モラルを忘れていませんか。自戒も込めて

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2008.12.04
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(10月20日のブログに反貧困大集会のリポートを書きました)


清水書院の『ケインズ』(浅野栄一)を、少し読み進めると、

49~51ページに、ケインズが1930年6月に行った講演、「わが孫たちの経済的可能性」の紹介がされている。

100年後にどういう状況になっているかという趣旨だというので、2030年には
世界経済はこういう状態になっているであろうという予測をされていたということである。

そこには、人間の経済的欲求には2種類あり、「人間が人間として生活していくための
絶対的欲求」と、「仲間に対する優越感を味わおうとするための相対的欲求」であるという。

2030年にあと10年というところにいるが、現在は、相対的欲求を持つ人が、収賄罪や詐欺などで逮捕される報道があったり、絶対的欲求をかなえられない人を作り出すほど、アンバランスな相対的欲求をかもし出してしまっている状態にも思える。


相対的欲求を人は競うことなく、金銭的に満足して非経済的な欲求に身をささげるように
なるだろうと、より良い社会になると予想していたらしい。

「このように人類最大の問題であった経済問題が解決されると、われわれは2000年の長きにわたって人々を悩ませてきたエセ道徳律から解放されることになろう」

「これまで資本蓄積という下での人生の享受と実現のための不可避的手段である貨幣愛とは区別された、蓄財のための貨幣愛は、いまやその地位から引きずりおろされ、半ば犯罪的で
半ば病理的なものとして見られるようになるであろう」

ケインズも、資本主義の必要以上の蓄財は神経症的な病的な潜在的感情を伴う行為だと
見ていたのだろうか。

また、人類は必要以上の強制的な労働から解放されるために、工業技術的なオートメーション
などを発展させてきたのではなかったのだろうか。

ところが現状は、効率に進もうとすると非効率になるという、茂木健一郎さんが「脳と日本人」で語っていたことのようになってしまう。なんらかの不安への反復強迫性を持つ人の
指示が多くの部下を洗脳してしまうからなのだろうか。



「少し経験を積めば、人々は、新たに発見されたこの自然の賜物を、いまの富者とまったく
異なる方法で上手に利用することができるようになるであろう」

夢のような、気持ちの良くなる考えとはこういう考え方ではないだろうか。

その方向に進めば良いのに、それをなぜか抑えてしまう傾向の人たちが経済的に
リードしてしまう構造というのは、精神分析的に語ってくれる人が、マスコミなどに


ケインズは、貨幣愛を利用せざるを得ない時代は100年は続くしかないといわれて
いたというから、あと10年。

ケインズの予言は、しかし詰め将棋のように、あと10年で現状から脱皮して
逆転正解となる可能性だってあるかもしれない。

また、そう思えるようなところが、アメリカンドリームのような映画だって、
奇跡を最後まで信じることに興奮できたのではなかっただろうか。

浅野栄一さんは、ケインズが、経済問題よりももっと大きなもっと持続的な
重要性をもった他の諸問題を犠牲にしてはならぬとその講演で発言した、重要性を
もった他の諸問題とは、ムーアから学んだ、人の心の状態、人間交際の楽しみと美の享受
と書かれていて、

お金という媒介物によって、人類の途中まではその道具で社会を整えていくしかないが、
それが満足するような配分になって行き、それがきれいな空気のように、あるけれど
意識されないくらいに普通に手に入っているような状態の上で、人々は愛や精神性を
高めることになっていくという予想をケインズは語ったのだろうか。

ベーシック・インカムが大いに関係してくる話のように思えてくる。

お金や強制的労働に煩わされることのない自由な段階の社会になるように、
人々は工業技術化を進めていったのではなかったのだろうか。

現在はまったくそうではない方向に見えているのだ。

ある種の人たちの欲望が基本的商品のバリエーションと過剰を生み出し、
寡占、独占して行き、持てる者と持たざる者の格差を生じさせてしまった。

選ばれた才能と努力を持つ人たちが、数億円、数十億円とも言うような年棒の
話題がずっと出てくるが、それを素直に賞賛する時代から、もう一歩進むと
違う反応に多くの人がなっていくのだろうか。

こんなことを書くと正月は冥土の旅の一里塚などと言うような、ひねくれた
ことを書くなよと非難を浴びてしまうかも知れないが、

少数の才能ある人が莫大なお金を得る一方で、多くの持たざる人が生活困難に
なっている対比のほうを感じてしまう人の反応や考え方もあるのではないかと
予想してしまう。

金子みすずの詩のように、浜辺で大漁を喜んでいる人間と、海の中で
仲間の犠牲を悲しんでいる残された魚たちのような対比の感性は、

ひねくれているわけだけではなく、違った視点というところで
なんらかのヒントを提供できないだろうか。

とかく違ったことを言うと批判されたり、ホームレスへの襲撃事件なども
少年が起こしてしまうような報道もあった状況がある。

そういう世の中の状況を生み出してしまう構造の背後を探り、
病理的なイメージすら覚え、治していかなければならないはずが、

日々過ぎてしまっている。

ケインズが、貨幣愛を過渡期のもので、やがて克服されるものであると考えて
いたことに希望を持ちたい。

53ページから、54ページにかけて、

「多くの場合、精神活動としての文明は、ある程度の経済的なゆとりのうえに開花するものでる。貧困は、経済生活のために多大の時間を割くことを必要にし、それ以外の精神活動の
ための余暇時間を与えてくれないからである。ケインズが経済学者として生涯努力してきたのは、この余暇時間を生み出すべく経済生活の向上を達成することであった」

こういうことを考えてくれた先人がいたのだが、なかなかそういう考えを継いで実行できる
人がいないまま日々が過ぎて行く。

人生において何を目標とし、どういう設計図がかける社会を構築していけるか。

ある発信をどう評価し、どう受信し、発信を返すか。

その発信を返した方法以外に、違う発信の仕方はなかったのだろうか。








































































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Last updated  2008.12.04 16:59:05


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