久しぶりにこのサイトの基本「倉木麻衣」をテーマにしてみました。俺は倉木麻衣というアーティスト、人間として好きだし、同じ考えを持つ人がネット上でもたくさんいます。しかし!前々から某巨大掲示板では開設直後から「倉木麻衣」に対する、【誹謗・中傷】がかなり見られました。その内容の大半が前々から言われていた【宇多田パクリ説】です。 ここで「倉木麻衣の研究」というサイトの一部を引用します。『*宇多田ヒカルと倉木麻衣 倉木が17歳でデビューしたときのことはさすがの私も知っている。"Love, Day After Tomorrow"のPV(プロモーション・ビデオ)は鮮烈であった。「こんな幼い美少女が,このような難曲をいとも簡単に歌いこなすとは…」私だけではなく,世間の多くがそう思い,この曲はミリオンセラーとなった。しかし,彼女は決して幸せなデビューを飾ったわけではない。順風満帆の彼女の前に立ちふさがる影…それが宇多田ヒカルであった。
たとえば,プロダクション・レコード会社側はなぜ"Love, Day After Tomorrow"のPVで倉木を椅子に座らせたのであろうか?その英語混じりの歌詞,体を左右に揺さぶりながら歌う仕草,そして椅子に座れば,それを見た誰もが,当時すでに伝説と化していた宇多田の"automatic"のPVを想起したことであろう。"Love, Day After Tomorrow"はミリオンヒットとなったものの,この製作者側の手法が以後彼女について回る「宇多田のパクり」という不幸を生んでしまった。
そこで,最初のテーマ「アイドルかミュージシャンか」に戻ろう。当初から指摘されていたことだが,宇多田と倉木の間にあった最大の相違はそのルックスであった。もちろん好みの問題があるから私もここで「倉木のほうが宇多田より美しい」などとは毛頭言うつもりはない。しかし,倉木の方が宇多田に対し,より男性ファンを惹きつける要素を持っていたことは否定できないだろう。そしてこれが,別の問題となって倉木を苦しめることになる。すなわち,「アイドルたるものミュージシャンにはなれない」という偏狭な偏見である。"Love, Day After Tomorrow"のPVの倉木は,確かに魂が吸い取られるほど美しい。実際の彼女はもっといろいろな表情を持つが,あのPVでは,神々しき女神の姿で降臨する。それが,また別の問題を引き起こした。すなわち,「宇多田はミュージシャンだが倉木はアイドルだ」と。実際倉木は作詞だけだが,宇多田は作曲もこなし,その意味で音楽性が高いと思われていた。そのミステリアスな美しさは倉木を人気者にしたが,反面そのせいで音楽性を問われるという不条理を味わった。
はじめまして。 「倉木麻衣の研究 A Study in Mai-K」を運営しております ちゃぶー といいます。 このたびはこちらのサイトでリンク張っていただいたり,掲示板でお取り上げ下さったりありがとうございます。 昨日も「倉木麻衣の研究 補論9-あいまいに飾った言葉はいらない」をアップしていますので,お時間があるときにまたのぞいてみてくださいね。 新曲も出ます。ライブも始まります。 麻衣ファンにとってはすばらしい春になりますね。