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「絵遊び」で「学ぶ」頭のトレーニングです。「勝手道具」の名前を当てる「判じ絵」クイズです。「モノ」を調べると「ヒト」が見えてくる。モノから透けて見えてくるヒトの生活や文化は興味深く、面白いモノです。そこで、今回は江戸時代の生活に密着した「勝手道具」(台所道具)という「モノ」について、クイズを通して考えてみましょう。(「勝手道具はんじもの」下 重宣戯画 弘化4年〜嘉永5年〈1847〜1852〉)まずは、初級編から。次の絵を見て「勝手道具の名前」を答えて下さい。(い)2つの道具を答えて下さい。(ろ)(は)(ヒント)(い)基本のパターン。単純な文字絵で、組み合わせ、下抜きです。(ろ)男の子が半分になっています。下抜きですが、この子は有名な。あの…(は)「葉」に濁点、その数に注目です。(答え)(い)「火箸(ひばし)」「米櫃(こめびつ)」←〔児・目・火・鶴の上半分〕(ろ)「雑巾(ぞうきん)」←「象」+「金太郎」の上半分=「ぞう・きん」(は)「菜箸(さいばし)」←「賽銭の上半分」+「葉(は)」に濁点×4(し)=「さい・ば・し」まずは基本パターンでウオーミングアップ。全問正解出来たかも知れません。では、中級編へ進みます。だんだんとパターンが変化してきます。(に)(ほ)(へ)(ヒント)(に)「顔」の向きに注意。それに動作を加えて下さい。(ほ)蛙のことをなんと言ったか?何の動作かを考えて下さい。(へ)天狗が泣いています。過去形で考えると答えが分かるかも。(答え)(に)「岡持(おかもち)」←「顔」が逆さで「おか」、それを「持つ」=「おか」「持ち」(ほ)「茶釜(ちゃがま)」←「茶(ちゃ)」+「蝦蟇(がま)」(へ)「まな板」←「魔」が「泣いた」。(に)「岡持」は平たくて、蓋・手のついた桶(おけ)で、食物を入れて持ち運ぶのに用います。お寿司屋さんや魚屋さんが昔使っていた記憶があります。今はあまり見かけませんが、「岡持」という漢字をあてるのは、その形と関係があるのかもしれません。「持ち手」が「なだらかに盛り上がっている岡」に似ている感じがします(これは正式な語源かは未確認です、念のため)。(ほ)はとても印象的でインパクトがあります。蝦蟇が茶を点てる、何かのキャラクターになりそうな絵です。最近はやりの「ゆるキャラ」にしては、蝦蟇の目つきが怖いです。お茶の宣伝にはならないでしょうが、発想は面白いです。(へ)では、天狗が「魔」となっています。恐ろしい天狗が泣いている、その姿がそれだけで楽しい絵となっています。それにしても、「まな板」を「ま」と「泣いた」に分けて絵を作る、思いつきがおかしいです。最後に上級編。パターン化が組み合わされたり、言葉自体が分かりにくいため、けっこう難しいです。よく「絵」を見て下さい。(と)(ち)(り)(ぬ)(ヒント)(と)「何か」が「何か」になって飛んでいます。飛ぶ生き物と言えば…、これを下に続けてみてください。(ち)この赤ちゃんの行為を何というか。井戸もただの「井」ではありません。(り)男の人の仕事(職業)とふくの文字に注目。あとは例の文字の一部抜きです。(ぬ)見たままですが、この言葉を知っている方は相当の物知りです。(答え)(と)「炭取」←「炭(すみ)」が「鳥(とり)」担っています。楽しい発想ですね。(ち)「灰ふるい」←「はいはい(赤ちゃんの動作)」+「古い井戸=「古井(ふるい)」(り)「火消し壺」←「火消し(人)」+「鶴(つる)」の上だけを持っているので「下抜き」の「つ」。火消しの背中が「ぼ」組なので「ひけしつぼ」となります。やや複雑です。(ぬ)「猿棒(さるぼう)」←見たままですが、「猿棒」自体が、現在ではほとんど目にしない言葉です。赤ちゃんの特長ある動き「ハイハイ」は、江戸時代後期には「はい」を使って呼ばれていたんですね。実際は「はい」なのか「はいはい」なのかは明確ではありませんが、「這う」から来た語であることは明らかでしょう。「灰」に用いるほど一般的な言い方だったということです。さて、それにしても「灰取」「灰ふるい」「火消し壺」と、「火」に関わる道具がたくさん採られています。いかに江戸庶民と「火」「灰」が身近で大切なものであったかがよく分かります。「判じ絵」クイズで江戸庶民の生活が見えてくる、今回も然りでした。ところで、「火消し壺」は現在でも普通に使われている言葉です。楽天で検索すると、このような、手頃で素敵な「火消し壺」がすぐに見つかります。芸術的にすぐれたものも多いようです。年代を感じさせる次のようなものもあります。美しいですね。「和物」インテリアにもなりそうです。また、アウトドアやキャンプでも「火消し壺」は使われています。「LOGOS」の「火消し壺」です。キャンプで「火消し壺」と言うと「?」と言う顔をされるかも知れませんが、江戸時代から続く伝統ある言葉なので、ぜひ残していきたいものです。なんと言っても分かりやすい言い方が支持されてきたのでしょう。こうした便利な言葉は、外来語で言い換えられずにきちんと残っていくものです。そして「猿棒」。何のことでしょうか?ずいぶんと探しましたが、「大工さん」が教えてくれていました。次は、大工さんのブログにある写真です(顔の描いてある棒が「猿棒」です)。ブログの説明によると、「これが、猿棒と言います竿縁材の切り小口です。この小口が猿の顔だちににていることから猿棒と言われているわけですね。」なるほど、理由はよく分かりました。しかし、どうしてこれが「勝手道具」に載っているのでしょうか。範囲が広かったのか、または、この切り口を持つ棒が広く「猿棒」と呼ばれていて、台所でも何かに使用されていたのかも知れません。だとしたら、一体何に使っていたのでしょう。「猿棒」のことをよくご存じの方(普通いませんね)、江戸時代の使用方法など教えて下さると有り難いです。右京さん(「相棒」の)ではありませんが、「気になることは、何でも聞きたくなる」性分なもので…。江戸庶民にとって、身近で生活に密着した「勝手道具」。その名前の多くが現代に残っています(もちろん、一部消えてしまったものもありますが)。私たち日本人が「生活のことば」をいかに大切にしてきたかを感じるとともに、道具への愛着、そして「モノ」を大切にする心を味わうべきでしょう。「言葉は心」です。これからも、「生活のことば」を大切に、そして、「古い言葉」の意味を改めて考えてみることも大事であると思います。絵で解く「判じ物」を楽しみながら、「日本人と言葉」、そして「昔の言葉と今の言葉」について、思いを馳せて見るのも楽しいもの。楽しみながら、江戸庶民の言葉や生活を学ぶ、そんな体験が出来たら。そんな楽しい言語生活を目標に、これからも気軽にブログを書いていきたいと思っています。今日は、「勝手道具」と江戸庶民の生活、言葉の話題でした。
2012年11月03日
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「うた」の真実に続き、今回は「うた」の存在感について考えてみます。 皆さん、よくご存じの「いろは歌」から。身近な題材ですが、よく考えると解らないことが多い歌です。 小松英雄著『いろはうた 日本語史へのいざない』(講談社学術文庫)を読んで感じたことです。中公新書として入手しにくかった本書が文庫で刊行されたため、読み直してみました。小松さんは、いつも刺激的な論考で日本語を考えるきっかけを与えて下さいます。 小松さんによると「以呂波という誦文」は「日本人の祖先が残した金字塔的文化遺産であるといってよい」そうです。小松氏の探求は、「いろはうた」が、いつ、誰によって、どんな目的で作られたのか。そこから話題、文献がどんどん広がっていきます。 小松氏は、日本語史の文献として「いろはうた」を広く捉えて、表記だけでなく音韻上から、その謎に挑んでいます。その中で興味深い文献がいくつも取り上げられています。 その資料をもとに、「いろは歌」から見えるものを少しご紹介しましょう。 日本人は無類の「ことば遊び」好きな民族です。 当然ながら、「いろは歌」以前にも、「同一の文字を使わずに歌を作る知的な「ことば遊び」は行われていました。 実際、その資料がいくつか残っています。 例えば、『古今和歌集』巻十八(雑下)には「同じ文字なき歌」として、次の歌が採られています。 よのうきめ みえぬやまぢへ いらむには おもふひとこそ ほだしなりけれ (世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそ絆なりけれ) 部立が「雑歌」の分類から、言葉の技巧が評価されたものでしょう。三十一文字を選出し、一貫した意味の通りやすい和歌ですが、内容的にはありきたりのステレオタイプの歌と言えます。さて、今回は「同じ文字なき歌」として、「いろはうた」以外の二つの歌に注目しました。 平安時代中期の歌人、学者として有名な源順(みなもとのしたごう・911~983)の私家集『源順集』にある「あめつちの歌」四十八首。そこから四十八文字を拾ってみます。 あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふ せよ えの えを なれ ゐて 二文字言葉の羅列のようです。同じ文字がないはずの四十八文字ですが、「えの えを」の部分がちょっと変です。 次は、同じく平安時代の学者、詩人である源為憲(みなもとのためのり・~1011没)著『口遊』(くちずさみ・970年序文)にある「大為尓(たゐに)の歌」です。 たゐにいて なつむわれをそ きみめすと あさりひゆくやましろの うちゑへるこら もはほせよ えふねかけぬ 五七調の歌で仕立てられているようですが、四句目と八句目が六文字となっています。合計四十六文字です。 おかしなことに、四十八文字と四十六文字が「同じ文字なき」文字列となっています。 では、よく知られた「いろは歌」はどうでしょうか。「いろは歌」が載る現存最古の文献は『金光明最勝王経音義』(1079年)という経典の解説書から引用します。 いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむうゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす(色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず) こちらは七五調のリズムで仕立てられ、「今様の歌」からの影響ではないかと考えられています。「今様」とは平安から鎌倉時代に流行した、あの大河ドラマ『平清盛』主題歌「遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんとや 生まれけむ」などの歌謡です。 さて、これまで三つの「同じ文字なき」文字列を見てきて、もう気がつきましたか? 「大為尓の歌」は四十六文字、「あめつちの歌」は四十八文字、そして「いろは歌」は四十七文字です。 では問題。文字数と言語の歴史的変遷との関係や如何に? 皆さんお察しの通り、表記は同じだが発音の異なる文字が、歴史を経て発音の差が縮まり表記上曖昧化するのが言語学上自然な推移です。『いろはうた』の中でも小松氏が折に触れて発音(音韻)の変遷に言及しています。 つまり、「いろは歌」とは、かつて四十八文字あった表記法から一文字少なくなっている文字列であり、さらに表記が一文字減った四十六文字の「同じ文字なき歌」も現存しているのです。学問的には文献考証に不足がある感はありますが、現存する資料から見ると「いろは歌」の成立は、源順と源為憲の間の時代にあたるとも考えられます。 「百年足らずでそんなに言葉が変わるのか」という疑問はありますが、言葉の変化ではなく発音の変遷は地域や時代で大きく早く推移します。 「いろは四十七文字」という言い方には深い意味があったのです。「いろは歌」がいつ、誰によって作成されたものかははっきりしませんが、内容からして僧侶など仏教関係者か著名歌人かと考えられます。おそらく平安時代中期には出来ていたのではないか、という説も肯けます。 また、「いろは歌」が、学問の初めとしてもてはやされ、広く一般に定着した理由は、そのわかりやすい内容と覚えやすいリズム感にあると言えるでしょう。 誰かが、この「いろは歌」をどこかで考えついたから、現在の「古文」は四十七文字で表記されていますが、本当に四十七文字でよいのでしょうか? もっと親しみやすい「同じ文字なき歌」がどこかで作られていたら、旧仮名遣いや「古文」の表記が違っていたかもしれません。 「いろは歌」の問題は、他にもたくさんありますが「ことば遊び」の要素がその存在感に関わっていることは確かでしょう。 今回は、小松氏の『いろはうた』を読んで「いろは歌」の持つ意味、「うたの存在感」が果たした役割は想像以上に大きいと感じさせられた次第です。
2012年09月27日
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先日「 江戸の判じ絵 」について書きました。「判じ絵」は「視覚的ななぞなぞ」であり、「ことば遊びの一種」として大流行した遊びです。同じく「ことば遊びの一種」として江戸時代に流行した「視覚的な漢字遊び」があります。代表的なものとして「嘘字(うそじ)」と「鈍字(どんじ)」を少しご紹介しましょう。頭を柔らかくして「なぞ解き」に挑戦してみて下さい。「嘘字」は式亭三馬著『小野愚(をののばかむら)嘘字尽(うそじづくし)』が有名で、文化三〔1806〕年の刊本が今でも多く残っています。『小野篁(たかむら)歌字尽(うたじづくし)』(寛文9年〔1669〕)のもじり(パロディ本)です。『歌字尽』は往来物で手習い用の漢字学習帳。学問の出来た平安時代の学者「篁(たかむら)」をもじって「愚(ばかむら)」と変え、「歌字」を「嘘字」と言い換えた時点で、すでに文字遊びの世界に入っています。さすがは「三馬」です。(早稲田大学図書館データベースによる)写真でもわかりますが、漢字が羅列されています。1行目は「人偏シリーズ」人偏に春「人春」は「浮気(うはき)」、「人夏」は「元気」、「人秋」は「塞気(ふさぎ)」、「人冬」は「陰気(いんき)」です。では、問題(い)「人暮」(1字です)という漢字、何と読むでしょうか?(ヒント:やはり「~き」です)正解は下に載せておきます。江戸時代の年の暮れを象徴する光景を思い浮かべてみて下さい。2行目は「金偏シリーズ」金偏に「遣手」で「にこにこ」と読む。なるほど!「金母」は「へそくり」です。ん~ん、昔から、ですね。「金娘」は「不器量(ふきりやう)」見かけのよくない娘は…意味深な感じ(漢字)です。では、問題(ろ)「金失」(は)「金番」の読み方は?(ヒント:ともに血縁関係を表す一語の言葉です)いかがですか。「嘘字」というより、「創作漢字」と言えそうです。読む方はかなり頭を柔軟にして考える必要があります。問題を続けましょう。問題(に)「石偏に三年」で「石三年」(ヒント:石の上にもの意味は?)問題(ほ)「走偏(そうにょう)」に「男手」「女手」を入れた漢字「走男手女手」(ヒント:男と女が手と手をつないで…走る、逃げる)問題(へ)「口」三つの「品」の形に「目」を並べた漢字「目目目」(ヒント:目が三つは人間でなくて?)問題(と)「穴冠の」下に」目」を書く漢字「穴目」(ヒント:穴から目が見える、どんな行為?)ちょと難しいというか、個人的な解釈で読むものが多いようです。しかし、答えを見ると「なるほど」という面白さがあります。(答え)(い)「まこつき」(ろ)「むすこ(息子)」(は)「おやぢ(親父)」(に)「しんばう(辛抱)」(ほ)「みちゆき(道行)」(へ)「ばけもの(化物)」(と)「のぞく」次に「鈍字」です。「鈍」には、つまらないこと、ばかげていることという意味があります。つまり「ばかげている文字」を作る遊びです。例えば、実際の漢字の一部を細工改変して、面白おかしく読ませるものや、漢字の一部をわざと隠して読み方を考えさせたりします。こちらも実在しない文字を作って楽しむものですが、「嘘字」よりも複雑で、より視覚的に考えさせる漢字の文字遊びです。あまり馴染みのないことば遊びですが、下の小野氏の著書には『鈍字集』『鈍字尽』の紹介もされています。江戸時代後期から明治時代初期に出版されたものが多いようです。代表的な「鈍字」から問題です。なぜ、その意味になるかを説明してみて下さい。問題(ち)「昔」で「弘法大師」ヒントは次です。問題(り)「次」で「男世帯」ヒントは次です。問題(ぬ)「門構えだけ」で「留守」ヒントは次です。次は、『鈍字集』等から、ヒントはなしです。問題(る)「重」(縦長に細く書く)で「動かぬ」。なぜ?問題(を)「麻」を「せんたく」と読む。その訳は?問題(わ)「敬」を「ちょっと危ない」と読む。その訳は?問題(か)「學」の冠部分だけで「山里の学校」。その訳は?(答え)(ち)毎月21日(廿一と日)は弘法さんの縁日。(り)「姿」のうち、「女」が見えない。(ぬ)「内」に「人」がない(家に人が居ない)。(る)「力」を入れると「動く」が今は「重」くて「動かぬ」。(を)「鬼の来ぬ魔」とある。「鬼」の居ぬ「魔」の「洗濯」。(わ)「馬」が来て「驚く」から。(か)「學ぶ子が見えぬ」。中に「子」がいないから。いかがでしたか。ずいぶんと頭のトレーニングになったのではないでしょうか。江戸時代の漢字を中心としたことば遊びを少し見てきましたが、日本のことば遊びには長い伝統と奥深さ、幅の広さがあります。これからも、機会あるごとにもっとさまざまな「ことば遊び」をご紹介していきたいと思いますが、ご関心、興味のある向きは次の本をのぞいてみて下さい。さらに「言葉」への関心が広がることでしょう。鈴木 棠三 著『ことば遊び』(講談社学術文庫) 小野 恭靖 著『ことば遊びの世界』 (新典社選書)
2012年10月15日
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「遊び」で「学ぶ」頭のトレーニング。今回は「魚の判じ物」からの「判じ絵」クイズです。(「さかなのはんじもの」)前回の「鳥の判じ物」と同じ解き方です。まずは、初級編から。「魚の名」を答えて下さい。(い)(ろ)(は)(ヒント)(い)「栄」を音読みすれば…。(ろ)(い)の問題と同じ解き方です。(は)同じく「色」シリーズ。「台」の色は…。(答え)(い)「あかえい(赤エイ)」(ろ)「白魚(しらうお)」(は)「黒鯛(クロダイ)」次は中級編。いろいろなパターンで考えてみて下さい。(に)(ほ)(へ)(と)(ヒント)ノーヒントです(ヒントを出すと答えになります)。(答え)(に)「平目(ヒラメ)」←「目」が「平椀」(ほ)「鮒(フナ)」←「歩(ふ)」と「菜」(へ)「鱚(きす)」←「木」に「巣」(と)「たかべ」←「鷹」が「屁」ふざけた感じが「江戸」らしいです。「平目」の顔は「こんな雰囲気の人いそう」で面白いですね。「キス」の「巣」は以前「ホトトギス」でも着物の柄で出てきました。「す」=「巣」はパターン化しています。最後に上級編。やはり、パターン化した文字絵が使われています。(ち)(り)(ぬ)(る)(ヒント)(ち)あくまでも「魚の名」です。惑わされないで下さい。(り)燃えているのは「絵」です。(ぬ)ただの「戸」ではありません「カギ」が掛かっています。(る)衝立ともこもこした着物、女性らしい絵です。しかし顔は馬。(答え)(ち)「鰆(サワラ)」←「桜(さくら)」の真ん中が「輪(わ)」(り)「海老(エビ)」←見たままです。「絵」に「火」がついています。(ぬ)「泥鰌(ドジョウ)」←「戸」に濁点で「ど」、「錠前」(カギ)が掛かっていて「じょう」(る)「秋刀魚(サンマ)」←お産をしている馬で「産」「馬(ま)」。「サワラ」の絵にある人は何をしているのでしょう。桜の木をいたずらする子を大人が叱っているようです。「サンマ」の馬は、何となく物憂い表情をしています。当時のお産の状況が偲ばれる絵柄となっています。江戸時代の日本人にとって、「魚」は身近で親しみやすい食べ物であったのでしょう。ほとんどが食用の魚のようですが、「赤エイ」は食べなかったと思いますが、よく魚の名を知っていたことに驚かされます。庶民にとっては、「文字」よりも、こうした「絵文字」の方が親しみやすかったかもしれません。「泥鰌」や「海老」が魚の名に登場するのは面白いです。「魚」の範疇が柔軟で広かったことが分かります。そういえば「酒の肴」も「さかな(酒菜)」ですね。幅広い言葉の使い方、解釈の柔軟性は、こうした「文字遊び」の特徴と言えるでしょう。私たちも、あまり堅いことばかり言わずに「言葉」と柔軟に幅広く付き合っていきたいものです。
2012年10月26日
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またしても「上の人」が現場を顧みない暴言を弄して物議を醸す騒動が起きています。大阪市の橋下市長が、突然「来月の高校入試を中止する」と公言した問題です。昨年、田中真紀子前文科相が起こした大学不認可問題の際も、本人は発言をエスカレートさせていました。今回の騒動はどんなかたちで収束するのか、世間の関心が高まっています。本日の読売新聞記事から引用します。【桜宮高問題巡る橋下市長の発言が過熱】大阪市立桜宮高校で体罰を受けた男子生徒(17)が自殺した問題を巡り、今春の入試で同高体育系2科の募集中止を求める橋下徹大阪市長が発言をエスカレートさせている。同高教員の総入れ替えや廃校の可能性まで言及。在校生や受験生の思いをなおざりにした対応に批判が上がる。高校時代に自らも厳しいラグビー部生活を送った橋下市長は、問題発覚後も「試合中にビンタすることはあり得る」などと体罰を容認する発言を続けた。だが、12日に遺族宅を弔問した後、「スポーツ指導での体罰は一切認めない」と一転。3日後には同高の体育科とスポーツ健康科学科の募集中止を打ち出し、「場合によっては廃校もある」とまで踏み込んだ。入試が2月下旬に差し迫った時期だけに、市議会からは「市長の発言が事態を混乱させている」と批判が相次ぎ、「教員を入れ替えろと言うなら、まずは体罰を容認してきた自分が責任を取るべきではないのか」との声も上がる。募集継続を求める市立中学校長会の動きには、橋下市長は「教育者失格。そういう校長はいらない」と一蹴した。ある中学校長は「桜宮高校を目指してきた受験生たちの夢を一方的に摘み取るのは、暴力そのものだ」と憤る。 市教委が募集を中止しない場合、市長権限で関連予算を執行しない可能性を示したことにも反発が大きい。ただ、当の橋下市長はどこ吹く風だ。19日、記者団に「新しい教育方針が固まっていない段階で、新しい生徒をお迎えする方が無責任だ」と語るなど、一歩も引く構えは見せていない。 (2013年1月20日 読売新聞より抜粋)1ヶ月前に「入試中止」を宣言された生徒たちのやりきれない思い(怒り)はどこへ向かうのでしょうか?ゴールを目指して何年間も勉強を続けてきた受験生にとって、突然、文字通り「門前払い」されたわけです。この高校を受験したいと勉強に励み、高校でのクラブ活動を夢見てきた生徒だけでなく、ほかの受験生にとっても不安を引き起こすことになるでしょう。一市長の発言で、将来が変わってしまう不安定な学校制度では、安心して高校を目指す事ができなくなります。高校自体に大きな問題があったのは確かです。しかし、教育、学校は一般企業とは違います。不祥事を起こしたから営業停止処分をして、すぐに改善されるものではありません。相手は成長過程にある子どもたちです。そこを忘れることは教育を放棄することと同じです。原点に戻って、まずは冷静に考えてほしいと思います。不幸にも命を絶つことを選んでしまった生徒は何を訴えたかったのでしょうか?彼の気持ちをよく考えて、問題点を徹底的に改めることは絶対に必要なことです。しかし、その方法として、学校を廃止する、しばらく生徒を受け入れないことがどうしても必要なのでしょうか。バスケットボールを愛していた、スポーツを楽しんでいた、そして、将来を夢見ていた生徒は自分の母校をそこまで憎んでいたのでしょうか?バスケット、スポーツ、学校でなく、「人間」に問題があったことは明らかです。抜本的な教員の移動、生徒たちへの十分な心のケアを大前提として、絶対に体罰のない指導体制を作ること。学校を存続して、自殺した生徒の思いをきちんと形にして今後につなげていくことを考えていくべきだと思います。学校は常に動き変わる「生き物」という側面があります。すぐに「停止」や「廃止」をすることで解決するのではなく、「変わっていく」姿を世に示して、生徒の思いを形のしていくことをみんなで考えていくべきでは内でしょうか。受験生への配慮は一生に関わることなのでとても大切なことですが、今いる生徒たち(自殺した生徒を含めて)の思いをくみ取って上げることも必要だと思います。今回の発言は、実は重大な問題を含んでいると思い、ながながと書いてしましました。教育の問題は慎重さが大切です。相手は子どもたちです。決して、子どもたちを犠牲にする「拙速」とはならないよう、今後この問題を見つめていきましょう。
2013年01月20日
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「かな」で遊ぶ「謎かけ」の一つとして、今回は「暗号」つまりメッセージを隠す「かな」の文字遊びを見てみましょう。そこには、縦横無尽に文字で「遊ぶ」世界があります。古典の「ことば遊び」は、まだまだ奥が深いのです。からころも着つつなれにしつましあればはるばるきつる旅をしぞ思ふ(古今和歌集・在原業平)「伊勢物語」東下りの場面、昔男は「かきつばた」を「かしらにすゑて歌を詠め」と促されてこの歌を作りました。五七五七七各句の頭文字を合わせると「か・き・つ・は・た」(杜若)となる、古文の授業で習ったのではないでしょうか。「折句(おりく)」と言いました。各句の上に言葉を「折り込む」技巧です。平安時代の和歌には、「折句」の歌がたくさんあります。例えば、小倉山峰立ちならし鳴く鹿の経にけむ秋を知る人ぞなき(古今和歌集・紀貫之)言の葉も常盤(ときは)なるをば頼まなむ松を見よかし経ては散るやは(新撰和歌髄脳・小野小町)言の葉は常(とこ)懐かしき花折るとなべての人に知らすなよゆめ(新撰和歌髄脳・小野小町への返歌)貫之の歌は「をみなへし」(女郎花)の折句です。小町歌は「ことたまへ」(琴たまへ)と琴を所望していますが、相手の答えは「琴は無し」でした。残念!こうした「ことば遊び」は一種の「暗号」と言えるでしょう。他への伝言を和歌に隠す「暗号」の歌「折句」はさらに進化(?)していきます。次の和歌のメッセージは複雑です。花の中目に飽くやとて分け行けば心ぞともに散りぬべらなる(古今和歌集・僧正聖宝)逢坂も果ては行き来の関もゐず尋ねて訪(と)ひ来(こ)来(き)なば帰さじ(栄花物語・村上天皇)聖宝の歌は、「は」を上、「る」を下に置いて、「眺め」を隠しています。「春」は「眺め(長雨)」が景物です。二つの関連する「暗号」を一首に隠しています。次の村上天皇の歌は、各句一番上の文字が「あ・は・せ・た・き」で、各句一番下の文字が「も・の・す・こ・し」です。各句の上下二文字を使って「暗号」を組み立てています。合わせると「合わせ薫き物少し」となります。つまり、天皇は「薫き物」(お香)を所望したのです。これに応えたご夫人がいたゆえに、驚きのエピソードとして残っています。ちなみに、「暗号」を解読せずにホイホイとやってきたご夫人もいたそうです。こうして最初(冠)と最後(沓)の文字を合わせて言葉をつくる技巧を「沓冠(くつかんむり)」と言います。ずいぶんと難しくなってきました。だからこそ「遊び心」に火を付けるのでしょう。次の「折句沓冠」の和歌に込められた「暗号」(メッセージ)を解読してみて下さい。夜も涼し寝覚めの仮庵(かりほ)手枕(たまくら)も真袖(まそで)も秋に隔てなき風(続草庵集・兼好)あの『徒然草』を書いた兼好法師がしゃれた手法で、きわめて現実的なお願いをしています。(冠)「よ・ね・た・ま・へ」、(沓)「し・ほ・も・に・せ」とは。じつは、冠を逆から読ませているのです。正解は「米(よね)給へ、銭(せに)も欲し」でした。生活に困ったときでも、風流を忘れない中世人なのか、はたまた、恥ずかしくてとてもまともにお願いできなかったのか。実は、『続草庵集』の作者である頓阿(とんあ)は、きちんと折句沓冠で返事を送っています。夜も憂(う)しねたく我が背子(せこ)果ては来(こ)ずなほざりにだにしばし問ひませ(続草庵集・頓阿)相手を恨む見事な恋の応酬…ではなくて、もうおわかりですね。答えは「米はなし、銭少し」でした。何とも楽しげな「ことば遊び」のやりとりですが、現実の厳しさを「暗号」に隠す「遊び心」が憎いですね。次はまた違ったパターンの折句沓冠です。解読してみて下さい。はかなしな小野の小山田作りかね手をだにも君果ては触れずや(散木奇歌集)歌の意味は「はかないことだなあ。小野の山田を作りかね、あなたは最後まで手を触れることさえできないのか。」という、恋する相手がつれないと嘆く内容ですが、その裏には…?正解は「は・な・を・た・つ・ね・て・み・は・や」の順番です。「花を尋ねて見ばや」つまり、「花(女性)を訪れて逢いたいなあ」というまっすぐな思いがメッセージとして隠れていたのです。王朝人もなかなかやるものです。では最後に、江戸の俳句で「ことば遊び」です。今までの応用で、次の俳句に詠み込まれた「六文字のことば」を解読してみて下さい。(い) 透き間見する霞や窓の古障子 (ろ) 鈴菜かも持つ振り売りの初若菜 (は) 継ぎおけば木に早咲きの花見かな (に) 盛り長く楽に花見の春もがな (答え)(い)するかのふし(ろ)すもものはな(は)つはきのはな(に)さくらのはな(駿河の富士/李の花/椿の花/桜の花)最後までお付き合いいただいた方、どうもお疲れ様でした。
2012年10月20日
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