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「定年後の暮らしについて(江戸川区在住のS・A様編その(8)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版で数回に分けてご紹介しています。江戸川区在住のS・A様の8回目は「定年後の暮らしについて」です。◇「定年後の暮らしについて」 思いつくままに上げてみましょう。私は長い間江戸川区に住んでいますが、地域にはあまり馴染んでいません。定年後の男の人は町内会の役員などをして、地域交流をしていますが、私はやっていません。お金儲けには、全く興味がありません。車には些かこだわりがあります。最初は両親の介護用に購入しましたが、現在はシルバーの日産CUBEにETCとカーNAVIを装備しています。お酒はビールが好きです。会社時代の仲間や友人と連絡を取り合って、ワイワイ賑やかにやるのが一番楽しい時間です。そんな暮らしのなかで、きちんと計画的に取り組んでいるのはやはり健康管理でしょう。いくつかご紹介しましょう。1.毎日歩くこと・万歩計と共に毎日5km位を歩きます。江戸川の堤を柴又界隈まで余程の荒天でない限り、毎日欠かしません。・万歩計の項目(月日、歩数、Kカロリー、グラム、KM、時etc.)を基に、毎日ノートに体重、BMI、基礎代謝、体脂肪、内臓脂肪、年年齢を記録して1ヶ月間の体の変化をチェックしています。おかげで、現在の年年齢は実年齢より若いです。2.仲間と旅行すること・歩こう会(子安ドラッグストアーホテルオークラ店時代のテナント仲間などの集い)の仲間と、月1回ペースで旅行に出かけます。名所旧跡を訪ねて歩いたり、写真を撮ったりと、事前に計画を立てて行動することは、不規則になりがちな定年後の生活リズムを整えるのにとても効果的です。 3.フラワーアレンジメント江戸川区民コミュニティ会館で、フラワーアレンジメントの講習を受けて始めました。TPOに合わせた花の選び方からアレンジ方法などを考えて、作品を仕上げる時間はとても集中して過ごせる一時です。出来上がった作品を写真とアレンジデッサンと一緒にスクラッピングしておいて、後から眺めるのも楽しいものです。お転婆だった学生時代の私からは想像できない一面かもしれません。 4.読書テレビを消して静寂な時間を楽しみたい時や、比較的暇な時はフランス文学やロシア文学を読んでいます。今はトルストイの「アンナカレーニナ」に挑戦してます。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.25

「愛犬ロンの思い出について(江戸川区在住のS・A様編その(7)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版で数回に分けてご紹介しています。江戸川区在住のS・A様の7回目は「愛犬ロンの思い出について」です。◇「愛犬ロンの思い出について」 愛犬のロンは、1993年(平成5年)2月に母が亡くなってからは私の命のような存在でした。高校時代に我が家に来て以来、足かけ17年間余一緒に暮らしました。ロンは雑種でしたが、私には時に友人であり、時には母のような存在でした。一人で仕事をしていると、悲しいこともあり、涙を流す辛い時もありましたが、私が泣くと、ロンはクーン、クーンと吠えながら涙を嘗めてくれました。だからロンが亡くなった時は、悲しみにうちひしがれて一週間も仕事を休んでしまいました。実際、ペットロストシンドロームになったようで、ロンの死後1年間以上悲しみと懐かしさの交差した思い出が心に残りました。今でもロンの写真は両親の写真と一緒にして、家を留守にする時は必ず持ち歩いています。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.25

「パソコンとの出会いから現在まで(江戸川区在住のS・A様編その(6)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版で数回に分けてご紹介しています。江戸川区在住のS・A様の6回目は「パソコンとの出会いから現在まで」です。◇「パソコンとの出会いから現在まで」 子安ドラッグストアーホテルオークラ店時代に、当時の会社トップから「これからパソコンの時代だ」と言われて勉強を始めました。たしかNECのPC98シリーズだったと思いますが、1993年(平成5年)頃に会社主催でPCの講習会があり、それに参加したのがパソコンとの正式な出会いです。本格的にパソコンに取り組んだのは50歳代半ば(55~56歳頃)で、同時にデジカメも始めました。パソコンは画像編集が面白くて、なかでも年賀状ソフトの筆グルメで写真入りの年賀状作成が得意です。仕事に役立ったのはEXCELです。それまで毎日手書きで処理していたお店の売上日計表作成が手軽にできてとても重宝でした。定年後もインターネットやメールをはじめ、楽しく利用できる道具として役立っています。メールを通じて今も会社の人たち(株式会社子安の皆さん)とのコミュニケーションがとれています。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.25

「対面接客業務で心がけて欲しいこと(江戸川区在住のS・A様編その(5)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版で数回に分けてご紹介しています。江戸川区在住のS・A様の5回目は「対面接客業務で心がけて欲しいこと」です。◇「対面接客業務で心がけて欲しいこと」 私のように毎日対面接客をしていますと、いろいろなことが分かるようになります。これまでの経験で気づいたことを思いつくままに紹介します。何かの参考になれば幸いです。1.買い物の仕方を見ていると、お客様の品性が分かるような気がします。2.地位の高低とか、お金持ちか否かなどでお客様への接遇を差別しないように注意しましょう。3.お客様の外見に惑わされないように、代金を支払っていただければどなたでもお客様です。4.お客様のクレームは最優先して対応することが解決のポイントです。 ・クレームは最優先で早く処理 ・真心を込めた対応 ・逃げないで自分で処理(管理者の場合) ・速やかに上司に報告して指示を仰ぐ(スタッフの場合)→私の経験ですが、逃げないで自分でクレーム処理を心がけた結果、約30年間、ホテルオークラにも株式会社子安の本部にも迷惑をかけたことはありません。また、「さすが、オークラの薬屋」だと、クレームをいただいたお客様からとても褒められたことがあります。クレームをきちんと処理すれば、そのお客様はお店の顧客にもなって下さいます。5.接客教育は現場に任せるのが一番です。率先垂範でやってみせる(OJT)のが効果的です。6.接客業務スタッフは鈍感なのはダメです。気配りと誠実さが大切です。7.お客様について気づいたことはメモをとっておくと、再来店された際に役立ちます。8.接客下手なスタッフにも叱るばかりでなく優しく手を差しのべ、お店全体を盛り上げることが必要だと退職後に気づきました。9.仕事を円滑に進め成果につなげるには、的確な社内のコミュニケーションが必要です。→ホテルオークでは、毎朝メールでその日のVIPの来館情報、お客様の情報、注意情報を各部門に通知しています。この連絡に沿って各部門がその日の対処方法を立てるますので、ホテルのホスピタリティの維持に役立っています。これはとてもよいコミュニケーション方法だと思います。10.最後に一つ、お客様が何を買って下さったかを覚えておくことです。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.25

「対面接客業務について(江戸川区在住のS・A様編その(4)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版で数回に分けてご紹介しています。江戸川区在住のS・A様の4回目は「対面接客業務について」です。◇「対面接客業務について」 ヘアースタイリストやネイリストをしていた当時も対面接客の仕事でしたが、毎日接するお客様の数は少ないものでした。それに比べて子安ドラッグストアーホテルオークラ店では毎日とても多くのお客様と接しました。ただし、お客様との接客密度とか、親密度は相当違いました。この対面接客業務を通じて得たお客様の知遇はとてもありがたいものがあります。例えば、東京ヒルトンホテル(千代田区永田町/当時)でネイリストとして接していた当時、政治家や著名なお客様に知遇を得ることができ、その後子安ドラッグストアーホテルオークラ店のお客様になっていただくことができました。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.25

「両親の介護と仕事の両立について(江戸川区在住のS・A様編その(3)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版で数回に分けてご紹介しています。江戸川区在住のS・A様の3回目は「両親の介護と仕事の両立について」です。◇「両親の介護と仕事の両立について」 ホテルオークラの子安ドラッグストアーに勤務していた当時、3人の姉妹は既に嫁いで家を出ており、一人で両親と暮らしていました。父は退職後、8年間ほど痴呆症を患い、夜中にも徘徊するようになりました。母はリューマチを患って歩行が困難となり、リューマチの後遺症で心臓にペースメーカーを埋め込んでいました。当時勤務していたホテルオークラ内の子安ドラッグストアーはホテルのお店ですから、年中無休で早朝から夜間まで営業しています。それで、両親の介護と仕事の両立はとても負担でしたが、当時はお店の売り上げも好調で、勤務ローテーションの調整にも上司や同僚の協力があって、仕事のやりくりはできました。ただ、介護保険もない時代のことで、度々夜中に出歩き、ずぶ濡れになって戻ってくる痴呆症の父を見ていると、腹立ち紛れに冷淡なことを想ったりしました。しかし、二人の世話ができるのは自分しかいないとの一念で、とにかく二人の介護に勤めましたが、どうにもやりくりがつかなくなり、父を介護施設に入居させました。このことが今でも心残りです。どうして父を自宅で介護することができなかったのか、安易に施設に入れたのではなかっただろうかと命日を迎える度に悔悟の念に囚われます。母はずっと自宅で介護しました。父は1993年(平成5年)1月に亡くなりました。そして後を追うように母も父の死後1ヶ月を待たずに亡くなりました。両親の介護は誰にでもおとずれる可能性があります。現在介護制度や介護施設は充実してきましたが、私の体験を通して思うことは、肉親の介護がなによりも大切なことだということです。予測できないことだけに、事前の準備も難しいことですが、両親の介護を避けられない事実として受けとめる心の準備をしていただくようお勧めしたいと思います。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.25

「両親の思い出について(江戸川区在住のS・A様編その(2)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版で数回に分けてご紹介しています。江戸川区在住のS・A様の2回目は「両親の思い出について」です。◇「両親の思い出について」 両親共に公立学校の先生という、所謂教育者家庭です。父は江戸川区立中学校の校長でした。お酒が好きで、よく酔っぱらって帰宅したものです。時々は交番のお巡りさんにやっかいになったりもしましたが、当時の風潮は、学校の先生が酔っぱらって町を闊歩していても誰も咎めたりしなかったので、酔っぱらいには天国だったでしょう。母はそんな父を非難することもなく、黙って世話をしていたことを憶えています。教育者らしく4人の娘(S・A様は4人姉妹の三女)の躾は厳しかったですが、優しく見守ってくれて感謝しています。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.25

「遠藤波津子美容室日本橋高島屋店で美容師として社会人生活をスタート(江戸川区在住のS・A様編その(1)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版でご紹介します。今回ご登場いただいたのは、水と緑に囲まれた東京都江戸川区在住のS・A様です。S・A様は、遠藤波津子美容室で美容技術者として社会人生活をスタートして以来、ホテルオークラ東京内ドラッグストアー(子安ドラッグストアー)、まで45年間にわたって対面接客業務一筋に従事され、お客様とのコミュニケーションを何よりも大切にしてきたセールスウーマンです。65歳で退職後は、健康管理を第一に、旅行やフラワーアレンジメントなどを楽しまれています。時々は都心に繰り出し、知人や後輩とビールのグラスを傾ける時間を楽しまれています本稿は長編ですので、数回に分けてご紹介します。まずは「美容師として社会人生活をスタート」です。◇「美容師として社会人生活をスタート」 美容師免許を取得後、遠藤波津子美容室に入社し、日本橋高島屋店(当時/現ハツコ エンドウ ビューティースタジオ)と日本橋三越店(当時)で5年間美容師として勤務しました。美容師という職業が特に好きだったという訳ではありませんが、この仕事がその後の約半世紀近くに及ぶ接客サービス業のスタートになりました。※遠藤波津子美容室初代遠藤波津子(現代の遠藤波津子は4代目)が、1905年(明治38年)に銀座七丁目で創業した我が国を代表する美容室。日本の美容界にとって革命的なコールド・パーマの導入や世紀のご成婚といわれた1959年(昭和34年)4月の皇太子殿下と美智子様の結婚式で美智子様の美容担当という大任を果たしたことで有名。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.25

「料理とお酒について(永井 達二様編その(5)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版でご紹介します。埼玉県在住の永井達二様の5回目は「料理とお酒について」です。◇ 料理とお酒について私の健康状態は定年前と変わりません。相変わらず好きな料理とワインやビールを楽しんでいます。暴飲暴食は避けますが、仲間と楽しく語り合うのには、美味しい料理とお酒は欠かせません。何よりも、ビール好きがご縁で、アサヒ・スーパードライ新宿店さんで展示ができるようになった訳ですから、ますますお酒は好きになっていきます。<インタビュー後記>ワイン好きの永井さんは、インタビューの場所もアサヒ・スーパードライ新宿店を希望され、昼食をはさみながらインタビューに応じて下さいました。お好きな赤ワインを召し上がりながら、66歳記念の国道66号線(ルート66)撮影旅行をはじめとした写真を丁寧に説明して下さいました。そして、話題が「アサヒ・スーパードライ新宿店恒例の写真展示」に移った時には、展示作品の準備の苦労話も含めて、一つのイベントをやり続けることの苦労とやりがいについて熱弁をふるわれました。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.15

「レーザーコンサルタントとしての活動(永井 達二様編その(4)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版でご紹介します。埼玉県在住の永井達二様の4回目は「レーザーコンサルタントとしての活動」です。◇ レーザーコンサルタントとしての活動レーザー工学研究の経験を活用し、レーザーコンサルタントとして20年近く活動を続けています。これまでの代表的な活動は次のようなものがあります。1.大阪大学レーザー核融合研究センター(レーザー核融合研究、高性能レーザー研究、回折格子開発、核融合燃料とその関連研究の施設/大阪府吹田市山田丘2-6)で「地上にミニ太陽を創る」ことを目指してレーザー開発研究に従事していました。※大阪大学レーザー核融合研究センター:レーザー核融合研究、高性能レーザー研究、回折格子開発、核融合燃料とその関連研究に取り組んでいます。2.有限会社上尾光学村にて財団法人レーザー技術総合研究所の指導で、過去に開発された技術を利用して干渉計の「測定原器」を進歩させる研究に取り組み、「透過型球面原器」=「1/40λ以上」・精度の開発・試作をしました。「レーザー核融合の技術」として開発・実行された技術を採用し、開発・結果として、世界・レーザー業界で始めての精度を得ることができました。※財団法人レーザー技術総合研究所:1987年10月にレーザーとその応用に関する研究開発を行う全国的・国際的機関として、産業界および大阪大学を中心とした学界ならびに当時の三省庁(科学技術庁・文部省・通商産業省)の協力によりに設立されました。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.15

「アメリカ合衆国の国立公園撮影旅行(永井 達二様編その(3)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版でご紹介します。埼玉県在住の永井達二様の3回目は「アメリカ合衆国の国立公園撮影旅行」です。◇「アメリカ合衆国の国立公園撮影旅行」 カール・ツァイス日本支社~キヤノン株式会社から体得したカメラ撮影の楽しさを、時間に捉われないで味わいたいと思っていました。そこで、定年前から定年後の自分らしさを実現するオプションの一つとしてアメリカ合衆国の国立公園撮影旅行を計画し、同好の仲間を募り、互いの日程を調整しながらこれまでとだえることなく実行してきました。グランド・キャニオン国立公園、モニュメント・バレー国立公園などは既に訪れましたが、まだまだ多くの撮影場所が残っていますので、これからも続けていく予定です。 前述の通り、私には「アサヒ・スーパードライ新宿店恒例の写真展示」という発表の場がありますので、自分の感性で捉えた自然の風景の魅力を伝えていきたいと思います。※「アサヒ・スーパードライ新宿店恒例の写真展示」は、東京都新宿区新宿3丁目36-12杉忠ビル1Fのアサヒ・スーパードライ新宿店で、1999年秋より3カ月入替で連続して展示されています。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.15

「66歳記念の国道66号線(ルート66)撮影旅行(永井 達二様編その(2)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版でご紹介します。埼玉県在住の永井達二様の2回目は「66歳記念の国道66号線(ルート66)撮影旅行」です。◇「66歳記念の国道66号線(ルート66)撮影旅行」 国道66号線(ルート66)は、1926年に創設されたアメリカ合衆国の国道で、イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンタモニカを結び、全長は3,755km(2,347マイル)です。アメリカ合衆国南西部の発展を促した重要な国道でしたが、1985年に州間高速道路の発達によりその役目を終え、廃線となっています。現在では、旧国道66号線(Historic Route 66)として、国指定景観街道(National Scenic Byway)に指定されていますが、ルートの80%以上は緻密な計画のもとに車でたどることができますので、カメラ仲間の二人を誘って男三人の「66歳記念の国道66号線(ルート66)撮影旅行」を計画し、実行しました。66歳を祈念した2006年6月6日AM6時6分(アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ市現地時間)ジャストにイリノイ州シカゴをスタートした撮影旅行は、イリノイ州~ミズーリ州~カンザス州~オクラホマ州~テキサス州~ニューメキシコ州~アリゾナ州~カリフォルニア州となんと8州3,755km(2,347マイル)を走破して、2006年6月25日AM9時近くに終着点のカリフォルニア州サンタモニカに到着しました。 早速、ウィル・ロジャース・ハイウェイ(The Will Rogers Highway)記念碑の前で男三人が揃って万歳三唱して記念撮影し、このこだわりの撮影旅行は無事にフィナーレを迎えました。 余談ですが、徹底して6にこだわった66歳祈念の出発シーンは、運よく地元シカゴのテレビ局によって放映されるという思いがけないプレゼントが付きました。※ウィル・ロジャース・ハイウェイ(The Will Rogers Highway)は、1952年に国道66号線協会(US Highway 66 Association)によって国道66号線の「公式」な別名として定められました。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.15

「アサヒ・スーパードライ新宿店恒例の写真展示(永井 達二様編その(1)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版でご紹介します。今回ご登場いただいたのは、現役レーザーコンサルタントとして活躍されながら、アメリカ合衆国の国立公園の撮影旅行を中心とした写真撮影に勤しまれている埼玉県在住の永井達二様です。永井様は、大学で物性(CDS結晶の開発)を学ばれ、カール・ツァイス日本支社並びにキヤノン株式会社でレーザー光学の技術職に長期間従事、その後キヤノン販売株式会社での光学機器の技術サポートと販売推進を担当されました。定年後は、趣味の写真撮影を楽しみながら、有限会社上尾光学村でレーザーコンサルタントとして活躍中です。本稿は長編ですので、数回に分けてご紹介します。まずはこのインタビューのきっかけとなった「アサヒ・スーパードライ新宿店恒例の写真展示」です。◇「アサヒ・スーパードライ新宿店恒例の写真展示」 定年退職を翌年に控えた1999年の秋、アサヒ・スーパードライ新宿店でカメラ仲間たちとビール片手に「イエローストーン国立公園 (Yellowstone National Park)撮影旅行」の計画を練っていました。その際、当時の店長だった平さんから、「楽しい撮影旅行になりそうですね。帰国されたら当店で展示して下さい。」と声をかけていただきました。それまで、ビヤホールの店長と客というだけの関係でしたが、これがきっかけとなり、帰国後早速第一回目の展示をさせていただきました。展示作品は当然「イエローストーン国立公園 (Yellowstone National Park)撮影旅行」です。 それからは平店長さんのご厚意で、3か月単位で展示写真を入れ替える仕組みが定着し、店長さんが交代してからもそのまま継続しています。せっかく多くの作品をもっていても、なかなか発表する場を持てないのが我々アマチュアカメラマンの悩みの種ですので、このような発表の場を提供いただいていることはとてもありがたいことです。順不同ですが、「アサヒ・スーパードライ新宿店の写真展示」では、グランド・キャニオン国立公園、モニュメント・バレー国立公園、国道66号線(ルート66)、夜のラスベガス、世界遺産「九賽溝・黄龍」、チェナ・ホットスプリングスの「天空のオーロラ」などを出展させていただきました。※「アサヒ・スーパードライ新宿店恒例の写真展示」は、インタビュー本文中にも登場しますが、東京都新宿区新宿3丁目36-12杉忠ビル1Fのアサヒ・スーパードライ新宿店で1999年秋より3カ月入替で連続して展示されています。(CGBSホームページ「人生80年代を粋に暮らす達人たち」より引用)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.15

「定年後の地域社会との関わり方(若勇 康仁様編その(3)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版でご紹介します。千葉県在住の若勇康仁様の3回目は、「定年後の地域社会との関わり方」を中心にご紹介します。◇ 定年後の地域社会への土着化の第一歩 「公園デビューを通した仲間作り」について定年で会社、仕事から解放されて自分の住みかの地元に戻ってみると、知っているはずのご近所のことや地域社会のことなどがまるで知らないことに気づきました。そこで自分は、飼い犬に曳かれて公園デビューをしました。二匹の犬を朝晩30分運動させることで、犬を連れたご近所の老若男女と、お互いに犬の名前を冠して呼び合う仲となり、公園デビューができました。このようなご近所との触れ合いの第一歩は、私のように犬をつれてでもいいし、お孫さんがいる方なら孫を連れてでもいいでしょう。躊躇しているといつの間にか留守番人間となってしまいます。老人の「とじこもり」を避けるため、地域での人間関係作りに取り組む日課を始めましょう。◇ 定年後の地域社会での過ごし方について定年後は、自分で自由に使える時間が多くなりますので、それをどうするかが問題でしょう。自分は、公園デビューに加えて、フィットネス・クラブに通っています。そこでは地域社会の定年おじいさん、元気一杯のおばさんなど様々なタイプの人々と知り合うことができます。まだあります。30坪の畑作をしています。いい作物を作るためには、ほぼ毎日農作業をこなす必要がありますので、顔を合わせるメンバーも増えて人間関係が広まります。このようなことで地域社会への土着ができるかどうかは即断できませんが、公園デビューを通して仲間を作ったり、畑仕事で人間関係を深めるのは良いことでしょう。◇ 定年後の生き方・過ごし方について自分は定年後の過ごし方について、「好きなように自分らしく過ごせばいい。」と考えます。この発想が著書「さあ。歩きましょう」の源流にあります。地域社会での人間関係を深めるため、自分が中心になってNPOを設立していますし、いろんなNPOにも参加し、活動しています。NPOネイチャースクール、NPO「炭焼きの会」、「やちよ蕎麦の会」、「横戸台農園クラブ」と、アウトドア生活が結構多いですね。自分の毎日のスケジュールも大体決まっていますが、そのうち執筆活動が70%を占めています。エッセイは、自分が「体験したこと」、「経験したこと」、「感じたこと」を書いています。後2冊位は出版したいですね。◇ 最近出版した著書「さあ。歩きましょう」について「家庭への軟着陸と地域社会への土着化をどうする?」をテーマに、定年後の暮らしをエッセイに書き綴りました。今回の本を出版するために、自分は100の作品を作りました。その中から「地域社会への軟着陸」「家族の風景」の章立てのエッセイ30数編を絞り、「さあ。歩きましょう」の書名で出版になりました。なお、本書には「小説 息子の腰痛」も掲載しています。(CGBSホームページ Special Interview 「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」より)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.11

「定年に向けての心構え(若勇 康仁様編その(2)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版でご紹介します。千葉県在住の若勇康仁様の2回目は、「定年に向けての心構え」を中心にご紹介します。◇ サラリーマン時代のお酒についてサラリーマンとして働いていた当時、飲むお酒は、1次会、2次会までは仕事の延長戦でしたね。本当に楽しめるのは、2次会が終わって、自分一人、馴染みのお店でカウンター越しに店のご主人やおかみさんと話しながら飲むお酒です。◇ 定年後の準備について定年後のことがいろいろ言われていますが、現役で仕事をする人には定年後の準備を考える余裕がないのが現状でしょう。定年前にいろいろ準備しましょうと言いながらも、本当はできるわけがないと思います。例えば、自分の家のゴミを選別して捨てることさえできないなど、我が家の日常的な暮らし方のルールすら分からない会社人間が多いですから。まずは自分の現実を見るのが大事でしょう。◇ 起業のタイミングについて自分は起業のタイムリミットは45才だと思います。ところが45才でベンチャー企業を起こして家で仕事をする人には、何か病気があるのではないかとか、問題があるかのように周りからの視線が集まります。この視線は、かなりきついものです。それに比べて定年退職者は、退職された人として理解してもらえる面があるのはありがたいです。◇ 定年後に地域社会に受け入れてもらえる心構えについて定年退職してすぐにエッセイ教室に入会し、現在まで続いています。この教室は、特にこの数年間、会員は中高年の女性たちばかりでした。女性たちばかりのところで一緒に勉強しながら、勤めていた会社のことを一切出さずに話を交わしました。すると本当の話ができるようになりました。退職者の70~80パーセントが、自分が勤めていた会社やそこでの職位にこだわりすぎます。それらを捨て、自分らしく生きることから、本当の話が交わせるようになると思います。過去の会社のことは忘れましたというのが地域社会に受け入れてもらえた要因かもしれません。実際、蕎麦の種をまくときは、力と飲み物があれば十分で、どんな会社にいたかとか、役職がどうだったかは何の役にも立ちません。気力と体力があれば、山登りもできるものでしょう。退職後は、会社とか役職とかは関係ありません。むしろ役職が高いほど、閉じこもりやすい傾向があるようです。目線が高い人ではなく、低い人ほど、気持ちよく付き合いができます。結局、地域社会に受け入れてもらえる態度能力は、自分より一つ下の目線を持つこと。要するに威張らないことが大事でしょう。(CGBSホームページ Special Interview 「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」より)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.11

「団塊世代と団塊党(若勇 康仁様編その(1)」 CGBSホームページでは、「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」と題するスペシャルコーナーを公開しています。このコーナーでは、定年後の人生で、自分のやりたいことをあれこれ模索しながら、自己実現を目指して前向きに暮らしている達人たちの考え方や生活スタイルをご紹介しています。このブログでは、ダイジェスト版でご紹介します。今回は、この特集企画のトップバッターとしてご登場いただいた、キヤノンOA機器の直販セールス部隊及びサービス部隊の指揮官(キヤノン販売株式会社 営研事業部 副本部長)として長年活躍され、定年退職後は地域社会で自己実現に取り組まれている千葉県在住の若勇康仁様です。若勇様は最近「さあ。歩きましょう」というエッセイ集を出版され、それがご縁で「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」にご登場いただきました。本稿は長編ですので、数回に分けてご紹介します。まずは「団塊世代と団塊党について」です。◇ 団塊世代についてよく団塊世代と言われていますが、団塊世代とは、評論家・作家の堺屋太一氏が一躍有名になった著書「団塊の世代」の表題に因んだものです。「団塊」は堺屋氏の造語で、団塊世代というのは、昭和22年から24年の三年間に出現した680万人ものベビーブームの世代です。昭和26年まで含めると1,000万人以上になります。就学時に青空教室、ハイティーン、長じて受験戦争、ニューファミリー、そしてビートルズを聞き、多くのフォークソング・シンガーを生み出した世代です。戦争を知らない戦後っ子で、学生時代は70年安保に重なり、全共闘世代とも呼ばれますが、この世代の人たちが全部同じかというとそうではありません。それを十把一絡げに総称するのはおかしいと思います。共通の生活体験をしてきたというだけで、安保世代だから全員が政治的だったとか、学生運動をしたわけではありません。団塊世代の風俗の色に染まり方もいろいろで、個人差が大きいと思います。80%はノンポリで政治闘争とは縁がなく、ほとんどが流行歌、フォークソングに自己存在を確認するムード派だったと思います。就職後は猛烈な働き蜂として日本の高度経済成長を支えてきましたが、突如バブルが崩壊し、リストラ騒ぎの渦中に身をさらし、2007年から数年間にわたってどっと定年を迎えます。定年延長や再就職もあるでしょうが、いずれは地域社会に参入してくるはずです。◇ 団塊党について菅直人氏が立ち上げた団塊党は、一つの方法論に過ぎません。だから、学生運動をした団塊世代が、会社人間を卒業後、市会議員など政治的な活動に向いているなどとテレビなどで論じている人たちは、論のため論じているに過ぎないと思います。議会への「政治参入」より、まず1、2年間身近な「地域社会参加」をすすめたいです。学生運動や文化活動の経験をもつ団塊世代に、地道な地域活動、自治会活動をしてもらいたいと考えています。地域活動の主力部隊として活動し、その延長線上で市会議員を目指してもいいと思います。50、60代の社会経験、人生経験の豊富、熟達な団塊世代の人々が、政党の政治活動の裾野を広げる新しい力として出現することが望ましいと思います。テレビなどまるで民族大移動のように田舎へとUターン、Jターンをすすめる人がいますが、夫婦が世帯を別にしてまで、男は「里山」をめざすことはないですよ。「熟年」なのだから田舎生活(カントリーライフ)など、よく考えた方がよいと思います。(CGBSホームページ Special Interview 「人生80年時代を粋に暮らす達人たち」より)<提供>このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを提案するCGBSが提供しています。
2007.11.11

「出世で得られるやりがいとは違うものもある(2)」-読売新聞の特集「山一マンの10年」より- 読売新聞の特集「山一マンの10年」は、元山一証券社員の方々が破綻で職を失った後どのように生きていたかに焦点を当て、出世競争に血眼になっていた猛烈社員時代から人生の季節を乗り越え、それとは異質の生きがいを見出すに至った姿を紹介しています。この連載のうち、2007年11月2日付けの「山一マンの10年」(3)「夫婦で走る第二の人生」と題する特集の結びに書かれていた「出世で得られるやりがいとは違うものもある。」という一文に、私が提唱している定年後の自己実現の本質に通じるものを感じましたので、新聞記事より部分引用でご紹介します。・・・日曜日の午前中、千葉・花見川沿いに続くサイクリングコース。ロード用のヘルメットをかぶり、藤橋忍(64)は上流に向かって自転車を走らせる。後ろには妻(56)の自転車が続く。山一証券時代、日曜といえば、接待ゴルフと決まっていた。(中略)平日の夜は宴席に、休日ともなればゴルフに役人たちを誘った。「息子の運動会に出たことがないんです」。(中略)課長、次長、室長と地位が上がり、やがて、同期の中で一番早く常務取締役に昇進する。だが、1997年11月、当時の社長・野沢正平(69)と藤橋に、「自主廃業を選択してもらいたい」と通告したのは、頼りにしていたはずの大蔵省だった。「顔を上げて歩けなかった」と、藤橋は振り返る。(中略)かつての同僚と小さな投資顧問会社を始めたものの、再び兜町に足を踏み入れる気持ちは起きなかった。(中略)「会社のことしか考えなかった生き方を変えよう」。2000年11月、消防車両メーカー「モリタ」に移ってから、妻を初めてゴルフ練習場に誘った。山一の秘書課に2年間勤め、23歳で結婚した妻。一連の事件では船橋の自宅を4回も捜索され、家計簿まで押収された。遅ればせながら、共通の時間を持ちたかった。ふと周囲に目をやると、週末の練習場には、夫婦の姿が目立った。今まで気付かなかった。モリタに定年まで勤めた藤橋は現在、都内のM&A仲介会社で常勤監査役の職にある。妻と過ごす時を重ね、「もう少し働こうという気力が戻った」と語る。自転車は1年前に始めた。日曜に二人で花見川や印旛沼沿いを、季節で変わる花々を楽しみながら巡る。長い時は一日40キロ走る。「出世で得られるやりがいとは違うものもある」。妻から「立ち直れないと思った」と言われた人生の季節を乗り越え、藤橋はそう実感している。(敬称略)・・・(2007年11月2日付け読売新聞の特集「山一マンの10年」より)私自身を振り返ってみても、40代までは仕事が生きがいの毎日で、午前様の帰宅を勲章のように勘違いし、働きづめだったと思います。その間、二人の子育ては妻一人に任せきりでしたが、それは当然の役割のように思い、ご苦労さまの労わりの言葉さえなかったと思います。このことに気づいたのは、早期退職を考え始めるきっかけとなった会社の人事評価制度の見直しだったとは皮肉なものです。今回引用紹介させていただいた元山一証券マンの藤橋さんの記事にあった「会社のことしか考えなかった生き方を変えよう」こそ、豊かで生きがいのある第二の人生を迎えるための試金石のように思えてなりませんでした。自己実現は、人生において自己の可能性を追求することです。生存・経済的欲求は、人間の最低次元の欲求であるのに対し、自己実現の欲求は、人間の最高次元の欲求です。仕事だけが人生ではありませんが、人生80年時代に人生の三大不安から脱却し、自己実現の欲求を満たすには、そのための費用確保の手段が必要です。元山一証券マンの藤橋さんの生き方を参考に、自分の人生に一番いい結果を出す生き方を考えてみてはいかがでしょうか。このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを、筆者自身の体験に基づいて提案します。<提供>
2007.11.03

「出世で得られるやりがいとは違うものもある(1)」-読売新聞の特集「山一マンの10年」より- 2007年10月31日から連載がスタートした読売新聞の特集「山一マンの10年」をお読みになった方は多いと思います。この特集は、元山一証券社員の方々が破綻で職を失った後どのように生きていたかに焦点を当て、出世競争に血眼になっていた猛烈社員時代から人生の季節を乗り越え、それとは異質の生きがいを見出すに至った姿を紹介しています。私は定年後の第二の人生を自己実現の時代と捉え、CGBSホームページの「CGBSのレポート一覧」で、「人生80年代の生涯生活設計」をテーマに、現役時代のできるだけ早いうちから定年後の自己実現(自分らしく生きがいを持って毎日を過ごす)のための取り組みを提唱してきました。これは、企業社会の出世で得られるやりがいとは違うものです。このレポート作成のため、日々読売新聞やホームページなどであれこれ情報を探しているうちに、前述の「山一マンの10年」が目に留まりました。この連載のうち、2007年11月2日付けの「山一マンの10年」(3)「夫婦で走る第二の人生」と題する特集の結びに書かれていた「出世で得られるやりがいとは違うものもある。」という一文に、私が提唱している定年後の自己実現の本質に通じるものを感じましたので、新聞記事より部分引用でご紹介します。皆さんの定年後の生涯生活設計を計画する際の参考になれば望外の喜びです。(次回に続く)このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを、筆者自身の体験に基づいて提案します。<提供>
2007.11.03

【教訓】幸福とは仕事をすることだ(その2) 2007年10月14日付け読売新聞12版13面文化欄「本よみうり堂」の「【教訓】幸福とは仕事をすることだ」のご紹介の2回目です。著者は劇作家、演出家の竹内一郎氏です。・・・今回はお勧めが二つ。アラン『幸福論』(岩波文庫)とヒルティ『幸福論』(白水社)。後者は分厚いので、同書を平易に解説した齋藤孝訳・解説『自分の人生に一番いい結果を出す幸福術』(三笠書房)がとっつきやすい。「自分でつくる幸福というのはけっしてだまさない。それは学ぶことだから、そして人はいつも学んでいる」「人はもっともつらい仕事をしている時、疲れを感じないもので、心も軽やかとなる。そうして全きくつろぎ訪れ、最後にはよい眠りを楽しむのである」(以上アラン)「世の中には『自分の力でどうにかできるもの』と『どんなにがんばってもどうしょうもないもの』がある。/成功者とは『どうにかなるもの』だけに効率よくエネルギーを注ぎ込んだ人である」「最も快適で。最も報いられ、しかもお金がかからない時間の使い方は仕事なのだ」(以上ヒルティ)何がしか社会の役に立つことが、生きることだ。秋の夜長、定年近い方ばかりでなく、若いビジネスマンにも読んで欲しい・・・(本よみうり堂より)自己実現は、人生において自己の可能性を追求することです。生存・経済的欲求は、人間の最低次元の欲求であるのに対し、自己実現の欲求は、人間の最高次元の欲求です。仕事だけが人生ではありませんが、人生80年時代に人生の三大不安から脱却し、自己実現の欲求を満たすには、そのための費用確保の手段が必要です。ここに紹介されている二つの『幸福論』を参考に、自分の人生に一番いい結果を出す幸福術を考えてみてはいかがでしょうか。このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを、筆者自身の体験に基づいて提案します。<提供>
2007.11.03

【教訓】幸福とは仕事をすることだ(その1) 2007年10月14日付け読売新聞12版13面文化欄「本よみうり堂」の見出しに惹かれました。それは「【教訓】幸福とは仕事をすることだ」です。既にご覧になった読者の方々も多いと思いますが、団塊世代をはじめ定年近い方々を含めた人生80年代の生涯生活設計を提案している一人として、2回にわたって原文のままご紹介します。著者は劇作家、演出家の竹内一郎氏です。・・・最近、定年近いエリートサラリーマン二人からこんな言葉を聞いた。Aさんは「私の人生は間違っていたかもしれない」。Bさんは「今は会社の穀潰しをしているだけ」。二人とも誰もがうらやむ学歴、年収、家庭がある。が、今は閑職にあり、幸せそうには見えない。定年後は趣味に生きるらしいが、それまでの数年間は“死んだフリ”らしい。高収入も手離したくないし、退職金も満額欲しい、と。経営の安定した大企業や役所には、こういう人たちがたくさんいる。“死んだフリ”でいいのだろうか。後進の育成でも、若手がやりたがらない煩瑣な雑務でも、何かに打ち込んでいないと、人生のうちの数年が無駄になりそうだ。社会の役に立つことが仕事だし、幸福感はそこから湧き上がってくる。この根本を見失うと、いくら仕事のノウハウを持っていても定年まで頑張れないのではないか。・・・(本よみうり堂より)ここまで読んだだけで、まさに我が意を得たりの思いです。私は、CGBSホームページの「CGBSのレポート一覧」で、「人生80年代の生涯生活設計」をテーマに、現役時代のできるだけ早いうちから定年後の自己実現(自分らしく生きがいを持って毎日を過ごす)のための取り組みを提唱してきました。定年近い方が“死んだフリ”でいいわけがありません。眼前の仕事に取り組みながら、定年後の人生設計を考えていれば、このような考え方は自然に消滅していきます。(次回に続く)このブログは、生涯生活設計のオプションの一つとして、少ないリスクで独立・起業が可能な業種であるネットショップのあれこれを、筆者自身の体験に基づいて提案します。<提供>
2007.11.03
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