シュリapさんの日記に触発されて、私の社会人一年生時代ってどうだったのか思い出してみることにしました。
私は保育科のT短大卒業後、O幼稚園に就職しました。
本当は仲間の沢山いる短大そばの幼稚園に就職するつもりでしたが、どうしても地元に戻って来いと言う親の意見に逆らえず、しぶしぶながらの就職でした。
11人中9人の一斉採用で同期が沢山いて楽しいであろうと期待した私の思惑は5分で敗れました。
私以外は地元短大卒でした。
私以外は新任教諭研修を3日間、受けていました。
私とUさん以外は自分のクラスを持たせてもらえました。
Uさんは資格を持っていましたが事務として採用されていました。
そのUさんでさえ研修会には参加していたのです。
後で知った事ですがO幼稚園は辞める先生が多く、私(とUさん)は年度途中でやめてしまう先生がいたときの保険として採用されていたのです。
辞めた先生はいませんでしたが5月病で何人も無断欠勤すると言う事はありました。
一応、年少組の副担任と言う席に着きましたが、仕事は園長先生の雑用とお漏らしの処理。
仕事がなければ「自分で探しなさい」と言われました。
仕事が何もないのに自分で探さなきゃいけなかったのです。
仕方なくきれいな廊下にゾウキンかけたり、キチンとそろっている絵本の整理をしたりしていることがホトンドでした。
副担任になったのは正担任がピアノをホトンド弾けないからでした。
主任さんに合格をもらえなければ、子供の前でその月の曲を弾くことが出来ないのです。
私が一回で合格出来るような簡単な曲を、正担任のI先生は5回も6回も、下手すれば6月の曲が6月中に合格できないのです。
そんな人の下につかされI先生の女中のような生活。
それでも何も仕事がないよりは良いのだと思って頑張っていました。
私が作った壁面(子供達が喜ぶように工夫する掲示物)をI先生は平気で自分が作ったと言い、私が仕事をしないでサボっていたような雰囲気になってしまった事もあり、やめてやろうと思った事は10回や20回ではなかったほどでした。
(悔しくてうらんだ事も沢山あったけど、I先生の親を喜ばせるテクニックは勉強になり保育士になった時にやく立ちました。)
そんなつらい事ばかりでしたが、救いだったのは日本太鼓の指導を任された事。
リトミックの専門学校に進学も考えた私にとって、その時間は楽しい物でした。
しかし・・・幼稚園の先生は子供の相手をしていれば良いものではなかったのです。
「家の子が後ろの列なのは納得いかない」と言う親。
かといって前の列に出せるような子ではないのです。
「厳しくしているからあの演奏が出来るのだろう」と言う中傷・・・。
私が一生懸命子供達にわかりやすく指導した事が裏目にしか出ないのです。
休みの日に自分の時間を削って、リズムカードを何十枚と作ったのです。
出来なくて泣いてしまった子に出した手紙だって「どうすれば自信をつけてあげられるか?」と、何度も何度も書き直して夜が明けてしまった事もあったのです。
それを「殴って教えてるんじゃないの?」とまで言われた事さえあったのです。
なんか、書いているうちに悲しくなってきましたが(読んでいる人もかしら?)やっぱり、この経験が私を豊かな人間にしてくれたと思っています。
2年目も同じような生活で(主任さん受け持ちの年長さくら組副担任になり時々クラスを任されるようになる)したが3年目に正担任に昇格。年長クラスの経験者が(副担任とはいえ)私しかいなかった為、みんなに頼りにされハリのある生活となりました。
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