉敷市矢部(楯築遺跡のおひざ元)から出土した「龍型土製品」である。立体的な龍の造形としては、国内唯一のものである。頭頂部と口が大きく開いており、液体を注ぎ入れる容器の一部である可能性が考えられる、とのこと。「両側面にも龍を表すとみられるS字形の文様が描かれている。」と説明にあって、びっくりした。とりあえず、この龍は「人の顔」をしている。言葉を解していたとみていいだろう。龍神信仰の正体にひとつ近づいた気がする。弥生時代後期、足守川加茂A遺跡のハート形の顔のついた「龍」の絵の土器である。やはり人面だ。二つの遺物の出土地域は、足が速ければ1時間も離れてはない。時期も近いか重なっている。しかしこの遺物の「隔たり」は何なのだろう。基本的に同じ信仰を共有していると見たほうがいいのだろうが、本当に同じ信仰なのかとさえ思ってしまう。基本的に「龍」は神なので、こちらのように抽象的に描くほうが正しいのかもしれない。もしかしたら、「龍型土製品」の具象性は異常なのかもしれない。とはいえ、これも抽象的とはいえかなり突っ込んだ描き方だ。この顔の無表情は何を意味しているのだろうか。喜怒哀楽がないように思える。「人間性がない」ということの現れなのだろうか。ギリシャ神話と比較して見ると大きく違うような気がする。また、身体のこの模様は何を意味しているのだろうか。蛇のような鱗なのだろうか。説明文には「稲妻のような文様」と書いていた。私はそんな風には見えないのだけど、私の観察眼が弱いのか。この弧帯文土器の欠片群の多くは初めて見たような気がする。こうやって集中的に展示されると、楯築弥生墳丘墓という弥生時代最大の王の登場よりも早い時期に弧帯文は吉備の国に広く強く普及していたのだと思う。私は楯築の王か、その祭祀を主催したシャーマンが弧帯文を「発明」したのだと思っていたのだが、その考えは修正したほうがよさそうだ。それにしても、「龍神信仰」についてここまで突っ込んだ説明は、今までの本とか現地説明会でも全く聞いたことがない。この説明プレートは展示会が終わると撤去されるので勇気をもって書いてくれたのだと思う。これでも私にとってはおとなし過ぎるくらいだ。だから私は素人の特権でこのように自由に「妄想」を書かせてもらっている。しかし、そろそろ特殊器台祭祀の本質は「龍神信仰」なのだということを公的に論議するころなのだと私は思う。この展示会では、細かい出土地域の広がりや作成時期などはわからなかった。私はそのあたりをきちんと検証しながら論議するべきだと思う。
2016年03月11日
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「漂流教室1-11巻」楳図かずお 少年サンデーコミックス(連載1972年-1974年) 「太陽の地図帖33」を読んだのをキッカケとして、初めてこの名作全巻に目を通した。後半はまるきり記憶になかった。この頃毎週少年サンデーの立ち読みは続けていたはずなので、途中の怪物の描写や813人の大和小学校の先生や生徒がほとんど死んでいく展開に、嫌気がさして読み飛ばしていたのだと思える。40年以上経って、やっと平静にそれらの絵を見ることができるようになり、この作品が名作だということに気がついた。人間て、なかなか成長しない。 3巻目80-81pに、高松翔が先生の狂気から生き残り、全校集会で生徒に説明する言葉は、その後の40年以上後の原発事故等で証明されはしなかったか? 「おとなの人は、だいたいものごとをりくつで考えるだろう。だから、りくつにあわないことがおきたときに、あたまの中がめちゃくちゃになってしまって、たえられなくなってしまう」 もちろん、子どもたちだけで世界をつくったからといって自動的に理想社会が創出されるはずもない。子どもたちだからこそ、純粋な形で権力争いが勃発するだろう。食料争いやペストなどの病気(5巻の新大臣の行動)、或いは生き残り戦略の対立で、子どもたちは残酷なほどに死んでゆく。また、見事なほどに公害や奇形物や地震や機械文明への疑問等々の当時の社会批判が生きており、当時はまだクローズアップされていなかったはずの異常気象、バーチャルリアリティまでも垣間見せ、この物語は、思いもかけない、まるで数十年後のジブリアニメ(「ナウシカ」や「もののけ姫」)を思わすようなラストに向かって行くのだ。 かなり遅れた読者だけど、いい体験でした。 2017年6月読了
2017年06月25日
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「ソロモンの偽証6 第三部法廷」宮部みゆき 新潮文庫 この文庫本には、オリジナルの中編「負の方程式」が載っている。藤野涼子の20年後の姿である。当然のように弁護士になっている。 「どうして、悪い奴がやっている本当の悪いことをこつこつ集めて、立証して、正面から戦わなかったのよ」 どうして、宮部みゆきはわざわざこの物語を作ったのか。私は推理する。本編やこのスピンオフ作品の核心に触れずに表現することは至難の技だが、やってみると、 一つは2010年春に母校に赴任して来た野田健一の、最後に言った「みんな」が誰々なのかをもっとわかりやすくすること。つまり、この長編小説の「その後」をもう少し説明しないと、あの「濃密な半年間」の意味が浮き彫りにならないのではないか、とエンタメ小説家らしく親切に考えてくれたこと。もちろん全ては明らかにしない。そのさじ加減は微妙である。 一つは、この中編で本編の合わせ鏡を示すことで、探偵杉村三郎が願っているように「事件になる前に、人が殺されるようなことになる前に、なんとかして人を救いたい。なぜなら、事件の前に事件は既に起こっているのだから」という願いを、宮部みゆきも共有しているこの願いを、もう一度明らかにするためである。かつて、宮部みゆきの長編には、必ず象徴的なエピローグが付いていた。事件は終わる。しかし、その瞬間から本当のテーマが立ち上がるという、極めて小説らしい構成だった。しかし、事件になる前の事件を描き出した宮部みゆきにはそれが使えなくなった。よって、回りくどいけど、こういうオリジナル中編を用意したのだと思う。 文庫派の私は、最新の杉村三郎の境遇を知らなかったために、おやおやと思ってしまった。でも、探偵になれて良かったね、杉村さん。 2014年11月10日読了 2014年12月20日記述。
2014年12月20日
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「逃げるは恥だが役に立つ」(1-8巻)海野つなみ 講談社 題名はハンガリーの諺からつけたらしく、実は漫画の全ての回に諺がついている。 みくりの家族は全員「実栗」とか植物系だし、ヒラマサさんの家族は魚系だし、この作者かなり「小賢しい」。でも、ヒラマサさんはみくりの好きなところを「楽しく暮らす工夫をする所と、打てば響く頭の良さかな」(8巻149p)と評価し、全面肯定してみくりのトラウマを解消する。 私も、作者のことをそう思っています(^-^)/。(←今更遅い?) テレビドラマが面白くて(「重版出来」の野上亜紀子脚本)、マンガも8巻まとめて読んでみた。8巻まで読むと話は終わっていないが、物語はそろそろ佳境を迎えつつある。第一巻のあとがきに作者は「お仕事漫画なので、ゴールは結婚ではなく(もうしてるし)、「出世」かなと思っています」と書いている。先が見えて来ました。果たしてテレビはどう着地するのか、愉しみです。それらを含めて、意識高い系の最近の独身男女の心情がよく描けていて、とっても勉強になりました。その他の決着の付け方も、キャストの配置でほぼ予想してます。 それにしても、原作にないことでテレビで描かれていることや、テレビでは尺の関係で描かないだろうけど原作の面白いエピソードがあって、興味深いものでした。例えば、派遣切りの具体例はテレビでキチンと描いたし、フレックスタイム制の残業代つかないのにトンデモナイ労働強化になる部分も、テレビは描きました。また、原作の中にあるみくりの思い付きの、高校生出産適齢期奨励制度などは、通い婚制度の実現含めてむつかしいだうけど、とっても面白いと思いました。 「結婚て、めんどくさいでしょ」という風見さんの呟きは、現代の若者(だけじゃなくて、私)への大きな問いかけになっていると思う。 2016年11月19日読了
2016年11月22日
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アプリ不具合によるメモ消滅の一つにこの書物の感想も含まれている。もう一回書き直す気力はないので、簡単に。 「絵巻物による日本常民生活絵引第一巻」渋沢敬三・日本常民文化研究所編 平凡社 12世紀の絵巻物「信貴山縁起」より。95Pの絵を見ると、お歯黒の日常化、食器棚の日常化などが観て取れる。 94pの草屋根の絵は、入母屋造りの建築技術は、この頃にすでに完成していたことが分かるだろう。 114Pの老人の絵。座る習慣や重い荷の運搬ががに股を生んだと書いている。赤ん坊は裸で乳を飲ませ、母親も素肌で抱いている。 同じ12世紀「北野天神縁起」の「泣く人」。鼻を啜る鳴き方や天を仰ぐしぐさは、現代に通じ、頭に手をおくのはこの時代特有であったのか。 ひとつひとつを見てゆくと、時間がいくらあっても足りない。こういうのを作った渋沢敬三並びに叩き台を書いたという宮本常一に敬意を表する。宮本常一の普及版の新書を見つけた。また取り上げたい。
2015年03月08日
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文学日記(13)「口訳万葉集」折口信夫日本最古の歌集を、昭和の鬼才折口信夫が訳していた。しかも、口述筆記。3人の友人がテキストだけで辞書も持っていない折口から書き取るという形で、4500首ほどの訳を書き写したという。しかも漢字の割り振りは独特、句読点をつける等々、鬼才ならではのテキストになっている。その中から池澤夏樹は203首を抜き取る。広く知られた歌が多いが、読んで行くと柿本人麻呂の歌が抜きん出て多い。何故か、は結局解説では展開されないが、池澤の私淑する丸谷才一の人麻呂評(359p)を読むと納得できるのである。その中から更にわたしは何首かを選んで元歌と訳に対する感想を記す。記さざるを得ないほど、多くのことを思った。思うに、技巧の少ないこの歌に、人の気持ちのほぼ全てがあるやに感じるからである。今日はその前半だけを記す。○三輪山をしかも隠すか。雲だにも心あらなむ。かくさふべしや(井戸の王)訳者は「山について思う所の浅い今人の感情との相違」を云う。山がどうなっているのか、それは人智を越えた神の世界がどうなっているのか?ということに繋がっていたのかもしれない。○あかねさす紫野ゆき標め野ゆき野守は見ずや君が袖ふる(額田女王)・有名な歌である。これに天武天皇が「人妻ゆえにわれ恋ひめやも」と返した。折口は最初「心なき野守も見てはどうか」と、見てくれとばかりな訳にしたが、後年「それを野守は見とがめはしないか知らん」と直した。まあ秘めたる恋ならばそれが普通で、最初の訳の方がおかしい。けれども、この2首が勅撰和歌集に載っていることの方が、そもそも現代の常識とは違う。○あごの浦に船乗りすらむおとめらが、玉藻の裾に潮満つらむか(柿本人麻呂)・「その美しい袴の裾に、挙げても挙げても、潮が満ちよせて来ているだろうよ」と訳す。それはエロいということの一歩手前の、なんとも眩しい情景。こういう情景を日本語が切り取ることのできた事実に先ずは驚く。○東の野にかぎろひの立つ見えて、かえりみすれば、月傾きぬ(柿本人麻呂)・東の朝日、西の月。折口は(これは朝猟の後の歌)とだけ注釈を入れる。この世界(宇宙)の発見をもっと褒めそやしもいいように思うのに。○葦べゆく鴨の羽交に霜ふりて寒き夕は、大和し思ほゆ(志賀の皇子)・なんと訳の最後に(傑作)という一言が着いている。傑作の全てをこの全集に入れているのかは知らないがあと6首ほどはある。柿本人麻呂と比べて、それほどまでにすごいとは私は思わない。ともかく寒い夜に故郷を思う、その気持ちはよくわかる。○我が岡のおかみに命ひて降らせたる、雪の破片しそこに散りなむ(藤原夫人)・天武天皇が「俺ん所はこんなに雪が降ったぞ。お前の所に降るのはもっと先だろ」の歌への返歌。「おかみ」に折口はむつかしい字を充てている。しかも「雨龍」と訳している。言いたいことは「そんなことでご自慢をしてはしたない」ということ。しかし神の使い方がなかなか新鮮。○秋の田の穂向きのよれる片寄りに君に寄りなな。こちたかりとも(但馬皇女)・こういう歌は男はやはり歌えない。どんなに世間が悪く言おうと、貴方に寄りかかる、という宣言である。本人は強いのに「寄りなな」なのである。守るでも、寄り添うでも、ない。それと、女性の家の周りにはやはり田んぼだらけなのかな、とも思った。○篠の葉はみ山もさやにさやげども、我は妹思ふ。別れ来ぬれば(柿本人麻呂)・笹の葉はやはり「さやにさやげども」になるよねえ。この言葉の感覚!○降る雪はあはにな降りそ。吉隠の猪養の岡の寒からまくに(穂積皇子)・但馬皇女の亡くなったあとの歌。芯の強い女性なのに、亡くなる時にはなくなるんですね。両想いでも上手くいかない。それを周りが理解して和歌集に載せる。この宮廷社会とはなんなのだろう。○鴨山の磐ねし枕ける吾をかも知らにと妹が待ちつゝあらむ(柿本人麻呂)・「石見の国で死に臨んだとき、自ら傷んで作った歌」と詞書。どうして石見まで来ていたのか?鉱山発見のため?それにしても、言葉の力をしんじているからこそ、最後に妻のことを詠む。子供のことではない。ましてや、上司や仕事のことではない。歌人の仕事を最後まで自覚して逝ったということか。◯田子ノ浦従(ゆ)うちいでて見れば、真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける(山辺赤人)・驚いた!小倉百人一首とは違うこんな別歌があったのか!「従うちいでて」とは、「歩きながらずっと先まで出て」という意味らしい。◯あをによし奈良の都は咲く花の匂ふが如く今盛りなり(太宰の少弍 小野老 )・「奈良の都は、まるで咲いている花が咲き満ちているように、今や繁盛の極点にあります。ああその奈良が恋しい」と訳す。そういう歌とは知らなかった。◯吾がさかりまた復(を)ちめやも。ほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ(師大伴旅人)・「私の花の時代は、もう2度と若がえってくるはずがない。ひやいなことよ。奈良の都を、帰って見ることが出来なくなりそうだ。ひやひやする。」この訳のひやひやがよくわからない。自嘲気味に(^_^;)という意味だろうか?ならば、よくわかる。◯しるしなく物思はずは、一杯(ひとつき)の濁れる酒を飲むべかるらし(大伴旅人)・「役にも立たないのに、色々考えこんでいるよりは、一杯の濁った酒を飲んだ方がよいにきまっている」この歌ができて、古来果たしてどれくらいの酒がこの歌とともに飲まれたことだろうか。◯世の間(なか)を何に譬へむ。朝発(びら)き、漕ぎにし船のあとなきごとし(沙弥の満誓)・「あとのごとし」ではなく「あとなきごとし」と詠む、そのニヒリズムは、既に近代の人間が如し。
2018年04月21日
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私の長くない人生の中で、友達とつるんでいたという状況の中で、時と場所と人がすべて違っていたのに、同じ言葉を、おそらく三度ほど聞いたことがある。その言葉とは次のような、仲間に同意を促す台詞である。「それにしてもなあ、俺たちほど個性的な人間が、こんなにひとつ処に集まるなんてめずらしいよなあ。」バカか、お前は。と、私はそのたびごとに心の中で思った。ちょっと変わった趣味があるぐらいで、秘密の企てをしているぐらいで、中学生のときは四人の性格が単に違っているに過ぎなかったぐらいで、「めずらしい」もくそも無いもんだ、と。その時やはり自分は自覚していなかったのだと思う。自分では否定していたが、自分だけはこのような「ひと山いくら」のサルの群れの中には入らない、と自惚れていたのだ。小説は四人の少女と、一人の少年の独白形式で話が進む。少年は母親を殺して逃走した。少女たちは興味半分に少年の逃走を助けてしまう。ケータイで結ばれる彼女たち。自分だけは、「特別な自分」を見事に「友達」の少女たちに隠しとおせると思っている彼女たち。その一方で、「本当の自分」を分かってくれる「誰か」を探している。桐野作品だから当然のように物語は悲劇に向って進んでいく。いまどきの若者の覗き見はそれなりにスリルがあって楽しい。でも「柔らかな頬」(上)(下)「OUT」や「玉蘭」のように、私の心は引き裂かれない。若者たちの悩みはすでに私からはあまりにも遠いところにある。けれども、自分だけは人より特別だ、自分のことだけを誰か知っておいて欲しい、という欲望だけは今も健在だ。この高校生たちはバカだ、と笑いきれないのもそこら辺りにある。高校生を持つ親なら、この五人の独白小説を読んで背筋が寒くなるだろうと思う。
2006年12月21日
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「三国志全60巻」横山光輝 潮出版社ebook japanにおいて、三日間限定で全巻無料で読ませてくれる企画があって、恥ずかしくも、初めて横山三国志を読んだ。当然三日間で60巻全部を読み通す事は出来ない。これは「孔明の罠」ではなくて、ebook japanの罠である。「これで未読部分は買ってくれるだろうし、そうでなくても電子書籍の習慣がつく」と孔明ばりの戦術をかけたのだろう。私は、まんまとそれには乗らない。1番面白いと思える「赤壁の戦い」などは熟知しているので、それは一飛び越して、その他有名場面は特に飛び飛び読んだ。幾つか分かったことがあった。(1)私は、横山三国志は、「三国志演義」か正史「三国史」か、吉川英治三国志かを「原作」として描いているのだと思っていた。ところが、単行本の何処を見ても「原作」の文字はない。もとより演義も三国史も既に著作権はないから、原作といえば原作なのだが、これは吉川三国志や演義を換骨奪胎して(基本は正史ではない。けれども、史実からはあまりかけ離れないようには気をつけているようだ)、自ら構成し直しているのだ。冒頭は、玄徳が黄河を眺めているところから始まる。最初はゆっくりと進む。曹操が初めて登場するのは、3巻目である。基本的に演義で有名な場面は、有名な「桃園の誓い」等含めて60巻の中に網羅している。(2)玄徳は知徳平天下を理想とする理想家、張飛は単純な傑雄、関羽は思慮深い英雄と、基本的に演義の人物像からは離れていないが、何万人もの人々が死んでいく「映像」描写は容赦なく、その辺りに横山三国志の狙いがあるような気がする。なによりも驚くのは、全60巻のうち、第49巻で早くも「出師表」が出た事だ。基本的に演義に最も忠実だと言われていた吉川三国志でも、これが出てくるのは最終巻近くだった。横山三国志の狙いは、戦争への無常観なのではないか?決して反戦ではない。戦争の必要性は、何度も繰り返す。しかし、英雄はあっけなく死んでいき、歴史に埋もれる。無駄なことをしている、という冷めた意識があった気がする。吉川英治は、国のために生きがいを見出す英雄譚に心を注ぎ、北方謙三は、漢(おとこ)としての個人としての生き様に心を注いだ。横山光輝は、自分が少年の頃に心踊らされた英雄にとは何だったのか、ずっと冷静に見たかったのかもしれない。(3)60巻目で、やはり孔明は死んで、巻を閉じる。星が落ちるのを見て、天寿が閉じるのを知るのは、少し出来が良すぎるが、そういう「舞台装置」を作るのも、この物語の売れた要因だろう。(4)しかし、大河物語はその後も約1巻分費やし、蜀の終わりと魏国の終わりの始まりを淡々と描く。玄徳の息子の劉禅の、三国志の英雄に対してあまりにも無様な晩年が、この物語の終わりの場面になったのは、蓋し必然であったろう。2019年3月23日読了
2019年03月23日
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「津山三十人殺し七十六年目の真実」石川清 Gakken 本の書評そのものを書きたいわけではなく、35年来の念願であった「津山三十人殺し」の現場を見に行ったその顛末を書くことが目的である。 数十年前には、新潮文庫「津山三十人殺し」(筑波昭)がこの事件の(小説ではなく)実録書としては定番だった。ところが、紐解いた方にはご存知のように、事件の住所は大まかにしか書いてなくて、詳しい地図はない。また、現在では創作他、多くの間違いが指摘されている。この文庫本を読んだ35年前、私は2年間だけ津山に住んでいた。ところが、場所が全然わからない。当時地図検索なんて便利なものはない。実は職場の仲間に、事件のあった⚫︎⚫︎地区(昔は村としてひとつの自治体だった)から通ってる人がいた。彼の家にも何回か行ったが、一度場所を聞いたことがある。「此処とは相当離れているところだ」とだけしか言いわなかった。(実際車で10数分走らなければ辿り着かないところだった)結局それ以上は聞き難くなり、それ以降長い時間が経った。 1938年(昭和13年)5月21日の未明、津山の奥の小さな村で、青年が一晩で30人を銃や斧や日本刀などで次々と殺害した事件が起きた。1人の殺害者の多さでは、近年の京アニ事件(36人)までずっと1番を譲らなかった。世界的にも、個人の大量殺害事件としてはしばらく5番目の多さだった。何故そういうことが起きたのかは、論者が多くいて私の1番の関心ではない。問題は「八つ墓村」(横溝正史)にしろ、「丑三つの村」(西村望)にしろ、「龍臥亭事件」(島田荘司)「夜啼きの森」(岩井志麻子)にしろ、あまりにも多くの小説や映画に翻訳されてリアルな事件がわからなくなっていることだろう。せっかく岡山県に住んでいるのだから、実際の「現場」を見たかった。もちろんこれは単なる興味本位ではあるが、新たな憶測を広めることが目的ではない。よって、ウィキで調べたら簡単に住所はわかるけれども詳しい住所や行き方は示さない。むしろ、興味持った方は、それなりの「努力」をして「現場」にたどり着くべきだと思う。同時に遺族の心情を思うと、どんな理由をつけようとも迷惑でしかないことは承知している(もし「関係者」からの苦情があれば即刻削除します)。 おどろおどろしい「物語」から一旦自由になって、率直に「現場」に「立ちた」かったのである。私は、弥生遺跡巡りが大好きなのであるが、弥生遺跡はたいていは単なる広場である。しかし、私は博物館のジオラマよりも遺跡現場が好きだ。現場に立てば「発見」は意外に多い。その周りの景色、空気から「当時」を様々に「想像」できる。それは「現場」に行った者だけが味わえる「特権」なのである。 石川清さんはアメリカに存在した事件報告書を手に入れて3冊の「決定版」を書いた。そこには、犯人の実像がかなり追求されていると思う。石川清さんは〈結局は絶望した犯人の壮大なる「無理心中」である〉と、分析している(「京アニ事件」とその意味でも酷似している)。そこを深めるのが私の目的ではなかった。ただ「現場」を見たいのである。 というわけで、最近になって急速に進んだ研究書と普及書を二つ図書館から借りて、私はスマホでまずは近くの大字の辺りまで車で行き、そこから小字の「現場」まで、本を頼りに歩いて行った。 その感想は、次回に。
2021年08月04日
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2010.11.7(金海)首露王陵である。韓国ドラマ「キムスロ」さんの墓ですね。まるで昔からこんなりっぱな建物が周りを巡っているかのようであるが、2002年ごろに来た時には王陵だけがぽつねんとあったのを私は知っている。次に来た時には大きく変わっていて、まだ建築中でした。だからこの写真の門も石垣もまだ築6-7年です。さて、だんだんと韓国の歴史にも詳しくなってきた私は、この親切にも日本語で書かれている説明版を読んでおやおや、と思ったわけです。どこがおかしいか。読めますか。ここに書いているのは後世の歴史書「三国遺事」で書いていることをまるで歴史的な事実のように書いているのです。日本で言うと「古事記」で神武天皇の墓を説明しているようなものです。だからAD42年の誕生とか、AD199年に158歳でなくなったとかは全く怪しいものです。これが首露王陵だという根拠は唯一「平地にあること、領域が設定されていた点」のみみたいです。朝鮮時代で整備されて現在のような形になったということなので、最初から円墳かどうかというと、疑問です。大成洞古墳は竪穴式石室あるいは木槨墓です。よって初期の王陵も当然竪穴式木槨墓でしょう。と、いうようなことをこの後行く国立博物館の学芸員の方に聞きました。彼女によると「伽耶地域で円墳を造り出したのは新羅の影響が大きい。だから初期の伽耶の国である金海の古墳群は円墳ではないのです」とのことだった。(つまり暗にこの王陵の円墳としての根拠はないと言っていました)首露王陵はさすがに天皇の墓と同じような位置づけなのか、発掘調査はされていないらしい。もしこれが首露王陵だったとしても、円墳ではなかったことは確かでしょう。竪穴式木槨墓は日本の初期古墳に採用されている。いや弥生晩期の楯築遺跡も変形円墳だが、埋葬形態は木槨墓だった。一方で、金海の王族の墓に埋葬されていた遺物は日本の初期古墳群から出ていないと記憶している。すくなくとも楯築からは出ていない。墓を作る技術は持っていても、伽耶式の王族の祭を継承することは良しとはしない人物が楯築の王の主である。金海の武士階級が吉備にやって来たのではないか。そして二世紀後半金海の墓以上の巨大な個人墓を作った。その流れが箸墓古墳まで及ぶのではないか……。すみません。話がほとんど自己満足な妄想の世界に入っていったので元に戻します。遅い昼食を食べました。首露王陵前にある食堂で、テジクッパ(豚汁飯)。以前も金海で食べたときに出てきたのであるが、ここで副菜に生のたまねぎとししとうが出てくる。それをコチジャンみたいなお味噌(ここの店はかなり甘い。店によってこの味噌の味を変えているのかもしれない)をつけて食べる。美味しかった。公園入り口に許黄玉(キムスロのお后)の像があった。最近できたのだと思う。やはり三国遺事を根拠にして作っている。33年~189年のお人。昔の王族はどうしてこうも長寿なのだろう(「古事記」もそうです)。阿羅陀国(インド?)から来たということになっている。この公園を少し北に行くと大成洞(テソンドン)古墳群の上がり口があります。
2011年01月22日
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監督 : クリント・イーストウッド 出演 : 渡辺謙 、 二宮和也 、 伊原剛志 、 加瀬亮 、 中村獅童戦争に現れる多くの悲劇を描き出して見事な映画である。日本人が見てまるきり違和感が無い。まるで日本人が作ったかのような日本の軍隊の実態、自然なせりふ。ところが今までの日本人監督はこのような軍隊の実際を映画にしてきただろうか。「野火」「真空地帯」などをまだ見たことが無い私には「してきていない」と断じることが出来ない。ただ、日本映画界は、この数十年間ついにはこういう映画を成立させることが出来なかった現実をきちんと考えなくてはならない。それは日本の問題である。アメリカにとっては違う。第一部は、戦場の場面と、アメリカのプロパガンダという二つの舞台をしつらえることで、現代アメリカ本土の問題をあぶりだし、この映画ではまっすぐイラク戦争で死んでいったイラクの人々のことを念頭に入れているのだろう。イーストウッドは見事な反戦映画を作った。映像は硫黄島の土の色を基調に映される。単色かと思うと時々現れる鮮烈な血の色により、ああこの色は戦争体験者の心像風景なのだな、と納得するのである。我々が体験するのはたった二時間であるけれども、実際のそこに居た人は何ヶ月もこういう世界で地獄を見るのであろう。実はイーストウッドの映画を観るようになったのは「ミスティックリバー」から。この作品に関しては、最後の場面がどうしても納得いかなくて、彼の力量を勘違いしていたままだった。驚愕したのは「ミリオンダラーベイビー」によって。個人の誇りと人との関わり、罪と罰と許しの関係、生きるということと死ぬということを、数少ないせりふと重厚な演技と、同時にエンターテイメント性を持った映像で見せ付けられて、脱帽した。実はそれらのテーマや、映画の作り方は「父親たちの星条旗」にも現れるし、この「硫黄島からの手紙」でも濃厚に現れる。そして、どの作品でもそうなのだが、決して涙腺を刺激させない淡々としたつくり方をしているのである。これはなかなか出来ることではない。正に名監督の道を一歩一歩確実に歩んでいる。その映画を本国よりも早く観る事の出来た栄光を我々は知っておくべきなのかもしれない。
2006年12月28日
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加藤周一の単行本未収録の「夕陽妄語」である。 いわく「災害の責任 2008/6/21(土) 朝日新聞朝刊」。胃がんで休載する最後から二番目のエッセイである。すでに病状は大きく進行していて、その一か月後に遺言ともいえるテレビ収録をすることから、医師である加藤にも死の覚悟ができつつある、あるいはできていたころだと思う。その時になぜこれを書いたのか(かなり大きく写真を載せたので見にくければ拡大して全文を読んでほしい)。直接のきっかけは、この記事が掲載される一週間前に非常に大きな地震がおきた。平成20年(2008年) 6月14日 マグネチュード7.2 「岩手・宮城内陸地震」 死者 17人 不明 6人負傷者 426人 住家全壊30棟 住家半壊146棟など 震度6強 実は恥ずかしながら、今回調べて初めてこの年にM7.2という今回と同等、阪神大震災クラスの地震が起きた事に気が付いた。完全に忘れていた。この三年後に東日本大震災が起きるなどとは、その当時岡山に居る私などは想像できていなかった。加藤周一はこの大地震をうけて、「天災」のあれこれについて考えたわけではなかった。明確にその後近いうちに(それは3年後かもしれないし、数十年後かもしれない)起きるであろう「大震災」の「責任」について考え、さらには天災のようにやってくる「戦争」に対する「責任」について述べたのである。その慧眼恐るべし。本当に恐ろしい。話の展開は、病気のせいかいつもの切れ味はなかったかもしれないが、その内容については、古今東西のあらゆる人間の現象に詳しく、物事を千年単位で見ることのできる稀代の人物の面目躍如たる文章であった。今記事をアップしようとして、この「災害の責任」と同じように、すこし記事の意図するところをあまりにも省略しているのに気が付いた。私の言いたいのは、当然今回の熊本地震のことではない。これからありうるであろう、南海トラフ地震のことであり、これからありうるであろう天災のようにやってくる「戦争」あるいは「戦争準備」について、我々ができることだ。具体的には、戦争準備のために年間5兆円を使うよりは地震準備あるいは今回の地震被害復興のために数兆円を使う方がいいだろう、ということである。さらに言えば、原発は速やかに停止、一刻も早く廃炉に向けて舵をきるべきだう、ということである。
2016年04月21日
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「親鸞 上」五木寛之 講談社文庫お坊さまは、じっと忠範の顔をみつめて、ため息をついた。「この子の目にやどる光は、ただごとではない。なにものをもおそれず、人の世の真実(まこと)を深くみつめようとするおそろしい目じゃ。こういう目をした子に、わしはこれまで一度だけ会うたことがあった。京の六角堂に詣でるために紀州から上京してきたという母子じゃったが、その幼い子が、やはりこのような思いつめた深い目をしておった。いま、そのことをふと思い出していたところじゃ。たしか、法師、とかいう名前であった。母親が六角堂に万度詣でをして授かった子だとか。その子の目が、忘れられずに心に残っていたのじゃが、同じ目をした子にふたたび会うとはのう。このような目に見つめられると、悟りすましたわが身の愚かさ、煩悩の深さがまざまざとあぶりだされるようで、おそろしゅうなる。一歩まちがえれば大悪人、よき師にめぐり会えば世を救う善智識ともなる相と見た。心して育てなされ」この言葉は忠範(のちの親鸞)の心にずっと残る。或いは「自分には放埓の血が流れている」という意識をずっともっていたということになっている。この坊さんの言葉に出てくる母子はおそらく法然とその母親のことだろう。この前私は岡山県美咲町の誕生寺に行った時、「旅立ちの法然像」を見た。上巻では、親鸞(この時はまだ比叡山修行僧の範宴)は法然の説教を聴いているが、まだピンときていない。本当の出会いは、おそらく範宴が世の様々な「罪」「煩悩」に出会って以降になるのだろう。「親鸞」に初めて出会ったのは、中学二年のときだったと思う。吉川英治を読み始めて、初めて自分で買った文庫本だった(文庫本の吉川英治全集が出始めて直ぐだったと思う)。それ以降、その本は擦り切れるほど読んだ。何か自分に引っかかったのだと思う。今回の五木版はどうやらその「親鸞」の数倍はある長さになるようだ。視点も、吉川版よりもずっとずっと庶民の視点に近づいている。私が何に引っかかったのか、暫らく付き合って行きたい。
2011年12月19日
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地下鉄一号線で漢江を渡り、ノリャンジンという駅で降りた。ちょっと前、ひかりテレビのKSBワールドでドキュメントをしており、ここにぎりぎり底辺の生活をしながら、試験に受かることだけを夢みて勉強一筋の生活をしている20-30代の若者のことをやっていて、。ぜひとも来たかったのである。雑貨やをみると、そういう若者に特化して品揃えをしているのが分かる。勉強台に寒さを和らげるスリッパ、座布団などが店頭に並んでいる。駅の裏側の坂を上っていくと、明らかに今までのソウルと違う雰囲気に包まれている。どの家もコンブバン(勉強房)とコシオン(孝試院)の看板のある家しかない。所謂、受験生の寮の町なのだ。孝試院はうなぎの寝床だと聞いている。一ヶ月の家賃は相当安いはずだ。確か、昔のハングル仲間で韓国に留学した女性も孝試院で生活するのだといっていた。彼女は総額100万円で半年の語学留学をしたはずだが、その後どうなっただろうか。玄関には英語で「成功への門」と書かれている。スーパーの中の不動産屋には孝試院27万wと書いていた。その辺りが相場なのだろうか。歩いていると、勉強房が一番古い建物で、その次が孝試院、そして少しきれいな建物で孝試テル(ホテルのもじりか?)というランクがあるのが分かってきた。芸術家が集まる孝試院の裏庭だろうか。ガラクタのような前衛芸術が転がっている。この街のひとつ道を隔てるだけで、実はこのような高層高級アパート群が建っている。韓国においては、このようなアパートに住める人達はいちおうの勝ち組なのである。駅前は私が降りたときには寂しかったのであるが、お昼になったとき、どこから人が出てくるのか、ごった返していた。食堂みたいなものもたくさんあって、3500wや4000wの料理もあったのであるが、人が並んでいる食堂を良く見ると、セルフサービス式の食堂だった。これだけで4500wである。全員見事に若者である。男子学生たちは韓国に珍しく一人食事が多い。これで済ますつもりだったのだが、ふと見るとお握りの店「カモメ」があるではないか。映画好きならば直ぐにピンと来ると思うが、明らかに映画「カモメ食堂」にちなんだお店です。ちょうど二日前の朝、ケーブルテレビの映画専門チャンネルで「あっ、日本映画のカモメ食堂をしている」と嬉しくなったばかりなので、この映画は韓国の映画通には案外人気なのだと分かっていた。この間ずっと韓国でこの時間帯に映画を見てきて、一様に朝の六時台の映画は「パイラン」「喧嘩の技術」「チング」等々少しマニアックだけど、名作といわれるものが流れていたのである。ふらふらと入っていきました。テーブルに椅子が8席ほどしかない小さなお店です。20代か30初めの初々しい若い夫婦が店を切り盛りしています。サラダお握りを頼みました。出てきたのを見て「大きいですね」というと、奥さんのほうがにこりと笑いました。食べてみます。もう少しきつめに握ったほうがいいかな。「面白い味です」と言っておきました。ご主人のほうも、さりげなくずーと私のほうを気にしているようです。日本人の感想が気になるのでしょうね。味噌汁を(本当はセルフだったみたいですが)入れて持ってきてくれました。「これは旨いです」ちゃんと出汁をとっていました。たぶん若い夫婦が冒険をしながら出した店なのでしょう。頑張ってほしいです。そのあともう少しこの界隈を散策しました。読書室(トクソシル)というのがあって、わりときれいなビルになっています。その前に10枚27000wというのがあって、これはおそらく食券だと思われます。KSBのドキュメントではここでアルバイトしながら、寝袋で寝泊りをしている青年もいました。韓国の求職戦線は激烈です。難しい試験に通らないと就職できない。それで何年も浪人をしながら、例えば警察に、そして消防の試験をとるわけです。そういう試験に通ったものだけが、まともな生活が出来ると信じられているし、たぶん現実がそうなのでしょう。
2011年05月11日
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1月20日の赤旗に、内田博文教授が今国会で成立を狙っている「共謀罪」について、その根本的な危険性について、端的にわかりやすく語っているので、それをさらに端的に(わかりにくくなったかもしれないので、本文を是非読んで欲しい)説明して、少しでもこの希代の悪法の成立を阻止することにちょびっと寄与したい。 内田教授の言いたいことは次の六点かな。 (1)今回の共謀罪は、政府は「組織的犯罪集団」だけが対象というが、犯罪の前の段階で「行為」も「結果」もないものを処罰するのだから、刑法の基本原則を外すということ。「団体」の定義は何も持てない。 (2)治安維持法の時も、政府は「乱用しない」と約束したし、「裁判所が乱用を防ぐ」と説明したが、何の効果もなかった。 (3)共謀罪で逮捕されるのはテロリストだから、自分とは関係ないのではない。警察に狙われただけで「あいつはテロリストだ」と言われるようになる。社会は一挙に萎縮する。 (4)憲法を変えて戦争出来る国になった時に、反対派を取り締まれる法律として必要だから、今出て来た。「刑罰国家」を作ろうとしている。 (5)共謀罪は自白のみで立証。現在の刑法は治安維持法の時の亡霊が残っている。 (6)戦前と違うのは、日本国憲法の下、まだ反対する権利(デモ、集会、本、投書、違憲訴訟等々)が保障されている。
2017年01月22日
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敗走記講談社文庫 水木しげる「ゲゲゲの女房」で向井理演じる水木しげるが編集者より「敗走記」の再編集出版を打診される。依頼された仕事はすべて受けていたしげるは意外にも一言「この作品はすぐに出すわけには行きません」と素気無く断ってしまう。という場面に興味をもって、ついつい「敗走記」を買って読んでしまった。初めて水木しげるの戦記物をまとめて読んだのであるが、唸ってしまった。あの絵柄に騙されてはいけない。こんなリアルな戦記物に接したのは、小説、TV、映画を通して大岡昇平「野火」以来だ。冒頭の「敗走記」はあとがきによると、「もともと真山という親友がいて彼が戦死したのが残念で、彼の体験した事実と多少のフィクションを加えて描いたもの」だという。だとすると真山はこの作品の鈴木なのだろう。主人公と鈴木は南太平洋ニューブリテン中部、壊滅的打撃を受けたあとにただひたすらほかの部隊に戻るために逃げて逃げて逃げるのである。九死に一生を得るという言葉があるが、それが連続するというのは、どういう言葉を与えればいいのだろう。もはやそれは人間の世界ではないのかもしれない。その途中、鈴木は写真にもあるとおり、あっけなく虫けらのように死ぬのだ。親友の追悼の為に書いたにしては、親友の顔は丸顔でそばかすで出っ歯、悲劇の主人公ではない。そしてそれこそが、水木しげるの戦争観なのである。鈴木が死んだあとも、主人公は九死に一生の連続、そしてやっと中隊に戻れば、敵前逃亡を責められ、「適が上陸してきたら真っ先に進むのだ」と上官に言われるのである。そこにあるのは、地獄を体験したものだけが語れる徹底したニヒリズムのように感じる。 それでもぼくは 生きて かえってきた。それは22歳の雨の日のできごとだった。 ぼくは雨がふるたびに いまわしいこの南方戦線のことを思い出す。 「戦争は 人間を悪魔にする。 戦争をこの地球上からなくさないかぎり 地上は天国になりえない…」とこの短編集、ほかも力作ぞろいである。「ダンピール海峡」では、大旗を守るために英雄的な死に方をした一兵隊のことを描きつくしたあとに「どのように死んだかも分からない」小石が入った骨壷を見せて終わる。「レーモン河畔」では、原住民の美人2姉妹を助けたあと全滅した部隊の実話を美談ではなく、徹底したリアルに描く。C級戦犯として脱走をしながら逃げて逃げて逃げ回ったある男の半生を描いた「ごきぶり」、戦犯処刑の最後の男になったあと母親は骨壷を掲げながら「まるでゴキブリのような一生だった」と呟いて終わる。戦友たちの死はたとえどんな死に方であろうとも、尊いものだ。昨日の向井理の「靖国発言」はそのようなことを念頭においてのものだったかもしれない。けれども、その「尊い死」が政治家によって「利用」されていることまでは向井理は気がつかなかったのだろうか。水木しげるは漫画を見る限り、その死を英雄的に祭り上げようという動きに対して、徹底的なNOを示しているように思える。これだけ地獄を描いても、ほんの一瞬たりとも「妖怪」は出てこない。水木しげるの戦記物を描く覚悟をみる。テレビ番組で夫婦共に出演していて、水木しげるは「幸せの基準を下げれば、みんな幸せになれるのに」「息をするだけで幸せと思える」と言っていた。隣の奥さんは小さく「やれやれ」と顔を振っていたが、まあ普段はそこまで幸せの基準を下げているわけではないのだろう。けれども、南方戦線を体験した水木の偽らざる心境でもあるのだろう。
2010年08月19日
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楽天ブログは、毎日よく読まれた記事のベスト5を教えてくれる。時々、自分で書いてすっかり忘れていた記事が出て来て、自分でその文章に感心することがある。重松清「その日のまえに」の場合もその一つであり、その感想に導かれて、最近それを原則とした映画を見た。まだ見ていないと思っていたからであるが、実は最後まで見ると一回見て、なおかつ記事に書いていることが判明した。そこで、前回の記事と今回の記事、二つ並べてみることにした。先ずは、前回の記事、9年前の記事である。(以上の文は18.03.19に記入)『その日のまえに』どこも まっしろ2009年01月13日カテゴリ 邦画(09~) (121)日曜日に見た『青い鳥』の場合は、村内先生は石川啄木詩集の愛読者であった。いじめというリアルな現実の前には、啄木のほうが確かにあっているような気がする。例えば、気の変わる人に仕えてつくづくとわが世がいやになりにけるかな打ち明けて語りて何か損をせしごとく思ひて友と別れぬ(映画の中では一首も紹介されなかったが)そんな歌の中の現実が、これから向かう学校の現実の真の姿を探す手助けにもなっただろう。同じ原作者のこっちの映画の方は、結局宮沢賢治が大きくクローズアップされた。どちらの原作にも、実は啄木も賢治も出てこない。けれども、この二人が脚本に使われたのは偶然ではないだろう。岩手県出身の二人の詩人はどちらも言葉の天才で、東北の重く垂れ込める空が、どちらも登場人物の心像風景にぴったり合うのだろう。監督 : 大林宣彦原作 : 重松清脚本 : 市川森一出演 : 南原清隆 、 永作博美 、 筧利夫 、 今井雅之 、 勝野雅奈恵原作は既に読んでいる。けれども、冒頭から明るい音楽とともに始まる。ずいぶんと原作とは違うタッチで描かれる。ガンで死ぬ人たちの話であるが、泣かす映画にしてしまっては、確かにつまらない。人はその日のまえにどのようにすごし、その日をどのように迎え、その日のあとをどう生活して行くのだろう。映像と見せるためには、むしろ泣くのはほんの少しでいい。あとは淡々とした明るいタッチの方がいい。肝心の心の部分を、宮沢賢治の『永訣の朝』が代弁する。けふのうちにとほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよみぞれがふって おもては へんに あかるいのだ(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)(略)ああ あの とざされた 病室のくらい びゃうぶや かやの なかにやさしく あをじろく 燃えてゐるわたくしの けなげな いもうとよこの雪は どこを えらばうにもあんまり どこも まっしろなのだあんな おそろしい みだれた そらからこの うつくしい 雪が きたのだ(略)詩に託して、雪の岩手県の映像が流れる。その静かな白さが、私には心地よかった。原作は去年一番泣いたものだった。映画は泣きはしない。けれども、死を迎えるということはこういうことなのだ、と静かな気持で納得できる映画であった。(以上の文は09.01.13記入)以上が9年前の映画の感想。この半年前に、私は父親を亡くしている。だからこそ、小説を読んで大泣きし、映画を観てこのようにしんみりしている。それから、9年後にDVDで観て何を思ったか?以下がその感想だ。「その日のまえに」(2008)大林宣彦監督作品10年前のDVDを観る。永作博美のガンの発病と、夫の南原清隆の葛藤を縦軸に、幾つかの生死の物語を描いた作品。多くは重松清の原作に依ってはいるが、クラムボンの「永訣の朝」がずっと流れたり、迎え火の代わりの花火大会に、全ての死者を集合させたり、大林宣彦監督らしい演出も目立つ。演出があまりにも大林宣彦監督監督していて、原作読了時のように泣ける映画にはなっていなくて、なんか乾いた笑さえ出てくる。この時は元気だった今井雅之や峰岸徹が、そのあと少ししてガンで死ぬなんて、この時にはみんな思いもしなかったに違いない。また、大林宣彦監督自身がガンに侵されながらも、克服して10年後に作品をものにするなんて、思いもしなかったに違いない。(以上の文は18.03.01に記入)この湿度の違い!どちらの感想がより読ませるか、と言えば、私は9年前を挙げる。もちろん、どちらの感想もわかりにくいという欠点はある。しかし、映画からどちらがより豊かなものを得たか?で比べれば、あまりにも明瞭であるからだ。と言われて、現代の私はもう少し絞り出す。大林宣彦監督は、お涙頂戴にワザとしなかった。本来ならば、発病の発端があり、告知があり、紆余曲折を経て死亡(ここで観客を泣かす)、そして最後の手紙の場面へと移る(「忘れてもいいよ、」という言葉で余情をつくる)のがセオリーだと思う。しかし、映画では、何度も時制が行ったり来たりする。実はこれは、最初の場面から既に終わっていて、その先の南原の回想から始まっていたのだ、と見るのが最も分かり易い観方ということになる。これは日本文学の伝統である。構造がないのである。「その日のまえに」をいくら私たちが映画で観たとしても、必ず終わってみれば、「その日のあと」の物語になるだろう。それならば、最初から終わっていた方が、ホントの「その日の迎え方」になるだろう。と、監督が考えたとしても、無理はない。結果的にはヒットしなかった。永作博美を自分の妻として、勘違いできないからである。とし子という名前にして、永訣の朝を何度も歌わせ、わかりにくいその詩に、とし子の死を重ね合わせる。という凝った演出に、共感したものだけが、この映画に満足しただろう。(以上の文は18.03.12に記入)
2018年03月19日
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次の日、日本平和委員会全国大会2日目の昼食弁当。時間がないだろ、ということで、事前に弁当券を買っていたんだけど、確かに美味しそうなんだけど、これでお茶付き千円というのはやはり高い。しかも40分近く昼食以外に自由時間があった。諦めていた会場のすぐ前にある興福寺に行くことにした。 おお、ここは本当に奈良だったのね。鹿せんべい(150円)売っている。昔よりも50円高くなった? 興福寺。には入らなくて、お目当ては国宝殿の仏像である。 当然写真撮影禁止(写真はウェブより拝借すふ)。 久しぶりに阿修羅像に再会した。なんという存在感なのか。後ろの二つの顔も、本当に存在しているかのようだ。いや、間違いなく平安時代にこの少年と瓜二つの少年がいたと思う。この少年の顔に精神性を与えたのは仏師の力ではある。しかしその具体化を支えたのは、間違いなくその写実の力だと思う。おそらく何枚も何枚も写生を繰り返しているはずだ。 そう確信したのは、阿修羅像が八部衆像の一つとして、作られたと今更ながらに気がついたためだ。烏天狗のような顔もいるが、少し小太りの間違いなく昔の少年を写生しただろうという神将もいたからだ。これは八部衆像 沙羯羅立像(さから)。 この仏像の前では、一挙に我々は平安時代にタイムリープするだろう。 残念なのは、鎌倉仏像の名作、無著・無親像が居なかったこと。まあ、そう簡単に揃い踏みということはないのかもしれない。 全国定期大会が終わって、3時から2時間半ぐらいで専門家による「奈良公園の戦争の跡を訪ねて」というオプション企画があった。せっかくなので、参加することにした。これは、戦中松ヤニ(ガソリン代用)を採ったという松。十数年前まではそのあとは残っていたらしいが、今はすっかりなくなっている。 これは東大寺南大門。ガイドは吉川好胤先生という、何処かの教授でとっても専門的。ちょっとついていけなかったり、途中で晴れていたので傘持っていなかったのに、土砂降りの雨が降ったりして、単なる観光半分になってしまった。 金剛力士像(1203年)である。網の目を通して見るので、ハッキリとは見れない。しかし紛うことなき運慶・快慶たち20人の仏師の名作。寄木造りとはいえ、よくもまあここまで統一の取れて、生き生きとしたものが作れたものだ。 1番近くで見れたのはこれ。このリアルさを見よ。 大仏殿。小学生の時以来。大きいな〜。 仏教って、理想はいいんだけどね。 その他、いろいろ説明受けた気はするんだけど、2日間で疲れきってもう歩けません、って感じで終わりました。駅売りの葛餅まがいのお菓子を買って帰途につく。
2015年08月01日
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「介護民俗学へようこそ! 「すまいるほーむ」の物語」六車由美 新潮社「驚きの介護民俗学」で心底驚いて、この本を手にとった。前著では、私が昔サークルでやっていた民俗学のことも思い出し「こんなところに思いも掛けない宝庫がある」という発見としての感想の方が大きかった。今回は反対に、現在私が少しだけ関わっている仕事としての介護についてや、この数年の間に体験して来た父親や伯母夫婦の介護のあり方について思い出すことも多かった。それは著者の境遇の変化からも起きていると思う。著者が理解のある経営者に支えられた小規模デイサービス施設の管理者に変わったのだ。それにより、より利用者に寄り添った「お仕事物語」になっていたように感じた。反対に言えば、前著は仕事面では融通が効かなかったからこそ、より民俗学的にシフトした内容になったのだろう。介護民俗学という学問がもしありうるとすれば、どう実践していけば利用者との関係性を持てるのか、ここには豊かな経験が書かれているだろう。もちろん、民俗学的に貴重な事例もその中で発掘される。完全に日本化されていた戦前のソウルの暮らし、女子勤労挺身隊の実態、風船爆弾の作成途中で遊んでいた経験、高度成長期の最初期の恋バナ、沼津という比較的開かれた地方の村の青年部の新婚世帯の覗き、昔話の語りの原風景ともいうべき認知症の方の怪談話、等々。著者は、これらを本格的な「聞き書き」だけでなく、送り迎えや入浴介助の中で聴き取り文章化している。また、利用者全員がそのことを良しとして、彼女の文章を積極的に読んで感想を言いあったりしている。こういう「関係性」こそが、一般のノンフィクションジャーナルとは違う正に「民俗学的」なのだと思う。だからこそ、一般のデイケアサービスで取り入れるのは、なかなかむつかしい。でも、広まって欲しいと切実に思う。なぜならば、10人ほどが利用する著者の小規模施設でもこんな豊かな事例が出てくる。全国的に始まれば、いま急速に無くなりつつある「高度成長期以前」の、もしかしたら弥生時代まで射程に入るような日本人の貴重な「民俗」(私の個人的見解です)を記録できるかもしれないのである。しかし、それだけではない。「要介護状態となった人たちもひとりの人間として地域において価値を持ち、要介護状態の人もそうでない人も互いに支え合って地域社会を形作っていく」ちょっと前の村々では当然あった人びとの暮らしを取り戻す、きっかけになるのかもしれないのである。やはりこの本も「驚き」でした。2016年7月3日読了produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2016年07月03日
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監督 : クリント・イーストウッド 出演 : ライアン・フィリップ 、 ジェシー・ブラッドフォード 、 アダム・ビーチ 力作である。冒頭近く小山を兵士三人が上っていって旗を立てる。突然視界が開けて球場の中。満員の大歓声と、花火。そこは硫黄島ではなく、アメリカ本土だった。やがて、われわれは何回もアメリカ本土で国債を募るためのプロパガンダツアーと、地獄の硫黄島を交互に見ることになる。今までの戦時映画と決定的に違うのは、地獄の戦場と地獄を全然分かろうとしない本土の地獄の二つを、平行して描いたことだ。となりにいる人間が銃弾に倒れる、あるいは頭を吹き飛ばされる、戦場場面もすごい。しかし、それ以上にすごいのは厭戦気分になっていたアメリカ国民を一変させた、一枚の写真を最大限利用した戦争プロパガンダ描写である。ショウビジネス的演出と膨大な報道によって、英雄は作られていく。しかも本人たちの意思とは関係なく。しかも、旗の写真は二重に「やらせ」だ。写真は二度目の掲揚のときだったし、実はそのあと34日戦闘は続いたので、勝利の旗でもなんでもなかった。戦場に英雄はいない。称えられるべきは死んだ戦友たちだ。戦場には地獄しかない。それらのことを説明的演出もなく、説得力を持ってイーストウッド監督は描く。‥‥‥というようなことは誰でも書くだろうから、私は別の視点でこの映画のことを語ろうと思う。日本国の総理大臣、安倍晋三氏が『美しい国へ』という本の中で、イーストウッド監督の前作『ミリオンダラーベイビー』を数ページに渡って賞賛している。第三章『ナショナリズムとは何か』という章の中で、『「ミリオンダラーベイビー」が訴える帰属の意味』という小見出しをたてたあとの7~8ページだ。ここで安倍氏は玄人っぽい映画評を展開する。『モ・クシュラ』というキーワードを説明しながらマギーとフランクの間には『アイルランドの帰属意識』が存在するというのだ。それは確かにそうだ。しかしクリント監督はそこから人間としての尊厳に話を展開するのだが、安倍氏の思ったことは違うようだ。評論家松本健一の言葉を借りてこのように言って見せる。「中国人も韓国人もヒスパニックも、アメリカをすでに『理想の国』であると考えて移民したが、アイルランド系移民だけはアメリカを『理想の国』に作り上げようとした。」そしてさらに安倍氏は『地球市民』信用できない、といい、帰属意識を持つのは日本人なら日本しかありえないと展開し、「若者たちが自分の生まれ育った国を自然と愛する気持ちを持つようになるためには、教育の現場や地域で、まずは郷土愛をはぐくむこと必要だ。国に対する帰属意識は、その延長線上で醸成されるのではないだろうか。」と明らかに教育基本法の改悪の条文を意識しながら言う。そうやって『わが国の郷土を愛すること』が『愛国心』に繋がると、無理やりに展開するのだ。おいおい、クリント・イーストウッド監督はそんなことを言いたいのではないよ。勘弁してほしい。この名作を汚さないでほしい。監督の気持ちは安倍首相の気持ちと正反対のところにある。その証拠にこの映画を見てほしい。ここには、ネイティヴアメリカンを利用するだけ利用してぼろきれのように捨て、彼のアイデンティティをずたずたにしていく『国家』の姿が描かれている。アイラたちは白人社会の中で自分たちの民族の地位の向上のために、進んで従軍していく。しかしアイラは結局その国家に振り回され、おそらくPTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかり、野垂れ死にする。表面的な英雄扱いと、『このインディアンめが』と悪態をつけられる立場の矛盾。人間としての尊厳を築こうとしても、それを壊すのは『愛国心』を押し付ける『国家』であったのだ。11月7日、教育基本法改正案、今国会成立強まる 衆院委が来週可決へという記事が流れた。まるで映画のようなやらせ発言を政府首脳が認めたばかりだ。こんな政府に教育の根幹を変える法律を作らせてよいのか。まだ間に合う。与党には『徹底的に審議を尽くしてほしい』というメールを。マスコミには『このままずるずるといっていいのか』というメールを。野党には『最後まで徹底抗戦を』という励ましを、ぜひ送ってほしい。憲法・教育基本法改悪反対! 抗議・要請メールここが非常に便利である。
2006年11月07日
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韓国ドラマをほめたことはほとんど無い。ハングルの勉強ということもあって毎週1~2本は見ているのにもかかわらす、である。日本のドラマもそうだけど、それほどに私のドラマに対する不信感は大きい。あまりにも都合の良い話の展開。過剰な台詞。そして緊張感の無い映像。それらが鼻についてしまうわけだ。でも一方では、それらがある程度見出すと麻薬のように心地よい習慣になってしまうのでついつい毎週数日は寝る前に見てしまう。と、という書き出しで何を書くかというと、この「砂時計」(原題モレシゲ)はまだ全24話中の18話しか見ていないのであるが、さすが最高時70%近い視聴率をとっただけあり、緊張感がずっと持続していて、見ごたえがある。初めて全話見終わっていないのに褒めようと思う。「砂時計」出演:チェ・ミンス/コ・ヒョンジョン/イ・ジョンジェ/パク・サンウォン/パク・クニョン/ナム・ソンフン/チョン・ソンモ脚本:ソン・ジナ音楽:チェ・ギョンシク演出:キム・ジョンハクセリフが非常に少ない。一つのセリフの持つ意味が大きい。映像と音楽と演技によって多くのことを語る。時代背景をおろそかにしないが、説明的描写が極端に少ないので、まるきり韓国現代史を知らなければ理解するのが困難な場面が多々ある。もちろん韓国の人たちにとっては自明のことばかりなのだろう。三人の主人公はそれぞれ「恨(ハン)」を抱いている。両親とも不運の死を遂げ、貧民層よりヤクザの道を選ぶ、テス。貧しいが、父親の思いを継いで司法の道を選ぶ秀才でテスの親友のウソク。最初はウソクと、あとでテスと恋仲になるカジノ王の娘、正義感の強いヘリン。三角関係は韓国ドラマの定番ではあるが、ドラマの緊張感はずーと続く。7~9話にかけて1980年光州事件の描写が出てくる。この韓国独裁政権終末時における内乱鎮圧事件の描写は一部映画「ペパーミントキャンデー」でも描かれているが、このドラマほど詳しく描いている作品を私は知らない。光州事件のときヒロインは学生運動をしていて、KCIAの追及を逃れて釜山に潜む。海女のおばさんの家にかくまってもらうのだが、無学の海女でさえ、時の政府には反発を抱いている海女「光州のほうでは何か大変なことが起きているらしい。」ヒロイン「えっ、でも新聞では何も報道していない。」海女「新聞が何か真実を書いたことが今まで一回でもあったかね」 本筋とは関係ないが、このセリフがとても印象に残った。韓国ではそれほどに70年代、新聞の信用は地に落ちていたのだろう。だからこそ、韓国では大新聞社を追われた男たちが作った左派系新聞ハギョレ新聞は、いまでもある程度の信頼を勝ち取るし、インターネット新聞が日本より早くしかも徹底的に広がっていたのだろう。それが,ノムヒョン政権のデジタル革命に繋がっていく。日本とインターネットの土壌が違うということはこのようなドラマのなんでもないセリフからも見ることが出来る。現代のようにマスコミが日本人の世論に決定的な影響を与えるような情況を変えなくてはいけない、という危機意識が私にはある。けれども、いくらインターネットで頑張っても、即韓国のようにはいかないだろう、という根拠はこのあたりにある。‥‥‥というようなこととは別でも、純粋にドラマとしてモレ(砂)シゲ(時計)お勧めです。参考記事光州・全州・釜山への旅(2)(真ん中あたりに光州の国立墓地に言ったときのことを書いてある)『韓国のデジタルデモクラシー』あるいは日本の小さな希望 「韓国民主化への道」岩波新書 池明観
2007年04月19日
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「鹿の王4」上橋菜穂子 角川文庫ヴァンは、ホッサルとの長い対話の中で、「生まれながらの貴人はいない」理由として、以下のことを話し始める。「飛鹿の群れの中には、群れが危機に陥ったとき、己の命を張って群れを逃がす鹿が現れるのです。長でもなく、仔も持たぬ鹿であっても、危機に逸早く気づき我が身を賭して群れを助ける鹿が。たいていは、かつて頑健であった牡で、いまはもう盛りを過ぎ、しかし、なお敵と戦う力を充分に残しているようなものが、そういうことをします。私たちは、こういう鹿を尊び〈鹿の王〉と呼んでいます。群れを支配する者、という意味ではなく、本当の意味で群れの存続を支える尊むべき者として。貴方がたは、そういう者を〈王〉とは呼ばないかもしれませんが」(19p)ここに至って、初めて作品の表題の意味が姿を現す。表題が〈犬の王〉とならなかった理由が、ここでやっとわかり始める。もっとも、ラストにならないと真の意味はわからないのではあるが。私は一方の主人公ヴァンをめぐる物語の輪郭をここで掴んだ。こういう〈王〉の在り方は、もしかしたら珍しくはないかもしれない。日本でも身分制が確立しなかった縄文時代や弥生時代後期ぐらいまでは、このような〈王の伝説〉はあったかもしれない。上橋菜穂子は長いことオーストラリアのアボリジニの調査研究をした。いままでは、不思議なほどにその調査研究の影響が作品上にみられなかったが、今回は濃ゆく出た気がする。アボリジニは、英国人の実質上侵略を受けた。長い迫害をどのように耐えて来たのか。現在は、どのように英国人と共存しているのか。それを観て来たのが上橋菜穂子である。ヴァンはラストはどうなったのか、誰もが想像できる。その寸止めの描き方が素晴らしい。もう一人の主人公ホッサルからは、人の身体を国に譬えた話が飛び出した。医療をテーマにして、やはり大きな物語が動いていた。しかしそれは多くの人が解説しているので、ここでは述べない。ただ、文庫版あとがきでは、著者はこの2年間の御母堂の癌との戦いの日々を告白している。さぞかし、決断と忍耐と癒しと悲しみの日々だったろうと推測する。「守り人シリーズ」の文庫本化の時にはまるで最終章に合わすかのように大津波が起きた(最終巻が2011年夏の発行)。「獣の奏者」の時にはISの台頭、そして本作ではこのようなことが起きる。決して時代に合わせて書いているとも思えないが、やはり「何か」あるのかもしれない。2017年9月読了
2017年09月30日
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「風魔」白土三平「忍者旋風シリーズ」の最終章第3部である。ちなみに、白土三平から階級闘争を学ぼうというのは無駄である。白土三平のマンガは教科書ではない。その意味では、闘争を指導する力はない。しかし、白土三平に思想性がないかどうかは、保留しなくてはならない。ある人物の思想性を問う時に、私はふたつの条件があると思う。(1)首尾一貫とした主張があるか(2)社会に大きな影響力をもっているかだから、学者や哲学者だけが「思想家」と言われるわけにはならないのである。むしろ、文学者にも思想性はあると言われている。また、いくら社会的影響力をもっていたとしても、清水幾太郎や竹中平蔵を思想家とは、私は呼ばない。文学の役割は何か。それは加藤周一に言わせると「価値観の変換を促す」ということである。もし、60年代に大きな影響力を持った白土三平のマンガに、その力があったとすれば、白土三平の思想は、(私は首尾一貫とした主張があると思っているので)思想性があると言っていいだろう。風魔一族は「全国の忍びの生活と権利を守るための」組織(忍び集団)であり、すべての忍びの個人や集団は、風魔に届けを出すことになっているらしい。言うまでも無く、これは50年代から60年代にかけての労働組合運動のカリカルチャ化である。もっとも、日本の労組は一つの職業を横断する方式の労働組合を遂に作ること能わず、会社個々で独立してしまった。言うなれば、ここにはあるべき労組運動の姿を見せているようにも思う。公儀隠密の半蔵の風魔切り崩しと戦うなかで、スパイや様々な陰謀が飛び交うのが、この本の内容だ。この中で、公儀隠密側の犬山半蔵は、偽風魔を作り上げ、そのもの達が風魔らしからぬ所業をすることで、風魔としての信頼を失脚させる作戦をとった。このモデルは戦後間も無く起きた下山事件その他の事件だろう。真田忍群や四貫目たちは「もはや風魔は忍びをまもる結社では無くなっていることじゃ」「われら仲違いしてるどころでは無いぞ」「全国の忍びに回状を回し風魔を糾弾しようぞ」(260p)と風魔を見限りそうになる。実際の日本でも、これらによって労働組合運動は様々に分裂し、さらに国民の支持も失った。日本の支配層は、それを利用してきた。マンガはそのような当時の情勢に対するアンチテーゼを打ち出す。風魔たちは、実は最初から対策をとっていて大逆転を示すのである。そういう見事なドラマトゥルギーが読者に受け入れられれば、世の中に「価値観の転換」は起きたかもしれない。ただ、少年雑誌にそこまでの力を期待することは、そもそも客観的に無理。よって、青年誌を舞台に白土三平はカムイ伝を始めたのかもしれない。しかし、ドラマは別の要素もあった。最後の最後で、支配層の優秀なコマだった忍犬シジマが、主人の半蔵を裏切るのである。上司のあまりものブラック振りに反旗を翻したのである。そして、そのあとにそれを知らなかった風魔一族によって念のために殺される「ラスト」。これは、さすがの白土三平と言わざるを得ない。これによって、この作品は、読んだ日本人がこの作品の中の「労働組合運動や階級闘争の話は覚えていなくても」(←なぜならば現実日本を見るとリアルではないから)決して忘れることの出来ない作品に変貌した。あれから50年経った現在、忍者旋風シリーズを通しての実際の主人公は風魔小太郎なのに、彼よりも遥かに有名なのは忍犬シジマになってしまっている。日本人の判官贔屓という「思想性」は、それほどまでに強いのである。
2018年06月05日
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「過ぎ去りし王国の城」宮部みゆき 角川文庫表紙の「王国の城」は、実は絵ではない。ということに気がついたのは、物語を半分近く読んだ時だった。目次の前に「装画 れなれな(イラスト資料提供 PPS通信社)」とある。これだけならば、「凄い絵だ。確かに、こんな絵ならば物語にあるような不思議なことが起きてもアリかも」と思ったかもしれない。資料提供は、物語通りに何処かの世界遺産のお城の写真を提供して貰ったのだろう。そんなことにまで気を使わざるを得ないほどに重要な絵なのである。ところが、その後に「撮影 帆刈一哉」と続く。「えっ︎写真だったのか?」まるで写真絵画のように見えた椅子や机は、ホンモノの教室だったのだ。だとすると、これは流行りの黒板アートというヤツか。物語に出てくる件の絵は黒板アートではない。でも、物語のテーマにちゃんとあっている。教室の風景も物語のテーマの中で重要な意味を持つだろう。また、心を込めて描いた絵に感動するということも、この絵の「意味」にこだわることも、物語のテーマに深く関係する。だから、この物語を紹介するに当たっては、この表紙の絵(写真)のことを、ただいろいろと呟けばそれで足りる。あまりにも淋しくて、つまらない絵と思ったならば、貴方はこの物語の登場人物にはなれない。尾垣くんも城田さんも、パクさんも、写真からでも十分絵にアクセス出来る感受性を持っていた。宮部みゆきの小説自体が、作品世界にすっかり自分を溶け込ませる体験を提供する。だから別の言葉で言えば、宮部みゆきの小説世界に入ることが出来た人は、この絵に出会ったとき、彼らのような体験も可能かもしれない。小説の愉しみ方は、正にそういうことなのだろう。とも思う。話は、キチンとファンタジーの王道を経て着地する。パクさんの名前は、2ヶ月前に亡くなった高畑勲のあだ名から採ったのだろう(あだ名の付け方がまるきり同じだ)。私の頭の中では、常に(壮年の頃の)高畑勲アバターがずっと活躍していた。2018年6月読了
2018年06月29日
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「ノースライト」横山秀夫 新潮文庫去年5月に横山秀夫の著作を20年ぶりに再読した時に、最近描けていないのはネタ元が尽きたからだという意味のことを書いた。全く失礼なことを書いた。横山秀夫は新たなステージに登った。久しぶりの新作がやっと文庫化した。勇躍して紐解くと、その新しいテーマ、その瑞々しさ、隅々まで絞り込んだ表現、それなのに変わらないスタンスに驚愕した。誤解を恐れず言えば、女流作家には描けない、ぶざまにも美しい「男の矜持」が、全篇にわたって描かれていた。建築を設計し建てることは、小説を書くことに似ている。青瀬の〈Y邸〉は、横山秀夫にとっては、辿り着いた最高傑作に似ているのだろう。かつて横山秀夫は、新聞記者時代に培ったサツ回りの経験を膨らませて10数年を突っ走った。今回それを総て捨てている。捨ててどうしたかというと、おそらく子供時代から培ってきた「感性」を、この作品に注ぎ込んだ。じぶんの原点は何かを問い直し、それに沿って一から創り上げた。まるで、青瀬が〈あなた自身が住みたい家を建ててください〉という言葉に救われたように、まるで、岡嶋が〈足りないものを埋めること、埋めても埋めても足りないものを、ただひたすら埋めること〉という言葉で救われたようにおそらく横山秀夫が描きたかったものは「巧い、暗い、恐い、そして美しい」ナニカなんだったのだと思う。上質のミステリとして巧く緊密で硬質な文体は暗く時折見せる心理描写は恐くそしてすべてが美しいずっと積読状態だった「日本美の再発見」(ブルーノ・タウト)は、今年は紐解こうと決心した。kinya3898さんのレビューで文庫化を知った。
2022年01月06日
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