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2011.10.29
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カテゴリ: 古病理学

kawanobu日記/中世のペスト菌のDNAを犠牲者の歯の歯髄から抽出に成功、中世ヨーロッパをゴーストタウンに変えたペストはなぜ制圧されたのか;ジャンル=古病理学、歴史 画像1

kawanobu日記/中世のペスト菌のDNAを犠牲者の歯の歯髄から抽出に成功、中世ヨーロッパをゴーストタウンに変えたペストはなぜ制圧されたのか;ジャンル=古病理学、歴史 画像2

kawanobu日記/中世のペスト菌のDNAを犠牲者の歯の歯髄から抽出に成功、中世ヨーロッパをゴーストタウンに変えたペストはなぜ制圧されたのか;ジャンル=古病理学、歴史 画像3

 中世ヨーロッパで大流行したペスト菌のDNAが、アフリカなど途上国で現在も流 行っているペスト菌と遺伝的に似ていることがわかった。ドイツ、アメリカなどのチ ームの研究で判明した。イギリスの科学誌『ネイチャー』10月27日号に発表され た( 写真上 =カバー写真は、王立造幣局跡地の発掘現場で、下にはBLACK DEATH GEN OME、つまり黒死病ゲノム、とある)。

◎チンギス・ハーンもモンゴル帝国拡大がパンデミックの基礎
 研究チームは、中世の1348年と1349年に2000人を越す黒死病犠牲者が 埋葬されたロンドンの墓地(王立造幣局跡地)を発掘し、4遺体の歯髄からペスト菌 に特有のDNAを検出した。ゲノムを調べると、感染症を起こした遺伝子は、660 写真中央 )。
 14世紀半ばに流行したペストは、黒い発疹ができることから「黒死病」とも呼ば れ、わずか5年間でヨーロッパ全人口の半数が死亡したともいわれる。村落は死の村 となり、死者は埋葬もされずに放置された。有史上の最大のパンデミックである( 写 =中世ヨーロッパの黒死病の流行を戯画化した絵)。
 ペストは、紀元前の中国の辺境地に現れたらしいと分かっているが、当時の村落は 互いに孤絶していて旅人も少なく、致死的な大流行はほとんどなかった。しかし1つ の世界史的激動が、環境を大きく変えた。
 チンギス・ハーンによるモンゴル帝国の拡大がそれである。最盛期のモンゴル帝国 は、東は黄海から西はヨーロッパの地中海沿岸まで拡大していた。チンギス・ハーン とその後継者たちによって広大なユーラシアに生まれた「パックス・モンゴリカ(モ ともに運ばれ、またモンゴル軍の行く所にペストも広がった。

◎モンゴル軍の移動で運ばれたネズミとノミ
 致死率の高さの他にペストが恐怖されたのは、その感染スピードの速さである。1 347年、ジェノヴァ、ヴェニスといったイタリアの港町に最初に上陸したペストは 、たった1年でロンドンにまで拡大したのだ。今日のような航空機網の発達していな い中世ヨーロッパでは異例の急速度感染だった。おそらく噂が広まるのとほとんど同
 ペストは、もともと中国奥地の農村にひっそりと生き残っていたとされて風土病で あったとされる。それが前述したように13世紀後半、モンゴル帝国の盟主チンギス ・ハーンの跡継ぎたちが東ヨーロッパにやってきて、パンデミックとなった。モンゴ ル軍は、ウマで大量の生活用具とともに家族が一緒に移動したが、その中にネズミと ノミが隠れていたのだ。

◎包囲するタタール軍の間にまず大流行が始まった
 14世紀の著述家、ガブリエル・ド・ムッシによると、クリミア半島カッハの数年 間に及ぶ包囲攻城戦で、カッハの門の外側に1、2年ほど布陣していたモンゴル軍の 部隊であるタタール軍の間に、まずペストの流行が始まったという。通常ならいつも 移動したタタール軍はペスト罹患を避けられ、大流行にもならず、また菌を媒介する ノミも増えないのだが、1個所に2年近くも野営していたために、不潔な衛生状態に 陥っていたのだ。
 ド・ムッシが活写するところによると、タタール軍部隊では毎日、数千もの兵士が 失われ、「あたかも天から矢が降ってくるように、タタール軍の傲慢さを痛撃した」 。
 大量の病死者を出したタタール軍がそのまま撤退しなかったことが、災厄となった 。兵士たちは指揮官の命令でペスト病死者の遺体を投石機に乗せ、城壁越しに包囲し た街の内部に投げ込んだのだ。カッハの街の住民にも、ペストに感染して死亡する者 たちが続出した。
 カッハの住民のうち、ペスト感染を免れたわずかな者たちは、船で黒海から地中海 に逃れ、その住民たちの上陸したジェノヴァ、ヴェニス、マルセイユなどの港湾都市 にペストが広がった。ペストは、翌年1348年にパリ、ロンドンに蔓延した。
 ペストの犠牲者は膨大にのぼった。中国の人口の50%、イギリスとドイツの人口 の20%、地中海岸ヨーロッパの人口の70~80%が失われたという。

◎遺伝子が変異しなくとも公衆衛生の進歩が抑え込んだ
 今回のロンドンの墓地から掘り出されたペスト病死者のDNAが現在のペストのそ れとほとんど変わらないのに、中世のような悲惨な事態に陥っていないのは、もちろ ん公衆衛生の改善と医学の進歩が背景にあるだろう。ペストの原宿主のネズミも、そ れをヒトに移すノミも、途上国でも減っている。
 日本では1926年以降、感染者が出ていないのも、これが理由だろう。1世紀近 くも感染者が出ていないのは、国民全員にペスト菌に免疫がなく、逆に流行した時に パンデミックの恐れがあるが、その大元の大流行地がなくなっていることから、その 懸念は乏しい。
 厚労省検疫所によると、2004~09年にアフリカやアジア、アメリカの16カ 国で1万2503人の患者が確認され、843人が死亡しているそうだが、この地域 の人口の巨大さから見れば、もはや制圧された疾病に等しい。
 ペスト菌にすれば、中世ヨーロッパ並みのパンデミックを起こせば徹底的に根絶さ せられる。人間と共存した形の今の状況は、ペスト菌にも都合がよいと言える。

昨年の今日の日記 :「大学3年生、4年生はこの氷河期をどう挑むのか、悲観的見通 ししか描けない不幸」





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Last updated  2011.10.29 05:23:10


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