いっぱいお買い物!

いっぱいお買い物!

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

まぁlるぅ

まぁlるぅ

カレンダー

コメント新着

まぁlるぅ @ Re:お久しぶりです♪(02/04) ぴんくま♪さん ありがとうございます。 …
ぴんくま♪ @ お久しぶりです♪ 昨日の夕方、まぁlるぅさんのブログにおじ…
まぁlるぅ @ Re[1]:最近のこと(06/04) natsumamaさん >お久しぶりで…
natsumama @ Re:最近のこと(06/04) お久しぶりです♪ 2年で13kもやせたので…
ferrari7 @ Re:ついていこう(08/08) う~ん、難しい問題ですね。。。 うちの…

フリーページ

2011年03月18日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
今まで、感じたことのないくらい強くて長い地震を経験してから1週間たちました。

後の記録のために、今、記しておこうと思います。


その日、普通に子どもたちを幼稚園に預けて出勤し、普通に仕事をしていました。
午前中に1件、整形外科の手術の麻酔を終えて、お昼を食べて、午後1時半から婦人科の手術の麻酔が始まっていました。あと1時間くらいで手術が終わるかな?4時には終わるだろうから、そのあと、月曜日の担当の患者さんを診察しに行こうと思っていたとき、地震が来た。

はじめは、わりと緩い揺れだった。
地震が来たときには、いろいろと点検して安全を確かめる必要があるが、それをしようと思っていると、もう、立っていられないくらいの揺れがきて、それがだんだん強くなっていって、自分の身の安全と、今、手術を受けている患者さんの身の安全を守ることで精いっぱいだった。壁が割れて、中からほこりが出てきていた。もう、建物も倒れるんじゃないかと思った。病院の建物は古く手術室は4階にあるので、揺れも大きかった。揺れが一旦おさまった時に、子供たちのことが頭に浮かんだ。

幼稚園は、昨年新築になったばかり。
きっと、倒壊はしていないはず。

でも、怪我とかはしているかもしれない。。。



と、自分に言い聞かせて、仕事をしていた。
手術は、これ以上続けていると、患者さんの生死にかかわるため、手術は途中で止めて、閉腹してもらった。すぐに麻酔から覚まして、安全な場所に避難させた。

全身麻酔中の患者さんは、自分で呼吸をする力がないので、その状態のままで何か事故があると、死んでしまう。麻酔を覚まして、患者さんが自分の力で呼吸できるようになったときに、初めて、安堵の気持ちがした。この間も、余震という言葉では片付けられないくらいの、大きな揺れが何度も来た。

そのとき、震源は宮城県沖と知った。

ここより揺れたところがあったんだ。。。。

と、ほかの多くの人の身を案じた。

そして、幼稚園に向かった。道路が寸断されていたらどうしよう。。。と思いながらも、歩いてでも、子供たちを迎えに行こうと思っていた。
普段は、10分ほどで着くが、50分くらいかかった。でも、道路はつながっていた。
途中、倒れかけている建物や、割れているガラスをたくさん見かけた。
でも、思っていたほどの被害はないように感じた。

道中、主人と連絡が取れ、いわき市で仕事をしていたが、無事だと言っていた。


子供2人の無事を確認できて、本当に安心した。

家に帰る途中、ガソリンだけは満タンにしておこうと思って、ガソリンスタンドに向かった。

災害時でも、給油できる

という看板があったのを思い出して、そこに向かった。
このときは、満タンにできた。


電気もガスも通じていたが、断水していた。

でも、自宅には、予備の飲料水や食べ物はたくさんあったので、先々への不安はあまりなかった。

上の子が生まれたばかりのとき、伊豆に住んできたときに東海地震が来るという仮定で、地震から身を守るための方法は、常に自分の中にあった。

棚が倒れないように、寝室や、リビングには、倒れそうなものは置かない。最低でも1週間分の水と食料は常備しておく。。。

それらが、本当に有効だった。

でも、沿岸部は、津波の被害がひどくて、それどころではなかったのだと思います。


自宅で3人でいるのは心細く、隣のお友達の家で一緒に避難していた。
断水だったが、暖かい部屋にいて、おにぎりが食べれるということが、こんなに幸せなこととは思わなかった。とりあえず、みな無事だった。それで充分だった。


夜中に、主人が帰ってきた。


わたしの実家である、長野県に避難しようと言い出した。


断水はしているものの、なんとか、生活できそうだと思った。仕事も、こういう時こそ、働かなければならないと思っていた。なので、躊躇した。

ここで、いいよ。
そのうち水も出るだろうし、1週間分の水分と食料はあるし、仕事もあるし。。。

でも、主人は譲らなかった。


原発がどうなるかわからない。
もし、何かあってからでは遅い。
そのころには、避難する手段すらないかもしれない。
子供たちだけでも、避難させたほうがよい。

って。

でも、無理だと思った。
長野県までの道中、きちんと道路が通れるとは思えなかった。何時間かかるかもわからない。
月曜日には仕事もある。


でも、押し切られる形で、翌日長野県まで避難した。

実家には、ごくごく普通の日常があった。


日曜日一日実家で休んで、主人は、福島に戻っていった。
私は、どうするべきかとても葛藤した。子供たちだけ、避難させておくか。自分も残るか。。。

上司に連絡が取れて

人は足りている。大丈夫だから。休んでいいよ。

と言ってもらえた。


医者でありながら、こういうときに、休んでいいものなのか。。。
一方、自分は母親でもある。
子供も、大きな地震にあって、恐怖を味わい、やっと、平穏な場所に移動してこれたのに、親と離れてしまうのは、あまりにもかわいそうだった。


今は、実家で、子供たちと過ごしている。


ここへきて、原発の問題で、多くのひとが、福島県を離れている。

先のことは、全くわからない。
4月から小学生になる娘は、普通に通えるんだろうか。。。


そして、寒い中で避難所生活をしている人々、原発がこれ以上被害が出ないように頑張っている現場の人々、病院で働いているみんな、まだ親と会えていない子供たちや、子供たちに会えていない親。。。

元気でありながら、暖かい部屋でのんびりしてしまっていて、ごめんなさい。














お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011年03月18日 09時42分23秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: