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「空気人形」 2009年 日本映画 監督 是枝裕和 出演 ペ・ドゥナ 板尾創路 ARATA オダギリジョー 余貴美子 星野真里 高橋昌也 DVDを借りに行ったら、見つけてしまいました、「クラウド・アトラス」で、一発で気に入ってしまった韓国女優ペ・ドゥナちゃんの主演作を。 さえない中年男・秀雄(板尾創路)はラブドールに“のぞみ”(ペ・ドゥナ)と名づけ、話しかけたり、抱いたりして暮しています。 空気人形であるはずの“のぞみ”がある日、瞬きをしてゆっくりと立ち上がり、軒先の雫に触れて「キレイ」と呟きます。その日から、秀雄のいない昼間、メイド服など、秀雄の用意した服を着、外出するようになります。 いつしか“のぞみ”は、ビデオ屋の店員・純一(ARATA)に一目ぼれし、アルバイトを始めます。 静かで、ゆったりして、美しくて、悲しくて、ちょっとだけ幸せになる優しい物語でした。 是枝監督の映画って、「海街diary」の時も感じましたが、静かで美しい空間を魅せるのがうまいですよね。静かで美しい風景にゆったりとした空気が流れる画面なのに、全く退屈しない、そんな不思議な雰囲気を作り出しているんですよ。 そんな中、とってもかわいいペ・ドゥナちゃんかわいらしい服を着て、ちょこちょこ動いているわけです。まさに、「惚れてまうやろ~~!!」という感じですかね。 でも、ペ・ドゥナちゃん、見た目がかわいらしいだけではありません。心を持ってしまったばかりの“空気人形”、という、普通ではありえない存在を見事にリアルに演じているんです。まず、心を持ったばかりで知らないことばかりの“空気人形”が、いろいろと知っていく喜び、純粋な子どものような無垢な喜びの表情がいいんですね。そして、空気の抜けた空気人形がしぼんでいく様子、スレンダーな体をより絞らせたり、タイミングよく首が折れるところなど、特殊効果に頼ることなく、見事に表現しています。たどたどしい日本語も、韓国人だからなのかもしれませんが、とってもそれらしいですよね。 どうやら、この「空気人形」の彼女の演技を観たウォシャウスキー姉弟が、「クラウド・アトラス」のクローン少女の役に、抜擢したという話です。 ほかの脇役の皆さんもとってもいいですね。 持ち前の変人さをそのまま表現した板尾創路のダメ男ぶりも、ディーン・フジオカと斎藤工を足して2で割ったようなイケメンなARATAの優しいだけな男ぶりも、自分の作った“空気人形”が心を持ったという有り得ない事実を静かに受け止めるオダギリジョーも、ゴミ屋敷の中でひたすら食べる過食症の女を演じる星野真里も、自分の老いに空虚感を感じている年増の受付嬢の余貴美子も、長年の代用教員生活に虚しさを感じている老人の高橋昌也も、皆さん、いい味を出しています。 ということで、かわいいペ・ドゥナちゃんにひかれて選んだDVDですが、思いがけず、ちょっといい話を味わえ、ちょっとだけ幸せになれた、というお話でした。 やっぱり日本映画は小品に、心温まるいい作品が多いですね。
2017.11.05
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「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」 Fantastic Beasts and Where to Find Them 2016年 イギリス映画 製作・脚本 J・K・ローリング 監督 デヴィッド・イェーツ 出演 エディ・レッドメイン キャサリン・ウォーターストン ダン・フォグラー アリソン・スドル サマンサ・モートン コリン・ファレル エズラ・ミラー このブログでは紹介していませんが、「ハリー・ポッター」シリーズは大好きで、全話DVDを購入し、繰り返し観ています。だから、このスピンオフ作、とってもとっても観たかったんです。 で、安く売っているDVDを見つけて、喜び勇んで買って帰り、さっそく鑑賞しました 1926年、闇の魔法使いグリンデルバルドがヨーロッパで猛威を振るっていました。 そんな中、魔法動物学者ニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)は船でニューヨークに渡ってきました。ニュートのスーツケースの中には彼が世界中で保護した魔法動物たちで一杯ですが、税関の手荷物検査は間一髪通り抜け、ニューヨークの町中へ。 ニュートが通りを歩いていると、新セーレム慈善協会の指導者、メアリー・ルー・ベアボーン(サマンサ・モートン)が魔法使いの脅威と撲滅について熱心にスピーチをしていました。 ニュートがそのスピーチについ足を止めていると、スーツケースから、ニフラーという魔法動物が逃げ出してしまいます。光り物が大好きなニフラーを追って、ニュートは銀行へ。そこには、パン屋を開くための融資を断られ、途方に暮れてベンチに座っているジェイコブ・コワルスキー(ダン・フォグラー)がいました。 ニフラーを追うどさくさの中、ニュートとジェイコブのトランクが入れ替わってしまい、“オブリビエイト”(記憶を消す魔法)することなく、ジェイコブに逃げられてしまいます。 それを見ていた元闇祓いのティナ・ゴールドスタイン(キャサリン・ウォーターストン)は、魔法機密保持法に違反したニュートを捕まえて、アメリカ合衆国魔法議会(マクーザ)へ連れて行きます。しかし、スーツケースを開けてみると、パンが一杯つまっていたため、ニュートは解放されます 一方自宅に帰ってきたジェイコブは、中に何が入っているかも知らずスーツケースを開け、中に入っていた魔法動物に逃げられ、自宅は半壊状態になってしまいます。 ニュートとティナはジェイコブの家を修復し、ティナが妹クイニー(アリソン・スドル)と暮らす家に、ジェイコブも連れて退避します。 シリーズ第3作「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」で登場する、ハグリット先生の魔法生物飼育学の危険な教科書(うかつに触ると噛まれます。)、『幻の生物とその生息地』の著者、ニュート・スキャマンダーを主人公にした新シリーズの第1作です。 僕は、このスキャマンダーを主人公にした新シリーズが作られるというニュースを聞いた時から、非常に楽しみにしていました。「ハリー・ポッター」シリーズにちょくちょく出てくる、ゴブリンやケンタウルスなどなど異形な者たち、ドラゴン・ピクシー・ヒッポグリフ・フェニックスなどの魔法動物が大好きだからです。 このブログでもたびたび触れていますが、恐竜好きで深海生物好きで、かつて怪獣博士だった僕は、こういう異形のものが大好きで、「千と千尋の神隠し」の湯場に異形のお客様がウジャウジャいる場面や、「スター・ウォーズ」の酒場の場面や「メン・イン・ブラック」の秘密の宇宙空港の場面など、異形の宇宙人がたむろっている場面が大好きです。 だから、異形な魔法生物がたくさん出てくることが必然であるこの映画、とってもとってもとっても楽しみだったわけです。 光物が大好きですばしっこいニフラー、透明になれるがゆえに透明マントの材料として乱獲され希少種になってしまったデミガイズ、翼のある蛇で大きさ自由自在なオカミー、翼で嵐を巻き起こすサンダーバードなどなど、もう楽しくってしょうがない映画でした。多くの方々が思っているように、僕もニュートのトランクの中に入ってみたいと心の奥底から思いました。 この映画、魔法動物の楽しさだけが見どころじゃありません。 やっぱり役者陣の巧みな演技も見どころです。 まず何といっても、主人公のニュート・スキャマンダーを演じるエディ・レッドメインですね。難病に侵されながらブラックホール関連で画期的理論を発表し続ける天才物理学者スティーブン・ホーキング博士を演じてアカデミー賞主演男優賞を受賞し、翌年は世界初の性別適合手術を受けたリリー・エルベを演じて2年連続ノミネート(受賞は残念)されている新進気鋭の演技派です。(「ジュピター」では、あのラジー賞も受賞していますが。) この映画でも、人見知りで人付き合いはうまくないが、魔法生物の前では非常に饒舌になり、愛情をもって世話をする主人公の個性を巧みな演技で表現しています。 アメリカ合衆国魔法議会長官パーシバル・グレイブルを演じるコリン・ファレルは、悪役フラッグ立てまくりの初登場でしたが、アメリカ魔法界の大物を威厳たっぷりに演じていましたし、メアリー・ルーの養子クリーデンスを演じるエズラ・ミラーは、屈折した悩める少年を怪演し、存在感抜群でした。まだまだ経験の少ない若い俳優さんですが、「ジャスティス・リーグ」でフラッシュを演じているようですね。今後が楽しみです。 かつて「マイノリティ・リポート」や「CODE46」で笑顔が印象的なかわいらしい女性を演じていて気に入っていたサマンサ・モートンが、えげつないおばさんを演じていたのはちょっとショックでしたね。あまりにもえげつなくって、最初誰だか気が付かなかったほどです。 そんな中、たまたまニュートと同じトランクを持っていたがために、事件に巻き込まれてしまう普通の人間(アメリカでは“ノー・マジ”イギリスでは“マグル”と言います。)、 ジェイコブ・コワルスキーを演じているダン・フォグラーの存在感が気になりました。いわゆる普通の小太りなおじさんなんですが、表情豊かで、なんとなく憎めない、見るからに人のよさそうな男を好演していましたね。ただ“ノー・マジ”ですが、ラストの感じだと、続編に出てきそうな雰囲気(詳しくは秘密)でしたので、とっても楽しみです。 ということで、ニュートが魔法動物たちの能力を生かして、闇の魔法使いグリンデルバルドと対決していくというシリーズの基本路線を作り上げ、すでに来年第2弾が公開され、次は若きダンブルドアが登場すると話題になっている、人気シリーズになること確実な第1作がとってもとっても期待通りで面白かった、というお話でした。 あっそうだ、あと、今までの「ハリー・ポッター」シリーズと違って、原作小説が出来上がってから、映画化されたのではなく、原作者のJ・K・ローリングが、直接脚本を書いているため、お話をカットした感ありありな時間が飛ぶ場面が全くなく、物語がテンポよく展開されるのもとってもいいなと思った、ということも付け加えておきましょう。
2017.10.29
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「シャニダールの花」 2013年 日本映画 監督 石井岳龍 出演 綾野剛 黒木華 Yahooのおすすめ映画で観ました。 何故か女性の胸に咲く“シャニダール”と呼ばれる花、その花弁の成分から新薬を開発しようとする製薬会社は、女性たちに高額の契約金を支払い、研究所の施設で栽培しています。 製薬会社でシャニダールの研究をつづける植物学者の大瀧賢治(綾野剛)は、新たに赴任してきたセラピストの美月響子(黒木華)と出会います。 提供者のひとり田村ユリエは、大滝に好意を寄せていますが、大滝と響子の親密さに心を痛め、花の成長は思わしくありません。 菊島ミクは花が思うように成長せず、ノイローゼ気味でした。 新たに花のつぼみが見つかった少女立花ハルカは、人見知りなため、不安を抱えながら入所してきますが、響子とともに絵を描くことで次第に打ち解け、花は順調に成長していきます。 そんな中、響子の胸にシャニダールの芽が出てきます。謎の多い花の研究に疑問を感じ始めてきた大滝は、花が咲かないうちに切除したほうがよいと響子に伝えますが、響子は、花を咲かせて種が得られるまで育てたいと言います。 不思議なお話でした。 シャニダールの花はどこから来るのか、なぜ若い女性にしか咲かないのか、なぜ芽から直接花になるのか、なぜ女性の心の動きに花の成長が左右されるのか、花の芽生えた女性をどうやって見つけてくるのか、最新式の施設や膨大な研究費、女性たちに支払う超高額な契約金など、その膨大な資金はどこから来るのか、などなど、どんどん疑問が頭に浮かんできます。 観続けていくとその疑問が次々と解決されていくのだろうかと、淡々とスローテンポで流れる静かな時間に耐え、時々挿入される、意味不明なカットにも耐え、響子の胸に花が芽生えたり、研究所がダメになったり、予想通りな展開に納得しながら、最後まで観終え、「えっ、これで終わり????」と、多くの疑問が解決しないまま迎えてしまった、意味のよくわからないエンディングに、頭の中が?で満タンなままでした。 結局、意味や結末は自分で考えな的な、よく言えば芸術作品的な、風呂敷を広げ過ぎて収集がつけられなかった的な、なんとなく自然環境を破壊し続ける人類に対しての警告的なテーマを匂わせながら消化しきれなかった的な、不思議な作品でした。 まあ、最近僕のお気に入り女優の仲間入りしてきて、大河ドラマ「真田丸」では、結構早いうちにいなくなってしまった(真田源二郎信繁の最初の正室梅が早々に亡くなってしまうのは史実だからしょうがないんだけどね。)ので、非常に残念に思っていた黒木華ちゃんの魅力を十分に堪能できたので、僕的にはある意味満足できた作品でしたが、もっとお話を吟味してから作品を作ってほしかったなあ、と思ってしまいました。
2017.01.31
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「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」Life of Pi 2012年 アメリカ映画監督 アン・リー主演 スラージ・シャルマ DVDレンタルしてきました。 以前、「なぜ作品賞?」という評をこのブログで書かせていただいた「アルゴ」が作品賞を取った回で、実は最多受賞(監督賞など4部門)だったのは、この作品です。本命「レ・ミゼラブル」、対抗「リンカーン」そして穴「ライ・オブ・パイ」と言われていた回です。 しかしこの作品、監督こそ、かつて「グリーン・デスティニー」で外国語映画賞を、「ブロークバック・マウンテン」で監督賞を受賞している巨匠アン・リー(台湾出身)ですが、役者陣はすべて無名な方々で、ほとんどがアジア人、主役の少年に至っては、なんと演技経験全くゼロ、舞台もインドから太平洋の真っただ中、というアメリカ映画としては全くの異色作です。 ヒンズー教とキリスト教とイスラム教とを同時に信奉し、かつ円周率を延々と暗記するほど賢く、泳ぎや楽器も得意な少年パイ(スラージ・シャルマ)、インドで動物園を経営していたパイの一家は、新天地を求め、動物とともにカナダに移住を決断します。 しかし、乗船した日本の貨物船は、太平洋を北上中に海難事故に遭い、16歳の少年パイは人間では唯一の生存者となってしまいます。彼はライフボートでオランウータン、ハイエナ、シマウマ、ベンガルトラと過ごすことになってしまうのです。 足を骨折しているシマウマを襲うハイエナ、それに怒ってハイエナを襲うが逆に倒されるオランウータン、ハイエナはベンガルトラに倒され、結局、トラとパイ少年とで広大な海をさまようことになるのでした。 以前紹介した「127時間」や「キャスト・アウェイ」のようなサバイバル映画かと思っていたら、違いました。パイ少年がいかにしてトラと共存し、危機を乗り越え生還することができたのか、誰もが予想したであろう、そんなテーマの映画ではありませんでした。 冒頭、パイ少年が学校でいじめられていた様子や、いろいろな宗教を同時に信奉する様子など、幼少からの生い立ちを語る部分が結構あり、「いったいいつから漂流が始まるんだ?」と思ってしまいます。 その後、嵐に会って遭難する海洋スペクタクルを経て、パイとトラ、2人だけの漂流が始まると、トラとの対決、クジラやトビウオの群れとの遭遇、不思議な島(どんな島かは秘密にしておきましょう。)への漂着、そしてトラとの別れ、なんか奇跡的な状況の連続を、この世なものとは思えないような美しい映像とともに、描き出していきます。 そして、メキシコに漂着(彼が結局助かるであろうことは明らかなので、書いてしまいました。)後、彼が語った話、ここで初めて冒頭の彼の生い立ちが語られている意味や、漂流中の現実離れした映像の連続の意味が分かってきます。この作品は、サバイバル映画ではなく、宗教的な意味のある寓話なのではないでしょうか。 ということで、キャストや舞台だけでなくそのテーマや映像も異色な、どちらかといえばファンタジーな映画だったというお話でした。 ところで、主役パイ役のスラージ・シャルマくん、実にいいですね。なんと彼、全くの演技初体験のデビュー作です。しかし、彼の表情やリアクションが非常に豊かでリアルなんですよね。まあ、ある意味素人っぽいっていうことなんですけど。でも、トラの映像はほぼCGで、彼の前には実際には存在していないという話なので、そればっかりでもないのかなあ。まあ、今後に期待ですよね。
2015.07.06
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「HOME 愛しの座敷わらし」 2012年 日本映画監督 和泉聖治出演 水谷豊 安田成美 橋本愛 濱田龍臣 草笛光子 荻原浩のヒット小説を映画化した作品です。 同じく水谷豊主演作、伊藤蘭との夫婦共演で話題になった映画、「少年H」公開の宣伝のために、TV放映しましたので、録画しておいたものです。 父・晃一(水谷豊)の転勤で、東京から岩手の田舎町へと引っ越してきた高橋一家。 晃一がよかれと思って選んだ新しい住まいは、なんと築200年を数える古民家でした。 東京での暮らしに馴れていた妻の史子(安田成美)は、突然の田舎暮らしに不安と不満でいっぱいです。老人ばかりの近所付き合いにも乗り切れないでいました。 中学2年の長女・梓美(橋本愛)にも古民家はただのボロ家にしか見えず、転校先の学校生活を考えると心が落ち着きません。転校前の学園生活でも人間関係で悩んでばかりだったからです。 同居する晃一の母親・澄代(草笛光子)は田舎住まいには支障を語らないものの、最近、認知症の症状が始まりつつある様子です。 唯一、古民家への転居を楽しんでいる小学4年の長男・智也(濱田龍臣)は、治りかけている喘息の持病を今も史子にひどく心配され、サッカーをやりたくてもやれずにいます。 五者五様、どこかギクシャクしている一家をやんわりとまとめたい晃一でしたが、家族の不平不満をなかなかうまく解消することはできず、異動先の支社でも馴れない営業職に悪戦苦闘の毎日でした。 そんなある日、不思議な出来事が高橋家に起こり始めます。誰もいない場所で物音が聞こえたかと思えば、囲炉裏の自在鉤が勝手に動いたり、掃除機のコンセントがふいに抜けたり、手鏡に見知らぬ着物姿の子どもが映ったり……。 どうやらこの家には東北地方の民間伝承で有名な“座敷わらし”が住んでいるようなのです。 ということで、いろいろな問題を抱えた家族が、座敷わらしとの交流を通して、問題を解決し、幸せになっていくという、ほのぼのストーリーです。 その問題は、当人にとっては結構深刻かもしれませんが、ハラハラドキドキするわけでもなく、人類の存亡がかかっているわけでもなく、はっきり言って、気の持ちようで変わってくるような問題ばかりです。結局、座敷わらしとの交流で気持ちに余裕ができて、状況が好転したという感じです。 まあ、いい話だなあ、という感じの、ほのぼのホームドラマでした。 そんなわけで、もっとドキドキするお話の方が好きな僕としては、非常に物足りなく、はっきり言って、退屈なお話でしたので、お話の流れとは関係ないところが気になってしまいました。 まず、座敷わらしの設定についてです。 本来伝説の座敷童というのは、ある特定の部屋および家屋に住み着いているもののはずです。(だから“座敷”なんですよね。)東北地方の座敷童が出るということでTVなどで取り上げられ、有名になった旅館でも、出現するのはある一部屋だけというお話です。 だから、この映画で描かれているように、庭(「トトロ」の家みたいに、庭と森の境界線があいまいな家なので、家の敷地内かは怪しい。)の祠に出現したり、坊主と庭でくつろいでいたり、ましてやこの映画の結末(一応秘密にしておきます。はっきり言ってがっかりしましたが。)のようなことはあり得ないのではないだろうかと思ってしまいました。(屋根裏の梁に腰かけて微笑んでいるというのは、ギリ・セーフだと思いますが。) 飢饉や貧しさのために生まれる間もなく、口減らしさせられた子どもの霊だとか、その家に幸いをもたらすといった設定は、伝説通りなので、なんか、(特にラスト)単なる子どもの幽霊のような扱いに非常に疑問を持ってしまいました。 それから、お父さんの会社についてです。 時期的には、6月の終わりか7月の初めのことだと思われます。はっきりとは語られていませんが、引っ越してすぐ、お姉ちゃんは転校先の中学校に登校しており、弟は病気のこともあるので夏休みが終わってからということにしていることから推測できます。(その割には、晴天ばかり続いているのは変ですが。空梅雨?) そこで疑問を持ってしまったのです。いくらプロジェクトの失敗の責任を取ってのこととはいえ、学校に行っている子どもがいる男をこんな非常に中途半端な時期に左遷させるのか、ということです。しかも東京の本社から遠く盛岡の支社まで。 なんて非人道的な会社でしょうか。これって、組合とかは何にも言わなかったのでしょうか。 しかも、数か月後には………。(結末にかかわるので、濁しておきます。) それに、会社としては、全国いたるところに支社があるような大企業ではなく、どう見ても、中小企業です。なぜ東京本社と盛岡支社なのか。非常に疑問です。 どうも、初めに座敷わらし有りき、な感じですね。やっぱり“座敷童”なら東北でしょう。という安易な設定でしかない感じですね。そして、お姉ちゃんは学校の人間関係で悩んでいたわけですから、学校に行かせなけりゃいけないし、絵的にはやっぱり夏の方がいいし、ということで、この1学期の終わりという非常に中途半端な時期設定になったのではないでしょうか。 原作の小説は読まずに、映画だけ観て批評しているので、どこまでが原作の設定で、どこが映画オリジナルなのかわかりませんが、はなはだ設定的な部分で疑問を持ってしまったため、心が癒されるはずのほのぼのストーリーに、今ひとつほのぼのできなかった作品でした。 ところで、いけませんね。「相棒」の観すぎでしょうか、水谷豊さんが、杉下右京警部にしか見えないのですが………。困ったものです。 ちなみに、お姉ちゃん役の橋本愛さん、今「あまちゃん」のサブヒロインとして、大ブレイク中の子です。「告白」でも、存在感バリバリでした。今後大女優になる予感バリバリです。
2013.10.04
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「ザスーラ」 Zathura : A Space Adventure 2005年 アメリカ映画監督 ジョン・ファブロー出演 ジョシュ・ハッチャーソン ジョナ・ボボ クリステン・スチュワート ティム・ロビンス 以前紹介した、ロビン・ウィリアムス主演で、子役時代のキルスティン・ダンストが好演していた、恐ろしいボード・ゲームのお話、「ジュマンジ」の続編です。同じ作者の絵本が原作で、映画の中のお話は直接つながってはいませんが、同じように恐ろしいボード・ゲームのお話です。 土曜日の昼下がり、パパ(ティム・ロビンス)が仕事で家を空けてしまい、6歳のダニー(ジョナ・ボボ)は、ケンカばかりしている10歳の兄ウォルター(ジョシュ・ハッチャーソン)に遊び相手になってもらおうとして、逆に怒らせてしまいます。 閉じ込められた地下室で、ダニーは、“ザスーラ“という古いボード・ゲームを発見します。リビングに戻ったダニーは、早速ゲームを始めてみますが、宇宙船のコマが動き出して1枚のカードが飛び出すと、彼らの住んでいる家は宇宙に漂い始めてしまいました。 緊急事態に戸惑った兄弟は、2階の自室で寝ていた姉のリサ(クリステン・スチュワート)に助けを求めますが、2人の言うことに耳に貸さない姉は、ゲームの力によりバスルームで凍りついてしまいます。 隕石群の襲来や、謎の宇宙人の宇宙船による攻撃で、家もボロボロになり、もはやゴールに辿り着いてゲームを終わらせるしか術がないと、兄弟は気づくのでした。 前作はジャングルをモチーフにしたゲームでしたが、今回は宇宙です。その分、いきなり宇宙空間に飛んでいってしまったり、CG技術の格段の進歩もあり、迫力は増していますが、前作を知っていると、いくら家が壊れようが、変なものが現れようが、ゲームを終わらせれば、すべて元通りに戻るということが予想できてしまうので、あまりドキドキできませんでした。 そんな風に、いまいち物語の展開に乗り損ねてしまったので、次々と隕石が飛んできて穴だらけになるのが、ゲームをしていたリビングだけで、家の外から飛んでくるのにもかかわらず、2階とかは全く無傷だったり(そのおかげで2階で寝ているお姉ちゃんが全く気が付かなかったりするんですけどね。)、そのくせ、ゲームからコールドスリープの指示があった時には、なぜかお姉ちゃんのいた2階のバスルームが冷凍室になり、カードを引いたダニーではなく、お姉ちゃんが凍り付いてしまったり、途中で現れた宇宙飛行士の正体が、パラレルワールド的な存在(詳しくは秘密)だったり、と、矛盾する部分が非常に目についてきてしまい、ますます乗っていけません。 わがままばかり言っていた末っ子ダニー(まあ、6歳だからしょうがないけどね。)と、そんな弟を煩わしく思っていた兄ウォルターと、幼い弟たちの世話をめんどくさがっていた姉リサが、危機を乗り越える中で、絆を深めるという感動的な展開に、最後は感動しなきゃいけないのかもしれませんが、そんなこんなで、やっぱりベタな展開だなあ、と冷めた目で見ている自分がいました。 まあ、基本的には、子ども向けの映画なので、ベタな展開と結末で、よかったよかったで終わるのが当たり前なので、これでいいのかもしれません。 ということで、舞台を変えて新鮮味を目論んではみたが、結局は2番煎じに過ぎなかったという、でも、子どもたちは結構楽しんで観れるのではないだろうかという、映画を今回は紹介しました。 ちなみに、長男ウォルター役のジョシュ・ハッチャーソンは、この後、「テラビシアにかける橋」「センター・オブ・ジ・アース」「ハンガー・ゲーム」と、姉リサ役のクリステン・スチュワートは、「トワイライト・サーガ」シリーズ「スノーホワイト」と、成長とともに着実にステップアップしている、次代を担うスター候補生です。しっかり名前を憶えておきましょう。
2013.08.18
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「オールウェイズ」 Always 1989年 アメリカ映画監督 スティーヴン・スピルバーグ出演 リチャード・ドレイファス ホリー・ハンター ジョン・グッドマン オードリー・ヘップバーン 三丁目ではありません。 スピルバーグ監督が、気心の知れたリチャード・ドレイファスの主演で作った、大人のファンタジーとでもいえる恋愛ドラマです。往年の大スター、オードリー・ヘップバーンの最後の出演作としても知られる作品です。 1943年の「ジョーと呼ばれた男」という日本未公開作のリメイクだそうです。 森林火災の消火飛行隊員ピート(リチャード・ドレイファス)の恋人、ドリンダ(ホリー・ハンター)は、誕生日にピートからドレスとハイヒールをプレゼントされた夜、消火飛行のパイロットになりたい、と言い出します。 許さないピートに彼女は、友人で同僚のアル(ジョン・グッドマン)から聞かされていたパイロット養成学校の教官になるよう頼みます。死と背中合わせの仕事を続けるピートを心配したドリンダの心を察した彼は、それを約束します。 ところが、非番の日に起きた山火事の出勤を命じられたピートは、ドリンダの制止も聞かず飛行機に乗り込み、飛び立ちます。 消火作業中、エンジンに火のついたアルの飛行機を鎮火させようとしたピートは、逆に爆死してしまうのでした。 天国でピートはハップ(オードリー・ヘップバーン)という天使と出会い、彼の後を継ぐ若いパイロットに彼の霊感を与え、導いてやってほしいと言われます。 こうしてピートは、アルが所長をすることになった養成学校の生徒テッドにアドバイスを与えることになるのでした。 ということで、思わず、「いい話やなあ~。」と言ってしまう話ですが、そんなに名作とは思いませんでした。というのも、お話の展開が予想できてしまうからです。 最愛の彼女を残し思わぬ事故で命を落としてしまったが、天使の助けで文字通り影ながら若者を助けようとするピート、最愛の人の死の悲しみから立ち直りアルのパイロット養成学校を手伝おうとするドリンダ、命を落とした親友に助けられた命を次代を担う若者たちの養成に捧げるアル、アルの元、一人前の消火飛行隊員を目指す若者テッド、そこに、また大規模な山火事が起こり、彼らがとった行動に、「やっぱり!」と思ってしまいました。 でも、まあ、何か安心できるいい話なので、安らかな気持ちには、なれると思います。 ところで、僕は、別なことが気になってしまいました。 それは、主人公ピートが命を懸けて助けた親友アルのことです。 アルは、ピートの同僚として、ピートとともに森林火災の消火飛行隊員として働いていましたが、そろそろ引退して、後釜を育てるべく、森林火災消火のパイロット養成学校を開こうと画策していました。ピートにもその学校の教官として誘いをかけており、今回の出動を最後にしようと、2人で出動していったのです。その現場で、アルの飛行機に火が付き、危機一髪の時、ピートが機転を利かせてアルの機の上から消火剤を散布して、見事に消化をしたのですが、今度はピートの機が引火してしまい、ピートは命を落としたわけです。 ドリンダは、ピートの彼女でしたが、もちろんピートの親友として、アルとも結構仲良しでした。僕が思うに、アルもドリンダが好きだったのではないでしょうか。 ピートの死後、アルが計画通りパイロット養成学校を開校し、ピートの死から立ち直りつつあるドリンダにその手伝いを頼みます。 アルは自分を助けるためにピートが命を落とした事実から、いくらドリンダのことが好きであっても、おいそれとドリンダと結ばれるわけにはいかなかったのでしょう。最愛の人をなくして意気消沈している彼女に、代わりに打ち込む道を用意してあげるぐらいしかできなかったのではないでしょうか。 そう考えると、上にも横にも大きい巨漢ですが、見るからに人の良さそうなやさしい男の悲哀が気になって、何とか彼にも幸せになってほしいな、と思ってしまいました。 ということで、愛し合う2人が死によって切り裂かれますが、超常的な力で、何とか幸せになることができるという、大人のファンタジーでした。 ところで、若い頃大好きだったオードリー・ヘップバーンですが、まあはっきり言ってすっかりおばあちゃんになっていましたが、非常に上品で、やっぱり美しい姿を久々に観られて、うれしかったです。
2013.08.02
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「フック」 Hook 1991年 アメリカ映画監督 スティーヴン・スピルバーグ出演 ロビン・ウィリアムス ダスティン・ホフマン ジュリア・ロバーツ マギー・スミス もう、30年以上もたつんですね。劇場公開当時非常に話題でした。ピーターパンにロビン・ウィリアムス、フック船長にダスティン・ホフマンと、演技派で知られる大スターを配し、ティンカー・ベルが、この前年「プリティ・ウーマン」の大ヒットで一躍スターの座を射止めたジュリア・ロバーツ、そして監督がヒットメーカーのスピルバーグです。しかもその題材が、誰もが知っている童話「ピーターパン」です。話題にならないわけがありません。そして、予定通り、大ヒットでした。 でも、どうでしょう、スピルバーグの映画を言ってみろと言われて、この映画をあげる人が一体何人いるでしょう。「ジョ-ズ」や「E.T.」「インディー・ジョーンズ」や「ジュラシック・パーク」あるいは「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」?今の若い映画ファンには、「えっ、そんな映画あったの?」と言われてしまうかもしれません。ヒットはしているんですが、他の大大大ヒットなスピルバーグ映画ほどには、社会現象になるほどの大ブームを呼んだわけではないのです。 僕も、劇場公開当時、リアルタイムで劇場で観た覚えがあります。しかし、残念ながら、その内容をあまり覚えていませんでした。レンタルビデオ屋で何を借りようかなあ、と思って歩いていて、ふと目についたので、久々に観てみようと、手に取ったわけです。 40歳の弁護士であるピーター・バニング(ロビン・ウィリアムズ)は、アメリカの企業付きの弁護士で、猛烈な仕事人間であり、家族を省みずに仕事に熱中する為に家族からは嫌われていました。 そんな一家が妻の祖母・ウェンディ(マギー・スミス)のいるイギリスに里帰りした晩、子供達が何者かに誘拐されてしまいます。誘拐犯が残した脅迫状には、フック船長(ダスティン・ホフマン)の名前が記してありました。 途方に暮れていたピーターに義祖母であるウェンディは、実は彼がかつてのピーターパンである事を告げます。しかし、かつての記憶を完全に忘れてしまっているピーターは、すぐには信じようとしません。 そんな時、突然妖精のティンカー・ベル(ジュリア・ロバーツ)が現れます。ピーターはティンカー・ベルと共に、さらわれた子ども達を救う為に、再びネバーランドへと向かうのでした。 なるほど、まあまあ面白いお話ですが、久々に観て僕は、いくつかのマイナス点に気づいてしまいました。 まず、このかつてはピーターパンであったというピーター・バニングというおっさんが、非常に嫌なヤツだということです。 もちろん、後半、自分がピーターパンダということを思い出し、空を飛び大活躍する姿との対比で、大人になったピーターパンが家庭を顧みない仕事人間になっていた、というコンセプトはいいと思いますよ、息子のジャックの野球の試合を仕事のために見に行けず、息子との関係がギクシャクするというベタな展開は、お約束だからいいんですよ。 ただ、僕が気になったのは、ロンドン(ピーターはなぜかウェンディの孫娘と結婚して、アメリカで暮らしています。)のウェンディおばあちゃんの家へ行ってまでも、電話(今では全く珍しくありませんが、当時は持っている人は非常に珍しかった携帯電話です。)で、仕事の話をしている、その内容です。 それは、よくはわからないのですが、森林の開発にかかわる話で、電話の相手(部下あるいは同僚)が、自然保護協会に阻まれて話が進まなく困っているということで、ピーターがどなっているのです。「フクロウか!!!」「たかがフクロウのために50億ドルが……。」 そこまで嫌なヤツにしなくてもういいだろう、ということです。仕事のため、金のため、自然環境を壊しても開発第一、そんなヤツかよ、ピーターパンって、と思ってしまいました。 2つ目に、ティンカー・ベルが、なぜジュリア・ロバーツ?ということです。 はっきり言って全くイメージと違いますよね。 確かに、この前年、「プリティ・ウーマン」が大ヒットして、ジュリア・ロバーツは次代を担うスター候補生として大ブレークしました。まさに今が旬ということなのですが、話題性としては、ダスティン・ホフマンがフック船長を演じるということで充分だと思うんですが、違いますかね。 スピルバーグ監督って、こんなに旬なスターを使いたい人でしたっけ、どちらかというと、無名な人を使ってスターに仕上げる方の監督だと思うんですが。 それから、ネバーランドの迷子たち(大人になることを拒否してネバーランドで暮らしている子たち)のリーダー、ルフィオの結末(どんな結末なのかは、一応ネタバレしないように秘密にしておきます。)です。 はっきり言って、あんな結末になる必要は全くなく、完全に余分です。 ネバーランドは、大人になりたくない子どもたちが暮らす楽園のはずで、基本的に遊びがその中心であるはずで、口では「殺せ!」とか「やっつけろ!!」とか言っていますが、実際にそうなるはずはならないのがお約束なのではないでしょうか。(ごめんなさい、ネタバレせずに書くのは不可能です。はっきり書きます。ルフィオはフックに刺されて死にます。) しかも、ピーターパンは復活したとはいえ、さらわれた子どもたちを取り戻したら、現実世界に帰るのは明らかで、今後も迷子たちをまとめるリーダーとしてルフィオは絶対に必要な人間です。しかもはっきり言って、どうしても彼が死ななければ話が成り立たないとは思えず、「えっ、死ぬの????」という死に方でした。なぜ彼が死ななければならなかったのか、全く理解できません。 だから僕は、非常な違和感、いや嫌悪感を抱いてしまいました。 あと、細かいところでは、ウェンディの弟たち、かつて一緒にネバーランドに行ったマイケルとジョンはどうしたんだとか、人魚の出番がたった一瞬だったとか、タイガーリリーたち、ネイティブ・アメリカンの皆さんはどうしたんだとか、ティンカー・ベルがドレスを着て一瞬大きく(等身大)になるくだりが意味わからないとか、ピーターが時計を息子のジャックに預けた意味が分からない、まさかその後フックが怖がることがわかっていたわけないよねとか、などなど、いろいろと目についてきてしまいました。 ということで、後々あまり話題にならない作品には、それなりの理由があるんですね、というお話でした。 まあ、ちょっと時間が空いた時間に、暇つぶしに見るのには、ちょうどいい感じの作品ですね。 ところで、すっかりおばあさんになってしまったウェンディを、マギー・スミスが好演していましたが、「ハリー・ポッター」を全部見終わった身としては、どうしてもマクゴナガル先生に見えてしまって仕方ありませんでした。(ラドクリフ君は今後大変だよなあ。)
2013.07.28
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「レディ・イン・ザ・ウォーター」 Lady in the Water 2006年 アメリカ映画原案・監督・脚本・出演 M・ナイト・シャマラン出演 ポール・ジアマッティ ブライス・ダラス・ハワード 久々に、M・ナイト・シャマラン監督の作品です。そうです、あの「サイン」「ハプニング」「エアベンダー」の監督です。「シックス・センス」のシャマラン監督という言い方は、多大に誤解を生みそうなので、言わないようにしようと思っています。(評価が賛否両論に分かれている「ヴィレッジ」については、ちょっと保留ですね。僕的には、すきですが。) 多国籍で個性的な住人が住むマンションの管理人クリーブランド・ヒープ(ポール・ジアマッティ)は、電球を変えたり、プールを掃除したり、絶え間なく住人から要請がある雑用をして過ごす、平穏で忙しい日々を送っていました。 そんなある日、クリーブランドは、夜、マンションのプールに人がいるという訴えを聞き、プールの脇で番をしていました。人影を見かけた彼は立ち上がり、プールや周りを見渡したが、足を滑らせ気を失ってしまいます。 気がつくと彼は自分の部屋に横になっていました。辺りを見回すとあどけなさが残る少女がいました。彼女はストーリー(ブライス・ダラス・ハワード)と名乗り、自分は“ナーフ”だと言います。 クリーブランドがアパートに住む韓国人(?)の女子大生のヤン・スンに“ナーフ”について聞くと、なんと彼女それを知っていました。英語の話せない母親が語る東洋の伝説に出てくる精霊だと言うのです。 その伝説によると、ナーフは“選ばれし器”と呼ばれる人間を探しており、その人物はナーフを見るとある能力が目覚めるといいます。そして、ストーリーは、自覚はないものの、マダムナーフと呼ばれる彼女の故郷“ブルー・ワールド”の女王で、恐ろしい怪物・スクラントに狙われているのです。ストーリーが無事故郷に帰るためには、人間の中にいる、通訳、守護者、ギルド、ヒーラーと呼ばれる4つの役割の人たちが一致団結する必要があるのです。 クリーブランドは、自分では自覚していないという、その4つの役割の人たちを見つけ、無事にナーフを故郷に帰してやる決意をします。 クリーブランドはアパートの中にその役割を持つ人間がいることに気づき、協力を要請します。住人たちは、この現実の世界で現実とは思えない物語が進行していることに驚きますが、徐々に弱っていくストーリーを見て立ち上がるのです。 世の多くの方々が感じられたように、非常に残念に思いました。 何で水の精(ナーフ)が都会(フィラデルフィアのようですが、特に関係ありません。)のマンションの全く特徴のない、大自然とは全く無縁なプールに現れるんだ?とか、クリーブランドはナーフの情報を、なぜヤン・スンに聞くのか?とか、東洋というのは中国?韓国?日本?ベトナム?(ネットで調べてみると、みな断定的に、中国とか韓国とかベトナムとか書いてあります。)とか、ストーリーを付け狙う怪物スクラントは、なぜ植物の塊で、オオカミのような姿なんだ?とか、ギルドの役割がいまいちはっきりしない、とか、あのいかにも意味ありげに登場してきた13Bの新入りの人には役割はなかったみたいだけど何のために意味ありげに登場してきたの?とか、その新入りの人はスクラントに襲われたみたいだけど、なぜ?そしてどうなったの?とか、はじめ通訳に選ばれたパズル好きのおっさんはなぜパズルの中に答えを見つけようとするの?とか、突っ込みどころを書き出していくとキリがありません。 そこで、結構核心に迫る突っ込みどころ2点についてだけ、激しく突っ込まさせていただきます。 ひとつめは、ちょっとヘタウマな古代壁画調の絵で、冒頭に説明が入る、この物語の根本となる、ナーフの伝説についてです。 世界のどこかにこういう伝説が本当に存在していて、そのどこかの伝説をもとにしてこの物語が形作られている風の体を演出している感じで、冒頭にわざわざ説明を入れているのでしょうが、はっきり言って、この伝説完全にでっち上げですよね。 いや、誤解ないように言っておきますが、僕は実在しない伝説を、わざわざどこかに存在しているがごとく装って、不謹慎だとか、糾弾するつもりはさらさらありません。 言いたいのは、その伝説があまりにも稚拙で、絶対こんなの実在しないよね、と瞬間に思ってしまうということです。どうせでっちあげるのなら、とことん実在するように作ってほしいということです。 しかも、その伝説を知っているのが、どう見ても中国人か韓国人、ベトナム人にしか見えない東洋人(はっきり言ってどの国か全く断定できません。少なくとも日本人ではないということが、僕が日本人だから、かろうじてわかるだけです。)のお年寄りにもかかわらず、東洋的な感じが全くないということです。 ナーフとか、スクラントとか、伝説の中に出てくる固有名詞的な言葉も全く東洋的ではないですし、その物語の展開も何となく東洋的ではないですよね。 冒頭の壁画風な絵による伝説を説明するアニメーションに、全く東洋的な雰囲気を感じなかった(というかどちらかというと狩猟民族的な雰囲気を感じていました。どこがどうとうまく言葉で説明できませんが。)ので、中国のどこかの農村にいそうな、あるいは、ベトナムの露店で見た目はよくないけど味はうまい食べ物を売っていそうな、ヤン・スンのお母さんが伝説を知っていると出てきたときに、非常に違和感を持ってしまいました。(でも、英語の話せないヤン・スンのお母さんと、クリーブランドが話をしたくて、外出中のヤン・スンに電話をかけ、携帯を奪い合いながら、いちいち電話の向こうのヤン・スンが通訳をして、話をする場面は非常に大笑いでした。日本語吹き替え版にしてしまうと、この面白さが全く分かりませんよ、気を付けて。) それから、いつもチョイ役で自身の作品に出演(ヒッチコックかよ!!)しているM・ナイト・シャマラン監督が、今回は非常に重要な役で出演している点です。 今回の監督の役は、ナーフのストーリーと出会うことで、作家としての才能が開花し、その書いた本が、アメリカの片田舎に住む一人の少年に影響を与え、その子がやがて偉大な指導者になるという、“選ばれし器”の作家の卵の青年(名前がよくわからないんだけど??)です。 ところが、このかなり重要な役を演じているシャマランが、あまりにも大根だということが非常に問題だと思います。 なんか終始同じようなボーとした顔をしているし、ストーリーに出会った時の衝撃とか、出会う前と後の変化とか、まったく表現できていません。これでいいんでしょうか。 彼が出たがりなのは、これまでの作品で何かしらのチョイ役で出演していることからわかりますが、自身の演技力とか考えてお話の展開にほぼ影響がないようにチョイ役を選んでいるんだなと思っていたのですが、本作では、今までに例を見ない物語の核となる重要な役なので、その大根ぶりが非常に気になって仕方がありませんでした。 彼の役が、インド人(シャマランはインド系アメリカ人です。)である必要は全くないので、ギルドだと思われていた若者たちのひとりぐらいで押さえておけばよかったのに、なんで今回はこんな重要な役にしてしまったのでしょう、と非常に疑問を持ってしまいました。 ということで、最低監督賞、最低助演男優賞(どちらも受賞者はシャマランです。)と、ラジー賞を2部門受賞しているのは伊達ではない、いつものシャマラン作品を今回は紹介しました。(ちなみに最低作品賞にもノミネートされていますが、「氷の微笑2」という大迷作があったため、受賞はできませんでした。) ところで、主人公のマンション管理人のおじさんクリーブランド、見た目にふさわしくない奮闘ぶりを見せて頑張っていますが、これは絶対、突然現れた美女スト-リーに完全に心を奪われていますね。まあ、全裸に男物Yシャツ1枚だけのかわいらしい女の子がいきなり目の前に現れ、自分に全面的に頼り切っていて、思いっ切りベタベタされれば、ほれない男はいないですけどね。 このブライス・ダラス・ハワードという女優さん、「ヴィレッジ」の時も思いましたが、人間離れした妖しい魅力がありますね。「スパイダーマン3」や「ターミネーター4」の時はそんなこと全く思いませんでしたけど。そうか、普通の女性の時はなんとはないけど、神秘的な存在を演じさせるとその魅力を発揮するんですね。 そういえば、来週から公開される、ウィル・スミス親子が共演ということで盛んに宣伝している「アフター・アース」、シャマラン監督なんですね。SF大好き理系おじさんとしては、非常に好みな内容で期待してしまったのですが、ちょっとがっかりです。「シックス・センス」的奇跡を期待しています。
2013.06.16
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「パンズ・ラビリンス」 El laberinto del fauno 2006年 メキシコ・スペイン・アメリカ映画監督・脚本 ギレルモ・デル・トロ 世界各国で賞を受賞、米アカデミー賞では、撮影・美術・メイクアップ賞を受賞(外国語映画賞はノミネートのみ)している、スペイン・フランコ独裁政権時代を描いた、ダーク・ファンタジーです。 スペイン内戦で父親を亡くした少女オフェリアは、妊娠中の母親と共に、母親の再婚相手であり独裁政権軍のビダル大尉に引き取られ、森の中にある軍の砦に移り住みます。 レジスタンス掃討を指揮する冷酷なビダル大尉は、生まれくる自分の子だけを気にかけ、母親も大尉の意向ばかりをうかがうため、オフェリアは顧みられません。オフェリアの相手をするのは砦の家政婦であるメルセデスですが、彼女の弟はレジスタンス運動に身を投じており、彼女も大尉の目を盗んで、協力していました。 砦での暮らしはオフェリアにとって重苦しいものとなっていき、彼女の心は現実から妖精やおとぎ話の世界へ引き込まれていきます。 ある夜のこと、オフェリアの前に妖精が現れ、森の奥にある迷宮へ導きます。そこには迷宮の番人パンが待っており、彼女を一目見るなり「あなたこそは地底の王国の姫君の生まれ変わりだ。」と告げ、「王国を復活させるには、3つの試練を果たさねばならない。」と言います。 オフェリアは、過酷な現実と幻想の世界を行き来しながら、3つの試練に挑むこととなったのです。 パッケージの解説も、予告編も、ファンタジー色を前面に押し出したものでしたので、ファンタジーの暗黒面を描いた映画かと思っていたら違いました。スペインの独裁政権下の悲劇を描いた、社会派ドラマでした。 内戦で父親を亡くしたオフェリアは、フランコ独裁軍事政権の将校ビダルと母親が結婚したため(2人がどう知り合って、恋仲になったかは分かりませんが、すでに子どもを身ごもっていることを考えると、無理やり手籠めにし、妊娠してしまったので仕方なく、というかわいそうな想像をしてしまいました。)、彼の任務地である、森の中の砦に向かいます。 オフィリアは、たまたま通りかかった夫婦をレジスタンスだと疑いしっかり確かめることもせず射殺したり、切迫流産しかかった母親にお腹の息子が助かればいいと言ったり、非常に高圧的で、独裁的な義父を、嫌い恐れていました。 だから、愛する母親と生れてくる弟(男の子とは決まってはいませんでしたが、ビダルはそう信じていて、たまたま当たっていました。)を、恐ろしい義父から守りたいと思い、たまたま迷い込んだ、砦の庭にある迷路(ラビリンス)の奥で出会った(妄想した?)伝説の地下王国の守護神“パン”の言葉に耳を傾けてしまうのです。 そこに、ビダル大尉が指揮する砦の軍隊と、家政婦メルセデスと主治医が手引きするレジスタンスの兵士たちの戦いが絡み合い、悲劇的なラスト(一説には、ハッピーエンドという見方もありますが、僕は、主人公のオフェリアがどうなったかを考えると、やっぱり悲劇だと思っています。)ヘ向かっていきます。 オフェリアが直面する(妄想する?)、あまりにもダークでグロテスクで神秘的な世界の描き方、軍事政権の象徴として描かれているビダル大尉の冷酷さ、しつこさ、家政婦のメルセデスや主治医がレジスタンスを手引きする様子など、とても丁寧に描かれていて、世界中で賞を取っていることに納得の名作です。
2013.06.13
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「赤ずきん」 Red Riding Hood 2011年 アメリカ映画監督 キャサリン・ハードウィック出演 アマンダ・セイフライド ゲイリー・オールドマン 童話ではありません。実写映画です。行きつけのレンタルビデオ屋では、恋愛ドラマのコーナーにありました。「これってここじゃないよなあ?」と思いつつ、借りてきました。(以前にも書いたように、「ザ・ライド」がホラーコーナーに、「ゲット・スマート」がアクションコーナーにあった、いつものビデオ屋です。「またかよ」と思ったのです。) 年頃の娘ヴァレリー(アマンダ・セイフライド) の住む森のほとりの小さな村では、オオカミの襲撃を恐れ、毎月生け贄(ブタとか)を供えてきました。 ヴァレリーは幼馴染のピーターと恋仲でしたが、家の都合で、裕福な家の息子ヘンリーと婚約させられていました。 ヴァレリーとピーターが駆け落ちしようと相談していると、オオカミの出現を知らせる鐘が鳴り響きます。襲われ命を落としたのは、ヴァレリーの姉ルーシーでした。 悲しみに暮れる村の女たちでしたが、男たちはオオカミ討伐隊を組織し、森へ向かいました。討伐隊に参加した父とピーターとヘンリーを心配するヴァレリーは後を付け、村はずれに住むおばあちゃんの家までやってきました。不安がる孫娘に、おばあちゃんは真っ赤なフードつきのケープを与え、元気づけます。 討伐隊はオオカミに襲われ、不運にもヘンリーの父親が襲われ命を落としましたが、見事オオカミの首を掲げ、帰ってきました。 そこへ、魔物退治で名をはせるソロモン神父(ゲイリー・オールドマン)が部下を率いて現れ、村を襲っているのは、ただのオオカミではなく、満月になるとオオカミになる“人狼”で、その正体はこの村の中にいる、と言います。そして、今は月と赤い惑星が重なる“血の月”と言われる期間にあたり、“人狼”にかまれたものは、“人狼”になってしまう、3日後、月が欠け始めるまで、警戒しなければならない、と村人に説くのでした。 その夜、“人狼”は、また村を襲い、数人の犠牲者が出ました。大騒ぎの最中、ヴァレリーは“人狼”に出くわし、「一緒に、村を出よう。」と話しかけられます。 Wikipediaには、ホラー映画と書いてありますが、まったく怖くないし、そんなに血が流れるわけではありません。“人狼”の正体は誰か?ヴァレリーはなぜ言葉がわかるのか?“人狼”とヴァレリーの関係は?などミステリー要素がありますが、途中で読めてしまって、いまいちです。ヴァレリーとピーターとヘンリーの三角関係を描いているのかと思いきや、ヴァレリーとピーターの関係を知ったヘンリーが自ら身を引いて、争いになりません。童話をなぞらえたところも、ヴァレリーが“赤ずきん”を手に入れる件が非常に無理やり感があるように、取って付けたようなものばかりで、情けなくなってきます。 ホラーとしても、ミステリーとしても、恋愛ものとしても、童話の実写ドラマ化にしても、何もかも中途半端で、今ひとつ盛り上がりに欠ける展開で拍子抜けでした。 だいたいが、満月って、月に1回しかないはずですよね。なんか“血の月”なるものを無理やり作り出して、4.5日連続で“人狼”が現れるなんて、ご都合主義もいいところですよね。水谷豊に怒られるぞ。(右京さんはかつて“バンパイヤ”でした。) 何とかいいところを探してみると、中世ヨーロッパの森の真っ白な雪景色が美しいところと、無名なキャストの中唯一名の知れた演技派スターゲイリー・オールドマンが、高圧的で嫌な男を好演していたところと、ヴァレリーの眼力ぐらいですかね。 ヴァレリー役のアマンダ・セイフライドという子、まだまだ新人ですが、あの眼はスターになる素質十分ですね。なんか、「レ・ミゼラブル」で、アン・ハサウェイと、眼力合戦やっているみたいですね。ちょっと楽しみです。
2013.05.31
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「ブラザーズ・グリム」 The Brothers Grimm 2005年 イギリス映画監督 テリー・ギリアム出演 マット・デイモン ヒース・レジャー ジョナサン・プライス このブログでも紹介している、「未来世紀ブラジル」「12モンキーズ」を作った奇才、テリー・ギリアム監督のダークファンタジーです。 1796年、グリム兄弟の弟のジェイクは、病気の妹を医者に診せる金を作るために売る牛を、騙されて“魔法の豆”と交換してしまうような夢見がちな子どもでした。兄のウィルはそんな弟をバカだと激怒します。妹は医者に診せられぬまま、亡くなってしまうのです。 15年後、成長したウィル(マット・デイモン)とジェイク(ヒース・レジャー)の兄弟は、魔物退治の達人として名を知られた存在となっており、各地を巡って魔物を退治しては報酬を得ていました。ジェイクは各地を巡りながら、民話や伝説を収集するのに熱心で、ウィルは現実的で要領よく生きようとしていました。 フランス占領下ドイツのとある村でバンシー退治を首尾よく成し遂げたが、実は仲間と仕組んだ自作自演だったため、そこでフランスのドゥラトンブ将軍(ジョナサン・プライス)に、ペテン師として仲間と共に逮捕されてしまいます。 ドゥラトンブ将軍は、兄弟一味を見逃す代わりにある森で起こっている不可解な連続少女失踪事件のトリックをあばき、解決することを要求してきました。 兄弟たちは仕方なしに要求を受け入れ、将軍の部下カヴァルディの監視付きで、森のある村に出向きます。 そこで兄弟は、村人からは良く思われていないが、森に詳しい猟師の娘アンジェリカに助力を請い、人がおそれて足を踏み入れない森の奥を調べることになります。そこは昔、忌まわしい魔力を持つ、美貌の鏡の女王が住んでいたと言い伝えられる塔の建つ森でした。 事件の背後には、あくまで人為的なトリックがあると思っていた兄弟だが、森では今も鏡の女王の気配と魔力が息づいているかのような解明できない奇怪な出来事が立て続けに起こり、調査中にも少女の失踪は続いていたのです。 「グリム童話」で有名なグリム兄弟が、魔物退治の達人(実はペテン師)という有名人で、各地を回りながら民間伝承の物語を集めていたという基本設定は、非常にいいアイデアで、面白い物語を期待させます。 最初の方の魔女退治の場面、なかなかの迫力で、その後の種明かしもなるほどと思わせ、彼らの立ち位置がしっかりと理解できて、つかみはOKといったところでしょうか。 しかし、冒頭の「ジャックと豆の木」になぞらえたエピソードを始め、「赤ずきん」「シンデレラ」「ラプンツェル」「ヘンゼルとグレーテル」「白雪姫」など、童話のエッセンスを含む場面がちりばめられていますが、取って付けたようなものもあり、いまひとつ効果を出していないように感じてしまいました。(はっきり言ってどう考えても話の筋に関係なく、余分だなと思われる場面もあります。) また、けっこう魔力が大きく感じられ、仰々しく登場してきた鏡の女王のラストがとてもあっけなく、「あれ、これで終わり?」という感じでした。いろいろとしつこい「ターミネーター」とか「ダイハード」とか見慣れている人は、あまりにもあっけないので、このあともうひと押しあるのだろうと思ってしまい、ますますがっかりしてしまうでしょう。(まあ、どのように鏡の女王がやっつけられるかは、一応秘密にしておきましょう。) そして何よりがっかりしたのが、「未来世紀ブラジル」や「12モンキーズ」のような、テリー・ギリアム監督独特の変な映画感がなく、舞台設定も似ている「ヴァン・ヘルシンク」の二番煎じのような感じがしてしまうところです。(はっきり言って、「ヴァン・ヘルシンク」の方が、CGとかをふんだんに使って、魔物が村で大暴れするので面白いです。) ということで、テリー・ギリアム監督のダークファンタジーということで、期待しすぎたということもあるのですが、がっかりしてしまった作品を今回は紹介しました。 あと、あの「ダークナイト」で鬼気迫る怪演を見せてくれたジョーカーが、ちっとも魅力的でなかったこと(特殊メイクなどをしてキャラクター化していないと面白いコントができない、最近は映画監督もしている、ぼくと同年代の芸人、あのUさんと同じなのかな?)と、ひたすら強くて頭も切れたジェイソン・ボーンがちょっとふっくらしていたのが、若干気になったことも付け加えておきましょう。
2013.04.12
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「ビッグ・フィッシュ」 Big Fish 2003年 アメリカ映画監督 ティム・バートン出演 ユアン・マクレガー アルバート・フィニー ヘレナ・ボナム=カーター スティーヴ・ブシェミ ダニー・デヴィート ティム・バートン監督のファンタジー映画です。ただし、ジョニー・デップは出演していません。ヘレナ・ボナム=カーターはいつものごとく出演しています。しかも2役。 身重の妻ジョセフィーンと暮らすジャーナリストのウィル・ブルームの父エドワード・ブルーム(アルバート・フィニー)は自らの人生を巧みに語り、聞く人を魅了するのが得意でした。 ウィルも幼い頃は父の奇想天外な話が好きでしたが、年を取るにつれ、それが作り話であることに気づき、いつしか父の話を素直に聞けなくなっていました。 3年前のウィルの結婚式の時、エドワードが息子の生まれた日に巨大な魚(big fish)を釣った話で招待客を楽しませたことで、ウィルは父に今夜の主役は自分であると不満を爆発させ、それ以来2人の不和は続いていました。 そんなある日、母サンドラから父が病で倒れたと知らせが入ります。ウィルは妻と共に実家へと戻りますが、病床で相変わらずな話を語り出す父と、本当の父を知りたいと葛藤する息子は理解し合えぬままでした。 父の荷物を整理していたウィルは古い証書を見つけ、彼の過去を聞くために、その証書に名前の記された女性ジェニファー(ヘレナ・ボナム=カーター)に会いに行きます。 ジェニファーの話から、ウィルは、これまで完全なホラ話と思っていた話の中に実は真実が含まれていたこと、そしてエドワードが多くの人に愛され、妻子を深く愛していたことを知るのです。 一応、お話の本筋は以上ですが、この間に、お父さんエドワードが今までにしてきたホラ話が挿入されてきます。というか、ホラ話の方が分量的には多いので、ホラ話の間に現実が挿入されているような感じです。 子どもの頃のエドワードが、魔女(ヘレナ・ボナム=カーター)の家に行って、自分の死に際の映像を見てしまう話とか、若き日のエドワード(ユアン・マクレガー)が、学生時代はスポーツなどで活躍するスターだったお話から、町に流れ者の大男(本当に大男で、身長3m以上あります。)がやってきて、住人が迷惑しているので、説得して一緒に旅に出る話とか、森を抜けると人々が裸足で暮す不思議な村があり、伝説の詩人ノザー・ウィンズロー(スティーヴ・ブシェミ)を見つける話とか、サーカスを見ていた女の子(現在の妻サンドラ)に一目ぼれし、団長(ダニー・デヴィート)からその子の情報を得るためにサーカスに入団する話とか、その女の子を婚約者から奪い取る話とか、映像も非常に幻想的な雰囲気で美しく、非常に楽しいお話です。 まあ、はっきり言って自分がいかにすごかったかという自慢話ばかりで、聞かされる方としては、うんざりするたぐいのお話ばかりです。ウィルじゃなくても、いやになってしまうでしょう。 でも、それを映像にして、観せられると、とても面白いファンタジーになっているので、観ていて楽しいです。そんなお話です。 最後に、ハッピーエンドで万々歳となるのですが、まあ、はっきり言ってどうでもいい話で、奇想天外なホラ話を映像化して楽しいね、というお話です。ティム・バートンには珍しい、明るいファンタジーです。 ところで、序盤の魔女の話のところで、魔女はヘレナ・ボナム=カーターに違いないと思ったら、大当たりでした。その後、かわいい女の子の役で再び彼女が出てきたのはびっくりしました。かわいい女の子から、老婆の魔女までできる貴重な女優さんです。ティム・バートン監督は、本当にいい人を彼女にしていますね。
2013.03.20
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「ライラの冒険 黄金の羅針盤」 The Golden Compass 2007年 アメリカ映画監督 クリス・ワイツ出演 ダコタ・ブルー・リチャーズ 二コール・キッドマン ダニエル・クレイグ またまた、年末年始のTVで放映していた映画です。 比較的最近の映画ですし、CMなどで盛んに宣伝していたので、実は観たかった作品です。どうやらイギリスでは人気のファンタジー小説が原作のようですが、全く知りませんでした。 人間の魂が“ダイモン”という動物の形で人体の外にある世界でのお話です。 両親のいない少女ライラ(ダコタ・ブルー・リチャーズ)は、唯一の保護者・叔父のアスリエル卿(ダニエル・クレイグ)に、寄宿学校に預けられていました。 ある日、謎の美女コールター婦人(二コール・キッドマン)に連れ出され、飛行船で旅に出ることになります。学寮長は、アスリエル卿から預かっていた、真実を知ることができるという、黄金の羅針盤を餞別にライラに渡します。 ところが、ライラは、コールター夫人が子どもたちを誘拐しているという謎の組織ゴブラーの一員で、友だちのビリーやロジャーがさらわれていることを知り、コールターのもとを逃げ出します。 ゴブラーの追手に捕まりそうになるライラでしたが、そこに、さらわれたビリーの母親を含めたジプシャンたちが現れ、助けられました。 こうしてライラはジプシャンたちとともに、誘拐された子どもたちを救う旅に出るのでした。 というのが前半のあらすじですが、実は、冒頭のいくつかの場面について、わざと書いていません。 その場面とは、ビリーたち悪ガキグループがライラの仲良しのロジャーをいじめ、それをライラがビリーに呪いの門と毒のガウンという明らかにうその話をしてロジャーを助ける場面、久々にライラのもとを訪れたアスリエル卿が、マジステリアムという教会風な組織の人間に毒入りワインで殺されそうになるところをたまたまクローゼットに隠れていたライラが阻止する場面、アスリエル卿が映写機で、そのマジステリアムの人も含め、おそらくは学校の関係者たちに、謎の“ダスト”というものの説明をしている場面、マジステリアムの偉い人たちと推測される年輩の男たちがよからぬ相談をしている場面(しかも、その中の1番偉そうな人がクリストファー・リーという大御所です。)、などです。 なぜわざと書かなかったかというと、お話のこの後の展開に全く関係がないからです。とりわけ、この物語の最重要人物であるはずのアスリエル卿を殺そうとするマジステリアムなる組織は、この後、言葉としてすら、全く出てきません。 そうしたよくわからない場面も含め、映画の冒頭で、おそらくは説明が不十分だからでしょうが、疑問に思うところがたくさん出てきて、はっきり言って、お話がよくわからず、観続けるのが非常に苦痛でした。 ロジャーやビリーなどの子どもたちは、ライラと一緒に学校にいるわけではないようだけど、どうして一緒に遊んでいるのか、コールター夫人に学校関係者たちが全く逆らえないのはどうしてか、そもそもコールター夫人とは何者か、学校の生徒らしき少年たちが晩餐にずらっと並んでいる中に、ライラと同じぐらいの女の子が全くいないのはどういうわけか、ライラの両親はいずこに、なぜ叔父さんのアスリエル卿はライラを預けるのか、仰々しく登場する飛行船の中の場面が全くないのはどうしてか、マジステリアムの人はどうしてアスリエル卿を殺そうとするのか、コールター夫人はどうしてライラを連れて行くのか、などなど。 その後、ライラが、ジプシャン(この人たちの立場もよくわかりません。)たちといっしょに旅を始め、よろいグマのイオレク・バーニソンと仲間になってきたとこら辺から、お話が面白くなってくるんですが、そこまでで1時間近くかかっているんですよね。もうちょっと何とかならなかったのでしょうか。 しかも、実は初めから3部作の予定のためでしょうか、冒頭の疑問の多くが結局解決されないまま、非常に尻切れトンボのまま、終わってしまうんですよね。非常に残念です。 どうも、脚本に問題がありそうですね。 非常に口が達者(ウソツキという話もありますが。)で、度胸もあり、自ら道を切り開いていけるライラや、非常に義理堅く、いざという時に頼りになる、よろいグマのイオレクのキャラクターは魅力たっぷりで、“ダイモン”という非常にユニークな設定もあり、作りようによっては、非常に面白い話になったと思われるのに、はなはだ残念です。
2013.01.25
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「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」The Lord of the Ring : The Return of the King 2003年 ニュージーランド・アメリカ映画監督 ピーター・ジャクソン出演 イライジャ・ウッド ショーン・アスティン ビリー・ボイド ドミニク・モナハン イアン・マッケラン ヴィゴ・モーテンセン オーランド・ブルーム ジョン・リス=デイヴィス ということで、第3弾です。 本作は、米アカデミー賞の作品賞・監督賞・脚本賞など過去最多タイの11部門を受賞しています。実は「1」「2」も、作品賞などにノミネートされていますが、視覚効果賞とか美術賞とか技術系の賞のみの受賞に留まっています。どうやら、アカデミー賞協会の皆さんは、「1」の時も「2」の時も、その作品の完成度には注目していましたが、「1」も「2」も明らかに完結していないので、その評価はすべて完結してからと思っていたようで、この映画の完成で3部作が完結したことにより、作品賞受賞ということになったようです。まあ、話はしっかりつながっているので、3本で1つの物語という解釈でしょうか。 この第3部の題は“王の帰還”、その王とは、もちろん、イシルドゥア王の末裔アラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)のことです。彼は強く決断力にも長け、王としての素質は十分ですが、イシルドゥアがかつての冥王サウロンを倒し“指輪”を手に入れながら、葬り去ることができなかったことを恥じ、“さすらい人”に、身をやつしていたのです。 この物語は、そんな彼が、ホビットのフロド(イライジャ・ウッド)たちの“指輪”を捨てる旅に加わることにより、サウロンの精神が支配し、闇の魔法使いサルマンが組織するオークやウルク=ハイの軍勢と戦う中で、人間の王となることを決意する物語でもあるのです。 前作の最後で、ローハンでの戦いに辛くも勝利し、そのままローハンに留まっていたアラゴルンのところへ、裂け谷に住むエルフの長エルロンドがやってきます。彼は裂け谷に保管されていた、かつてサウロンを倒した時に砕けたイシルドゥアの剣を打ち直し、アラゴルンに渡そうと持ってきたのです。そして、“死者の道”と呼ばれる場所に、かつてイシルドゥアに忠誠を誓いながら果たさなかったため成仏できず彷徨っている死者たちがいる、アラゴルンが命じるならば彼らは戦いに加わるだろうと、助言を与えます。 アラゴルンは、エルロンドの助言に従い、エルフの弓の名手レゴラス(オーランド・ブルーム)と、ドワーフの戦士ギムリ(ジョン・リス=デイヴィス)とともに“死者の道”に向かい、幽霊たちを説得し、戦いに参加させることに成功します。 そのおかげで、無数の援軍を得て、闇の軍勢に圧倒されていた人間軍は、形勢を逆転することができたのです。 幽霊たちがアラゴルンに従ったということは、イシルドゥアの剣を持っていた彼を、幽霊たちはイシルドゥアの後継者、つまり、人間の王として認めたということに他ならず、アラゴルン自身が、人間の王と成る覚悟を見せたということです。 一方、前作の最後、サルマンの本拠地を壊滅させるという大活躍を見せた、ホビットのやんちゃ坊主コンビ、ピピン(ビリー・ボイド)とメリー(ドミニク・モナハン)ですが、今回は別々に行動します。 ピピンは復活した魔法使い白のガンダルフ(イアン・マッケラン)とともに、闇の軍勢の攻撃されている人間の国ゴンドールへ向かいます。もちろんガンダルフとともに、戦闘に加わるピピンですが、いかんせん小柄(ホビットとしては普通)なため、はっきり言って、あまり戦力になりません。 しかし、敗色濃厚なため、精神的に追い詰められ、ご乱心するゴンドールの執政デネソールが、戦闘から離れ、虫の息だが、まだ息のある息子ファラミア(「1」で旅の仲間に加わるが、惜しくも途中で亡くなってしまうボロミアの弟。)を火葬しようとするのを、体を張って阻止したのがピピンでした。 メリーは、ローハンで、ゴンドールへの援軍に加わろうとしますが、ローハンのセオデン王と、軍を指揮している王の甥エオメルに、ホビットには荷が重いということで、認めてもらえませんでした。 すると、女ということで出陣させてもらえなかった、王の姪(エオメルの妹)エオウィンに呼ばれ、一緒によろいを着て馬に乗り、密かに援軍に加わるのです。 この物語、主人公はフロド、次にアラゴルンですが、実はヒーローは、ずーっとフロドに付き従っているホビットの庭師サム(ショーン・アスティン)です。 サムは、フロドが“指輪”のことをガンダルフから聞いているところについ居合わせてしまったときから、時には助け、時には励まし、ずーっとフロドに付き従ってきたのです。特に「2」からゴラムが道案内のため同行するようになってからは、密かに“指輪”の奪還を目論んでいるゴラムを常に警戒し、その暗躍を阻止してきたのです。 しかし、モルドールまであと1歩という岩山まで来たとき、ゴラムの策略に引っ掛かり、フロドが、“指輪”の魔力に徐々に魅せられて行き、だんだんと精神的に不安定になって来たこともあり、とうとうフロドに疎まれ、仲たがいをしてしまいます。 ところが、サムはめげませんでした。その後、岩山の洞窟で、フロドが巨大なクモに襲われ、毒のため動けなくなり、糸でぐるぐる巻きにされてしまったとき、フロドに「帰れ!!」と言われてしまいましたが、実は離れてついて来ていたサムが現れ、勇敢に巨大なクモの怪物と戦い、退けることに成功します。その上、サムがクモと戦って退けた直後、突然現れた数人のオークに、動けないフロドをさらわれてしまいましたが、オークたちの後を追い、勇敢に戦い、オークたちを倒し、見事にフロドを救います。 そして、溶岩がゴロゴロしている火山を登り始めてからは、やはり“指輪”の魔力にさいなまれ、途中で力尽きて倒れてしまったフロドに、「おれに指輪は運べないけど、フロド様は運べます。」と言い、ほぼ同じ大きさ(サムの方がやや太めです。ゴラムはサムのことを“デブのホビット”と呼んでいました。)のフロドを抱え、山を登り始めるのです。この場面、もう涙なしには見られません。 フロドは、最後に「お前がいてくれてよかったよ、サム。」とついつぶやきますが、本当に、サムがいなかったら、フロドはその使命を果たすことはできなかったでしょう。僕は心の奥底からそう思います。 最後に王となったアラゴルンが、4人の小さな仲間たちに向かって、「礼を言う。」と言って頭を下げる場面があります。カメラは4人のホビットを映しながら、フロドにズームしていきますが、僕は、「違うだろ!!サムだろ、ズームするのは。」と思わず突っ込んでしまいました。そして、その後のサムの結婚式の場面、心の奥底から「よかったね、サム。」と思っていました。 ということで、「ホビット・サムの大冒険」を見たい人は、とにかく思いっきり覚悟して、体力と時間が有り余っているときに、一気に見るといいでしょう。9時間以上かかりますが。
2013.01.03
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「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」 The Lord of the Rings : The Two Towers 2002年 ニュージーランド・アメリカ映画監督 ピーター・ジャクソン出演 イライジャ・ウッド ショーン・アスティン ビリー・ボイド ドミニク・モナハン イアン・マッケラン ヴィゴ・モーテンセン オーランド・ブルーム ジョン・リス=デイヴィス クリストファー・リー それでは、第2弾です。 前作の最後で、3つに分かれてしまった旅の仲間たちです。 ホビットのやんちゃ坊主コンビ、ピピン(ビリー・ボイド)とメリー(ドミニク・モナハン)は、敵の魔法使いサルマンのホビットを生きたまま連れて来いという命令で、オークとウルク=ハイの軍勢にさらわれたのです。(サルマンはホビットが“指輪”を持っているという情報を仕入れていて、本当はフロドを捕まえたかったらしい。) さすらい人(実は人間の王となるべき存在)のアラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)と弓の名手のエルフの王子のレゴラス(オーランド・ブルーム)とドワーフの戦士ギムリ(ジョン・リス=デイヴィス)はピピンとメリーを助けに、敵を追って行きます。 そして、主人公のホビット・フロド(イライジャ・ウッド)とサム(ショーン・アスティン)は、本来の目的である、“指輪”を葬り去るために、モルドールへ向かうのです。 この映画で注目すべきは、やはり、新登場のゴラムでしょう。 2人でモルドールへ向かうフロドとサム、すぐに何者かがつけてきていることに気がつきます。待ち伏せして捕まえてみると、それは、“指輪”の元の持ち主であるゴラムでした。 彼は、元々はホビットに近縁の種族でしたが、“指輪”を手に入れてからは、その魔力に魅せられ、“指輪”を“愛しい人”と呼び、その魔力により“餓鬼”のような姿に豹変し、長い年月を生きながらえてきたのです。(その時の模様は、「3」の冒頭で描かれています。) その“愛しい人”がなぜ、ホビットのビルボ・バギンズ(やはりその魔力に魅せられつつあったが、ガンダルフに説得され、“指輪”を息子のフロドに託して旅に出た。)の手に渡ったのかが描かれているのが、このほど公開が始まった「ホビット」3部作ということで、とても楽しみです。 ゴラムは、2人をモルドールへ道案内すると言い、同行しつつ、スキあらば“指輪”を奪おうとしています。しかし、少ないながらも残っている良心との呵責にさいなまれ、次第に2重人格的になっていきます。 アラゴルン・レゴラス・ギムリの3人は、ひたすら走ってピピンとメリーをさらって行ったウルク=ハイの軍団を追いますが、彼らが逃げて入っていった森の中で、復活したガンダルフ(イアン・マッケラン、進化して“白のガンダルフ”になっています。)に、2人の無事を知らされます。その後は、ガンダルフとともに、悪の魔法使いサルマン(クリストファー・リー)の軍団に狙われている、人間の国ローハンを救うべく、戦闘に参加します。 そして、僕的に大注目のピピンとメリーですが、さらわれたウルク=ハイの軍団が、ローハンの兵士たちに襲われた混乱に乗じて、逃げ出すことに成功します。 2人が逃げ込んだ先は、ファンゴルンの森でした。そこにはエント族と呼ばれる木の精が住んでいました。 ガンダルフの口添えで、そのエント族に保護されたピピンとメリーですが、2人は、体も大きく強大な力を持っているエント族を、何とか戦いに参加させられないだろうかと画策し、その内容は伏せておきますが、大きな成果(たぶん、今回の1番の成果です。)を上げています。 「1」の最初でガンダルフの花火をいたずらして、大爆発を起こしてひんしゅくを買っていたように、ただのいたずら好きなやんちゃ坊主ペアだった2人ですが、成り行きでついてきてしまった2人ですが、彼らなりに闇の勢力との戦いのことを考え、小さな体で非力な自分たちだが、何とか助けになりたいと努力しているのです。 もちろんそれは、“指輪”を葬り去らなければならない使命を帯びている、フロドの姿に心打たれたということもあるのだと思いますが、外界との交流が少ないホビット庄を出て、旅をすることで、世の中の大変な状況を理解し、自分たちも何かしなければと思ったのだと思います。彼らの成長が手に取るようにうかがえて、頼もしい限りです。 彼らは、「3」でも大活躍しているので、また語りたいと思います。 もちろん、「1」同様、壮大な“中つ国”の世界を見事に映像化していることは語るまでもないことですで、その美しく、迫力のある映像は、一見の価値ありです。 では、次回もお楽しみに。
2013.01.02
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「ロード・オブ・ザ・リング」The Lord of The Rings : The Fellowship of the Ring 2001年 ニュージーランド・アメリカ映画監督 ピーター・ジャクソン出演 イライジャ・ウッド ショーン・アスティン ビリー・ボイド ドミニク・モナハン イアン・マッケラン ヴィゴ・モーテンセン オーランド・ブルーム ショーン・ビーン ジョン・リス=デイヴィス イアン・ホルム リヴ・タイラー クリストファー・リー あけましておめでとうございます。見事に“マヤの予言”(?)は外れ、無事に迎えた2013年のお正月、その新春第1弾は、歴史に残る名作をご紹介します。 皆さんご存じのJ・R・R・トールキンの「指輪物語」の実写映画化作品です。 世界的大ベストセラーですが、実写映画化は難しいと言われていた作品です。何しろ現実世界と全く違う世界が舞台ですし、エルフ、ドワーフ、オーク、ゴラムなど異形の者や様々な怪物などが続々と登場しますし、何といっても、主人公がホビットという小人です。最新のCG技術を駆使できるようになり、やっと製作できるようになったのです。 このほど、その前日譚に当たる「ホビット 思いがけない冒険」(3部作の第1部)が劇場公開され、話題になっていますので、この正月休みに「ロード・オブ・ザ・リング」3部作をあらためて、一気に観返してみようと、昨日から2年越しで鑑賞しました。(はっきり言って疲れました。何しろ全部合わせると9時間を超えますからね。) “中つ国”という、人間やエルフ・ドワーフ・ホビットなど妖精や魔物が共存する世界のお話で、遠い昔に冥王のサウロンが、様々な邪心を込めて作り上げた“指輪”を巡る物語です。 ホビット庄に住むビルボ・バキンズ(イアン・ホルム)が、なぜか持っていた伝説の魔の“指輪”を、息子のフロド(イライジャ・ウッド)が受け継ぎます。魔法使い灰色のガンダルフ(イアン・マッケラン)の助言を受け、仲間たちに助けられながら、冥王サウロンの精神が支配する国モルドールの“滅びの山”の火口に投げ込むしか破壊する術のない指輪を、闇に葬るために旅をする物語です。 冥王の復活をもくろみ、指輪を手に入れようとする、ガンダルフの先輩の魔法使いで、今は魔の手に落ちたサルマン(クリストファー・リー)が組織するオークやウルク=ハイの軍団や、元は人間の王であったが“指輪”の魔力に魅せられてサウロンの下僕となったナズクルなどの追手を退けながら、魔物も住む困難な道を進んでいかなければなりません。 その旅の仲間は、魔法使いガンダルフをはじめ、同じホビットのサム(ショーン・アスティン)、ピピン(ビリー・ボイド)、メリー(ドミニク・モナハン)、かつて“指輪”を手に入れながらその野望のため捨てられなかった人間の王イシルドゥアの子孫であることを恥じ、さすらい人となっていた人間の王となるべき勇者アラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)、弓の名手のエルフ・レゴラス(オーランド・ブルーム)、ドワーフ族の戦士ギムリ(ジョン・リス=デイヴィス)、人間の国ゴンドールの執政の息子で実は“指輪”を手に入れたいと思っているボロミア(ショーン・ビーン)です。 もう世界的大ベストセラーですから、お話が面白い事はわかっています。ですから、大事なことは、いかにリアルにファンタジーな世界を作り上げるかにかかっています。いかに壮大で、感動的な物語だとしても、その映像がチャチかったり、わざとらしかったり、違和感があったりしたら台無しです。 そういう意味で、この映画の映像は見事でした。どこまでもどこまでも、ファンタジーな世界を見事に作り上げています。時にはロケ、時には全面CG、そして合成。どの場面を見ても現実感は0です。見事にファンタジーな“中つ国”を作り上げています。 とりわけ圧巻は遠景です。かわいらしい家が並ぶホビット庄、どこまでも続く草原、ひたすら続く岩山、いかにもの禍々しい雰囲気の魔の国モルドール、一時ガンダルフが捕まっていたやたらと高いサルマンの塔と、その下にあるオークたちが武器を作っている工房、などなど、とにかくその完璧さに圧倒されます。 また、旅の仲間たちのキャラがいちいち魅力的だということです。 主人公のフロドが一番平凡(もちろんホビットですから、いちいちCGで小人に加工されていますが、)というのはよくあるパターンですが、常に控えめながら意志の強そうなところを所々うかがわせるホビットのサム(彼の素晴らしさについては「3」で語りましょう。)、何かしら秘密を秘めていそうなところをいちいちうかがわせる魔法使いのガンダルフ、最初から“指輪”に興味津津で、その風貌から(まあ、どうしても悪役顔だからね、彼は。)そのうち必ず問題を起こすであろうことが見え見えなゴンドールのボロミア、行動がいちいち自信たっぷりでプライドが高そうなエルフのレゴラス、非常に負けず嫌いでレゴラスに対する対抗心が見え見えで分かりやすいドワーフのギムリ、人生を投げてさすらい人になったのはいいが持って生まれたリーダー気質が捨てきれない、エルフの姫君アルウェン(リヴ・タイラー)とラブラブな色男アラゴルンなど、皆が皆、個性的なメンバーです。 その中でも僕が気に入ったのは、何となく成り行きでついてきてしまった、ホビットのやんちゃ坊主コンビ、ピピンとメリーです。 一応サムはその“指輪”に関する大変な事情をガンダルフとフロドが話しているところを立ち聞きしてしまい、危険な旅だということをある程度覚悟して旅立っているのですが、ピピンとメリーの2人は、フロドとサムが旅立った直後に成り行きで合流し、全く事情も知らず、何となくついてきてしまった、当初はお笑い担当のにぎやかし程度の役割かなと思われました。 ところが、エルフの里“裂け谷”で関係者一同が“指輪”の処理方法について会議し、モルドールの“滅びの山”の火口まで捨てに行くしかないということになった後、事情がわかった上(ピピンについては?ですが。)で、その一行に加わることに志願し、旅先でボロミアとアラゴルンに剣を習っているなど、それなりに覚悟して、真剣に取り組んでいることがわかります。実は、彼らが大活躍するのは「2」「3」にとってあり、残念ながら、この「1」では、オークの一団にさらわれてしまうところで終わってしまうので、いまいち活躍できないで終わってしまっていますが、今後の彼らの成長がうかがえて、とても楽しみになります。 ラストは、どう考えてもお話はまだまだ続きます、という感じで、この映画は終わります。でも、もともと全世界の方々が、お話については知っており、最初から3部作にすることは、明言されていたので、当然覚悟されたことです。というより、この映画のグレードの高さに今後の続編のクオリティーが高いことを期待し、楽しみになって来ます。 まあ、とにかくまちがいなく映画史に残る名作のひとつに数えられる完成度の高い作品です。時間と覚悟が十二分にある時にお勧めの逸品です。
2013.01.01
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「シザーハンズ」 Edward Scissorhands 1990年 アメリカ映画監督 ティム・バートン出演 ジョニー・デップ ウィノナ・ライダー ティム・バートン監督・主演ジョニー・デップという名コンビによる最初の映画です。 この映画は大ヒットしますが、主演のジョニー・デップは未だブレイクせず(そりゃあ、素顔がわからないからね。)、その後「エド・ウッド」(やはり、ティム・バートン監督作品。)の主演とかありますが、「パイレーツ・オブ・カリビアン」での大ヒットで、やっとスターの仲間入りするのです。 雪の降る夜、お祖母さんが孫娘をベッドに寝かしつけています。孫が「どうして雪が降るの?」と聞くと、祖母はその問に答えて話し始めます。 山の上の屋敷に老発明家が住んでいました。彼は人間を作るのにも成功し、その人造人間はエドワード(ジョニー・デップ)といって、完成する前に発明家が亡くなってしまっため、両手はハサミのままでした。 ペグ・ボッグスは化粧品のセールスをしていますが、新規開拓にと山の上の屋敷を訪ね、廃墟のような中で暮らすエドワードに出会います。 両手がハサミの姿を不憫に思い、エドワードを家へ連れ帰ります。 両手のハサミを最初は持て余していたエドワードでしたが、ある時ハサミで庭木を美しく動物の形に刈り取り、感心されます。続いて近所の犬の毛や、奥さん連中の髪もモダンにカットするようになり、エドワードは近所の人気者になります。 一方、キャンプに行って不在だったボッグス家の娘キム(ウィノナ・ライダー)が家に帰って来ますが、最初は勝手に入り込んでいたエドワードを毛嫌いします。 キムのBFジムは、エドワードを使って父親の金を盗ませようとしますが、金庫の警報装置が働き、エドワードは警官に取り押えられてしまいます。 エドワードはキムのことを気遣って一切弁明しませんが、この事件から周囲の人はエドワードを避けるようになっていくのです。 化粧品のセールスレディ・ペグ・ボッグスは、不自由なハサミの手で、たったひとりで廃墟のような城に住んでいたエドワードを不憫に思い、親切心から自宅に保護します。 エドワードは、非常に不自由なハサミの手で、老発明家が亡くなってから、それまではどうやって生きてきたのか定かではないですが、ここではそんな突っ込みをしてはいけないのかなあと思ってしまいました。 エドワードが連れてこられた町は、パステル調なカラフルな家が立ち並び、住民の皆さんも皆、派手な色とりどりの服を身につけており、朝になるとそのパステル調の街並みの間をやはりパステル調のカラフルな車が次々と出勤していく光景を見て、「ああ、このお話はファンタジーなんだな。現実味のある突っ込みをしてはいけないのだな。」と思った次第です。 案の定、ボッグス家の皆さんをはじめとして、町の住民は皆、怪しさ満点のエドワードのことを全く怪しむことなく、大歓迎です。 しかし、それは、物珍しさからくる表面的なものにすぎませんでした。 ふとしたきっかけから、町の住人達は、エドワードを排除しようという方向へみな動き始めるのです。 ところが、キムだけは違っていました。自分が留守の間に、自分のベッドを使われていたということもありましたが、最初は得体のしれないエドワードを嫌っていました。 しかし、彼と接していくうちに、生まれたばかりということもあり、非常に純粋で無垢な精神を持っていることに気付き、素直に好意を抱いていくのです。 彼を取り巻く世界はファンタジーな世界でしたが、人々の対応は、非常に現実的で、冷たいものでした。 ティム・バートン監督は、「チャーリーとチョコレート工場」や「マーズ・アタック」と同じように、ファンタジーな世界を描きながら、社会の暗部を風刺しているのだなあ、と思いました。この辺りのことが、彼が生涯を通して描きたいテーマなのでしょうか。 ところで、キム役のウィノナ・ライダー、「エイリアン4」の時、ハードなSFに似つかわしくないかわいらしい人だなあ、と思ったのですが、この映画ではまだ十代ということもありますが、非常にかわいらしい娘だなあ、と改めて思ってしまいました。
2012.12.31
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「グレムリン」 Gremlins 1984年 アメリカ映画製作総指揮 スティーヴン・スピルバーグ監督 ジョー・ダンテ 脚本 クリス・コロンバス出演 ザック・ギャリバン フィービー・ケイツ メリークリスマス!! クリスマスイヴの今日にふさわしい、クリスマス映画を今日は紹介します。 もう30年近く前の映画ですが、当時映画は大ヒットで、主役(?)のギズモのかわいさなどが非常に話題になり、一大ブームになった映画ですが、最近ではすっかり忘れ去られています。 製作総指揮はスピルバーグ、監督はSFやホラーを得意としているジョー・ダンテ、脚本は後に「ハリポタ」や「ホームアローン」などファミリー向け映画を監督し、ヒットさせているクリス・コロンバスです。2人とも、スピルバーグの弟子のような存在です。 発明家のランダル・ペルツァーは、クリスマスを控え、セールスで訪れた都会のチャイナタウンで、骨董品屋に入りました。 埃っぽい店の中を物色するランダルは、かすかに聞こえる歌声を頼りに、かごに入った不思議な可愛い生き物を見つけます。 「“モグワイ”は売り物ではない」と、見るからに怪しい、店の主人は売ってくれません。店の小僧を手なずけたランダルは、手間賃を与え、その“モグワイ”を手に入れます。その時、小僧は3つの禁止事項を伝えます。それは、「光に弱い」「水につけてはいけない」「午前0時以降に食物を与えてはいけない」というものでした。 家に帰ったランダルは、クリスマスプレゼントとして、3つの禁止事項とともに、“モグワイ”を、息子のビリー(ザック・ギャリバン)に贈りました。 そのかわいさと利発さがすっかり気に入ったビリーは、“ギズモ”と名付け、歌を歌わせたり、TVを見せたりしてかわいがっていました。 ある時、ビリーが“ギズモ”を友達に自慢していた時、誤って水のしぶきが“ギズモ”にかかってしまいました。 すると“ギズモ”が苦しみだし、丸い毛の塊をポンポンと5つ産み出しました。しばらくすると、毛の塊は成長し、5匹の“モグワイ”になりました。産まれた“モグワイ”はそろいもそろって、いたずら好きでした。特に頭の真ん中に立っている白い毛が特徴的な“ストライプ”と呼ばれるヤツは気性も荒く乱暴者で、他の4匹を指揮して、ビリーが仕事に行っている昼間の間、おとなしい“ギズモ”をいじめたりしているのでした。 ビリーは、“モグワイ”のことを調べてもらおうと、学校の生物の先生のところへ“ギズモ”を連れて行きます。先生に説明するために、“ギズモ”に水を一滴垂らすと、もう1匹の“モグワイ”が生まれたので、その1匹を先生の研究室に置いていきました。 ある夜、後から生まれた5匹があまりにも空腹を訴えるので、ビリーは時計でまだ12時前なのを確かめ、チキンを与えました。翌朝、ビリーは5匹がグロテスクな色の繭になっているのを発見します。ビリーが見ていた時計は時間が止まっており、実は12時を回っていたのです。 その頃、先生の研究室でも、繭がひとつできていました。その繭はやがてかえり、何者かが生まれました。電話で知らせを受けたビリーは、学校へ駆けつけますが、倒れている先生を見つけ、非常に素早い乱暴な生き物を襲われ逃がしてしまいます。 その頃ペンツァー家では、不気味な音に気付いた母親が、5匹の“グレムリン”と戦っていました。駆けつけてきたビリーの手助けもあり、4匹は倒すことはできましたが、リーダーの“ストライプ”だけは家の外に逃がしてしまいました。 “ストライプ”の後をつけたビリーは、体育館のプールで増殖する彼(?)を目撃します。 ということで、この後、無数の“グレムリン”が出現し、町は大混乱に陥ります。主人公のビリーが、ガールフレンドのケイト(フィービー・ケイツ)とともに、“グレムリン”たちを退治し、一件落着ということになるわけです。まあ、突っ込みどころも多大にあるわけですが、ちょっとホラーで、ちょっとグロテスクで、ちょっとロマンスがあり(もちろんビリーとケイトのことです。まあ、お約束だわね。)、コミカルで、とても楽しいファミリー向け娯楽作品に出来上がっています。 “グレムリン”というモンスターは、この映画だけのオリジナルではなくて、欧米で、機械に悪戯する小悪魔として、なんと20世紀になってから言われ始めてきた伝説(?)の生き物だそうです。原因不明の故障などで、機械が言うことを聞かなくなったときに、“グレムリン”の仕業だ、とかいうわけです。(変身前の“モグワイ”はオリジナルだと思います。) そういえば、「トワイライト・ゾーン」の中に、飛行機の翼の上にいる“グレムリン”を目撃して、恐怖に震えるという話がありましたね。 映画の中でも、除雪車を運転しているおじさんが、どうも外国産の製品が大嫌いなようで(戦争後遺症?太平洋戦争で、日本と戦ったらしい。)、外国産(日本産?)の機械は、壊れるようにわざわざ“グレムリン”を機械の中に仕込んでいる、というようなことを言っています。 あくまでも噂ですが、この映画の“グレムリン”は、日本人のことを風刺しているという話があります。“エコノミック・アニマル”という言葉は聞かれなくなって久しいですが、戦後の混乱から立ち直り、高度経済成長期を経て、ちょうどこの映画の公開されたころ、SONYやTOYOTAやHONDAの製品が、全世界を席巻し始めたころに重なります。 そういえば、1985年公開の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でも、1955年に行ったマーティが、ドク(1955年の)だったかなあ、「日本製なんてダメだろう。」というようなことを言われ、「何言ってんだよ、日本製は最高だぜ。」と30年のギャップで笑わせる場面が出てきましたね。今だと、それが、韓国製や中国製になるのでしょうか。 ケイト役のフィービー・ケイツ、当時大人気だったアイドル女優ですが、1963年生まれということですから、この映画の撮影時はまだ20歳そこそこですね。やっぱりとてもかわいいです。(演技は??) でも、“グレムリン”が大量にやってきたバイト先のバーで、ビールを継いだりして、孤軍奮闘で律儀に接客しているのは、なかなか頼もしかったです。でも実はイヤイヤだったようで、彼らが光に弱いとわかると、ポラロイドカメラのフラッシュで、撃退していました。 この人、若い頃はまだまだ映画などに出ていましたが、結婚してからは完全に引退してしまったようで、最近は全くです。きっとかわいいおばさん(僕と同世代です。)になっているんだろうなあと思うと、惜しい人を亡くしたなあ、と思う今日この頃です。(死んでないって!!!) おばさんといえば、ビリーのお母さん、強かったですね。突然現れた“グレムリン”をあっという間に3匹やっつけてしまいました。(4匹目は、とってもグッドタイミングで帰ってきたビリーがやっつけました。)やっぱり母は強しということですね。 お父さんなんて、自分の発明を売り込みに出かけていて、騒動が終わってから帰ってきて、「何かあったのか。」なんて、「だいたい、あんたがあんなもの買って来るからいけないんでしょう。」とTVの前で突っ込んでいました。 そうそう、いけないっていえば、最初の“モグワイ”の“ギズモ”から5匹が産まれた後、ビリーは、“ギズモ”だけ、一緒に寝たりしてかわいがっているのに、後の“ストライプ”たち5匹は、箱に入れたままだったりして、はっきり言って、非常にひいきしていますね。そうか、この騒動の原因は、ビリーが“ギズモ”だけひいきしたから、あとの5匹がひがんだからなんだ、なるほどなるほど。 まあ、ビリーは騒動を終息するために奮闘しているわけだから、あとは、“グレムリン”たちが壊してしまったものの弁償するだけで、許してやるわい。寛大な処置だろ。(大変だぞー!!!) ということで、クリスマス娯楽映画の傑作を今回は紹介しました。また「2」をいつか紹介しますね。 ところで、最近「3」を作るという噂がありますが、どうでしょう、今作るとしたら、“モグワイ”や“グレムリン”はCGで作ることになるんでしょうね。この映画のぬいぐるみのような“モグワイ”(実際ぬいぐるみです。)が非常にかわいくて、それが受けたのだから、CGに頼らず、ぬいぐるみで作ってほしいですね。(でも、本音は、「3」はいらないと思っています。)
2012.12.24
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「アリス・イン・ワンダーランド」 Alice in Wonderland 2010年 アメリカ映画監督 ティム・バートン出演 ミア・ワシコウシカ ジョニー・デップ ヘレナ・ボナム=カーター アン・ハサウェイ ルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」は大好きです。そして、ディズニーのアニメ映画「不思議の国のアリス」も大好きです。 なにが好きかっていうと、登場人物(?)が、みんな何かしら変で、いかれていて、ハチャメチャだからです。何しろあまりにもハチャメチャすぎて、収拾がつかなくなって、夢オチにするしかなかったぐらいハチャメチャですから。 そんなハチャメチャな物語の後日談を、「マーズ・アタック」や「チャーリーとチョコレート工場」など、やっぱり変な登場人物がたくさん出てきて、ハチャメチャな映画を作っている、ティム・バートン=ジョニー・デップが取り組むという、これは、期待しない方がおかしいでしょう。 不思議の国での冒険から13年後、19歳となり、最愛の父親を亡くしたアリス・キングスレー(ミア・ワシコウシカ)はパーティに出席していました。しかし、このパーティはアリスの母と姉が極秘裏に企画したアリスの婚約パーティでした。 貴族の御曹司・ヘイミッシュから求愛されますが、何となく納得できないアリスは、その場から逃げ出し、たまたま見かけたチョッキを着た白ウサギを追って、木の根元の穴へ、落ちてしまいます。 そこは幼少時代に訪れた不思議の国でした。だが、そこは13年前とは一変しており、身勝手な赤の女王(ヘレナ・ボナム=カーター)に支配された暗い世界と化していまいた。 アリスはかつてここへ訪れた記憶を失くしていましたが、自分が預言書に記されている「救世主」だと知らされ、この世界を赤の女王の支配から解放するため、赤の女王の妹である白の女王(アン・ハサウェイ)やマッドハッター(ジョニー・デップ)達の力を借りて、赤の女王に戦いを挑むことになるのです。 結論から申します。がっかりしました。ちっともハチャメチャじゃないんです。 アリスが、身勝手な暴君、赤の女王をやっつけ、不思議の国の皆さんを解放するための戦いを通じて、自立していくという、きちんとした物語になっているのです。 赤の女王、白の女王、マッドハッター、三月ウサギ、ヤマネ、トィートルダムとトィートルディー、ドードー、いもむし、白ウサギ、チェシャ猫、トランプの兵士たちなど、おなじみのメンバーが顔を出しているわけですが、皆、少しおかしい感じはあるのですが、結構まともで、非常にがっかりでした。 アニメで、急いでいるアリスにお構いなしで、自分たちのしたい話を歌い踊り、ケンカしながら話し始め、非常にうっとうしかったトィートルダムとトィートルディー(実は「鏡の国のアリス」に出てくるキャラですが。)は、まともに話をしているし、アニメでは、コーヒーポットの中で居眠りしながら変なことを言い、「ネコ」と聞くとパニックになり鼻先にジャムを塗られるまで暴れているというただそれだけの存在だったヤマネが、まともに話をし、鎧を着て戦いに参加したりしています。 とりわけ、アニメや原作のキャラからかけ離れているのが、ジョニー・デップ扮するマッドハッターです。確かにやたらと派手な衣装とメイクをし、時々変なことを口ずさんでいますが、アリスを道案内し、皆の先頭に立って戦うなど、不思議の国の住人のリーダー的存在で、がんばっている姿など、全く考えられません。 だいたいが、三月ウサギとヤマネと3人で、“何でもない日”(誕生日じゃない日)のお祝いのお茶会を、おかしなことを言いながら、ずっと続けている(なにしろ“何でもない日”のお祝いだから、毎日やらなければいけないのです。)だけの存在で、裁判に証人として呼ばれた時も、まともな証言はせず、女王の“何でもない日”のお祝いということで、その場でお茶会を始めてしまうほど、イカれた男でした。 これはやはり、アリスの話をティム・バートンが作るということになり、ジョニー・デップが出ないことには話にならないので、彼がやれそうな役はマッドハッターぐらいしかないので、ただ単にお茶会をやっていただけの存在が、不思議の国のリーダーになってしまったということですか。なんか違いませんか??? かというと、原作(「鏡の国のアリス」)では、結構まともなキャラだった、白の女王ですが、なんか不気味なキャラになっていましたね。 常に手を挙げて手のひらを外側に向けたぶりっ子ポーズで、話している相手を見ず、中空を見つめたまま、殺生はできないと言いながら、自分の兵士は戦わせ、アリスがジャバーウォッキーの首を切り落としても平気で見ています。何か、心ここにあらずという感じのキャラで、常に夢を見ているのでしょうか。とにかく、変というより、不気味なキャラです。なんか、意味わかりません。 童話のキャラが大人になり、夢を見ているのではなく、地に足をつけて自分の道を進んでいくというところを、見せたかったのはわかりますが、「不思議の国のアリス」で、それをやるべきではなかったのではないでしょうか。 メイクや衣装が非常に凝っていて、CGを駆使して作られた“不思議の国”の映像は、とてもポップでファンキーに出来上がっていて、とても見ごたえがあっただけに、そこに出てくるキャラたちにファンキーさが全然ないもんですから、非常にがっかりでした。 もっともっと、ティム・バートンお得意のいっちゃったお話を見たかったです。
2012.08.05
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「チャーリーとチョコレート工場」 Charlie and the Chocolate Factory 2005年アメリカ映画監督 ティム・バートン出演 フレディ・ハイモア ジョニー・デップ ヘレナ・ボナム=カーター クリストファー・リー いまさら説明する必要はないでしょう。ジョニー・デップ=ティム・バートンの名コンビによる大ヒット作です。ティム・バートン監督お得意のブラック・ユーモアがあふれています。 奇想天外なファンタジーです。 とりわけ、ウォンカ(ジョニー・デップ)のチョコレート工場の描写は、秀逸です。 すべてがお菓子で作られた原色も毒々しい庭には、チョコレートの大河が流れ、その上を特大なゴンドラで進み、ナッツの選別場には大量の本物のリスが並び、上下左右自由に動く透明なエレベーターで移動し、わけのわからない仰々しい機械で、新型のガムを作り、実物のチョコレートをTVの中に電送し、そして、その従業員は、ウォンカがどこか山奥のジャングルから見つけてきたという、すべて同じ顔をした、100人以上はいるであろう、ウンバ・ルンバという小人たちオンリーです。 とにかく、ファンタジーですから、工場の中広すぎない?とか、お菓子の庭やチョコレートの川なんて衛生面はどうなってるの?とか、あの大量のリスたちをどうやってしつけたの?とか、あのエレベーターの動力はどうなってるの?とか、そこで失格する子の名前やその場の状況を盛り込んだ歌と踊りをウンバ・ルンバたちはいつ練習したの?とか、なんでウンバ・ルンバたちはみんな同じ顔(せんだみつおか、めざましの大塚さんか、という顔です。)なの?とか、あの電送装置のメカニズムは?とか、あの負けん気バリバリガム少女はあんな紫のゴムゴムになっちゃって大丈夫なの?とか、あの凶暴屁理屈ゲーム少年はどうして生きてるの?とか、そういった突っ込みはナンセンスでしょう。 最初の、“イッツ・ア・スモール・ワールド”ばりの仕掛け人形たちが、グロテスクに燃えていく様をアップにするところや、性格の良くない子どもたちが次々と残酷な目に合って失格していく様は、さすがティム・バートン監督ともいえる、グロテスクさですが、異世界のチョコレート工場の、まさに夢のような、ありえない描写を、素直に楽しめばいいと思います。 とりわけ、そんな中でも異彩を放っているのが、ウンバ・ルンバの歌と踊りですね。その時失格した子どもたちの何がいけなかったのか、どうなっちゃったのか、そういうことを歌って踊っているのですが、その衣装も曲調も踊りも毎回違い、非常に楽しい限りです。はっきり言って、変人社長ウォンカも思いっきり食われ、彼らの独壇場です。 しかし、ウンバ・ルンバたちというのはどうして、みんな同じ顔なのでしょうか、しかも、スカートスーツを着た秘書のような者もいたのですが、あれって女性なのでしょうか、男女ともに、あの顔なのでしょうか、謎です。 誰か、ウンバ・ルンバの生活とかを描写したドキュメントとか作ってくれないかなあ、と思いました。(もちろん、チョコレート工場に来る前のジャングルの生活の話ですよ。) ところで、この物語は、ファンタジーなチョコレート工場の可笑しさを楽しむだけの、脳天気な物語ではありません。実は、感動的なテーマがこの物語には有るのです。 そのテーマというのは、家族愛です。 そもそも、このウォンカ変人社長が、選ばれた子ども5人だけを招待した謎のチョコレート工場見学ツアーは、自分の頭に白髪があることを発見したウォンカが、自分が年を取ってきたことにショックを受け、家族がいないことから、工場の後継者をとなるべく、性格のいい子どもを選ぶことが目的だったのです。 そして、選ばれたのは、すべての観客が予想した通り、主人公のチャーリー(フレディ・ハイモア)でした。彼は、傾いたボロボロの家に、寝たきりの4人の祖父母(寝たきりの割には4人とも長生き、今回チョコレート工場の見学が当たったと聞いて、なぜか非常に元気になってしまい、見学に同行する、父方のジョーじいさんも含む。)、歯磨き粉工場で働く薄給の父、少ないお金を何とかやりくりしてキャベツのスープを作り、4人の老人の世話をする母(ヘレナ・ボナム=カーター)と暮らしている、極貧一家の子でした。今回の工場見学ツアーも、年に1度の誕生日に買ってもらったチョコは外れ、ジョーじいさんのヘソクリで買ったチョコも外れ、拾ったお金で買ったチョコがやっと当たるという、運がいいのかなんなのか、よくわからない偶然で手に入れたものでした。 ウォンカの、「後継者になってくれ。」という申し出を、「家族を捨てて、」という条件のため、チャーリーは断ります。 厳格な歯医者の父親(元ドラキュラ・クリストファー・リー)により、幼少期から甘いものは決して口にできず、ドでかい歯列矯正器を付けられて育てられ、そのため家出してしまって以来、家族を知らずに暮らしてきたウォンカにとって、それは信じられない事でした。 その後、町で偶然再会(実はウォンカが会いに行ったとも思えますが)したチャーリーに、「お父さんに会ってみたら?」と勧められ、ウォンカは、さびれた町で周りの家がみんな引っ越してもかたくなに同じ場所で歯医者を営む父に、会いに行きます。 数十年ぶりに息子に会う父は、ウォンカの活躍が載った新聞記事を大切に壁に貼り、顔を見てもわかりませんでしたが、歯を見て自分の息子であることを瞬時に理解するほど、息子のことを思っていました。 そうして父と和解したウォンカは、「家族と一緒なら」というチャーリーの条件をのみ、新しい家族とともに、またチョコレートの製造に励むのでした。というお話なのです。 ウォンカの、はっきり言って意地悪な後継者選びに選ばれるほど、チャーリーが素直でいい子に育ったのは、貧しいながらも家族を大切にする家庭で育てられたからです。 だからこそ、そんないい子がいい思いをするのは、決して偶然ではなく、必然なのです。彼は、選ばれるべくして、選ばれたのです。そして、わがままいっぱいに育ってきた他の4人の子どもたちは、悲惨な思いをして、敗北してくのも、また必然なのです。 その上、自ら選んだとはいえ、家族を知らずに成長してきて、すっかり歪んで変人になってしまったウォンカ社長も、家族愛の大切さを知ることができたのです。 派手で、奇想天外なチョコレート工場の描写に目が行ってしまいがちな物語ですが、実は、非常に感動的で、心温まる、いいお話だったのです。 ところで、いつも毒のある悪女ばかりやっている、ティム・バートン作品の常連、ヘレナ・ボナム=カーターですが、今回は、控えめでしっかりものの、優しいお母さんを好演しています。こういう演技もできるんだな、と感心してしまいました。(なに、上から目線だよ!!と、自分で突っ込む。)
2012.05.31
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「ベオウルフ 呪われし勇者」 Beowulf 2007年 アメリカ映画監督 ロバート・ゼメキス出演 レイ・ウィンストン アンソニー・ホプキンス ジョン・マルコヴィッチ アンジェリーナ・ジョリー 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズや、「フォレスト・ガンプ」のロバート・ゼメキス監督が、パフォーマンス・キャプチャーという技術を用いて、イギリス最古の叙事詩「ベオウルフ」の伝説を現代的解釈で映画化したものです。 デンマークの王フロースガール(アンソニー・ホプキンス)は、人食いの魔物グレンデルに悩まされていました。そこへ、伝説の勇者ベオウルフ(レイ・ウィンストン)が仲間とともに、助っ人に現れます。 人間の騒音を嫌うグレンデルをおびき寄せるために宴会を催していると、怒ったグレンデルが現れました。その巨体と怪力で素手で人間をなぶり殺しにしていく怪物グレンデルに対抗して、全裸で武器を持たず戦うベオウルフは、怪物の片腕をもぎり取り、撃退します。 しかし、戦勝に酔いしれた翌朝、ベオウルフが目を覚ますと、城は死体でいっぱいでした。王は、グレンデルの母親(アンジェリーナ・ジョリー)のしわざだと言います。 ベオウルフは、グレンデルの母親のすみかである、洞窟の沼に向かいます。 無敵の勇者ベオウルフの冒険譚と思っていたら、全く違いました。 前半は勇者ベオウルフが怪物グレンデルを退治し、王となる物語、後半はその数十年後、王ベオウルフが、黄金のドラゴンを退治しながらも、命を落とす物語です。 それは、原作に当たるイギリスの叙事詩では、ベオウルフの物語が2つあるからです。その巨人グレンデル退治とドラゴン退治の2つの物語は、主役がベオウルフというだけで、他は全く別々の物語らしいのですが、そこに、怪物の母親という妖しい存在を追加し、無理やりひとつの物語にしたようです。 そして、その妖しい母親の存在と、それにかかわら秘密が、この物語をただの冒険譚ではなく、裏に流れる妖しい雰囲気を作り出しているようです。 グレンデルが、決して王フロースガールを襲わないということ、ベオウルフが怪物のすみかである洞窟で、グレンデルの母親と対峙し、その妖しい姿態で誘惑されているところでいきなり切れ、次の場面はベオウルフがグレンデルの首のみを城に持ち帰り、母親も退治してきたと言っていること、そして、フロースガール王が、自分に何かあったら次の王はベオウルフだ、と言い残し、まるで自殺するように亡くなること、それらに、ある秘密が隠されています。 実は、この物語の主役は、グレンデルの母親(それなのに、名前が全くわからないので、こう書くしかない。)だったのです。もちろん彼女は、後半の怪物黄金のドラゴンの母親でもあります。そして、グレンデルおよび黄金のドラゴンの父親は誰か、それがこの物語の根底に流れる妖しい秘密なのです。 この映画で、出番が非常に少ない、このグレンデルの母親役に、主役級スター、アンジェリーナ・ジョリーをもってきた理由は、その妖艶なボディだけではないようです。 そんな怪しい雰囲気なため、この物語は単純な冒険譚に成り得なかったのであり、主役のベオウルフや、フロースガール王に、今ひとつ感情移入できない理由が、その辺にありそうです。 この映画、実写のように見えますが、実は全面パフォーマンス・キャプチャーという技術を用いた、アニメーションです。 しかし、同じゼメキス監督の「ポーラー・エクスプレス」と少し違い、役者の顔などは、ほぼそのまま作られているので、パッと見アニメということはわかりません。 でもよく見ると、体の線や、役者の表情などで、違和感があり、作られているものだということがわかります。 また、アンジーやベオウルフの体が、実物よりもよりセクシーに作ってあったり、スマートなはずのアンソニー・ホプキンスが王として貫禄が出るようにふくよかな体に作ってあったり、スキンヘッドでひょろ長いジョン・マルコヴィッチが、おかっぱ頭で、ややマッチョな体になっています。(そのため、はっきり言って、この2人の名脇役が、全くわかりませんでした。あとで、資料を見て気がついた次第です。) しかし、なぜ、こんな形での映像にしたのかが、いまいちわかりません。 人物の映像と怪物たちの映像をしっかりマッチさせたかったのでしょうか。また、アンジーやレイ・ウィルソンがほぼ全裸な肢体をさらしたくないとでもいったのでしょうか。でも、今の世の中、CG映像と実写映像の合成は、全く違和感なく作ることができます。(それは「ロード・オブ・ザ・リング」3部作を観ればわかります。) ロバート・ゼメキス監督は、前作「ポーラー・エクスプレス」、本作、次作「クリスマス・キャロル」と、最近リアルなアニメーションにはまっているみたいです。案外、その辺が理由なのかもしれません。 ということで、痛快な冒険物語を観ようと思ったら、意外と怪しい話を観させられてしまった、というお話でした。もちろん、アンジーやベオウルフの肉体美を観たいという方にはお勧めです。
2012.05.20
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「魔法使いの弟子」 The Sorcerer’s Apprentice 2010年 アメリカ映画監督 ジョン・タートルトーブ主演 ニコラス・ケイジ クラシック音楽とアニメの融合というディズニーの画期的アニメ映画「ファンタジア」のあまりにも有名な第3章、ミッキーマウスが魔法使いの弟子に扮して、箒を操り、大失敗する“魔法使いの弟子”(ポール・デュカス作曲)をモチーフに、「ナショナル・トレジャー」のシリーズで、すっかりディズニーと仲良くなった、ニコラス・ケイジ主演で実写映画化された作品です。 740年のイギリス、大魔術師マーリン(「アーサー王伝説」に出てくる伝説の魔術師)は、宿敵の魔女モルガナと戦っていました。マーリンの3人の弟子、バルサザール(ニコラス・ケイジ)・ヴェロニカ・ホルヴァートもともに戦っていましたが、ホルヴァートの裏切りにより、マーリンは倒されてしまいます。ヴェロニカは自らの体内にモルガナを取り込むことに成功しましたが、意識を支配されそうになったので、バルサザールは2人を人形に封じこみました。そして戦いの末、ホルヴァートも人形に封じ込めたバルサザールは、瀕死の師匠から、ドラゴンの指輪を預けられ、自らの後継者を探すように命じられます。バルサザールは、それから1000年以上もの間、世界中をめぐり、大魔術師マーリンの後継者となる子どもを探し続けているのです。 2000年、小学校4年生のデイヴは、学校の遠足で、ニューヨークの見学にやってきました。ふとしたことで、一行から離れてしまったデイヴは、怪しい骨董品屋に紛れ込んでしまいます。そこは、バルサザールの店でした。 バルサザールは、紛れ込んできた子どもに、ダメもとで、ドラゴンの指輪を見せてみます。するとドラゴンの指輪は自ら動いてデイヴの指に収まりました。マーリンの後継者はデイヴだったのです。 バルサザールは、デイヴに見せるべく地下室へ“魔法大辞典”を取りに行きます。マーリンの後継者が現れたことで刺激されたのか、唐突な展開に途方にくれるデイヴの前に、棚の奥からホルヴァートやヴェロニカが封じ込められた人形(ロシアのマトリョーシカ人形のような大きさの違う同じ形の人形が幾重にも重ねられた人形です。彼らは“グリムホールド”と呼んでいます。1番外側にホルヴァートが、1番内側にモルガナを取り込んだヴェロニカが封じ込められています。)が飛び出し、床に落ちた衝撃で1番外側が開き、ホルヴァートが解放されました。 デイヴから指輪を取り上げようとするホルヴァートと、バルサザールの戦いが始まります。2人は戦ってもみ合っているうちに、漢の皇帝が気に入らない側室を10年閉じ込めていた壺を倒し、吸い込まれてしまいます。その壺は呪いのため、吸い込まれると10年間閉じ込められてしまうのです。 デイヴは恐ろしくなって、指輪を持ったまま、“グリムホールド”は道に放ってしまい、その場を逃げ出してしまいました。 10年後、デイヴは物理オタクの青年に成長しており、ニューヨーク大に通っていました。そこへ、壺の呪いから解放されたバルサザールが、“選ばれたマーリニアン”である彼を、魔法使いにするために現れました。 あらすじを書き始めたら、まだまだ序盤のはずなのに、こんなに長くなってしまいました。それだけ中身が濃いということでしょうか。何しろ、前提になるマーリンとモルガナの戦いのお話は、冒頭にナレーションも含め、5分ぐらいで終わる部分なのですが、文章にすると説明する部分が多く、とても長くなってしまいました。 実は、僕自身はあまり期待していなかったのですが、なかなか面白いお話で、時間を忘れて、つい見入ってしまいました。 いい者と悪者がはっきりしており、わかりやすい単純なストーリーで、CGや特撮を駆使した爆発や光線いっぱいな迫力あるアクションで、普通の自動車を魔法でスーパーカー(死語?)に変身させたカーチェイスや、ビルの上の鷲のモニュメントを飛ばしてみたり、なかなか工夫されていて、おもしろかったです。 例の反乱する箒の場面もしっかりありましたよ。ただ、相手が箒なだけに、他の派手なアクションシーンと比べて非常に地味で、お話の流れからはなれた場面のためか、時間もとても短くて、少し残念でした。BGMはしっかり“魔法使いの弟子”が流れていましたが。 最後は都合がよすぎる感じがしましたが、ディズニーだから、しっかりハッピーエンドにしなくてはならないのでしょうから、まあいいことにしましょう。 また、デイヴとバルサザールの出会いが、あまりにも偶然すぎる感じもしますが、「偶然なんてない、すべては必然なのよ。」(by侑子さん)ですから、いいのではないでしょうか。冒頭のバルサザールが、世界各地をめぐり、“選ばれたマーリニアン”を探している描写を見るに、どうやら、世界中の“聖なる子ども”を中心に探していたようで、実は、もっと早い時代で、デイヴのような一般の子どもの中に、そうなるべき素質のある子どもがいたのかもしれませんが、なかなか巡り会えなかったみたいですね。 「偶然なんてない、すべては必然なのよ。」(by侑子さん)ですから(しつこい!)、なるべくして、なったのだと思いたいです。 ということで、なかなか見ごたえのある娯楽作品で、親子ともども楽しめる作品でした。さすがディズニーといったところでしょうか。 ところで、あの「ハリー・ポッター」シリーズでもそうですが、魔法使い同士の戦いというのは、光を飛ばし合って戦うというのが定番なのでしょうか。もっと、いろいろな魔術の技を駆使して戦うことはできないのでしょうか。 「ハリー・ポッター」シリーズは、みんな魔法のつえを持っているのですが、本作では持っていなくて手から直接光を出しているので、“カメカメ波”だ、と思ったのは私だけではないはず。
2012.04.30
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「エアベンダー」 The Last Airbender 2010年 アメリカ映画製作・監督・脚本 M・ナイト・シャマラン出演 ノア・リンガー デーヴ・パテール ジャクソン・ラスボーン あのラジー賞を何と5部門(最低映画賞、最低脚本賞、最低監督賞、最低助演男優賞、最も3Dの使い方が間違っている映画賞)も受賞している、あのM・ナイト・シャマラン監督のファンタジー系・SFアクション映画です。 いろいろなところで、酷評されているので、どれほどひどいのか、観てみたかったのです。 火・水・土・気の4つエレメントの国に分かれている世界です。それぞれの国に、その国のエレメントを操るベンダーと呼ばれる戦士がいました。その中から、まれに4つのエレメントを操ることができる“アバター”と呼ばれるものが現れ、世界を救うと言われていました。 ある時、火の国が、他国を侵略し始め、世界の秩序が乱れ始めます。 火の国が侵略始めて100年後、南の水の国に住むカタラ(妹)・サカ(兄、ジャクソン・ラスボーン、ラジー賞受賞)の兄妹は、氷の中で眠っている少年を見つけます。 そのアン(ノア・リンガー)と名乗る少年は気の国出身のエアベンダーであり、水・木・火も操ることができる伝説の“アバター”なのですが、修行の途中で逃げ出したため、自由に操ることができるのは、“気”だけだったのです。 というように、基本設定は、「NARUTO」と「ワンピ-ス」を合わせたような、なかなか面白そうな世界です。それもそのはずで、実はアメリカで様々な賞を受賞している、大人気TVアニメの映画化作品だったのです。(日本には、輸入されていないようです。そらそうだ、日本のアニメの方がずっと深くて面白いからね。) 今回は、そのシーズン1「水の巻」の映画化で、アニメに合わせて、「土の巻」「火の巻」と3部作にする予定なのだそうです。(つまり、主人公アンが、3つのエレメントを操る技術を身につけ、真の“アバター”になり、火の国の侵略を食い止め、世界を救う物語ということですね。) だから、エレメントを操るといっても、カンフー技の延長で火や水の塊を飛ばしてるだけじゃんとか、水の国って、結局氷の国やんとか、気の国ってお寺しかないのとか、火の国のズーコ王子(デーヴ・パテール)ってなんで自分の国の軍勢に敵って言われているのとか、お話の内容に関する突っ込みは、原作のアニメがその通りだったら、言ってもしょうがないので、突っ込んではいけないでしょう。(と言いつつも、書いてしまいました。) 今回、DVDでこの映画を鑑賞していたのですが、何と不覚にも途中で寝てしまいました。やっぱり、面白くないのですね。(最近仕事が忙しくてちょっと疲れ気味ということもあったかもしれませんが。)設定はなかなか興味深く、上手に作れば絶対面白くなるのに、と思いつつ、どうして面白くないのだろうかと考えてみました。 まず、場面場面がブツッと切れた感じで、転換が唐突な感じがします。そう、ちょうど、かつて流行っていた、人気あるTVアニメの再編集の総集編的映画のようです。「アルプスの少女ハイジ」とか、「あしたのジョー」とか、「機動戦士ガンダム」とか、かつては結構やっていましたよね。そして、結構集客していたのですが、最近は観客の目が肥えてきたためか、そういうのは全くやらなくなりました。 もちろん、この映画は実写なので、アニメの映像の再編集ではありませんが、脚本の上で、再編集のようなことがなされているのではないでしょうか。 それから、何か説明不足で、よくわからないまま、お話が進んでいく感じがあります。アンが、修行の途中で逃げ出してきたのはなぜかとか、なぜ、氷の中にいたのかとか、ズーコ王子が火の国を追放されたいきさつとか、なぜ、南の水の国には水のベンダーがカタラしかいないのかとか、火の国の王の兄というアイロが、国を追放されたズーコ王子と行動を共にしているのはなぜかとか、アイロと火の国の軍団のジャオ司令官との間に確執があるみたいだが、それは何かとか、ドラゴンの精霊とか海と月の精霊は、どのような存在なのかとか、はっきり言って、わからないところばかりです。 これもあれですかね、1シーズン分のTVアニメ(30分アニメとして、5,6時間ぐらいあるはず。)を、1本の映画(上映時間103分です。)再編集しているため、結構はしょっているということですかね。 というか、TVアニメのファンにとっては、わかりきっているので、いまさら説明する必要がないということですか。ドラえもんの映画を見て、「あのポケットは何でも入るんだね。」とか、「ワンピース」の映画を見て、「あの子は何であんなに腕が伸びるんだね?」とか、「名探偵コナン」の映画を見て、「あの毛利蘭って女の子は、どうしてあんなに強いのかね?」とか、そんな発言をする人がいないのといっしょですかね。 あと、アクションシーンが、なんかワンパターンのような気がして、火とかたくさん使っている割には(火の国の軍勢が攻めてくるのだから当たり前。)、面白くないですね。 どの国の人も、みんなカンフー技で、火や水の塊を飛ばしてみたりしているだけで、攻撃のバラエティがないんですよね。 「ワンピース」の悪魔の実の能力者たちの攻撃なんか、ひとりで何パターンもの技を持っていて面白いですよ。“ゴムゴムのガトリング”とか、“ギガントピストル”とか、“ゴムゴムのおあずけ(笑)”とか、ルフィだけでも十数パターンの攻撃技を持っていますよ。 一応、原作の資料を調べてみたら、火の国は少林拳、水の国は太極拳、土の国は洪家拳、気の国は八卦拳というように、それぞれの国の技を区別しているようですが、はっきり言って、素人には、みな同じカンフーに見えてしまいます。しかも、主役のアン役のノア・リンガー君は、テコンドーの黒帯だそうで、結局、クソもミソも一緒ということですね。 アクションシーンのカメラアングルも、いつも同じような感じで、工夫が全く見られないです。「レッドクリフ」などのアクションシーンをもっと見て、勉強してほしいですね。 それから、キャストにも疑問が残ります。 主役のアンをはじめとして、主要人物は、みんな子どもばかりなので、しょうがないところもあるのですが、北の水の国の王女様は全く王女様に見えないし、カタラ・サカの兄妹は大根だし、アイロやジャオなどの大人役の中に有名な人はいないし、火とか爆発とかCGとかに予算をとられて、キャストの方に回せなかったのでしょうか。 とりわけ、1番びっくりしたのは、「スラムドッグ$ミリオネア」のジャマールが、悪役で登場してきたことですね。確かに、眼力とか考えると悪役もできそうですが、演技の端々に、持ち前の優しさが見え隠れして、悪役に徹し切れていない感じがしました。もしかしたら、話が進んでくると、彼はアンたちの味方になるのではないでしょうか、そういう先を見越したキャスティングなら納得ですが。 映画のラストに、いかにもという感じで、火の国の王女(ズーコ王子の妹)が登場してきて、続きがありますよ、という感じで終わりましたが、シャマラン監督は、この第1作の散々な評価を受けて、3部作すべて作るつもりでしょうか。 僕はやめた方がいいと思います。(偉そうに、何様だ。)まあ、監督や脚本家やアクション監督を変えるなら、話は別ですが。(同上)
2012.04.30
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「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」Interview with the Vampire 1994年 アメリカ映画監督 ニール・ジョーダン出演 トム・クルーズ ブラッド・ピット キルスティン・ダンスト アン・ライスという女流作家の「夜明けのヴァンパイア」(原題は映画と同じ)という小説の映画化作品です。若かりしトム・クルーズとブラッド・ピットの美しき共演が話題になった映画です。お正月の深夜にTV放映をしていたので、録画しておき、やっと時間ができたので見ることができました。 サンフランシスコのとある建物の一室、野心的な若きライターのインタヴューにより、自らヴァンパイアと名乗る青年ルイ(ブラッド・ピット)の独白が始まります。 18世紀末、建国間もないアメリカのニューオリンズ、農場主のルイは、最愛の妻と娘を失い、自暴自棄になっていました。そこへひとりの男が現れます。 その男レスタト(トム・クルーズ)は永遠の命を持つヴァンパイアでした。 レスタトの手によりヴァンパイアとなったルイは、次々に欲望のままに人を襲い続けるレスタトとは対照的に、人としての良心が残っており、人を襲って生き血を吸うことをためらっていました。 ある日、ルイはペストの流行で親を失った美しい少女クローディア(キルスティン・ダンスト)に出会います。泣きじゃくる少女を抱きしめたルイは、のどの渇きに耐えられず、思わずのど元にかみついてしまいます。 その一部始終を陰で見ていたレスタトは、クローディアをヴァンパイアとして蘇生し、仲間とします。 子どもらしい貪欲さで、欲求のままに血を求め、クローディアはレスタトとともに人を襲い続けますが、ルイは今だ良心の呵責に悩まされ続けていました。 数十年後、不老不死の3人は同じ姿です。大人の女性にあこがれ、全く成長しない自分に不満を持つクローディアは、「私は大人になれないの?」「こんな姿にしたのは誰?」と怒りを爆発させます。「永遠の命を与えられて何が不満なの?」と言い返すレスタトに、クローディアの憎しみの矛先は向けられます。 原作はヴァンパイア・レスタトのシリーズの第1弾ということなので、主演はレスタト役のトム・クルーズですが、ルイの独白という形で物語が進んでいくので、実質的にはブラピが主演です。 トムは、「トップ・ガン」の大ヒットで、アイドル的な人気を獲得したわけですが、「レインマン」「7月4日に生まれて」などで、演技派としてのキャリアも積んできており、この映画でも、ダイエットでもしたのか、ほおがこけ、ヴァンパイアとしての怪しい美しさを放っており、熱演しています。 一方、ブラピは、まだまだ駆け出しで、「テルマ&ルイーズ」の好演で注目され始めたばかりなので、はっきり言って、抜擢の部類になります。自ら望んでヴァンパイアになったのだが、人間としての良心を捨てきれない、という難しい役どころだからなのでしょうか、いまひとつ演じきれていないという印象でした。まあ、美しかったですけどね。 そんな中、主役2人を完全に喰ってしまい、抜群の存在感を見せていたのは、クローディア役のキルスティン・ダンストです。 1982年生まれですので、この映画の公開時12歳、撮影時は10歳ぐらいでしょうか、親を亡くした悲しさから、ヴァンパイアとなって貪欲に血を求め次から次へと人を襲う様、大人になれずに感情を爆発する姿まで、はっきり言って、トムとブラピは彼女に対する対応にあたふたしているという印象で、自分のかわいさをしっかりと意識し、わがままいっぱいの永遠の少女を見事好演し、完全に主役でした。 彼女はこの後、「ジュマンジ」などに出演し、子役としてのキャリアを積み重ね、「スパイダーマン」のヒロインや「マリーアントワネット」(この映画と同じわがままぶりが見事でした。)の主演へと、確実にステップアップし、今や演技ができる若手女優へと見事に進化しています。 ですから、中盤の山、クローディアが、感情を爆発させて、レスタトを○○した(とりあえず秘密ね。)あとは、、何となく物語がトーンダウンした印象を持ってしまいました。 最後のクライマックスに持っていくために、ルイとクローディアの愛をもっと見せる描写があっても良かったかなと思っているのは、私だけでしょうか。 まあ、確かに、物語上は、少女の姿ですが実は何十年も生きているわけで、精神的にはしっかりと成熟しているというお話なのですが、実際には年端もいかない少女なのですから、あまりやばい場面は作れなかったのでしょう。 彼女の演技力があまりにも巧みなので、そのあやしい魅力に魅せられてしまいました。いかんいかん、犯罪をあおる発言でした、失言です。 ところで、この映画を見て、初めから気になってしまったことがあります。 それは、我が国の萩尾望都先生の「ポーの一族」という名作マンガに、物語の設定とテーマがあまりにも似ているということです。 「ポーの一族」は、1972年から1976年にかけて、断続的に「少女コミック」に発表された作品で、エドガーとアランという2人の少年のヴァンパネラ(ヴァンパイアと同じ意味です。フランス語かドイツ語読み?)と、エドガーの妹メリーベルの3人を中心にしたシリーズです。 男2人(青年と少年という違いはありますが。)と少女の吸血鬼を主人公とした作品で、永遠の命を持ち、何十年何百年と生きていく中で、生きるためには人間を襲わなければならないということ、年をとらないということに苦悩する姿を描いています。 もちろん、描かれているエピソードなどは全く違うので、盗作とかを疑っているわけではなく、つい、比べてしまうということが言いたいのです。 媒体が映画と漫画と違うので、一概に比べるのはいけないとは思いつつ、「ポーの一族」の方が心理描写がより深くなっており、主役が少年ということで、永遠の時を生きていく苦悩など、テーマがより明確に伝わってきているなあと、思ってしまいました。 ということで、映画の出来としては、いまいちの感が否めない映画ですが、トムとブラピの美しさは、十二分に堪能できる作品です。ただ、美しい男が見たいと思っている女性のみなさん、殺人や血の描写もたっぷりですので、ご注意を。
2012.04.08
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「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋」Mr.Magorium’s Wonder Emporium2007年アメリカ映画監督 ザック・ヘルム出演 ダスティン・ホフマン ナタリー・ポートマン ジェイソン・ベイトマン メリクリなので、今日はクリスマスにふさわしい映画を。 不思議なおじさんが営む、不思議なおもちゃ屋さんを描いたファンタジー映画です。アメリカでは、ちゃんとクリスマスシーズンに合わせて公開されています。日本では残念ながら、翌年の2月という非常に中途半端な時期に公開され、興行的にいまいちに終わりました。 自称243歳のマゴリアムおじさん(ダスティン・ホフマン)が営む創業113年のおもちゃ屋は、不思議なおもちゃ屋でした。ちっちゃな外観からは想像できないくらい、広い店内に所狭しと並んでいるおもちゃたちは、好きに動き回っています。その間を大勢の子どもたちが遊びまわっています。おもちゃたちは、どうやらマゴリアムおじさんの不思議な力で動いているようです。その店を仕切っているのは、ミュージシャンになる夢をもつ店員のモリー(ナタリー・ポートマン)です。 ある時モリーは、マゴリアムおじさんから自分はもうすぐいなくなるから、店を継いでもらえないかと打ち明けられます。おじさんのように不思議な力を使えないモリーは、自分でいいのか悩んでしまいます。 子ども向けのファンタジーかと思っていたら、結構考えさせるドラマがあってびっくりしました。おもちゃが動く不思議な世界を目当てに観に来た小さな子たちには難しくて分からなかったかもしれません。夢とか将来とかを考えさせるテーマで、なかなか考えさせられるもので、どちらかというと、小学校高学年から中高校生ぐらいが観るとちょうどいいかなという感じです。というか、大人が観ても、人生をあらためて考えさせられるかもしれません。とりわけ、壁にぶち当たって悩んでいる若者にお勧めです。 ところで、この映画には、もうひとり重要人物が登場します。それは、マゴリアムおじさんが、店を移譲するべく、一度整理するために雇った会計士ヘンリー(ジェイソン・ベントマン)です。 彼は、非常にまじめな性格で、おもちゃ屋の不思議を全く見ることができず、この店を普通のおもちゃ屋だと思っています。彼は職業柄非常に現実主義で、夢を全く信じていないようで、おもちゃたちも、彼の前でははしゃぐのを遠慮しているようです。 どうやら彼は、夢や希望を捨てて、現実に埋もれてしまっている大人たちの象徴として描かれているようです。彼が店の不思議を見ることができるかということも、サイドストーリーとして、描かれているようです。 そんなお話ですが、やっぱり見どころは、最近「ブラックスワン」の熱演で米アカデミー賞主演女優賞を受賞して、のりにのっているナタリー・ポートマンが、王女様やバレリーナとは違う、素の女の子を演じて、笑顔が魅力的で、とてもかわいいということでしょうか。
2011.12.24
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「ジュマンジ」 Jumanji 1995年 アメリカ・カナダ映画監督 ジョー・ジョンストン出演 ロビン・ウィリアムス キルスティン・ダンスト ロビン・ウィリアムス主演の、恐ろしいボードゲームを題材に、当時のCG技術をフルに駆使して描かれた、ファミリー向け、ファンタジー映画です。 1969年、ある田舎町の靴工場の息子で、いじめられっ子のアランは、工場の工事現場で、古めかしいボードゲームを見つけます。さっそく、家の2階で、女友達のサラと、そのすごろく型のボードゲーム“ジュマンジ”で遊び始めます。 そのゲームは、サイコロを振って駒が進んだマスにより、呪文のような言葉が現れ、その言葉に応じた恐ろしい現象が現実化する、悪魔のゲームでした。 ゲームが始まって間もなく、アランは、ゲーム盤に吸い込まれ、5か8が出るまで出て来られなくなってしまいます。アランがいなくなってしまって恐ろしくなったサラは、逃げ出してしまいました。 月日は流れ1995年、かつてアランが住んでいた家に、叔母に連れられた姉弟がやってきます。その姉弟、ジュディ(キルスティン・ダンスト)とピーターは、事故で両親を亡くし、引き取られた叔母とともに、今は空き家になっているこの家に越して引っ越してきたのです。 おばさんが出掛けた隙に、家の中を見て回っていた2人は、屋根裏部屋で“ジュマンジ”を見つけ、ゲームを始めてしまいます。最初はジュディが、ハトほどもある巨大な蚊を呼び出します。次にピーターがサイコロを振ると凶暴なサルの群れが現れます。ピーターはゾロ目だったので、また振ることができます。ピーターが5を出すと、凶暴なライオンとともに、ターザンのような男(ロビン・ウィリアムス)が現れます。 現れた男はアランでした。“ジュマンジ”に吸い込まれた彼は、26年間、どこかのジャングルでサバイバルしていたのです。故郷に帰ることができた彼は、喜々として両親を探しましたが、靴工場は廃墟と化し、両親は、行方不明の息子を探すために財産を使い果たし、亡くなっていました。 町は、すでにゲームから現れた巨大蚊と、いたずら好きのサルたちのおかげで、大混乱に陥っています。 ゲームには、最初にゴールした者が“ジュマンジ”と叫ぶまでゲームは続く、との注意書きがありました。26年前ゲームを始めたアランとサラも加わり、だれかが上がるまで、続けなければならないのです。 調子に乗って、あらすじを半分ぐらい書いてしまいましたが、この後、4人がサイコロを振るたびに、人食い植物や、大あらしや、暴走するゾウやサイなど大型獣の群れや、しつこく追いまわすハンターなど、次々と危ないものが現れてきます。家はバラバラになるは、町は大混乱だわ、もう、大騒ぎです。 もちろん、ゲームをしている4人も、次々と危機に陥っていきますが、4人で協力して、何とか危機を脱していき、ゲームを続けるのです。 次々現れる様々な危機に、ハラハラドキドキし、たちまちお話に引き込まれ、あっという間に時間がたっていきます。下手なサスペンスよりも、ずーっと興奮する、とてもよくできたお話です。 ちょっと古い作品なので、CG技術が、現在より未熟で、出てくる動物たちの動きがぎこちないですが、話に引き込まれているので、まったく気になりません。しかし、この映画の監督は、特殊効果のプロで、スターウォーズシリーズや、インディ・ジョーンズシリーズで、CG映像を作っていた人で、当時としては最新鋭のCG合成技術が駆使してあります。 また、ロビン・ウィリアムの、ちょっとオーバーな演技が、この映画にはぴったりで、初めて観たときは、彼と同じように、びっくりしたり、喜んだりしている自分に途中で気付き、ひとりで観ていたのですが、恥ずかしかったです。 あと、あのスパイダーマンの彼女MJ、またはマリー・アントワネットが、たぶん10歳ぐらいですが、とってもかわいいです。
2011.11.13
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「パコと魔法の絵本」 2008年 日本映画監督 中島哲也出演 アヤカ・ウィルソン 役所広司 妻夫木聡 劇団ひとり 土屋アンナ 阿部サダヲ 加瀬亮 小池栄子 國村隼 上川隆也 山本圭哉 ちょっと前に、「主演の女の子がかわいい。」とか、「役所広司がじいさん役やるんだって。」とか、「とにかく変な話だよ。」とか、「すごいメルヘンチック。」とか、話題になった映画です。 変人ばかり集まっている変な病院がありました。院内一偏屈で嫌われ者の頑固じじい大貫(役所広司)は、事故の後遺症で記憶が1日しか持たない少女パコ(アヤカ・ウィルソン)と出会います。 大貫は、パコと接していくうちに、次第に打ち解け、何とかパコの記憶に残るようなことはできないかと、パコが大好きな絵本を劇にして、病院の変人たちと上演する事を思いつきます。 お話は単純ですが、心温まるいいお話で、最後は、つい涙がこぼれてしまいます。 しかし、特筆すべきは、その映像です。とにかく全編、絵本のような派手な色に彩られ、変な登場人物たちと相まって、映画全体が絵本のようです。 この映画を現実離れした変な映画、と批判する人がいましたが、それは見当違いです。これは、明らかに、現実離れした絵本のような映像を作ろうと作られている映画だからです。スタッフは確信犯なのです。 だから、現実離れした変な映画、という批判は、けなしているのではなくて、見事にスタッフの思惑にはまってしまったということなのです。つまり、それは褒め言葉になってしまうのです。 だから、僕はこの映画は、現実離れをした絵空事を、わざと作ったのですから、ただ単純に、物語の世界にどっぷりと浸かって、ただ楽しめばいい映画なのではないだろうかと思います。ちょうど、ティム・バートンの「チャーリーとチョコレート工場」や「アリス・イン・ワンダーランド」と同じようなものです。 僕はむしろ、この日本の保守的な映画界の中で、よくやった、とほめてやりたい気分です。 ということで、登場人物たちが、いかに変なのか、書いておきましょう。パコ(アヤカ・ウィルソン) 両親を亡くした交通事故の後遺症で、記憶が1日しか持たないという障害を抱えた少女、最後に両親にもらった「ガマ王子対ザリガニ魔人」という絵本を大切にし、毎日読んでいる。大貫(役所広司) 大会社の会長で、浩一の叔父。偏屈で頑固者。悪態をつき、意地悪ばかりしているので、みんなからは「くそじじい」と呼ばれている。滝田(劇団ひとり) 消防車にひかれて大怪我をした消防士。人命救助が生きがいだが、いつも空回りをしている。室町(妻夫木聡) 薬物依存症の入院患者。自殺癖があり、入退院を繰り返している。かつては売れっ子の子役だったが、大人になり、壁にぶつかっている。浩一(加瀬亮) 大貫の甥で、雅美の夫。妻には頭が上がらない、いわゆる恐妻家。雅美(小池栄子) 浩一の妻。悪魔のような性格で、浩一にかみつくこともしばしば。お金のために大貫に媚を売ろうとしている。龍門寺(山本圭哉) 銃の暴発で怪我をしたヤクザ。木之元(國村隼) ジュディ・オング好きのオカマ。とっくにけがは治っているが、賠償金をせしめる為に入院を続けている。堀米(阿部サダヲ) 精神的な病で入院しているらしいが、神出鬼没で、謎の入院患者。一応、語り手のようですが、場の空気を読むことは苦手のようです。タマ子(土屋アンナ) 髑髏と薔薇のタトゥーを入れた、こわーい看護婦。浅野(上川隆也) 変装好きのへんな医者。 こんな変な人たちが、極彩色の映像の中で、暴れまわるお話です。 なお、アヤカ・ウィルソンちゃん、非常にかわいいです。ご注意を。
2011.11.09
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「奇談」 2005年 日本映画原作 諸星大二郎 監督 小松隆志主演 藤澤恵麻 阿部寛 以前にも書きましたが、諸星大二郎先生は、昔からの大ファンです。1974年に、「生物都市」での少年ジャンプ手塚賞受賞、その直後の初連載「妖怪ハンター」、1976年の初の長編連載「暗黒神話」と、リアルタイムで体験し、その独特の世界観、独創的なアイデアに魅せられて、一気にファンになりました。それから、ちょこちょこと不定期に出る作品集を買い続け、その変わらない作品レベルに驚きながら、今は「西遊妖猿伝」の新刊を心待ちにしています。 この映画の原作「生命の木」は、異端の考古学者稗田礼次郎を主人公とした妖怪ハンターシリーズの一篇で、連載ではなく、1976年の「暗黒神話」連載の後、単独で増刊号に発表された30ページほどの短編です。最初の妖怪ハンターシリーズとして、ジャンプ・スーパー・コミックスの「妖怪ハンター」に最初の連載のものとまとめて収録されています。 「妖怪ハンター」は、先生の最初の連載であると同時に、掲載誌を転々としながら、現在まで、30年以上続くシリーズで、長髪黒ずくめの異端の考古学者稗田礼次郎が、奇怪な事件に遭遇し、それを解明(決して解決ではない)していくお話です。対決する相手は、世間一般で言うところの妖怪という範疇に納まらず、何かしら得体のしれないものばかりで、「妖怪ハンター」という名前は、最初の連載の名前だからそう呼ばれているのだと思いますが、いまいち内容とあっていません。(最初の連載だから、読者受け至上主義の悪名高き少年ジャンプ編集部に決められてしまったのでしょう。あまりにも俗的で、僕は好きではありません。) さて、映画の方ですが、なかなか健闘しているではないか、なんとか合格点といったところでしょうか。(なに、この上から目線?) いつも、漫画の原作ものについては、評価が辛い僕ですが、この映画は、原作の雰囲気を何とか出そうとして、頑張っているのがよくわかり、好感が持てました。諸星作品は、都会が舞台のものでも、その描線からか、おどろおどろしいというか、泥臭いというか、独特の雰囲気があるのですが、この映画はその感じを出すことに、かなりの力が注がれているようで、とてもよい感じ(諸星作品として)の映像に出来上がっています。舞台が、東北の山の中の村というのも、よかったのですかね。 大学院で民俗学を専攻する佐伯里美(藤澤恵麻)は、かつて、7歳の頃に2ヵ月間だけ過ごした東北地方の隠れキリシタンの村へ、調査にやってきました。そこで、隠れキリシタンの調査をしている異端の考古学者稗田礼次郎(阿部寛)と出会います。 里美は、16年前、この村で同じく7歳の少年新吉とともに、神隠しにあい、かろうじてひとりだけ生還するという過去がありました。里美と稗田は、村の長老であり、やはり子どもの頃に7歳の兄とともに神隠しにあい生還した経験を持つ老婆に話を聞き、村の奥にある“はなれ”と言われる集落が怪しいと、目星をつけます。“はなれ”は、住人がすべて7歳程度の知能しかなく、明治になって、キリスト教信教が解禁になった時、多くの村人とは違い、カトリックへの帰依を拒み、隠れキリシタンの教義を守っている、閉鎖された集落でした。 調査を続けるうちに、里美と稗田は、村の神父とともに、村の聖地カルバリ山(骨山)で、キリストのように十字架に張り付けにされている、“はなれ”の住人善次の死体を発見してしまいます。 ここでは書くのは控えておきますが、この後、あっと驚く結末が待っています。この結末が、原作を知らない方には、あまりに唐突で難解に思え、受け入れられにくいようですが、原作通りの映像で、コアな諸星ファンの僕としては、よくやった、よくぞここまで映像化した、と涙チョチョ切れる思いでした。 しかし、神隠し関係の話が、取って付けたようで、いまひとつ話の本筋になじんでいません。それもそのはずで、神隠しは、原作には出てきません。どうやら、原作通りだと、どう考えても1本の映画の長さに作り上げることができないと判断した制作関係者(監督・脚本小林隆志なので、きっと彼でしょう。)が、諸星作品にふさわしい要素として、設定したものと思われます。その視点は、間違っていないと思いますが、少し吟味が足りなかったようです。 以前の、「壁男」の時も書きましたが、諸星作品の短編を、2時間程度の映画に仕上げるのは非常に難しいと思われます。着想が面白く、その切り口が独特であるが故に、感動し、映像化したい衝動に駆られる気持ちは分からないではありませんが、あまりに独創的であるがため、その話を引き伸ばしたり、改造したりすることは容易ではありません。この映画も、「壁男」も、一生懸命工夫して引き延ばして、90分前後の映画に仕上げていますが、どうしても違和感が残ってしまいました。 無理せず、「世にも奇妙な物語」で、2.30分の映像を作ることをお勧めします。どうしても映画を作りたいのなら、「暗黒神話」「孔子暗黒伝」「海神記」「マッドメンシリーズ」をお勧めします。長さ的にちょうどいいでしょう。個人的には、「栞と紙魚子シリーズ」のクトゥルーちゃん関係の話をつなげて作るのも面白いと思いますが。 しかし、稗田礼次郎役、他にいなかったのでしょうか、阿部寛さんは非常に上手で、いい感じで演じていましたが、どうしても「トリック」とかぶってしまいます。見た目的には、「ヒルコ」のように、沢田研二さんが最適ですが、(稗田礼次郎は、他の話の中で、ジュリーに似ていると言われています。)もっと、よく考えてほしかったです。 また、題名はどうして「奇談」なんでしょうか、これでは意味が広すぎて、諸星作品のすべてに当てはまってしまいます。原作通りの「生命の木」ではいけなかったのでしょうか。キリスト教関係から圧力でもかかったのでしょうか。
2011.10.12
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「壁男」 2007年 日本映画原作 諸星大二郎 監督 早川渉出演 堺雅人 小野真弓 諸星大二郎先生は、少年ジャンプの手塚賞受賞のデビュー作「生物都市」で、注目し、のちの連載「暗黒神話」とその続編「孔子暗黒伝」で完全にファンになった、僕の大好きな漫画家のひとりです。単行本は、ほぼ全部持っています。 個性的な絵で、着想の独創的なSFや、独特の世界観を持つ伝奇物、風刺、ブラックユーモア、不条理ギャグな作品を作り上げていく、一部の熱狂的ファンを持つ漫画家です。 「壁男」は、マガジンハウス社のマニア的読者向けマイナー雑誌「COMICアレ!」に1995年から1996年にかけて掲載された短編3部作で、マガジンハウス社の単行本「夢の木の下で」に収録されています。壁の中に生息しているらしい「壁男」なる存在をめぐる物語です。 1作目は、壁男の視線で描かれたもので、壁男の設定、能力などを紹介しています。2作目は、カップルが壁男のうわさを聞き、男の方が壁男に取りつかれていく作品です。3作目は、2作目のカップルの残された女らしき女が、壁女になり、元の友人とコミュニケーションをとる作品です。いずれも、20ページ前後の短編で、細かい設定などは省き、重要な部分だけをつなぎ合わせ、上手にまとめられた秀作です。登場人物の名前も、2作目のカップルの男仁科しか出てきません。 レンタルビデオ屋の、邦画ホラーのコーナーでこのDVDを見つけ、原作諸星大二郎とあり、原作通りならホラーではないはずなので、(以前に書きましたが、ホラーは苦手です。)どう仕上げてあるのか興味をひかれ、借りてみました。 映画は、漫画の2作目をベースに作られています。短編漫画を1本の映画にするために、不十分な設定をつけたし、話を膨らませ、1,3作目のエピソードも付けたして、仕上げられています。 TVの深夜番組でレポーターをしている響子(小野真弓)は、1枚の投書から、「壁男」なるものを番組でレポートし、ブームを巻き起こします。響子の彼氏でカメラマンの仁科(堺雅人)は、「壁男」に異常な興味を示し、だんだんとのめりこんでいきます。 2人の職業設定や周りの登場人物、TV番組など、前半の展開はほとんど、つけ足した部分です。そして、何回か出てくる壁男がアパートの部屋を次々と覗いて行くくだりは1作目から、最後の壁女が手だけ残していくくだりは3作目からの挿入です。 主人公をカメラマンに設定し、グラビア撮影の愛想良さと対比して、自分の作品に対峙するときの狂気と紙一重なこだわりを示す芸術家肌の男として描き出しているところはなかなかやるなあと思いました。それは、多くの作品で2面性のある男を演じて来た堺雅人の個性とマッチして、いい味を出しています。(僕はTVドラマ「ジョーカー」の彼が好きでした。「篤姫」の将軍家定もよかったけどね。) しかし、たった20ページ足らずの短編漫画の映画化なので、かなりつけ足したとはいえ、どうしても間延び感のあるのは仕方ないでしょうか。TV番組でのインタビュー場面がたびたび挿入されるのはくどいですし、立てこもり犯の場面の意味も良く分からないし、意味深発言をする女の子の存在もよくわかりません。タクシー運転手の死の意味もわかりませんし、最後の壁女が手だけ残していくくだりが取ってつけたようで、完全に余分です。(本当に取ってつけたんですけど。)仁科の死で終わっておけばすっきりするのに。(でも、そうすると完全に時間が短いですが。) とりわけ、ヒロインの響子がひどいですね。小野真弓さんは、笑顔がかわいらしく、性格もよさそうなお嬢さんで、TVのレポーター役にはぴったりですが、怖がったり、深刻そうな顔したりがいまいちだし、たびたびあるベッドシーンでおっぱいも出せないようなら、断ればいいのに、と思ってしまいました。特に、肉体関係ある彼氏なのに、終始「仁科さん」はないでしょう。 非常に面白い題材で、映像化したくなる気持ちはわかりますが、短編漫画を一生懸命引き延ばして、無理やり映画化する意味は何でしょうか。いっそ、3本とも映像化し、30分くらいの短編3本で1つの映画にするというのはどうでしょうか。それとも、映画でなく、2.30分の映像作品で、「世にも奇妙な物語」の1本ではいけなかったのでしょうか。(実際、諸星大二郎原作のものがいくつかあります。) 「デビルマン」の時にも書きましたが、自分の好きな漫画作品が、中途半端な映画になるのは、いやですね。もっと内容をしっかり吟味して、原作者ともとことん話し合って、映画化してほしいものです。
2011.09.10
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「マリー・アントワネット」 Marie-Antoinette 2006年 アメリカ映画監督 ソフィア・コッポラ主演 キルスティン・ダンスト やられました。歴史が好きなので、フランス革命を王宮の側から描いた作品かと、期待してしまったので、非常にがっかりしました。 フランス最後の王妃、マリー・アントワネット(キルスティン・ダンスト)の生涯を描いた作品ですが、断頭台はおろか、フランス革命の描写はほとんど出てきません。婚礼のため、オーストリアを出立するところから、革命のため王宮を脱出するところまでを、ロック音楽にのせて、美しい衣装やぜいたくなお菓子に囲まれ、遊び暮らしている様子を淡々と描いている作品でした。 ベルサイユ宮殿でロケをし、ドレスやお菓子のデザインに工夫を凝らし、その画面は非常に美しく作ってあります。 しかし、王との夜の生活に悩むところで少しドラマがあるだけで、後は帽子やドレスやアクセサリーやお菓子を選んでいたり、仮面舞踏会やパーティーなどで遊んでいる姿、子どもたちと農園で過ごすところなど、革命など微塵も感じさせない、ぜいたくな生活をほとんどドラマなく映し出していきます。 デュ・バリー夫人との対立、首飾り事件、2人の子どもの夭折(葬式の場面はチラッとあります。)、フェルゼン伯との不倫(ちょっとだけ出てきます。)、そして、革命による監獄生活と処刑、ドラマになる材料はたくさんあるのに、それらを極力廃して、ストーリーが作られています。特に、革命以降の監獄生活は、王宮を脱出するところで終わっているので、全くありません。また、革命を起こす民衆の姿など、全くありません。 心理的な深みも全くなく、終始、一貫して、宮殿でのぜいたくで華やかな生活を淡々と映し出すのみです。オシャレ好きな女性には楽しいのかもしれませんが、僕にはまったく退屈な映画でした。
2011.09.04
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