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「サウルの息子」 Saul fia 2015年 ハンガリー映画 監督 ネメシュ・ラースロー 主演 ルーリグ・ゲーザ 珍しいハンガリー映画です。 カンヌ映画祭グランプリ、米アカデミー賞外国語映画賞、ゴールデングローブ外国語映画賞など、多くの映画賞を受賞している作品です。 ハンガリー国籍のユダヤ人サウル(ルーリグ・ゲーザ)は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所でゾンダーコマンドとして、ガス室へ送られた者の衣服を片づけたり、死体を運んだり、働かされていました。 ある日、ガス室から出てきましたが、まだ息がある少年がありました。ユダヤ人囚人医師は、すぐ息の根を止め、解剖するように兵士に命じられます。サウルは、その遺体が自分の子どもだと思い込み、医師に隠しておくように頼み込みます。 サウルは、息子の遺体を、ユダヤ教の作法にのっとって埋葬したいと思い、同僚に持ち掛けられた脱走計画の準備とともに、ラビを探すため、監視の目を盗んでは、収容所内を右往左往します。 冒頭、字幕によって、ゾンダーコマンドについて説明されます。収容されたユダヤ人の中で、処刑にかかわる様々な雑用に従事する者をそう呼んだそうです。ガス室へ送られた者の残していった衣服などの処分、死体の運搬、事後のガス室の掃除、死体の焼却のための石炭の補充・運搬、灰の処分、などなどあらゆる作業に従事させられたようです。待遇は多少優遇されたようですが、秘密保持などのため、数か月たつと、処分されたそうです。 そんなゾンダーコマンドの1人、サウルを追うことにより、ユダヤ人強制収容所の悲惨な実態を描くのがテーマのようですが、映像は、ほぼ全編にわたって、サウルのバストショットです。 特に状況を説明したり、収容所の各場所の様子をきちんと映し出すことがないのですが、ラビを探したり脱走計画の準備をするために、持ち場を離れ、ウロチョロするサウルの周りで、ピントは外れているのですが、様々な状況が映し出されます。 斬新な手法ですが、まるで、自分が収容所の中にいるような臨場感で、画面に引き込まれてしまいます。 この映画、この監督の初長編映画だそうです。ネメシュ・ラースローという名前、覚えておかなければいけませんね。
2017.11.16
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「ヒトラーの審判 アイヒマン、最期の告白」Eichmann 2007年 イギリス・ハンガリー映画 監督 ロバート・ヤング 出演 トーマス・クレッチマン トロイ・ギャリティ フランカ・ポテンテ Gyaoの無料動画で観ました。 アドルフ・アイヒマンは、ナチス親衛隊中佐(最終階級)として、数百万人にもわたるユダヤ人をアウシュヴィッツに送る命令を下した男です。終戦時、一度は連合国軍に捕らえられながらも、身分を偽って逃げだし、アルゼンチンで15年にもわたり潜伏したのち、1960年に、イスラエル諜報機関(モサド)によって捕らえられ、裁判にかけられたのち絞首刑になりました。 イスラエル人のレス警部(トロイ・ギャリティ)と妻のヴェラ(フランカ・ポテンテ)は友人の結婚式に出席していました。そこでアルゼンチンに潜伏していた戦犯アドルフ・アイヒマン(トーマス・クレッチマン)が逮捕されたニュースを聞きます。 アイヒマンの尋問官としてレスが選ばれます。世界中からアイヒマンに関する情報を集めます。その情報をレスがまとめてアイヒマンに自白させることを促すのです。 録音機を部屋にセットしていよいよ尋問が始まります。アイヒマンは至って冷静でした。レスは集めた情報から、ひとつひとつアイヒマンに尋問していきます。 移送担当の責任者だったアイヒマンはホロコーストに関与したのは命令だったからと答えます。彼はヒトラーの命令を忠実にこなしただけで、殺害には関与してないと述べます。レスは他の戦犯の証言から関与していた事を認めさせようと尋問をしていきます。 レス警部がアイヒマンを尋問する映像が物語の本線です。もちろん、それだけでは画面に変化がなく、退屈な映画になってしまいますが、戦時中や潜伏中のアイヒマンの回想(妻や愛人との情事の様子含む)や、獄中の様子、レス警部の家庭の描写など、効果的に挿入され、見ごたえのある100分でした。 この映画が描き出したいテーマは2つあると思いました。 ひとつは、アイヒマンが残虐な殺人鬼ではなく、命令に従っただけの、普通の男に過ぎないということを描き出すことです。 尋問中、彼は「命令に従っただけだ。」を繰り返します。そして、彼が家族と楽しげに過ごす様子、離れている息子たちに手紙を書いている様子などが挿入されます。一方で、戦時中、部下に威圧的に接している様子や、囲っていた愛人(複数個所にいたらしい。)との高圧的な情事(ちょっと官能的です、注意)にふける場面など、彼が権力を手にして如何に増長していたかが映し出されます。 もちろん彼がアウシュヴィッツに送られたユダヤ人たちがどうなるのか知らずに、輸送の手配をしていたはずはなく、自分のしたことにより多くのユダヤ人たちがどうなるか理解はしていたと思います。しかし、彼は、特に深い信念を持っていたわけではなく、命令されただけだからという都合のいい合理化により、思考を停止させていただけの、ただの小男に過ぎないのです。 この映画は、そんな悲しい事実を映し出そうとしているのでは、と思いました。 もうひとつは、イスラエル政府が、ナチスの暴挙に対しすぐに報復に出ることなく、アイヒマンをきちんと尋問し裁判を行っていることにより、「目には目を」というレベルの低い手段には出ていないという大人な対応をしているという点です。 第2次世界大戦の事後処理は、ヨーロッパ戦線はニュルンベルク裁判、極東戦線は東京裁判で、連合国軍の主導できちんと行われました。しかし、それとは違い、直接迫害されていたユダヤ人、つまり、家族や親戚、友人などが理不尽に殺害されていたり、自分自身が収容所で迫害を受けていたりと、生々しい悲惨な体験をしている人々が、尋問をして証拠や自白を確認した上、公正な判断としての裁判を行ったという点で、このアイヒマン裁判は特筆すべきことだと思います。 裁判なんてもどかしいことせずにすぐに処刑しろ、と主張する、復讐心に燃え、感情が抑えきれないイスラエル国民たちの激しいデモが巻き起こり、尋問官であるレス警部や家族が嫌がらせを受ける場面も映し出されます。 しかし、公正な法の下に成り立ってる現代国家において、どんな凶悪犯罪者にも人権はあるという考え方は基本中の基本ですから、どこかの虚栄心の塊な独裁国家や道徳心のかけらもない悪事隠ぺいがまかり通っている未熟な大国とは違って、成熟した国家として国際的に認められたい、新興国イスラエルとしては、きちんとしているんだというところを、内外に宣伝する絶好の機会ととらえていたんでしょうね。 ところで、アイヒマン役のトーマス・クレッチマン(「戦場のピアニスト」の廃墟の中で暮らす主人公のピアニストを陰ながら助けるドイツ人将校をはじめ、ナチスもの映画にドイツ兵として多く出演しています。)の板についたナチス将校ぶりはさすがだと思いました。(苦悩しながらもまじめに尋問に取り組むレス警部はいまいちでしたけどね。) ちなみに、レス警部の奥さんヴェラ役の人は、ジェイソン・ボーンの彼女役の人ですよね。アゴでわかりました。(ザキヤマの娘さんの行く末が心配です。) 邦題に“ヒトラー”と入っていますが、ヒトラーは全く登場しません。(戦時中の回想シーンで、アイヒマンの背後にヒトラーの肖像画が映るのみです。)原題は「Eichmann」です。この日本では、アイヒマンはあまり有名ではないので、そのままだと、ナチスものだとわかってもらえないから、苦肉の策で“ヒトラー”と入れたみたいです。ご注意を。
2017.04.27
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「アメリカン・スナイパー」 American Sniper 2014年 アメリカ映画監督 クリント・イーストウッド出演 ブラッドリー・クーパー シエナ・ミラー 今日は終戦記念日です。で、戦争映画について書かねばと思い、この映画のDVDを借りてきました。イラク戦争に4回も従軍し、160人以上の敵を殺害し、アメリカでは英雄視されているという、実在の米軍狙撃手を描いた作品です。 瓦礫だらけの町を、米海兵隊の戦車が地響きを立てながら随伴歩兵と共に進撃していきます。その後方の建物の屋上ではネイビー・シールズのスナイパーであるクリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)がスナイパーライフルを手に掃討作戦の様子をじっと見守っていました。 そんな中、海兵隊の進路上に不審な親子を発見したカイルは、母親が子どもに手榴弾を手渡すのを確認し、上官に指示を仰ぐがはっきりとした答えが返ってきません。隣の海兵隊員は「間違ったら軍事刑務所行きだぞ」と忠告しますが、カイルは子どもに照準を合わせ、引き金に指をかけます。 銃声と共に時代は遡り、カイルの幼少期へと戻ります。テキサス州に生まれ、厳格な父親に狩猟を教わりながら育ったカイルは、ある時、いじめられていた弟を暴カで守ります。父親から「お前は弱い羊達を守る番犬になれ、狼にはなるな」と教わります。 時は流れ、カウボーイに憧れロデオに明け暮れる青年カイルは、1998年のアメリカ大使館爆破事件をTVで見、海軍に志願します。 30歳という年齢ながら厳しい選抜訓練を突破して特殊部隊シールズに配属され、私生活でもバーで出会ったタヤ(シエナ・ミラー)という女性と交際を始めます。 アメリカ同時多発テロ事件を契機に戦争が始まり、カイルもタヤとの結婚式の場で戦地への派遣が告げられるのでした。 この映画、アメリカで物議をかもしているそうですね、好戦か反戦か。 原作はクリス・カイルの自伝です。父親に「番犬になれ。」と育てられ、狙撃手としてたぐいまれなる才能を発揮して英雄となった男の、自らの人生を誇らしげに描いた物語が原作です。 しかし、あの「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」「グラン・トリノ」を作った、巨匠イーストウッド監督です。 これは、わざとどちらともとれるように描いているんだなと思いました。 でも、やっぱり、イーストウッドです。反戦に決まっています。 冒頭の手榴弾を持つ子どもを撃とうかどうか迷う場面、実はこれはクリスがイラクに派遣されて初めての標的として、後で同じ場面が描かれ、彼は親子ともども狙撃し、味方の部隊を守っています。また後の場面では、自分が狙撃した兵士の迫撃砲を手にした子どもを、スコープを覗きながら、「打つな!、捨てろ!」とつぶやく場面が出てきます。(結果的に子どもは迫撃砲を捨てますので、クリスも観客もホッとします。)こういう場面を印象的に強調していること、アメリカに帰ってきたクリスが、心ここにあらずな感じなのを心配したり、また戦地へ行こうとする夫を必死に止めようとしていたりする妻タヤを何度も描いていること、そして、映画の製作が始まってから起こった事件のため、急きょ脚本を書き換えたという衝撃的な結末(実話なので、知っている人は知っていると思いますが、あえてどんな結末かは秘密にしておきます。)。 これらのことから、やっぱり僕は反戦映画だと思っています。 ということで、イラク戦争を淡々とリアルに描き出した、巨匠の名作を今回は紹介しました。 この色々と物議をかもしている作品をあえて作品賞に選ばなかった米アカデミー協会に賛辞を贈りたいと思います。 ところで、主演のブラッドリー・クーパーって、「ハング・オーバー」で観たときはスマートなイケメンだと思っていたんだけど、見事にマッチョな兵士に変身しています。聞くところによると、18kgも増量したそうですね、この映画のために。すごいですね。
2016.08.15
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「シャンハイ」 Shanghai 2010年 アメリカ・中国映画監督 ミカエル・ハフストローム出演 ジョン・キューザック コン・リー チョウ・ユンファ 渡辺謙 デヴィッド・モース 菊地凛子 上海は、今でこそ超高層ビルが立ち並ぶ、世界随一の近代都市ですが、アヘン戦争以降、ヨーロッパの強豪国が続々と入り込み、昭和初期には、欧米各国(もちろん日本も)が租界を作り、ヨーロッパではナチス・ドイツが覇権を握り、日本軍が中国を侵略し始めたころには、世界各国が暗躍する、最前線の危険地帯でした。 そんな太平洋戦争勃発前夜の上海を、米・中・日のスターを集め、描いた作品です。 1941年10月、米国諜報員ポール・ソームズ(ジョン・キューザック)は、世界各国が睨み合う上海を任務で訪れました。同僚コナーとカジノで落ち合う予定でしたが現れませんでした。代わりに出会ったのは、美しい中国人女性で、コナーとは海軍情報部で遺体として対面することになってしまいました。 アスター大佐(デヴィッド・モース)によると、コナーは日本と繋がりのある裏社会のボス、アンソニー・ランティン(チョウ・ユンファ)について捜査を進めていたということでした。 ソームズは知り合いを頼ってランティンが出席するドイツ領事館のパーティに出席し、日本軍大佐タナカ(渡辺謙)とランティンの妻アンナ(コン・リー)と出会います。このアンナこそ、カジノで出会った女性でした。 コナーの愛人だった日本人女性スミコ(菊池凛子)の存在、タナカが海軍と空軍を掌握する日本軍情報部のトップであること、政治家だったアンナの父親は南京事件を非難し、日本軍に殺され、アンナはランティンと結婚することで、日本軍から逃れていたこと、ソームズは調べを進めていきます。 そしてついに、事件が発生します。反日組織であるレジスタンスが、日本軍人を狙って、クラブのテーブルに爆薬を仕掛けたのです。繰り広げられる激しい銃撃戦の最中、ソームズは、それがアンナの計画であることを見破り、彼女を追いかけます。 親友の後を継いで諜報活動を続けるとともに、その死の謎を追い求めるアメリカ諜報員ソームズ役のジョン・キューザック、上海の中国人裏社会を牛耳りながら、日本軍・ドイツ軍とも渡り合うランティン役のチョウ・ユンファ(「パイレーツ・オブ・カリヴィアン ワールド・エンド」で、シンガポールの海賊の親玉をやっていた人です。)、その妻で夫に隠れ中国人レジスタンスとして暗躍するアンナ役のコン・リー(「ハンニバル・ライジング」で少年ハンニバルを保護するレディ・ムラサキを演じていた人です。「SAYURI」にも出演していました。)、日本軍情報部のトップとして、ソーンズの目的などを探るタナカ大佐を演じる、我が国が誇る国際スター渡辺謙、米・中・日の演技派俳優たちによるなかなか見ごたえのある重厚なサスペンス&恋愛映画ととらえ、戦争前夜の緊迫する国際都市上海の裏社会の雰囲気もよく出ていて、結構楽しんでいたのですが、最後の結末で、「えっ!!???」と思ってしまいました。 確かに、日米開戦(つまり真珠湾攻撃)まであと2か月、時間が足りなかったと言えばそれまでですが、その結末についてネタバレは避けるためにはっきり語ることはやめておきますが、結構拍子抜けの結末でした。 ソーンズは、真珠湾攻撃に気づき阻止しようと暗躍するんじゃなかったのか、上海という最前線に常駐する情報部トップとしてのタナカの立場はそれでよかったのか、ランチョンがドイツ軍や日本軍と渡り合っていたのはいったい何のためか、そんな疑問が続々と湧き起ってきてしまいました。 日本軍が中国に侵略してきたこと、初期段階では日本はかなり優勢で、続々と中国本土を占領していっていたこと、日本軍のハワイ真珠湾への奇襲により日米が開戦していること、日本政府は奇襲の準備をひそかに進めながら、開戦ギリギリまで、アメリカに対し外交努力を続けていたこと、日米開戦とともに、日本軍の上海への進出が始まったこと、上海の各国租界にいた外国人は、日本軍の侵攻をギリギリまで知らず、脱出するために大混乱だったこと、これらは厳然たる事実で、動かしようはないと思いますが、例えば、コナーの後を追って、日本の艦隊が上海から姿を消していることを突き止めたソームズが、真珠湾攻撃を阻止しようと暗躍するが、結局巨大な力に逆らうことはできず、上海の裏路地でむなしく転がるのみ、という結論でもよかったのではないでしょうか。 ということで、なかなか重厚なドラマかと思いきや、結局ただ戦争に翻弄された恋愛ドラマにしか過ぎなかったという、激動な時代を背景にしながらも、なんか拍子抜けな結論でがっかりした映画を今回は紹介しました。 ところで、最後の外国人の脱出に混乱する上海の港、あの中に、両親とはぐれてしまったかわいそうなジェレミー少年がいるんだなあ、と勝手に空想してしまいました。(スピルバーグ監督作「太陽の帝国」参照。)
2013.07.24
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「ライフ・イズ・ビューティフル」 La vita è bella 1997年 イタリア映画監督・脚本・主演 ロベルト・ベニーニ ナチス・ドイツと同盟を結んだムッソリーニ政権下のイタリアでの、ユダヤ人迫害の様子を描いた感動作です。 カンヌ国際映画祭・審査員グランプリ(パルムドールの次の賞)、米アカデミー賞の外国語映画賞・主演男優賞・作曲賞をはじめ、全世界で様々な賞を受賞している作品です。 1937年、イタリアはトスカーナ地方の小さな町アレッツォに、本屋を開く志を抱いてやってきたユダヤ系イタリア人のグイド(ロベルト・ベニーニ)は、美しい小学校教師ドーラと運命的な出会いをします。 グイドは、当座の生活のため叔父ジオの紹介でホテルのボーイになり、なぞなぞに取り憑かれたドイツ人医師レッシングらと交流したりしながら、ドーラの前に常に何度も思いもかけないやり方で登場し、気を引きます。 ドーラは町の役人と婚約していましたが、抜群の機転とおかしさ一杯のグイドに、たちまち心を奪われてしまいます。 ホテルで行われた婚約パーティで、グイドはドーラを大胆にも連れ去り、ふたりは晴れて結ばれ、息子ジョズエにも恵まれ、幸せな日々を過ごします。 しかし、時はムッソリーニによるファシズム政権下、ユダヤ人迫害の嵐は小さなこの町にも吹き荒れ、ある日、ドーラが自分の母親を食事に呼ぶため外に出たすきに、グイドとジョズエは叔父ジオと共に強制収容所に連行されてしまいます。ドーラも迷わず後を追い、自分から収容所行きの列車に乗り込んで行きます。 絶望と死の恐怖たちこめる収容所で、グイドは幼いジョズエをおびえさせまいと必死の嘘をつきます、収容所生活はジョズエがお気に入りの戦車を得るためまでのゲームなのだと。とにかく生き抜いて“得点”を稼げば、戦車がもらえるのだとグイドはことあるごとに吹き込み続けるのです。 やられました。泣けるという評判のこの映画、もちろん警戒して臨んだんですが、しっかり泣いてしまいました。 グイドがいろいろと聞きたがる息子を怖がらせないためにウソをつくたび、父親の話すそのウソを100%信じ、一点の曇りのない純粋なまなざしで、息子ジョズエがうなずくたび、目の奥から液体があふれてきてしまいました。 とりわけ、最後の戦車と出会ったジョズエの感激した顔のアップ、もう、これは反則です。世の中にこれほど純粋な顔があったのかという感じで、その直前に見せられた父親の運命と相まって、涙が止まりませんでした。 この映画、前半は、お調子者で口を開けばウソばかりのグイド(まるでどこかの海賊団のの狙撃手のようですね。見た目もヒョロっとして、チリチリの天パー頭でそっくりです。)が、周囲の迷惑など眼中にない自己中ぶりで、一目ぼれしたドーラと結ばれるまでを面白おかしくコメディタッチで描いているものですから、後半のシリアスな展開とのギャップで涙を誘いますし、息子にウソを突き通すグイドの姿勢にリアリティを与えています。 ということで、とにかく軽い展開の前半に惑わされて油断していると、後半の後半の重い展開につぶされて、涙ダラダラになること必須ですので、十二分に気を付けて鑑賞することをお勧めします、 とにかく、戦争に子ども出されたらイチコロですね、僕は。「太陽の帝国」でも、「縞模様のパジャマの少年」でも、涙ボロボロでした。
2013.07.01
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「世界征服:ロサンゼルス決戦」 Battle : Los Angeles 2011年 アメリカ映画監督 ジョナサン・リーベスマン出演 アーロン・エッカート 公開当時、盛んにTVでCMしていたので、観てみたいと思っていました。例によって、旧作100円になったので、借りてきたのです。 2011年。大量の流星群が地球に接近しているのが発見されます。その流星群は世界各地に降り注ぎます。しかし、これは流星などではなく、これまで地球を監視していたエイリアンの地球侵略だったのです。 その頃、海兵隊のナンツ二等軍曹(アーロン・エッカート)は体力も若い者に抜かれ、今さらデスクワークにつく気もなく、退役を考えていました。しかし退役を考えていたのはそれだけでなく、過去彼の指揮下で作戦を遂行していた際に部下を何人も死なせてしまったことを未だに引きずっていたのです。 ナンツが退役願いを出したちょうどその時、未知の生物の侵略によって街が壊滅になっていることが報道されます。 ナンツは、一時的に服役することにし、ロサンゼルス西警察署に子ども3人を含む民間人が取り残されており、3時間後の空爆の時間までに彼らを救助する任務に就くのです。 やられました。思いっきり戦争礼賛、プロパガンダ映画でした。 世界は米軍が守る。米軍は無敵だ。海兵隊は撤退しない。どんな敵にも米軍は屈しない。そんなメッセージが、そこらじゅうから聞こえてきて、観ている2時間の間中、ムズムズ、イライラ、しっぱなしでした。 だから、少尉がみんなを逃がすために自爆したり、父親を目の前で亡くした少年をナンツが元気づけたり、かつてナンツの部隊にいた兄を亡くしたロケット伍長がナンツと和解したり、ひとりでエイリアンに立ち向かって行こうとするナンツにみんなが無言でついて来ても、感動の場面に全く感動することができませんでした。 だいたいが、どこから飛んできたのかはわかりませんが、遠くの星からこの地球に、宇宙空間を超えてやってくるほどの、高度な文明を持っているエイリアンが、未だ自分の衛星にしか人間を送り込んだことがない、この地球に対して、白兵戦で戦いを挑み、機関銃など通常兵器で簡単に倒されているなんて、おかしいだろう。 地球の都市なんて、どっかのプロパガンダ・スペクタクル映画の宇宙船の様に、一瞬に滅ぼしちゃえよ、と思いました。 もう、明らかに、米軍礼賛のために、少しでも勝てる可能性を残すための白兵戦としか思えません。もう、あきれてものが言えませんでした。 ということで、映像的にはなかなか迫力ある、リアルな戦いの描写で、見ごたえはありましたが、期待して観てしまっただけに、がっかり度も大きかった、SF映画の皮をかぶった戦争映画でした。
2012.10.08
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「Uボート」 Das Boot 1981年 ドイツ映画監督・脚本 ウォルフガンク・ペーターゼン出演 ユンゲル・プロホノフ ヘルベルト・グレーネマイヤー 第2次世界大戦時のドイツ軍の潜水艦、通称“Uボート”を舞台に、極限状態のドラマを描き、名作と絶賛された、戦争映画です。 第二次世界大戦中の1941年秋、ナチス・ドイツの占領下にあったフランス大西洋岸のラ・ロシェル港から、1隻のUボート“U96”が出航しました。彼らに与えられた任務は、大西洋を航行する連合国側の輸送船の撃沈でありました。 報道班員のヴェルナー少尉(ヘルベルト・グレーネマイヤー)はUボートの戦いを取材するため、歴戦の艦長(ユンゲル・プロホノフ)と古参のクルー、若者ばかりの水兵を乗せたU96に乗り込みます。 荒れ狂う北大西洋での孤独な哨戒航行、思いがけず発見した敵船団への攻撃と戦果、深海で息を潜めながら聞く敵駆逐艦のソナー音と爆雷の恐怖、そして目の前に突きつけられた死に行く敵の姿…。 長い戦いに皆が疲れ、クリスマスには帰港できることを願うが、母国から届いた指令はイギリス軍の地中海要衝であるジブラルタル海峡を突破してイタリアに向え、という非情なものでした。中立国スペインのビゴにて偽装商船から補給を受けたU96は絶望的な戦いに赴きます。艦長、ヴェルナー少尉、そして乗組員たちの前には過酷な運命が待ち受けているのです。 とにかくリアル感はハンパないです。 とにかくやたらと狭い船内、厨房にはバナナやウィンナーがぶら下がり、船員のベッドは2段で、交代勤務の相方と兼用、船体が揺れるたびに物が転がり、海図などは机に留めてあり、戦闘時には、列をなして持ち場に向かいます。 潜航時、閉めたばかりの出入り口からは水がこぼれ、敵のソナーの音が聞こえたら全員で声を潜め、深くもぐりすぎたら水圧でボルトが飛び、浸水は水に潜ってでも命がけで留めなければなりません。 船員たちの髭は伸び放題で、水をかぶろうが油がつこうが洗濯や入浴はできないので、はっきり言って、大学の運動部の男子の部室よりも、汚く男臭い世界です。 そんな中、艦長がいいですね。常に熱く、毅然とした態度で、情も厚い、どんな危機に陥っても動揺することなく的確な指示を素早く出す、まさに男の中の男という感じです。 そんな艦長を中心に、男たちのドラマが展開されていくわけですが、特に、機関士のヨハンのドラマが非常に印象的です。 敵駆逐艦の爆雷攻撃で、危機に陥り、水深200数十mまでもぐったところ、水圧に耐えきれず(どうやら水深200mが限界の様です。)、ボルトが飛び始めた時、ベテラン機関士であるはずのヨハンが、持ち場を離れ、錯乱してしまいます。 艦長命令にも、泣き叫ぶばかりで戻ろうとしません。カッとなった艦長が、拳銃を取り出そうとした時、周りの他の士官たちが無理やりヨハンを連れて行きます。 一段落した後、ヨハンが艦長に謝罪に来るわけですが、特に失態を責めるわけでもなく、優しくなだめる感じでした。 その後、ジブラルタル海峡の突破に挑んだとき、敵の激しい集中攻撃にあい、船は深度計が振り切るほど(目盛は260mまでしかなく、実際の深度は分かりません。)深く沈み、激しく浸水し、エンジンは故障して動けなくなります。 その絶体絶命の危機に際し、ヨハンは船底にたまった水の中に深くもぐり、浸水を食い止める作業を、命がけで行いました。 全身びしょ濡れのヨハンが、もう死にそうな顔で艦長に「浸水、止まりました。」と報告に来たときは、思わず涙が止まりませんでした。 そんな熱い男のドラマを観せられて、彼らが、多くの戦争映画で悪役となっているナチス・ドイツの一員であることを忘れ、いつの間にか艦長やヴェルナー少尉に感情移入して観入ってしまいますが、ラストに、あっと驚くドンデン返しを観せられ、戦争のむなしさを味わうことになります。(どんなラストかは、ネタバレになりますので、語らないでおきます。) かっこいい男のドラマを味わうことができ、ラストにはちゃんと反戦メッセージを訴えている、戦争映画の名作を、今回は紹介しました。
2012.09.03
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「シンドラーのリスト」 Schindler’s List 1993年 アメリカ映画監督 スティーヴン・スピルバーグ出演 リーアム・ニーソン ベン・キングズレー レイフ・ファインズ 終戦記念日の今日にふさわしい映画は何かな、と考えたら、この第2次世界大戦でのナチスのホロコーストをリアルに描き、米アカデミー賞作品賞を当然のごとく受賞したこの大名作のことを、まだ書いていなかったことを思い出しました。 ということで、自身もユダヤ人であるスピルバーグ監督が、10年近くも構想を練り、満を持して映画化した大作、自らの私財を投げ打って、1000人以上のユダヤ人を救ったドイツ人、オスカー・シンドラーの実話を描いた感動作を、今回はお送りします。 1939年9月、ドイツ軍によりポーランドが占領され、ポーランドの都市クラクフもドイツ軍の占領下に置かれました。ユダヤ人を激しく蔑視するナチス党独裁下のドイツ軍はクラクフ在住のユダヤ人に移住を強制し、彼らをクラクフ・ゲットーの中へ追放していていました。 そんな中、ナチス党の党員でもあるドイツ人実業家オスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)は、クラクフの町で戦争を利用してひと儲けすることを目論み、潰れた工場を買い取ってホーロー容器工場の経営を始めます。 シンドラーは、有能なユダヤ人会計士イザック・シュターン(ベン・キングスレー)に工場の経営を任せ、安価な労働力としてゲットーのユダヤ人を雇い入れ、また持ち前の社交性でSSの将校に取り入って自らの事業を拡大させていきます。 しかし、やがて残虐なSS将校アーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)がクラクフ・プワシュフ強制収容所の所長としてクラクフに赴任してきます。ゲートとその部下のSS隊員達は、ゲットーや収容所においてユダヤ人を次々と殺戮していきます。シュターン初め、シンドラーの工場で働くユダヤ人たちにも危機が迫る中、金儲けにしか関心がなかったシンドラーの心境に変化が生じ、そして彼はあるリストの作成を決意するのです。 はじめ、戦争という金もうけのチャンスに乗じ、安い労働力として、ナチス・ドイツから虐げられているユダヤ人を雇い、持ち前の社交力(経済力?)でナチスの将校たちに取り入り、金儲けばかりを考えていたオスカー・シンドラーは、ゲットーの閉鎖により、強制的に駆り立てられるユダヤ人たちの姿を目の当たりにし、気持ちが変わっていきます。 初めて観たときには、最初ナチスの将校たちのご機嫌をとりながら、事業を始めようとしているシンドラーの姿が非常にお調子者に見え、それがどう心変わりし、最後の場面で、「この車を売ればもう10人助けられた、このバッジであと2人助けられた。」と嘆くところまで、どう気持ちが変わっていくのかが、よくわかりませんでした。 しかし、今回このブログ記事を書くために、また観返してみましたが、ゲットーの閉鎖により、捕まえられたり、抵抗したために殺されたりといった悲惨なユダヤ人たちの描写と平行して、少し離れた丘の上からその様子から目が離せないシンドラーの姿が映し出されます。 いつしかシンドラーの目は、当時の雰囲気を出したいがための白黒映像の中に、パートカラーで色づけられた、ユダヤ人たちを追いたてるナチス兵から逃げ惑う小さな少女の赤いコートを追っていることに気がつきました。というか、シンドラーの視線であることに気がつくためのパートカラーだったんですね。 その後、シンドラーの工場で働くユダヤ人たちは、ゲットーから収容所に移り、そこに赴任してきたアーモン・ゲート所長の、まるでどこかの悪の魔法使い“名前を言えないあの人”のような(笑)、気まぐれでユダヤ人を虐殺していくという所業と、酒と女を用意してパーティを催したり、贈り物をしたりながら、それをなだめるシンドラーという図式で話は進んでいきます。 そして、収容所が閉鎖されることになり、ユダヤ人のすべての死体を焼却するように命令が下り、わざわざ土葬した死体までも掘り返し燃やすという意味が分からない描写の中、シンドラーは、運ばれてきた死体の中に、あの真っ赤なコートを見つけ、呆然とするのです。 それからのシンドラーの行動は積極的でした。収容所が閉鎖されるため、あの悪名高きアウシュヴィッツに送られるというユダヤ人の中から、自分の新しい工場で働く人員を確保するため、というか、できるだけ多くのユダヤ人を救うため、ひとりいくらで彼らを買うという形で、ゲート所長に大金を払い、あの“シンドラーのリスト”を作るのです。 専用列車で移動してきた自分のユダヤ人たちを出迎え、リストに名があるにもかかわらず間違ってアウシュヴィッツに行ってしまった女性たちを、えらい人になけなしの宝石を贈って(やはり最後まで使うのは金の力です。伝説のジェダイだからといって、“フォース”を使う場面はありません。)取り戻し、新しい工場では、ナチス兵たちは立ち入り禁止にし、わざと検査に合格しない爆弾のケースなどを作り続けるのです。 そして、最後の場面につながっていくのです。 今回、あらためて観直してみて、最後のシンドラーの演説、そして工場のユダヤ人たちがシンドラーへのお礼ということで、仲間の金歯から指輪を作る場面で、思わずウルウルしてきてしまいました。 やっぱりアカデミー賞作品賞にふさわしい、素晴らしい映画です。 上映時間が長いですし、重い内容ですし、人が死ぬ場面や死体が大量に転がっている場面もありますので、観るのにはたいへんな覚悟がいるかと思いますが、やっぱり歴史に残る名画ですので、人生1度は見るべき映画です。
2012.08.15
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「戦場カメラマン 真実の証明」 Triage 2009年 アイルランド・スペイン・ベルギー・フランス映画 監督 ダニス・タノヴィッチ出演 コリン・ファレル パス・ベガ ケリー・ライリー クリストファー・リー ジェイミー・シーヴェス ブランコ・ジュリッチ かつて、「ノー・マンズ・ランド」という、コメディタッチだが、恐ろしい戦場の真実を映し出し、米アカデミー賞外国語映画賞を受賞している映画を紹介しました。 そのダニス・タノヴィッチ監督の最新作です。 1988年、中東に広がるクルド人の居住地、クルディスタン。イラク軍による攻撃が絶え間なく続くその地へ、戦場カメラマンのマーク(コリン・ファレル)は友人のデビッド(ジェイミー・シーヴェス)と共に向かいました。 クルド人によるイラク部隊への急襲を撮影したマークは、さらに危険な戦地に赴き撮影を続けようとする。だが、身重の妻(ケリー・ライリー)を残してきたデビッドは帰国を望み、マークと離れ離れになります。 その後、重傷により意識不明で発見されたマークは、現地の治療所で手当てを受けた後、愛する妻エレナ(パス・ベガ)の元へ帰ってきました。だが、マークよりも先に帰国しているはずのデビッドは、まだ妻の元へ戻っていませんでした。 クルディスタンは、トルコ・イラン・イラク・シリア・アルメニアにまたがる古代からクルド人が居住している地域のことを言います。 この日本ではあまり知られていませんが、クルド人は、古代ローマの昔から、他民族の迫害を受け続けている民族で、未だ自分たちの国を持てていません。 この映画が映し出している当時は、イラクのサダム・フセイン政権からの独立のため、激しい戦いをしていた時期に当たります。 マークはクルド人のキャンプを拠点として活動していました。そのキャンプには、毎日のように重傷を負った兵士が運ばれてきます。クルド人のタンザニ医師(ブランコ・ジュリッチ)は、運ばれてきた兵士を診断し、治療の施しようのない者は、自らの銃で安楽死させていました。薬や設備の乏しいキャンプでは、どうしようもないのです。 タンザニ医師は、慣れているのか、非常に冷静に患者たちの状況を診断し、その胸に、色紙の短冊を置いていきます。 タンザニに青い短冊を置かれた患者は、テントの外に運ばれ、一列に並べられます。医師は自ら銃を手に持ち、並べられた患者たちひとりひとりを撃っていくのです。 また、重傷を負って、キャンプに戻ってきたマークは、タンザニ医師の診断を受け、短冊を選ぶ医師の手元を、非常に心配そうに見つめています。そして、青ではなく黄色の短冊を胸の上に置かれ、安堵の表情を見せます。 そんな描写が、非常に印象的に描かれています。 やっとのことで帰国したマークですが、なぜ怪我をしたのか、デビッドはどうしたのか、その多くを語ろうとはしません。その態度から、何か隠し事をしていることは誰の目にも明らかです。その辺の演技、コリン・ファレルは実に見事です。 そして、自宅で再び倒れたマークは、後頭部から爆弾の破片が摘出され、外傷の方は徐々に良くなるが、精神的なところが重傷だと告げられます。 これは何かあると踏んだ妻エレナは、かつて母国スペインのフランコ政権の戦犯をカウンセリングし、社会復帰させたため嫌っていた、精神科医の祖父モラレス(クリストファー・リー)に、夫のカウンセリングを依頼します。 モラレスは、マークをカウンセリングし、戦場で体験した様々な出来事を告白させ、回想として映し出されていきます。 そして、マークは最後にデビッドのことについて、涙ながらに語りだすのです。 マークが、デビッドの行方について、実は知っているのであろうことは、僕も気がついていました。そして、それを告白することで、精神的に開放され、エンディングなんだなと思っていました。 前半に、クルド人のキャンプで患者を短冊によって分類し、手の施しようがないものを安楽死させていくタンザニ医師の描写が、あまりにも印象的に語られているので、デビッドは、手の施しようのない重傷を負い、タンザニ医師、もしくはマーク自身の手で安楽死させたのだと思っていました。 ところが、ここでは詳しく述べることはやめておきますが、全く違いました。 デビッドがなぜ帰国しないのか、確かにマークは知っていました。しかしそれは、タンザニ医師、あるいはマークの手で安楽死させたわけではなく、モラレスのカウンセリングで語らされ、回想として映し出されてきた、マークの苦い体験談とも全く関係がないことでした。 あれ、それでいいのか、と、ちょっと拍子抜けでした。 確かに、デビッドの行方については、非常にショッキングな内容で、マークが語りたがらないのもわかりますが、お話としてそれでいいのか、と思ってしまいました。 戦場の悲惨さを語り、戦場カメラマンの危険性を語り、その後の精神的ダメージの大きさを語り、非常にショッキングな内容で、反戦メッセージは充分な映画ですが、ストーリー的に?が残った作品でした。 しかし、この邦題は、よくわかりませんね。確かに最後に真実が明らかになり、マークが開放されるという内容なのですが、“証明”はされてないだろう、マークが言っただけだから。“真実の告白”ならわかりますが。 “戦場カメラマン”だけだと、髭面で異常に丁寧に話す、あの戦場カメラマン(すっかりTVで見なくなりましたね。)の話と誤解されてしまうかもしれないので、副題を付けたということなのでしょうが、副題を付けた映画会社の人の国語力を疑う題名ですね。
2012.07.15
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「ディア・ハンター」 The Deer Hunter 1978年 アメリカ映画監督 マイケル・チミノ出演 ロバート・デ・ニーロ クリストファー・ウォーケン ジョン・サヴェージ メリル・ストリープ アメリカの片田舎で、青春を謳歌していた若者たちが、ベトナム戦争で傷ついていく様を描いた、米アカデミー作品賞受賞の、名作です。 確か、僕がまだ十代のころ観て、怖くて、夜中にふと思い出して、震えていた思い出があります。何が怖かったって、クリストファー・ウォーケンの目が怖かったんです。今でも時々思い出してしまいます。はっきり言って、トラウマです。 アメリカ・ペンシルバニア州のロシア系移民の町クレイトンの製鉄所で働く若者たちの物語です。 マイケル(ロバート・デ・ニーロ)・ニック(クリストファー・ウォーケン)・スティーブン(ジョン・サヴェージ)のベトナムへの壮行会と、スティーブンとアンジェラの結婚式を兼ねたパーティの模様から始まります。 みんな羽目を外して騒ぐ中、ニックはリンダ(メリル・ストリープ)にプロポーズをします。そんな2人を見て、リンダに密かに思いを抱いていたマイケルは、その思いを心の奥底にしまいこみます。 翌日は朝から鹿狩りです。マイケル・ニック・スティーブン・スタン・アクセルの5人は、まだ雪の残る山へ出かけていきました。マイケルが見事なオス鹿を仕留めて帰ってきました。そんな中でニックは、マイケルに、「どんなことがあっても、連れて帰って来てくれ。」と頼むのでした。 ベトナムのジャングルの中の川の上のベトコンの小屋で、3人は再会します。捕虜として。その小屋では、捕虜たちにロシアンルーレットを強要してベトコンたちが楽しんでいました。 6連発の銃に1発だけ弾を入れ、向かい合わせに座った捕虜2人に、順番に自分の頭を打たせるのです。それを見たスティーブンはもう発狂寸前です。 マイケルとニックがやらされる番になり、マイケルは覚悟を決め、引き金を引きますが、ニックはなかなか引くことができません。ベトコンに怒鳴られ、マイケルに励まされ、死ぬ思いで、引き金を引くニック。次はマイケルの番ですが、彼は何を思ったか、ベトコンに弾を3発にするように提案します。弾が3発入った銃を渡されたマイケルは、自分の頭を打つふりをして、スキを見て、ベトコンたちを撃ち倒しました。 そんなマイケルの機転で脱出できた3人ですが、救出される中で、またバラバラになってしまいました。 2年後、マイケルはひとりでクレイトンに帰ってきました。2人の消息を聞いてみると、ニックは行方不明、スティーブンは帰還したが、どこにいるかわからないということでした。ベトナムで地獄を見たマイケルは、帰郷の喜びを素直に受け取れませんでした。スタン・アクセルと3人で鹿狩りにも出かけますが、大きな鹿を目の前にして、どうしても引き金を引くことができませんでした。 スティーブンが復員兵専門の病院にいるということを伝え聞いたマイケルは、彼のもとに向かいました。スティーブンは両足を失い、心も病んでいました。 何とかスティーブンを説得して連れ帰ることに成功したマイケルは、スティーブンの元にサイゴンから差出人不明の送金があることを聞き、ニックに違いないと思い、彼を探しに、再びベトナムへ向かいました。 この後、マイケルはニックと再会することに成功しますが、何があったのかは、はっきり言って、怖すぎて書くことができません。とにかく、悲劇的な結末に終わります。 この映画、ベトナム人について、あまりにも描き方が一方的で、ひどすぎるという批判がされています。確かに、捕虜を相手にロシアンルーレットで遊んでいるというのは、あまりにも現実的ではありませんし、実際にあったということは確認されていません。 しかし、あまりにも悲惨を極めた戦争で、実際、ベトナムで精神を病んで帰ってきた若者たちはたくさんいたようです。それに近いようなことはあったはずです。 とにかく監督は、ベトナム戦争により、人生を狂わされてしまった若者たちの悲惨さを描きたかったわけで、その内容は何でもよかったのです。 ニックもスティーブンも、そして無事に帰ってきたマイケルも、ベトナム戦争によって人生が大きく変わってしまいました。同じくベトナム帰還兵を描いている「ランボー」や「タクシードライバー」「7月4日に生まれて」と同様でしょう。 前半ののどかな田舎町クレイトンの描写や結婚式の様子、雄大な山の中で優雅に鹿狩りする様子など、戦争がテーマの作品にしては長すぎるという批判もありますが、彼らの普段の生活の様子がこうして描かれているからこそ、後半の悲劇がまた浮き立ってくるので、よりテーマがわかりやすいのではないでしょうか。よく考えられた作品だと思います。 この映画、主役のマイケル役のロバート・デ・ニーロや、リンダ役のメリル・ストリープもいいですが、やっぱり1番存在感あるのは、ニック役のクリストファー・ウォーケンです。 見た目はクールな感じのイケメンですが、実は気が弱く心優しい青年で、ベトコンの前ではロシアンルーレットを強要されて泣き叫んでいた男が、サイゴン陥落の直前の裏町で、異様な光を放つ狂気の目を見せるようになるまでを、見事に演じています。そう、十代の気の弱い少年のトラウマになるくらい。米アカデミー賞の助演男優賞受賞は当然です。 クリストファー・ウォーケンは、出演作はあまり選ばない方のようで、本当に多くの作品に、主に脇役として出演しています。(珍しく主演を張った、この映画と同じくマイケル・チミノ監督の「天国の門」は、歴史的な大コケをしていますが、彼のせいではありません。) 最近では、レオナルド・ディカプリオが有名な詐欺師の役をやり、トム・ハンクスの刑事と対決する「キャッチ・ミー・イフ・ユウ・キャン」で、主人公の、ちょっと変わった父親を好演し、再び米アカデミー助演男優賞にノミネートされています。(受賞はせず。) また、「007美しき獲物たち」では、初めて007シリーズの悪役を演じたアカデミー賞俳優となっています。 そんな若者たちの青春を奪ったベトナム戦争を批判する反戦映画として、題材はあまりにもショッキングですが、映画史に残る1本であることは間違いありません。少なくとも、ベトナムに全く関係のない日本人のトラウマになっているぐらいですから。
2012.03.12
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「7月4日に生まれて」 Born on the Forth of Jury 1989年 アメリカ映画監督 オリバー・ストーン出演 トム・クルーズ ウィレム・デフォー オリバー・ストーン監督が「プラトーン」に続いて、ベトナム戦争を描き、米アカデミー賞の監督賞を受賞した作品です。ロン・コーヴィックというベトナム帰還兵の自伝的小説を映画化したものです。 ロン(トム・クルーズ)は、アメリカ独立記念日7月4日に生まれ、強い愛国心を抱いて成長します。高校卒業後、自ら志願して海兵隊に入隊し、ベトナム戦争に従軍します。 ベトナムでの戦闘は熾烈でした。ロンは、軍曹として部下を従え、あるベトナム人の村を襲撃しますが、ベトコンだと思って殺した村人は民間人で、ショックを受けているところに、ベトコンの襲撃を受け、混乱したロンは、敵と間違えて、部下のウィルソンを打ち殺してしまいます。ロン自身も、銃弾を受け、下半身不随になってしまいます。 ベトナムの病院では、ひどい扱いを受け、絶望感を募らせます。 故郷に帰還すると、家族からは歓迎されますが、世間は冷たい目で見るばかりでした。ロンがベトナムに行っているうちに、世論は完全に反戦ムードになっていたのです。 自暴自棄になったロンは、酒におぼれ、暴力をふるったり、暴言を吐いたりするようになってしまいます。 静養のため渡ったメキシコでも、ロンは自堕落な生活を送っていましたが、そこで知り合った、同じくベトナム帰還兵で、車いす生活のチャ-リー(ウィレム・デフォー)の厳しい言葉で、目を覚まします。 帰国したロンは、まず誤って殺してしまった部下のウィルソンの両親を訪ねます。ウィルソンの両親の優しい慰めの言葉に元気づけられたロンは、反戦運動家として、立ち上がるのです。 ロンの書いた同名の自伝的小説は、アメリカで売れたのかもしれませんが、はっきり言って、僕は、この主人公に、まったく感情移入できませんでした。 まず、根本的に、アメリカ独立記念日7月4日に生まれたということが、どれほど特別視できるものか、アメリカ人でない僕には、まったく実感できないということです。 ことあるごとに、7月4日に生まれたということを強調され、愛国心を叩き込まれて大きくなってきたロンですが、その特別性が、まったく理解できないのです。 アメリカ合衆国という国は、まだその歴史が浅く、今から数世代前の移民が、イギリスの支配から、自らの手で独立を勝ち取り、原住民(かつてはインディアン、今ではネイティヴ・アメリカンと呼ばれています。)を、追い払い、自ら開拓し、建国してきたという思いがあり、国民たちはみな、強い愛国心を持っているのでしょうか。 その辺、もう何千年も前からこの地に住み、いつの間にか国が出来上がって来ていた、我々日本人とは、根本的に、国に対する思いが違うのでしょう。(もちろん、日本人にも、強い愛国心を持っている人はいますが。) われわれ、日本人の感覚としては、建国記念の日(昔は紀元節といったそうですが。)2月11日に生まれたからと言って、「毎年、誕生日が休みだからいいねえ。」という人はいると思いますが、我が国の申し子というような思いは全く持たないでしょう。(いたらごめんなさい。) だから、題名に掲げるほど、独立記念日に生まれたことが特別視されるという感覚が、理解できないのです。 また、世間知らずのおぼっちゃんが、戦争というものがどんなものか深く考えずに、その愛国心から自ら進んで戦場に赴き、戦場の悲惨さ、世間の冷たさから、酒におぼれ、暴れ、自暴自棄になり、まったく見ていられませんでした。はっきり言って、自業自得と、思ってしまいました。 その後、反戦活動家となっていくのですが、それまでの、わがままぶりが印象に残っており、いまさら、何やってんだよ、という思いしか生まれませんでした。 あの当時としては、当たり前なのかもしれませんが、どう考えても似合わないロン毛と、口ひげ姿に、非常に違和感を覚えたせいかもしれませんが。 ベトナム反戦映画としては、戦場の悲惨さは「プラトーン」や「フルメタル・ジャケット」や「ディア・ハンター」の中盤のほうが生々しいですし、戦争から生まれる異常さということになると、「地獄の黙示録」や「ディア・ハンター」の後半、「タクシードライバー」のほうがショッキングです。 ベトナム反戦映画の1つとして、名作に数えられる映画の1つなのかもしれませんが、僕は、今一つ、感情移入することができない、残念な映画でした。
2012.03.07
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「硫黄島からの手紙」 Letters from Iwo Jima 2006年 アメリカ映画監督 クリント・イーストウッド出演 渡辺謙 二宮和也 伊原剛志 加瀬亮 中村獅童 前回に引き続き、今回はこの映画を取り上げねばならないでしょう。巨匠クリント・イーストウッド監督による硫黄島プロジェクトの第2弾、日本側から硫黄島の戦いを描いた作品です。 アメリカ初といわれる、全編ほぼ日本語で、主要キャストはすべて日本人(一部日系人、中国系)の作品ですが、米アカデミー賞では、外国語映画賞ではなく、作品賞にノミネートされました。(惜しくも受賞はならず。ノミネートされた4部門のうち受賞は音響効果賞のみ。前評判では、渡辺健の主演男優賞、二宮和也の助演男優賞のノミネートがありうるという話でしたが、残念ながら、ありませんでした。) 西郷一等兵(二宮和也)は、硫黄島の海岸で、塹壕となる穴を掘っていました。ふと見上げると、一機の輸送機がやって来るのが見えました。この硫黄島基地の新しい司令官となる栗林中将(渡辺謙)を乗せた輸送機でした。 着任早々、栗林中将は、1000名あまりいる島民を島外へ避難させ、従来の水際防衛線となる海岸の塹壕掘り、体罰による制裁をやめさせます。 サイパンやレイテ島などの日本軍の前線基地が次々と陥落し、この硫黄島が最終防衛ラインであり、ここを失えば日本本土や沖縄などへ、米軍の直接攻撃ができるようになることは分かっていました。そして、連合艦隊は壊滅状態にあり、栗林は、いかにこの硫黄島で、最後の抵抗を見せるかを考え、島の地形を調べていました。 栗林中将は、島中に洞窟を掘り、地中の基地を建設することを、兵士たちに命じます。かつてのオリンピック馬術競技の金メダリストで、栗林と同じくアメリカで暮らしたことがある西中佐(伊原剛志)は、彼の進歩的な作戦を理解しましたが、伊藤中尉(中村獅童)ら、以前からこの基地で指揮をとっている士官たちには理解することができませんでした。 一方、西郷たちは、突然内地の憲兵隊から移動してきた、清水上等兵(加瀬亮)を、自分たちの監視に来たのではないかと警戒しながらも、毎日洞窟を掘る作業を続けていました。そんな中、サイパンを米軍の艦隊が出立したとの知らせが届きます。 栗林は、洞窟の基地全体に通じる放送を使って、すべての兵士に告げます。「二度と生きて祖国の土を踏めぬものと、覚悟せよ。」 1945年2月、1カ月余りにも及ぶ“硫黄島の戦い”が始まりました。 この時、硫黄島には、約22,000名の日本兵がおり、約20,000名が戦死し、1,000名が負傷したそうです。米軍は、約6,800名が戦死、約22,000名が負傷しています。当時の勢い、そして軍備の違いなどを考えると、いかに日本軍の硫黄島部隊の抵抗が大きかったかがわかります。 渡辺謙の演じた栗林忠道中将は、実在の人物で、アメリカ駐在経験があり、非常にアメリカ的な合理的思考ができる人でした。連合艦隊は壊滅し、戦闘機も全くないという絶望的な状態の中、1カ月余もの間、抵抗を続けることができたのは、彼の指揮あってのものと言われています。 しかし、この映画は、その栗林中将の英雄的活躍を描いているわけではありません。確かに、体罰を受けている西郷たちを助けたり、画期的作戦を指示したり、戦意を奮い立たせるような演説をしたりと、そのカリスマ性を高める描写もありますが、それよりも、副官と2人で島の中を見て回るなど、どう作戦を立てるべきか、考えている姿のほうが印象に残ります。そして、夜ひとりになると、遠く本土で暮らす子どもたちに向けて、手紙を書く姿がたびたび描かれています。 その手紙の内容は、どう考えても、八方ふさがりの硫黄島基地の状況ではなく、軍のエリートとして行った、アメリカ駐在時代の楽しかった思い出を回想し、イラスト付きで、ひとことひとこと子どもに語りかけるような文体で語られていきます。 そうです、このお話は、題名にもある通り、手紙が1つのキーポイントとして、作られているのです。 冒頭、現代の硫黄島の洞窟から、1つの袋が掘り出されるところから始まり、先程の栗林の描写をはじめ、西郷や清水が手紙を書いたり、読んだりしている描写が、たびたび出てきます。それは、もちろん、本土で暮らす家族との手紙です。実は届かないであろう、その手紙は、1つにまとめられ、洞窟の中に大切に埋められたのです。 また、西中佐が捕まえて話をする負傷米兵は、翌朝、母親からの手紙を手に、息絶えていました。その手紙を訳して読む西。その内容は、日本人と同じように、わが子の無事を祈る母のものでした。それを聞いた兵士たちは、子どものころから鬼畜米英と教えられてきたことと違い、彼らも同じ人間なんだと思います。 彼らの手紙を通して、ひとりひとりの兵士たちの生活や命を思い起こさせ、双方の兵士たちが、バタバタと死んでいく(中にはもうだめだと追い詰められ、手榴弾で自決する日本兵の描写もあり)、生々しい戦闘シーンとの対比により、戦争と個人の命について考えさせるのが、テーマなのではないでしょうか。 そう考えると、前回の「父親たちの星条旗」との2部作の意味が分かってきます。 国家の目的のためには、個人個人の命など、二の次にされてしまう、戦争という行為の恐ろしさ、愚かさを、日本・アメリカ双方の視点から描きだしたイーストウッド監督の、見事な作品です。 ところで、この映画、西郷役の二宮和也、ジャニーズのアイドルグループ「嵐」のニノですが、いいですよ。前々から、彼の演技力には定評がありましたが、初めてのハリウッド映画の出演に臆することなく、存分に実力を発揮しています。特に、最後のほうの、表情の無い真顔のアップですが、目から一筋の涙が流れるところなど秀逸です。やっぱり、アカデミー賞にノミネートしてほしかったですね。そうすれば、菊池凛子さんとのダブル受賞の夢が見れたのに。
2012.02.28
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「父親たちの星条旗」 Flags of Our Fathers 2006年 アメリカ映画監督 クリント・イーストウッド出演 ライアン・フィリップ ジェシー・ブラッドフォード アダム・ビーチ 今やアメリカ映画界の巨匠となったクリント・イーストウッド監督が、太平洋戦争の激戦、硫黄島の戦いを、日米双方の視点から描くという意欲的2部作の第1弾、アメリカ側から描かれた作品です。 硫黄島は、小笠原諸島のほぼ最南端に位置する火山島で、東京からほぼ真南で、父島から300km、東京、沖縄本島、グァム島のいずれからも約1200kmに位置する孤島です。硫黄のにおいがすごく、硫黄の採取が島の重要な産業になっていることから、この名前が付けられたといわれています。 明治時代に、日本人が入植して以来、日本の領土で、戦前には、約1000人の島民が暮らしていました。 太平洋戦争がはじまり、日本の最前線基地として整備されていました。 現在は、他の小笠原諸島と同じく、住所的には東京都に属していますが、一般の住民は住んでいません。島全体が自衛隊の基地となっています。 みなさんご存知の通り、太平洋戦争で戦っていた我が日本と、アメリカ合衆国は、広大な太平洋を挟んでおり、当時の飛行機では、直接行き来できませんでした。ところが、この硫黄島がアメリカのものになると、ハワイやグァムと、この島を経由して、直接日本にアメリカの飛行機が飛んでくることが可能になるのです。実際、この硫黄島の戦いで、日本軍が敗れて以降、日本の本土にアメリカのB29爆撃機による空襲が可能になり、あの東京大空襲や、広島・長崎の原爆投下が行われることとなったのです。 この硫黄島で激戦があった1945年2月、日本軍の意外な抵抗で苦戦していたアメリカ軍ですが、戦況がアメリカの勝利にやっと傾いてきたころ、島の最高峰擂鉢山(すりばちやま)山頂(海抜約170m)に、星条旗が掲げられました。 ちょうど居合わせた従軍カメラマンによって、その写真が撮られ、アメリカの新聞のトップを飾りました。 それを見た米軍の上層部は、長引く戦争に嫌気がさし、戦争に対する世論が下がって来ていた状況を打開し、国民の戦意を高揚させ、今後の戦費を捻出するための国債を買ってもらうキャンペーンに利用することを思いつきます。 そのため、この星条旗を掲げる写真に写っている若い兵士たちを帰国させ、全米をキャンペーンすることになります。 その、写真に写っていた6人の兵士のうちの生き残り3人が、キャンペーンに駆り出される様子を描いた、3人のうちのひとり“ドク”の息子が書いた「硫黄島の星条旗」という本が、この映画の原作です。 海軍の衛生兵、通称“ドク”ことジョン・ブラッドリー(ライアン・フィリップ)、海兵隊員のレイニー・ギャグノン(ジェシー・ブラッドフォード)、インディアン出身の海兵隊員アイラ・ヘイズ(アダム・ビーチ)ら、若い兵士たちは、これから向かうところがどんなところか知らされず、岩山を登る訓練をさせられていました。 やがて訓練も終わり、部隊は輸送艦である島に向かいました。島に着くと、戦艦や爆撃機が、島に爆弾の雨を降らせていました。その爆撃が数日間続いた後、輸送艦が島につけられ、ドクたちは上陸しました。 上陸してみると、島には建物や木はほとんどなく、あるのは岩山だけでした。すんなり上陸した部隊は、山に向かって進軍していきます。敵の姿は全く見られません。山の中腹に差し掛かったあたりで、突然山から銃撃され、兵士は次々と倒れていきます。日本軍は、山の中に作られた洞穴の基地に潜んでいたのです。ドクは銃弾に倒れた仲間の、「衛生兵!」という叫びに、次々と対応しなければなりませんでした。 思わぬ反撃を食らった上陸米軍は、苦戦しながらも、擂鉢山の頂上にたどり着き、小さな星条旗を掲げることに成功します。その旗を見た上官は、レイニーにより大きな星条旗を渡し、「あの旗が欲しいからこれと取り換えて来い。」と命令します。 なんで、と思いながらもレイニーは頂上へ上がり、ドクやアイラとともに、小さい旗を降ろし、再び星条旗を掲げます。その時、ちょうど居合わせたカメラマンによって、のちにアメリカ中で話題になる写真が撮られました。 しかし、戦闘はまだ続いており、未だ山の中に潜んでいる日本兵により、2回目の旗を掲げた6人の仲間のうち、3人は命を落としてしまうのです。 アメリカ本土では、この山の上に掲げられた星条旗の写真が新聞のトップを飾り、話題になっていました。軍の上層部では、枯渇しつつ軍費を補充するための国債を売るキャンペーンにこの写真を利用することが提案され、写真に写っている6人(ほとんど後姿ですが)を帰国させることになり、ドク・レイニー・アイラの3人は呼び戻されます。 写真に写っているメンバーを聞かれたレイニーは、ひとり間違えて申告してしまいましたが、どちらも、その後戦死しているため、そのことは伏せられました。 目立ちたがりでキャンペーンに乗り気なレイニーと、初めから乗り気でなかったアイラ、何かと衝突する2人の間に入らざるを得なかったドクの3人は、キャンペーンで、全米中を回ることになります。 戦場の様子と、3人のキャンペーンの様子が、並行して描かれていき、特に戦場の様子は、ドクが耳について離れない、負傷兵が叫ぶ「衛生兵!」という言葉とともに、回想的に出てくるものが多く、時には2.3分のものもあります。また、戦場の場面では、ドク以外の兵士が誰が誰だかわかりにくく(戦争ものに有りがちですが)、物語の概要を把握しにくいのが難点ですが、テーマは非常にわかりやすいです。 余裕をもって小国日本と戦っていたと思っていた大国アメリカですが、実は戦時中に、戦費が枯渇しそうで困っており、そのための戦意高揚・資金獲得のためのキャンペーンを行っていたという事実にまず驚きました。 実は2枚目の旗だったこと、完全に勝利した後の国旗掲揚ではなかったこと、6人のメンバーが間違っていることなど、都合の悪い事実は隠し、キャンペーンを行っていたなんて、報道管制を引いて、勝利のニュースしか国内に流していなかった日本の状況と、同じようなことがアメリカでも行われていたのですね。(ちょっと規模は違いますが) 大なり小なり、戦争というものは、そういうものなのでしょうか。お国の為に、殺し合いの場に若者を送り出すということは、実は嫌がられるものなのです。自分の愛する息子を、お国のためとはいえ、戦場へ喜んで送り出す親はいないということなのです。 また、キャンペーンのため、英雄に祭り上げられた3人ですが、その戦争が終結するまで続いたキャンペーンの後、実は、その後の保証はなく、ドク以外の2人は悲惨な人生を送ります。最後に、チラッと語られています。 レイニーはキャンペーン中に出会った大企業の経営者に言われた社交辞令を真に受けて、就職活動をしますが、受け入れてもらえず、学歴などないので、低賃金の労働に就くしかなく、貧困のまま生涯を終えます。 インディアン(この言葉、今は使われませんが、当時は使われていて、映画の中でもたびたび出てきますので、そのまま使わせていただいています。)のアイラは、もっと悲惨で、初めから乗り気で無かったキャンペーンを途中で降りてしまったこともあり、定職に就くことができず、結局、酔っ払って道で寝ていたため、亡くなったそうです。 ドクは、軍とは全く関係ないところで事業に成功し、家族にも恵まれ、幸福な生涯を送ったとのことですが、このキャンペーンのことは生涯自分の口からは語らなかったそうです。 大国アメリカでさえも、“お国のために”が先に立ち、個人のことはどうでもいい、それが、戦争なのです。本物の写真です。
2012.02.27
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「大脱走」 The Great Escape 1963年 アメリカ映画監督 ジョン・スタージェス出演 スティーブ・マックイーン ジェームズ・ガーナー リチャード・アッテンボロー デヴィッド・マッカラム ドナルド・プレザンス チャールズ・ブロンソン ジェームズ・コバーン 漫画「20世紀少年」の中で、この映画がTV放映され、子どもの頃のオッチョが映画のまねをして、ズボンに仕込んだ“土捨て装置”で、誰にも知られず花壇に土を捨てる場面が出てきます。(映画「20世紀少年」では、もちろんカットされています。詳しくは以前の記事を参照してください。) この映画の公開時、彼らは幼児だったはずなので、傑作という評判を聞き、TV放映を観たと思われ、小学校高学年であった彼らにとって、ちょうど心踊らされる作品だったのでしょう。そんな戦争娯楽映画です。 第二次世界大戦中の1944年、ベルリン近郊の航空兵捕虜収容所に、かつて捕虜収容所から大規模な集団脱走を指揮して、通称“ビッグX”と呼ばれたバートレット少佐(リチャード・アッテンボロー)が送られてきました。 敵ドイツ軍を後方から混乱させるため、バートレットを中心に、100名以上いる収容所の全員が協力して、トンネルを掘り、大脱走計画が始まりました。 前半は彼らの脱走計画の準備が進む様子を描いています。それぞれの兵士が得意なことを生かして、それぞれの仕事を請け負っています。 ウィリーとダニー(チャールズ・ブロンソン)は“トンネル王”と呼ばれる穴掘りの専門家です。2人を中心にドイツ軍に見つかった場合も見越して、同時に3本の穴を掘り進めます。でも実は、ダニーは閉所恐怖症で、恐怖に必死で耐えながら穴を掘り続けているのです。落盤事故で土の埋もれ、恐怖症に耐えられなくなりますが、相棒であり親友でもあるウィリーに助けられ、何とか穴を掘り進めます。 ヘンドリー(ジェームズ・ガーナー)は“調達屋”です。チョコレートからカメラまで、仲間から頼まれたものを何でも手に入れてきます。(主にドイツ兵から盗むのですが。)仲良くなったドイツ兵の財布を盗み、パスポートや身分証明書などを手に入れたりします。偽造するための見本にするためです。 その身分証明書を偽造するのが、“偽造屋”コリン(ドナルド・プレザンス)をリーダーとするグループです。コリンはバードウォッチングが趣味で、ミルクティーを愛する英国紳士ですが、目を酷使する偽造生活で、視力が低下しており、脱走が敢行される頃にはほとんど失明状態になってしまいます。 アシュレー(デヴィッド・マッカラム)は“土処理屋”です。掘り出した土を、いかにドイツ軍に分からないように処理するかは死活問題です。土の色が変わっても怪しまれないように、収容所の敷地内に畑を作り、そこに前述のオッチョがまねしていたズボンに仕込んだ装置で、知られないように土を落とすことを考えついたのが彼です。 ベッドのパイプや板、ストーブの煙突など、収容所にあるものを利用して、ツルハシやエアダクトなど、穴掘りに必要なものを作る“製造屋”は、セジウィック(ジェームズ・コバーン)です。 カベンディッシュは“測量屋”です。収容所の周りの森までの距離を測り、(実は金網の外は推測。)穴の設計の手助けをしました。しかし、彼の推測が若干違っており、あとで苦労することになります。彼は合唱団の指揮者でもあり、穴掘りでおきる音をごまかすため、合唱団の練習を指揮します。 そのほか、脱走後の逃走用の服を作る“仕立て屋”や、ドイツ兵を常に監視し作業場に近づいて来たら知らせる“警備屋”などもいます。 イギリス兵がほとんどの中で、数少ないアメリカ兵のひとりが、“独房王”こと、ヒルツ(スティーブ・マックイーン)です。彼は捕虜になって以来、何度も脱出と独房入りを繰り返してきたのです。単独行動を好む彼はここでも何度も単独で脱出を繰り返し、ほとんど独房生活です。初めは全体での大脱出計画には加わりませんでしたが、一緒に脱出したアイブスが失敗したことで追い詰められて錯乱し、ドイツ兵に撃ち殺された事件をきっかけに、大脱出計画に加わり、単独で脱出し、周囲の地理を調べる役を請け負います。(もちろん、その後わざと捕まり、収容所に戻ってきて独房に入れられたのは、言うまでもありません。) このように個性豊かな人々が、一致団結して大脱出計画を進行する姿が、コミカルな表現も交えながら進められます。その様子は、非常に面白く、ワクワクさせられ、戦争映画であることを忘れてしまうほどです。オッチョやケンヂが夢中になる気持ちがわかります。 そして、大脱走が敢行されます。仕立て屋が軍服を改造して作ったスーツや作業着などに身を包んだ一行が、穴の入り口に列を作ります。ドイツ軍の目を盗んで作られた脱出口ですから、大きくなく、ひとりずつしか通れないからです。穴を抜けたものは、見つかりにくいように、1人あるいは2人という少人数で行動するため、支障はありません。 ところが、測量ミスのため、穴の出口は森の中でなく、森の手前の空き地でした。仕方がないので、最初に出たヒルツがロープを伸ばし、森の中から収容所の監視ライトの動きを見て合図を送ることになりますが、途中で見つかってしまい、100人以上脱出するはずが、76人で終わってしまいました。(でも、撹乱作戦には十分かな。) その後は、逃げる彼らの様子を画面は追いかけます。 しかし、ドイツ国内なので、逃げるのもなかなか大変です。次々と捕まり、抵抗したため仕方がないという感じで、次々と殺されてしまいます。ここにきて、「あっ、戦争映画だったんだ。」と、思い出します。どのようにつかまったり、殺されたりするのかは、それぞれドラマがあり、工夫してあります。 その中で、1番の見どころは、やはり、出演者中ナンバー1スターのスティーブ・マックイーンです。ひとりでバイクを盗み、ドイツ兵のバイクとカーチェイス(バイクチェイス?)を繰り広げます。さすが大スターマックイーン、時間も長いですし、非常にかっこいいです。 そして、結局、脱出したほとんどは殺され、収容所に戻されたのは十数人で、逃げおおせたのは数人です。誰が逃げられたのかは、ここでは書かないでおきましょう。 以上、お分かりのように、まだベトナム戦争の前の映画で、お決まりの反戦メッセージは全くありません。どちらかというと、戦争を題材とした娯楽映画です。でも、とてもよくできていて、2時間半を超える長い映画ですが、まったく退屈することなく、見入ってしまいます。深く考えることなく、単純に楽しんでください。 ところで、名の知れた俳優がたくさん出演していて、オールスターキャストのようですが、実は違います。チャールズ・ブロンソンとジェームズ・コバーンは、まだまだ新人で、この映画と「荒野の七人」に出演したため、注目される存在になり、この後、主役級をやるような大スターになっていくのです。 この間、シュワちゃんの「イレイザー」を観たら、ジェームズ・コバーンが出ていて、懐かしく思いました。先日亡くなられたそうで、非常に残念です。ご冥福をお祈りいたします。
2012.01.28
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「グッドモーニング、ベトナム」 Good Morning,Vietnam 1987年 アメリカ映画監督 バリー・レヴィントン主演 ロビン・ウィリアムス ベトナム戦争の映画です。 ベトナムを描いた映画には、「プラトーン」「フルメタル・ジャケット」「地獄の黙示録」「ディア・ハンター」など、その悲惨さを描いた名作映画がたくさんありますが、この映画は、悲惨な場面はもとより、戦闘シーンすらほとんどありません。でも、見事な反戦映画です。 エイドリアン・クロンナウア(ロビン・ウィリアムス)は、米軍サイゴン放送局に、DJとして赴任してきました。「グーーード、モーニーーーング、ベトナム」というシャウトから始まり、ちょっとお下品なアメリカンジョークとマシンガントーク、ロックやソウルなノリノリの音楽をかける番組は、たちまち大人気になります。 また、赴任早々、町でかわいいアオザイ姿の女の子に目をつけ後をつけ、彼女が英語学校に入っていくと、先生を買収して、まんまと学校に入り込み教壇に立ちます。持ち前の爆笑トークで授業を盛り上げ、たちまちベトナム人の生徒たちに受け入れられました。お目当ての彼女トリンと、その兄ツァンとも仲良くなることができました。 クロンナウアの番組では、前線の兵士向けに、ニュースを読むコーナーもあります。しかしその内容は、各地から送られてくるニュースを検閲係が吟味し、軍として都合の悪いものはカットされてしまいます。クロンナウアはそういった軍の対応を苦々しく思っていました。 ある日、クロンナウアが米軍兵士ご用達のレストランで食事をしていると、ツァンに店の外に呼び出されました。その直後、店が爆破されます。ベトコンのゲリラによるテロでした。 放送局に戻ったクロンナウアは、自分の目の前で起こった爆発テロのニュースが検閲でカットされていることに怒り、「非公式ですが、」と断りながら、爆発テロのニュースを電波に乗せてしまいます。 クロンナウアは、最初、結構お気楽な気持ちで赴任してきました。前線にはほど遠いサイゴン(現ホーチミン)で、兵士たちを楽しませるDJをやればいいんだなと。 最初に放送局に向かう車の中から、町を行くアオザイ姿の女の子ばかり見ているし、気に入った女の子(トリンです)を追いかけるのに、現地人の自転車をドルで買い取り追いかけます。ちょっと多めに払えばいいだろう、という感じで、彼らが迷惑しようがお構いなしなのです。 しかし、ニュースが検閲で自由に読めなかったり、爆発テロを目の前で体験したりと、だんだんに現実を思い知らされていきます。そして、クロンナウアは、現地のベトナム人の本当の気持ちを知り、(何があったかは、語らないでおきます。)除隊することになり、やりきれない気持ちで帰国するのです。 1960年に始まる南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が、南ベトナム政府に対し宣戦布告したことに端を発したベトナム戦争は、1965年に米軍の介入が始まり、泥沼化しながら、1975年のサイゴン陥落まで続くのです。 そもそもが、第1次インドシナ戦争で南北に分裂していたベトナムを、統一しようという戦いです。ソ連の息のかかった北ベトナムとベトコンと、アメリカの傀儡政府である南ベトナム政府との戦いです。 アメリカとソ連の対立を軸とした冷戦の真っただ中で、南北に分裂させられたベトナムを統一しようとするベトコンと北ベトナム、それを阻止しようとする南ベトナム政府と米軍という図式なので、ベトナム国民の心情としては、統一を望む方に肩入れするのは仕方ないことかもしれません。 しかし、世界の警察を自負し、世界中の紛争は自分たちが介入して抑え込もうとするアメリカ合衆国としては、引くに引けない状況になり、それが、戦争の泥沼化を招き、南ベトナム政府とそれに肩入れした米軍の敗北で幕を閉じるわけです。 そんなベトナム戦争を反省し、前述の映画たちや、この映画も作られました。前述の映画たちが正面から戦争を描いているのに対し、この映画は、前線からは遠く離れた首都サイゴンを描きながら、やはり、ベトナム戦争の過ちを描いているわけです。 という風に、いろいろと考えさせられた映画でした。いい映画ですね。 しかし、ロビン・ウィリアムスの巧みな話芸がなかったら成り立たない映画ですね。ちなみに、クロンナウアがDJをしている場面は、すべて、彼のアドリブだそうです。 ところで、今、イラクやアフガニスタンに暮らす人々は、どんな気持ちで、米軍を見ているのでしょうか。
2012.01.22
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「イングロリアス・バスターズ」 Inglourious Basterds 2009年 アメリカ映画監督 クエンティン・タランティーノ出演 ブラッド・ピット クリストフ・ヴァルツ ブラピが、ナチスを殺しまくる男に扮したということで、話題になった映画です。タランティーノ監督お得意の、やたら殺しまくるバイオレンス映画かなと思いきや、意外とストーリーがしっかりしていて、上手にまとまっているなあという印象でした。でも、やっぱり人がたくさん死ぬ映画ですが。 第1章、1941年ナチス占領下のフランス、“ユダヤ・ハンター”とあだ名されるナチス親衛隊のランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)が、田舎の一軒家に隠れていたユダヤ人一家を惨殺します。逃げ出した少女ショシャナを除いて。 第2章、アメリカ軍のレイン中尉(ブラッド・ピット)が、秘密部隊として、“イングロリアス・バスターズ”を組織し、ナチスの兵士を惨殺し、頭の皮をはいでいきます。 第3章、1944年パリ、ショシャナは名を変え、叔母の遺産だという小さな映画館を経営していた。その映画館で、ナチスのプロパガンダ映画「国民の誇り」のプレミア上映会をすることになります。 第4章、レイン中尉は、パリでのプレミア上映会に集まるナチス幹部を一気に抹殺しようと画策し、スパイであるドイツ人女優と酒場で落ち合います。 第5章、プレミア上映会の日です。ショシャナはナチスに復讐すべく、密かに計画しています。 タランティーノ監督の、緊張感をあおる演出が見事です。第1章でのユダヤ人一家をかくまっている家の主人とランダの駆け引き、第3章のショシャナとランダの会話、第4章のナチス将校とナチスに化けた“イングロリアス・バスターズ”のメンバーとドイツ人女優の探り合い、第5章のドイツ人女優を尋問するランダなど、独特の間で、互いの秘密がばれるのかばれないのか、ハラハラドキドキして、つい画面に引き込まれていきます。 また、タランティーノ監督お得意のバイオレンス描写も、“イングロリアス・バスターズ”が、捕まえたナチス兵を殺すシーンや、打ち合いのシーンなど、鬼気迫るものがあり、見事なものです。 また、”イングロリアス・バスターズ”のメンバーに「ナチスを抹殺し、頭の皮をはいで来い。」と命令するシーン、捕まえたナチス将校を尋問するシーン、そして最後の場面など、ブラピの完全にいっちまっている演技、最高です。 そして、ナチス親衛隊のランダ大佐の見事な悪役ぶり、非常に憎たらしいです。米アカデミー賞助演男優賞など、数々の賞を貰っているのも納得です。 ちょっと、グロテスクなシーンもあり、そういうのが苦手な人にはお勧めできないですが、実は史実と明らかに違うところもありますが、非常に見ごたえがある作品に仕上がっていて、とても満足でした。 やっぱりブラピは、いっちゃってる演技が最高です。
2011.12.16
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「グリーンゾーン」 Green Zone 2010年 アメリカ映画監督 ポール・グリーングラス主演 マット・デイモン 監督ポール・グリーングラス、主演マット・デイモンという、「ボーンシリーズ」のコンビによる、イラク戦争を描いた戦争映画です。 ロイ・ミラー准尉(マット・デイモン)率いるMET隊は、イラク・バグダッド市街で、大量破壊兵器を探していましたが、行った先は、ただの廃工場でした。これで3度目の失敗です。ミラーは、情報が間違っているのではないかと疑い始めます。 イラク戦争のきっかけになった「大量破壊兵器が存在する」という情報は、間違いであったということは、現在、アメリカ政府も認める事実です。それが明らかになった今、この映画を作る目的は何でしょうか。 それは、誤った情報に踊らされる米軍の姿を描くこと、そして、その嘘情報の出所を探り、明らかにすることではないでしょうか。 もちろん映画ですから、必ずしも真実を描きだすことが求められているわけではありません。ひとつの仮説、推測を描くことにより、世の中に問題定義することが目的となってくるでしょう。 ミラーが調べていくうちに、情報の出所が“マゼラン”と呼ばれる人物であることを突き止め、その“マゼラン”の正体に迫り、その黒幕がアメリカ国防総省のバグダッド駐在の高官パウンドストーンであることを知ります。 しかし、そこまででした。情報を操作していたのが、パウンドストーン個人(まあ、これはありえないけどね。)なのか、それとも国防総省の組織的なものなのか、政府の中枢まで及んでいるのか、武器商人がからんでいるのか、イラク新政権を取りたい勢力が関係しているのか、全くわからないまま、終わってしまいました。はっきり言って、拍子抜けでした。 あくまでも、フィクションでいいのですから、もっと奥深くまで踏み込んで、問題定義してほしいと思うのは、私だけでしょうか。イラク戦争の反省のひとつとして、ここはひとつの仮説をきちんと打ち立てるべきだったのではないでしょうか。 それとも、嘘情報に関しては、アメリカ政府は関係ないよ、アメリカも情報に踊らされていた被害者なんだよ、ということを宣伝したかったのでしょうか。という風に、勘ぐりたくなってしまいます。いわゆる、プロパガンタ映画ということですか。それでいいのでしょうか。 アクション映画としては、なかなか良くできていて、退屈することなく観ていることができただけに、非常に残念な結末で、がっかりした映画でした。
2011.11.20
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「ヒトラー~最期の12日間~」 Der Untergang 2004年 ドイツ・オーストリア・イタリア映画監督 オリヴァー・ヒルシュビーゲル主演 ブルーノ・ガンツ 題名の通り、ヒトラーの最期の12日間を、そのそばにいた若い秘書の目を通して、ドキュメンタリータッチに描いた作品です。 第2次世界大戦の末期、連合国軍が、ドイツの首都ベルリンへ迫ってきている最中、ドイツの総裁ヒトラー(ブルーノ・ガンツ)は、側近や恋人のエファ・ブラウンたちとともに、地下要塞で暮らしています。 とにかく、リアル、その一言に尽きます。本当に、当時の現場に行って撮っていたのかと思われるほど、リアルな映像が、淡々と流れます。 僕は、ナチスドイツの幹部たちについて、詳しくは知りませんが、ヒトラーをはじめとして、その恋人エファーやゲッペルス宣伝相など、その姿や言動は非常にそっくりに再現されているそうです。 とにかく、徹底したリアルな映像で、ナチスにも、連合国軍にも、どちらにも肩入れせず、淡々と描かれた映画なのです。 その映像のほとんどが、地下要塞の中の描写で、戦闘シーンは非常に少ないのですが、彼らが追いつめられていることが、ひしひしと伝わってきて、長い映画ですが、退屈せず、最後まで画面に見入ってしまいます。 そんな中、やはり見るべきは、怪物でもなく、英雄でもなく、ひとりの人間として描かれている、アドルフ・ヒトラーです。 女性や子どもには優しく接し、質素な食事に文句も言わず、個室では彼女と不安に震え、人間ヒトラーの姿が描かれていきます。 一方では、悲惨な戦況報告し、弱音を吐く幹部はその場で罷免し、勇ましいことをいうものを新たに要職につけ、作戦会議では、部下を叱咤し、しっかりとした一面を見せるかと思えば、ほとんど壊滅している部隊を、前線の援軍に送るように命令し、もう存在すらない精鋭部隊が助けに来てくれると願っているなど、狂気な一面も見せてくれます。 一番近くにいたからこそ見ることができた秘書の視点で、丸ごとのアドルフ・ヒトラーが描かれていきます。 悲惨な戦況を報告に来る部下たち、その背景で、全てに絶望し、酒盛りをして気を紛らわす部下たち、作戦会議とは名ばかりで、怒る総裁をなだめるのに精一杯な部下たち、ほとんど壊滅状態のドイツ軍幹部たちのリアルな映像が、描かれていきます。 その中でも、印象的なのが、シェンク医師と、ゲッペルス宣伝相です。 シェンクは、ベルリン市内の病院の悲惨な状況を報告に地下要塞にやってくるわけですが、悲惨な状況に絶望して、酒盛りをしている幹部たちにあきれ果て、総裁に直に会って、その狂気を知り、ドイツ第三帝国の終わりを身に染みて実感するのでした。最後まで、理性を失わず、冷静な幹部のひとりでした。 ゲッペルスは、ヒトラーと最後まで運命を共にする覚悟で、夫人と子どもたちまで連れて、地下要塞に住んでいました。ヒトラーが、自ら命を絶ったことを知ると、他の幹部たちが地下要塞を捨てて逃げ出していく中、夫人とともに、子どもたちに毒を飲ませ、自らも命を絶つのです。夫人と無言でうなずきあい、ひとりひとりの子どもにやさしい言葉をかけながら、順番に毒を飲ませていく、その場面は、やけに丁寧に描かれており、自業自得だと思いながら、思わず涙ぐんでしまう場面です。 映画を見て楽しむとか、感動するとか、教訓を得るとか、そういうことは度外視して、一つの史実を描き出していくということで、見事な作品を作り上げたものだなと、感心させられる作品です。
2011.11.18
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「ディファイアンス」 Defiance 2008年 アメリカ映画監督 エドワード・ズウィック出演 ダニエル・クレイグ リーヴ・シュレイバー ジェイミー・ベル ベラルーシの森の中で、多くのユダヤ人をドイツ軍から守りぬいた、ビエルスキ兄弟の実話の物語です。 ビエルスキ兄弟は、ドイツ軍に両親を殺され、森に逃げ込みます。同じように逃げ込んできた同胞と森で暮らし始めます。 この話で、ユダヤ人集団の指導者となるビエルスキ兄弟は、シンドラーのようなお金持ちでなく、杉原千畝のような外国人の外交官ではなく、自分自身がユダヤ人で、肉体労働者です。はっきり言って、平和な世の中なら、指導者になるはずのない男たちです。それゆえに、長男トゥヴィア(ダニエル・クレイグ)は、苦悩します。 食料の調達はもちろん、病気の流行と薬品の調達、仲間の受け入れ、意見の対立、反乱分子への対処、ルールの構築と徹底、問題は山積みです。 食料を調達してきたからと言って、順番を守らず、人より多く食事を貰おうとした男が居ました。彼は自分の取り巻きを従えて、反抗的な態度を見せています。トゥヴィアは、拳銃で射殺してしまいます。周囲の空気は一瞬で凍りつきました。 しかし、恐怖政治では、集団をまとめられません。 最初、新たに子どもを産むことは禁止していました。むやみに集団が大きくなるのを抑えるのに、やむおえないルールでしたが、ひとりの女性が、妊娠していることが発覚します。女性陣のかたくなな反対にあい、トゥヴィアも許さざるを得ませんでした。 また、冬が来て、森が雪でおおわれたころ、どうにも食料が確保できず困り果てた時には、トゥヴィアは、大切にしていた愛馬を食料として提供します。 ドイツ兵が迷い込んできたときには、森の住民たちは、その迫害された経験から、思わず誰とはなしに、リンチが始まってしまいました。トゥヴィアは、みんなの憎しみがわかるだけに、渋い顔をしながらも、見ていることしかできませんでした。 そんな試行錯誤を繰り返しながら、弟のズシュ(リーヴ・シュレイバー)とは考え方の違いから袂を分かつことになってしまいましたが、成長した3男アザエル(ジェイミー・ベル)にも助けられながら、何とか森の中の村をまとめてきたトゥヴィアでした。 とりわけ、ドイツ軍に見つかり、襲撃を受けた時には、やむを得ず村を捨て、逃げ出したわけですが、若い戦える男たちは後方で銃を持って戦い、子どもや女性、年寄りたちを率いて、トゥヴィアは集団を先導していました。やがて、森を抜け、目の前に大きな湿地帯が現れました。トゥヴィアは、湿地帯を抜けていくべきか、迷ってしまいます。結局は、後方で戦っていたアザエルたちが追い付いてきたため、湿地帯を抜けていくことになるわけですが、決断ができず、迷っているトゥヴィアの姿が印象的でした。 実際には、食料の調達は、近隣の農家などを襲って盗むことを繰り返し、山賊まがいの生活をしていたわけで、必ずしも、彼らのすべてが肯定すべきものではありませんが、最終的には、シンドラーが救ったユダヤ人に匹敵する1200人もの集落になったということで、彼らの業績は評価できるのではないでしょうか。 そんな、ドイツ軍に屈することなく、自ら道を切り開いて生き延びることができたユダヤ人たちがいたことがよくわかり、その暮らしぶりなど非常にリアルに表現できている秀作でした。
2011.11.02
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「戦場にかける橋」The Bridge on The River Kwai 1957年 アメリカ・イギリス映画監督 デヴィッド・リーン出演 アレック・ギネス ウィリアム・ホールデン 早川雪洲 第2次大戦中の、日本軍のタイ・ミャンマーを結ぶ泰緬鉄道建設で、最大の難所と言われたクワイ川にかかる橋の建設をめぐり、日本軍とイギリス人捕虜の対立や交流を描いた感動作です。米アカデミー賞作品賞をはじめ、多くの賞を受賞しています。 クワイ川に近いジャングルの中の日本軍の捕虜収容所に、イギリス兵の捕虜1隊がやってくるところから、物語は始まります。200人ぐらいのその1隊は、口笛で曲(クワイ川マーチ)を奏でながら、整列して行進してきます。捕虜とは思えないその姿は圧巻です。 先頭にいるのは、隊長のニコルソン大佐(アレック・ギネス)です。この収容所の前捕虜部隊の生き残り、アメリカ兵のシアーズ中佐(ウィリアム・ホールデン)も、呆気にとられています。このシアーズ中佐、アメリカ人らしい合理主義者で、この時も、もうひとりの生き残り兵と、仮病を使って“病院”と呼ばれている宿舎に入っていました。 収容所の所長は斉藤大佐(早川雪洲)です。ニコルソンを先頭に、整然と並ぶ捕虜を前に厳格なあいさつをします。主役3人の性格がしっかりと分かる、見事なオープニングです。 翌日の朝、整然と並ぶ捕虜たちの前で、前日と同じく、将校も含め、全員働いてもらうと斉藤が宣言すると、ニコルソンは、ジュネーブ協定で、将校には労働させないことになっている、と反発します。兵士たちが、橋の建設労働に出発しても、ニコルソンと将校たちは、立ったままその場を動きません。銃で脅しても動かないので、斉藤は黙って宿舎に入ってしまいました。熱帯の焼けるような日差しの中、将校たちは夕方まで動きませんでした。斉藤は、将校たちを宿舎に監禁し、ニコルソンは、独房に監禁しました。それは、犬小屋のような小さな箱です。そのまま、何日も日がすぎていきます。 その間に、シアーズ中佐は、2人の仲間と、夜の闇にまぎれて、脱走をしました。2人は銃殺され、シアーズはがけから転落し、川に流れて行きました。 橋の建設作業は、日本兵たちの指示で進められましたが、イギリス兵たちは、サボっていて、遅々として進みません。斉藤は、現場監督を解任し、自ら監督に立ちましたが、状況は変わりません。彼は悩みました。期日までに橋が完成しないと、責任を取って、切腹するしかないからです。 ある日、斉藤はニコルソンを呼び出します。今日は、日露戦争の戦勝日だから、恩赦として、将校たちを解放する。将校は労働をしなくていいから、監督をしてくれ。 ひとりで宿舎から出てくるニコルソンを見て、イギリス兵たちは雄叫びをあげます。彼の信念が勝ったからです。その夜、斉藤はひとり声をあげて泣きました。彼は、工事を進めるために、切腹から免れるために、プライドを捨てました。負けを認めたのです。 工事の監督を任されたニコルソンは、専門的知識を持つ部下2人と、現場を視察し、自らの考えを示します。彼は、この工事が敵である日本軍の利益になることを承知の上で、イギリス人の指揮のもと、全力を尽くし、期日までに完成させ、イギリス人の偉大さを示そうと思っていたのです。また、彼は、戦争云々ではなく、この鉄道の建設は、この地域のためになるとも考えていたようです。そして、工事は順調に進んでいきます。 一方、シアーズは無事でした。イギリス軍の拠点に、何とかたどり着きます。 半死半生でたどり着いたのがうそのように、海岸で女性将校とイチャついているシアーズのもとに、イギリス特殊部隊のウォーデン少佐がやってきます。クワイ川の橋の爆破作戦に参加させるためです。橋の場所があまりにも奥地にあるため、その場所を知る、シアーズの協力が必要だったからです。嫌がるシアーズに、ウォーデンは、実は彼が中佐ではなく二等水兵であることがばれていることを明かし、アメリカ海軍も承知であることを告げます。シアーズは承諾するしかありませんでした。 自分のプライドを大切にし、信念を持って、誇り高く生きているニコルソンと斉藤を見せられてきた眼には、このシアーズのいい加減さが、鼻についてきます。 シアーズとウォーデン、そして水泳が得意ということで選ばれた若い兵士ジョイスの3人は、ジャングルの道なき道を、案内係の現地人ヤンと荷物を運ぶ数人の現地女性とともに、進んでいきます。道中、日本兵と出会って戦闘したり、野宿したり、なかなか大変なはずですが、現地女性とイチャイチャしたりしているので、大変そうに見えません。 シアーズ一行が、橋が見えるところにたどり着いたのは、第1号列車がやってくる前日でした。その列車とともに橋を爆破する計画でした。もちろん、斉藤に課せられた完成期日でもあります。橋は完成し、満足げにニコルソンと斉藤が連れ立って歩いていました。 その夜、収容所では、イギリス兵たちが、完成を祝う宴会を催していました。シアーズたちは、橋の下に爆弾を仕掛け、導火線を伸ばし、離れた所に起爆装置をセットし、仮眠をとりました。 翌朝、シアーズたちが目を覚ますと、川の水位が下がり、導火線が所々見えています。橋の上を歩いていたニコルソンは、橋の下に見覚えがないひも状のものを発見します。斉藤を伴い、河原に降り、ひも状のものをたどって行ってみると、起爆装置にたどり着きました。状況を察知したニコルソンは、大声で日本兵に知らせます。 起爆装置のもとにいたジョイスは、ナイフで斉藤を殺し、ニコルソンに押さえつけられます。向こう岸にいたシアーズは、駆け寄りますが、日本兵の銃弾に倒れます。ジョイスも流れ弾に倒れ、ニコルソンは、離れた丘の上にいたウォーデンの迫撃砲により、ダメージを受け、倒れます。倒れた所には、ちょうど、起爆装置がありました。 橋は爆破され、1番列車がちょうどやってきて、川に落ちていきます。すべてを、少し離れた丘の上から見ていた収容所の軍医は「馬鹿な!」とつぶやくのです。 ニコルソンと斉藤が信念を持って完成させた橋は、爆破されてしまいました。戦争のむなしさ、理不尽さを訴えているのでしょうか、鑑賞後には、「馬鹿な!」とつぶやく軍医と同じく、呆気にとられる自分がいました。 この映画の原作者は、実際に捕虜として、泰緬鉄道の建設に従事させられた経験があり、それをもとに、この小説を書いたそうです。しかし、ここに書かれているような事実はなく、クワイ川に架かる橋は、この映画の設定の1943年にはすでにできており、鉄道も運航しています。翌1944年に、連合軍の爆撃を受けますが、修復され、泰緬鉄道は、終戦まで、日本軍の物資運搬に働いていたそうです。 早川雪洲さんは、戦前から、アメリカなどで活躍していた俳優で、この映画の時点では、すでに大スターです。若い人は知らないかもしれませんが、渡辺謙さんよりも、ずっと以前に、ハリウッドで活躍している日本人がいたのです。この映画で、米アカデミー賞助演男優賞にノミネートされています。(受賞は逃しましたが。) 昨日の、マンドレイク大佐の“捕虜として、ラングーン鉄道の橋を作っていた発言”は、ピーター・セラーズとアレック・ギネスが似ていることから発せられた、ジョークです。
2011.10.05
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「ハート・ロッカー」 The Hurt Locker 2008年 アメリカ映画監督 キャスリン・ビグロー主演 ジェレミー・レナー キャスリン・ビグロー監督の元夫ジェームス・キャメロン監督の「アバター」を破り、米アカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞したことで有名になり、ヒットした、イラクでの米軍爆発物処理班の姿を描いた作品です。 2004年、イラク・バグダッドが舞台です。2003年3月20日に戦闘が始まり、5月1日のアメリカの「戦闘終結宣言」により、正規軍同士による戦闘は終わりましたが、占領軍である米軍などに対し、即席爆発装置IED(身近なものを利用して作る簡単な小型爆弾)などによるレジスタント的攻撃が頻発し、多くの兵士や民間人が犠牲になっていました。そんなときの首都バグダッドの爆発物処理班ですから、最前線中の最前線の最も重要な仕事を受け持っている兵士の物語です。 あと39日で任務終了という爆発物処理班に、爆死した班長に代わりやって来たジェームズ軍曹(ジェレミー・レナー)を中心に、その日常(?)をドキュメンタリータッチで、淡々と描いていきます。 このジェームズ軍曹が少し変わった男でした。爆発物処理ばかり従事しているベテランで、その処理した爆弾数は、バグダッドに来てから処理した2件も含めて873個だそうです。(本人談)爆弾がたくさん出てくるとどこかしらうれしそうな感じになり、わざわざ防爆スーツを脱いでみたり、爆弾の部品をコレクションしたり、そして、爆弾を処理した後は必ず一服して、充足感に浸るのです。 彼は、明らかに、爆弾を処理する緊張感を楽しんでいます。爆弾を無事処理し、生きて帰れたことで、自分自身の生を実感し、満足感を得ています。もっと言ってしまえば、爆弾処理に命をかけることが生きがいになっているのです。 映画のラスト、任務を終えたジェームズ軍曹は、アメリカに帰り、家族と暮らしています。しかし、何かしらそわそわし、落ち着きません。そして、再び防爆スーツに身を包む彼の姿で、映画は終わります。 映画の冒頭に出てきた言葉、「war is a drug」。まさにそれを体感するジェームズ軍曹の人生なのです。 また、この映画、当時(現在?)のイラクの状況が、非常にリアルに表現されています。 爆発物が仕掛けられるのは、街中で、そこでは、露店で肉を売っていたり、子どもがDVDを売っていたり、爆発物処理班の車が渋滞に引っかかったり、山羊の群れが通りかかったり、タクシーが突っ込んできたり、銃を持って敵を追っかけている米兵の横を子どもが走っていたり、爆発物を処理する様子を建物の2階から見物していたり、まさに、日常生活の中と戦争のミスマッチが描写されています。 また、子どもの死体に爆弾を仕掛けられていたり、無理やり爆弾を体に巻かれた男が現れたりといった、悲惨な状況も隠さず描写されています。 そして、爆発物を処理するときは、常に銃を構えた相棒に守られています。それは、どこにテロリストがいるか分からないからです。周りにいる市民とテロリストの区別がつかないからです。 2003年の「戦闘終結宣言」後、オバマ大統領が2010年8月31日に改めて正式な「終結宣言」をするまでに、米兵の死者は4000人を超えるそうですが、この映画は、その状況を非常にリアルに描き出し、戦争の悲惨さを訴える反戦映画の秀作です。
2011.09.21
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「シン・レッド・ライン」 The Thin Red Line 1998年 アメリカ映画監督 テレンス・マリック出演 ショーン・ペン ジム・カヴィーゼル ベン・チャップリン イライアス・コティーズ ニック・ノルティ ジョン・キューザック ジョージ・クルーニー ジョン・トラボルタ エイドリアン・ブロディ 「天国の日々」という映画があります。一般的にはあまり知られてない映画だと思いますが、僕は好きでした。テキサスの農場の話だったと思いますが、ストーリーは全く覚えていません。覚えているのは、その美しい映像、まるでミレーの絵が動き出したかのような、美しい農場の映像です。もう1度見たいと思っているのですが、レンタルビデオ屋にありません。 その「天国の日々」の監督が20年ぶりにメガホンをとったのが、この「シン・レッド・ライン」です。やはり、映像が非常に美しい映画です。南の島の美しい風景や、泳ぐ現地人の水中映像、祖国で待つ美しい妻の回送、戦場の丘に射す朝日、戦いに疲れた兵士の頭上に降り注ぐ木漏れ日など、戦場ドラマの間の挿入される映像の美しさに魅せられ、時折戦争映画であることを忘れてしまうくらいです。 戦いが嫌いで、脱走して現地の村でのんびり過ごしていた二等兵(ジム・カヴィーゼル)、そんな部下が気になり、何かと助言を与える、やり手なのだがなぜかさめた言動が目立つ曹長(ショーン・ペン)、祖国に残した美しい妻が忘れられず回想する二等兵(ベン・チャップリン)、部下の命を大切に考え、司令官の突撃命令に反発する中隊長(イライアス・コティーズ)、野心ばかりが先に立ち、兵士は消耗品とでも思っているかの無茶な命令を出す司令官(ニック・ノルティ)、彼らを中心に、太平洋戦争のガナルカナル決戦を描いているわけですが、かっこいい戦闘シーンや、血が噴き出すような悲惨なシーンは出てきません。 前述の美しい映像が挿入され、兵士の心情をナレーション風に語らせ、淡々とドラマは進んでいきます。こういった詩的な表現が好きな監督なんでしょうが、あまりにも淡々と静かに進んでいくので、眠たくなってしまうかもしれません。映画館で観るよりも、家庭でブルーレイで鑑賞することをお勧めします。うっかり眠ってしまっても、戻して見直せばいいですから。美しい映像も堪能できるでしょう。 ジョン・キューザック、ジョージ・クルーニー、ジョン・トラボルタは、ちょっとしか出てきません。伝説の監督が映画を撮るということで、出たがったための出演ということでしたので、友情出演と言った方がいいでしょう。まだスターになる前のエイドリアン・ブロディも見られます。 ベルリン国際映画祭・金熊賞をはじめ、数々の賞に輝く秀作ですが、米アカデミー賞では、作品・監督賞など7部門にノミネートされましたが、1つも受賞できませんでした。戦争映画として「プライベート・ライアン」とかぶったからでしょうか。 今公開中のカンヌ映画祭パルムドール受賞の新作「ツリー・オブ・ライフ」観たいですね。そして、やっぱり「天国の日々」がもう1度観たいです。後、この監督、あのポカホンタスの映画「ニューワールド」というのも撮っているんですね。全く見たくありません。
2011.09.20
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「戦場のピアニスト」 The Pianist 2002年 フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス映画監督 ロマン・ポランスキー主演 エイドリアン・ブロディ カンヌ国際映画祭パルムドール、米アカデミー賞監督賞・主演男優賞・脚色賞、英アカデミー賞作品賞など、数々の賞を受賞している名作です。 実在のユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記をもとに、自らが幼い頃ポ-ランドのゲットー(ユダヤ人居住地区)で生活し、母親をアウシュビッツで亡くしているポランスキー監督、渾身の感動作です。 ナチスのワルシャワ侵攻から、ユダヤ人の迫害はどんどん加速していきます。家族での所持金を制限され、ダビデの星の腕章を義務付けられ、ゲットーへの移住を強制され、有無を言わさず突然収容所へ送られ、強制労働を課せられ、わけもわからず突然殺され、こういった目を覆うような場面が、これでもかと出てきます。監督が本物を経験しているからか、その描写は非常にリアルです。 シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)は、知り合いのユダヤ人警官(ユダヤ人を取り締まるためのユダヤ人の警察)のおかげで、収容所送りは免れますが、強制労働で慣れない力仕事に就かされ、ゲットーを逃げ出し、昔の友人にかくまわれます。そのうち、ポーランド人のワルシャワ蜂起で、町は崩壊します。それでも廃墟の中で隠れているシュピルマンは、今度はあろうことか、ドイツの将校にかくまわれるのです。 彼らは、どうしてシュピルマンを助けるのでしょうか。確かにシュピルマンは肉体労働には不向きの優男で、いかにも芸術家肌です。(エイドリアン・ブロディの演技力?)ちょっと疑問だったので調べてみました。 カギはショパンでした。ショパンはポーランドが生んだ偉大な芸術家で、ピアノ曲を好んで作ったことから、「ピアノの詩人」と呼ばれています。ポーランドの人々にとって、ショパンは特別な存在なのです。そのショパンのピアノ曲を弾くことのできるピアニストは、ただの有名人ではないのです。 この映画の冒頭、シュピルマンはラジオでショパンの曲を弾いています。ここに大きな意味があったのです。彼はラジオという不特定多数が聞く舞台で、ショパンを弾くことを許された大いなる存在だったのです。まさに国の宝と言っていいほどの芸術家だったのです。 ポーランド人がシュピルマンを助ける理由はわかりましたが、最後に出てきたドイツ軍将校が彼を助けたのはなぜでしょう。発見された時ピアニストだと名乗るシュピルマンに、将校はピアノを弾くことを命じます。廃墟の中のおそらくは長いことほっておかれたピアノで、長い逃亡生活で非常に久しぶりに演奏するピアニスト、その音はお世辞にも素晴らしいものではなかったでしょう。 しかし、彼はシュピルマンの命を助けました。その場だけでなく、その後も何度か食料を運んでいたようです。シュピルマンが廃墟に隠れ始めたのが、ポーランド人のワルシャワ蜂起の時で8月、そしてドイツ軍が撤退し、シュピルマンが逃亡生活から解放された時は雪が積もっていました。つまり、少なくとも半年、シュピルマンは廃墟に隠れ住んでいたのです。その間生きながらえてこられたのは、このドイツ軍将校のおかげなのです。 久しぶりにピアノを弾くシュピルマンは、恐る恐る弾き始めます。恐ろしいドイツ兵の前で、何年も触っていなかったピアノ、不安と戸惑いでいっぱいの中、何かを探り出すような弾き始めです。しかし、弾いていくうちに、彼の表情や雰囲気が変わってきます。いかにも幸せそうに、演奏にのめりこんでいきます。陶酔しきった彼の表情は、ドイツ人に、これは本物だと認識させるのにあまりあるものがありました。だから彼はシュピルマンを助けました。エイドリアン・ブロディの主演男優賞、納得です。 このドイツ軍将校、ヴィルム・ホーゼンフェルトという名で、元教師で、ドイツ軍のポーランドでの所業に疑問を持ち、シュピルマンのほかにも、何人か助けたポーランド人がいるそうです。この映画の中ではちょっと出てくるだけですが、シュピルマンもこの将校を助けるためかなり奮闘しているそうです。残念ながら、助けられませんでしたが。 しかし、最後の、この将校がソ連軍の捕虜になっているときの、命乞いのシーンはちょっといただけないですね。なんか女々しい感じで鼻につきますが、どうやら、実際にはこういうことはなかったそうです。(シンドラーなんか、1100人のユダヤ人を助けながら、最後に、「もっと努力していれば、もっと助けられた。」といって泣くんですよ。) ネットにあるこの映画の感想をいろいろ読んでみましたが、題名にピアニストとあるので、もっと演奏が出てくるかと思ってがっかりした、というものがありました。確かに、シュピルマンが、ピアノを演奏するシーンは、最初の方と最後の方に少ししかありません。 しかし、彼は、終始ピアニストでした。ゲットーから逃げた後、2番目に行った隠れ家には小さなピアノがありました。もちろん隠れているので、音を出すことはできません。でも、彼はピアノをあけ、その前に座ります。彼は鍵盤の上で指を動かし、弾く真似をします。長い隠遁生活の中で、同じことを何度も繰り返していたことが想像できます。また、廃墟で隠れているとき、彼が静かに椅子に座り、目を閉じて指を動かしているシーンが何回か出てきます。ピアノを弾くことはかなわないのですが、彼がピアノを忘れることはなかったことが、これらのシーンからわかります。 そして、彼がピアニストであることが、その命を助けたのは、上記の通りです。 この「The Pianist」という題名は、間違いではありません。邦題の「戦場のピアニスト」の方がわかりやすいですが。
2011.08.28
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「プライベート・ライアン」 Saving Private Ryan 1998年 アメリカ映画監督 スティーヴン・スピルバーグ出演 トム・ハンクス マット・デイモン 今日は終戦の日、ぴったりの映画を紹介します。 スピルバーグ監督の、唯一の戦闘シーンたっぷりな戦争映画です。たったひとりの二等兵を8人で救出に向かう部隊の苦悩と戦闘を描いた作品です。 第二次世界大戦、ノルマンディー上陸作戦のオマハ・ビーチでの死闘を、多くの部下を亡くしながら生き残ったミラー大尉(トム・ハンクス)は、特別な任務を与えられます。 それは、ほぼ同時に3人の兄を亡くしたライアン二等兵(マット・デイモン)を発見し、帰還させることでした。ライアンは第101空挺師団パラシュート部隊に属しており、部隊は、降下目標地を大きくそれ、バラバラに降下していたため、ドイツ軍が点々といる中、探さなければならなかったのです。 ミラーは7人の部下を連れ、理不尽な任務に疑問を感じつつ出発しました。途中情報を集めながら、2名の仲間を亡くし、ある破壊された市街地にたどり着き、ライアンを発見しました。 発見した後もひと波乱あり、結果的には、悲しい展開になるのですが、語るのはやめておきましょう。 この映画、まず目につくのは戦闘シーンの悲惨さです。冒頭で30分近く続く、ノルマンディー上陸作戦で最も激戦地だったといわれるオマハビーチでの戦闘の描写はすごいです。 事前に予定していた空挺部隊の作戦がうまくいかず、海岸のトーチカの機関銃座が生きている中、さえぎるものが何もない海岸を上陸していく歩兵部隊、もちろん次から次へと倒れていきます。ヘルメットではじかれて助かったと思っているところを撃たれる兵士、落とされた自分の腕を探す兵士、腹から内臓を出し「ママーっ」と叫んでいる兵士、飛び散る血や肉片、非常にリアルで悲惨です。 劇中でミラー大尉が上官に聞かれます。「こっちの死傷者は。」「35人だ、負傷者はその倍。」ミラーは中隊長だったので、調べてみたら、だいたい一個中隊で百数十人、そのほとんどを戦闘不能にさせられた戦いだったわけです。実際、オマハビーチの作戦は失敗だったといわれているそうです。 後半の市街戦でも、爆弾で飛び散る兵士、火炎ビンを投げられ燃える車から火ダルマで出てくる兵士、60ミリ機関銃で撃たれ飛び散る兵士、もみ合いになりナイフでゆっくり刺される兵士など、思わず目を覆いたくなるような描写がたっぷりです。スピルバーグ監督は戦闘の悲惨さを表現するために、いろいろな技術を駆使し、わざわざ悲惨な映像を作ったということです。 そして、何より気になるのが、ひとりの二等兵を8人の兵士が命をかけて救出に行くという任務の理不尽さです。 戦死報告を作成するところで、たまたま発見された3枚の同じ家あての戦死報告から、上層部の話し合いにより、残った一人を守るという作戦が企画された感じで描かれています。この場面から、偶然なのか、期間が開いていたらどうしたんだ、全く別方面で(例えばアジア戦線)死んでいたらどうなんだ、とか思ってしまいましたが、調べてみると、実際、兄弟が戦死し、残った一人を除隊帰国させたり、後方に回したりということはあったみたいです。でも、この映画のように救援部隊を出すということはなかったみたいです。 出発した時から兵士たちは任務に疑問を持っているようです。「どういう計算だ?8人が命をかけて1人を助ける?」「息子を亡くしたお袋のためだ。」「おれにもお袋はいるぜ。」という会話をしています。また、仲間を一人失ったとき、思わず「ライアンめ」とつぶやいています。 ミラー大尉も実は心が揺れているようで、部下をひとり亡くした晩、「部下が死ぬと、それは10人の部下を救うためだったんだ、と割り切る。」「今度はひとりの兵士のために。」「その価値があるやつかな?難病の特効薬とか切れない電球を発明するやつ、カパーゾ(死んだ兵士)10人分に値するやつでなきゃ。」と会話しています。 2人目の犠牲者が出てしまった後、とうとうケンカになってしまい、一人が命令違反を承知で、帰ろうとし、もうひとりが拳銃を構えて止めるという騒動になってしまうのです。ミラー大尉が間に入り、何とか最悪の事態は免れましたが、それは任務に納得したのではなく、大尉の人望で収まったというのが正しいところでしょう。 人と人が殺しあう戦争、そんな非人道的な行為の極みの中に、人道的な行動を持ち込むことに無理があるのです。理不尽を感じて当然でしょう。 戦争の悲惨さ、理不尽さを表現するため、話が組み立てられ、よりリアルな映像が製作された映画だと思います。疑問や、嫌悪感を持って、観る映画だと思います。
2011.08.15
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「縞模様のパジャマの少年」The Boy in the Striped Pyjamas 2008年 アメリカ・イギリス映画監督 マーク・ハーマン ついさっき見ました。レンタルビデオ屋で、前からちょっと気になっていたので、借りてきたのです。ショックが大きかったので、書いています。 8歳のブルーノは、軍人である父親の仕事の都合でベルリンから田舎に引っ越します。友だちと別れるのはいやだったが仕方ありません。両親と12歳のお姉さんと暮らす新しい家には、頻繁に軍人が出入りし、父親は「所長」と呼ばれています。ブルーノの部屋の窓からは、遠くに「農場」が見え、「縞模様のパジャマ」の人たちが大勢働いているようです。ブルーノは、友達がいなくて退屈なので、ある日、こっそりと「農場」にやってきて、電気の通った鉄条網の向こうにいる、「縞模様のパジャマ」の少年シャムールと友だちになります。 第二次世界大戦中のドイツの話です。「農場」というのは、もちろんユダヤ人強制収容所です。ブルーノの父は、ナチスドイツの高官で、そこの所長として、家族を伴って赴任してきたのです。 これは、戦争映画です。戦闘シーンは出てきませんが、ナチスドイツの所業を描いた戦争映画です。90分台と短い映画ですが、ナチスの悪行がよくわかるエピソードが盛りだくさんなので、ショックなラストがネタばれしない程度に、書かせていただきます。 田舎なので学校がないようで、姉弟に勉強を教えるため、家庭教師が来ることになります。結構年輩の男の先生で、使うテキストが、ナチスドイツの思想や業績を書いた本です。小さいブルーノは理解できず、つまらなそうですが、お姉ちゃんはみるみるナチスに染まっていきます。引っ越してきたとき持ってきたたくさんの人形は地下室にしまってしまい、お姉ちゃんの部屋は、ナチスのポスターでいっぱいになります。 一家の台所には、縞模様のおじさんがひとりいます。いろいろな汚れ仕事をするための使用人です。ある日、庭の古タイヤで作ったブランコからブルーノが落ちてけがをします。おじさんは手際よく手当てします。話していると、おじさんは元医者だといいます。そのことをブルーノはシャムールに話します。「元医者なのに今はうちでイモの皮むいているよ。」「うちのパパは時計職人だけど、今はクツ作ってるよ。」と、シャムールは答えます。 父親の側近で、若い中尉がいます。イケメンなので、お姉ちゃんのお気に入りです。彼は、縞模様のおじさんに強く当たります。命令口調でいつも怒鳴るのです。ある日、ブルーノがひとりダイニングに行くとシャムールがいました。小さい手がグラスをふくのにちょうどいいので呼ばれたのです。ブルーノは友だちにお菓子をあげます。そこへ中尉が入ってきて、シャルームに怒鳴りました。ブルーノはその剣幕に、ぼくがあげたと言えず、シャムールがつまみ食いしたことになってしまいます。 中尉は一家の夕食に呼ばれた席で、所長に父親はどこにいると聞かれ、答えられませんでした。中尉の父親は、ナチスが嫌で、海外に亡命していたのです。それを上官に報告していなかったので、しばらくして、中尉は前線に飛ばされてしまいます。 「農場」の煙突からは黒い煙が出る日が時々あります。その時はひどいにおいもします。ブルーノにそのことを聞かれた母親は、中尉の言葉に耳を疑います。「あいつらは焼いても臭いですからね。」彼女は、夫の残酷な所業を知り、嫌悪し、混乱します。 ある日、お父さんが、同僚たちと何やら映画のようなものを見ています。ブルーノは、ドアの上の窓からのぞきます。それは、ユダヤ人収容所の様子を宣伝するフィルムでした。ユダヤ人は昼間働いた後は自由時間があり、スポーツをしたり、映画を見たり、カフェでおしゃべりしたり、快適に過ごしていますという内容でした。もちろん国民を安心させるためのウソの映像ですが、ブルーノは真に受けてしまいます。 おじいちゃんから電話が来ます。新居を見に行きたいが、おばあちゃんの具合が悪いので、ひとりで行くと。実はおばあちゃんはナチスが嫌いで、行きたくなかったのです。そんなおばあちゃんが爆撃で亡くなります。お葬式でナチスの高官である息子は総統からの花束をささげます。そんな夫をますます嫌悪する妻でした。 そんなエピソードが続く中、ブルーノは何回もシャムールに会いに行き、友情を深めます。無邪気なブルーノは幼いが故に、お坊ちゃんが故に、無知でした。シャムールや縞模様のおじさんがユダヤ人であることを知りながら、「農場」が収容所であることを知りながら、それがどういう意味を持っているのか、知りませんでした。ドイツは戦争中で、父やその周りにいる人たちがどういう人たちなのか、知りませんでした。 ラストは、なかなか衝撃的です。思わず「えっ、うそ!!!」と叫んでしまうでしょう。この後、描かれてはいませんが、間違いなく夫婦は離婚し、父親は軍をやめてしまうかもしれません。もしかしたらこの家族の中に自ら命を絶つ人がいるかもしれません。家庭崩壊は免れないでしょう。
2011.08.05
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「ノー・マンズ・ランド」 No Man’s Land 2001年 ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロバキア、イタリア、イギリス、フランス、ベルギー 監督 ダニス・タノヴィッチ no man’s landとは、誰もいない土地、中間地帯のことです。戦場においては、最前線の陣地と陣地の間の一番危険な地帯のことです。ボスニア紛争のことを描いた反戦映画です。全編コメディタッチで描かれていきますが、せりふなどから、この内戦の状況がわかってきます。そして、ラストは……、こわいです。 霧の深い夜、10人ぐらいのボスニア兵が前線に向かっています。明るくなると、敵のセルビア人の陣地の目の前にいることに気付きますが、あっという間に銃撃を受け、ほとんどやられてしまいます。その中の1人チキは、中間地帯にある無人の塹壕に落ち、命拾いします。塹壕の上をのぞくと、仲間のツェラが倒れているのが見えましたが、どうすることもできません。塹壕の中を見て回っていると、セルビア兵が2人偵察にやってきました。 チキはあわてて隠れて見ていました。セルビア兵は、ツェラの遺体を運んできて、味方が持ち上げると爆発するように、地雷を仕掛け、その上に置きました。 チキは飛び出し2人を攻撃します。1人は倒し、1人は負傷しました。チキは銃を構えたまま、地雷を解体するように命令します。しかし、地雷を仕掛けたのは倒れたベテラン兵の方で、生き残ったニノは新兵で、何もわかりません。 塹壕の上では銃撃戦が始まりました。物置に隠れながら二人は、言い合いをします。「そっちが戦争を始めたのだろう。」「いやそっちだろう。」「おれの村は焼き討ちされた。」「僕の村はどうだ。誰が村人を殺した。」その時銃を持っていたのはチキでした。ニノはしぶしぶ非を認めさせられます。 銃撃はやみました。その時、ツェラが目を覚まします。死んでいなかったのです。あわてて動かないように制したチキは、状況を説明し、介抱します。そのすきに、ニノは銃をとり、チキに聞きます。「どっちが戦争を仕掛けた。」チキは、しぶしぶ答えます。「俺たちだ。」 ツェラの提案で、チキとニノは、丸腰で塹壕の上にあがり、白旗を振ります。それを見た両陣営は、国連軍へ連絡します。仲裁をするために国連防護軍が駐留しているのです。ただし、武力行使も危険地帯の立ち入りも禁止されています。連絡を受けたマルシャン軍曹は2人の部下を連れ装甲車で様子を見に行きます。 国連防護軍本部のソフト大佐は報告を聞き、めんどうな状況なので、かかわりたくないようです。現場に到着し状況を理解したマルシャン軍曹ですが、帰還命令が届き、すぐに、戻ってしまいます。 戻る途中で、TVクルーに出会います、無線を傍受していて、状況を理解しています。マルシャン軍曹はTVを利用することを思いつきます。 結局、マルシャン軍曹は、地雷処理班と、TVクルーを現場に呼ぶことに成功しますが……。 ネタばれしてしまうとこれから見たい方に悪いので、このくらいにしておきましょう。 チキが彼女の話をすると、ニノの知り合いでした。このとき、打ち解けるかと思われた2人ですが、やっぱりいがみ合ってしまいます。この戦争は、ユーゴスラビアから、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立する際に、反対したセルビア人を無視して独立宣言をし、そのセルビア人をユーゴ政府が援助し、といった複雑な状況で始まった内戦です。元は同じ国であった人たちが戦っていて、このときは泥沼化していたのでしょう。チキとニノはただの一兵士ですが、両陣営の状況の縮図になっています。 そして、国連軍とメディアの立場も微妙です。人道支援という言葉を口実に、傍観者に徹したいソフト大佐は、この後現場にやってきますが、ミニスカートの美人秘書を連れています。最前線に一番近いところに駐留していたマルシャン軍曹たちは、現地の言葉がわからないフランス人です。TVのリポーターはチキとニノにインタヴューを試みますが、邪険にされてしまいます。プロデューサーは状況を理解してないのか、ツェラにインタヴューしろと命令します。 このように、いろいろと皮肉がたっぷりで、苦笑いさせられる作品ですが、ラストは恐ろしく、考えさせられます。 リポーターと話している中で、マルシャン軍曹は、オフレコでこう言います。「殺りくに直面したら、傍観も加勢と同じだ。」登場人物のほとんどが、何かしらおかしい中、このマルシャン軍曹だけが、まともで、心の底から彼らを助けたいと思っているようです。 アカデミー外国語映画賞をはじめ、いろいろな映画賞に輝いている作品です。
2011.08.01
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「ランボー」 First Blood 1982年 アメリカ映画監督 テッド・コッチェフ主演 シルヴェスター・スタローン ベトナム帰還兵の悲哀を描いた反戦映画です。ヒットが今一つだったせいで、続編からは単純な戦争アクション映画に変わっているようです。(だから僕は観ていません)しかし、この第1作は、スタローン主演ですから、アクション色が強いですが、「ディアハンター」や「タクシードライバー」と並べて評されるべきベトナム反戦映画です。(深みがだいぶ違いますけど) ベトナム帰還兵のジョン・ランボー(シルヴェスター・スタローン)は、戦友を訪ね、ある田舎町にやってきますが、戦友はベトナムでの科学弾の後遺症で、がんで亡くなっていた。途方にくれ、とりあえず食事でもしようと町をうろついていると、保安官に声をかけられます。保安官は、反抗的な態度をとるランボーを逮捕します。 警察署でランボーは、差別的な扱いを受け、ベトナムでの拷問シーンがフラッシュバックし、暴力をふるって、逃げ出し、山にこもってしまいます。 保安官は、州兵も駆り出し、山狩りをします。その中で、ヘリコプターに乗り出した狙撃手が、ランボーの攻撃により、転落して死んでしまうという不幸な事故もあったが、ランボーは追手を常に1対1で攻撃し、傷つけるだけで、決して殺すことはなく退けていきます。ランボーは元グリーンベレーの優秀な隊員でした。保安官は、連絡を受け駆けつけた元上官の忠告にも耳を貸さず、引き上げることをしません。 旧炭鉱にこもったランボーに対し、山狩り隊は、州兵のロケット砲で入り口を壊し、やっつけたと思い引き上げます。 別の入り口から旧炭鉱を抜け出したランボーは、軍のトラックを奪い、街へ戻ってきます。ガソリンスタンドと銃砲店を爆破し、保安官事務所の周りの電柱を攻撃し停電させ、事務所に忍び込みます。保安官を傷つけ倒したところで、やってきた元上官になだめられ、やっとランボーは投降するのです。 元グリーンベレーのランボー、その戦いは見事です。山の中では、草木に隠れて敵に近づき、1対1で殺さずに確実に倒していき、旧炭鉱の中では、閉じ込められてもあわてず、捕まえたイノシシの肉を食らい、たいまつを巧みに作り、別の出口をさがして脱出し、市街戦では、目標の周りをまず停電させ、敵の自由を奪ってから攻撃する、まさに戦いのプロフェッショナルです。演じるスタローンも、水を得た魚のように上手なアクションです。しかし、この映画では、珍しく長ぜりふを話すスタローンに出会えます。説得に来た元上官に、ベトナムから帰ってから、いかにつらかったかを語り、号泣します。うまくはないですが、言いたいことは十分に伝わります。ここら辺が、ただのアクションものと違うところです。反戦映画だったのです。 ところで、元グリーンベレーの隊長のたびたびの忠告を聞き入れず、無謀な攻撃を続ける保安官には腹が立ちます。でも、こういう人って、実は身近によくいます。自分の価値観でしか物事を判断できず、人の意見には耳を貸さず、自分の意見に意固地になり、とことん失敗するまで反省しない。ダメな上司の見本のような人ですね。
2011.07.30
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「太陽の帝国」 Empire of the Sun 1987年 アメリカ映画監督 スティーヴン・スピルバーグ出演 クリスチャン・ベール ジョン・マルコヴィッチ 伊武雅刀 片岡孝太郎 ガッツ石松 山田隆夫 第2次世界大戦を描いた戦争映画ですが、戦闘シーンはほとんど出てきません。それは、子どもが主人公だからです。子役時代のクリスチャン・ベール扮するジェイミーが、両親とはぐれ、捕虜収容所でたくましく生きていく姿を描いた感動作です。 ジェイミーはお坊ちゃんでした。使用人や運転手に囲まれ、日中戦争のさなか仮装パーティーに参加し、人ごみの中を自動車で避難するようなお金持ちのお坊ちゃんでした。ゼロ戦にあこがれ、「日本軍に入ってゼロ戦に乗る」なんてことを平気で言うお坊ちゃんでした。そんなお坊ちゃんが、両親とはぐれ、不良アメリカ人のベイシー(ジョン・マルコヴィッチ)の使いっ走りをして、捕虜収容所で暮らす中で、成長していくのです。 そんなジェイミーを演じるクリスチャン・ベールがいいんです。見事に成長していく少年を演じきっています。心なしか、映画の最初と最後では、身長も伸びているように思えます。(撮影に何年かかかって本当に伸びているのかもしれませんが。) 印象に残っているのは、収容所に隣接している日本軍基地の飛行場から、特攻隊の兵士が3人出陣式をしているのを見送るシーン。金網越しにジェイミーは、直立不動で敬礼し、美しいボーイソプラノで賛美歌を歌います。特攻隊の意味までは理解してはいないと思いますが、敵でありながら、その敬虔な雰囲気に思わずとった行動でしょう。 その次のシーン、飛び立ったゼロ戦は、空中で爆発します。その直後、連合軍の爆撃機が数機飛んできて、日本軍を攻撃します。基地は爆撃され、壊滅状態です。結局、その後日本軍は撤退していくわけですが、そんな中、興奮状態で叫びまわるジェイミーだが、勉強を教えてもらっていたイギリス人の医師になだめられ、ふと我に返ると泣き出します。「パパとママの顔が思い出せない……」。興奮状態が収まり現実にもどり、彼なりに収容所生活の終わりを自覚したのでしょうか。思わず涙してしまう名シーンです。 そして、最後の両親と再会するシーン。両親とはぐれてしまった子供たちの集団の中にジェイミーはいます。対面するのは、自分の子を探している親たち、一人、また一人と、見つかり抱き合っていく中、ジェイミーは暗い顔で、ボーとした表情です。お父さんが横を通ってもわかりません。(お父さんにがっかり)お母さんに呼ばれ、やっと気づくのです。(お母さんも半信半疑)2人は抱き合いますが、ジェイミーに笑顔も涙もありません。わずかに安堵の表情を見せますが、何か、明後日の方を見つめています。ジェイミーにとっては、お金持ちのお坊ちゃんの生活よりも、活気があって生き生きしていた収容所の生活の方が楽しかったのかもしれません。両親との再会はうれしいんだが、今後のことを思うと不安を感じずにはいられない、といった微妙な表情です。やられましたね、この顔には。 この少年が成長し、苦悩する正義の味方や、反乱軍の頼もしいリーダーや、不眠に悩む狂気の男や、キレキレのボクシングトレーラーを見事に演じるようになるのです。子役から上手に成長し、演技派の役者になっていくのを見るのはうれしい限りです。あとはジョディ・フォスターぐらいですかね。テイタム・オニール(大好きでした)や、ブルック・シールズや、「ホーム・アローン」の子(名前忘れた)は、どうしたんでしょうか。「ジュマンジ」を見た後、「スパイダーマン」を見たときはちょっとうれしかったです。 この映画、日本人の役者もたくさん出ています。伊武雅刀は、日本軍軍曹で、収容所の所長(?)という重要な役で、日本の軍人らしい重厚な演技を見せています。片岡孝太郎は、ジェイミーと心通わせる若い兵士の役で、いい味を出しています。ガッツ石松(OK牧場)と山田隆夫(座布団運び)も兵士の役で、ちょっと出ています。三遊亭円楽(楽太郎)によると、山田隆夫は、いまだにハリウッド映画に出たことを自慢しているようです。困ったものです。 しかし、ひとつわからないことがあります。それは題名です。「太陽の帝国」って、日の丸(日章旗の方かな)の国、つまり日本のことですよね。日本軍が中心じゃないんだけど。
2011.07.29
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今、なでしこジャパンが世界一になりました。やったね。「フルメタル・ジャケット」 Full Metal Jacket 1987年 アメリカ映画監督 スタンリー・キューブリック 今まで、SF系ばかりだったので、今回は戦争映画です。 この映画は、2部構成です。前半部分は国内での海兵隊の新兵の訓練の描写、後半はベトナム現地での市街戦の場面です。 新兵たちを訓練するのは鬼教官です。常に汚い言葉で、罵倒と叱責の連続です。軍隊の訓練ですから、もちろん肉体的に非常に厳しい訓練です。その上、教官から罵倒され精神的にも追い込まれます。肉体・精神の両面で極限状態に置かれ、思考停止状態にもっていく、洗脳の常とう手段です。こうして命令に忠実に従う殺人機械を作っていくのです。なんとこの鬼教官、役者ではなく、本物の海兵隊の元教官だそうです。こういう訓練が現実の軍隊でも行われていたのではないでしょうか。 訓練生のひとりレナードは、肥満体で、顔に締まりがなく、不器用で動きが鈍かったため、鬼教官から「微笑でぶ」と呼ばれ、目の敵にされていました。彼が厳しい訓練についていけず失敗するたび、連帯責任で全員にペナルティを科します。ある時、飲食厳禁の寝室のレナードの荷物からドーナツが発見され、連帯責任で全員罰を受けます。その夜、訓練生たちはレナードをベッドに縛り、全員でリンチします。次の日からレナードの目つきが変わり、射撃訓練の意外な好成績で鬼教官にほめられるレナードの眼には狂気がうかんでいます。卒業前日、班長の「ジョーカー」はトイレでライフルに実弾をつめるレナードを発見し、鬼教官と一緒になだめようとしますが、レナードは鬼教官を撃ち殺し自殺してしまうのです。 後半はベトナムです。報道部の「ジョーカー」は、前線の取材を命ぜられ、同期の「カウボーイ」の部隊に同行して、敵が撤退したはずの破壊された市街地に、確認に向かいます。トラップにひっかかり指揮官を失い、謎の敵から狙撃を受け、部隊は混乱します。多くの仲間を失いながら、何とか狙撃手のいるビルにたどり着いた「ジョーカー」たちは、敵を倒します。狙撃手はたった一人のベトナム人少女でした。「ジョーカー」は虫の息の少女に涙をにじませながらとどめを刺します。 多くのベトナム戦争映画に描かれている泥沼のジャングル戦はありませんが、この戦争の悲惨さ無意味さは、リアルに十分に伝わってきます。前半の訓練所の過酷さは、ベトナム帰還兵が精神的におかしくなっていく原因は、戦闘の悲惨さだけではないのではないかと思わせます。後半の戦闘場面では、とっくに撤退していた敵の幻影を恐れ、命を落としていく無意味さを描いているのではないでしょうか。さすがキューブリック監督と思わせる一編です。「博士の異常な愛情……」の変な博士や、「2001年宇宙の旅」のボーマン船長や、「時計じかけのオレンジ」のアレックスや、「シャイニング」のジャック・ニコルソンなど、狂気的なものを描かせたら天下一品です。 ちなみに例の如くアカデミー賞では、作品賞・監督賞はじめ、すべての賞でノミネートされていません。
2011.07.18
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