たとえば,プロダクション・レコード会社側はなぜ"Love, Day After Tomorrow"のPVで倉木を椅子に座らせたのであろうか?その英語混じりの歌詞,体を左右に揺さぶりながら歌う仕草,そして椅子に座れば,それを見た誰もが,当時すでに伝説と化していた宇多田の"automatic"のPVを想起したことであろう。"Love, Day After Tomorrow"はミリオンヒットとなったものの,この製作者側の手法が以後彼女について回る「宇多田のパクり」という不幸を生んでしまった。
そこで,最初のテーマ「アイドルかミュージシャンか」に戻ろう。当初から指摘されていたことだが,宇多田と倉木の間にあった最大の相違はそのルックスであった。もちろん好みの問題があるから私もここで「倉木のほうが宇多田より美しい」などとは毛頭言うつもりはない。しかし,倉木の方が宇多田に対し,より男性ファンを惹きつける要素を持っていたことは否定できないだろう。そしてこれが,別の問題となって倉木を苦しめることになる。すなわち,「アイドルたるものミュージシャンにはなれない」という偏狭な偏見である。"Love, Day After Tomorrow"のPVの倉木は,確かに魂が吸い取られるほど美しい。実際の彼女はもっといろいろな表情を持つが,あのPVでは,神々しき女神の姿で降臨する。それが,また別の問題を引き起こした。すなわち,「宇多田はミュージシャンだが倉木はアイドルだ」と。実際倉木は作詞だけだが,宇多田は作曲もこなし,その意味で音楽性が高いと思われていた。そのミステリアスな美しさは倉木を人気者にしたが,反面そのせいで音楽性を問われるという不条理を味わった。