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小満(しょうまん)は二十四節気の1つで例年5月21日頃になるそうです。この日を特に「小満」と呼びますが、小満の日から次の二十四節気「芒種(ぼうしゅ)」までの期間も「小満」と呼ぶそうです。太陽黄経が60度のときで、万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来る頃といわれ、暦便覧では「万物盈満(ばんぶつ えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されています。要するに「慈雨が万物を潤す候」なのでしょう。麦畑が黄翠色に色づき始める頃でも有り、「麦秋」の時期がまさにこの頃なのです。「麦秋」・・・ビール党には心地よい響きを持った言葉です。ちなみに「小満」の前の二十四節気は「立夏」で、日中は湿気のない晴れ間が続き、喉が乾きビールが確かに美味しい季節です。ビアガーデンに行くのは真夏ではなく、初夏の頃が相応しいのかも知れません。
May 21, 2007
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大分を朝に発ち、一時間半ばかりで日田市に撞きました。目標は「慈眼山 永興寺(ようこうじ)」。「十一面観音立像」・「四天王像」・「毘沙門天像」2躯・「兜跋毘沙門天像」と合計5件8躯の仏像が重要文化財に指定されています。大分県で、これだけの数の仏像が指定を受けているのは臼杵に次いで二番目の多さです。十一面観音立像は鎌倉時代の作ながら、金箔がかなり残っていましたので、厨子の中で秘仏とされていた期間が長かったのだと思います。像高も70cm位ですから、尊い御方の念持仏として大事に守られてきたのかも知れません。どことなく儚い雰囲気を持つ十一面観音像えすので、守って差し上げなくては、という気持ちのしてくる不思議な観音像です。それに対して、兜跋毘沙門天像は直線的に天にも伸びる勢いが感じられ、宝冠には金剛力士(仁王)らしきシルエットが模様として表現されている珍しいデザインでした。奇しくも「日田どん」とおいう相撲の神様がすぐお隣の日田神社で祀られていますので仏師もそのことを意識したのかもしれません。下を支えるのは例によって「地天」で、毘藍婆と尼藍婆の二匹の邪鬼はいませんでした。後で紛失したのかも知れません。地天だけがしっかりと支えている姿に兼務寺の大超寺住職は「まるで奥さんが毘沙門天を支えているかのよう。」とおっしゃってました。
August 29, 2011
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今日2月14日は奈良の「長谷寺」で「だだおし」という行事が行われる日です。この行事は修二会(しゅにえ)の結願(けちがん)の日に行われる慣わしで、法要の後、赤・青・緑の色の大きな鬼が境内中を歩きまわるというもので、一度見てみたいものと思っていましたが、今日は生憎の雨模様。平日で仕事もあったので行けず終いでした。情報によると、鬼には酒が振舞われ、最後の方は酔っ払った鬼が参拝客に絡むというシーンもあるとか。絡まれた人は余りの意外性に大笑いをするそうです。厄も吹っ飛んでいってしまいそうです。修二会(しゅにえ)とは、十一面観音に人の穢れや過ちを懺悔するための修法で、本来は旧暦の二月に修するため修二会といいます。正月であれば修正会(しゅしょうえ)となります。修二会といえば、東大寺の二月堂が有名で別名「お水取り」といいますが、こちらは三月の前半行われ、結願が14日。この頃、近畿は春を迎えると昔からよく言われています。京都山科の勧修寺では3月10日に結願を迎えるそうです。
February 14, 2007
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4月8日。今日はお釈迦様の誕生日です。仏教用語でいいますと「降誕会(ごうたんえ)」。一般には「花まつり」の方が良く知られています。 多くの寺院では赤ちゃん姿の可愛らしいお釈迦様の仏像(誕生仏)を披露して、そこに甘茶をかけて貰える様に段取りをしています。 境内であったり、お堂の中であったり。さて、ではなぜ甘茶をかけるのでしょうか?それは、お釈迦様が摩耶夫人からルンビにーでお生まれになった時、天空から二匹の龍がお祝いに駆けつけて来て、香油を灌いだという伝説に因むのです。それゆえに「灌仏会(かんぶつえ)」とも呼ばれます。生まれたての赤ちゃんはお湯で体をきれいにしますので、きっと産湯に近いものなのでしょう。皇太子と言う高貴な方でしたので、産湯も上等のものですね。 ですから参詣者は龍と同じように、お釈迦様の誕生を祝うべく、甘茶を頭の上からおかけするということなのです。 またお釈迦様が35歳で大いなる悟りを開いた時、龍がその頭の上でじっとお釈迦様を雨露から守ったという伝説もあります。また、ある龍族の娘はわずか8歳にして、お釈迦様の説く法を理解したとか。 龍とお釈迦様は切っても切れない仲で。龍は仏法の守護獣となりました。禅宗の法堂(はっとう)の天井によく龍が描かれているのも、説法をするお釈迦様を龍が守っていることを表現しているのです。 もちろん、龍自身もその教えを聴いているのです。
April 8, 2008
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「方丈」とは?寺院の古建築でよく登場する「方丈」とはひと言でいいますと、多目的建造物です。寺院の住職がお勤めをする室中(しっちゅう)一般の方の応接間である礼の間(らいのま)檀家用の応接間である檀那の間(だんなのま)師匠から弟子に法を継ぐ衣鉢の間(えまつのま)仏像や祖師像、位牌を祀る仏間(ぶつま)そして住職の日常の生活の場である書院。以上六室からなるのが基本的な方丈建築です。鞘の間等が入り8室構成になることもあります。もともとは印度の維摩居士が、一丈四方の小さな建物で何でもしていたことから「方丈」と呼ばれるようになったとのことです。現在は、住職の生活空間が庫裏や別当に移ったり応接間も別の客殿や書院があったりで、実際に本来の目的で機能しているのは室中と仏間位のものですが、禅寺で拝観をしていますと上記六室の案内がしていることがよくあります。それぞれの部屋に目的を持った六分割のマルチテンプルホールと言えるでしょう。
August 31, 2010
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