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2014年12月22日に文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会(中教審)は、大学入試改革について下村博文文科相に答申した。→「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)(中教審第177号)」その内容を見ると、大学側の問題点を棚上げした、高所からの改革という印象を受ける。受験する高校生にばかり問題点を押しつけ、受け入れ側である大学教育の反省はあるのか?◇中教審の大学入試改革答申骨子◇ ・ペーパー試験による「知識偏重型」から論文や面接を使った「多面的評価」への転換 ・大学入試センター試験を衣替えした「大学入学希望者学力評価テスト」(仮称)創設 ・高校生の基礎学力の定着度をみる「高校基礎学力テスト」(仮称)の導入 ・英語の入試は「TOEFL」など民間の外部試験も活用 ・高校、大学の授業で「課題解決型学習」の充実 (毎日新聞12月22日)「多面的評価」「2つの新テスト」「英語の民間外部試験導入」「コンピュータを使ったCBT方式の導入」など、その刺激的な内容と表現が注目されているが、一般報道と異なる視点から昨今の「さまよう大学入試改革」の問題を考えてみたい。答申は、「高等学校教育と大学教育を結ぶ接続段階での評価の在り方である大学入学者選抜が変わることで両者の教育の在り方も大きく転換する」として、教育改革の実効性を高めるために、大学入学者選抜の改革の必要性を挙げている。 高校と大学両者の教育が変わる必要性を説く。確かに、「1点刻み」のペーパー試験での選抜から、論文や面接を使った多面的総合評価への移行により現行の大学入試センター試験を衣替えすることや、各大学の個別試験で面接など「思考力」や「主体性」の重視を求める施策が実現すれば従来の入試観を転換する大改革となる。但し、具体的な実施段階では問題が山積している。文科省は具体的スケジュールも公表しているが、受験する生徒と高校の現場は未だ具体的な対応に至っていない。そして大学側も5年以内に個別のアドミッション・ポリシーを作成して周知、実施することを求められているが、議論はこれからであろう。肝心のテストが見えない現状では、両者とも模様眺めが実情である。何のための入試か?まずは、各大学での教育のためである。しかし、一般報道では、現代の知識偏重教育が問題視され、問題解決型の「使える」人材育成へという論調になる傾向がある。結局、高校での教育や偏差値主義が矢面に立たされることとなる。知識詰め込みは世界で通用しない、頭だけの入試オタクはナンセンスというステレオタイプの批判に帰着する。ここで、毎日新聞に連載された「1点刻みを超えて」(2014/12/19〜12/21)の記事に注目したい。以下引用入試改革は難しい。「知識偏重」から「多面的総合評価」への転換は、15年も前に中教審が打ち出している。なぜ進まないのか。理念には賛成でも実施となると足並みが乱れるのだ。高校は「まず大学入試が変わらないとだめだ」。大学も「高校の授業こそ知識偏重そのもの」と譲らない。関係者からは異論が噴出。そのまま時間が過ぎていく。「今回こそ変える」。中教審会長も務める安西氏の思いは強く、特に8月以降、私案を基に議論を引っ張る場面が目立った。強気の背景には「教育再生実行」の旗の下、今まで動かなかった「改革」を次々と成し遂げてきた下村博文文部科学相の支えも大きい。道徳教科化、教育委員会制度見直し。個別入試での学力試験廃止は下村文科相も同じ考えだ。部会のある委員は言う。「政治的にもその方が改革色が出る」 政治の力を頼ってまで15年来の大改革に進みたいのは大学学長たちの悲願が込められているからであり、個別の学力入試を主張する国大協も止められないという。記事では、国立はともかくどれだけの私立大学が参加するのかが読めないと嘆く(私立大学への進学が多い)高校の進路指導現場や、大規模入試を行う立命館大では「多面的評価は無理」と言い切る入試担当者を紹介している。では、そこまで「足並み揃えた」大改革をして各大学は「個別に」どんな入試改革ができるのだろうか?次は毎日新聞12月22日の記事から引用難関・中堅大学のような「選抜性が高・中程度」の大学では、学力評価は国がセンター試験を衣替えして実施する共通テスト「大学入学希望者学力評価テスト」(仮称)を活用。年複数回実施し、教科の枠を 超えた「合教科型」「総合型」の問題も出題。難易度の幅も広げる。各大学は個別に小論文や面接、集 団討論を実施し、評価テストの結果と合わせ合否を判定する。「入試が機能していない」大学では、もう一つの新テスト「高校基礎学力テスト」(仮称)の結果と、部活 動、留学といった高校時代の活動実績や面接を基に合否判定する。基礎学力テストは高校2、3年で年 複数回の受検を可能とし、「国語総合」「数学1」など必修科目を想定。成績は段階別で評価する。各大学には、求める学生像や評価基準を示した「基本方針」の明示を求めた。現行の一般、推薦、ア ドミッション・オフィス(AO)の入試区分は廃止する。一見、合理的で今回の改革にかなった方針に見える。しかし、大学を「選抜性が高・中程度の大学」と「入試が機能していない大学」とに二分し選抜方針を分けていることは問題である。まるで昔の一期校二期校のようだ。上からグループ化の方針を示すと大学の画一化につながり、個別の自由度がなくなる恐れがある。国公立大・私立大を問わず国の方針に沿って行う入試は楽だが、今回の改革では、個別の自由度は少なく、どこまで独自のアドミッションポリシーを示せるかが不透明なのではないか?本来、入試は大学の個性を示すものであり、大学教育の根幹に関わるメッセージを示すものではないか。個性ある大学が、教育によってどこまでポリシーに沿う学生を育てることができるか?その中味を見極めるための入試が、個性を縛られるものとなっては大学の存在価値に関わる。今回の改革では、大学教育の内容を生かせる入試を行うために、大学側がどんな工夫をするのかが大きく問われることとなるだろう。大学も、高校生を多面的に評価して問題解決に優れた学生の獲得に期待するばかりでなく、「教育の個別化」を意識して、どんな教育を行うためにどんな入試をするのかをじっくり考え、議論を重ねて欲しいものだ。(しかし、大学の法改正で教授会のあり方が変わりつつある。学長の権限強化でどこまで議論ができるのか、との不安はある。)大学教育について、答申は「大学教育の質的転換の断行」との項目を設けている。だが、そこで述べられていることは「主体性・多様性・協働性」を育成する観点からは、大学教育を、従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、学生が主体性を持って多様な人々と協力して問題を発見し解を見いだしていくアクティブ・ラーニングに転換し、特に、少人数のチームワーク、集団討論、反転授業、実のある留学や単なる職場体験に終わらないインターンシップ等の学外の学修プログラムなどの教育方法を実践する。」といった一通りの方向性に過ぎない。大学の個性にも注目が必要だろう。大学教育の問題についても目が離せない今回の入試制度の大改革。「評価」制度にこだわるばかりでなく、本来の入試の意味を改めて考えてほしいものである。
2015年01月07日
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続けて電子書籍の話題。電子書籍は気軽に読める上に「安い」というメリットがある。池上彰著『日本語の「大疑問」2000年 講談社刊』(楽天Koboで324円!)hontoネットストアの年末年始セール?で324円!さらに半額クーポン利用で164円で購入。→「hontoネットストア」はポイントを貯めることもできる上に、キャンペーンが頻繁にあって本の購入を楽しめる。池上氏の豊富な知識と日本語行政を巡る隙のない調査によって、私たちが普段抱いている日本語の疑問が解消される本。但し、新たに別の問題意識も生じるが…。さて、この本にある日本語の間違った使い方や言葉の混同によるおかしな言い方を使って、いくつか「日本語テスト」をしてみよう。日本語の難しさがよく分かる。問 次の使い方のどこがおかしいかを指摘して正しい使い方を答えよ。1 私には役不足ではありますが、全力を尽くします。2 ラジオで聞いた音楽は、とても耳ざわりが良かった。3 あの人は前回失敗しているから、ここで汚名挽回といきたいところだ。4 いやあ、きのうは体調をこわしちゃってねえ。5 あの人は寸暇を惜しまずよく働いている。以下、池上氏の解説に従って説明する。1 「役不足」とは、その人の力量にとって、仕事=役の重みが不足している、という意味。自分に使うと、「その役が私には軽過ぎて物足りない」という印象を与える。ここは、「力不足」と言うべきところ。2 「耳ざわり」は「耳障り」で、「聞くに差し障りがあり、不快なこと」に用いる。「耳ざわりが良い」は、おかしな言い方で、「手触り」や「肌触り」との混同による誤用が一般化した言い方だろう。3 「汚名挽回」はおかしい。「一度失った汚名を取り戻す」ということになる。これは、「汚名返上」と「名誉挽回」という、意味が似た二つの言葉を混同して生れた言葉であろう。4 通常「体調を崩す」または、「体をこわす」と言う。よく考えると「体調」はこわれるものではない。これも混同による誤用の例。5 「寸暇」とは、ちょっとした暇、わずかな時間のこと。よって「寸暇を惜しまず」働くとは、わずかな暇を楽しんでいることになる。本来は「寸暇を惜しんで」と言うべきところを、「努力を惜しまず」「骨身を惜しまず」という似た言葉が混同されて一般化した言い方だろう。このように、混同や誤用が一般化していく例はたくさんある。「情けは人の為ならず」「気がおけない」「青田買い」など…。日本語には誤用が一般化して、そのまま流通する例は多い。こうなると、何が正しいのか時代によって変わることとなる。先のような「日本語テスト」は、どれも正解となってしまう。かくして、言葉、特に日本語は変化が激しいものであり、すぐに「今の言葉はおかしい」などと憤慨するのはいかがか、と思う。恐らく、池上氏もそう考えているのだろう。何が「正しい」のかが危うい「日本語テスト」もまた面白いのではないか。最後におまけ。次の例文について、どこがどうおかしいのか?この本からの引用。君の合格の朗報を期待して待つからね選手たちは、炎天下のもと熱戦を繰り広げていました新ゲーム機は、年内中には発売開始です捺印を押してください第三番目の人は誰ですか?いやあ、ひどい被害をこうむってね全て「ダブり表現」によっておかしな言い方となっている。「期待して待つ」→「期待」に「待つ」の意味を含む「炎天下のもと」→「下」と「もと」がダブり「年内中」→「年内」で「中」の意味を含む「捺印を押して」→「捺印」は印を押すこと「第三番目」→「第」と「目」がダブり「被害をこうむる」→「こうむる」は「被る」と書くこの辺りは初心者編。次は中級者向けか?「悲喜こもごも」の正しい使い方、「喧々諤々(ケンケンガクガク)」は変?「波紋を投げかける」は誤用で、プールに「入水」は自殺か?など、よく考えるとおかしな言い方が紹介されている。日本語は難しいが面白い。「遊び」ながら「学ぶ」良い教材と言える。
2015年01月06日
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2015年01月06日
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電子書籍読書で、もう少し「学び」について考えてみた。街場の大学論 ウチダ式教育再生(角川文庫)[電子書籍版] 2014年 内田 樹内田樹氏のズバリ発言は至って分かりやすい。世界史の必修化で、膨大な知識が敬遠される傾向について、ネット検索の時代に知識が軽視されている。そこで内田氏曰く、「学ぶ」というのは、キーワード検索することとは別のことである。自分が何を知らないかについて知ることである。自分の知識についての知識を持つことである。自分の知識の幅を自覚して、「何を知らないか」を知ることが「学ぶ」ことだと言う。以下引用、それは「知識をふやす」ということとは違う。「知識をふやす」というのは「同一平面上で水平移動域を拡げること」である。「知識についての知識を持つ」というのは「階段を上がること」である。「階段を上がること」とはどういうことか?比喩的だが意味深長な言い方である。思うに、知識によって自分を高めることであり、自分を取り巻く世界を立体的に拡大していくことであろう。では、学校で学ぶ知識は意味があるのか?内田氏は、学校とは子どもに「自分は何を知らないか」を教える所で、受験勉強は「自分は何を知っているか」を誇示するものだという。なんともズバリと言い切ってくれるものだ。学校での多様な教科学習を通して、自分は何を知らないのかがわかれば、学校に来た甲斐がある、とまで内田氏は言う。受験において、または社会に出て役に立たない勉強を「知る価値のない知識」として、学習内容を最低限に削ぎ落とす学校がある。本来の「学び」を考えるならば、こうした学校は存在価値がないということになるだろう。(但し、大学へ入ることの実績は稼げるわけである。)こう考えると、学校での「学び」の意味は分かりやすい。つまり、知らないことを知ることに意味があるのだ。内田氏は、さらに「学び」の意味を追求する。以下引用「自分の知らないこと/自分にできないこと」の中に位置づけられてはじめて「自分が知っていること/自分ができること」は共同的に意味を持つ。この「共同的に意味を持つ」とは、どういうことだろう?内田氏は解説していない。氏の言いたいところは、「知らないことを知ること」の大切さ、それが真の知識による「学び」となる、ということであろう。先に苅谷剛彦氏の「学び」論に「想像の共同性」という考え方を上げた。目に見えない共同体を想像する「学び」が必要であり、他者との関わりの中でフィクションとしての共同体を想像する力が要求される。苅谷氏の視点は自分と他との関わりの中での共同性であるが、内田氏は知識相互の関わりを言う。ここで、「相互の関わり」「共同」というキーワードが共通している。現代の「学び」を考える時、「相互関係」「共同性」を視野に入れることを提言したい。今、何をどう学ぶべきか?自分だけでなく他者を含む相互関係の中で、本当の知識を見極め、共同の利益を視野に入れて「学び」のあり方を、そして、何のために学ぶのかを考えるべきであろう。知らないことを知るために、想像の共同性を高めるために、どんな「学び」を用意するのか?学校教育のあり方も変わりゆく時期を迎えている。
2014年12月31日
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最近は電子書籍で本を読むことが多い。手軽に多くの本が読める。苅谷剛彦/西研(2005年ちくま新書)手頃に入手できたので気軽に読んでみたら、言われてみれば当たり前だが、意外に気づかない大切なことに出会えた。この本で訴えたかったことは、「学び」の行方についてであろう。教育とは何か、教育はどこへ向かうのかといった議論は言い易い。しかし、その元には、「学び」に対する理解が必要ではないか。まずは、「学び」についてじっくりと考えるべきだと思う。オックスフォード大学で研究を続ける教育社会学者苅谷剛彦氏と、哲学者西研氏との深まりゆく対話が楽しい。苅谷剛彦氏(オックスフォード大学Webより)二人は、教育と社会との関係性について、その歴史を辿り、哲学との関連を含めて思索し、現在の問題点に迫る。苅谷氏は、そこでの深い抽象的思考を経て、「学び」とは如何にあるべきかの結論を導いている。さて、本題。価値観が多様化し、学ぶ意味が見えにくい今の世の中で、「何のために学ぶのか?」に対する答えとして、よく「内発的な動機づけ」が大切だと言われる。しかし、自分のために「自ら学ぶ」ことには限界がある。そこで、この自己を中心に考える学びの意味を問い直してみようというのである。以下、苅谷氏の言を引用する。西さんとの対談を通じて考えてきたのは、「私」や「自己」を越え出たところで、学ぶということをとらえ直せないかという課題だった。言い換えれば、「他者」との関わりの文脈に、もう一度、学ぶことを位置づけられないかとうことである。そもそも、内発的や意欲という語彙自体が自己中心を前提とした学びの用語であり、別の角度から学びを考える視野を狭めていたという。では、他者と関わる「学び」とは何か?かつての村落共同体にあっては、一人前となるために、周辺から中心へと参加する度合いの増進が必要であり、それが学習であったという。しかし、共同体が解体した現代社会では、こうした参加は難しい。苅谷氏は言う生まれたときから、一人の個性ある人間として、個人の人格を認めようとする社会において、参加というとらえ方は意味をなすのだろうか。そこで、社会学者として持ち出した視点は、現代の日本社会が民主主義の学び直しの時期を迎えているという見方である。民主主義の学び直しとは、「政治的、経済的な自己決定を、それぞれの個人が行い、その責任も負う。そのために必要な行政側の情報は公開する。お上任せの意思決定から、一人ひとりが責任を負う自己決定への流れが、民主主義というルールの学び直しを要請している」ということである。そこから、以下の論理を展開する。民主主義の学び直しが求められるのは、こうした自己決定=自己責任の担い手の力能が問われることと同義なのである。そして、「想像の共同性」というキーワードへ辿り着く。現代において、一人前となるために何を学習するのか?以下、引用する。目の前の共同体だけへの参加に留まらない、フィクション=想像としての共同体への参加という問題だったと思う。「フィクション=想像としての共同体への参加」を具体的にイメージするのは難しいが、今は、自分を取り巻く他者の周縁、見えないが確実に存在する世界を想像したい。逆説的だが、自己決定、自己責任の力能が問われる時代だからこそ、目に見えない共同体を想像する「学習」が必要であり、「誰かのために学ぶ」さらに「私たちのために学ぶ」ことが大切だと主張する。そこでは、「想像の共同性」が要求される。最後に、こうした視点を教育にどう生かすかについて、苅谷氏はこう述べる。知識の獲得が、個人の内部で完結することではなく、他者とのつながりを求めていくことだという視点をもつかどうかである。つまり、自分の知識を広げることで、他へとつながる新たな世界が見えてくることが大切で、そうしたつながりのある教材を用意することを提言する。以下引用子ども一人ひとりにとっての学ぶ意味を問うよりも、学ぶに値する知識の創造と選択を、大人たちが考え直すことが、カリキュラムの精選ということなのだろう。自己中心だけでない「学ぶ意味」の探究から、他者と関わるための「想像の共同性」を意識した学びへと視野を広げて、今、必要な「学び」について考えさせられた一冊である。最近流行りの「グローバル化」や「アクティブラーニング」も他者と関わる学びであるが、単に外へと想像を広げるだけでなく、共同性を意識した学びを創ることも大切ではないか。「想像の共同性」は、言うは易し行うは難し…ではあるが。
2014年12月29日
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2014年11月09日
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先日、久しぶりに対馬を訪れました。今回は、改めて「遺跡の島」であることに驚かされました。対馬の遺跡は歴史だけでなく、そのスケールにおいても私たち現代人を圧倒します。古くは七世紀の山城から太平洋戦争の遺跡まで、戦争に関わる遺跡が多いことは、対馬が軍事の要衝であったことをそのまま証明しています。外交問題を思う時、対馬の遺跡に往時の外交を偲び、今後の日本を冷静に考えてみることも必要かも知れません。さて、歴史ある遺跡では667年に築かれたとされる古代山城「金田城(かなたのき)」があります。663年「白村江(はくそんこう)の戦い」で大敗したため、朝廷は唐・新羅連合軍が本土を侵略するおそれから、筑紫・壱岐・対馬に防人・烽(とぶひ)を設置し、西日本各地に古代山城を築き、大陸からの侵略に備えました。その時の城跡が現在も残っています。以下は、一昨年撮影した城壁と建物跡です。この「堀立柱建物跡」は、七世紀後半の建物跡であるらしく、2002年の発掘調査で発見されました。貴重なものが、まだまだ対馬には埋もれています。古代建物の研究に資するところ大きいものと言えるでしょう。ここからの眺めも素晴らしいものでした。写真では見えませんが、実はここからも朝鮮半島が見えました。対馬の中程の位置ですが、大陸へ続く半島が見えるとは、対馬の地理的重要性がよく窺えます。さて、これらは歴史的な深さを示す遺跡ですが、今回感動したのは、そのスケールが大きい近代の遺跡です。それは、「姫神山砲台跡」です。美津島町緒方の姫神山山頂に位置し、対馬海峡東海岸に出没する敵の艦船を攻撃するため、28センチ榴弾砲が6門も装備された規模の大きな砲台です。この砲台は 明治33~34年(1900~1901年)にかけて建造され、レンガと砂岩、セメントで構成されています。何と、今から100年以上前、日露戦争に備えての軍事施設です。以前から遺跡は知られていたのですが、一般の人は入れる状況でなく、あまり訪れる人はいなかったそうですが、つい最近の2010年度に道路整備と周辺樹木の伐採を行い、かなりの規模であったことがわかり、観光資源となったのです。その保存状態は良く、規模も相当なものでした。当時の門柱がそのまま残っています。兵舎の入り口には、当時の井戸もあり、生活をうかがわせます。砲台の間に続く兵舎の規模にはかなり圧倒されました。兵舎の先には、砲台跡があり、これもよく残っています。100年以上前のものとは思えません。そして、そこからの眺めの良さは言うまでもありません。今からずっと前に、この山からロシアの艦隊を狙おうと緊張していた日本人と、湾の眺めを楽しむ現代人。歴史の流れとともに、人の生きてきた流れ、人が築いた歴史を感じずにはいられませんでした。姫神山にある近代遺跡のスケールを感じながら、人の力の偉大さ、それをどこに使うべきか、など「人」のありかたに思いを馳せる、対馬は「人」の大切さを感じさせる島であることを改めて感じる旅でした。また、早く次の対馬に行きたい、と早くも感じる今日この頃です。
2014年03月29日
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沖釣りの話題です。今月下旬に江の島(腰越)から乗合で釣行しました。2キロ弱のマダイ、ハナダイ、ワカシ(ブリの幼魚)、アジ、カマス、イサキ、サバなど、ざっと7~8目と多彩な釣果となりました。(写真の加工が見苦しくてすみません)9月に入ったとはいえ、まだまだキハダマグロフィーバーが続く相模湾ですが、私の釣りたいのは「美味しいアジ」です。平日だとアジ船が予約などで出ているのですが、休日となると、どうしても青物(キハダ・カツオ・イナダなど)へ船を優先して出す船宿が多く、どこへ行こうか迷っていました。迷ったら、間違いのない「腰越 秋田屋」さん、と決めています。何といっても、釣りは実益だけでなく、まずは「いかに気持ちのいい釣りが出来るか」です。秋田屋さんは、ご主人がとても気持ちの良い方で、女将さんも美人で、とても感じのいい釣宿です。相模湾では、私の好きな釣宿ベスト3に入ります。ただし、今はご主人が休養中とのことで、息子さんが受付などを取り仕切っています。「釣割」(釣りのサイト)で前日割を利用すると、「青物五目」が2000円引きで、「7000円」で乗れます。割引額はエサや仕掛け代に使えて、何ともありがたいサービスです。さて、腰越港へ5時に到着。すぐに受付をして、友人と一緒にミヨシの2席を確保しました。ここからが、今日一日の釣りに思いを馳せる楽しい時間です。どう攻めようか、目標はどの辺りにしようかなど、釣り談義に花を咲かせていると、あっという間に出航の六時半です。お客さんは右舷左舷とも5~6人で、休日の釣りとしては十分な「大名づり」です。秋田屋さんは2隻でお客さんを乗せるので、仕立てがあっても結構ゆっくり乗レ流ことが多く、これも魅力の一つです。さあ、出航!天気も良く、波も穏やかで絶好の釣り日和でした(ただし、暖かくて富士山は霞んでいました)。まずは、江の島沖でようすを見ます。ここでは、カワハギや小さめのアジやサバがぽつぽつ釣れました。しばらくすると、船頭さんは、もう少し大きめの青物とマダイにかけて船を走らせました。三浦半島の西沖を走ること15分、逗子沖から葉山沖へと狙っていきます。この辺りには「カメギ根」というおおきな根があったと思います。ここでは、大きなマダイから、ワカシ、大きなアジ、ハナダイ、イサキ、カマスの他、サバが多数釣れました。とにかく、サバの猛攻を我慢しつつ、時にワカシやタイが混ざるというようすでした。私は、前半で大きなアジを数匹、後半ではハナダイやアジ、イサキなどを釣りました。その後、午後になって再び江の島沖に戻りましたが、ここはあまり反応が良くないまま、午後1時にタイムアップ、沖上がりとなりました。さて、私の釣果は…アジ11匹(30センチオーバーの大アジ4匹含む)、ハナダイ3匹(0.6~0.7キロ)、イサキ(小)2匹、カマス2匹など。サバは大きいのを4匹持ち帰りました。(こんなサイズのハナダイでした)今回は、塩焼きサイズのハナダイが釣れたので、晩のおかずに、と思ったのですが、アジの刺身でおかずは十分(アジが大ぶりのため)だったので、大きなアジ以外はすべて干物にしました。ハナダイの干物、カマスの干物は美味でした。その他、小さめのアジは干物一人分で丁度いいサイズ。サバはみりん干しにしました。ともかく、余った魚は「開いて干す」が基本です。なんでも、お日様を浴びると美味しくなるものです。干物の写真を撮り忘れました。今度は載せられるよう撮っておきます(おいしそうにできました)。さて、今回感じたのは、早くも「秋ダイ」の気配濃厚ということです。タイとイナダの二本立てでやっている釣宿は多いですが、今、まさにマダイ、ハナダイが狙い目という感じです。涼しくなって陽気がよくなった今日この頃、秋ダイを始め、アジも太ってきてますます美味しくなる季節です。今からが秋の美味しい魚をゲットする最適なシーズンです。かくいう私も、次回の釣行を狙いながら仕事をしている毎日です。沖釣りの魅力は「何がかかるか分からない」ことと、「実益(食べておいしい)」です。「どんな魚が自分の針に近づいているのか」「コマセ(撒き餌)の出方はどうなっているか」「今食わせが入ったはず」など、海の中を想像するだけで楽しいです。実は、その仮想の世界に没頭して現実を忘れられる点が一番の魅力かもしれません。現実逃避(?)には最適といっていい趣味ではないかと思っています。
2013年09月29日
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暑さが続く中、先月(2013年7月)群馬県にある「赤城山」へ行ってきました。まずは、「山と水との競演」と言うべき景色が一番でした。(地蔵岳山頂から見た大沼と黒檜山)(地蔵岳中腹から見た小沼と長七郎山)(覚満淵の景色)赤城山は、日本百名山であり、その眺望も素晴らしいです。さらに、いくつかの湖(沼といいます)や湿地帯もあって、登山やハイキングに最適です。その上、東京はじめ首都圏から近いという立地。「避暑」にはもってこいです。何日か宿泊するのがベストですが、日帰りで登れる山も多いです。私は数日間滞在したのですが、何といっても「都会との温度差-10℃」は、まさに「全山冷房中」の世界、涼しさは何物にも代えがたい魅力でした。のんびりと「大沼(おの)」を散策するもよし(一周のコースがあります)、体力勝負で登山に挑戦するもよし(黒檜山は1828メートルあり、山頂までほぼ直登で90分コースです)、しばらく都会の喧噪を離れて「心の洗濯」が出来ます。さて、この「赤城山」ですが、実はついこの間まで深刻な問題がありました。福島の原発事故後に、湖のワカサギから基準値を超えるセシウムが検出されたのです。ワカサギ釣りで賑わっていた赤城の湖でしばらく釣りが出来なくなったのです。ただし、現在はほとんど影響がないです。昨年は釣りがOKとなり、釣り客も戻ってきました。赤城山の「大沼」は、関東で最も早く全面結氷する湖として、ワカサギ釣りのメッカです。かつては、氷の切り出しが盛んであったそうです。冬はそれだけ寒さも厳しいわけです。しかし、風評被害も含めて、旅館をはじめ観光業に与えた打撃は計り知れない大きさです。そこで、漁業組合の組合長である「青木旅館」のご主人をはじめ、役場や観光協会などが何とか観光客を呼び戻そうと努力を重ねてきました。そこで、今回のキャッチフレーズ「全山冷房中」です。もとはというと…「赤城やる気塾」というグループが考えたコピーだそうです。赤城の老舗旅館(何と創業144年とか)「青木旅館」のご主人にお話を伺いました。県内にある大学と地元とでタッグを組み、「赤城やる気塾」を結成。観光客を取り戻すために、地元の活性化とともに学生の研究を組み合わせた試みが始まったのです。学生と協会との会議はほぼ毎月、欠かさず行っているそうで、立派なものです。だからこそ、楽しい、おいしい名物が出来て、これからの活性化につながっていくのでしょう。一例は、次の写真を見て下さい。(「やる気塾」が作った「全山冷房中」のTシャツ)結構格好いいです。青木旅館で私も購入しました。また、最近人気の「白樺バーム」も美味しかったです。こちらもお土産に購入しました。(「赤城白樺クーヘン」は、甘さ控えめでボリュームもたっぷりです)お土産や登山、ワカサギ釣りの情報は、「青木旅館」」のHPで見られます。「青木旅館」は、歴史を感じさせる風格があるだけでなく、最近部屋を改装して新しくてきれいです。とにかく、静かで落ち着いた感じは、まさに「文豪の宿」にふさわしい趣があります。旅館の中には、赤城山の歴史を解説した展示コーナーもあり、目で赤城を楽しめます。ご主人や奥さん(女将さん)、おじいさんたちがご親切に解説して下さることもあります。私は数年前におじいさんからじっくりお話を伺いました。今年は、ご主人から、赤城の復活にかける思いを拝聴しました。こうして、厳しい現実をたくましく乗り越えていく「赤城山」で暮らす方々に接し、私も元気を頂きました。東日本大震災や福島の原発事故で未だ苦しい生活を余儀なくされている方々を思うと言葉もありませんが、「赤城山」に興味を持っていただけたら、との思いで書いてみました。とにかく、「赤城山」は都会に近くて涼しい、そして山と水、さらに人が素晴らしい所、これで十分でしょう。上毛三山ゆえ、知名度は高いですが、まだ「赤城山」に行ったことがない方、「猛暑の今」に一番のお勧めです。
2013年08月06日
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■商品名:【特別ご招待プライベートセールス】【送料無料】【24年産】宮崎県産こしひかり10Kg★5Kg×2袋★【無洗米300gプレゼント】【九州宮崎県から直送】【お米】【コシヒカリ こしひかり】【送料無料】■レビュアー:nandakanda1260 ※投稿時■レビュー内容自宅のお米がすぐになくなってしまいます。今までは、スーパーや生協の宅配で何とかしていたのですが、楽天のポイントもあるので、お米を注文してみました。10キロで「送料無料」があることを知り、早速注文したところ、届いてビックリ!自宅に届いたのが6月8日夕方、精米した日が6月7日でした。早速食べてみたtころ、精米したてのコシヒカリで、とても「新鮮な」ご飯でした。精米したばかりのお米を食べるのはめったにないので、それだけでも有り難いことです。考えてみれば、お米屋さんの通販なので、「精米してすぐに発送」は当たり前なのかも知れません。また、10キロのお米は重いので、配送によるネット販売の利点があります。さらに「誠実なお店」のおかげで美味し… もっと詳しく見る
2013年06月10日
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最近話題になっているデータがあります。芳沢光雄氏(桜美林大学リベラルアーツ学群教授)による、高校生の「論述の力」が低下しているとの指摘があります。『読売新聞』「論点」(2013年5月28日)の記事から引用します。芳沢氏は、現在の大学入試において、「早すぎる合否の問題」を指摘します。熱心な高校の教員ほど、この問題に悩んでいるといいます。つまり、「推薦入試かAO入試、マークシート形式の回答だけで入学する大学生は約7割に達し、学力低下を助長すると懸念されている」からです。しかし、「大学側は、早い段階での学生確保のため改革に消極的であり、思い切った入試改革に踏み切れない」そうです。そこで、芳沢氏は、今、入試改革に必要なことは、法体系や制度が異なる海外の人々の理解を得るために、客観的な数字などを用いて論理的に説明する論述力である。と訴えます。特に、マークシート形式について(芳沢氏の専門である)「数学では、問題を解くプロセスを考慮せずに、答えを素早く当てる技術を身につける状況になっている。これでは論述力が育まれない。」と指摘します。そこで、問題のデータです。一昨年に日本数学会が日本の大学生約6000人に対して実施した「大学生数学基本調査」によると(昨年2月発表)、「偶数に奇数を足すと必ず奇数になることを証明せよ」という中学2年レベルの問題で、正答(ほぼ正しい準正答を含む)とされたのは、記述式入試を行った国公立の最難関大学の学生の76.9%だった。しかし、主にマークシート形式問題を実施した私立の最難関大学では、27.8%ときわめて低かったのである。というデータがあるそうです。要するに、「大学入試が論述式に改革されない限り、学生は暗記に頼って答えを当てようとし、自らきちんと考えて説明することを大切にする意識をもつことは難しいだろう」と芳沢氏は考えています。ちなみに、芳沢氏の勤務する大学では、今年2月に行われた一般入試3日目のみ数学問題を全問マークシート形式から全問記述式に改めたそうです。学力に関して、「論述の力」は必要であり、暗記に頼るだけの頭や、数字を組み合わせるだけの能力に優る大切な能力であるのかも知れません。しかし、マークシートが学力低下の元凶で、入試問題を記述式にすれば「論述の力」は身に付くのでしょうか?むしろ、ここから先が重要である気がします。先の、小学校への英語教育本格導入の話題で、「英語の表現力」とともに、「表現する内容」を意識することの重要性を説く論者がいました。私も全くの同意見です。「道具」としての英語を身につけると同時に、英語で表現したい内容を充実させることも大切です。マークシートも同様の問題を含んでいるのではないでしょうか。学問をする上で、「知識」と「考え」をバランス良く使いこなせる能力が求められます。大学入学に当たって、論述ばかりでなく、ある程度必要な知識を身につけて学問の準備が出来ているかを問うことも必要です。「論述する力」とは、まず知識があり、その上で問題を考えて判断し、表現する力を言うものだと思っています。マークシートを論述問題中心に「入試改革」を行ったとしても、正しい知識に基づく思考力や判断力を問う内容でなければ、「学問する力」に結びつくものとはなりません。今、新しい学習指導要領による新教育課程では、「思考力」「判断力」「表現力」がキーワードとされています。そのためには、正しい知識に基づく「構想力」が求められます。中学生や高校生に、いきなり「論述する力」を求めても、おざなりな作文しか書けないのは当然です。世の中の現象や歴史など、社会科学や人文科学の知識や考え方を教養として身につけて、どんな構想に基づいて考え、判断し、表現するのか、その道筋をたどり内容を深めていくことが大切だと思います。「論述力」を身につけていくためには、まずは「構想する力」を育てるための教養を意識した勉強が必要なのではないでしょうか。では「構想力」とは何か、が現実的な問題になります。結局、一番大切なことは「何事にも深く考えること」「常に頭を働かせること」に落ち着く気がします。「学力低下」が「論述力」によって解消されるとは思えません。基本の「知識」はしっかり身につけ、「考えて構想する力」によって「表現する楽しさ」を味わうことが出来れば、理想に近いのではないかと思うのですが。具体的には難しいところでしょう。データに基づき「論述式の試験」が増えることは方向性としては良いことだと思います。しかし、問題は「いかにして論述力」を身につけるか、そのための「思考力」「判断力」「表現力」を育てる過程を用意すること。そして各自が「構想力」をしっかり確立していくことも大切なことと言えるのです。何となく「言葉遊び」のような「~力」だらけになってしまいました。やはり、教育論は「力」にこだわるものなのでしょう。
2013年06月03日
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子どもの学力が伸びる!中高一貫校・高校ランキング全国1689校 2013年6月1日号「週刊ダイヤモンド」の特集記事です(タイトルはオンラインから引用)。近年、経済誌や週刊誌では、「大学受験」だけでなく、「中学受験」を意識した記事が目につくようになってきました。購読者層が「中学受験」を意識する年代であり、さらにはやや経済的に余裕のある家庭をターゲットにした特集が多いようです(中には学習塾の特集まであります)。こうした記事に共通するのは、どれも「子どもの学力」を伸ばしてくれる学校の「教育力」ランキングという印象を与えるタイトルであることです。そして「ランキング」の内容がどれだけ「意味あるものか」を訴えるところで競い合っている印象があります。例えば、今回の「週刊ダイヤモンド」の記事は、次のように「ランキングの意味」を説明します。似たような企画が他誌でも掲載されているが、本誌の特徴は、高校ごとに、1「国公立大学の偏差値」と「合格者数」を掛け合わせたものの合計を算出し、2その値を卒業生数で割って、ランキングしていることにある。つまり、「卒業生1人当たりの国公立大学合格力」によるランキングだ。国公立大学は1人1校1学部しか合格できないから、私立大学のように優秀な学生がいくつもの大学・学部に受かって、その高校の見かけ上の合格者数が大きくなるということがない。また、卒業生数を勘案することで、学校の規模の大小に影響されなくなる。一部の高校には、「医進コース」など、少数の俊英を集めて特別に教育して、難関大学の合格者数が急増しているところがあるが、本誌では学校の平均学力を算出して比較している。(詳細は、本誌の「ランキングの見方」を参照していただきたい)。(「ダイヤモンドオンライン」より引用)解説によると、「卒業生1人当たりの国公立大学合格力」が「学校の平均学力」だと見て、ランキングを作成しているようです。さらに、オンラインの説明によると、卒業生1人当たりの国公立大学の合格力を尺度にしているため、ある程度、公平に、全国における各高校の「生徒平均」の位置づけが示される。また、多くの国公立大学では、5教科7科目のセンター試験の受験が必須で、難関大学ともなれば2次試験の科目数も多い。したがって、その合格者数で測った本ランキングは、各高校の「総合的な学力」レベルを評価している。(以上、引用)「国公立大学の合格力」は、「総合的な学力」レベルを評価することとなるという。いったい、本来の「学力」そして学校ごとの「教育する力」はどこに行ってしまったのでしょうか?生徒の「学力」は、「国公立大学に合格することで、学校の「教育力」は、いかに効率的に多くの生徒を合格させるかという、コストパフォーマンスにかかっている、という見方です。そういえば、「パート2」の記事に「入りやすくて合格実績が高い『お得な学校』ランキング 」もありました。さてさて、果たして賢明なる受験生の親御さんたちは、こうしたランキングをどこまで「信頼」しているのでしょうか?問題はいくつかあります。まずは、「国公立大学」への一方的な(無批判とも見える)評価です。国公立大学であれば、「総合的な学力」を評価できるのでしょうか?かつて、国立大学と言えば、学費も安く「国家有用の人材」を育てる使命を思わせる有為な人材育成の場でありました。しかし、今や「大学の実力」などにある通り、「国公立大学」だからといって、学問に専念して、社会に貢献することを目指す学生ばかりではありません。場合によっては、地方の私立大学の方が有為な人材を輩出している例は少なくありません。実際、国公立大学の授業料は年間55万円からかかります。学費おさえめの私立大学と大きく差があるわけでもありません。早稲田大学や慶応大学、私立医学部と比べれば少し差は開きますが、数十年前とは全く事情が異なります。国公立大学の学生が、「国民の税金に支えられて国家のために懸命に学問に励む時代」でないことは周知のことだと思います。次に、問題なのは、国公立大学に合格することが「総合的な学力」の評価を意味するとは限らないということです。言うまでもなく「センター試験」を課す私立大学は多く、また、一部国公立大学ではセンター試験の基準が低く二次試験での配点が高い大学も相当数あります。よく、記事では「旧七帝国大学」とか、「国公立難関大学」などのデータを使用していますが、全てが「総合的な学力」を正しく評価するかは疑問の余地があります。私立大学でも「総合的な学力」を要求する入試を行っている大学はいくつもあります。そして最後に、「大学合格者数は現役と既卒者を含む」ランキングである問題点があります。都市部の公立校や一部進学校では「浪人率」が高い高校が数多くあります。大学合格実績がそのまま高校の教育力に直結するかは一概に言うことは出来ません。いわゆる浪人してからの自己努力が大きいことは言うまでもありません。場合によっては予備校の学力指導によるところが大きい場合もあるでしょう。「高校の教育力」とは、「大学合格者数」で決まるものではないし、高校の「教育の本質」とは必ずしも同じでないことは皆さん分かっているのでしょう。その上で、「結果」としての大学合格が気になるのも事実です。大学合格を基準にしランキングは、「高校の実力」について、結果としての一部を表すものであっても、教育の質や内容をそのまま反映するものではないことは確かです。こうした「ランキングのあやしさ」を踏まえた上で、学校を位置づける「面白さ」を楽しむことは否定されるものではありません。まさに、「週刊誌ネタ」として話題にする程度であれば問題はないでしょう。今回、こうした話題を取り上げたのは、「子どもの学力が伸びる!」など刺激的なタイトルに惹かれて「学力とは何か」「教育する力はどこで見るのか」について見誤る危険性を感じたからです。週刊誌の言う「学力」の意味をよく見極めて、ランキングを検証するべきだと思います。最近特に、受験をめぐる(大学を始め学校をめぐる)「ランキング」をよく目にします。「ランキング記事」は単純に楽しんだり、話題として盛り上げるだけであれば面白くて興味深いものであると思いますが、本気で「学校」や「大学」を評価するのであれば、もっと様々な角度からの検討が必要であることは言うまでもありません。
2013年05月27日
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2013年05月15日
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対馬の海に出ると「漂着ゴミ」の多さに驚きます。美しい海を抱える海岸も「ゴミ」で景観を損ねてしまいます。(昨年撮影した海岸のようす)対馬は「海ゴミ」問題に頭を抱える自治体の一つです。特に、その地理的条件から「中国」「韓国」からの「漂着ゴミ」が大量に海岸へ流れ着き、漁師さんをはじめ周辺の人々を悩ませているそうです。昨年(2012年)秋には、「漂着物学会」(→リンク)の大会が対馬で行われたほど、「漂着物」に関して注目されています。漂着物学会は、高知県に本部を置く学会で、以下のように、興味深い紹介文を記載しています。「漂着物」には、環境問題・民俗学・自然科学・創造文学・芸術など、たくさんのメッセージが含まれている(以上引用)確かに、海岸でモノを探す楽しみは心がワクワクします。もしも面白い「お宝」を見つけたら…と考えると、そこは、まさに「遊び」と「学び」の交差する興味深い世界です。海辺で見つけた漂着物は「学問」「研究」の対象になるなずです。こうして海辺で価値あるモノを探すことを「ビーチコーミング」と言うそうです。対馬だけでなく、これから夏にかけて海辺に出た時には、じっくり「漂着物」を観察したいものです。「海ゴミ」は、住民を困らせ、自治体を悩ませるマイナスイメージがあります。実際、担当者は日夜「ゴミ」の処分に頭を悩ませています。しかし、「ビーチコーミング」というと、何となく楽しく、夢がある感じがします。さらに、対馬では「見知らぬ国からのメッセージ」を感じさせる漂着物があるそうです。次の「観光物産協会のブログ」(→リンク)が面白いです(2013年5月6日最新の記事です)。「世界のどこかの巨人の国」からの「巨大漂着物」が見つかることがある、と言います。その名も「ガリバーライター」と言うそうです。(→詳しくはブログの写真で見てみて下さい。)対馬以外にも北海道や福井県などでも見つかっているようです。「ガリバー国」や「巨人の島」を想像するだけでも楽しいものです。それにしても、誰が何の目的で作ったものか、どこの国のものか、ははっきりしていないそうです。見つかっているものはラベルなどが全くないようで、謎は深まるばかりです。対馬は、歴史的にも、さまざまな「モノ」がたどり着く場所です。それだけに、海辺のゴミ一つとっても、話題が広がります。今までは、環境問題として、漂着「ゴミ」の処分問題ばかりに目を向けていましたが、視点を変えて「世界を語るモノ」として見ると興味深い「学問」にもたどり着けそうです。まだまだ対馬の話題は続きます。
2013年05月06日
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2013年4月14日(日)「読売新聞」朝刊の1面から3面を読んでいたら、対照的な記事が目につきました。1~2面の特集記事「地球を読む」では、山崎正和氏が「教育改革への注文」を論じています。3面には「東大・京大 求む異端児」の記事(「スキャナー」)が掲載されています。山崎正和氏は、「高学歴・低学力」の教育現場を改善する方策として、「義務教育充実、暗記も徹底」させるべきだと訴えています。「人間はまず言葉があって、その言葉によってものを思う動物なのだから、多くの文例や表現例を覚えていなければ何も思うことができない。戦前の小・中学校では生徒は古今の名文を暗唱し、ものの思い方とその表現法を暗記する訓練を受けた。この伝統を復活するとともに、漢字や熟語、比喩の用法などをつめこむことが現代教育の急務なのである。」劇作家であるがゆえの「ことば」へのこだわりが感じられます。と同時に山崎氏は元中央教育審議会会長でもあります。教育行政に携わった経験者ゆえの発言なのでしょう。さて、一方「大学教育の現場」での取り組みは次の通りです。東大・京大「推薦・AO入試16年度から」東京大学【推薦入試】・入学定員約3100のうち100人を募集・各高校の推薦枠は1~2人・高校の調査書と推薦状、活動実績を証明する書類などを提出・書類選考と面接を実施した上で、一月のセンター試験で学力を確認して合格を決定京都大学【AO入試】・入学定員約2900のうち100人を募集・「高校の成績が学年上位5%以内」を出願条件とする方向・高校の調査書と学業活動報告書、入学後の「まなびの計画書」などを提出・書類選考、センター試験や面接などで総合評価。2次試験実施前に合否を決定する予定以前も取り上げましたが、東大では「学生の均質化」が問題となっています。今年度入学者のうち、関東地方の高校出身者が56%で、都内だけでも36%と、近年、都市部の中高一貫校出身者の占める割合が加速しているため、という。一方で、留学生は1.6%海外留学中の学部生も昨年度は72人にとどまった、といいます。「内向き」傾向が顕著となり、推薦入試導入は「異端児」を求めている姿勢の表れではないか、と記事では分析しています。そこには、「受験秀才」だけで、異質とぶつかり合わない学生ばかりでは世界で見劣りする、という認識があるようです。記事には、「米ハーバード大学の入試」についてもまとめてありました。米ハーバード大学の入試【現行】・海外を含め約2000人を選抜・課外活動などの実績や志望動機、小論文、高校の成績、共通テスト「SAT]の点数などを基に総合的に選抜・専門の大学職員が出願書類を調査。世界各地にいる卒業生らが面接。・海外からの入学者への奨学金も米国学生と同様に支給いかがでしょう。ハーバードは選抜の人数と規模(世界的)が全く違います。日本の東大・京大は、表向き、形式的に「広く人材を集める」姿勢を見せているだけで、実質的な「グローバルな多様性」に結びつけるには、まだまだ時間と努力が必要なことは明らかです。少しだけ「ハーバード級の大学」の真似をしてみようか、程度の試みにとどまっているのが実情と言えるでしょう。ただし、「何もしない」よりはまだよいのかもしれません。学生だけでなく、大学自体が「内向き」の姿勢から脱出できていない感が否めません。では、今後いかにして「世界の大学」を目指すために「多様にして優秀な人材」を確保していくのでしょうか。ハーバードのように、グローバルに「多様な人材」確保に本腰を入れるのか。一方で、山崎氏が論じるように、国内の「低学力化」を食い止め、本当の「高学歴」を目指していくことも「急務」です。「多様性」よりも、むしろ基礎教育に重点を置く必要があります。これからの「大学教育の行方」は、こうした二つの「異なる」方向を見据えて上で考えていかなくてはなりません。しかし、どちらも中途半端で実績が上がらない、という現実があります。その理由は、記事の終わりにある、次の内容が深く関わっている気がします。東大、京大の入試改革が多大からも注目される中、東大で教える他大学出身の教員は危惧する。「教員の多くが東大入試を突破し、従来型の学力観にとらわれている。結局は一般入試と変わらない学生しか採れないのではないか」山崎氏が主張する「従来型の学力観」に基づく基礎重視の教育施策と、一方で「グローバルに多様な能力を評価していく」人材確保を目指す大学側の姿勢。これらの折り合いをどうつけていくのか。自らの足元をしっかり固めて、じっくりと周囲との交流を深めること―そのためには、まだまだ時間がかかりそうです。けれど、のんびりしている暇はありません。「二兎を追う」教育政策、教育行政が求められている時代であることを感じさせる二つの記事でありました。
2013年04月14日
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先日、子ども部屋用に「ロフトベッド」を購入しました。通販ゆえ、組み立ては「それなりに」大変でしたが、置いてみると「これは便利」と実感しました。(「それなりに」というのは、私がプラモデル好きなので、結構組み立ては楽しかったための表現です)部屋は6畳よりやや狭い大きさで、机とベッド、加えてタンスに本棚まであるとかなり「狭い」印象でした。はっきり言って「通路」を確保するのがやっと、という状態でした。そこで、「ロフトベッド」を思いつき、初挑戦しました。置いてみたら、なんと「机」以外の家具が全てロフトの下に収納できました。おかげで「通路」が「座る場所」や「くつろぐスペース」になって子どもは大喜びです。最近の「ロフトベッド」は、作りもしっかりしていて、あまりきしみや揺れもありません。しかも、今回購入したベッドは「ハイ」「ロー」2種類の高さ調節が可能なので、「ロフトベッド」は高くて怖い、という方にもお勧めです。今は「ロー」タイプで使用しています。部屋を広く使い、しかも適度な高さで安心して眠れまるようです。もっと大きくなったら「ハイタイプ」で使用することも考えています。聞くよりもやってみるものです。こんなにお手頃な値段で、しかも簡単に部屋が広くなるとは思ってませんでした。限られた空間の有効利用、これも「エコ」の一つかも知れません。今は、そんなことを考えて自分を納得させて、狭い部屋でも楽しんで過ごしています。以上、最近の「快適生活」に関わる話題でした。次に、商品とレビューを載せておきます。■商品名:【クーポンでお得】ロフトベッド ロフトベット(パイプベッド、2段ベッド) ベッド ベット 高さが選べる(ハイタイプ ロータイプ)■レビュアー:nandakanda1260 ※投稿時■レビュー内容6畳弱の部屋用として購入しました。部屋が手狭になったためロフトベッドを考えていました。「タンス」と「本棚」及び小物収納ボックスをベッドの下に入れました。かなり部屋が広くなりました(ベッドと机以外の場所が空いたため)が、問題は高さです。最初は高い方で組み立ててみたのですが、実際に寝てみると高すぎて不安でした。そこで、低い方で試してみたところ、ちょうど良い高さでした。タ… もっと詳しく見る
2013年03月28日
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2013年3月中旬、半年ぶりに対馬へ行ってきました。まだ「春」には早い時期で「桜」はこれからというようすでした。そこで、今回訪れたお店を3軒紹介します。まずは、秋から春にかけての定番、「たいやき」の永留菓子店(峰町佐賀)です。以前紹介しましたが、珍しい形の「たい焼き」で、「黒あん」「白あん」の2種類があります。味はお墨付きの「対馬名物」です。特に「黒あん」の餡がほどよいつぶつぶで、周りの皮もたまらないもっちり感が楽しめます。お店の中に、分かりやすい地図がついたのれんがありました。(対馬の真ん中より少し上にあります)次に、空港近くに新しくできた魚料理のお店(夜は居酒屋)「えん」(美津島町鶏知)です。お昼過ぎにお店を探していたところ、「えん」の駐車場に車がたくさんとまっていたので入ってみました。1000円前後の定食が主で、あなごの天ぷらや魚の煮付け、刺身が豊富なだけでなく、全体的に量も多く小鉢も楽しめます。私は旬の「あらかぶの唐揚げ定食」を注文しました。(「あらかぶ」は「カサゴ」のこと。大きくて2尾も付いていました)3軒目はいつもお世話になる「美女塚茶屋」さん(厳原町豆酘)の料理です。正しくは「美女塚山荘」の夕食です。この日は、「にぎり寿司」や「刺身」のほか、「あらかぶの煮付け」や「季節の天ぷら」、「赤なまこ」などもありました。特に、珍しかったのは「ヒラマサ」の腹身のお刺身、絶品でした。ブリとイカのお刺身も新鮮で美味しかったです。また、この時期は「対馬しいたけ」が美味しい季節です。この日は天ぷらで堪能しました。(生ビールもよく冷えています。お寿司もおいしく握ってあります)(日によって、珍しいお刺身や天ぷらが味わえます)最近、美女塚山荘の若主人が「小物作り」に凝っているそうで、こんなお土産を頂きました。(身近な飾りにもできる、ネームプレートです。いい記念になりました)さて、今回はジェットフォイルで対馬を離れたのですが、厳原港からは新しい「パイパス」が見えました。厳原から久田へ抜ける海岸沿いのバイパスのようです。(対岸に見える新しい道路です)これでまた南へのルートが時間短縮となります。対馬は、行くたびにトンネルが出来ていたり、バイパスが開通したりと観光客にとってますます便利になっています。次はなにが出来ているのやら‥そんな楽しみを胸に秘めながら、まだまだ対馬の余韻を楽しんでいます。お店だけでなく、自然や歴史など、対馬は何度行っても「さらに次はこれを見よう」と思わせる奥深さがあります。今回はお店に絞ってこの辺で失礼します。
2013年03月25日
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3月10日に国立大学前期発表も終わり、今や各予備校が「東大合格者」の人数を競い合い、ある週刊誌では「東大京大合格者数高校別」一覧を掲載して部数確保に精力を注いでいます。こうした「特定の大学」一辺倒の価値判断や、全国の高校を「東大合格者数」だけでランク付けする風潮には、やや眉をひそめると同時に、うんざりといった印象を持ちます。とはいえ、実際は、今や3月の風物詩の如く世間を賑わせています。その一方で、日本だけに留まらない、海外の大学への注目が高まっています。以前引用した、「内向き」志向の東大生に対して、「外向き」の可能性を探る高校生が増えているようです。そこで近年注目されているのが「リベラルアーツカレッジ」です。「海外の大学」への進学というと、今までは「オックスブリッジ」や、ハーバード大学を始めとする「アイビーリーグ」を目指す高校生が多かったようです。それが近年もっと広い視野で、「別のもの」を求める志向が見えてきています。以下、今月の「東洋経済」記事を引用します。【ハーバード以外の、知られざる「一流大学」-リベラルアーツカレッジという選択肢】アメリカ難関10大学は、リサーチ・ユニバーシティーとも言われ、大学院教育も非常に充実しており、世界的に有名な教授(各分野の世界的権威)が多くいる。 しかしながら、教授陣は自身の研究活動を重視する傾向も見受けられ、学部生の教育がおろそかになってしまうという側面もある。また、このような学部課程における教育環境は、海外のトップ大学のみならず、東京大学に代表されるような日本の大学でも同様であることを補足しておく。 このような学部教育では満足しない生徒にとって、評価が高いのはアメリカのLiberal Arts College(リベラルアーツカレッジ)だ。このリベラルアーツカレッジとは何か? わかりやすく説明すると、「大学院教育よりも学部教育を重視している小規模の大学」と捉えてもらえると理解しやすいだろう。このため、4年制大学ではあるが、大学院を持っていない大学もあるほどだ。(「東洋経済ONLIN」2013年3月4日記事より抜粋)米国トップ大学として「難関10大学」と称されるグループがあります。米国東部にあるアイビーリーグと呼ばれる8校(ハーバード、イェール、プリンストン、コロンビア、ペンシルバニア、コーネル、ダートマス、ブラウン)にMIT(マサチューセッツ工科大)と米国西部のスタンフォードを加えた10校です。中でも特に人気が高い大学が「HYPS」です。ハーバードの「H」、イェールの「Y」、プリンストンの「P」、スタンフォードの「S」を並べた呼び方です。この4大学は合格率は1ケタ台で、受験生から合格するのは「神の領域」とまで言われるほどの「超難関大学」だそうです。こうした難関大学は、どうしても「研究活動への評価」が世間から注目されます。ノーベル賞受賞者何人とか、宇宙開発、新薬研究など、「教育よりも学問研究」に力を入れています。「世界大学ランキング」は大学院の研究活動を含めた評価のため、研究中心の大学が高いランクに入っています。当然、学部教育を重視する(大学院を持たない)リベラルアーツカレッジはランキングの対象から除外されます。こうした事情で、今まで世界的にあまり注目されていなかった「リベラルアーツカレッジ」でしたが、今や日本を始め、アジア各国での人気が高まっているそうです。 その理由は、上記記事が次のように解説しています。「リベラルアーツカレッジの教授は、一般的に研究活動よりも学部生への教育を重視しているため、面倒見もよく、授業は少人数のディスカッション形式で進めることが多い。さらには、授業への質問や論文の添削などのフィードバックをチューター(大学院生)ではなく、教授がダイレクトに面倒を見てくれる。さらには、寮生活などでも、生徒の生活面や精神的なケアが充実している。」「リベラルアーツカレッジ」は、「3年次からの専門課程や大学院に進むためのベースとなるスキル(論理的思考力や批判的思考力)や文理の垣根を越えた幅広い教養を身につけることができる。」大学なのです。さらに、「リベラルアーツカレッジ」の魅力は「少人数制」にもあるそうです。 【生徒数は早稲田の4%】 それでは、リベラルアーツカレッジの手厚い教育環境を、名門リベラルアーツカレッジの1学年の在籍数で見てみよう。 ■1学年あたりの在籍数(概算)…リベラルアーツカレッジ Williams(ウィリアムズ):510名 Amherst(アムハースト):450名? Swarthmore(スワースモア):385名 Middlebury(ミドルベリー):630名 Pomona(ポモナ):400名 ■1学年あたりの在籍数(概算)…日本の大学 東京大学:3100名 京都大学:2900名 早稲田大学:11000名 慶応大学:6600名 (「東洋経済ONLIN」2013年3月4日記事より抜粋)「リベラルアーツカレッジ」では、1学年人数が1000名に満たないケースが多い。日本の私立高校の人数に近い規模と言えるでしょう。生徒一人一人に目が行き届きやすい、「面倒見の良い」大学と言えるでしょう。 では、単に「面倒見が良い」「やさしい」大学なのでしょうか?実際はそうでもないようです。さらに記事から引用します。「リベラルアーツカレッジ」のトップ10の大学は、アイビーリーグと比較しても難易の差はない。このため、アイビーリーグに合格しても、リベラルアーツカレッジは不合格となることも頻繁に起こる。 ハーバードのロースクールやケネディースクール、そして、MBAなどへの進学を考えた際、ハーバードの学部課程に合格する力を持っていたとしても、あえて、リベラルアーツカレッジに進学してしっかりとした教育を受け、その後、大学院でハーバードなどのアイビーリーグに進学すれば良いと思っている生徒が多くいるからだ。 実際に、海外トップ大学進学塾「ルートH」の全卒業生10名中3名は、ハーバードなどのアイビーリーグに進学せず、このリベラルアーツカレッジに進学している。日本の高校生にとっても、リベラルアーツカレッジは、志望校の選択肢の一つとして確立しつつあるのだ。(引用以上)レベルも高く、指導も丁寧、しかもアットホームな雰囲気で楽しく勉強できる、そんなところが魅力として認識され始めているのでしょう。一つは、今まで以上に「教養教育への関心」が高まっていること、もう一つは「つながっている教育」(アットホームで面倒見が良い)の魅力、これが「リベラルアーツカレッジ」を有力な選択肢まで押し上げる原動力となっているようです。こうした「高校生が感じる大学の魅力」を大学側も意識し始めています。それは、以前引用した「大学の実力」の特集記事が物語っています。長い人生です。「じっくりと基礎力、教養を身につけた上で、しっかりとその上の研究に打ち込む」というのは大変頼もしく見えます。しかし、現代の大学が「じっくり志向」「つながりが必要」な状況となっていることは、そうそう楽観ばかりはしていられない気もします。高校生や中学生が「本当に身に付く勉強」「応用へ結びつく基礎力養成」をしっかり行うことも、同時に必要なのではないかと思っています。一昔前とは、大学進学事情もずいぶんと変わってきています。「海外大学への進学」も、多方面への選択肢があることを踏まえて、日本の大学側も変わり続けていく必要があるのでしょう。
2013年03月15日
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現代大学生の「学力低下」、「退学」の実態に続き、「学び」に背を向ける学生に対する大学での取り組みについて考えてみたいと思います。そもそも「学び」に背を向ける大学生って、何となく「言葉の矛盾」を感じます。もともと、「学ぶ」ために大学へ行くはずなのに、「背を向ける」ならば行く必要がないと思います。ところが、実情はそうもいってられないようです。今回も、読売新聞「大学の実力」から、主に昨年末から今年の初めにかけての記事を引用します。「大学の実力」調査で、大半の学長が「悩みの種」と記述するのが、学びに背を向けた学生の存在だ。 本当に意欲に火はつかないのか。つい先日、ヒントとなる授業に出会った。 高千穂大学(東京)で非常勤の教員が担当する英語再履修クラス。単位を落とした学生が対象なのに、活気にあふれている。「単語の袋がありまして、物の名前は名詞~」。20人近い受講生が歌い、踊っている。基礎文法や単語に節回しと振りをつけたオリジナル教材だ。 「○○君、いい調子!」と、教員が学生に声をかけると笑顔がはじける。居眠りも私語もなく、日焼けした茶髪の学生も最前列に。「初めて英語が理解できた」と喜ぶ経営学部3年の佐野拓也さん(22)は最近、趣味のスケートボードで知り合った外国人に英語で話しかけるようになったという。 教え方を工夫し、出来たら褒める……。思えば当たり前のことだが、学生は目を輝かせ、出席不問でも授業に出てくる。「みんな学びたがっている。きっかけが見つからないだけ」と教員は言う。学長たちの嘆きのもとは、教える側にあるのかもしれない。 (2013年1月25日 読売新聞)「学びたい」が「学問へのきっかけが見つからない」学生たち。そんな大学生は昔から多くいた気がします。では今の大学生はどう違うのでしょうか。ここでも、「つながりたい」心理、つながっている状態を求めている姿勢が感じられます。先生と「楽しむ」授業、ふれあいのある授業、生活に役立つ授業、そんな内容に魅力を感じているようです。この記事に関しては、「賛否両論」の多くの意見が寄せらました。記者は「予想外の反響に、大学の現状と社会の認識のズレを改めて痛感した。」そうです。 「うちの教員にもこんな工夫を求めたい」といった共感派は、公立大学学長ら大学関係者。これに対して、学外の読者は「幼稚な授業」「大学生にもなって歌や踊りで勉強とはあきれた」「こんな勉強が役に立つのか」――と厳しい。もっともな意見ではある。 ただ、繰り返し伝えてきたように、こうした授業が生まれざるを得ない事情がある。まず、少子化で学生確保が困難になった大学が、学力不問の多様な入り口を設けたこと、そして、高校には実績作りのため、とりあえず進学を勧める教員が珍しくなくなったことだ。その結果、ろくに勉強もせず入学し、意欲を持てない学生が多数在籍することになる。それが、2人に1人が大学に進む時代の姿だ。 昨年の「大学の実力」調査で、入学前に高校までの補習教育をする大学は82%に上った。最後の学びの場として、批判があろうが、学生を育てなければならないのだ。なりふりかまわず。 (2013年2月22日 読売新聞)「2人に1人が大学に進む時代の姿」は、想像以上に大変な事態を生じさせているようです。「入学前に高校までの補習教育をする大学は82%」とは、驚く限りです。大学側だけでなく、「実績作りのため」とりあえず進学を勧める高校側にも問題がある、と指摘します。送り出す高校と受け入れる大学、そして主役の大学生と、三者それぞれに問題があり、それぞれの相乗作用で一見「あきれた」「幼稚な授業」が大学で行われることとなっているようです。あえて言うならば、その元には「思うように就職できない社会」がきっかけを作っている気がします。ともあれ、大学生には未来を担う「学力」「視野」「展望」を身につけてほしいものです。そのために高校、大学、そして大学生は日々努力しているわけです。ただ、最も深刻なのは「生き残り」をかけた大学の取り組みと言えるでしょう。2012年9月出版『大学の実力2013』と昨年までの本を見比べると、学内の変化がよく分かるようです。十文字学園女子大学(埼玉)はその典型例。オリジナル教材の作成や到達度試験による学力把握など、この1年で国数英の基礎学力づくりの取り組みが充実した。 「学生の実態が見えていなかった」と背景を語るのは横須賀薫学長だ。以前より学力不足の学生が増えたのに、教育内容は旧態依然。これでは世間にそっぽを向かれる、第一、学生に申し訳ないと危機感を募らせ、2学部を統合して問題意識の共有化を図るとともに、学び直しの拠点となるセンターを設けた。 キャンパスの中心校舎の一角を占めるセンターには、小中高校の教科書や問題集、参考書をそろえ、夏冬休み期間中も通して午前9時から午後7時まで開放。小中高校の教員ら6人が交代で学生の個別指導や授業を行っている。 だが一方で、学長は教員に「センターに来て勉強せよと強制はしないでほしい」と繰り返す。強いられた学びはつまらない。自ら学ぶ学生を育てたいからだ。思いのこもった土壌改良が進む。あとは芽吹きを待つだけだ。 (2012年10月19日 読売新聞)十文字学園女子大学(埼玉)。学力対策で設けたセンターでは、小中高のおさらいを授業や個別指導で行う。責任者の増田吉史副学長は「学びの楽しさにいざないたい」と話す。 今月初めの「数学」の授業をのぞくと、担当教員が「今日は関数で遊びましょう。ボルトが9秒を切るのはいつだと思う?」と学生に問題を発していた。100メートル走の記録の推移を時系列で示したグラフを前に、1、2年生6人が「100年後?」「その時、ボルト走れるの?」とにぎやかに応じる。「去年は途中で挫折。今年は頑張ります」と2年生(19)。 「12-4」を指で数えようとする学生がいれば、「筆算」に首をかしげる学生も。それでも「どの子も必ず伸びる」と増田副学長は力を込める。センター利用者は夏休みの8月だけで694人と昨年同期の約2倍。利用者の学習時間は未利用者に比べて際だって増え、何より「顔が輝いてきた」という。 学び直しは、いや人生のやり直しはいつからでもできる。「大学の実力」調査に表れたデータの変化と現場の空気を突き合わせれば、そんな“真理”がすとんと胸に落ちる。 (2012年10月26日 読売新聞)「算数ができない大学生」など、以前から「学力の低下」は叫ばれていました。しかし、現在は単なる「学力低下」では捉えきれない大きな問題となっている感があります。大学での「学び直し」が必要、とはどういう実態を反映しているのでしょうか。大学は「センター」を設けて学生に基礎力を付けさせる。学生は「楽しい」「つながる」授業には興味を持って参加する-それでいいのでしょうか。高校、いや中学校や小学校まで含めて、大学までの学習過程の見直しが必要な時期に来ていると思っています。大学側だけでなく、高校側も意識改革が必要でしょう。もちろん、学生たちも「大学」の意味をよく考えて学問を目指すべきでしょう。この問題は、誰が悪い、どこが問題だと一言で言えない複雑さ、困難さを持っています。どの段階をかえればすべてうまくいくという単純な問題ではなさそうです。まずは、それぞれの立場の方々が、それぞれの生徒、学生に対して、前と後ろの実態を良く把握し、「今」何を訴えるべきかをよく考えていく必要があると考えています。その一方で、広く教育行政を考える機関が、きちんと現実を見据えた上で抜本的な見直しを提案していくことも必要なのかも知れません。教育の問題は、今すぐ傷が化膿するわけでもなければ、目に見えて完治していくものでもありません。しかし、手遅れにならないうちに、しかるべき調査や対策を行っていくべきです。読売新聞「大学の実力」の記事を興味深く読んでいました。その上での浅薄な感想ではありますが、現代大学生の実態から、「大学の変質」を強く感じました。これからも、大学や教育に関わる記事を注意深く見守っていきたいと思っています。
2013年03月07日
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先に大学生の「学力低下」問題について述べました。「一極集中」により、大学生全体の「学力低下」「目的意識の希薄さ」「大学教育への弊害」などの問題が生じてきています。大学によっては「学力」以前に、学生が大学に魅力を感じないという問題を抱えています。では、現代の「退学」事情はどんな状況なのでしょう。どうもかつてとは異なる問題があるようです。それは、「退学」後の行く先の問題と関連しています。読売新聞「大学の実力」調査の記事から、昨年夏~秋に掲載された「退学」事情に関する内容について見てみます。「大学の実力」調査が、門外不出だった各大学の退学率を初公表してから4年。いまだに数字の背景をどう読み解くか悩むことも多いが、労働政策研究・研修機構の小杉礼子・統括研究員は「(退学者は)間違いなく日本社会の大きな損失」と明快だ。 同機構が今春まとめた調査では、退学後ずっとアルバイトや契約社員など非正規雇用にとどまる人は、男子で37%、女子で65%にも上る。就職難のご時世に、新卒一括採用という一般的なコースをはずれると、再挑戦は難しいようだ。うまくいかないと、本人は次第に孤立感を深めていく。10年前に首都圏の大学を中退した男性(30)は今年2月、契約社員として勤めていた家電製品工場の閉鎖に遭遇した。「あの程度の大学でも続けられなかった罪悪感」を引きずり、同居の親との会話はほとんどなく、子連れで歩く高校時代の友人を見ると、つい背中を向けてしまう。次の仕事に挑む気力も湧かず、「今は部屋の片づけをする毎日」という。男性は時折、思う。「なぜ大学に進んだのか、なぜあの大学だったのか……」。退学率データからは、ため息が聞こえるような気がする。 (2012年8月10日 読売新聞)大学生の「退学」が、「日本社会への大きな損失」となっているのは、大学へ進んだためにかえって就職が難しくなり、正規の職業に就けずにいる若い世代が確実に増えているため、と考えています。男女で約半数の者が、大学「退学後」に正規雇用に付けずにいる実態があるそうです。確かに「社会の損失」という見方ができるでしょう。しかし、「なぜ退学してしまうのか。」については、どんな事情があるのか、気になるところです。まずは、その実態から見てみましょう。入学―卒業の4年間(医学部などは6年間)の平均退学率は8%(6年制は7%)で退学者総数は約4万3000人。これを主要学部別に見ると、経営学部の12%をトップに国際系の9%、次いで工、経済、法、文と、人文・社会科学系の高さが目立った。最低は医学部の3%。この数値をどう読むか。退学問題に取り組むNPO法人「ニューベリー」の山本繁代表は「経営・経済・法など、大規模授業が中心の学部は退学率を押し上げやすい。理学など密な人間関係が築ける学部や、医・薬など将来の仕事に直結する学部は総じて低い」と話す。入学後の教育内容や卒業後の展望がものを言うのだろう。 (2012年8月3日 読売新聞)「高退学率=悪い大学でない実態」は、読売新聞記事が訴えるところです。退学率が高いからといって、「経営学部」や「国際系学部」に問題があるわけでもないでしょう。しかし、退学率12%は多い気がします。やはり、経済や法学部など、目的意識が明確化しにくい学部の特性と、教養系を含めて大規模授業が多い実態が問題なのかも知れません。つなり、最近の大学生は「目的意識」がはっきりしないと、大きな教室での授業や進級への意欲についていけない傾向があると考えられます。昔から「何をやっていいか分からない、将来も見えない」学生は数多くいたはずです。しかし、「学問」や「将来」への意欲は失わず、「目的意識」が必ずしも明確でなくても「大学生」を続けていたのではないでしょうか。「目的意識」と「学問の持続性」、ここへの意志、意欲が希薄になっている気がします。ただし、問題は「学力、意欲」などの学生側だけでなく、大学側にもあるようです。高い退学率の原因を学生の質低下に求めがちな風潮の下、「我々の責任」と言うのは杏林大学(東京)の跡見裕学長だ。昨年の「大学の実力」調査で、同大の入学から卒業までの退学率は10%。この半減をめざし、昨秋、1年生とじかに語り合う場を設けた。退学実態を精査した結果、文系2学部が医学部の10倍超、経済的事情や入試方法との因果関係は薄いといった状況が判明。どうしたら目的意識や将来への希望を持たせ、退学を回避させられるかを、フランクに話せる関係の中で模索しようと考えたのだ。「片言の英語で注文したら、何とフランスパン1本分のサンドイッチが!」。5月下旬、外国語学部の1年生33人に、跡見学長が留学時代の失敗談を交えて学びの大切さ、面白さを語ると、親しみがわいたのか、学生の意見、質問が相次いでいた。教職員や他学部生との交流が楽しめる場づくりも進めており、「今は学生から声をかけてくる」と喜ぶ。 (2012年7月6日 読売新聞)「高い退学率」を意識し始めた大学は、「教職員の熱い営み」が続けられているそうです。大学側も「目的意識や将来への希望」を持たせられない授業の実態に気づき始めています。特に、文系学部では難しい課題と言えるでしょう。つまり、学生との垣根を低くしてコミュニケーションをはかり、学生の意識をこまめに見守る必要を感じているのです。何となく「大学生は大人だから、先生との交流は必要ないのでは。」とか、「学問上のコミュニケーションだけでいいのでは。」という気がしますが、実態はそうでもないようです。学生を大学に留めておくには、「大人が声をかけて、一緒に動くこと」が大切で、「学生の自立を阻害する」「自由を与えよ」などの批判は当たらない、という実態があるようです。これがすべての大学の実情ではないのでようが、「退学率」を情報開示で公開するようになって以降、大学の「努力」が広く求められるようになってきています。大学も、現代の若者が求める「つながっていたい」という心理に合わせて変質しているようです。かつてのように「学生は知識を盗め」「教授を超える学問を自ら確立せよ」などという、突き放した指導は難しい時代のようです。キャリア教育を始め、「学生と一緒に大学を作っていく」という教職員の努力と意欲が退学率を低めることとなっているようです。「手をかけすぎ」ではなくて、「手をかける」ことをセールスポイントにする大学が人気になる時代かも知れません。各校の退学率の推移を見ては、現場で汗を流す教職員のあの顔、この顔が目に浮かぶ。松本大学の場合、調査開始時の14%が今年は10%に。何があるのか、自然に足が向いた。 8月28日の朝、JR松本駅近くにガラン、ガランと鐘を鳴らしながらリヤカーを引く学生たちがいた。毎週火曜日の恒例、白戸洋・同大観光ホスピタリティ学科長のゼミ生による野菜の引き売りだ。あちこちから常連客の高齢者が集まってくる。 「今日はインゲン、お買い得!」。強い日差しの中、声をからす4年の金森和希さん(21)は「このゼミがなかったら退学していた」と話す。人付き合いが苦手で、入学後1か月もたたずに不登校に。流れを変えたのが、2年次必修ゼミだった。 問題を抱えた学生は学科長が引き受けるのが、同学科の慣行。温かく迎えてくれた仲間の存在に心が一気に和んだ。「居場所はここだ」と。白戸さんは「ゼミは研究と学生ケアの場」と言う。ケアに不向きな教員にはゼミを持たせない徹底ぶりで、苦しみながら立ち直ろうとする学生を支えている。 (2012年9月14日 読売新聞)本来は、高校段階で「なんのために大学へ行くのか」から始めて、「目的意識の確立」を図ることが必要なのでしょうが、今の高校にそこまで余裕があるか、という問題と、生徒側が「将来への展望」が見いだしにくいという社会の実情があります。大学側も「生き残り」をかけて「学生集め」と「卒業へのケア」、「就職率アップ」に必死です。「大学の実態」も「大学生の意識」も数十年でずいぶんと変わってきています。社会が変化したことが大きな要因でしょうが、それ以外にも若い人たちの意識変化があるようです。現代大学生の意識に合わせた授業展開が求められてくる時代、次はそんな大学事情につても考えてみたいと思っています。
2013年03月04日
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本日(2013年3月1日)掲載された「読売新聞」社説を読んで、やや違和感を覚えました。「教育の再生」に関して、「道徳の教科化」を「いじめ抑止」へとつなげる方向で考えられるのでしょうか。「社説」は次のように主張しています。【教育再生提言 いじめの抑止につなげたい(3月1日付・読売社説)】より抜粋安倍首相直属の教育再生実行会議が、いじめ対策の法制化や体罰禁止の徹底などを求める第1次提言をまとめた。 政府は提言を踏まえ、自治体や学校における体制整備や実効性のある対策の実現に取り組んでもらいたい。 提言には、道徳を教科に格上げすることも盛り込まれた。道徳の教科化は、第1次安倍内閣時の教育再生会議が2007年に提案したが、成績評価の対象になじまないなどの理由で見送られた。 現在は正規の教科となっていないため、教科書はない。効果的な指導法がわからないといった声も現場の教師から出ている。 教科化を通じて、教材の開発や指導法の研究を重ね、道徳教育の充実を図るべきだ。道徳の授業で相手の気持ちを思いやる人間性を育むことは、いじめの未然防止に役立つだろう。 (2013年3月1日01時32分 読売新聞)「教育再生実行会議」は、いじめの発見や調査を行う第三者組織の設置を提案しています。そこは評価できる考え方だと思います。「学校内へ第三者組織を入れる」ことで、閉鎖的、治外法権的な学校社会に一定の効果をもたらすことが期待できると言えるでしょう。一方、道徳に関しては疑問が残ります。「教科化を通じて、教材の開発や指導法の研究を重ね、道徳教育の充実を図るべきだ。道徳の授業で相手の気持ちを思いやる人間性を育むことは、いじめの未然防止に役立つだろう。」とある、こんな発言を耳にすると、かつての道徳補助教材「心のノート」を思い出してしまいます。少年犯罪が社会問題となる中、約10年前に作成、発行されました。「命を大切にすること」「他人を思いやること」など、具体的に書き込み形式で「自分や周りを見つめ直す」ノートとして注目を集めました。しかし、マインド・コントロールに近い誘導や、思想信条教育を生む危険性が指摘され、その後あまり話を聞かなくなりました。教える側も扱いに困っていたそうです。現在、どこまで活用されているのでしょうか。「道徳」という概念を具体的に「教育」していくことの難しさが常につきまとう問題です。もう少し具体的に「再生会議」の提案を見てみます。3日前(2月26日)の記事です。【道徳教科化の必要性明記…教育再生会議提言】政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)は26日午前、首相官邸で第3回会合を開き、いじめ対策や体罰問題などに関する「第1次提言」を決定し、安倍首相に提出た。 首相は会合で「提言は教育再生実行の第一歩だ。スピード感を持って取り組むよう下村文部科学相に指示する」と語った。 提言は、いじめ対策の法制化や、被害児童・生徒からの相談窓口となるスクールカウンセラーの配置促進など支援体制の構築を要請した。また、「他者への理解や思いやり、規範意識」などを育むため、道徳の教科化の必要性を明記した。教員による体罰の根絶を目指すため、国に、部活動指導のガイドライン(指針)を策定することも求めた。 このほか、教育委員会制度の抜本的見直しについて議論した。有識者委員からは、大津市立中学2年の男子生徒が自殺した事件などで指摘された教育委員会の役割の形骸化や責任の所在の曖昧さを問題視する意見が相次いだ。 (2013年2月26日14時18分 読売新聞)先の社説にあった「第1次安倍内閣時の教育再生会議が2007年に提案した」とは、以下の記事です。【教育再生会議が2次報告】(2007年6月1日 記事) 政府の教育再生会議は、首相官邸で総会を開き、大学への9月入学の拡大、小中学校での授業時間増に向けた土曜授業の活用と道徳の教科化などを盛り込んだ第2次報告を決定し、安倍首相に提出した。安倍内閣における教育政策の根幹がすでに示されています。およそ6年前から、安倍政権において「道徳の教科化」が叫ばれていました。今回も、こうした意向を受けての「提案」である気がします。だとすれば、最近の「いじめの深刻化」や「体罰の実態が表面化」している教育現場の現状をしっかり見据えた上での提案かどうか、やや疑問に感じます。安倍内閣への「追従」とまでは言いませんが、なにか「ご機嫌取り」のようなあやしさを覚えます。「他者への理解や思いやり、規範意識」などを育むため、道徳の教科化の必要性を明記、とありますが、「他者への理解や思いやり」の教材は、すでにうまくいかなかったという現実があったのではないでしょうか。「規範意識」を身につけさせるために「道徳」を授業で行うとはどういうことでしょう。「規範意識」とは、何に対するどんな「意識」なのでしょう。そこを明確にしておかないと、「規範」の押しつけや、あらぬ管理教育に走る可能性があります。あいまいなまま「教科化」を提案すると、かえってさまざまな誤解を生む懸念があります。さて、改めて「社説」に戻ります。「道徳」に「教科書はない」こと、「効果的な指導法がわからないといった声が現場の教師から」起こっていること。ここに、「道徳の教科化」の大きな問題点があると思います。道徳の「教科書」といわれて、どんなイメージが思い浮かぶでしょう。品行方正な男女の在り方、とか、悪いことをしたら誰が困るのかなど…、少しレベルが低すぎでしょうか。しかし、あまり踏み込むと戦前の「修身」教科書の焼き直しや、さらにエスカレートする危険性もあります。そして、何といっても重要にして難題であるのは、教える側の問題です。「道徳の指導法」が全国一律なのも気味が悪いですし、先生の個性で教えろと言われても、かなりの温度差が生じることは必至です。先生が不安定では、受け手の生徒がかえって迷うこととなるでしょう。また、「評価」されるから、「内申書」にひびくから、という理由で渋々受ける生徒が出てくるならば、「教科化」は逆効果を生むこととなります。つまり、教員と生徒双方にとって負担が増えるだけで、マイナス効果しかない事態を招きかねないのです。「社説」では、最後に「道徳の授業で相手の気持ちを思いやる人間性を育むことは、いじめの未然防止に役立つだろう。」と「道徳教育の充実」を訴えています。「相手の気持ちを思いやる人間性を育む」ことは大切にして、人が生きていく上で必要「心」の在り方です。【問題1】その「人として当然持ち合わせるべき心性」が、今、本当に失われつつあるのでしょうか。【問題2】そして、その「心」は、本当に「道徳教育」によって育まれるのでしょうか。上記2つの問題点について、私は「はなはだ疑問」であると言わざるを得ません。「他人を思いやる心」は「道徳」で習う、教えられるものではなく、自らの経験を通して身につけていくものでしょう。この際、「道徳」などというあやしげな「美徳」に包まれた表現をやめて、別の言い方で生徒たちの「よりよき体験」を手助けするような授業を考えてみるべきではないでしょうか。とにかく、上から「教科化」を押しつけるのではなく、生徒のいる社会、学校の実情に応じて「自由裁量の授業時間」「生徒と教員、地域の人々が創る授業」など、幅広い体験を通して、人と人とのつながりをより多く実感できる機会を増やしていくことも必要かと思います。勉強や部活に縛られがちな忙しい中学高校生、もう少し本当の意味での「ゆとり」を見いだせるような「教育再生」を考えてみてもいいかと思います。必ずしも「道徳」という名称や「教科」という枠にとらわれることなく、みんなで一緒に考えて作り上げていくことが大切な気がします。ともあれ、読売新聞社説のような意見に世間が安易に同調しないことを願っています。皆さん、「いじめ」や「体罰」の問題が、そう簡単に解消の方向に向かっていくとは思ってはいないでしょう。実際、相当に根深い、人間の本質に関わる問題であることは大方が承知していることであるはずです。
2013年03月01日
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難関大学受験生を間近に見ている「いつやるか? 今でしょ」の「林修先生」が、興味深い発言をしています。「NEWSポストセブン」2月22日(金)配信記事から抜粋します。 【今でしょ先生「大学生の学力低下、東大京大も例外じゃない」】――長年、若者を見てきて、変わってきたなと思う点はありますか。 林:僕が授業をしている東大コースで言うと、だいたい東大に行こうっていう時点で、既成の権威に頼っていると思うんですよ。もともと東大生は保守的で、これは僕のときもそうでした。安全志向、安定志向で、早めに人生の貯金をつくって逃げ切ろうと。競馬で言えば、先行逃げ切り型ばっかり。僕みたいに、いったん後方に下げて、そこから一気に勝負しようなんていう博打派はほとんどいなかった。こうした傾向が、最近ますます強くなってきたと感じますね。だから今の学生は、ものすごく勉強しますよ。 ――では、学力は上がっているんでしょうか? 林:平均でいうと、明らかに落ちています。理由は単純で、少子化で学生の人数は減っているのに、大学の定員はそれほど減っていないから。だから東大でも、下のほうはかなり厳しく、大学側も危機感を持っているようです。ただ、上位10~20%は変わっていませんね。びっくりするくらい優秀な生徒は確実にいます。 ――東大でも学力低下が問題になっているんですね。最近一部で、東大と京大の就職差が話題になりましたが、学力的にはいかがでしょうか。 林:受験勉強面だけで言えば、特に文系では、今や完全に京大は東大の下ですね。関西のおもろいヤツが京大に行くとか、そういう個性の面での違いはもちろんあると思いますけどね。 差が付いた原因はいろいろ考えられます。一つは、受験においても、東京一極集中が加速していることですね。情報化が進み、移動も便利になるなかで、東京だけが突出してしまった。僕は年200日ほど出張して、いろいろな地域を見て、それを実感しています。そんななか、京都の洛南高校とか奈良の東大寺学園とか、以前は京大合格者の人数を増やそうとしていた関西の名門校も、東大へシフトチェンジしています。 もう一つ大きいのは、今の若者は、国立の医学部志望がものすごく多いんです。安定志向だから。 ――つまり、医学部に行けば、将来、安泰だと。 林:食いっぱくれはないだろうと。例えば、一昔前なら京大の理学部に行っていたような子が、いまは大阪大学の医学部に行くんです。それで国立大の医学部に、優秀な人材が集中するようになった。一方、技術立国日本を支えてきたような理系の学部に、なかなか人材がいかない。国立の医学部に、のきなみ人材が吸い尽くされて、他大学が低下している。これは大問題だと思いますよ。 ――なぜ若者たちはそんなにも保守化しているのでしょうか。 林:やはり、将来への不安が根本にあると思います。経済の先行きが暗いというのは、世の中のあらゆる面に悪影響を与えるんです。僕はバブル世代で、あのころは、一度失敗したって何とかなるさって思えました。しかし今は、先が読めない時代。若者が自分を守ろうとするのは、仕方のないことなのかもしれません。 でも、これは、我々の責任なんです。若者に希望を与えるのが我々大人の仕事ですから、我々の力不足。少しでも、なんとかしなければと思っているんですけど。 【プロフィール】 林修(はやし・おさむ):1965年愛知県名古屋市生まれ。東京大学法学部卒。日本長期信用銀行に入行するも、半年で「この銀行はすぐつぶれるな」と思い退社。その後、予備校講師となる。現在、東進ハイスクール、東進衛生予備校の現代文講師。東大・京大コースなどの難関コースを中心に授業を行い、抜群の東大合格実績を誇る同予備校の躍進に貢献している。〔以上引用〕「先行逃げ切り型」の「安定志向」が増えている、「経済の先行きが暗い」ため「自分を守ろうとする」のもやむを得ない、との見方は現実的で的を射ていると思います。現代の若者が「安定志向」とよく言われますが、その一つの表れが難関大を目指す高校生の「早く貯金を作って逃げ切りたい」という思いとなっているとの分析。さすがに鋭い!と感じました。林先生曰く、「博奕派」は少なくなっている、ゆえに「面白いヤツ」も減ってきている、と。「東大生の(一部)学力低下」「一極集中による弊害」「京大と東大との格差」は、そのまま、他大学での学力問題に繋がっている気がします。全体が総じて「学力低下」しているわけではなく、学力の「一極集中」によって、そのしわ寄せが他の大学、例えば地方で地元のために役立ってきた大学や、都市部の中堅大学に至っているのかもしれません。つまり、東大や京大を始め、一部の難関大学の優秀な層はそれほど変化していないのです。しかし、そこに集中し過ぎて、学問の多様化や頭脳の分散化に支障を来す可能性がある、というのです。以前ここでも書きましたが、早稲田大学や明治大学には受験生が集まるが、東京でも中堅や学部の少ない大学は受験生集めに苦労しているという現状が象徴しています。若者の「一極集中」や「安定志向」を、分散化、多様化へ導いていくことは、一方で社会、経済の安定が必要なことは確かでしょう。これからの将来、「先が読める時代」とともに「希望」が持てる時代を作っていく必要があると思います。ただし、それを待っていてはいつになるか分かりません。現代の大学生や若者の実情を知り、分析して、これからの大学や社会の在り方を考えていくことが大切となるでしょう。この意味でも、「内向き」な現状を、少しでも「外向き」志向へと可能性を増やしていくことは、一つの試みとして価値あるものと言えるでしょう。東大の秋入学やFLYプログラム、早稲田大学の「WASEDAビジョン150」など、なんとか学生を多様化して「外へ」目を向けさせようとする方針は現代にあって必然の産物なのかも知れません。そういえば、東大の新しい「外への発信」に関する記事も注目を集めています。このたび東京大学(総長 濱田純一、以下「東大」)は、コーセラ社(Coursera, 米国カリフォルニア州マウンテンビュー, CEO Andrew Ng, Daphne Koller、以下「コーセラ」)との間で大規模公開オンライン講座(MOOC)配信に関する協定を締結しました。大規模公開オンライン講座(MOOC:Massive Open Online Course)は、オンラインで誰でも無償で利用できるコースを公開し、修了者に履修証を発行するサービスであり、ハーバード大学、スタンフォード大学、プリンストン大学など世界トップクラスの大学が相次いで参入し、急速に普及しています。東大は、国境を越え世界に最先端の知を届ける方法のひとつとして、コーセラのプラットフォームを利用して、大規模公開オンライン講座を配信する実証実験を行います。これは日本で初めての試みになります。2013年秋をめどに、英語による講義として、政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット長・大学院法学政治学研究科教授 藤原帰一による「戦争と平和の条件(Conditions of War and Peace)」と、カブリ数物連携宇宙研究機構 機構長・特任教授 村山斉による「ビッグバンからダークエネルギーまで(From the Big Bang to Dark Energy)」を配信します。この2コースをあわせ、世界各国から数万人の利用を予想しています。履修者の学習状況や成績の分布に関して研究するとともに、オンライン講座と対面授業を組み合わせる「反転授業(Flipped Classroom)」についても試行的実践と評価を行います。【「日経プレスリリース」2013年2月22日より一部引用】全世界から東京大学の授業が受講できるようになる、というのです。海外の大学、学生にも訴えよう、日本の学生にも刺激を与えたい、そんな全世界、全方向へのグローバル化を目指しているのでしょう。そういえば、早稲田大学も近い将来、インターネットで講義を公開するというビジョンがありました。大学内だけでなく内外の学生や研究者への公開も考えているようです。方向性や試み自体は興味深く、これからの大学の在り方を示唆する大胆なものとなっています。しかし、ここで一つの不安があります。「一極集中」だけでなく、多数派の学生や若者たちの今後です。一般の(普通の)学生、(もちろん東大生や京大生も含めて)の「学力低下」「目的意識の希薄さ」「「大学教育への弊害」などの問題が一方であります。現代の大学が抱える問題は、そんな未来への夢と希望に溢れた壮大なビジョンだけでなく、もっと切実な問題があるようです。そちらも、真剣に取り組んで行かなくてはならない問題として、これから考えていきたいと思っています。
2013年02月23日
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「不揃い」という言葉に惹かれて手に取ってみました。「宮大工」である小川三夫氏の考え方は一考の価値があります。「木」とふれあう経験が「人」への深い思いに繋がっていることが読み取れました。小川三夫著「不揃いの木を組む」(文春文庫 2012年3月 660円)2001年、小川氏が54歳の時に刊行された単行本の文庫版です。塩野米松氏による小川氏への聞き書きをまとめた本です。小川三夫氏は、高校の修学旅行で法隆寺を見て感動し、何度も断られながらも二十一歳で棟梁西岡常一氏のもとへ弟子入りしました。法隆寺三重塔や薬師寺の再建を経て、その後、徒弟制度による寺社建築会社「鵤(いかるが)工舎」を設立、多くの弟子を育てました。この本には、現代の教育に対する小川氏独自のメッセージが随所に込められています。ただし、きっちりとした教育論ではなく、小川氏の「木」と向き合ってきた経験に基づく発言です。その中から、2箇所ほど、興味深い発言について考えて見たいと思います。【不揃いのもの組み立てる】―いまの建築のように規格化されたものを組み合わせていくなんていうのはひとつもむずかしくないよ。一人の統率者がいれば組み上がっていくんだよ。―いまのように規格化されたものを組み上げていくということになると、いちいち小数点が必要なんだな。…けれども、昔のように不揃いのものを組み上げてつくるのだったら、小数点なんかいらないんだ。―狂ったものは狂ったようにうまく組み上げていけばいいわけだ。…一つ一つの部材の精密さより、それを組み合わせた全体が正確であることが大切なんや。―みんな小数点以下でやる時代になったけど、ほんとうに必要なのはそんなことじゃないんだよな。法隆寺は小数点以下の組み合わせで千三百年も建っているんじゃないんだから。木は生きているんだから。―そういう考えで人を育てると、部分だけしか見られなくなってしまうわけだよ。細かいことだけをいって大きく物を見られない。いまの時代、全体をきちっと把握した人間というのができにくいというのは、そういうことがあるやろうな。小数点以下重視の考えや。「規格」による「小数点重視」の考え方が「全体の正確さ」を見失わせている、不揃いのものを組み上げて全体を正確にすことが大切、と小川氏は言います。「小数点以下」にとらわれすぎて「全体をきちっと把握した人間」ができにくくなっている、との言い方は象徴的な気がします。個々の「規格」にこだわりすぎて「全体」を、そして長い将来を見失っている「いまの時代」を思ってしまいます。不揃いを組み合わせて正確な全体を組み立てる、それは困難で根気が要ることでもあるでしょうが、複雑で細分化された現代社会にこそ求められる考え方だと思います。それはまた、人を育てる上でも常に根底に見据えておくべき大切な思考であると言えるでしょう。【材を寝かせることと人を寝かせること】―山に立っている木というのは、生きている木なんだよ。葉が青々と茂っている、その木は建物を建てるための木とは役目が違うわけだ。自分が生きるために立っているんだ。それが、倒されて、運ばれてきて、材になってうちに来た。だから、工場である程度寝かせておいてやらな、あかんのや。―その寝かせておく期間に、立木から建物になる木へと命が移っていくわけだ。命が移りきってから材として使ってやらなければあかんわな。立木のまんまでは、木の用途が違うし、命が違うんだから、それを使ったらいけないわけだ。―いまの時代、一番悪いのは、きのうまでカラスがとまっていたような木を倒して、あした建物にすぐ使ってしまうことだ。その建物がどうなるかっていうと、建物が完成してから狂い始めるわけだから。前もって狂わしていないんだからな。それは木が悪いのではなくて、使うほうが悪いんだ。―日本中の母親の一番よく使う言葉は「早くしなさい」だそうだ。先生も同じわけやろ。訓練が行き届いてしまったやつには「早く」といえるのだけれど、できないやつにいうんだから困ったものだ。―できない子に何かさせるということがどういうことなのかわからないんだな。だから、できる子、要領のいい子だけがいい子になってしまうわけだ。子供でも何年間か寝かせておいて、熟したころに取り出して使いましょうなんていったらば、器用な子は無理だよ。なんぼ寝かせておこうといったって、寝ていられないんだから。 何をするにも早くて要領のいいやつを器用と呼んでしまうから厄介なんだ。―時間がかかるという意味を理解するのはむずかしいな。十年後に何になっているかなんてわからないよ。俺のところでは覚えるのに時間がかかる。それは、ゆっくりでもいいから少しずつ少しずつでいいから前へということで、後戻りはしないということを前提にしているんだよ。「材を寝かせる」ことで「命」が移る、と小川氏は言います。それは、性質の変化を見越して、次の目的への準備をしっかりと整えるということでしょう。「前もって狂わしておく」ことが必要だとも指摘しています。「生きている木」のこの性質は、そのまま「生きている人」にもあてはまります。「早く早く」と子どもを育て、教育する親や先生たち。「器用」で「要領がいい」子どもばかりで、「寝かせる」効果が表れにくくなっている、と言います。「寝かせる」ことで、「命」が移り、丈夫で長持ちする「材」となる。これは、「人を寝かせる」ことにおいても同じことだと小川氏は考えています。「少しずつ少しずつでいいから前へということで、後戻りはしない」ことだけを心がけて、「寝かせる」期間を暖かく見守ってやることが必要なことがあるのかも知れません。とかく、横並びの着実な「成長」を願い、目に見えるものばかりを求めて子育てをし、教育してしまいがちな現代の在り方。「寝かせる」ことの大切さも、時に思い出してみてもいいのかも知れません。「いじめ」や「体罰」が連日報道される中、直接は関わらないかも知れませんが、「子育て」や「教育」には、さまざまな考え方、見方が求められることがあります。そんなことを考えながらこの本を読んでいました。引用部分以外にも、「そうか、そういう見方もあったか」と目を覚まさせられる発言がありました。自分に引きつけて読んでいたからかも知れません。まだまだ未熟な自分を感じさせられる本でもありました。
2013年02月15日
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立春も過ぎ、暖かさを感じる一日、「隅田川」沿いを散策してきました。隅田川西側から見る東京スカイツリーは、朝日を背に燦然と聳え立っていました。その天を突く雄姿は、あたかも「東京の未来」を思わせるが如く周囲の高層建物と調和しています。川の両岸には、有名メーメーカーの本社社屋や高層マンションが建ち並び、高速道や鉄橋など、東京を支える底力を感じさせます。実は、スカイツリーと隅田川、そして撮っておきたかった橋があります。こちらです。西側にある東京ガスのガスタンクが目印となっている「白髭橋」(奥に見える橋)です。荒川区南千住及び台東区橋場地域と墨田区堤通を結ぶ明治通りにかかる橋です。近くに「言問橋」があり、古くから渡しがあった地とされ、「伊勢物語」東下りで主人公が「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の歌を詠んだのはこのあたりとされています。(橋の近くにある「ガスタンク」と「白髭神社」)その「白髭橋」にまつわる「悲しい記憶」を改めて思い出したのでここに書き留めておきます。東京の重たい「記憶」の日は昭和20(1945)年3月10日です。「東京大空襲」の記憶です。死亡・行方不明者10万人以上と言われ、一夜にして、東京市街地の東半部、実に東京35区の3分の1以上の面積(約41km²)が焼失したとされています。特に、下町地区の被災状況は想像を絶する惨状であったことは今も語り伝えられています。あの日、この橋の上で時を過ごした方(私の親戚)から聞いた話です。B29の焼夷弾により既に火の海となった浅草地区の人々は、大川(隅田川)へ避難を始めていました。川の近くには防火帯もあり、少し火の手が少なく見えたと言います。しかし、逃げる橋は限られています。その時に頭をよぎったのは「白髭橋」のガスタンクだった、「あれが爆発したら周囲一帯は全滅する」と。そこで、「白髭橋」を避けて逃げた人が多く見えたそうです。しかし、その方の家族は運を天に任せて最も近い「白髭橋」へと向かいました。「爆発したら命はないが、今はそこにかけるしかない」と、じっくり考える間もなく、とにかく橋へたどり着きました。どうにか橋の近くに避難することができ、そこで朝を待って、川と町の惨状に驚かされることとなったそうです。他の橋は人で溢れ、火の暑さと人の殺到に絶えきれず川へ飛び込んだ人は、溺死または焼死、飛び込まなくても人に押されて圧死した人もいたそうです。逃げ遅れれば確実に焼け死んでしまう、かといって橋に逃げても人で溢れ、川に入っても生き残れない。助かった人たちは、こんな状況で生き残れたことが奇跡に思えたそうです。この「白髭橋」と川岸の「ガスタンク」。ここでは、あわや爆発かと命を託した結果、爆発せずにすんだため命をとどめた方が多かったそうです。空襲の惨状は「東京大空襲」記念館や写真集で見ることが出来ます。江戸東京博物館にも、東京の歴史の一つとして展示され、現代の人々に訴え続けています。その一端とは言え、「白髭橋」と「ガスタンク」を見ると「忘れ得ぬ悲しい記憶」を思い出します。こうした歴史の上に今の東京を象徴する「スカイツリー」と東京の未来があることを再確認しつつ隅田川を眺めていました。さて、その後ぶらりと隅田川沿いを下流に向かって散策しました。いくつか、目に付いたものを載せておきます。隅田川は、生活や産業を支える川として今も大活躍しています。大きな船を引いて走る艀(はしけ)や漁師さんの釣船、観光のための屋形船は数え切れないほど目にしました。交通の便としての水上バスの他、観光船もいくつか目にしました。こんな面白い形の船もありました。しばらく下ると、小名木川との合流地点、そこにはあの「松尾芭蕉」の旧跡があります。「芭蕉記念館」のほか、「芭蕉庵跡地」「芭蕉像」が近くにあります。(芭蕉庵旧跡)ここは、大正時代の大津波で発見されたそうですが、その時に出てきた「蛙」があったそうです。もしかして、写真にある碑の下にいる蛙?「古池や蛙飛び込む水の音」で「蛙」と芭蕉は深い結びつきがあるのです。旧跡の近くに、隅田川を見下ろす芭蕉像がありました。(隅田川を望む芭蕉像)杉山杉風(すぎやま‐さんぷう)[1647~1732]が描いた原画を模写した資料に基づくもので、かなり「本人」に近いそうです。杉風は江戸中期の俳人で蕉門十哲の一人。江戸の人。深川芭蕉庵の提供など、芭蕉を経済的に援助した人として知られています。それにしても、気むずかしそうな顔をしている芭蕉ですね。しばらく下って、今度は東へ「仙台堀川」から「横十間川」へと歩きました。そこで、「和船」を漕いでいる船頭さんを発見。どうやら観光のための和船のようです。江東区には「和船友の会」があります。HP→「和船友の会」には「櫓・櫂による和船の操船技術、並びに和船の維持管理方法を後進に継承し、活動を通じて会員の親睦と地域社会の活性化に資する事を目的として東京都江東区横十間川親水公園をベースに活動しています」とあります。「和船を漕ぐ」手こぎ体験もできるそうです。東京の川で「和船」を楽しむ。「粋」な感じがします。そういえば、川の北側を見ると番地が「海辺」とあります。この辺りは海だったのかと思うと、広々とした「江戸前」の海と「和船」が目に浮かびます。いつの間にか平成、昭和から江戸時代へと時代が遡ってしまう、「東京」は「粋」な江戸を感じさせる場所でもあったのです。
2013年02月12日
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日本の大学を代表する「東大」について、世界の大学ランキング後退だけでなく、入試制度でも立ち後れているのではないか、という事情を前回少し書きました。その東大に最も多くの卒業生を出している東京の開成高校、そこでの動きにも注目が集まっています(開成高校は毎年東大合格者数日本一、昨年は203名が東大に合格しています。)かつてハーバード大学「ベストティーチャー」に選出された経験を持ち、2011年に開成中学校高校校長に就任した柳沢幸雄氏は、昨年5月に「海外の大学事情」という講演会を学内で開き話題になりました。以下、BUAISO.netインタビューより抜粋引用します。【近憂遠慮】世界一の18歳に新たな航路を~開成学園校長 柳沢幸雄氏~(2012.8.1)柳沢氏は5月に「海外の大学事情」という講演会を開き、ハーバードの同僚教授や教え子の台湾・韓国の教授達をスピーカーに招いた。ハーバード大学の学士課程には3万5千人の志願者があり、倍率は30倍。学生の多様性を維持するために3つの分野(学力、スポーツ、芸術)で各々優れた人材を選んでいることなど、入試制度の大きな違いに、出席した生徒や保護者は一心に耳を傾けたという。「講演会が終わってから、『海外の大学に興味があるから校長先生と話をしたい』と言っている生徒がちらほらといるようです。『いつでも校長室へいらっしゃい』と伝えてあるんですよ」ノーベル賞級教授陣が軒を連ねるハーバード大学だが、教授室は学生たちが気軽に訪問できるよう、常に扉が開かれているそうだ。柳沢氏が校長室の扉を放ち、校内に舞い込んだボストンの息吹は、柔らかな追い風となって開成学園の生徒を新たな航路へ導くだろう。柳沢氏は、開成高校出身。1971年 東京大学 工学部化学工学科卒。日本ユニバック(株)を経て、1981年東京大学工学部化学工学科助手。1984年ハーバード大学へ渡る。シックハウス症候群、化学物質過敏症の世界的第一人者として知られ、1986年~2002年公衆衛生大学院専任准教授・併任教授。この間数度ベストティーチャーに選出される。1997年~2012年東京大学大学院客員・専任・特任教授。2011年4月から母校・開成学園校長に就任しました。「入試制度の大きな違いに、出席した生徒や保護者は一心に耳を傾けた」とある通り、ここでも入試制度が注目されています。東大には、「秋入学」だけでなく、「入試制度」でも現行制度に風穴を開けて新たな動きを生み出してほしいものです。では、開成高校校長は「東大に見切りをつけて、海外大学を目指せ」と言っているかというと、そうでもないようです。柳沢氏は、同インタビューで、次のように述べています。(若い世代の内向き志向について)「日本がそれだけ生活するのに心地よい国だから。嘆くのではなく、誇りに思えば良い」「海外で仕事をしてきた目から見ると、特に1990年以降の20年間の低下傾向というのは顕著だ」「若い世代が内向きだと言うけれども、それは上の世代の内向き志向が拡大再生産された結果です。例えば、技術力が高いので日本製品は競争力があると思われていますが、高い技術力のドイツ製品は高い価格で競争できる。しかし日本製品は低価格のものが多い。海外で戦うのに国内の同業他社を強く意識してきたからです。教育も同じです。大人社会を拡大再生産したものなのです。親は自分が知っている範囲で子供が動いてくれるのが一番安心なんですね。満足な教育を受けられなかった僕らの親の世代と違い、十分な教育を受けてきた今の親の世代はそれが非常に強い。その結果内向き志向がより顕在化してるんでしょう」つまり、日本人がまだまだ「内向き志向」なのは、「上の世代の内向き志向が拡大再生産」であり、「親の世代」が自分の知っている範囲でしか子どもを見ていない、その「安心安全重視」が問題でもあると指摘しています。身近な大学にばかり目を向けていないで、親の世代、大人たちはもっと子どもの可能性を広くとらえて、内に抱えるだけでなく「放り出してやる」ことが大切なのでしょう。日本の大学問題は日本の教育問題であり、そして日本を作っている大人世代の問題でもあるわけです。柳沢氏の指摘は「海外へ飛び出した可能性」を経験した者ならではの実感に基づくものなのでしょう。このままでは、日本の大学はますます国際社会の中で後退、孤立していくかも知れません。大学に改革を求めるだけでなく、社会全体が視野を拡大して意識を変えていく必要があるのかも知れません。「大学の行方」が、ずいぶんと大きな話題に発展しましたが、最後に柳沢氏の「教育観」(子育て論)として注目すべき発言を載せておきます。人材育成、子育てのワンポイントアドバイス 【垂直比較・水平認識】 英語では褒め言葉の数が格段に多い。子育てはどうしても『水平認識』、つまり他の子との比較をしてしまいがちですが、そこはちらっと横目で眺めておくだけでいいのです。大切なことは『垂直比較』、つまりその子が伸びている分野を褒めてやることです。子供は育ち盛りだから、必ず伸びているのです。1カ月前と比べて伸びていなければ、半年、1年と遡ってみればいい。もっと遡れば、おぎゃあと生まれた時は歩けなかったけれど、今は立派に成長したなということになりますから(笑)。 子どもを周囲と比べる『水平認識』ではなく、本人を見つめる『垂直比較』で育てていくべきだ、とは鋭い視点です。「言うは易し」ですが、実際はなかなか難しい問題です。しかし、親は常に意識していたい視点です。また、教育現場の先生方や子どもを取り巻く大人たちにとっても必要な視点と言えるでしょう。「体罰」や「いじめ」が連日騒がれる現代、「水平」でばかり見てしまうから周りに合わない生徒は「体罰」で無理矢理従わせる。周囲と違う行動を「水平」でしか見ていないから「いじめ」が発生する。そんな見方もできます。また、大きく捉えれば、大学入試も「水平」でなく「垂直」で評価できる方法が見いだされたら、とも期待します。大学入試制度は、少し変えるだけでも「受験生の混乱を招く」として難しい問題です。しかし、これからの日本の大学のゆくえ決定していく大切な問題だと考えるべきでしょう。今後の動きに注目していきたいと思っています。
2013年02月11日
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大学入試センター試験も終わり、今年もいよいよ大学入試本番の季節となりました。センター試験「難化」の影響か、東大の志願者数が減少傾向にあるようです。東大出願者情報(2月8日締切大学発表)昨年と比較してみます。【 】は定員、( )内が昨年比。〔 〕は第1段階選抜倍率です。文1【401人】 1169人(-27%) 2.92倍 〔約3.0倍〕 文2【353人】 1136人(+5%) 3.22倍 〔約3.0倍〕文3【469人】 1637人(+14%) 3.49倍 〔約3.0倍〕理1【1108人】 2826人(-10%) 2.55倍 〔約2.5倍〕理2【532人】 2007人(-11%) 3.77倍 〔約3.5倍〕理3【100人】 554人(+10%) 5.54倍 〔約4.0倍〕後期(理3除く全科)【100人】 2908人(-10%) 29.08倍 〔約5.0倍〕文系で昨年比-8%、理系で-11%。後期は-10%となっています。近年の大学志願者の傾向は「理高文低(理科系が人気高く文科系が低い)」とされていますが、東大は全体的に約1割減の志願者数となっています。これを以て東大不人気とは言えません。出願者は各予備校のセンター試験リサーチを見て、いわゆる「足切り」を避けて出願してきているからです。それにしても、かの「東大法学部」を擁する文科一類が「足切り」人数に届かないというのは驚きです。昨年がかなり倍率が高かったという事情(350人以上が足切り)もありますが、受験生の「現実志向」と「科類へのこだわり希薄化」を表しています。ただし、後期の志願者が減少しているのは、センター難化の影響と考えられます。今年の前期試験は、文科三類と理科三類を除く四つの科類で事実上「足切り」がほとんどないという状況です。受験生にとっては「2次試験勝負」の可能性が高まり、好ましい状況でしょう。しかし、この2次試験こそが難関です。「東大入試は世界一難しい」なる記事が目にとまりました。「東洋経済ONLINE」の特集「東大とハーバード。目指すならどっち?」シリーズの「東大の入試問題は世界で最も難しい!?」(2012年12月17日の記事)より抜粋します。以前、ハーバード大学の学生に、東大の数学と理科の入試問題を見てもらったことがある。その学生は「全米の学力テストのSATは、難易度も低く、マークシートなので満点が取れる。しかしながら東大の入試問題は、難易度も非常に高く、答案に記述していかないといけないので満点は取りにくい。もしかすると世界で最も難しい大学入試の問題かもしれない」と言っていたのが印象的だった。 また入試問題だけでなく、毎年約9000人もの受験生が書き上げた4教科の答案を限られた期間の中で採点し、その答案のみで、大学が求める人材を見抜くという「東大の選抜する技術」は、ある意味、世界でトップかもしれない。一昨年、東大とイエール大に合格した生徒が「海外大受験は、自分を圧倒的に表現しないと合格しない。しかしながら、日本の大学入試では自分を表現しすぎることはむしろ逆効果になる」「日本の入試本番では、的確に採点基準を抑えて得点を積み上げて行く受験テクニックと、制限時間内に問題を解く処理能力が求められる」「日米併願受験において、この気持ちの切り替えが大変だった…」と自分の受験を振り返っていた。全米の学力テスト「SAT」が、日本の「センター試験」に近い性格と言えるでしょう。しかし、そこからがかなり違っています。「自分を圧倒的に表現」することを求めるアメリカの大学。対して「的確に採点基準を抑えて得点を積み上げて行く受験テクニック」と「時間内の処理能力」を問われる日本の大学。しかし、東大の入試問題は難易度が高く、「内容」に関する知識と記述力を求められます。「世界で最も難しい大学入試問題かもしれない」とハーバード大の学生に言わしめるレベルの高さです。「自分」を表現することを求めるか、「内容」への知識や理解度を求めるのか、そこがアメリカの大学と東大の大きな違いであると言えるでしょう。そこで、近年の東大に対する世界の評価です。「OS World University Rankings」の調査による結果は以下の通りです。2007年(17位)→2008年(19位)→2009年(22位)→2010年(24位)→2011年(25位)2011年、1位はケンブリッジ大(英)、2位はハーバード大(米)、3位はMIT(米)です。アジアでは22位に香港大学が入っています。東大はその下という位置にあります。東大総長の浜田氏が「秋入学」を急ぎ、海外の頭脳を求め海外競争力を欲する理由の一つかも知れません。しかし、センター試験の出題傾向や東大入試問題の「人物」ではなく「頭脳」重視の現状を考えると、事は「秋入学」程度で改善が望める問題ではない気がします。センター試験は、記述式ではなく、選択肢の中から正しい答えを選ぶという能力が問われます。東大の入試問題ポリシーとは相容れない部分が多くあります。センター試験では、アドミッションポリシー(大学の入学者受け入れ方針)は見出しにくいからです。単に「センター試験の選択問題から正解を導くことができる生徒を受け入れる」というだけでの試験となっています。にもかかわらず、東大はじめ難関大学はセンター試験での選抜ラインをある程度高く求めています。昨年では、文科一類で721点(900点中)、理科一類で770点(900点中)以上が求められています。センター試験の得点で第1段階選抜を行うならば、さらに垣根を低くする(問題の易化、選抜人数の増員)が必要でしょう。センター試験でポリシーに反する選択肢問題を課して、2次試験で「世界一難しいかも知れない」難問を記述式で問う、この方式は一見合理的に見えて、やはり国際標準からは大きく立ち後れているわけです。こうした「厳しい入学試験制度」を経験して初めて東大生となれるわけです。しかし、これが「大学で自分、つまり個性をどんどん発揮して周囲に認められたい」という意欲へと結びついていくでしょうか。「自分」を表現できない入試制度を避ける学生が出てきていることも事実です。日進月歩で進化する世界の研究状況、その中で東大を始めとする日本の大学はどのように存在価値を示していくのでしょうか。ランクにとらわれすぎる必要はありませんが、大学を「選ぶ側」の高校でも「海外へ」という動きはますます大きくなってきているようです。次回へ続きます。
2013年02月09日
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2013年2月1日に行われた麻布中学校入試問題「理科」大問(2)の問7は、「ドラえもんの図」が載っています。この「図」について、次の出題がありました。99年後に誕生する予定のネコ型ロボット「ドラえもん」がすぐれた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい。ある塾の解答例を見てみると「ドラエもん自身が成長したり、子孫を残すことができないから。」とありました。麻布中学は東京にある有名進学校で、総理大臣を始め著名人をたくさん輩出している伝統校です。その「麻布中学」の知名度も後押しして、この問題がインターネット上で話題となり一気に盛り上がりました。JーCASTニュース2月4日の記事から引用します(抜粋)。「中学入試の問題…だと…?」「これすごいなぁ」など異色の出題に驚く声、「普通に考えたらロボットだからだろ」「フィクションに登場するキャラクターなので、そもそも生物ではないのではないか」など「そりゃそうだろ」という意見がある一方、「ドラえもん、心は温かいと思うよ…。だから生物として認めたいというのが本音」というドラえもんファンの思いなどがある。 さらにまとめ作成サービス「NAVERまとめ」では、「エリート達震え上がる」として、「麻布中学の問題が凄い」「外資系の就職試験みたいだね」「むむむ、面白いなあ」など、大学教授や予備校講師のツイートを紹介している。(引用以上)特に、「ドラえもんは本当に成長していないのか?」について、諸説紛紛たる状況だったようです。つまり、ドラえもんは身体的な成長はしていないが、精神的成長はしている、つまり学習能力がある。ゆえに成長していると言えるのではないか、という意見が多かったそうです。また、ドラえもんは「フエルミラー」という道具で自分を複製できるので、「成長して子孫をふやせるのではないか」という反論まで飛び交う始末です。激しい議論が展開されて、中学入試も楽しい話題を提供してくれるものだ、と微笑ましく感じました。ドラえもんは「単なるロボットだから生物でもないし、人間のように成長もしない。学習能力があっても、それはコンピュータのプログラムに過ぎない」などと言ってしまっては、ドラえもんの面白さや親しみやすさ、さらには未来の夢への思いが半減してしまう気がします。生物なのかと本気で考えるよりも、人間とロボットの真ん中で、機械がもたらす未来と、人間本来の温かい心とを兼ね備えた存在としてドラえもんを「中途半端な存在」と見ていたい思いがあります。未来は「人間的でないロボット」が溢れる世界ではなく、「人間に近い、人間らしいロボット」ができてほしいという願いもあります。あくまでも人間が先にあって、ロボットは「被修飾語」の存在であるべきだと考えるのが普通でしょう。「ドラえもんが生物かどうか」という話題がここまで盛り上がるのは、ドラえもんは「ネコ型ロボット」であるだけでなく、どこか「生物らしさ」があってほしいとどこかで願っている私たちの思いが関係しているのかも知れません。「ドラえもん」は、単に「未来への夢」を想像させるだけでなく、一方で、私たちに「人間らしくあるべき」というメッセージを送っています。そこが人気の秘密なのでしょう。今回の話題は、思わず「ドラえもん人気」を考えさせられる楽しい議論でありました。実は、こうして安心して議論できる理由があります。大問(2)の始めに「『生物であると判断するための特徴』とは、どのようなものなのでしょう」という問題を考える前提となる説明文が載っています。そこには、特徴A:自分と外界とを区別する境目をもつ。特徴B:自身が成長したり、子をつくったりする。特徴C:エネルギーをたくわえたり、使ったりするしくみをもっている。と、生物の定義が説明されています。そこから、特徴A:生命の維持に欠かせない物質として、「水」を答えさせたり、特徴B:受精からヒトの誕生を説明させ、特徴C:ヒトのエネルギー活動を自動車に例えて考えさせます。その上で、最後に問7として「ドラえもんは生物といえるか」を理由つきで説明させる問題へとつなげています。この流れを見れば、ドラえもんは「生命を維持する物質を必要とするか」「子孫を残せるか」「エネルギー活動を行うか」という視点で考え、技術では補えない要素を答えさせようとしている問題であることがわかります。そこで、塾では特徴Bに注目して、「生物は身体的に成長し子孫を作ることができるが、ドラえもんにはできない」という答えを導いているようです。学校側の正解は未発表ですが、特徴AやCを用いて説明することは全く不当なのでしょうか?ドラえもんは「水」という物質を必要不可欠としていない、ドラえもんのエネルギー源は不明(どら焼き?)で、エネルギー活動をしていない、などという答えはあり得ないのでしょうか?あえて、あまのじゃくな答えを考えてみました。「生物」の定義は難問です。この入試問題は、あらかじめ条件を提示して答えを誘導している設問だったのです。インターネットでの議論はかなり飛躍が見られましたが、それはそれで楽しんで投稿しているようです。一方でネットの「無責任さ」を感じますが、それゆえに「気軽さ」を楽しむこともできるのでしょう。ところで、「ドラえもん」と言えば、神奈川県川崎市に「藤子・F・不二雄 ミュージアム」があります。先月末(1月25日)から、「原画展大長編ドラえもん」が開催中です。来年1月まで1年間かけての一大企画です。どんな世界が待っているのか、楽しみです。興味のある方はこちらをご参照下さい。ミュージアム最寄り駅(小田急線)では、「ドラえもんの歌」が電車発着時に流れます。また、小田急線では「ドラえもん電車」(ラッピング電車)が走っています。(「ドラえもん電車」はこんな楽しい電車です)最後は宣伝になってしまいましたが、「ドラえもん」が登場する、楽しい入試問題の話題でした。
2013年02月08日
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近年の「コトバ」に関する話題です。平成21年度『全国学力・学習状況調査』中学校の国語A1「鑑賞文を書く」の問題です。「この絵の特徴は、どの角度から見ても女性と目が合います。」は「この絵の特徴」と「目が合います」との言葉の関係が不適切です。この分の内容を変えないように、「合います」の部分を適切に書きかえなさい。中学3年生の正解率は約半数、50%でした。国語最初の問題なので、作成者も「簡単な問題」をまず解いてから、というつもりで出題したようです。しかし、なんと半分の生徒しか正しく言い換えられていませんでした。報告書によれば、「合ってしまいます」「合う」「合います」などの誤答が目立つ。つまり、「特徴は」という主語に対応しない述語を答えているわけです。本来は「合うということだ」「合うことです」などと、主語に対応する言い方に改めなければ成りません。出題者は「主語と述語との体覆う関係」を聞いているのに、答える生徒は「文末表現の問題」と解釈しているようです。近年の中学生は「主語と述語との対応関係」にはあまり注意していない、ということが言えるでしょう。抽象名詞を主語とする文は、述語との対応関係をしっかり意識していないと「おかしな言い方」を生み出す場合がよくあります。例えば、「将来の夢は宇宙飛行士になりたいです。」がそうです。では、なぜこうした「主語をあまり意識しない述語表現」が違和感なく用いられるのでしょうか。一つは、「書き言葉の退化、話し言葉の優先」という状況があります。現代では、より話し言葉優先の傾向が進んでいると言えるでしょう。「この絵の特徴はね。どこから見ても中の女性と目が合うんだよ。」といった、こま切れの会話文からの連想が働いていると考えられます。少し長い文になると、主語と述語との関係はさほど気にしなくなってしまう傾向があります。「私は…」「あなたは」…という単純な主語の場合は問題ないのですが、抽象名詞や無生物主語となると、述語の乱れはより顕著なものとして表れます。もうひとつは、「日常使う言葉の短文化」という傾向が指摘できます。言うまでもなく、現代中高生の間では、メールやライン、チャットなど、短文のやりとりが日常化しています。「長い文を書くことも、読むことも少なくなってきている」現代人の日常が反映されている気がします。古文がそうであるように、日本語はもともと主語をあまり明確化しません。主語と述語とを正しく対応させることが日本語を使う上でどうしても必要かというと、それもいかがなものかと思います。ただ、現代中学生が「特徴は…」「夢は…」という主語を使って、きちんとした日本語を使うことが出来なくなってきていることは、調査で明らかになっています。願わくは、メールやラインのような「普段使いのコトバ」と、文章用語としての「書き言葉」とが使い分けられる、そんな能力を身につけてくれれば、と思っています。さらに、「長い文章を読む力」も含めて、きちんと日本語を学ぶことを考えるようになれば、今回の話題もよしとすべきでしょう。
2013年02月06日
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対馬では2012年10月上旬、文化財を狙った窃盗事件が連続しておきました。仏像から貴重な「大蔵経」など、数多くの重要、指定文化財が盗難に遭い、対馬の方々の深い悲しみを誘いました。その一部が、3ヶ月後の今月下旬になって韓国で発見されました。「朝日新聞」2013年1月29日の記事を引用します。韓国の警察当局は29日、長崎県対馬市の神社仏閣から、日本国指定の重要文化財を含む仏像2体などを盗んで密輸入した疑いで、韓国人の窃盗グループら男5人を検挙したと発表した。仏像2体は押収され、韓国文化財庁が保管している。 大田(テジョン)地方警察庁によると、犯行グループは計8人前後とみられ、うち窃盗役の3人が昨年10月、対馬市の海神神社で国の重要文化財の銅造如来立像を、観音寺で県指定有形文化財の観世音菩薩坐像(ぼさつざぞう)を盗んだ疑い。仏像2体は船で福岡から釜山に持ち込まれ、闇のルートで高価で売買されようとしていたという。 仏像2体を保管している韓国文化財庁は近く、日本から関係者を呼んで鑑定を実施。本物だと確認されれば、日本側の要請を踏まえて返すことになるという。 ともに、大変貴重な仏像で、対馬の大きな財産の一つです。「やれやれ、これで一安心」かと思ったら、対馬への「返還」をめぐって、韓国では問題が起こっているようです。海神神社の「銅造如来立像」は、とても保存状態が良く、韓国の専門家が「国宝級」と賞賛するほどだそうです。問題はもう一体の仏像の由来です。観音寺の「観世音菩薩坐像」について、「長崎県webページ」に、以下の記述があります。像内から発見された結縁文(けちえんぶん)に「高麗国瑞州浮石寺」「天暦三年」などの記述があることである。浮石寺は朝鮮半島忠清道瑞山郡にあった寺で、天暦3年は中国・元の明宗の年号で、高麗の忠粛王17年に相当し、西暦1330年にあたる。朝鮮半島の高麗銅造仏で、制作時と安置寺院のわかるものは稀であり、誠に貴重な尊像といえる。観音寺の「観世音菩薩坐像」(長崎県HPより)つまり、もともと韓国で14世紀に製造された仏像で、由縁のはっきりしたきわめて珍しいのものであったのです。1月31日付「J-CASTニュース」に、驚くべき事態が報じられていました(以下、抜粋)。対馬の仏像盗難事件 韓国で「日本に返す必要ない」の声「観世音菩薩坐像」の扱いについて議論が噴出している。この像は、像内に残された文書から、1330年に韓国西部の瑞山市にある浮石寺で造られたことが分かっている。 聯合ニュースによると、この浮石寺の信徒会が、像は日本に略奪されたものだとして返還に反対する運動を展開することになった。地域住民も「日本大使館への抗議活動など、多角的な返還運動を繰り広げるだろう」などと話しているという。朝鮮日報は、「日本への返還めぐり意見分かれる」と両論併記。中央日報も、「布教目的で仏像を渡した可能性がある」「略奪の可能性を排除できない」と、同様だ。だが、前出のSBSは、「日本側は、具体的な流入経路をごまかしたまま、可能性が薄い話を並べている」と日本に渡った経緯を疑問視している。ソウル新聞は逆に、論説記事で「倭寇や、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時の倭軍の略奪を思い出させることができるが、やはり証拠はない」と、仏像を日本側に戻すべきだと主張している。なんと、対馬への「返還」を拒否するだけでなく、日本大使館への抗議行動などと、物騒な話題まで発展しています。さらに、韓国報道では「倭寇」や「文禄・慶長の役」まで持ち出してきています。確かに、かつての日本人による略奪や秀吉の朝鮮出兵など、反省すべき過去は忘れてならないこととしてあります。しかし、盗んだ仏像を返さずに「日本へ抗議活動」を行うとは、どうも大人げない気がします。「竹島領有」と絡む複雑な感情問題に発展しないことを望みます。「国境」や「領土」をめぐる問題だけでなく、国と国との問題はとかく肥大化していく傾向があります。今後の成り行きに目が離せませんが、対馬ファンの一人としては、大事に守ってきた対馬の方々のご苦労と、対馬の方々の仏像への思い入れをよく考えて、なんとか穏便に「返還」への道筋をつけるべく、韓国大使や日本政府に力を尽くして頂きたいと願っています。
2013年01月31日
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今年のセンター試験「国語」の大問1に小林秀雄『鐔』が出典として使われました。センター試験の問題は、各新聞社や予備校のwebに公開されています。また、間もなく大学入試センターからも公開されます。(参考)YOMIURI ONLINE→2013年センター試験問題国語の平均点が話題となっています。(1月24日大学入試センター発表)国語の平均点が(200点中)100点を割り込んでいます(例年115点前後)。その国語平均点が低下した原因として、小林秀雄の文章が「難解」で現代の高校生には読みにくかったためか、との指摘があります。そこで、次の記事に注目してみました。【朝日新聞受験NEWS】(1月24日)より抜粋●いきなり難解、受験生苦しむ 同センターによると、過去の国語の平均点が最も低かったのは、2003年の101・08点(200点満点)。中間集計は1~2点の誤差があるが、現段階の数値が変わらなければ、過去最低となる。 今年の国語の問題は例年通り、評論、小説、古文、漢文から1問ずつ。大手予備校の自主集計によると、1問目の正答率が軒並み、例年に比べて低かった。出題されたのは小林秀雄の「鐔(つば)」。刀の鐔の歴史に始まり、その美しさについて思いを巡らせた随想で、脚注だけで21個、鐔を示すイラストまで添えられた。 小林秀雄(1902~83)は戦前から活躍した批評家で、「近代批評の神様」とも言われた。代表作「無常といふ事」のなかの一文「美しい『花』がある 『花』の美しさという様なものはない」のように、意表をつく言い回しが多いために文意をとりにくく、昔から受験生を苦しめてきた。 ●以前から批判、成功かは微妙 代々木ゼミナールによると、小林作品は今世紀に入ってからも年に10大学前後の入試に出ていたが、この3年は激減。土生昌彦・教材研究センター本部長は「小林を入試に出すことについては以前から批判があり、成功したかどうかは微妙なところだ」と話す。 駿台予備校によると、受験生からは「じっくり読まねばならず、配分がうまくいかなかった」「過去問の傾向と違い、読み慣れていない文章で戸惑った」などの声があったという。 センター試験問題を分析したベネッセの内山公宏さんは「小林の文章は評論でありながら、随筆風に展開されている。高校生にとっては難解だった」と話す。 基礎的な学習の達成度を判定するセンター試験の国語の問題に小林秀雄の文章が出たのは、79年に始まった前身の共通1次試験を含めても初めてだ。 問題は平均点が6割になるのを目指して作っており「問題が難しかったということは、点数的には言えるだろう」と同センターは話す。ただ「それが小林秀雄だからか、というのはわからない。四つの大問の一つに過ぎず、難度は設問との関係もある」としている。(引用以上) 小林秀雄は、かつて高校教科書の定番でしたが、今やほとんどの教科書から姿を消してしまった「惜しむべき名筆家」の一人です。これも、かの「ゆとり教育」の副産物でしょうか。何でも「わかりやすく」「内容削減」を目指した結果でもあるのでしょう。確かに、「センター試験」は全国共通試験であり、公平性や標準を目指すことが求められるのは性格上しかたのない宿命です。しかし、一方で「この程度の文章を読解する力をつけてほしい」「小林秀雄レベルを復活したい」という出題者のメッセージも感じます。『鐔』は昭和37(1962)年に書かれた随筆です。小林60歳の作品、さほど古い文章ではありません。実際にどんな文章なのか味わってみましょう。「名文」たる部分を三箇所だけ個人的な好みで引用してみます。「人間はどう在ろうとも、どんな処にでも、どんな形ででも、平常心を、秩序を、文化を捜さなければ生きて行けぬ。」応仁の大乱という乱世にあっても、乱心を以て処することのできない刀工の「止むに止まれぬ人心の動き」を「平常心」「秩序」そして人間の「文化」にまで広げて語る表現のおおらかさが実感できます。「魅力に共感する私達の沈黙とは、発言の期を待っている伝説に外なるまい。」本物の魅力は自然と伝説を生み出すもので、それが事実かどうかはあまり面白くない問題だという主張を「私達の沈黙」と伝説の「発言」という表現で簡潔に言い表しています。「鐔の面白さは、鐔という生地の顔が化粧し始め、やがて、見事に生地を生かして見せるごく僅かの期間にある。その間の経過はいかにも自然だが、化粧から鐔へ行く道はない。」「下克上」の産物たる鉄鐔が、平和の世となり刀の飾りとなる。そうなってしまったら、もう面白くないという感想を小林流に表現しています。表現の広がりがあると思えば、妹陽を凝縮した簡潔さがある。うっかりすると比喩的でない誇張表現に惑わされてしまう、そんな危うさ、作家と読者との緊張感が小林秀雄の文章には随所にちりばめられています。小林秀雄の「鐔」に対する強い思い入れと教養の深さが表現の下敷きにあるため、さらに力の入った文章となっています。小林秀雄成熟期の、小林らしい味のある文章で、高校生にも読んでほしい作品であったと評価して良いと思っています。「名文」とは、個人の主観に拠るところもあるので、判断が難しい面があることは確かです。賛否両論あるようですが、今年の「センター試験問題」をもとに「国語で読む文章」が話題となるかも知れません。
2013年01月26日
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またしても「上の人」が現場を顧みない暴言を弄して物議を醸す騒動が起きています。大阪市の橋下市長が、突然「来月の高校入試を中止する」と公言した問題です。昨年、田中真紀子前文科相が起こした大学不認可問題の際も、本人は発言をエスカレートさせていました。今回の騒動はどんなかたちで収束するのか、世間の関心が高まっています。本日の読売新聞記事から引用します。【桜宮高問題巡る橋下市長の発言が過熱】大阪市立桜宮高校で体罰を受けた男子生徒(17)が自殺した問題を巡り、今春の入試で同高体育系2科の募集中止を求める橋下徹大阪市長が発言をエスカレートさせている。同高教員の総入れ替えや廃校の可能性まで言及。在校生や受験生の思いをなおざりにした対応に批判が上がる。高校時代に自らも厳しいラグビー部生活を送った橋下市長は、問題発覚後も「試合中にビンタすることはあり得る」などと体罰を容認する発言を続けた。だが、12日に遺族宅を弔問した後、「スポーツ指導での体罰は一切認めない」と一転。3日後には同高の体育科とスポーツ健康科学科の募集中止を打ち出し、「場合によっては廃校もある」とまで踏み込んだ。入試が2月下旬に差し迫った時期だけに、市議会からは「市長の発言が事態を混乱させている」と批判が相次ぎ、「教員を入れ替えろと言うなら、まずは体罰を容認してきた自分が責任を取るべきではないのか」との声も上がる。募集継続を求める市立中学校長会の動きには、橋下市長は「教育者失格。そういう校長はいらない」と一蹴した。ある中学校長は「桜宮高校を目指してきた受験生たちの夢を一方的に摘み取るのは、暴力そのものだ」と憤る。 市教委が募集を中止しない場合、市長権限で関連予算を執行しない可能性を示したことにも反発が大きい。ただ、当の橋下市長はどこ吹く風だ。19日、記者団に「新しい教育方針が固まっていない段階で、新しい生徒をお迎えする方が無責任だ」と語るなど、一歩も引く構えは見せていない。 (2013年1月20日 読売新聞より抜粋)1ヶ月前に「入試中止」を宣言された生徒たちのやりきれない思い(怒り)はどこへ向かうのでしょうか?ゴールを目指して何年間も勉強を続けてきた受験生にとって、突然、文字通り「門前払い」されたわけです。この高校を受験したいと勉強に励み、高校でのクラブ活動を夢見てきた生徒だけでなく、ほかの受験生にとっても不安を引き起こすことになるでしょう。一市長の発言で、将来が変わってしまう不安定な学校制度では、安心して高校を目指す事ができなくなります。高校自体に大きな問題があったのは確かです。しかし、教育、学校は一般企業とは違います。不祥事を起こしたから営業停止処分をして、すぐに改善されるものではありません。相手は成長過程にある子どもたちです。そこを忘れることは教育を放棄することと同じです。原点に戻って、まずは冷静に考えてほしいと思います。不幸にも命を絶つことを選んでしまった生徒は何を訴えたかったのでしょうか?彼の気持ちをよく考えて、問題点を徹底的に改めることは絶対に必要なことです。しかし、その方法として、学校を廃止する、しばらく生徒を受け入れないことがどうしても必要なのでしょうか。バスケットボールを愛していた、スポーツを楽しんでいた、そして、将来を夢見ていた生徒は自分の母校をそこまで憎んでいたのでしょうか?バスケット、スポーツ、学校でなく、「人間」に問題があったことは明らかです。抜本的な教員の移動、生徒たちへの十分な心のケアを大前提として、絶対に体罰のない指導体制を作ること。学校を存続して、自殺した生徒の思いをきちんと形にして今後につなげていくことを考えていくべきだと思います。学校は常に動き変わる「生き物」という側面があります。すぐに「停止」や「廃止」をすることで解決するのではなく、「変わっていく」姿を世に示して、生徒の思いを形のしていくことをみんなで考えていくべきでは内でしょうか。受験生への配慮は一生に関わることなのでとても大切なことですが、今いる生徒たち(自殺した生徒を含めて)の思いをくみ取って上げることも必要だと思います。今回の発言は、実は重大な問題を含んでいると思い、ながながと書いてしましました。教育の問題は慎重さが大切です。相手は子どもたちです。決して、子どもたちを犠牲にする「拙速」とはならないよう、今後この問題を見つめていきましょう。
2013年01月20日
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いよいよ明日から大学入試センター試験が行われます。昨年11月30日付大学入試センターの発表によると志願者数は、57万3,344人で、前年度比1万7,807人増。既卒者は前年度に比べて約2,000人の減、対して現役生が約20,000人増えたそうです。受験者が増加したのは、参加大学・短大が840大学に増え、過去最高の参加校数となったことと関係しています。特に今年は、現役志願率が、42.1%で「過去最高」を記録しています。こう書くと、センター試験が全国共通テストに近づいて、その有効性が実証されているかに見えます。しかし、実態はどうでしょうか。早稲田大学は「センター利用入試」導入を継続していますが、慶応大学や上智大学はセンター利用での入試を見送っています。理由はいろいろあるでしょうが、やはり「センター試験」では大学が望む学力や動機を捉えきれない、いわば「共通」過ぎて、私立大学のほしい個性にはそぐわないという事情があると思います。「基礎学力」をまずは知りたいならば「センター試験」だけで十分でしょうが、その上に改めて学部ごとの個性を求める試験を行うならば、二度手間ということになります。その労力を別の試験や採点に費やした方が大学にとって有効であるという判断があるのかも知れません。今や、難関大学では「センター試験」をあまり信用していない向きがあるように思えます。最も、明治大学(早稲田大学も)などのように、センター試験だけで合否を判定し、多額の受験料と入学一時金を確保している大学は多く、こうしたメリットは捨てきれないという事情もあるのでしょう。受験生にとっても、一度試験を受ければ何校何学部でも受験でき、「数打てば当たる」的なメリットを感じている人がたくさんいることも確かです。お互いの「目先の利益」を考えれば「センター利用入試」は得るところがそれなりにあるのでしょう。(それにしても、一部の大学はセンター試験で受験生から多くのお金を吸い上げている観は免れませんが…)。本来の「大学入試」とは何か、をきちんと考えるならば「センター試験」の利用方法はもっと慎重でしかるべきといえるでしょう。東大や一橋、京都大学など、国立でも確固たる入試への姿勢がある大学は「センター試験」の配点を低くして、第一次選抜の資料程度に「利用する」ことを考えている大学もあります(しかし、現状それなりにセンター試験の配点を置いてはいるようですが)。国立大学である以上、センター利用入試を行わざるを得ず、あまり利用しないと風当たりが強いという雰囲気があるのかも知れません。世間も「国立大学のためのセンター試験」という見方が一般的です。さて、そんなセンター試験ですが、昨年ずいぶんと叩かれました。問題冊子の配布にあたって、会場ごとに地歴の配布と解答方法が異なっていたり、ひどいものはリスニング機材を運び忘れるという、考えられない初歩的なミスもありました。昨年は、地歴科の受験方法が変わり、もともとの配布方法や設定に問題があったためミスが多発しました。さすがに、今年は「改善策」を十分考えているようで、対策も大げさに報道されています。【センター試験 大学も緊張】◇昨年ミス続出を反省 「慣れていると思い込み、試験監督のマニュアルをしっかり読んでいない教員もいた」 昨年、ミスにより再試験の実施を余儀なくされた愛知教育大(愛知県刈谷市)の入試課は、原因をそう分析した。同大は「地理歴史」「公民」で、試験冒頭に2冊同時に配布すべき問題冊子を1冊しか配布しなかったほか、「数学」では板書しなければならない問題文の訂正を書き忘れた。 こうした事態を防ぐため、昨年12月から今月にかけ、センター試験に携わる教員らへの事前説明会を計4回実施。前年は2回で、出席率は88%にとどまったが、今年は260人全員が出席した。林光春入試課長は「マニュアルを丁寧に読んでミスのないようにお願いした」と強調する。 同様に問題冊子の配布ミスがあった三重大(津市)。従来は配布方法を定めていなかったが、今年はまず解答用紙を配り、漏れがないかチェックしながら問題冊子を配布するよう徹底させ、受験生の手元にあるかどうかを口頭で2度確認する。説明会の欠席者に対しては個別に説明するという。名古屋大でも、教員ら約500人に対する説明会を11回にわたって開いた。 朝日大(岐阜県瑞穂市)は、昨年のミスの経緯を説明し、なぜ起きたのかを理解してもらうとともに、機器トラブルが起きやすい英語リスリングの進め方を重点的に確認。修文大(愛知県一宮市)では、問題を配布し、英語リスニングの機器を作動させる「実践リハーサル」を行った。 大学入試センターでは昨年のミスを検証した上で、「地理歴史」「公民」の2冊を透明のビニール袋でくるむ方式に変え、配布漏れを防ぐ。科目の多い「地理歴史」「公民」と、「理科」については、試験前の説明時間を5分延ばして25分にしたほか、受験生50人ごとに試験監督の補助者を1人つけるよう各大学に要請した。 (2013年1月15日 読売新聞より抜粋)【大学入試:センター試験 「ミスできない」主催者ピリピリ】 ◇受験生へ説明長く/問題冊子束ねて配布/監督者説明会2回に昨年は問題冊子の配布ミスなどが全国で相次ぎ、265人が再試験を受けた。大学入試センター(東京都目黒区)や試験会場を運営する各大学は、あの手この手でミスをなくそうとしている。東北大(仙台市)では昨年、同大から気仙沼高校会場(宮城県気仙沼市)に英語リスニング試験用のICプレーヤーを運ぶのを忘れ、リスニング試験開始が2時間も遅れた。今年は、気仙沼高校会場の運営を宮城大学に変更した。東北大広報課は「1大学が離れた試験会場を担当するとミスするリスクがある」と説明。今回は宮城大で受験する約700人分を東北大が受け入れ、宮城大は気仙沼高校会場、東北大は同大会場にそれぞれ専念するという。問題冊子の配布ミスの中でも、全国最多の190人に影響を出した北海道大。昨年は1回だった教職員などセンター試験監督者向けの説明会を増やし、2回とした。さらに昨年は26%が説明会を欠席したため、説明会を録音したCDも作製し欠席者に配布する念の入れようだ。静岡大も説明会をビデオ撮影し欠席者に見せるようにした。============== ■大学入試センター試験の昨年の主なトラブル内容 影響を受けた人数 試験会場数問題冊子配布ミス 3452人 98試験時間の繰り下げ 4053人 48リスニング機器未着 202人 1(毎日新聞 2013年01月12日 東京夕刊より抜粋)大規模な入試のため、実施する側が「慣れによる弊害」を生んでいた実態が読み取れます。入学試験は、問題なく普通に行われることが大前提で成り立っています。「普通に行う」ために、これだけ対策をしなければならないということは、そもそも内容や実施方法に無理がある気がします。しかも、「昨年は26%が説明会を欠席したため、説明会を録音したCDも作製し欠席者に配布する」とはいかがなものか、と思います。受験生にとって一生を左右することもある大事な入試に関する説明会に四分の一が欠席をするとはどういうことでしょう。欠席者にCDを配布するなどお笑いごとのようです。きちんと全員に何度でも説明会を実施すれば済むことでしょう。こうした態勢では「今年はどこでいくつミスがあるやら…」と思いやられてしまいます。自民党政権は大学入学試験においても、もっと大規模な共通テストを検討する方針があるようです。なんでも「一律化」ばかりを目指すのではなく、もっと自由に個性を尊重した大学入試を考えるなど、大学が安易にセンター試験に便乗するだけではないかたちを模索していく必要があると思っています。現状では、このセンター試験を無視すると受験できる大学がかなり限られてしまいます。仕方なくもセンター試験を受ける以上は高得点目指して慎重にマークシートを埋めてほしいものです。何にしても明日から受験シーズン本番。まずは「大学入試センター試験」が「無事に」「普通に」行われることを願っています。
2013年01月18日
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「体罰」によって一つの尊い命が失われた「事件」がニュースで流れています。自殺した高校生がどれだけ追い詰められていたか、それを考えるだけでも胸が締め付けられる思いです。にもかかわらず、体罰事件を起こした顧問は「たたくこと」は「体罰ではない」と認識していたと報道にあります。2011年9月に大阪市の公益通報窓口へ「体罰が横行している」と告発の電話が寄せられた際、顧問は当時の校長の聞き取りに対し、「体罰はしていない」と答えていた。(読売新聞記事より)「体罰」が違法行為であることから、言い逃れをしているとしか考えられません。このような誠意のない態度では「誤った教育」が改められることは難しいと思ってしまいます。「体罰」は、学校教育法で厳に禁止されています。学校教育法第11条校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。文科省は平成19年2月に「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」という通知を出しています。その中で、体罰について「身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。」としています。教師が生徒を「たたく」行為は、明らかに「身体に対する侵害」に該当します。 学校側の「言い訳」は、あまりにも無知で、いい加減です。ただし、文科省は、先の通知の中で以下の行為は「通常体罰に当たらない」としています。○放課後等に教室に残留させる(用便のためにも室外に出ることを許さない、又は食事時間を過ぎても長く留め置く等肉体的苦痛を与えるものは体罰に当たる)。○授業中、教室内に起立させる。○学習課題や清掃活動を課す。○学校当番を多く割り当てる。○立ち歩きの多い児童生徒を叱って席につかせる。具体的すぎて、少しあきれる気がします。そんなことよりも、「体罰の本質」や「教育の原点」について、もっと真剣に議論をしてほしいものです。 そんななか、元プロ野球選手である桑田真澄さんの「体罰論」が注目されています。「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」-桑田真澄さん経験踏まえ私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。(朝日新聞デジタル 1月11日の記事より抜粋)「体罰は必要ないと考えています。『絶対に仕返しをされない』という上下関係の構図で起きるのが体罰です。」「スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。」この考え方は、体罰を受けてきた経験者だからこその実感を含むものでしょう。また、スポーツの指導者だけでなく学校における教師と生徒の関係にも当てはまる問題です。「指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。」まさに、その通りです。暴力でしか相手を思い通りにすることができない人間は「努力」をしない、「弱い」者と言えるでしょう。「体罰」は卑怯であり、安易であり、教育から逃げることに他ならないのです。「体罰」を全否定すると、よく現場の先生が「仕方なくやっている」「愛情があれば効果がある」という言い方をします。「現場を知らない者が何を言うか」と逆ギレをする場合もあります。しかし、法律云々の前に「暴力」で押さえつけるしかない自分の「指導力」の限界、「教育力」のなさを自覚すべきです。まず、「教育はいかにあるべきか」から考え直していくことが大切でしょう。まだまだ、「暴力は愛のムチ」などという「誤った教育」が横行している現場があります。今回の悲劇を繰り返さないためにも、まず「体罰は違法行為であり、犯罪である」という正しい認識を世間一般が共有することが必要だと思います。今回の事件をきっかけに、「教育の原点」について、生産的な議論がなされる必要があると思います。桑田真澄氏の勇気ある言動に今後も期待しつつ、スポーツ界が学校が変わっていくことを願っています。
2013年01月13日
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近頃、気になる話題を一つ。あの、楽しくて美味しい「ワカサギ釣り」が厳しい状況に陥っています。(群馬県赤城山大沼での氷上ワカサギ釣り)以下、最近の記事から引用します。冬の風物詩である赤城大沼(前橋市)のワカサギの穴釣りが4日、解禁された。国の基準値(1キロあたり100ベクレル)を超える放射性セシウムの検出が続いていることから、釣ったワカサギは持ち帰ることができないが、早朝から集まった約150人の常連客らが釣りを楽しんだ。 今年の解禁は例年より1週間ほど早く、氷の厚さは平均18センチほど。生育状況は良く、11~12センチ程度のワカサギが釣れるという。 県によると、11月18日に採取したワカサギからは1キロあたり170ベクレルの放射性セシウムを検出し、国の基準値を上回った。赤城大沼漁業協同組合の青木泰孝組合長(63)は「一昨年に比べれば客は半数以下で、家族連れや初心者が少ない。数値は徐々に下がっているので、来年は普通に解禁できるように待ちたい」と話した。 穴釣りは、3月まで楽しめる見込み。入漁料は1日700円。魚は4か所の沼の入り口か各店に設置してある箱で回収される。 (2013年1月5日 読売新聞より抜粋)「氷上ワカサギ釣り解禁も…セシウム基準値超」 持ち帰り「不可」客激減10日午前、赤城大沼の氷上。寒さよけのテントや小屋を張った釣り客は糸を垂らし、ワカサギ釣りを楽しんでいた。その数約10人。今年の解禁は例年並みだが、昨年の解禁は3月だった。一昨年3月の東京電力福島第1原発事故の影響で、同年8月時点でのワカサギの放射性セシウム濃度は1キログラム当たり680ベクレル。当時の暫定基準値(同500ベクレル)以下になるまで時間がかかったのだ。最近はセシウム濃度が同100ベクレル台まで下がってきたが、昨年4月に新基準値(同100ベクレル)が設けられたことから、依然として基準値超の状態が続く。このため、釣りは解禁されてもワカサギは持ち帰れず、回収が条件となっている。釣り客は出入り口に置かれた回収箱に入れるか、遊漁券を買った店に持参しなければならない。一方、赤城大沼と同様、氷上ワカサギ釣りができる榛名湖(高崎市)の状況はより深刻だ。放射性物質検査をする検体のワカサギが不漁で採取できず、解禁の見通しすら立っていないのだ。高崎市榛名支所は「ブラックバスの繁殖やプランクトンの影響が考えられるが、はっきりした原因はわからない」とし、「魚がいないと解禁すら難しい」と頭を抱えている。(産経新聞 1月11日(金)より抜粋)群馬県前橋市にある赤城山大沼(おの)は、関東でワカサギ釣りの解禁が最も早いため、毎年近県から多く人が訪れ、とても賑わっていました。赤城山は観光地としての歴史も古く、夏は登山と避暑地として、冬はスキーとワカサギ釣りで知られています。一昨年の東日本大震災による東京電力福島第1原発事故の影響で、ワカサギから基準値を超えるセシウムが検出されて、釣り愛好家だけでなく周辺の旅館やホテルも大きな打撃を受けています。原発事故は、ここにも大きな被害をもたらしているのです。特に赤城大沼漁業協同組合の組合長でもある青木泰孝氏が経営する「青木旅館」では、影響が大きく現在でも厳しい状況であるそうです。私も、何度かお世話になったことがあるので、なんとか頑張ってほしいと願っています。「青木旅館」は赤城では最も歴史のある旅館で、風格のある落ち着いた建物と暖かいおもてなしで人気があります。そんな「名旅館」が厳しい状態にあることは悲しいことです。→「青木旅館」のHPはこちらです。ワカサギ釣りだけでなく、赤城山へは観光、登山など旅行でも楽しめます。近場で良いところなので、なんとかして利用者が増えてほしいものです。そんな中、榛名湖ではワカサギが不漁であり、山中湖では、ワカサギ釣りのドーム型乗合船で、小学生らが一酸化炭素(CO)中毒で病院に運ばれるという事態も発生しました。3日午前8時頃、山梨県山中湖村の山中湖で、ワカサギ釣りのドーム型乗合船を運航する貸しボート業「なぎさ」から、「乗客が頭痛を訴えている」と119番があった。小中学生ら4人が一酸化炭素(CO)中毒と診断され、いずれも軽症という。山中湖では昨年12月24日にも別業者の同型船で、石油ファンヒーターの不完全燃焼が原因とみられる一酸化炭素中毒が発生し、小学生3人が病院に運ばれた。これを受け、「なぎさ」は船に電動エアコンを新設。3日は午前7時の出航直前までの約3時間、石油ファンヒーターで船内を暖め、運航時にはヒーターを船から降ろしていたという。ただ、出航の際は窓の開放などによる換気はしなかったといい、「運航前に使ったヒーターからの一酸化炭素が滞留したのではないか」とみる捜査関係者もいる。(2013年1月4日 読売新聞より抜粋)昔は、釣ったワカサギをその場で鍋に入れて食べてみたり、その日のうちに唐揚げで楽しんでいました。1日で束釣りのできるダイナミックさもある釣りです。見た目にもかわいい魚ですが、食べても絶品のワカサギ。何とかこれからもずっと付き合っていけるよう願っています。
2013年01月11日
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今年は、季節の話題から入りたいと思います。昨年暮れ、「読売新聞」朝刊に「七十二候」に関する特集記事が載っていました。「二十四節気」をはじめ、「七十二候」という細かい暦の入ったカレンダーが人気だそうで、一つの「暦ブーム」が起こっているそうです。日本人として、改めて季節感を楽しみたい、そんな心の余裕が出てきているとすれば、素晴らしいことです。「七十二候」とは旧暦で、1年を72に分けた5日または6日間を1候とし、その時候の変化を示したもの。旧暦のもっている太陽暦の要素である。(「広辞苑」第六版)七十二候は中国で生まれたものですが、日本との気候の違いや日本では名前がない動植物名があったため、時代や編者によって何種類もの版があるようです。つまり、日本の気候や生き物に合わせた暦であるわけです。現代では、明治時代発行の伊勢神宮略本暦に記載されたものに準拠して当てはめるものが多いようです。本日、平成25年の1月5日は、二十四節気「小寒」で「初候」、さらに「七十二候」では「芹乃ち栄う」に入ります。「小寒」は寒の入り。どおりで寒いはずです。一方、「芹乃ち栄う」というと、「芹」→「春の七草」→「七草がゆ」を連想します。そういえば、明後日7日は「七草がゆ」の日です。(「春の七草」のわかりやすいイラストがありました)ちょうどこの頃に成長するの芹をはじめ、なずな、はこべら、すずな、すずしろ、ごぎょう、仏の座が春の七草です。人日(じんじつ)の節句(1月7日)に、この七草を粥にして食べて、無病息災を祈ります。もともとは、中国伝来の風習であったようで、日本でも平安中期頃にはお粥を食べる行事があったそうです。「人日」は「人を占う日」で、この日に「七種の菜」を汁物にして食べ、邪気を払う行事が行われていたようです。「七草粥」を食べながら、「今年一年の人」を占う、そんな伝統があったのですね。もっとも、現代では、お正月に疲れた胃袋を整える意味が大きいようです。今日の「七十二候」から「芹」そして「七草粥」さらには「一年の計」まで話が飛びました。「暦」からは、季節感だけでなく、日本人の生活が見えてきます。たまに、今日の「暦」をチェックしてみるのも面白いものです。暦は、生活に密着した便利なものでもあります。特に農業に携わる方には必要不可欠なものでした。現代、そうした農業の恩恵にあずかる私たちも、改めて「暦」の意味深さを考えてみてもいいかもしれません。さらに「大寒」に入るのは1月20日、まだまだこれから本格的な寒さが続きます。「暦」とともに寒さを乗り切りましょう。今年も、健康で平穏な年となりますように、お祈りしています。
2013年01月05日
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「不認可問題」など、大学の設置基準の見直し、規制緩和の弊害が叫ばれる中、文部科学省は、大学設置基準の規定緩和を発表しました。以下、先日の「YOMIURI ONLINE」からの引用です。文部科学省は、前期・後期制で「週1回15週」が主流となっている大学の授業を多様化し、1年を4分割して週2回の授業を8週間で集中実施する「クオーター(4分の1)制」を認めるなど、学生が学習に集中できる授業づくりを後押しする方針を固めた。 近く大学の授業期間を定めた大学設置基準の規定を緩和する。 日本の大学では、学生が毎週10科目程度を履修するのが一般的だが、多数の科目を同時並行で履修するため、学生が消化しきれていないと指摘されてきた。 一方、米国の大学では履修科目は5科目前後で、各科目の授業は週に複数回ある。早稲田大から米コロンビア大に留学中の女性(20)は週4科目履修しているが、全ての科目で予習が必要で、「少ない科目に集中した方が身に着く。多くの科目を同時に履修したら、毎回準備できるはずがない」と話す。 こうした米国式の授業を参考に、一部の大学でクオーター制の導入が広がり始めている。 立命館アジア太平洋大(大分県別府市)は2002年度からクオーター制を導入した。学生は1週間に平均5科目を履修。討論や発表を行う授業もあるため予習は必須で、学習時間の増加につながっているという。ただ、ゼミや卒業論文の作成などは対象外。1997年の開学時から採用している高知工科大(高知県香美市)も「じっくり考えさせたい授業は、短期集中のクオーター制には向いていない面もある」とする。 1年を4学期に分けると、授業の開始時期が年4回になり、入学時期が日本と違う国からの留学生の受け入れや送り出しにも好都合。これに目を付けた早稲田大でも13年度から全学部で順次、導入するという。 (2012年12月27日19時32分 読売新聞)日本の「じっくり講義型」学問修得法から、米国式の「討論・発表型」授業への転換を目指すものでしょう。前後期制で10科目程度履修する日本の大学では、「多数の科目を同時並行で履修するため、学生が消化しきれていないと指摘されてきた」そうです。そこから、米国の大学のように「履修科目は5科目前後で、各科目の授業は週に複数回ある」かたちへ移行していく、そのため、授業の予習が必須で学生が特定の科目に集中できるといいます。こうした「短期集中のクオーター制」は、留学生の受け入れにも好都合で、早稲田大学は早速来年度から全学部で順次導入する予定だそうです。振り返って、今の大学生に「大学に入ってからが本当の勉強だ」「授業の予習をみっちりこなす」「短期集中で留学生と討論し合う」気構えと実力が身に付いているのでしょうか?あるいは逆に、制度から入って今後アメリカ式の授業を目指していこうという考え方なのでしょうか。そうであれば、現行の知識型大学入試制度も見直しが必要でしょう。かつての「受験地獄」ではないですが、いまだなお厳しい受験競争を強いられる上位大学では、入学後の学生が「大学では少しゆっくりしたい」と思っているケースがまれではないようです。こうした「頭でっかち」な学生を鍛え直すために東大のギャップイヤーや特別休学制度の導入があったはずです。高校生たちが「大学へ入って本当の学問、研究に本腰を入れたい」と思える基礎力を試すかたちの大学入試を考えていくことも必要だと思います。またしても「欧米型」=先進的な教育というステレオタイプの発想で、「まずは制度から」という近視眼的改革を導いてしまう危険性があるという気がします。こうした制度の問題点をよく吟味した上で、どんな形で「クオーター制」を何のために導入するのか、じっくりと検討してほしいものです。良い点は早く実現すればいいわけで、「二期制」と「クオーター制」との併存も考えてみてもよいと思います。いずれにしても、受験生や大学生の混乱を招かぬよう「拙速」だけは避けて十分に議論していくべき問題でしょう。今月誕生した自民党政権は、留学生受け入れ(特にアジア系)にかなり積極的な政策を考えているようですが、まずは国内の学生をどう育てるかについて、足下をしっかりと固めることも大切だと思います。こちらも「拙速」とならぬよう注意して見守っていきたい問題です。
2012年12月30日
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来年度から、国立大・大学院の入学定員がついに減少となることを昨日のニュースが報じていました。18歳人口の減少が続く中、今まで減らしてこなかったことが異常で、いよいよ国立大学においても「淘汰の時代」が近づいてきている気配です。国立大学は、「誰でもどこでも学べる機会」の保証から人数を減らすことに文科省が後ろ向きであったこと。「専門性の高い高等教育」を推進して大学院定員を増やしてきたことによって、「入る対象」に反比例して「受け入れる」側での調整がなされてこなかった観があります。では、昨日、朝日新聞のニュースを見てみましょう。国立大、来春の定員減 「学生の質の保証」狙いも(朝日新聞デジタル「受験ニュース」2012年12月27日)朝日新聞によると、文科省の集計によって国立大・大学院の入学定員の総数が来年度、減少に転じる見通しが判明したそうです。「18歳人口が減る一方、例外措置があった年を除いて定員は増え続けていたが、大学進学率が5割を超す中、学生の質の確保を目的に定員を減らす大学も現れた。」とあります。では、「18歳人口」と「大学定員」の関係どうなっていたのか、分かりやすく表にしてありました。(国立大・大学院の定員数と18歳人口の推移)18歳人口は、第2次ベビーブーム世代が18歳になった1992年度に約205万人で戦後ベビーブームとなった60年代後半に次ぐピークを迎えました。その後は減少が続き、2012年度には約119万人まで減少しました。一方、国立大・大学院の定員は、1992年度の13万5067人から、2012年度は15万5212人に増えています。来年2013年度は今年より36人減って15万5176人となる見通しだそうです。 (過去の例では1999年度と2000年度に前年度比で減少したことがありますが、これは18歳人口のピークに合わせた定員増特例の解除に伴う例外的な減少でした。←表参照) 大学の学部定員に限った場合には減少の例がありましたが、一方で大学院の整備充実のため同時に大学院修士課程の定員を増やしたため、合計は増え続けていました。つまり、実質的な大学・大学院の定員増は新制史上初となるわけです。 朝日新聞が上げる「象徴的な」例は、佐賀大学。「学生の質の保証」のため経済学部の定員を275人から15人減らしました。歴史的には異例の「純減」です。学内調査で、入試倍率が2倍を切ると入学者の学力が下がる結果が出ており、2012年度に1.7倍だった経済学部の定員減に踏み切ったそうです。当然の措置です。受験者数と実質倍率を鑑みて、定員調整を行うことはごく自然のことと思われます。しかし、実際は定員の増減は文科省にお伺いを立てねばならず、そう簡単ではないようです。記事によると、 文科省の担当者は「国立大が、質の保証を目的に定員を減らすのは例がない」とし、「教育を受ける機会を奪わないよう、近くに同様のことが学べる大学があるかなどに配慮が必要だ」と話しているそうです。こうした旧態依然としたお堅い考え方ばかりしているから、先の「不認可問題」「大学の乱立」などという恥ずべき事態が引き起こされるのではないでしょうか。佐賀大学の佛淵(ほとけぶち)孝夫学長は「学力が低いまま入った子は、辞めたり卒業できなかったりするケースが多い。母数(18歳人口)が減っているのだから、定員を減らすのは当然。後に続く大学も増えるだろう」と切実な現状を説明しています。現場の実情を承知していない文科省が何をとんちんかんなご心配をしているのでしょう。本気で日本の教育、日本の将来を憂うならば、現場へ一任して大いに励ますのが筋でしょう。まだまだ「国立大学」は「国」に縛られた「立場」の大学のようです。全国国公立大学の学長さんたちには、学部の実情を憂慮して、「学問の発展」ばかりではなく、大学の自立こそが「学問の自立」につながることを改めて考えて頂きたいものです。その意味で、佐賀大学の定員「純減」は勇気のいる決断だったかも知れません。すでに、大学の「質」が厳しく問われる時代となっています。「国立大学」というだけでは生き残れない時代が来るかも知れません。実際、公立大学では統廃合が何件も実施されています。国立大学も安穏としていられるわけではないでしょう。学部学科名の改変やカリキュラムの見直しだけでなく、「定員の見直し」を含めて大胆な改革が求められていく時代が来ています。ただし、学生数を「減らす」ことは、同時に教員数の適正化、補助金の減額につながることなので、すぐに大改革とは行かない事情もあるでしょう。日本の未来のためにも教育は重要課題です。安倍政権の教育政策のことも注視する必要があると思いますが、大学と文科省との悪しき「腐れ縁」を改善していくことも必要かも知れません。来年は、少なくとも大学定員が増えることはないようです。ここら辺で一度歯止めをかけて、「適正な定員」を見直すところも、大学改革の柱とするべきではないか、との思いからずいぶんと大胆なことを書きました。大学の先生方の生活もあるでしょうから、あまり非現実的なことばかり言っても仕方がありませんが、長期的な展望をもち「今後定員は減少する」ことも含めて考えていかねばならない傾向が見えてきたことは確かです。注目すべき教育関連のニュースとして載せてみました。
2012年12月28日
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来年行われる宮中行事「歌会始(うたかいはじめ)」に関する発表がありました。宮内庁は、来年1月16日に皇居・宮殿で行われる「歌会始の儀」の入選者10人を発表した。 お題は「立」。選考対象になったのは1万7800首で、海外からの131首と点字作品28首も含まれる。 最年少は東京都渋谷区の中学1年、太田一毅(かずき)君(12)で、65年前にやはり12歳の中学1年生が入選して以来の戦後最年少の入選となった。夏の夕立に遭い、思い通りに動いてくれないペットへの気持ちを歌に込めた。作品は夏休みの宿題として詠んだもので、「情景が伝わりやすいよう工夫した。宝くじに当たったみたい」と話す。 最年長は札幌市南区の佐藤マサ子さん(89)。生まれ育った北海道美深町に流れる天塩川で、何百羽もの白鳥が一斉に飛び立つ時の様子が美しく、「お題を聞いた瞬間、『これしかない』と思った」という。60歳から短歌を始めた佐藤さんは「夢みたい。すごいことになってしまった」と語る。 天皇陛下に招かれて歌を詠む召人(めしうど)には、日本芸術院会員で読売歌壇選者でもある歌人の岡野弘彦さん(88)が選ばれた。 ほかの入選者は以下の通り。(敬称略) さいたま市緑区、農業若谷政夫(84)▽静岡市葵区、元会社員青木信一(71)▽新潟県津南町、畳職宮沢房良(69)▽群馬県安中市、元県立高校長鬼形輝雄(66)▽新潟県津南町、無職高橋健治(65)▽福島県郡山市、郵便事業支店社員金澤憲仁(42)▽宇都宮市、大学4年川俣茉紀(22)▽大阪府東大阪市、高校2年瀬利由貴乃(17) (2012年12月25日07時30分 読売新聞)「歌会始」について、以下「Yahoo!JAPAN百科事典BETA」から一部引用します。禁裏和歌御会始(きんりわかごかいはじめ)として、すでに14世紀なかば(南北朝時代)の公卿日記に記されているが、その始めは明らかでない。歌会が行事化され、宮中、公卿家などにおいて毎月行われる月次(つきなみ)歌会が普遍化した時代に、その年に初めて催される正月の月次歌会を御会始(ごかいはじめ)(宮中)、会始(公卿家など)とよぶようになったのであろう。現行の歌会始は、古式に準じて1869年(明治2)正月以来毎年行われるのが例である。72年に一般国民の詠進が許され、79年から撰歌(せんか)の制度がつくられた。1946年(昭和21)までは宮内省御歌所(おうたどころ)の寄人(よりゅうど)が撰歌にあたったが、その年御歌所が廃止となり、翌年からは民間歌人5名前後が臨時に撰者となるようになった。天皇御製、皇后・成年皇族の御歌のほか、各界からの召歌(めしうた)1名、一般からの撰歌は10首前後、62年からはほかに10首余りの佳作歌も公表される。[ 執筆者:橋本不美男 ]橋本氏によると、14世紀半ばの公卿日記に宮中での「和歌御会始」に関する記載があるそうです。すでに700年以上続く和歌の伝統行事と言えるでしょう。但し、江戸時代末から明治時代になると、やや形式が変わり、現在の形は概ね明治2年以来のものだそうです。それにしても、150年近く宮中で毎年ほぼ同じ形で行われているのは驚くべきです。宮内省御歌所の廃止を受けてもなお継続し、さらに民間による撰歌と一般人の詠進と「国民に近い皇室」の流れに応じて続いてきたようすが分かります。さて、今年は12才から89才まで、一般公募1万7800首の中から佳作歌10首が選ばれました。中学生1年生の入選者は「夏休みの宿題」で「歌会始の歌を詠む」ことがきっかけになったそうです。まさに、「伝統的な言語文化」に親しむ課題と言えるでしょう。「夏の夕立に遭い、思い通りに動いてくれないペットへの気持ち」を「立」のお題に込めた歌がどんな表現となっているのか、楽しみです。最年長89才の方の歌「何百羽もの白鳥が一斉に飛び立つ時の様子」は、「立」のお題にふさわしい歌となっているのでしょう。御歌会は来年正月16日、天皇・皇后臨席のもとに預撰者も列席し、古式に準じて行われます。預撰歌、撰者歌、召歌、皇族、皇太子妃、皇太子、皇后、御製の順に披講される、この順番は古式にのっとるかたちです。実際に現在も同じ順番なのか、来年の1月16日に確認してみるとよいでしょう。現代に続く「歌会始」は、皇室の「閉じられた」行事ではなく、国民参加型の「開かれた」行事に変わりつつあります。「天皇」への敬意というより、「皇室」に対する伝統というイメージが現代では一般的になりつつある感じがします。若い世代からお年寄りまで、現代人の「心」をとらえた年頭の一大イベントとして、今後さらに注目を集めて「古典」への感心が高まることを願っています。 なお、翌年の御題は当年の歌会始当日に公示されるそうです。締め切りは毎年9月末頃なので、じっくりと作歌を楽しみ、応募してみてはいかがでしょう。
2012年12月26日
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先の衆議院総選挙で自民党が最大与党となり、近く新たな自公連立政権が発足します。今回の選挙では、あまり注目されていなかった「自民党の教育政策」ですが、少しずつ明らかになる「新しい教育への取り組み」について、考えていきたいと思います。自民党は「教育を取り戻す」(教育再生)として、例えば「6・3・3・4制の見直し」「保育園・幼児教育などの子育て支援」「大学9月入学の推進」「高校授業料無償化の見直し」などを公約に掲げていました。どれも無関心ではいられない問題です。注目が集まる中、早速今日のニュースに次の記事が載っていました。自民、公明両党は、高校授業料を無償化する制度を見直す方向で本格的な検討に入る。 新政権が26日に発足した後、新首相が文部科学、財務両省に指示する。無償にする対象を「世帯年収が700万円以下」とする案を軸に調整する見通しだ。2013年度からの実施を目指すが、各世帯の所得を正確に把握するのに一定の時間がかかるため、14年度にずれ込む可能性が高い。 高校授業料の無償化は、公立高校の生徒から授業料を徴収しない制度で、民主党政権の看板政策として10年度から導入された。私立や高等専門学校の生徒には授業料に相当する金額(原則として年11万8800円)を実質的に支給している。国の負担は年間約3900億円にのぼる。 (2012年12月21日 読売新聞)まずは財源の見直しからですか?もっと大きな問題が控えていると思うのですが…。今まで「無償」であった公立高校制の保護者、年間約12万円支給されていた私立高校の保護者にとっては耳の痛い話題でしょう。幼児への「子育て支援」と言っておきながら、最もお金のかかる高校生のいる世帯へ負担増を求める政策は、建前ばかりで「子育ての現実」を見ていないとの批判の声もあります。それにしても、「所得制限」を設けるためには「世帯収入」を明らかにする必要があります。民主党の「子ども手当」でも話題になりましたが、「所得制限」の線引きや、「世帯収入」の把握は難しい問題を孕んでいます。記事にもあるように、まずは「各世帯の所得を正確に把握」する必要がありますが、この「世帯収入」はなかなか把握しにくい現実があります。例えば、年収での制限はすぐに導入できますが、そこには大きな問題があります。単純に「どちらかの年収が700万円を越える場合支給しない」と決めてしまえば、支給の有無はすぐにはっきりしますが、それでは、男親が750万円、女親が100万円の世帯や専業主婦で夫の年収が700万を超える家庭は「対象外」となってしまいます。一方、共働きで、男親が650万円、女親が600万円の場合には、世帯収入が1250万円なのに「支給対象」となる訳です。現実の場面では、かなり不公平感が生じてしまうことは必至でしょう。では、「世帯収入」を正確に把握すればいい、そのためには例えば国民総番号制の導入や、個人情報保護と関連する問題が生じる可能性もあります。そこで、記事では「一定の時間がかかるため、14年度にずれ込む可能性が高い」としています。「なーんだ、結局そんなこともできないのか。財源が確保できないと、また民主党の二の舞だ。」と言われかねない気がします。それなら「高校授業料の無償化」を廃止して、低所得世帯のみ別の手厚い手当で「教育を受ける権利」の平等化を図る方法もあります。高校は義務教育ではないので、ある程度の賛同は得られるはずです(実際、数年前まではなかったのです)。しかし、実際は「すでに民主党が無償化してしまった」→「廃止とは言えないから公約に残すことを明記した」という事情があり、すぐに廃止はできないのでしょう。何となく、似ていませんか?大敗した「民主党」に。つまり、前政権の「ツケ」が解消されずに中途半端な政策が堂々巡りしていく予感がします。「明るい日本の将来に向けての大教育改革」はできそうもないのでは?と疑念を抱いてしまいます。大体において、もっと大きな教育改革の協議から始めてほしいと願っていたところ、教育問題が「まずは財源」からです。スタートからして小さい気がします。まだまだ大きな問題が残っていますので、これからの「自公連立新政権」のよる教育制度改革を注意深く見守っていきたいと思います。世間の注目と声が新政権への期待と不安を表していることを安倍総理にはしっかり自覚して頂きたいものです。
2012年12月21日
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「逆さ言葉」について考え、ついでに「ことば遊び」を楽しんでみましょう。前回取り上げた、上から読んでも下から読んでも同音となる「回文」は、平安時代の和歌から連歌、俳諧へと受け継がれた長い伝統を持つ「ことば遊び」です。対して「逆さ言葉」とは、「ろくぶて(手袋)」「ネタ(種)」など、言葉を逆さにして意味を隠す「ことば遊び」で、「倒語(とうご)」とも言います。*「倒語」…「音節や語構成要素の順序を逆にして作られた語。「これ」を「れこ」、「やど(宿)」を「どや」、「ばしょ(場所)」を「しょば」、「しろうと」を「とうしろ」などという類。隠語に多い。」(『明鏡国語辞典』)伝統的かつ難解な「回文」とは異なり、比較的新しい世俗的な「ことば遊び」または「隠語」です。必ずしも全てを忠実に逆さまにする訳ではなく、例えば、「はまぐり」を「ぐりはま」、「月の鏡」を「鏡の月」という類も「逆さ言葉」に含めて考えてよいでしょう。最近では「まいうー」「ぎろっぽん」(六本木)などウケを狙って印象づける使い方もあります。意外なところでは、「だらしがない」の「だらし」は「しだら」の逆さ言葉だとされています。「しだら」は「ふしだら」(または「自堕落」と関わるとも)に関連する語で、「しだらない」(「ない」は否定ではなく形容詞をつくる強調語)が「だらしない」へと変化したものと考えられます。「しだらない」→「だらしない」は、江戸時代頃に逆さ言葉が流行したことと関係があるとも言われています(語源由来辞典)。そういえば、「あらたし」が「あたらし」と混同される現象とも近い気がします。では本題の「ことば遊び」を見てみましょう。中世の「謎立て」からの出題です。次の「謎かけ」を解説して下さい。1と2基本、3は中級、4は上級レベルです(2と3は復習です)。1 酒の肴 袈裟 2 十里の道を今朝帰る 濁り酒3 狐鳴かで帰る 月4 盃願はくは乾くことなかれ 狐(答え)1「肴(さかな)」=「逆(さ)名」で、「さけ」を逆さにして「けさ(袈裟)」。2「十里」=2×「五里」(にごり)と、「けさ」が「帰る」=「逆さにする」で「さけ」。合わせて「にごりさけ(濁り酒)」。3「きつね」が「鳴かない」とは、つまり「ね=音」がないので「きつ」。その「きつ」が「帰る」=「逆さにする」ので「つき(月)」。4「盃」=「さかづき(逆さ+つき)」です。「づき」を逆にして「きつ」。「乾くことなかれ」は、「ねがはく」から「かはく」をなくす、つまり「ね」だけが残り、「きつね」となる。2と3は前に出題したものですが、「逆さ言葉」を意識すると正解へ近づきます。さて、最後に軽い問題で締めくくりましょう。次の中に3つずつある逆さ言葉を指摘して、何の逆さ言葉かを答えて下さい。1 三鷹にある長崎屋でクスリを買う。2 妻に「貝は好きか」と聞く。(答え)1 かたみ(形見)、やきさかな(焼き魚)、リスク←濁点は問題にしないルールです2 待つ、いか(烏賊)、キスまだまだ思いつきそうですが、実際に作ってみると結構大変でした。変な問題ですみません。今回はこの辺で失礼します。
2012年12月20日
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本格的な寒さを迎える冬、「こたつでみかん」の季節になりました。対馬産「ブランドみかん」の話題です。対馬には、南端の「豆酘(つつ)」でしか栽培されていない「豆酘みかん」が評判です。豆酘は、対馬暖流に乗った黒潮の恵みを受けて温暖な気候に恵まれている上に、対馬特有の断崖から続く南向きの斜面が豊富です。こうした「対馬南端」独自の環境がもたらした「冬の味覚」が「豆酘みかん」と呼ばれる平たくて大きいみかんです(ブランド名「平みかん」とも言うそうです。)「対馬市福岡事務所のブログ」からの写真です。(豆酘の山に実るみかんのようす)(平たいみかんの特長がよく分かります)「対馬観光協会ブログ」から「グルメ紹介」記事をご紹介します。「豆酘でのみかん狩り体験の記事」豆酘の平ミカン、原種は青島ミカンであり、昭和45年ごろからバイロット事業としてミカンの栽培が開始された。その後、品種改良を何回も繰り返した後、今の平ミカンに到達できたとか。対馬暖流、黒潮の恩恵をもろに受け、対馬南端豆酘の風土がこのミカンを育てているのです。美味しいわけですよ。豆酘みかん組合のなかで、販売等をしてるわけだが、予約が多く、県外までに出回らず、対馬島内で完売してるそうです。みかん農家も将来後継者不足で、年々みかん山が減少しつつあります。(引用以上)「豆酘みかん」の味は、濃厚さと適度な酸味が特長です。面白いのは、12月中旬まで収穫した後、正月過ぎから色づきはじめ糖度が増していくと言うことで、何ヶ月も「保存期間」があることです。この長い保存期間に「熟成」されていく、味わいだけでなく道のりも奥深いのが「豆酘みかん」です。私も、何回か送って頂いたり、対馬で食べて来ました。とにかく「昭和育ち」の者にとって「懐かしい」「昔のみかん」の味です。「対馬市福岡事務所のブログ」にはおいしそうな「豆酘みかんの」写真が載っていました。(大ぶりで懐かしい味の豆酘みかん)子どもの頃、丁寧に筋をとって、一粒一粒味わいながら食べた、あの「酸っぱくて、濃いみかん」の味です。小さい子には酸味が強いかも知れませんが、甘いだけでなく「みかん本来の味」が楽しめる大人向けのみかんです。こたつに入って「懐旧の思い」に浸り、「昔話」に花が咲く…そんな場面がよく似合う「冬なのに心暖まるみかん」、それが「豆酘みかん」です。ここ10年くらい「ブランドみかん」として宣伝しているそうですが、後継者不足でみかん農家が全盛期の3分の2まで減少、現在は20件ほどのみかん園で収穫されているそうです。残念なことですが、できるだけ続けてほしいものです。そうした事情のため、ほとんどが島内消費の現状です。ただし、こまめに探してみると楽天など対馬関係のショップで販売することもあるようです(ただし、美味しくなるのはお正月過ぎからです)。自宅でみかんを楽しむのが日常ですが、たまには「みかん狩り」をかねて対馬の冬を楽しんでみるのもよいでしょう。「ろくべえ」(その6参照)や「対馬しいたけ」(海のあわびです)が入った「いりやき」(その9参照)など、温かい料理をいただいたあとに、「豆酘みかん」で対馬の「昔話」(豆酘には天道さん、やまわろうなど、たくさんの民話があります)を聞く、冬の対馬お楽しみコースとしておすすめです。寒い寒い冬ですが、暖かい話題で盛り上がりましょう。
2012年12月16日
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前回「箱根の名物博物館」の続きです。入生田にある「生命の星・地球博物館」を出たあと、山の美しさを眺めるため「ターンパイク」を通って「大観山」へ向かいました。途中、相模湾に浮かぶ「初島」「伊豆大島」をはじめ、「利島」「新島」も見えました。(初島と大島)富士山は「笠雲」がかかっていましたが、これも乙なものです。(大観山から見た富士山)山の稜線が綺麗です。富士山は宝永の噴火口までくっきり見えて、すぐ近くに大きく聳え立っていました。自分が小さく感じられる瞬間です。さて、そこから外輪山の周囲を回って「山伏峠」へ到着。山伏峠にある「絶景」と書かれた看板に沿って上に昇ると、まさに「絶景」でした。(二子山と麓の箱根園)芦ノ湖の湖面は海賊船をポイントに置き味わいある景観を作り出していました。箱根の眺めはゆったりしていて時間を忘れさせてくれます。反対側にからは駿河湾が一望できます。(三島・沼津市街地と駿河湾)山だけでなく海も輝いていました。そこからさらに逆側へ回って一番の観光名所「大湧谷」へ向かいました。(火山ガスの噴煙が激しい大湧谷)そこで今回話題の「温泉造成施設」を見学しました。大湧谷の向かって左側に「観察所」が設けられています。(中央にある出っ張った施設がそうです)写真の奥に建設中の施設が見えます。間もなく、「新しい大湧谷の施設」が誕生するそうです。そこで見た「温泉造営施設」がこれです。分かりにくいので「やぐら」を拡大してみます。これが「温泉の造成塔」です。大湧谷は山の一部が「山崩れ」を起こしてできた斜面なので、地中の火山ガスがいまだ多く吹き出しています。その地中から噴出する火山ガスに水を加えて人工的に温泉を作っています。できた温泉を近くに貯水して「発揮(はっき)」というガスを抜く工程を経て温泉施設へ供給されるそうです。実は、箱根の温泉のうち、30%がこうした造成温泉なのだそうです。温泉というと地下深く掘削して湧き出た源泉を薄めたり湧かしたり加減して引いているものだと思っていましたが、箱根では今も多くの温泉が「造成」されているのです。箱根の残り70%はいわゆる「地下堀り」の温泉なので、一般的には普通の温泉です。なお、この大湧谷で造成される温泉は「造成温泉」の3割を占め、多くは仙石原や強羅などへ供給しているそうです。箱根温泉全体の約1割が大湧谷で「造成」されていることとなります。人工的に温泉を造るというと、偽物っぽいですが、そんなことはありません。一般の温泉も雨水が溶岩を浸透して地中のマグマと合わさり火山ガスや源泉となっているのです。その工程を人工的に作り出しているもので、成分や効能に違いはないわけです。箱根に行ったら是非この「温泉造営塔」をご覧になって、「今夜の温泉ができていくなあ」など、考えてみても面白いですね(実際は違うわけですが…)。ちなみに、箱根には前回ご紹介した「生命の星・地球博物館」に隣接した「神奈川県温泉地学研究所」という研究施設があります。箱根を中心とした多くの地点で温泉や塚水の水位、地震の観測をしてる研究機関です。この研究所によって、温泉や地下水が保護され、地震のデータを収集、分析して防災に役立てているのです。webページでは「箱根火山の最新地震情報」も提供しています。神奈川県温泉地学研究所webページ 神奈川県にとって「温泉」は単なる観光資源だけではなく、防災や研究に役立てられていることも改めて感じました。ぶらっと散歩で「遊び」ながら、少し「学び」にふれた「箱根」の話題でした。日本ジオパークに認定された箱根、これからますます観光客が増えて盛り上がっていくことを願っています。そういえば、もうすぐ「箱根駅伝」です。ランナーが走る前に箱根を散歩してみるのも一興ですね。
2012年12月14日
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2012年9月、ついに「箱根」が「日本ジオパーク」に認定されました。箱根ジオパークwebページ そこで、箱根へ日帰り小旅行に行ってきました。是非とも行きたい「名物博物館」をじっくり見学(その1)。箱根ならではの「温泉造成」の現場もご紹介します(その2)。まずは「博物館」です。小田急線入生田駅すぐ近くの「神奈川県立生命の星・地球博物館」です。(小田原から三駅の入生田駅下車徒歩3分です)(外観からしてユニークな博物館)「生命の星・地球博物館」は、県立のため「中学生以下無料」で入館できるほか、一般の方も低めの料金設定になっています。また、サービスデーや箱根フリーパスの割引など各種割引も多数あります。お金の話をしたのは他でもありません。「え~、この値段で、こんなにすごいものがたくさん見られるの!」と驚く展示がたくさんあるからです。2~3時間はじっくり展示を眺めていて飽きることがありません。いきなり庭には迫力ある岩石がごろごろと置いてあり、よく見ると相当貴重なものです。館内1階には「砂漠のバラ」や「紫水晶」「牙のような結晶をもつ方解石」など普段見られない「美しい石」がとにかく豊富です。また、恐竜骨格や野生生物、植物から珍しい蝶や昆虫の標本など、面白い実物がたくさん展示されています。今回私が興味深く見たは「レインボーアンモナイト」(美しい!)と「雌雄差のあるヨナグニサン」(体の右半分が雄、左半分が雌でできていて不思議?)です。来館の折には探してみて下さい。他にもレアな「掘り出し物」がたくさんあります。展示の方法も工夫されているので、見回しながら人類等の誕生・進化が実感できます。マニアでなくても見ているだけで楽しい展示です。2階には神奈川県の地学的な歴史(地質から見た地形変動)のほか、県内の動植物、魚類が数多く展示されています。ナウマン象の化石(神奈川にもいました)や、骨格標本は見応えがあります。かつては県内に生息していた絶滅種「ニホンオオカミ」の標本まであります。また、「人類がしていること」として、産業の発展と生物多様性への影響を分かりやすく展示解説してあります。話題の「生物多様性」について、つい考えさせられます。この辺は、かなり教育的配慮が感じられて、小学生の見学を意識しているようです。「社会科」ならぬ「理科見学」に訪れる小学校も多いそうです。ちなみに、3階にはレストランもあり、「小田原御膳」や「アジフライ定食」など、地元の料理をゆっくり味わうことができます(私も利用しました)。まだまだありますが、一部写真付きで次のリーフレットをご参照下さい。「生命の星・地球博物館」の公式webから、少し説明を載せておきます。平成7年(1995年)3月、横浜馬車道の神奈川県立博物館(現:神奈川県立歴史博物館)の自然史部門が独立する形で誕生し、平成24年8月3日をもちまして500万人の入館者をお迎えすることができました。展示のほか、自然に関する調査・研究、資料の収集・保管、これらを生かした講座や観察会などの学習支援活動をしています。開館からすでに17年が過ぎていますが、常に展示は「進化」しています。それゆえ、今年8月に500万人とありますが、まだまだもっと入館者数が増えてもいいと思います。ぶらっと小旅行を思いついたとき、近場の箱根でのんびり「学び」を楽しんでみてはいかがでしょう。特に、お子さんの「遊び」に加えて、少し「学問」に触れさせたいという方、箱根をきっかけに「美しい自然」と「自然の大切さ」が実感できる「名物博物館」をぜひ訪れてみて下さい。以下、ぶらっと箱根散歩その2「箱根の自然と温泉編」に続きます。
2012年12月12日
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今月16日に衆議院総選挙が行われます。新聞各紙は、連日選挙特集の記事で賑やかです。そんな中、今日の読売新聞朝刊の記事に目がとまりました。「言葉遊び」の原発論戦(現場から-12「衆院選」3)嘉田代表率いる「日本未来の党」が掲げる「卒原発カリキュラム」の話題から、「脱原発」を主張する民主党の野田首相が自民党を「続原発」と定義したことを取り上げています。「卒原発」「脱原発」「続原発」――。自民党の安倍総裁が「言葉遊び」と指摘するように、選挙戦で、現実的なエネルギー政策を正面から論じる機運はなかなか高まらない。(2012/12/07 読売新聞朝刊)記事は選挙戦における原発問題の単純でない「現場の事情」をレポートしています。さて、どうして「卒」原発なのでしょうか。「脱」との違いは何でしょう。各代表が言う原発問題の表現に着目してみました。「脱」原発→2030年代に原発稼働ゼロを目指す(民主党)「卒」原発→遅くとも10年後には完全に原発から卒業(日本未来の党)「続」原発→10年以内に持続可能な電源構成のベストミックスを確立(自民党←野田首相が「続」と批判)「フェードアウト」→既設の原発は2030年代までにフェードアウト(日本維新の会)他の党は、ほぼ「脱」原発を目指す政策を上げています(国民新党は「目標」、共産党・社民党は「即時」ゼロ)。「フェードアウト」は、これから石原氏がどうコメントするかが楽しみです。また、「続」は自身でなく他党が批判のネタに使っているので、まずは「脱」と「卒」に注目してみます。言葉として「脱」と「卒」にはどんな違いがあるのでしょうか。以下、単漢字に詳しい「明鏡国語辞典」から引用します。だつ【脱】(造)1身につけているものを取り去る。ぬぐ。「─皮・─帽」「着─」2取り除く。取れてなくなる。「─色・─水・─毛」「虚─・─はくだつ」3抜け出す。のがれる。自由になる。「─獄・─税・─退」「解─げだつ・離─」4はずれる。「─臼だっきゅう・─線」「逸─」5あるべきものが抜け落ちる。「─字・─落」─だっ・する【脱する】(一)〘自サ変〙1危険な場所などからのがれでる。また、ある状態・境遇などからぬけでる。「敵地から─」「危機を─」2ぬけ落ちる。「機体から尾翼が─」3所属している団体・組織などからぬける。「党から─」4ある程度・範囲などを超える。「中学生の域を─」(二)〘他サ変〙1取り除く。「部屋の臭気を─」2身につけていたものをとる。ぬぐ。「靴を─」3原稿などを書き上げる。「稿を─」そつ【卒】(一)〘名〙1「卒業」の略。→卒業「平成一〇年度の─です」「ブラウン大学─・高─」2下級の兵士。「軍─・従─」(二)(造)1にわかに。急に。「─中・─倒」2終わる。終える。「─業」3亡くなる。「─去」つまり、「脱」には「取り除いて自由になる」「危険な状況から抜け出る」という意味があります。一方、「卒」は「急に」「終える、なくなる」の意味があります。本来「原発ゼロ」であれば、「脱原発」で良いはずです。「危険な状況から逃れ出る」イメージがあります。そこで、あえて「卒」を使う理由には、「完全に原発から卒業」という「卒業」のイメージを訴えたい狙いがありそうです。また「卒去」「卒倒」の語から、「原発と永遠にお別れする、しかもすぐに」という、意味合いも含めたいのかも知れません。「脱色」「脱走」「脱税」「脱線」さらに「脱字」「脱落」から、「脱」には「あるべきものが抜け落ちる」イメージも少なからずあります。つまり「脱する」ことのマイナスイメージです。この意味では、確かに「脱原発」をしても「本来のものが抜け落ちる」という、必ずしも「明るい将来」ではない感覚がつきまとっています。一方の「卒原発」は、まさに原発からきれいさっぱり「卒業」して、新しい道へ進むという「明るい未来」へ向かう印象があるといえるでしょう。まさに「言葉の綾」に近い「ことば遊び」と言うべき「選挙のためのイメージ作り」です。批判のための「続」原発は、現代では良くない印象、つまり「今後もしっかり原発を続けます」という意思表明が感じられます。そこを野田首相はうまく利用しようと考えているのでしょう。「言葉」の重みとともに、恐ろしささえ感じます。いつの選挙も宣伝活動も「ことばが命」である一面をもっています。自民党を「ぶっ壊す」とか、政権の「交代」とか、印象の強い、アピール力のあることばで訴えることが勝敗の行方を左右することはよくあります。「卒原発」とは、いいイメージのあることばで、選挙で票集めできる目論見があるのでしょう。しかし、アピールする力が弱いのか、まだまだ浸透していないためか、先日の演説で嘉田代表が残念だと嘆いていました。「卒業」は「苦労した勉強やたくさんの思い出など、長い道のり」を終えて再出発するもので、どれだけ「長い道のり」を私たちが歩んできたのか、そこの過程と反省をしっかり示してもらわなければ、原発からの「卒業」が具体的に見えてきません。選挙戦は遊びではありません。ここだけは、安易な「ことば遊び」に惑わされることなく、具体的な政策を見極めることが必要です。「ことば遊び」は、現実から少し離れた「遊びの世界」だからこそ楽しいのです。国の将来を定める選挙での「ことば遊び」は、ほどほどにしておいてほしい、というのが多くの国民の願いなのではないでしょうか。この意味で、候補者が自身の「言葉」にどれだけ責任が持てるか、「ことば遊び」に流されていないか、は重要な投票の基準となるはずです。まだまだ続く選挙戦、これからもどんな「ことば遊び」が出てくるか、そこはじっくり耳を傾けて、しっかり判断(判定?)していきましょう。
2012年12月07日
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「とまと」「しんぶんし」「たけやぶやけた」など、上から読んでも下から読んでも同じ意味となる文を「回文」といいます。小さい頃、「手袋の反対な~んだ?」と聞いて、「ろくぶて」と答えさせ、六回たたいて遊んだ(かなり理不尽な展開ですが)「逆さ言葉」に近いですが、少し違います。「回文」=「和歌・連歌・俳諧などで、上から読んでも下から読んでも同音のもの。回文歌・回文連歌・回文俳諧などの称がある。」(『広辞苑』第六版)平安時代の和歌から連歌、俳諧へと受け継がれた長い伝統を持つ「ことば遊び」です(三十一文字を上下同じ音で構成するのはかなり難しいです)。今回は「ことば遊びクイズ」の題材として回文を使ってみたいと思います。問題は4題で、初級から上級までです。第1問【初級】平安時代後期(12世紀)の歌人藤原隆信(1142~1205)は、「草花を詠む古歌」として、次の回文歌を詠んでいます。次の空欄(い)~(は)にそれぞれ二文字を入れて下さい(必要があれば濁音も答えて下さい)。制限時間は1分間です。1 むらくさにくさのなはもしそなはらは(い)しも(ろ)の(は)にさくらむ(答え)(い)「なぞ」(ろ)「はな」(は)「さく」漢字をあててみると「むら草に草の名はもし備はらば何(な)ぞしも花の咲くに咲くらむ」(下から読んでも同じ)(群生する草々にそれぞれ名が付いているならば、どうして花がこんなにたくさん咲いているのだろう。)遊びながら和歌を解釈する勉強になったのではないでしょうか。それにしても、三十一文字という多くの文字列をうまく組み合わせたものです。和歌の意味がきちんと通っています。第2問【初級】近世俳諧の「回文句」目をとめよ梅(むめ)かながめむ夜目遠目 重貞(『毛吹草』「廻文之発句」正保2〔1645〕年刊)交野見つ鳥と小鳥とつみの鷹 重頼(『毛吹草追加』「回文之百韻」正保4〔1647〕年刊)冷えの気(け)寒く酌む酒の酔ひ 重方 同 上十七文字でも上手に詠むものです。では問題。同じ『毛吹草追加』より、重貞の句です。〔 〕に文字を入れて下さい(文字数も考えて下さい)。2 照りて来つ西に真西に〔 〕 (ヒント)十七文字の「回文句」です。(答え) 「つきてりて」→「月照りて」ですが、「照ってきた、西に、いや真西に、月が照って」と、何だかこの句自体が「ことば遊び」のようなリズムの良い句です。俳諧の場合、リズム感も大切な要素だったのでしょう。第3問【中級】先の藤原隆信(1142~1205)の私家集『隆信(たかのぶ)集』から「廻文歌」(五首のうち一首)です。次の空欄(い)(ろ)にそれぞれ文字を入れて下さい(文字数も考えて下さい)。制限時間は1分間です。3 しらなみのたかきおとすら(い)はかならすとおき(ろ)のみならしでは次に、適当な漢字をあてて歌の意味を考えてみて下さい。(答え)(い)「しらはま」(ろ)「かた」漢字をあててみると「白波の高き音すら長浜は必ず遠き潟のみならし」(下から読んでも同じ)(白波の高い音を聞くだけでも長浜はきっと遠くまで潟が続く浜であるだろうとわかる。)今回は文字数を隠したため【中級】としました。かなり難しかったと思います。「とおき(遠き)」は、歴史的仮名遣い「とほき」です。回文は「発音」が優先で「仮名遣い」は、さほどこだわっていないものが多いです。もっとも「仮名遣い」にこだわるのは中世以降で鎌倉時代の「定家仮名遣い」も厳密なものではないと評価されています。白浪の音から「長く続く浜」を思う、叙景の歌です。しかし、よく考えると「波の音で浜の長さが分かるのだろうか」とは思います。そこは「意味が通る」だけでも立派な「回文歌」と認めるべきでしょう。第4問【上級】「ことば遊び」歌では定評のある「頓阿」の歌から「回文歌」を見てみましょう。『続草庵集』(連歌を約六六〇首(句)収める。14世紀中頃に成立。)からです。次の空欄(い)(ろ)にそれぞれ文字を入れて下さい(文字数も考えて下さい)。制限時間はなしです。4 とくたたし(い)のたかむら(ろ)しろしきゆらむかたの(は)したたくと(ヒント)「たかむら」は竹藪。どこかの竹藪に白いものがかかっている情景です。(答え)(い)「さと」(ろ)「ゆき」(は)「とさ」漢字をあててみると「疾(と)く立たじ里の篁(たかむら)雪白し消ゆらむ方の閉ざしたたくと」(下から読んでも同じ)(早く出発するまい。里の竹やぶに雪が白くかかる。その雪が消えているらしい方の閉ざされた戸をたたこうとして。)(い)と(は)が回文の対応する言葉の表裏になっているため、かなり難易度が高い問題です。何となく意味深な歌ですが、「雪が消えているだろう閉ざされた家」の意味がはっきりしません。「頓阿」さんの「頓智」なのか、考えさせられる歌です。では、最後に有名で縁起の良い回文をご紹介しましょう。正月二日夜の初夢に、吉夢をみるため七福神の宝船の絵を枕の下に置く風習がありました。その絵にこの回文歌が書かれていて、三度読んで寝ると吉夢になると信じられていたそうです。江戸時代中期以降の文献に見られます。『宝船』の回文歌なかきよのとをのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかなもうすぐお正月、いい「初夢」を見たいものです。意味が明確でない部分があり、特に「とをのねふり」がはっきりしません。「遠の眠り」で深い眠りとするものが多いですが、一説に「十の眠り」で「十人が舟で眠る」とする解釈もあります。漢字をあててみると、長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな「長き夜の眠り」「目覚め」「音の良きかな」などの字句が縁起の良い響きゆえ採用されたのでしょう。さらに、それが「回文歌」であったがために流行したことも考えられます。「上から読んでも下から読んでも」の面白さ、楽しさと、「どちらからでも」という目出度さがうけたのではないでしょうか。回文が日常生活に入り込んでいた江戸庶民。私たちも「遊び」の楽しさを忘れずに、眠りにつき、明るい生活を送りたいものです。じっくり考えると難しい「回文」ですが、頭のトレーニングとともに懐かしい子どもの頃の「遊び心」を思い出させます。こうした「回文」は「逆さ言葉(倒語)」へと結びついて、さらに「ことば遊び」の世界と広げていくこととなります。「逆さ言葉」の世界についても、のちほど面白いものを取り上げていきたいと思っています。
2012年12月06日
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2013年度(平成25年度)大学入試センター試験の志願者数が確定しました(11月30日大学入試センター発表)。大学入試センター発表による以下の数字に注目してみました。総志願者数は「57万3344人」で、前年度より「17807人」多く、前年度比で「3.2%」増加しています。(内訳)「高等学校等卒業見込者」(現役受験生)「45万9866人」→「20153人」増加(前年度比) 「高等学校等卒業者」(既卒受験生) 「10万7709人」→「2039人」減少(前年度比) (総志願者数に占める割合)「高等学校等卒業見込者」 →「80.2%」(昨年度79.2%)「高等学校等卒業者(既卒者)」→「18.8%」(昨年度19.8%)現役志願率は「42.1%」←前年度「41.6%」と比べ増加(過去最高)*「現役志願率」とは「高等学校等卒業見込者全体のうち、センター試験の受験を志願している高等学校等卒業見込者が占める割合」つまり、来春高校を卒業する予定者のうち、どれくらいの人がセンター試験を受験するつもりなのか、を示す値です。(センター試験参加大学・短期大学数)→ 840大学(過去最高) 〔内訳〕国立大82,公立大81,私立大520, 公立短大15,私立短大142 総志願者数は前年度(2012年度)よりさらに増加しています。現役の志願者数が増加した一方、既卒の志願者数は減少しています。昨年と比べて、現役志願者の占める割合がより増えています。(男女比)男=324,200人→「56.5%」(昨年度57.1%)女=249,144人→「43.5%」(昨年度42.9%)男女差が減少しているとはいえ、7万人以上男子の受験生が上回っています。大学・短期大学志願者数において、男女比がほぼ均等に近づいていることは「男女共同参画」社会達成の上で好ましい傾向と言えます。しかし、学校を出るまでの男女差が小さい割には、実際の社会では女性労働力の不足、「働けない」女性の増加が問題となっています。大学までは、それなりに整備されてきた「男女平等」の「機会均等」が、実社会ではまだまだ「男女不平等」の現状であることは残念です。上記、2013年度センター試験志願者数の詳細は、次の資料に拠ります。平成25年度大学入試センター試験の志願者数(確定)について|大学入試センターさて、一連の不認可問題で「大学の乱立」を、人気大学の話題で「実学志向」の学生を見てきました。これに、「不況」から抜け出せない現代社会を加えると、来年のセンター試験志願者動向が納得できる気がします。つまり、大学に何を求めるかが優先され、どんな大学に入りたいかという強い志向が後退している観があります。経済的理由で「現役」志向が強まっているのは数年前からの傾向です。最近では、それ以上に「とにかく現役で行ける大学に入ればよい」「浪人してまでこだわる大学があるだろうか」と、「大学に入ること」が目的化して、「どこの大学で何を学ぶか」へのこだわりが弱くなっていることが、センター試験の動向に表れていると見ています。大学側も、センター頼みで、「とにかく受験生集め」を優先課題としているために、「過去最高」の840大学の参加となっているのでは、と疑ってしまいます。現役志願率と参加大学数が「過去最高」となった理由として、こうした「安易な大学選択」と「大学側の受験生獲得」との相乗効果が上げられるのではないでしょうか。今さらですが、「大学」とは何か?を問いかけてみたい気がします。しかし、それは、取りも直さず「高校での大学情報、キャリア教育」の不足につながるような気がします。今や高校が義務教育と思われる時代。まして「高校の授業料無償化」が実現した現在、「大学」の価値もずいぶんと変わってしまったのはやむを得ないとすべきかも知れません。もはや「大学」は就職のための勉強の場となりつつあります。せめて、大学での「教養教育」が忘れられないようにして欲しいと願っています。「大学」とは、「大いに学ぶ」最高の教育機関であったはずです。受験生には「大きな夢」をもって、上の学校へ挑んで欲しいと思います。時節柄、受験や教育の話題が多くなっています。失礼しました
2012年12月02日
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つい先日、目にとまった記事があります。「@DIME(小学館)」の記事(2012.11.26)からの抜粋です。入試制度見直しで人気No.1になった明治大学(明治大学リバティタワー)今、受験生の間で最も人気を集めているのが明治大学だ。2012年度の志願者数こそ前年度に比べて微減したものの、18 歳人口が減り続ける中で、その減り幅は2位の早稲田大学よりも小さく、両大学間の差は次第に広がりつつある。 かつて明治大学といえば、古めかしい校舎に硬派な学生らがひしめくバンカラで男臭いイメージがあったものの、その姿は一転。1998年、東京・神田駿河台にリバティタワーが竣工して以降、校舎の建て替えも進み、現在では都会的なタワー群が立ち並ぶ洗練されたキャンパスへと変貌を遂げている。 明治大学では一般入試とは別に、全国8都市で同時開催する全学部統一入学試験を実施。選択科目により、複数学部を併願することも可能にした。また受験生への情報提供にも注力。全国の高校を教職員が巡り、生徒の興味を喚起するとともに、オープンキャンパスでは模擬授業までも披露している。魅力的なカリキュラムで女子志願者が増加さらにここ最近、顕著なのが女子志願者数の増加である。その割合は、2000年の25%から2010年には31・7%へと、6ポイントを超える大幅アップ。背景には、特色ある新設学部の存在が大きいようだ。 早稲田に落ちて明治に入るのは、今や昔。最近では明治大学を第1志望とする受験者も増えたという。入試における受験のしやすさ、魅力的な新設学部、都会の中心に位置する真新しいキャンパス。さらには、就活面の手厚いサポート。これだけの好材料が揃っているのだから、宿敵、早稲田大学が霞んで見えるのも無理はない。(以上、記事抜粋)「リバティタワー」を初めて見たときは、「歴史の重み」がなくなった、と残念に感じていました。堂々たる超近代的な「都心のビル」で、、「ばんから大学」とは隔世の感があります。しかし、その「超近代的な校舎のある都心の大学」が大きな魅力となっているそうです。(明治大学駿河台旧校舎)ただし、明治大学が人気急上昇したわけは、校舎や立地といったハード面だけではありません。「@DIME」の記事では、「志願者数の多さは大学側の努力の賜物」と明治大学の「努力」を高く評価しています。1「入試改革」で全国で手軽に受験できる体制を整備。全国8都市で同時開催する全学部統一入学試験を実施して、受験生を全国各地から集める作戦。さらに「全学部藤一」という、一度の受験で全学部を併願できる「受験のしやすさ」も導入しました。2「特色ある新設学部」の創設で女子学生の増加。例えば、2004年に誕生した「情報コミュニケーション学部」、短期大学を廃止しスタートした学部ですが、当初から女子学生の入学者が約半数を占めたそうですが、実学的な学問を目指した結果、さらに女子学生が増加したそうです。他には、「国際日本学部」を新設。日本文化等を外国語で紹介できるような国際人の育成をめざし、語学教育の充実ぶりを特色としているそうです。実学志向の女子学生に人気だそうです。3「魅力的な語学カリキュラム」の導入上の「国際日本学部」では、学部独自のインターンシップ留学プログラムがあります。明治大学広報によると「フロリダ州立大学での集中授業の後、6か月間にわたりWalt DisneyWorldでキャストとなり、様々な業務に従事していただきます。こ募集定員は毎年32名。一学年約300人であることから、10人にひとりの割合で、このカリキュラムに参加できる計算になります」と解説しています。あこがれのアメリカWalt DisneyWorldでキャストをして、実践的な語学学習が出来る。そして、本物の語学力を身につけられる。「体験」を重視するカリキュラムが人気を生んでいるのでしょう。3つの「努力」を見渡してみると、現代の大学生が望むものが見えてきます。「手軽に受験」→遠くに行かなくても、何度も受けなくてもよいから「受験」してみようか。「実学的な学問」→将来役立つ資格を取れるなら行く意味があるかな。「語学体験旅行」→本場のディズニーランドであこがれのキャストができる、しかも英語力アップまでついてくるお得感。大学の意味あい、そのものが変化しています。その中で受験生や学生が望むニーズをうまくつかむ「努力」をした明治大学は「成功」して、その「努力」が奏功していない早稲田大学は「後退」しているという評価に感じます。大学で「学問」を極めるために「決意」して受験し、「図書館」に籠もって勉強漬けの日々を送る、などは、今は昔の「昭和の風景」と化しているようです。気軽に「大学でも受けてみるか」「どうせ行くなら資格ぐらい身につけないと」「海外旅行とドキドキ体験もしたい」という学生が増えてきている実情は否めない気がします。その中から、一部の「学問に目覚めた」ものだけが大学院(研究科)へ進学し、「昔の大学」のような研究生活を送る、というのが実態でしょうか。まさか、大学院まで「学問の府」から離れつつあるとは思いませんが、ずいぶん様変わりして低年齢化しつつある大学の現状、学問の将来をどこに託していくのか、多角的に「これからの学問」を考えていく必要があることは確かだと言えそうです。良い大学に受験生が集中して、競争率、入学レベルも上がっていけば、学問研究にとって明るい将来が見えてくるはずです。ただし、その人気の内実はいかがであろう、と少し考えてみました。
2012年12月01日
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これは、対馬市キャッチコピーの画像です。(キャッチコピーの画像)すでに十回にわたって対馬の「おっ!」をご紹介してきました。対馬の魅力は、確かに「おっ」と思わせるさりげなさにあります。このコピーも「おっ!さすがに対馬」と感心させられました。対馬の方々にとっては「当たり前」のことが、外から見る私たちには「おっ!すごいぞ。対馬」と思うことが多いのです。そして、その魅力を支えているのが「つしまヂカラ」です。(対馬市のロゴマーク)こちらの「力」も、特に対馬の方々が「力」を意識して肩肘張っているわけではありません。普通の生活が「力」を生み、訪れる私たちに「力」を与えてくれるのです。しみじみ、対馬市のページを見ていて、ふと感じた「対馬のコピー」について、書いてみました。なお、上にある2点の画像は「対馬市の公式webページ」からダウンロードできます(画像がDLページに置いてあります)。それぞれ数種類あるので、他のバージョンをご覧になりたい方は対馬市ページの「つしまヂカラ」ロゴをクリックしてみて下さい。そんなことを考えていたら、昨日の「YOMIURI ONLINE」に次の記事が載っていました。対馬市厳原町の対馬高の生徒がデザインしたタオルが、対馬空港と厳原港のターミナルで売り出された。1枚1050円で、売り上げは生徒会を通じて公共団体に寄付したり、新たな商品開発に活用したりする。 タオルを商品化したのは、商業科で学ぶ4人。授業の課題研究で8月から取り組み、10月の文化祭で200枚を販売。好評だったことから、さらに200枚を用意して本格的に売り出すことにした。 タオルは、黒地に「對馬(つしま)」の白い文字が入ったものと、ピンク地に黄色で「Tsushima」と表記した2種類。黒地は阿比留昇馬さん(18)、ピンク地は主藤はる花さん(18)(ともに3年)がデザインした。 主藤さんは「好んで使ってもらえるようデザインにこだわった。多くの人に愛用してもらえれば」と話していた。 (2012年11月29日 読売新聞)阿比留さん、主藤さんのお名前が対馬を十分感じさせてくれました。さて、読売新聞は全国ニュースとしてどこに注目したのでしょうか。高校生が「課題」として作成したタオルを文化祭で販売する。普通の学校でもよくあることです(最近の高校生はTシャツやタオルを記念に作るのが大好きのようです)。しかし、それを見たお客さん(島のどなたか)が「ええもんじゃ。他のもんにも売ってみんか。」と声をかけ、「そんなら空港、いや港でも売ってもらったらよか」となって、すぐに売店の方が「おもしろか~」と販売する。そんな陽気なやりとりが目に見えるようです。本来の「人と人とのつながり」を感じさせる、まさに「つしまヂカラ」ではないか、と思いました。こうした、さりげない記事にも「おっ!な島です。対馬」がよく現れています。読売新聞が記事として載せたのも、そんな対馬の魅力を肌で感じたからではないかと思います。ささやかなエピソードにも「私たちに必要なもの」に気づかせてくれる、対馬はそんな魅力に溢れています。
2012年11月30日
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一昨日(2012年11月23日)、「対馬西あなご祭り」のオープニングイベントが開催されました(於:美津島町「パル21」)。(「対馬西あなご祭り」のポスター)キャッチコピーは「日本一!とグルメ通から絶賛される」です。オープニングイベントでは、あなごの開きの実演や試食、○×クイズ等のイベントが行われました。島内では参加店舗による「祭り」が1ヶ月間開催されています。(「対馬西あなご祭り」島内の参加店舗)対馬観光物産協会のブログから、以下引用します。平成21年のあなごの全国漁獲量は5,959トン。長崎県はその内の868トンで、全体の15%を占め全国一位です。中でも「対馬あなご」は長崎県全体の93%(808トン)を占めており、あなごの産地としては全国一とも言えます。 関東方面では特に、骨が柔らかいうえに皮が薄く、脂がのっている対馬の西沖のあなごが極上品として取り扱われており、新たな観光資源の一つとして注目を集めています。 ところが、逆に対馬での島内消費が少なく、あなごの味の素晴らしさを、全国一位の産地である対馬島民が知らないのが現状です。「全国一の産地」であるものの、「島内消費が少ない」という現状を打破したい、こうした理由で「祭り」の開催となったようです。今年の夏、対馬市美津島町にて株式会社「ダイケー」(海産物仲卸業者)さんの「対馬産あなご」を東京築地まで直送する大型トラックを拝見しました。(築地まで活魚を直送できる「ダイケー」の大型トラック)「あなご」の他、ブリやひらす(ひらまさ)、クエなどの高級魚も直接トラックの生け簀の中で活かしたまま(実際は、魚が傷まないように「仮死状態」にして搬送するそうです)東京へ運ばれています。対馬の魚が「海の中にいるまま」遠くの魚屋さんや料亭へ運ぶ大型トラックは「ダイケー」独自の専用車両で、社長さんの熱い思いが実現させた「夢のような」現実だそうです。大量の「対馬産あなご」が、このトラックで東京へ新鮮なまま届けられています。誰かがどこかで「対馬あなご」に出会っていることでしょう。また、今年夏に、空港近くの「ふるさと伝承館」で、「対州そば」と同時に「黄金あなごの天ぷら」をいただきました。その大きさにビックリしましたが、さらに肉厚でふっくらした食感が、美味しいあなごの旨みを演出していました。とはいえ、実際に食べてみなければ魅力は伝わりませんね。自分のことばかりで失礼しました。さて、なぜ「対馬西あなご」なのでしょうか? 先の観光物産協会ブログにあった通り、「対馬の西沖のあなごが極上品」だからです。つまり、対馬の西側と東側に生息しているあなごは味がまったく異なるそうです。温暖な対馬海流に沿って北上してくるあなごが「対馬西あなご」です。対馬海峡西水道(通称:朝鮮海峡)で獲れるものが肉厚で黄金に輝く「黄金あなご」と呼ばれる極上品となるわけです。 この美味なあなごは、朝鮮海峡に生息するためか、韓国でもあなご料理は好んでもてはやされています。日本人と韓国人の「舌」を取り結ぶ「国際交流あなご」でもあるのです。 実際、アナゴの生態は、ウナギ同様、解明されていないことが多いそぷですが、最近では養殖が出来るようになり大量に流通しています。とはいえ、「対馬西沖の天然あなご」にまさるあなごは少ないようです。「ながさき“島”ステーション」にある「対馬 島ブログ」でも「対馬の天然あなご」が紹介されていました。「愛しの島グルメ 対馬の天然あなご」対馬のあなご籠漁船は全部で41艘。他の漁場が底引き網や釣り針によるはえなわ漁での漁法に対し、対馬ではイカなどのエサを入れた黒い筒カゴを海底に沈める、あなごカゴ漁が主体です。 あなごの肉質は白身で淡白。ウナギに比べると脂肪は半分とヘルシーでありながらビタミンA、E、DやBHA、アントシアニンなど皮膚を補強し、細菌に対する抵抗力や目に良い成分が多く含まれています。そのため、お子様の風邪や近視予防にピッタリで、栄養価が高く、100gでビタミンA、E、Dの一日の必要摂取量を摂ることが出来るそうです。対馬で獲れたあなごは、生きたまま関東や関西に出荷されていましたが、近年では島内の加工業者により地元でも販売され消費されています。 あなご料理はバラェティに富み、蒲焼き以外にも、にぎり寿し、押し寿司、煮あなご、天ぷら、味噌汁など様々。 漁師さんが日本一と胸を張る対馬の天然あなごが島の特産品として有名になる日も近そうですね。「対馬の天然あなご」は、通販でもすぐに入手できます。例えば、いつもお世話になっている「対馬ふれあい産直便」定期的にチェックすれば「生きのいい天然あなご」の入荷情報など、季節の情報が得られます。また、「対馬かまぼこ店」では対馬西海岸沖で獲れた黄金色に輝く穴子を『対洲 黄金あなご』(たいしゅう こがねあなご)として商標登録をしていて島内外へ売り出しているそうです。地元名店の「あなご」を堪能するのも良いでしょう。「うまいもんドットコム」には、こんな解説もありました。対馬の西海域のアナゴは美味!-北緯34度00分から34度50分の対馬の西海域は、水深が100~220m、地形・地質も生息に適した岩場と砂泥地で構成されています。また、エサとなるカニ・エビ・小魚が豊富なため、アナゴの活動も活発で脂ののりも良く、肉厚で良質なアナゴが1年を通して漁獲されます。特に初夏にかけてからが旬になります。「アナゴ」は「うなぎ」と違い、脂肪の含有量がうなぎの約半分です。しつこくないので人気も高く、また 関東の「あなご」、関西の「はも」と言われるよう夏場には欠かせない一品です。こちらは、「対馬一のアナゴ獲りの名人、初漁丸の赤木正男船長が獲った最高の鮮度のアナゴ!肉質抜群の逸品」として、通販で入手できます。「通をうならせる絶品あなご」誕生には、やはり、温暖な対馬海流と海底の地形、豊富な海域のエサという対馬独特の自然が深く関係しているようです。「対馬の天然あなご」は豊かで独特の対馬の自然がもたらした「海の宝物」と言えるでしょう。対馬には、他にも素晴らしいものがたくさんあります。対馬の魅力は無尽蔵です。「恐るべし対馬!」は、まだまだ続きます。
2012年11月25日
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昨日の「YOMIURI ONLINE」から引用します。全国の小中高校、特別支援学校が今年4月から9月までに把握したいじめの件数が、14万4054件に上ったことが22日、文部科学省の緊急調査でわかった。昨年度1年間の約7万件の倍以上にあたり、同省は「学校側が軽微な事案も報告したため急増した」とみている。ただ、都道府県による把握件数に極端な差があり、同省は今後、調査方法の改善も検討するとしている。調査は、大津市で中学2年生が自殺した問題を契機に今夏、平野博文・前文科相の指示で実施された。把握件数は小学校が8万8132件、中学校4万2751件、高校1万2574件、特別支援学校597件。31都道府県が、11年度の年間件数をすでに上回っていた。 (2012年11月23日 読売新聞)「大津市いじめ自殺」がきっかけとなり、今年の夏以降、全国で大規模な「いじめの実態及び対策に関する調査」が行われました。文部科学省ウェッブページに載る「報道発表」(2012年11月22日付)から、以下具体的に見てみます。「いじめの問題に関する児童生徒の実態把握並びに教育委員会及び学校の取組状況に係る緊急調査」結果について調査時期 平成24年8月1日~9月22日調査対象 全国の公私立の中学校、高等学校、高等専修学校、中等教育学校、特別支援学校調査項目 いじめの認知件数等 具体的事案の状況いじめの問題への特色ある取組報告書は、件数のみでなく、具体的な事例や取り組みの実例も記載しています(「概要」「別添1」「別添2」の3文書で報告)。そのうちの「別添1」文書(PDFファイル)から、まずは学校別件数を見てみましょう。「平成24年度当初から今回の調査の時点までにおける、いじめの認知件数」数字は、左から「認知件数」「解消している件数」「割合」「昨年度件数(1年間)」です。小学校 88,132件 71,055件 80.6% 昨年度 33,124件 中学校 42,751件 33,037件 77.3% 昨年度 30,749件高等学校 12,574件 9,194件 73.1% 昨年度 6,020件特別支援学校 597件 415件 69.5% 昨年度 597件合計144,054件(平成23年度70,231件) 左の数字は4月から約5ヶ月間、右の数字は1年間の数字です。どの数字も、昨年度(年間)を大きく上回っています。 全体の生徒1千人当たりの認知件数は10.4件(5ヶ月間)で、平成23年度の5.0件(1年間)の倍を越えています。この数字の“謎”には驚かされます。昨年度までの調査と比較して倍増するほど「いじめ」が増加しているのでしょうか。学校別としては、全国学校数の割合からすれば、ほぼ比例する数字で、解消している割合も学年が上がるに従って緩やかに減少していて、中学高校生の「いじめ指導の難しさ」を表す数字となっています。割合や比率としては参考になっても、「実数」としては「学校側がやっと重い腰を上げて実態把握に取り組んだ」のか、「まだまだ数字に現れない、いじめの実態」が潜んでいるのかは不明です。教育委員会や学校側の不手際という連日のマスコミ報道をう受けて、文科省や学校側、教育委員会側が「本気で」調査したとしても、結局は「申告」に頼るほかない実情では、正確な実態把握はまだまだ難しいと言うほかないのでしょう。次に、都道府県別の認知件数(国公私立学校)をあげてみます。47都道府県から、認知件数が多いトップ10(右は1000人あたりの認知件数)鹿児島県 30,877件 159.5件千葉県 15,793件 24.2件宮城県 9,579件 37.6件京都府 8,748件 31.0件東京都 8,313件 6.8件愛知県 7,608件 9.0件奈良県 6,781件 43.0件神奈川県 5,140件 5.6件静岡県 4,436件 10.6件熊本県 3,649件 17.8件47都道府県から、認知件数が少ないトップ10(右は1000人あたりの認知件数)佐賀県 132件 1.3件香川県 168件 1.5件鳥取県 198件 3.0件高知県 249件 3.2件和歌山県 256件 2.3件滋賀県 260件 1.5件島根県 265件 3.4件山形県 294件 2.3件福島県 324件 1.5件愛媛県 354件 2.3件数字の配列に不自然さを感じます。件数の多寡が人数の割合ランクと結びついていません。「認知件数」と「1000人あたりの認知件数」とが必ずしもランキングと対応していないことが分かります。ここには入っていませんが、例えば、1000人あたりの認知件数が極端に少ない地域があります。福岡県 1,0件 埼玉県 1,7件 兵庫県 3,1件 大阪府 3,5件どうでしょうか。鹿児島県が「いじめ最多」県で、極端に認知件数と割合が多くなっています。一方で、福岡県は、「いじめがほとんどない」県なのでしょうか。奈良県や宮城県、京都府、千葉県は「いじめが多発」していて、埼玉県や大阪府、兵庫県は「いじめが少ない」地域なのでしょうか。首都圏を見ても、千葉県だけ多くて、東京都、埼玉県、神奈川県は千葉県の2割程度しかいじめがないという現状が「実態」として信じられるでしょうか。昨年度が、今年5ヶ月間の半数以下である点で、「信用できない数字を今まで公開していた」ことを白日の下に晒す結果となっています。地域別には「正直度」や「丁寧度」、さらにはお上への「忠実度」を測る尺度になっていても、とうてい事実を反映した数字とは思えません。「いじめ」対策を本気で考え、真剣に議論して現場へ還元していく価値のある資料にはほど遠いものと言わざるをえません。「いじめ」について、まずは大人たちが「正直に」「真剣に」「本気で」情報を公開して対策を講じる下地を整える事が必要です。残念ながら、今回の文科省発表は、「緊急調査」を実施したことの意味はあっても、実態を把握する生きた調査にはなっていないように思います。ただし、今回これだけ全体の数字が伸びている事実は、重く受け止めて「いじめの減少」「自殺の再発防止」に具体的に取り組む方策を緊急に整備する必要があることは誰もが感じる「実態」です。文科省は、「次の一手」を早急に打ち出すべきです。願わくは、現場の先生方、教育委員会の事務仕事(あるいは雑用)をいたずらに増やすこととなっていなければ良いと思います。いたずらに「調査」を増やすよりは、もっと「現場の声」をしっかり受け止めて、具体的、効果的、そして早急の手立てを講じることを、まずは考えて欲しいものです。
2012年11月24日
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