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2004年03月14日
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東京の下町にある、短期大学付属高等学校で、英語の先生になった私は仕事と勉強に追われていた。女子だけの私立学校で、躾けは厳しく指導していて、生徒たちも下町のお嬢様が多く、学校の雰囲気は落ち着いていた。
次第に仕事にも慣れてきた二年後に結婚した。
学校から一つ駅の近いところに住んだのは家事もあるからで、通勤時間のかからない、場所だった。  
主人より後に出て、二時間は先に戻っていたので、夕食の支度は出来た。
夕食後は部屋に二つ置いてあるそれぞれの机に向かって勉強した。 
私は受験英語の雑誌を好んで読んだ。  懸賞つきのクイズが面白くて、よく応募して、図書券などをもらったり、問題の回答を、送って添削してもらい、応募者総数の何番に入ったかが楽しく励みであった。 ラジオ英語会話は欠かしたことがなかった。

外人の先生はイギリス人で、私が彼の世話をすることになり、授業も彼と組んでしていた。
大学時代の外人の先生はアメリカ人であり、教材用テープもアメリカ英語であったから、イギリス英語を学ぶよいチャンスであった。 
生徒に「外人の先生は、No, I can’t.[ka:nt] と発音するのに、先生はどうして[kaent] と発音するの?」とか、

ある雪の日の彼の授業で、黒板に “A SNOWMAN”  と書いた。 「生徒たちは雪男?」と言って、雪だるま、を笑わせた。 彼は hot dog を‘暑い犬’と売店で言っていた、と生徒が教えてくれた。 仕事はやりがいのある、楽しい時間でもあった。

学校に組合が出来た。 するとすぐにもうひとつの組合、学校側の第二組合、が出来た。
学校側の先生と組合の先生が対立した。 
学校側の先生に呼び出されて、そちらの組合に入るように進められたが返事はしなかった。  どちらの組合にも入らないでいたが、それは私の立場を悪くしたようだ。 
大学時代の恩師、英文学部部長、岡本成蹊教授に相談に行ったのは彼の推薦で、その学校の教諭になったからだ。 
「自分の信念を通せばいい。」と岡本教授はおっしゃった。
学校といえども労働組合は必要だと思った、しかし、学校という、未来を背負う若者を育てる場で、イデオロギー丸出しの言動は取りたくなかった。 

学校に勤めて以来、毎年、クラス担任をしてきた。  クラスを持つことは何かと雑用があり大変であったが、そのぶん生徒たちとの交流もあり、忙しい中にも生徒の信頼にこたえることの充実感もあった。 
三月になり、学年末の成績処理と新学期の準備、で忙しくしているとき、来年度のクラス担任の発表があった。 
今年は高校1年生を持っていたから、そのまま持ち上がりで、2年生のクラスを持つだろうと思っていた。 
クラス担任の名簿を繰り返し見たが、私の名前は無かった。

私もクラスを外されたのである。








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最終更新日  2004年03月15日 08時00分06秒
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