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まず最初に本ブログは映画の内容に深く踏み込むため映画の視聴を予定している方は読まれないことを強くお勧めする。
是非映画を観た後にお読みいただければと思う。
写真:映画オッペンハイマーのポスター
オッペンハイマー公式ウェブサイト
前回は映画オッペンハイマーのあらすじについて触れた。(前回の記事は こちら
)今回は映画のレビューを書きたいと思う。
私はこの映画は原子爆弾開発者の懺悔だと思っている。大量殺戮兵器を開発したOppenheimerだからこそその恐ろしさを熟知していたのだろう。映画の後半に進むにつれてmoral(道理), qualm, scruple(どちらも良心の呵責という意味)という単語がよく登場することからもそのことが伺える。広島と長崎に原爆を投下後に行われた祝賀パーティでOppenheimerの本音が溢れるシーンがある。
“I just wish we had it in time to use against the Germans!” (ドイツ人に対してそれ(原子爆弾を)使えたらよかったのに!)
つまり、原爆はそもそもナチスドイツをターゲットに作られていたのだ。アウシュビッツで多くのユダヤ人を殺されたことに対する憎悪を垣間見ることができる。しかし、原爆が投下時点ではドイツはすでに全面降伏しており、ターゲットは自然と当時まだ降伏していなかった日本に変更されたのだ。
この映画では足音の重低音がOppenheimerの心的ストレスを表している。英雄視されると同時に彼は自分の手で多くの命を奪ってしまったことに対する途轍もない罪悪感に苛まれていたのだ。それはTruman大統領に “I feel that I have some blood on my hands”(私の両手は血で染まっている気がする) と告げていることからも想像できる。 Gran Torino(2008) の主人公であるWalt Kowalskiも終盤に全く同じセリフを言うのである。彼もまた、ベトナム戦争で多くの兵士を殺してきた過去を持つ。また、ヒーローと称賛されながらもアフガン戦争帰還後酷いPTSDに悩まされた兵士を描く American Sniper(2014) にもOppenheimerと通ずるものがある。第二次世界大戦、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争とアメリカが「世界の警察」として支払った見えざる大きな代償があることをこれらの映画は我々に教えてくれる。
前回の記事でも書いたが、もし広島と長崎の原爆投下シーンが削除されて原爆による被害が適切に表現されていないと批判する日本人がいたら、この映画のテーマに立ち返えると溜飲が降りるのではないか。これは戦争に関わった人物の一人称の視点で語られる「伝記」であり、戦争の被害を描いたドキュメンタリーではない。勿論、Oppenheimerは広島、長崎の原爆投下時にはアメリカにいるためその様子を肉眼で確認する術はない。軍から原爆投下後の広島、長崎の様子についてブリーフィングが行われる場面があるが、ここでもあえてその様子は映されない。Oppenheimerも深刻な表情をして俯いており、現実を直視できずにいるようにも思える。 Nolan監督は原爆を作っておきながら実際に起きた現実を直視できない人間の矛盾やエゴを忠実に表現したのかもしれない。 広島、長崎の投下シーンを入れる入れないという議論をするとパールハーバーを入れる入れないという議論が必ず付きまとう。勿論今回の映画ではPearl Harborという言葉は劇中に登場するが、パールハーバーの戦艦が壊滅的ダメージを受けているシーンは一切入っていない。過去の人類の過ちに対する責任の所在を問う映画ではなくこれからの人類の核兵器との付き合い方を問う映画だと思って見るときっと納得できるのではないだろうか。それがChristopher Nolan監督がこの映画に込めたメッセージのような気がする。
EinsteinがOppenheimerに最後伝えた言葉が今も心に突き刺さっている。「十分な罰を受けてようやく自らが成し遂げた偉業と向き合うことができる。メダルは自分のためでなく周囲の人のためなのだと。」
つまり偉大な功績は自己顕示のためであってはならないとEinsteinは主張しているのだ。自国最優先で考えることと軋轢と分断を生む現代社会に対する警鐘のようにも思えてしまった。今回のアカデミー賞授賞式でのアジア人に対する差別が話題になっているが、これも現代社会が抱える分断の象徴ではないだろうか。
Einsteinはまたclearanceが通らなかったOppenheimerにこうアドバイスもする。「私は祖国を捨てた。これがアメリカがあなたの功績に対する仕打ちなのであれば背を向けるべきだ。」このセリフからもChristopher Nolan監督が原爆投下成功と第二次世界大戦勝利を巧みに利用してアメリカの愛国心を聴衆に植え付けようとしているわけではないことがお分かりだろう。また、Los Alamosの原爆完成祝賀パーティーでOppenheimerは原爆の影響で肌がただれ落ちる女性の幻想を見るのだが、この女性はNolan監督の実の娘なのだという。Nolan監督は国の枠組みを超えて人類が抱える喫緊の課題を提示しようとしたのではないだろうか。 主演俳優賞を受賞したCillian Murphyはアイルランド人初のアカデミー受賞者だそうだ。彼は授賞スピーチで「我々はオッペンハイマーが作り出した(核の)世界に住んでいる。このメダルは世界中のPeace Makers(平和を構築しようと尽力する人々)に捧げたい」と言葉した。 まさにEinsteinがOppenheimerに告げた“It (the medal) is not for you. It is for them.”に通ずるような気がしてならなかった。
アメリカの視点から核兵器の誕生秘話を描いた“Oppenheimer”と日本の視点で核兵器の脅威を間接的に描いた“Godzilla Minus One”が同時に今年度のアカデミー賞を受賞したことが個人的には非常に嬉しい。山崎監督は「オッペンハイマー」に対するアンサーの映画を日本人として制作しなくてはならないと話されていたが、「ゴジラマイナスワン」のゴジラを通じてその問いの答えを提示しているようにも思えた。「オッペンハイマー」を視聴した後に「ゴジラマイナスワン」の焼け焦げて全てを失った日本がゴジラ(核兵器の象徴)襲来によってマイナスに突き落とされる様子を見たら見事に点が線で結ばれるのではないだろうか。戦後80年を迎えようとする中このような映画が出てきた意義は大きいと思う。
1967年にOppenheimerはこの世を去っているが、彼は今世界で起こっている核競争の最初の預言者だったのかもしれない。もし今日Oppenheimerが生きていたらロシアとウクライナ間の戦争、パレスチナ・イスラエルの紛争をどう思うだろうか。核の脅威は間違いなく日に日に増している。
3月29日にいよいよOppenheimerが日本に上陸する。アカデミー賞受賞者の壇上での炎上で意図せず話題性は十分だろう。アメリカの地からOppenheimerが賞賛されるのか、それともボロボロにこき下ろされるのか見届けたいと思う。
私の春休みもあっという間に終わろうとしている。またここからギアを上げて研究に励みたい。
オッペンハイマーとレビューだけでなくゴジラマイナスワンのレビューも併せて参照していただきたい。(過去の記事は こちら
)
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